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山崎(始)
委員 ただいま小島
委員が申されました
気持は、私の
気持をそのものずばり付度されておられるのであります。「夫婦相和シ」というような
言葉が
文部大臣の
一つの
教育観であり、同時に子のたまわくとか、お釈迦様がこうおつしや
つたと言えば、ヘヘつとい
つて無条件に頭を下げるような
学校教育であ
つてはならないというお
気持を持
つておられるのだろうと思うのであります。私は、「夫婦相和シ」というようなこういう道徳律はもうすでになくな
つている、こういう
言葉はないと言いたいのであります。何ゆえそういうことを申し上げたかといいますると、敗戦後のこの民主主義によりまして、とかくの批判はございますが、少くとも
学校教育から
文部大臣がお
考えにな
つていないような、いわゆる民主主義の新しい
一つの秩序というものが社会のあちこちに現在出ている、私はこう思うのであります。そういう時代でありまして、「夫婦相和シ、朋友相信シ」という
言葉は、今日のいわゆる道徳律の用語辞典とでも申しますか、そういうものの中にはもうなくな
つている。「夫婦相和シ」というような
言葉を若い者に言わなくとも、現在の若い者は夫婦相和し過ぎて困るくらい、もうこれは日常の生活の中に溶け込んでいると私は思うのであります。言いかえますと、民主主義、民主主義という
言葉が出る間は、私はこれは民主主義でないという証拠だと思うのであります。あるいはまた男女同権だとかいうような
言葉が出る間は、これは男女同権でない証拠であります。「夫婦相和シ」であるとか「朋友相信シ」であるとかいうような、
文部大臣がお釈迦様の教えで
教育された時分の時代感覚とは違うと私は思うのであります。今日の民主化された社会における人間の夫婦間の
関係において、夫婦にけんかをせえと言
つたつてだれが、けんかをする者がありましよう。もしする者があるとすれば、それは他の原因であります。決してそういう教えがないから夫婦げんかをするのじやございません。
世間でよく夫婦げんかは米びつからというようなことを言いますが、この点こそ
文部大臣はお
考えにならなければならぬのじやないか。
文部大臣自身も道徳の高揚は物心両面に求められるのだと言われるところに、私は満腔の賛意は表しますが、あとの
教育を実施する上の方法論におきましては、私は相当の隔たりを感ずるのであります。倉廩実ちて礼節を知る、こういう
言葉こそ私は千古の真理を持
つていると思うのであります。単なる「夫婦相和シ、朋友相信シ」というような
言葉があるから、
教育勅語は千古の真理を持
つているのだというようなお
考え方は、ずいぶん御反省にな
つていただかなければいけない。ましてやいわゆる子のたまわくとか、あるいはお釈迦様がこうおつしや
つたと言えば、われわれの先祖無条件でついて行
つたもんだ、こういうふうに礼讃をされておられますお
考え方、
教育観の上には、ややもすると押しつけた
学校教育というものが、意識無意識を問わず起
つて来るのだ、このように私は思うのであります。もし
大臣のお
考えのように、
学校教育が押しつけるところのものでありましたならば、これは今日のいわゆる民主化時代における
学校教育の方法論でも何でもございません。同時にまたそういうお
考え方自体、私に言わせますと非常に反民主的な
考え方だと思うのであります。いわゆる人間に長幼序ありとか、あるいはその他の修身的な
一つの
言葉、これに絶対的に異論を申すのではありませんが、あの北
委員との問答における
文部大臣のお
考え方、思想というものを通じて見た場合に、私はどうしてもこの
義務教育学校職員法案の底を流れているものと一脈も二脈も通ずるような気がしてならぬのであります。先ほ
ども、
学校の先生がハン・ストをや
つておる、そのときに
ちよつと私は触れましたが、それは見方の相違であります。過去七十年間、いわゆる
文部省令や勅令によ
つて学校行政がやられたときには、どうしてもああいうような
教育勅語であるとか、修身であるとかいう式のものが必要であ
つたことは私もわかります。わかりますが、そういうような
教育の過程を経て来た結果が、いわゆる
教育の自主性をなくし、同時に悲しいかなああいう敗戦のうき目にあ
つた。
教育というものが不当な支配に圧迫されることなしに、
学校の先生が自由人としての
立場から自由に学問を
研究して、そうしてそれがたまたまハン・ストにな
つて現われるということは、これこそいわゆる不当な支配に抗するところの熱情以外の何ものでもないと私は思うのであります。だからこういうふうな
一つの現象に対して
大臣がお
考えになるなり方も、先ほど私が例に
出しました北
委員との問答の中に、
教育勅語を通し、あるいはその他の言動を通されまして、私は一脈も二脈もにじみ出ておる。こういう感じを持つものであります。しかし私は最後に一言申し上げておきますが、少くとも
文教の
責任者であられるところの
文部大臣が、
教育勅語の根底を流れるものに千古の真理があると言われる。ただいまお聞きしますと、「夫婦相和シ」ということを例に出されておりますので、私もあまり追究いたしたくありませんが、こういうお
言葉は
文教の府の
責任者であるだけに私は重大問題だと存ずるのであります。これは吉田首相が———— と言われて懲罰にかけられた、こういうものに比すべきものでないほど重大な事柄だと私は思うのであります。少くとも私は大多数の
国民が相当誤解をしておると思うのでありますが、
文部大臣はあの
言葉を取消されるか、あるいは直されるか、そういうお
気持はございませんか、この点お聞きしたいと思います。