○原
参考人 私の方は
実地修練生を受入れます方の修練
指定病院ということにな
つていますから、
指定病院の立場としまして、
現実を見ましたその姿、それからどういうふうにやると
インターンの
教育に成功するかということにつきまして、私たちの
意見を申し上げたいと思います。それから同時に、この私の
意見の中には、同じような
受入れ態勢の
病院が二、三加わりまして、あらかじめ相談したことがございます。これは、
日本病院協会の
インターン調査
委員会で、
厚生省につい最近上申をいたしましたその
内容も、少し私の
意見の中に含まれるはずであります。でありますけれ
ども、この上申書の中の
意見も私たちが絶対に賛成しておりまして、そうして現在これを行
つておることでありますから御承知を願いたいと思います。
まずこの
インターンの
制度が必要であるかどうかということも、一応
考えてみなければならぬと思います。それで、私たちはこんなふうに
考えております。
医師となりますには、たとい将来高度の専門医として立つ者でありましても、一応
医者として、全般的の
患者を取扱う技術、あるいは取
扱い方法とかいうことを、医学を総合してけいこしなければ、いい
医者にはなれないと思うのであります。こうしますと、専門医になろうと希望する者でありましても、とにかく
医者とな
つて患者を扱わなければならぬという者は、どうしても現在の
インターン制度のこの方針によ
つて一人前の
医者にな
つてほしい、そのために現在の
制度はどうしても存続してかつ育成する必要がある、こういうふうに
考えております。これはこうであります。医
学校で医学を勉強いたします、これはいわゆる医学であります。その医学をしつかり勉強しませんと、どうしても基本ができないのであります。でありますけれ
ども、この医学は、いろいろな
学科を別々に教わらなければ、りつぱな
教育あるいは医学の実習ができぬのでありますから、各科、たとえば内科の学問であるとか、外科学、産科、婦人科というふうに教えられますが、
患者はた
つた一人であります。一人の
患者がそこでいろいろな変化を起すものでありますから、この医学を総合して、
医師としての
患者取
扱い方法を真に地につけて勉強しなければ、ほんとうには
患者を扱えないであろうというのが
根本の
考え方であります。
それからもう一つの問題は、近ごろの
学生さんたちであります。これから
インターンになろうとしておりますが、この
インターン制度については、これは終戦直後の占領政策によるもので、
アメリカ製であるというようなことをいろいろな。パンフレツトに書き、あるいは、中には医
学校の職員の方さえいろいろな刊行物にこれを書かれている人もあります。しかしながらこの歴史を調べますと、
昭和十五年十月二十八日の医薬
制度調査会の答申案にも、
医師の免許には一年以上一般的
診療に関して、必要なる修練を経ることを要すというふうに明記されておるのでありまして、
戦争中に用いられました
国民医療法にも、この思想がりつぱに盛り込まれてあると私たちは記憶しておるのであります。でありますから、これはただ占領政策によ
つて押しつけられたものというふうに
考えるのは、即断であろうと思うのであります。ただこれは、
受入れ態勢が十分にできないうちに、こういうものが占領教策として押しつけられた形にな
つたのだというのが
現実であろう、そのために
受入れ態勢が十分にできなか
つたということは非常に残念である、われわれはそんなふうに思
つております。
ところがこの
インターン制度は、今のように、
患者を取扱うということにつきましては、どうしても修練を行わなければならぬということが問題だと思いますけれ
ども、現在どういうふうに修練を行
つておるかと申しますと、
厚生省の医務局から出ました
診療及び
公衆衛生に関する
実地修練基準という指導書ができておるのでありますが、この指導書は、
インターンの動き方、指導の方法について非常に詳細をきわめております。でありますけれ
ども、この指導基準の
通りに各実習
病院が動いて行きますなければこれは申し分なく、あるいは優秀な
学生連の反感もこうむらないで済んだと思いますけれ
ども、何しろ
わが国におきましては、
インターン制度に関しては、
方々によくわか
つておらないせいでありますか、この指導基準も十分なる理解を
方々で求めかねておるのであります。それで私たちがこの指導基準をどういうふうに解釈しておるか、こういうことを一つ申し上げたいと思います。これは指導基準の
目的が
厚生省の出版物にございますが、私たちはそれに補足いたしまして、そうしてもう少し各
病院で、いわゆる
指導者がどういうふうに指導すべきものであるかということを
考えておるのであります。その方針といたしましては、この
インターンは臨床の修練と
公衆衛生の修練とをあわせて行わなければならぬものであります。これはどちらも
指定の
病院で巡回して行う、巡回と申しますのは各科の巡回であります。たとえば内科、外科、産科、婦人科、あるいは
公衆衛生、こういうふうに巡回して行
つて、一年間で
医師としての
あり方を覚えるのが、これが本筋であろうと思います。特に
指定病院と申しましたのは、
日本の
病院におきましては
患者の臨床だけに重きを置きますが、われわれ
医師としましては、
患者の治療、
診療以外に、やはり
公衆衛生に関しましても、もつと関心を深く持たなければ、
国民の大きな不幸であろうと信じているせいであります。ただ問題は、従来保健所だけに依頼しておりました
公衆衛生の問題でありますが、そのうちでもあるいは国法に関するもの、たとえば衛生に関する法律、そういうふうなものは、やはり保健所の応援を求めなければいかぬだろう、こういうふうに
考えております。
それから臨床修練であります。いわゆる内科とか外科とか、そういうものであります。これはただ医
学校を卒業しまして、初めから従来のように
自分は内科の
医者になる、外科の
医者になるということでは、初めから専門家になるようなコースをと
つてしまうおそれがあると思います。そのために、場合によりますと、全体に関してはどうしても知らないことがたくさん出て、
患者全体を扱うことには非常に不便を感ずるのであります。でありますから、この一年間のコースは、どうしても
患者全体を調べなければならない、こういうふうに特に専門を限りませんで、内科とか外科とか産科、婦人科というふうに、これを一年間に巡回するのが、ほんとうの仕事であるというふうに思
つております。すなわち、一般の
病院の
設備をそのままに利用すべきであるという問題であります。そうしてどういうふうにしなければならぬかということですが、ここが
方々の
病院におきましてあるいは誤りがあるのじやないかと思います。
インターンは見
学生でもありませんし、あるいは短期間の講習生でもありません。主として、入院
患者を継続して担当して、その
患者を取扱うことを
指導者の指導のもとに覚えるのであります。でありますから、一番重点は、病室の実習が一番大事なのであります。そのためにはあるいはいろいろな記録を書かなければならぬ、あるいは先輩の命令によりまして処方箋を書いて、そうしてその承認を受けて、先輩の手によ
つてそれを発行する、あるいは治療も先輩の指導によ
つてやらなければならぬ、こういうふうに
考えておるのであります。でありますから、繰返しますが、
インターンは見
学生のような取
扱いをしてはならないというのであります。なぜこういうことを特に強調するかと申しますと、医
学校ではありませんところの普通の一般の
学校におきまするような、物理の実験は何時から何時までというような実験では、
医者としてのほんとうの
患者の取
扱いはできぬのではないか。一日一ぱい
自分の担当した
患者についてあらゆる
お世話をしなければならぬ。もう少し砕きますと、
医師と看護婦の間にあるくらいの仕事をしなければ、ほんとうに将来専門医とな
つて患者の幸福を祈るということは、とうていできなかろうというのであります。
インターンの先進国であります
アメリカの
病院あたりの
インターンの取
扱いも、そういうふうにな
つているとわれわれは耳にしているのであります。でありますから、先ほ
どもお話がありましたように、
インターンは、二十四時間
病院の中に宿泊するのが、ほんとうの
インターンの立場であります。いわゆる
インターンの意味がそこから出て来ると思いますが、不幸にして私らの
病院もやはり非常に経済的基盤が弱いのでありますから、
インターンというのは名ばかりでありまして、通勤であります。しかし、非常にしばしば当直
制度を設けまして、そして
病院にとまりまして、
自分の関係した
患者につきまして治療を行
つておるのであります。
こういうふうに私らは
考えておるのでありますが、同時に最もわれわれが強調しなければならぬことは、
病院の
施設はどういうふうに監査をされなければならぬか、この監査の結果によりまして、
病院が落第したり及第したりということになるのでありますが、ただこれは、病気をなおすというだけで
患者を取扱うということは、
国民の衛生福祉に沿うものではないと思います。病人をなおすのがわれわれの仕事であります。そしてその病人につきまして健康指導をするということもまた
病院の
あり方であります。同時に病人の生活ということも
病院の仕事であります。でありますから、特に
病院はよき看護管理のもとに運用されなければならない。これが一番大事な問題であります。ここに
病院の
インターンはヒユーマニテイーに関する
教育もやはり受けなければならぬ。こういうふうに
考えて私らの
病院ではそれをつとに実行しております。大体
やり方はそんなふうでございます。
そこでさつきからお話がありましたように、こういう
インターンが一番困
つております問題は経済問題であります。私たちのように
日本の経済がそれほど苦しくないときには、長らく親のすねをかじ
つて勉強することができた時代もありますけれ
ども、現在は非常な苦痛を
インターンが訴えておるのであります。幸いに私の方の
病院は非常な厳格な
監督をいたしますために、アルバイトをしなければならぬという
インターンは、あらかじめ
自分の方から忌避しましてよけい参りません。それでもこの間調査いたしましたら、十八人のうち四人は何かのアルバイトをして収入を求めなければならない、またほかの四人は育英資金を五千幾ら借用しまして、それでやつとどうにかや
つておるというような非常に気の毒な
状態であります。しかしながらさつき申し上げましたように、医学そのものだけでほんとうに
患者の幸福を祈ることはなかなかできないと思います。これは長らく
日本の各
病院が
国民のために、はたして有益に働いたかどうかということが、われわれの疑問になく
つておるところであります。さつさ
阿部先生からもいろいろお話がありましたように、もし
国家がこういう
インターンにつきまして、補助をお出しくださることがありましたならば、それは
国家の
理想としていい治療を
国民に施す上に、必ず大きな成功になると思います。ただいまここで計算いたしましたら、大体三千人の
医学部の
卒業生が毎年出ます。その
インターンには大した報酬はいらないのであります。たとえば
宿舎を与えまして、そして食事を与える。それだけでも
インターンはや
つて行けるのではないか。そうなりますと一人大体三千円でありますから、一月に九百万という数字が出るわけであります。一年に直しますと一億八百万という数が大ざつぱに出るのであります。かれはお小づかいが入
つておりません。でありますけれ
ども、現在のようにアルバイトをやらなければ食
つて行けない
インターンがあるようでは、将来の
日本の
医師一が
国民の衛生を守るために非常な不幸なことじやないか。こういうふうに
考えております。しかしまたある論者がありまして、これは
国家が直接使う人間ではない、あるいは開業する
医師もたくさん出るだろうというようなことを言いますけれ
ども、開業医の人たちも、やはり
国民の衛生を守る仕事をや
つておられるのでありますから、
国家のためには非常に重要な人ではなかろうかと思います。そしてその将来の開業医をりつぱな良医につくりますのが、われわれ
インターン指定病院の職責であろうと私たちは
考えておるのでおります。
それではこれは私の方の
病院の専売特許のような形にな
つておりますが、私
どもは
卒業生をとりますと、この人たちにはなかなか
患者のために十分なことをしてもらえなか
つたのであります。そこで私たちは、
病院はいかにあるべきか、近代
病院はいかなる組織であるか、
患者に対していかなる
病院活動をしてあげなければならぬかということを、初め準備
教育として教えております。大体これを四年間行
つたのであります。その中で一番特徴のありますものは、
病院の中の看護管理とはどういうものであるか
——従来は
患者さんが、非常な苦しみのために
病院に入りますと、生活に関するいろいろな世話をしてもらえなくとも、病気がなおりさえすればいいという非常に危険な
状態であ
つたのであります。その
教育をしまして、看護管理とはどういうものであるか、将来看護婦に対する命令を出すというふうなために、そういう準備
教育を
インターンの初めにや
つているのであります。そうするとこれは
大学病院その他におきましては、実際はなかなか手がまわらぬのでありますが、町の
病院に出てみますと、初めて
患者の
扱い方がよくわかる、こういうふうにいわれるのであります。
それからただいま、あるいは
インターンを
大学の
医学教育の中に入れるのが当然であろう、こういうお話がありましたが、
大学の
医学教育は医学の
教育であります。学問の
教育であります。
インターン教育は
患者の
扱い方の
教育であります。この点において両方の間のごたまぜは、私たちのなるべく希望しないところであります。
従つて国家試験は医
学校る卒業試験とは意味が非常に違
つて来ると
考えられるものであります。こういうふうに
考えますと同時に、この
日本におきましては非常に事大思想が盛んであります。
従つて医
学校をあらゆる
病院の基本にすることは非常な危険じやなかろうか。集中排除という問題はこれによ
つて起
つて、
インターンを
学校教育と直結させませんで、わざとあらゆる公的
医療機関に結びつけることが、どうしても必要な
日本の
現状ではなかろうかと私は
考えておるのであります。