○
猪俣委員 それでは
質問をいたしますが、
質問の前提といたしまして、あるいはそれが私の
調査の
経過の
発表になるかと存じます。
本件は、
結論を申しますと、
アメリカ軍隊の何らかの
機関において抑留せられておるものであるというふうに考えられるのであります。私がさように
結論を出しました
根拠は、
鹿地氏とともに生活をしてお
つたと称しまする
山田善二郎及び本日
釈放せられました
鹿地氏が、私にその
発表を託しました
声明書、これによりまして以上の
結論をいたすものであります。
去る十一月二十日前後から、
家族の
人たちからこの
救出問題についての御相談がありましたが、私も事案の真否について
確信がありませんので、
責任ある
行動ができなか
つたのであります。越えて十一月二十四日に
山田善二郎という
人物が、衆議院の第一
議員会館の私の
事務室を訪れまして、それに
家族の
方々及び
鹿地氏と親交のある
人たちが集まりまして、この
山田君が
鹿地氏と同居するに至りました経緯その他のことにつきまして
証言をいたしまして、それにつきましていろいろ
質問をいたしました。私はその際に、
山田氏に一切の
経過を書きとどめるように
要求いたしました。越えて十一月の二十六日に、
山田氏はその
手記を携え私の
自宅に参りまして、やはり
家族の
方々及び親友の
方々が集まりまして、そこでその
手記をまた検討をいたしました。但しこれは一切外部に
発表しない、要は
鹿地の
生命を救い出すことがわれわれの
活動の主眼でなければならぬから、いたずらに事を荒立てないようにという
申合せを、私の発議でいたしたのであります。それは
山田善二郎の
証言がほぼ確実であると思われるのみならず、それが確実だとするならば、事が外交問題にも発展する
重大事件であると直覚したためでもあります。但し、私はこの
山田善二郎なる
人物が初対面の人であり、
鹿地亘なる人とも一面識もないものでありまするがゆえに、この
手記がはたして正しいものであるかどうかということに対して非常に
苦脳をいたしまして、いろいろの手を通じまして、ひそかにこの
山田の
証言の
裏づけをいたしたのであります。ところが最後に
鹿地氏が抑留せられてお
つたと称し、しかもそこに自分が同居してお
つたと称しまするのは、
茅ヶ崎市のある松林に囲まれたC三一号と称しまする、
アメリカに接収せられましたる
公館であるということを
山田が申しましたので、
茅ヶ崎駅からその
公館まで行きまする道順を彼に口述させ、それを他の人をしてその
通りに
行動をさせてみましたが、はたして
山田が言う
通りのC三一号なるものが存在をしてお
つたことがわかりました。その他、この
茅ヶ崎市に抑留せられまする以前にお
つたと称しまするのは、
丸子多摩川の
東京銀行の
川崎支店、そのとき
東銀クラブ、なお
東川クラブと称せられる所、これはやはり接収せられまして
アメリカ軍の何らかの
諜報機関の館にな
つてお
つたようでありますが、そこに
鹿地氏がお
つて、やはり
山田君はそこで
鹿地氏に食事を提供してお
つたという
証言がありましたので、これもま
つたく
山田氏の知らざる第三者をつかわしまして、その
TCクラブと称される
東川クラブの
公館の
付近の住民について
調査をいたしました。そうしますと、
山田というコツクがお
つたこと、
日本人で病人と称する者が長らくここにお
つたということの
証言を得たのであります。なおこの
丸子多摩川の
TCクラブへ連れて行かれる前には、文京区の
切通坂の元
岩崎別邸がやはり接収せられまして、何らかの
諜報機関の
根拠にな
つてお
つたようでありますが、そこにも連れ込まれた形跡があ
つたのでありますが、その元
岩崎別邸に四十年前から勤めてお
つたと称する
齋藤という
老人が、やはり接収後もこの
アメリカの
公館の雇い人として—
ボイラーたきだそうでありますが、勤めてお
つたのが、たまたまこの
茅ヶ崎の
アメリカの
諜報機関と思われるものの家に今度は職場がえを命ぜられて働いてお
つて、やはり
ボイラーたきをや
つてお
つたそうでありますが、そこで
斎藤と同じくそこに働いておりまする
山田とが話し合うようになりまして、そこで
鹿地氏が抑留せられました直後は、この
岩崎の
別邸へ連れ込まれ、それから
新丸子の
TCへ連れ込まれ、それから
茅ヶ崎へ移されたということがほぼ明らかに相なりました。その
斎藤老人にも他人をして会
つてもらいまして、その写真をと
つて参りました。かような
山田証人の言いますことの
裏づけを一々して歩きまして、ほとんど二週間を
経過いたしました。しかしいろいろの
情報が漏れまして、この秘密を保持することが困難になりましたことは、
鹿地氏の父親が大分県にまだ生存されておるのでありますが、実妹を連れまして、
鹿地の身辺を憂慮いたし、上京して私のところへ会いに参りました。これがいずれからか漏れまして、そして私が
鹿地の実父の話を聞くべく
自宅で会見しているところが、報道陣の耳へ入りまして、天下に公表せられたというのが
てんまつであります。
そこでいろいろの毎度から考えまして、もしこれが架空のことであるとするならば、
山田善二郎なる
人物か猛烈な
共産党員であ
つて、
反米思想を鼓吹するために、かようなトリツクを使
つたんじやないかということが、私の最も心配したところでありまするので、
山田善二郎の身元の
調査も徹底的にいたしました。その結果ま
つたくさような
共産党とは無関係の
人物であるのみならず、
終戦前は予科練として勤務し、
終戦後は向うの
謀報機関の一方の旗がしらと思われる
キヤナンという人のところへ二年半も
ハウス・
ボーイとして働いて、非常に信任を得て、そして
新丸子の
TCに、その
キヤナン少佐が帰国いたすに際しまして、そこへ世話せられて勤めてお
つた人物である。
鹿地氏は
昭和二十一年の五月重慶から帰国された。ところが
山田証人がこの
キヤナンというところヘ
ハウス・
ボーイに入
つたのが
昭和二十一年の二月ごろからでありますので、ここで
鹿地なる者と
山田という者が全然交渉する余地かない。ことに
鹿地氏は病床にありまして活発な波動もしておらぬような
状態でありますので、そこで私
どもはこの
山田が何かでたらめを言うておるということは、どういう
方面から考えても出て来ない
確信を得ました。そこでこの
救出を決意をいたしたのであります。本日
釈放されました
鹿地氏が私に
声明文を渡されまして
——今
新聞記者に
発表したのでありますが、それを見ますと、この
山田証人の
証言、すなわち
新聞記事として現われました事実と符号をいたしております。
アメリカの
機関によ
つて抑留せられてお
つたことを
鹿地氏
自身が
証言をしているのであります。これかこの
事件の
真相でございますので、おそらく
検察当局におかれましても、
警察当局におかれましても、この問題についてあまりタツチできなか
つたことは私
ども認められるのでありまして、
日本の
検察当局になぜ今までほ
つておいたかという責めは出せないと思うのであります。ただ私
どもの懸念いたしまするところは、ほとんど
真相としてとらえられましたるこの事実は、容易ならざることだと考えられるのであります。もしかようなことが将来においても起りましたならば、私
どもの国内の
治安関係につきまして、非常な問題であろうと准じます。そこで私が
政府当局にお尋ねしたいのは、第一点は以上のような
経過に基きまして、
アメリカの
機関が一年
有半鹿地氏を抑留してお
つたことは事実と存じます。かようなことにつききして、われわれは
憲法に
保障いたされております
日本国民の
生命、
身体の安全というものは、どういうことになるか。
全国に六百幾つの
アメリカの
軍事基地があり、
国連軍が滞在し、それがために今刑事裁判権問題がやかましくな
つております今日、もしこの
アメリカの正式の
機関がかような
行動を今後もとるということに相なりますならば、われわれ一日も安閑としておれないことに相なります。かような意におきましてこれに対して
政府はいかなる対策を講ぜられるのであるか。なおかような事態を起しました際に、
一体日本の
国民としてはいかなる損害の賠償をいかなる
方法でとり得るものであるか。泣寝入りをしなければならぬものであるか。なお
日本の法律上かようなことが将来あ
つたとした際に、これをわれわれが防止し、あるいは救い出すためには、
日本にいかなる法律的な体制があるであろうかどうかというような点につきまして、
政府当局の所信を承りたいと存ずるのであります。なお私の
説明にして足らざるところがありますならば、
説明をいたします。
そこでもの一言つけ加えておきたいととは、何のために
鹿地氏が抑留されたのであるかということでありますが、これは今まで
山田氏の証書によりましても、はなはだ明確を欠いてお
つた一点であります。しかるに本日の
鹿地氏
自身の
発表によりますと、ほぼその目的が明らかにされたと存ずるのでありますが、それはいわゆる
共産党のスパイ有為というような嫌疑で逮捕し、なお
アメリカ軍に今度は協調して、そういう
情報活動をしないかというような
要求もされたということであります。
鹿地氏は
スパイ行動は全然ないことであるし、なおまたさような
行動をして
アメリカ軍に協調する
意思もないということで、今日まで拒み続けて来たという
真相を訴えているのであります。
朝鮮事変を初めといたしまして、
国際関係が緊迫いたしております今日、
日本に駐留しております
軍隊がその便宜のために、
日本国民をかように抑留するような
状態が、将来も起る
可能性があり得るようにわれわれには考えられますが、これをいかなる
方法をも
つて日本政府は防止し、わが
民族の
生命、
身体の安全を
保障されるのであるか、この点につきまして、とくと御考慮を煩わしたいと存じます。