○滝田
公述人 全繊
同盟の滝田実と申しますが、
栄典法案についての公述をしたいと思います。
私はこの
栄典制度については原則的には賛成をいたします。その賛成をする趣旨は、
国家社会の繁栄と建設に寄与し、
国民の鏡となるべき人をたたえるという
意味と、同時にそれを
国民のモラルを高めるものに役立てて行きたいという
意味において賛成いたしますが、しかしこの
法案全般にわた
つては絶対
反対せなければならない条項もあれば、慎重に取扱わなければならぬ点もかなりあります。その点に若干触れましてから、総括的な
意見を少しつけ加えたいと思います。時間がございませんから簡単に各条にわた
つての賛否の
意見を要点のみ申し上げたいと思います。第二条に
勲章の種類が書かれてありますが、
文化勲章、
産業勲章、これについては私
ども賛成の意を表したいと思いますが。菊花
勲章、
旭日勲章については統合さるべきである。しかしその統合された両
勲章を贈与される対象は、たとえば皇族の場合は皇族であるからという
理由で全部に与えるということは適当ではない。これは皇族の中ではつきりした地位が
国民の間に定められたときに贈与さるべきものではないか。たとえば
天皇、皇后それから今度の場合皇太子殿下が立太子の礼を済まされた、こういつたときに初めて何らかの
勲章をお贈りしていいのではないか、こういうふうに
考えます。それ以外の、
国民にと
つてははつきしりした地位が定ま
つていないときに、
国民の前に皇族であるからということで
特権的な
勲章をお贈りするということは適当ではない。外国の君主あるいは大統領、こういう人たちに贈るという
意味においては、これは外交的な
意味もあればあるいは儀礼的な
意味もありますので、これは贈
つてよろしい、こういうふうに思うわけです。最近の国内における情勢などを見ておりますと、
天皇に対する
取扱いもだんだん神格化するように私
どもには
考えられる。たとえば
憲法の式典における
天皇陛下の臨席されるその
取扱い等について見てお
つても、もつと
国民に親しい
取扱いがあ
つてしかるべきことと思いますが、あの式場における空気等を見まして、そういうものからだんだん遠ざか
つて行くようにわれわれは
感じられる。また皇族に対する
勲章については、特に逆コースにならないように、この菊花
勲章、
旭日勲章を一緒にした場合においても格別の御配慮が望ましい。
それから
文化勲章あるいは
産業勲章ということでありますが、これには賛成するということは先ほど申し上げましたが、
産業勲章というもののあり方について非常に狭い範囲に限定されることを私
どもは避けたいと思います。
産業勲章というものは私は労働者の場合から見たときに、ややもするとそのときに政府の政治に非常に協力する者あるいは資本家の言いなりになるような、いわゆる産報的なものに寄与する者にこの
産業勲章が利用されると、これはややもすると権力に結びつき、あるいは政治的な
意味がここに発生するおそれがありますので、こういつたことを排除することを十分考慮に入れながら、もつと広範囲に、狭義な見解のもとに
産業勲章の対象を置くべきではない、このように思います。
それから第七条にたくさん
階級みたいなものが書いてありますが、これには絶対
反対いたします。このようなものは、同じ
勲章の中に非常に
階級的な、お役に立つたといいながら、それにはたくさん上下をつけるというようなことは非常に相手に対してもよくないし、われわれの経験する範囲内におきましては、やはりまだ
日本の
国民の感情というものが、か
つての軍国主義的なものからの清算が十分なされていない。また最近の政情から見ても、その復活が
国民の間に隠れて抬頭して来ることについて非常に危惧が持たれておる際に、このようなものがさらにつけ加えられることによ
つてそれを助長するというようなことは適当ではない。よ
つてこの問題について絶対に
反対をするということであります。
それから
功労章については、これは原則的には賛成をいたします。しかしこれは
産業勲章との
関係において、できれば一本にな
つていいのではないかというふうにも
考えられます。こまかい
理由については省略をいたします。
それから九条の褒章は不必要であるというふうに
考えます。これは他の
勲章をも
つて十分補い得る。これは特別設ける必要がないと思います。
それから賞杯、一時金及び賞状ということについては、これはやはり
取扱いについてあるいは運営について十分注意をすればあ
つていいのではないか、このように
考えます。
それから第二十条の外国の
勲章等の着用について
内閣総理大臣の認可を受けた者でなければならない、外国から
勲章をもらうということがいろいろな機会にあるわけですが、よそから贈られたものに対して
内閣総理大臣が認可をせなければならぬということは一体何を
意味するのであろうか。これはその
勲章を贈られた趣旨について
日本でもう一度審査をし直すというようなかつこうになりますので、これは非常に個人の人格を傷つけるようなことになりはしないか。しかも
内閣総理大臣というものはそのときの政治勢力によ
つて非常にかわ
つて来るものでありますから、政治の権力がいろいろかわるたびごとにその
勲章の価値判断が左右されることは明らかに矛盾でありますので、こういつたものはどこから贈られようが、その人の自主的な判断によ
つて佩用すべきものであるという点についてこれは断然間違
つておるのではないかというふうに
考えられますから、この点は
反対をいたします。
それから
栄典審議会、これに私
ども非常に大きな期待を持ち、またこれの運用いかんによ
つては、
勲章を与えるという
栄典制度がゆがめられる危険性が非常に多いように思います。
内閣総理大臣の諮問に応じて
栄典に関する重要事項について調査審議をさせるということですが、この十一人の
委員の構成いかんによ
つては
栄典の対象になる選び方に非常に間違いが起りやすい。たとえば私が今や
つておる中央労働
委員の選任にいたしましても、推薦母体がどうであるかということによ
つて非常に
審議会の構成がかわ
つて来るし、それから判断の基礎が非常にかわ
つて参ります。こういつたところから、この
審議会の構成についての推薦をどの層から求めるかということは、各階層にわた
つて公平な推薦権を持たせる配慮をぜひしていただきたい。そこに初めて
栄典制度が
国民の中に生きておるということが言えるのではないか。これがそのときの総理大臣の
考え方で
審議会の
委員が左右されて、片寄つた
審議会の構成
委員ができ上つた場合には、これは
栄典そのものが
国民の大衆に受入れられるというよりも、一部の人たちに利用される。そこに名誉欲とかあるいは支配欲、権力とかいうようなものも出て来る可能性がある。こういう点について、
審議会の構成について、あるいは運営については、このあとの方に政令等によ
つて定めるとありますが、この政令についても十分民主的な運営、あるいは推薦について十分なこういうような配慮がされるようなことを織り込んでもらいたい。これだけがこの
栄典法案についての内容的な問題でありますが、総括的に申し上げれば、原則としてはこれは賛成するということでありますけれ
ども、権力に結びついたり、あるいは政治的な意図に結びつくことは、厳に慎まなければならない。それから
栄典の対象になるべき人が支配者的な立場にある人、あるいは資本家あるいは有名人、こういつた人たちのみを対象にすることは避けなければならぬ問題ではなかろうか、あまりにこういつた
制度というものは権威をねらい過ぎるのではないか、
文化勲章等については権威をある程度尊重しなければなりませんけれ
ども、しかしこの
栄典制度全般はやはり
国民の各階層、
国民全般にと
つて鏡となるべきものというような
意味を私
ども考えておりますから、たとえば資本家の
社会的な地位というものを非常に高く認めることが往々にしてあると思うのです。私はこういつた権威というものが、現在の地位が築かれておる権威者の地位そのものは高いものであ
つても、その以前において資本家などが労働者から非常に搾取して、そうして資本を蓄積した。その資本の力でも
つてあとで善行するということが間々
日本の場合はあると思う。最初はやみ商売でうんともうける人もあるでしよう。たとえば労働者をうんと苦しめて金ができる。そうして金ができると、ここらで
社会的に何かひとついいことをしておきたいというようなことから、
社会事業に寄附をするとか、あるいはいろいろな勢力を張
つて行く。そういうあとの方の寄附行為あるいは政治的な勢力の拡大行為をも
つて、その人の
社会的地位あるいは善行というものを判断するということは、大きな誤りが起きるというようなことが
考えられるから、私はその人の名誉あるいはその人の善行そのものについても、もつとその人のおい立ち等について十分の考慮を払つた後において推薦すべきではなかろうか。か
つて週刊朝日だつたと思いますが、私は非常に感激した記事を読んだことがあります。それはどこかの山の中で若い婦人が小
学校の教員か何かして、そうしてひなびたところに自分の青春をまつたく犠牲――とい
つては語弊があるかもしれませんけれ
ども、ある程度犠牲にして、そうして
子供たちの
教育に心血を注いだというレポートが載
つておりましたが、ああいつたレポートを
国民が読んだときに、何かしらあたたかい感激的なものを覚える。そうしてこういつた美しい心情を持つた人が
日本の
国民の多くにあれば、
日本国民全体のモラルはもつと高まるのではないかというような、私
ども感激の記事を読んだ記憶があるわけでありますが、こういつた権威とかあるいは地位というものがなくても、
国民の間に一番切実に要望されておるものが、その善行の中に現われておつたような場合には、そのような人を見出すということが、この
栄典制度の
一つのねらいでなくてはならないのではないか、このように
考えます。
もう
一つつけ加えておきたいのは、
栄典審議会に働く者の代表をぜひ入れてもらいたい。働く者の代表ということは、なかなか推薦がむずかしいかもしれませんが、やはり労働代表というものを当然入れるべきではないか。この点は
内閣総理大臣の任命というようなことが、たとえば立太子の式典などのときを見てお
つても、ほとんど資本家団体の何かの役割をしている人だけが招待されるといつたような現実を見たときに、この
審議会の構成についても思い半ばに過ぎるものがあるように思いますので、このようなことについてはあくまでも
国民大衆と結びつくという
意味において、労働代表を
審議会に入れていただきたい、こういうことを特に要望いたしたいと思います。
いろいろ批判すればまだこまかい点については多く述べなければならぬ点がありますが、今申し上げた点について、
文化勲章は認める。
産業勲章というのはもう少し広範囲にしてくれ。それから菊花、旭日というものはまとめる。これは皇族に対する
取扱いを特に注意しなければならない。第七条は廃止すべきであるというふうに
考えます。
以上簡単でございますが、私の
意見を述べます。