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1953-03-10 第15回国会 衆議院 厚生委員会 第19号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年三月十日(火曜日)     午前十時三十五分開議  出席委員    委員長代理 理事 野澤 清人君    理事 大石 武一君 理事 堤 ツルヨ君       新井 堯爾君    池田  清君       勝俣  稔君    加藤鐐五郎君       永山 忠則君    日高 忠男君       平澤 長吉君    亘  四郎君       高橋 禎一君    岡部 周治君       鈴木 義男君    長谷川 保君       柳田 秀一君    只野直三郎君  出席政府委員         厚 生 技 官         (医務局長)  曽田 長宗君  委員外出席者         参  考  人         (金沢大学学         長)      戸田 正三君         参  考  人         (東京大学医学         部附属病院長) 三澤 敬義君         参  考  人         (慶応大学医学         部長)     阿部 勝馬君         参  考  人         (国立東京第一         病院院長)  栗山 重信君         参  考  人         (国立仙台病院         長)      加藤豐次郎君         参  考  人         (都立広尾病院         長)      原  素行君         専  門  員 川井 章知君         専  門  員 引地亮太郎君         専  門  員 山本 正世君     ————————————— 三月九日  田尾郷に簡易水道敷設請願辻文雄紹介)  (第三七八三号)  国立千葉療養所看護婦宿舎建設に関する請願(  山下春江紹介)(第三七八五号) の審査を本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した事件  診療及び公衆衛生に関する実地修練に関する件     —————————————
  2. 野澤清人

    野澤委員長代理 これより会議を開きます。  都合により委員長が不在でありますので、私が委員長の職を勤めます。  まず本日は、診療及び公衆衛生に関する実地修練制度の諸問題について、お配りしてあります名簿の通り実地にこれらの仕事に携わつておられます方々参考人として御出席願いまして、御意見をお聞きしたいと存じます。  この際参考人方々に、委員会を代表して一言ごあいさつを申し上げます。本日は御多忙中にもかかわらず、当委員会の要望を受けて御出席くださいましたことを、厚く御礼申し上げます。本問題は、いわゆるインターン制度の是非、あるいは存続させる際の改善対策等の諸問題について、長らく検討して参つた医療制度上重要なる問題なのであります。どうぞ御忌憚なき御意見を御開陳くださるようお願いいたします。  それでは、まず東京大学医学部附属病院長三澤敬義君に御意見をお述べ願います。
  3. 三澤敬義

    三澤参考人 私はただいま御紹介のありました三澤でございます。そこに東京大学医学部長とありますが、これは昨年ちよつと勤めたのでありますが、ただいまは退職いたしまして、病院長だけをやつております。  このインターンの問題に関しましては、私は専任で長年やつてつたのでありますが、インターン制度というものは、従来の医師教育医学生教育におきまして、とにかく四年間の学科課程をやりましても、実地の知識が非常に足らない、臨床的の経験が足りないものを補つて、非常によい結果を得ておるのであります。しかしながら従来二、三年やりました経験によりますと、東京大学におきましては、少くともインターン生に対しまして相当の臨床的経験を与えたのでありますが、これはことに現在の学生考えますと、経済的になかなか負担にたえないということをわれわれ十分に認めておりまして、非常に気の毒に思つておる次第でございます。また父兄から申しましても、六・三・三・二・四の医学部を終えましてさらに一年をやるということは、なかなか負担にたえないことと思うのであります。それでとにかくこういう医者教育におきまして、臨床的な十分の実地修練を得させるのにいい点はありますが、これを何かうまく改善できないかと思いまして、われわれも十分考えまして、あるいは厚生省の方としばしば委員会などにおいて意見を申し上げたのでありますが、なかなかその改善ということがうまく行かぬのであります。要するに大蔵省がたくさんの金を出してくださつて、二千人、三千人のインターン生に十分の経費を出してくだされば、これはもちろん十分解決ができるのでありますが、今日のような国家財政におきましては、これもなかなか望み得ないと思うのであります。それではなはだ姑息的な案でありますが、私のただいま考えております案といたしますと、ただいま六・三・三・二・四・一というのでありますが、国家試験を受けて医師免許状を実際にもらいますまで半年ほどかかります。インターン制度は一年でありましても、一年半という長い日にちがかかるのであります。これはわれわれ教育者といたしましても、また学生にとつても、相当な負担であろうと思うのであります。  それでこれをどう改善したらいいかと申し上げますと、私の意見といたしましては、四年の課程の中に、半年ぐらいは今の実地修練を織り込みまして、あとの半年ぐらいを現在の実地修練をやる。そしてそのうち国家試験をやる。満一箇年で免許状をいただけるようにしていただけばけつこうだと存じております。そのほか、厚生省側からの御意見がありまして、インターン指定病院、すなわち受入れ態勢の方におきまして、なるべくインターン生に月給をやつて行く、あるいは食事が与えられれば与えるとか、その待遇改善をはかつてくれというようなお話でありますが、私ども国立大学病院におきましては、文部省からの経費というものは、現在の大学病院の経営だけにもなかなか足らなくて、赤字を出しておるような次第でありますので、インターン生にまで恩恵を与え得るという余裕は、まつたくないのであります。そうかと申しまして、今のインターン生の一年間の実地修練を四年の学科の中に入れるということは、私病院長といたしまして、また臨床教授といたしまして、これは医学教育に相当さしつかえが起ると思うのでありまして、半年ぐらいなら入れ得ると思います。もつとも戦争中に四年の医学教育を三年でやりました。そのころ私は東京大学医学部の時間割を組んでおつたのでありますが、三年でやりまして、そのうちにインターンを入れておつたのであります。それが今日問題になつております戦争中の粗製濫造医者でありまして、その粗製濫造医者ができたから、インターンということの必要が起つて来たのだろうと思いますが、一年を四年のうちに入れるということは相当無理でないかと、私は臨床教授として考えておるのであります。それで折衷説でありまして十分ではありませんが、半年ぐらいは入れ得ると思うのでありまして、あとの半年、あるいは八箇月でもさしつかえないのですが、とにかく四年の学科を卒業しましたあと一年後にちやんと医師免許状をいただけるようにできれば幸いだと思うのであります。  それで議員の皆様にお願いするのでありますが、大学病院、特に教育機関におきましては、国立大学におきましても非常に予算が少くて、病院経費あるいは医学部経費が非常に少いのでありまして、十分な教育、研究ができない現状にあるのであります。また診療におきましても、十分な診療ができない現状にあるのでありますから、どうぞこの際におきまして、特にインターンに関する費用を、大蔵省から多分に出していただきたいということをお願いする次第であります。
  4. 野澤清人

    野澤委員長代理 この際御了解を願いたいと存じますことは、各先生方の御意見に対する御質疑等は、先生方の方のお時間の都合もありますので、全部の先生の御意見が発表された後、一括して御質疑を願いたいと考えますが、そのようにおとりはからいしてよろしゆうございますか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 野澤清人

    野澤委員長代理 御異議がないようでありますから、さようにいたします。  次は慶応大学医学部長阿部勝馬君にお願いいたします。
  6. 阿部勝馬

    阿部参考人 現行医学教育制度においてインターン制度をしかれておりますが、実は私ども現行医学教育制度そのものに、多少の意見を持つておるのでありますけれども、きようは参考人として現今の実地修練生状態、あるいはそれに対する意見を述べよというようなことでありますので、その方に限つて述べてみたいと思います。  昨年の秋ごろから現在のインターン制度に対して、インターン生あるいは医科大学学生が多少反対をいたしました。その理由を聞いてみますと、それが大体三点にわかれております。その第一は、現在の実地修練内容自体が非常によくないということ、それからインターン生に何ら身分保障がないということ、第三にインターン生の経済問題、この三つに限られておるように考えるのであります。  現在までのインターンの実際のあり方を見ますと、実は昭和二十三年にインターン制度国家が何らの用意なくしいたことに、非常な欠陥があつたと私は思います。ただベッド数が幾つ以上あればこれをインターン病院指定するというようなやり方つた従つて受入れ態勢が何らできていない。またインターン指導力が足りない病院も確かにあつた。そしてその当時は、戦時中に入学させた学生が盛んに卒業する時期でありまして、インターン学生は全国で七千以上、あるいは八千にも及んだかと思いますが、そういうたくさんの医科大学卒業生を収容しなければならないので、やむを得ず五十ベッド以上の病院にまで拡張してインターン病院指定したということであります。ためにインターンで修練することの内容自体が非常に低下しておる。従つて優秀な医科大学卒業生は非常な不満を持つておるのであります。あのくらいなインターン内容であるならば、医科大学教育の四年間に織り込めないことはないじやないか、これはある程度真をうがつておると私は思います。しかしわれわれの希望するところは、今までの何ら受入れ態勢ができていないときにつくつたインターン内容というものを、いつまでも持続すべきではないというふうに考えておる。ぜひともインターンインターンたらしめる実際の内容を持つたインターン制度をしかなければならないのだ。それが事実医科大学における医学教育の面でまだ十分に教育されていない。患者の取扱い方あるいは治療方面のことを、十分にインターンで修練させるということが必要だと思います。のみならずインターン生宿舎——御承知の通りアメリカでは二十四時間働くのがインターン生であります。従つて病院の内部に宿舎を持つ。そうして四六時中患者につき添つている。そうして患者の症状の推移を十分に見守つて行かなければならぬのがインターンあり方です。またそういうような実際役に立つインターン内容ならば、決して多くのインターン生反対しないと思うのであります。それはあの医学生インターン制度反対されたときに、現行インターン制度反対ということを叫んでおつた。特にその現行のという形容詞に非常に力を入れておるのであります。従つてこれは当然改善すべき運命にあるものだと思うのでありますが、改善をどうすればいいかということになりますと、やはり受入れ態勢を十分に整えなければならぬ。従つてインターン病院指定というものを厳格にしなければならない。ただベッドが幾つあればいいということでなくて、院長初め、各科の部長には、それぞれ十分にインターン生を指導し得る能力を持つた指導者がそこにいなければならない。またインターン生も十分勉強し得る施設がなければならない。また図書にいたしましても、インターン生のためになるものを図書として備えることが、必要であるというようなことが考えられるのであります。悲しいかな、今までのインターン制度のもとにおきましては、受入れ態勢が不十分であつたために、インターン生自体不満を抱く状態にならざるを得なかつたのであります。  次にインターン身分の問題でありますが、実際大学を出て、医学生でもなければ、医者でもないというような状態であります。その身分は何ら保障されていない。これがインターン生の非常な不服でありますが、この問題はインターン制度そのものがしかれておる間は、どうも宙ぶらりんのものができてしまうのであります。しかし自分一個の考えといたしましては、医科大学卒業生である以上、自分インターンとして勤める病院においては、少くとも医者待遇を受ける、そこで処方もでき、十分な手術もでき、治療行為ができる——実はインターン生身分保障されていないために、厳格に申しますならば、処方箋は自分で発行することはできないという現状であります。のみならず、学生ならば通学の定期券ももらえ、学生割引もあるのでありますが、インターン生には、今は厚生省お世話によつてそういう学生に準ずる待遇を受けて、汽車の割引や通勤の割引ぐらいはしていただいておるようでありますが、それだけぐらいのことで、実際先般インターン生がある伝染病病院に勤めて、伝染病に感染したが、それを何らかばつてやるという身分保障がないということは、非常に残念なことだと思うのであります。準医師というような名前で、病院において医者としての待遇が受けられるようなことを考えてもらえれば、これはその方の不満は十分償えるのではないかと考えております。  第三に経済問題であります。これは実は文部省お世話によつて、今の貸費生制度を拡張して、インターンにまで及ぶように考えてくださつておるようでありますが、そのほかにこのインターンには、何ら経済的の援助がないのであります。実はインターン制度をしいたということは、国家がよりよき医療国民に施そうという大きな目的のために、私はしかれたものだと考えております。しかも医科大学を卒業するまでの期間は、他の専門学科大学課程よりも長いにかかわらず、またさらに一年間インターンをやらなければならない。しかも先ほど三澤先生のおつしやつたように、成績を発表されるまでは三、四箇月かかるということで、一年三箇月以上の日数を費さなければ、医科大学を卒業した後に、医師免許状をもらえないという現状であります。これは非常な負担になる。父兄の側から申しましても、またアルバイトをしておる学生等に対してはなおさらであります。これは先ほど申しましたように、国家がよりよき医療国民に提供しようという大理想から出発しているものならば、インターン生を養成して行く上に、国家がいま少し金を出したらどうだろう。実はインターン生を一人病院に置くことによつて、約一万何がしのお金がいるそうであります。そうしますと七、八十人のインターンをかかえておる大学附属病院等におきましては、七、八十万円の金が出ておるわけであります。これについては、これは厚生省方々がいらつしやるからたいへん言いにくいのでありますが、年度末にインターンごとに一万円ぐらいか二万円ぐらいの謝礼をもらつております。しかし今言つたように、よりよき医療国民に提供しようという大理想のもとにやつておりますが、それはインターンを預かる病院負担及びインターン生父兄負担において、よりよき医療国民に与えるという方針をおかえになつたらどうかと思います。もう少しインターンを養成するために、国民によりよき医療を提供するために、国家もなるべく何らかの援助をしたらよいのではないかということをわれわれは常に考えて、厚生者の方には何とかして金が出ないかと言うのでありますが、インターン制度があるということを覚悟で入つた医科大学学生に、インターン生は何も援助する必要はないといつて国家の大理想の方を忘れていらつしやるような気がいたすのであります。そういう点はインターン制度をよくして行く上において、内容改善の上において、また十分に考慮を払わなければならぬ点だと私には考えられるのであります。  それは現行医学教育制度のもとにおけるインターン制度について、私の考えを申し述べたのでありますが、私自身から申しますと、現行医学教育制度そのものを、改善しなければならないのではないかということを考えております。現行新制大学教育制度は、アメリカカレツジ教育制度にのつとるという前提のもとに、医学教育制度をまず改革し、それに次いで二、三年遅れてから日本新制大学制度というものができた。ところがあにはからんや、日本新制大学教育制度は、日本式教育制度でありまして、決してアメリカカレツジ教育制度をそのまま受入れたものではない。そこに教育制度そのものに木に竹を継がなければならぬというような教育制度が生れている。そういうことから、医学教育制度根本から考え直して参りますならば、また別の考えが浮かんで来ると思います。もしそういう教育制度を六年に引延ばすことになりますと、現在医学部以外の他の学部が、一般教養で一年半あるいは一年で済んでおるところさえあるのに、なぜ医科大学に入学する者だけが、二年間の一般教養をやらなければならないかということになる。そのために医科に進んでいる者は非常に困ることになる。そういうことでありますので、いま一度根本的に、日本新制大学あり方について、考え直すべき時期であるというふうに考えられるのであります。
  7. 野澤清人

    野澤委員長代理 次は、金沢大学学長戸田正三君にお願いいたします。
  8. 戸田正三

    戸田参考人 このインターン問題は昨年から起つたのでありまして、このインターン問題の初めのときに、そこに御列席の勝俣さんらと一緒にいろいう御相談したことがあります。やはりこれは医学教育の一環として、いかに処理すべきかということを考えなければ、インターン問題だけを今にわかに騒ぐことはよろしくないという前提のもとに、意見をこの正月ころ出した。ここに書いたのがあります。文部省の方でもいろいろタイプに打つお出しになつておりますが、それを朗読いたしまして責めをふさぎたいと思います。  今阿部さんが言われたように、インターンはやはり現在の医学教育を再検討の上でやろうというのが私の所論であります。読んでみます。  医学教育の再検討。現在わが国医学教育は、社会からは無定見だと非難され、医学教育に携わつている者の間にも五里霧中の感がある。二十八年内にはぜひともそのあり方について再検討をなし、現実に適した刷新を具現せしめねばならぬ。そうしてそれはなるべく早くする方が相互のためである。何も今までの行きがかりにとらわれる必要はどうもない。  一、戦争中、軍部の強要で一挙に年間九千名にも達する医師をつくり、その大半を海外に派遣せんと企てたことは一介の夢であつた。当時は粗製濫造はもとより覚悟の前であつた従つて終戦とともに復旧改善の策を講ぜねばならぬのは当然であつた。ところが、この復旧改善策は、教育界根本的改革案に抱合せられて、妙なところに引きずり込まれた。当時における医学教育復旧改善の趣旨を回顧すると、  (一) 卒業生一般臨床的技能をよりよく体得せしめること、  (二) 学生定員を制限し、半解で卒業することの危険に対して、しぼりをかけること、  (三) 戦争中に濫設した不備な学校廃止または整備させること、  大体以上の三つが主であつたと思う。但しこれらの改正は相当難渋で、あれこれ迷つているうちに、米国指導権が支配して、医学教育は六・三・三・二・四の改訂に、さらに一箇年の実地修練と、数箇月以上の時と金とを浪費する国家試験を。パスしなければ、医生は医業に携わることができないようになつた。  この泣寝入りの改革一過性の効果は十分あつたと思う。しかしながら今後もこれをそのまま続けて行くことが是か非か、またこれがわが国教育経済等の実情に適しているかいなか、大いに吟味を要する。  すでに医学教育界では、米国指導案につき非難の声も相当あつたし、また現実に困りながら手をこまぬいて時機到来を待つ者もあつた。次第に学生側からインターン廃止の声が高まつて来た。負うた子に教えられて浅瀬を渡る感がある。  大学の各学部は、四年制であるのに、医学教育は二・四に計六年以上で、医学部一般教育専門教育もまつたく別扱いをせねばならぬ。これは一見、事簡単なようであるけれども、事実一般教育をあずかつている他学部ごと自然科学方面教育上多大の支障と混乱を来しているので、医学教育大学教育のがんとまでいわれている。どこの大学でも医学部は抜きがたい底力を持つているからがまんしているように見える。  二、新制大学教育課程において、何ゆえに医学教育を受ける者だけを別扱いにせねばならぬか、この点がどう考えてみてもはつきりせぬ。いろいろ理由を聞いてみても、ただ米国だというだけでピンと来ぬ。第一このために、大学一般教育課程が混乱するのみならず、専門課程において、理学、農学、工家薬学等学生は、かたわらに医学部入学試験準備目的で場所ふさぎをする者が少からず在籍するので、教授学生もまことに当惑している。かような弊はわが国固有のもので、米国先生方はおそらく御存じあるまい。かかることはまつた国税浪費というか、大学使命の破却というか、一日も早く国情に照して改むべきである。  三、医学生医士たる人格の修養とあわせて、現実一般社会に即応した臨床技能を体得せしめることは望ましいことである。しかしながら医学教育は、他学教育年限に比べて、二箇年以上も長いのであるから、臨床実地修練をこの六箇年の課程の中に包含せしめることは困難であろうか。私は困難でないと思う。但し現在の設備では、相当困難な学校もあるかと思うが、それは主として学生定員に対する管理者責任問題であり、監督機関の放漫に基因することであつて、この責めをまじめな学生負担に転嫁することはよくない。  四、今の国家試験は、はたしてあれだけの時と金とを費さねばならぬものか。今日ではすでに有名無実に近くはないか。医師免許証を下付するためには、一様に国家試験をすることがよいとするならば、その仕方は、もつと簡単で有効な方法がいろいろあると思う。一、二の学校社会に対して無責任医師を輩出するおそれがあるから、全体の学校を一様に縛り上げるようなやり方は法の濫用であり、監督の怠慢ではないか。法が国情に合わなければ、いさぎよく改善すべきである。  五、わが国医学教育は、従来医師たるに必要な臨床実習に不備な点が多々あつたことは見のがせない。これは各大学とも可能な範囲で、大学自体責任において補充する必要がある。それができない学校は、一時学生定員を縮小させるか、または国家公共施設援助すべきである。営利主義な、ちつぽけな附属病院にたくさんの医学生を収容することは、結局仁術普及の本旨にそむく。  また私の見たところでは、医学生のうち、基礎学時代にはなまけもので、ようやくごまかしで進級したような連中でも、臨床学、ことに臨床実習になると、それが一々飯の種にでもなると思うのか、くだらぬことまで案外気をつけておる。ゆえに、教授が熱心で、なまけものをよく淘汰せば、設備の不足も補い得ると思う。つまり卒業生臨床実習の不足問題は、責め学生側にあるのではなくして、一は従来の慣習、すなわち卒業後専門医として修業すること、他は管理者の無責任によるものといつても過言でないような気がする。もつとも私は臨床家でないから、断言はいたしかねる。  六、以上要するに、大学教育総合的立場優良学生負担軽減社会に対する責任の、三方面から考えてみて、さしずめ現在の医学教育をいかに改めるかについて、具体的な拙見を要約せば、  (一)、医学部または医科大学へ入学志願する者の一般教育課程を、他学部入学志願者と一様にすること。また大学入学試験のときに、医学部志願者定員をとつてもよいこととすること。たとえば金沢大学では一般教育を人文、社会、自然を通じて一箇年半、(三学期)で終了させているが、医学部志願者もこの範囲内で打切る。これがためには、理学部と人文社会部門の設備を幾分補足せば事足る。また公私立医科大学では、それ相当の課程を履修せしめる方策を講ずればよい。かくすれば、おのおのの立場において教育目的達成と、大学管理上に幾多の便宜があり、他学部の妨げにもならない。  (二)、一般教育終了者の中から医学部入学者を選抜し、最初二箇年間は基礎医学を修得せしめる。加うるに医学教育に関連の深い語学、心理学、生物学、化学、物理学等を選択補習せしめることもよい。そして基礎医学の課程を修了した者に限り臨床医学に進ませる。  (三)、臨床医学上の一般教育は一箇年半で終了せしめる。次いで一箇年間臨床上必要な(公衆衛生を含む)実地修練に当らしめる。実地修練大学責任において修得せしめることを原則とする。かくして最低六箇年で医学課程を終え、卒業試験に際しては、国家試験目的をよりよく加味した必要手段を講じ、これにパスした者に医師免許証を下付する。  大体それだけで、あとはちよつとつけ加えただけです。
  9. 野澤清人

    野澤委員長代理 次は都立広尾病院長原素行君。
  10. 原素行

    ○原参考人 私の方は実地修練生を受入れます方の修練指定病院ということになつていますから、指定病院の立場としまして、現実を見ましたその姿、それからどういうふうにやるとインターン教育に成功するかということにつきまして、私たちの意見を申し上げたいと思います。それから同時に、この私の意見の中には、同じような受入れ態勢病院が二、三加わりまして、あらかじめ相談したことがございます。これは、日本病院協会のインターン調査委員会で、厚生省につい最近上申をいたしましたその内容も、少し私の意見の中に含まれるはずであります。でありますけれども、この上申書の中の意見も私たちが絶対に賛成しておりまして、そうして現在これを行つておることでありますから御承知を願いたいと思います。  まずこのインターン制度が必要であるかどうかということも、一応考えてみなければならぬと思います。それで、私たちはこんなふうに考えております。医師となりますには、たとい将来高度の専門医として立つ者でありましても、一応医者として、全般的の患者を取扱う技術、あるいは取扱い方法とかいうことを、医学を総合してけいこしなければ、いい医者にはなれないと思うのであります。こうしますと、専門医になろうと希望する者でありましても、とにかく医者となつて患者を扱わなければならぬという者は、どうしても現在のインターン制度のこの方針によつて一人前の医者になつてほしい、そのために現在の制度はどうしても存続してかつ育成する必要がある、こういうふうに考えております。これはこうであります。医学校で医学を勉強いたします、これはいわゆる医学であります。その医学をしつかり勉強しませんと、どうしても基本ができないのであります。でありますけれども、この医学は、いろいろな学科を別々に教わらなければ、りつぱな教育あるいは医学の実習ができぬのでありますから、各科、たとえば内科の学問であるとか、外科学、産科、婦人科というふうに教えられますが、患者はたつた一人であります。一人の患者がそこでいろいろな変化を起すものでありますから、この医学を総合して、医師としての患者扱い方法を真に地につけて勉強しなければ、ほんとうには患者を扱えないであろうというのが根本考え方であります。  それからもう一つの問題は、近ごろの学生さんたちであります。これからインターンになろうとしておりますが、このインターン制度については、これは終戦直後の占領政策によるもので、アメリカ製であるというようなことをいろいろな。パンフレツトに書き、あるいは、中には医学校の職員の方さえいろいろな刊行物にこれを書かれている人もあります。しかしながらこの歴史を調べますと、昭和十五年十月二十八日の医薬制度調査会の答申案にも、医師の免許には一年以上一般的診療に関して、必要なる修練を経ることを要すというふうに明記されておるのでありまして、戦争中に用いられました国民医療法にも、この思想がりつぱに盛り込まれてあると私たちは記憶しておるのであります。でありますから、これはただ占領政策によつて押しつけられたものというふうに考えるのは、即断であろうと思うのであります。ただこれは、受入れ態勢が十分にできないうちに、こういうものが占領教策として押しつけられた形になつたのだというのが現実であろう、そのために受入れ態勢が十分にできなかつたということは非常に残念である、われわれはそんなふうに思つております。  ところがこのインターン制度は、今のように、患者を取扱うということにつきましては、どうしても修練を行わなければならぬということが問題だと思いますけれども、現在どういうふうに修練を行つておるかと申しますと、厚生省の医務局から出ました診療及び公衆衛生に関する実地修練基準という指導書ができておるのでありますが、この指導書は、インターンの動き方、指導の方法について非常に詳細をきわめております。でありますけれども、この指導基準の通りに各実習病院が動いて行きますなければこれは申し分なく、あるいは優秀な学生連の反感もこうむらないで済んだと思いますけれども、何しろわが国におきましては、インターン制度に関しては、方々によくわかつておらないせいでありますか、この指導基準も十分なる理解を方々で求めかねておるのであります。それで私たちがこの指導基準をどういうふうに解釈しておるか、こういうことを一つ申し上げたいと思います。これは指導基準の目的厚生省の出版物にございますが、私たちはそれに補足いたしまして、そうしてもう少し各病院で、いわゆる指導者がどういうふうに指導すべきものであるかということを考えておるのであります。その方針といたしましては、このインターンは臨床の修練と公衆衛生の修練とをあわせて行わなければならぬものであります。これはどちらも指定病院で巡回して行う、巡回と申しますのは各科の巡回であります。たとえば内科、外科、産科、婦人科、あるいは公衆衛生、こういうふうに巡回して行つて、一年間で医師としてのあり方を覚えるのが、これが本筋であろうと思います。特に指定病院と申しましたのは、日本病院におきましては患者の臨床だけに重きを置きますが、われわれ医師としましては、患者の治療、診療以外に、やはり公衆衛生に関しましても、もつと関心を深く持たなければ、国民の大きな不幸であろうと信じているせいであります。ただ問題は、従来保健所だけに依頼しておりました公衆衛生の問題でありますが、そのうちでもあるいは国法に関するもの、たとえば衛生に関する法律、そういうふうなものは、やはり保健所の応援を求めなければいかぬだろう、こういうふうに考えております。  それから臨床修練であります。いわゆる内科とか外科とか、そういうものであります。これはただ医学校を卒業しまして、初めから従来のように自分は内科の医者になる、外科の医者になるということでは、初めから専門家になるようなコースをとつてしまうおそれがあると思います。そのために、場合によりますと、全体に関してはどうしても知らないことがたくさん出て、患者全体を扱うことには非常に不便を感ずるのであります。でありますから、この一年間のコースは、どうしても患者全体を調べなければならない、こういうふうに特に専門を限りませんで、内科とか外科とか産科、婦人科というふうに、これを一年間に巡回するのが、ほんとうの仕事であるというふうに思つております。すなわち、一般の病院設備をそのままに利用すべきであるという問題であります。そうしてどういうふうにしなければならぬかということですが、ここが方々病院におきましてあるいは誤りがあるのじやないかと思います。インターンは見学生でもありませんし、あるいは短期間の講習生でもありません。主として、入院患者を継続して担当して、その患者を取扱うことを指導者の指導のもとに覚えるのであります。でありますから、一番重点は、病室の実習が一番大事なのであります。そのためにはあるいはいろいろな記録を書かなければならぬ、あるいは先輩の命令によりまして処方箋を書いて、そうしてその承認を受けて、先輩の手によつてそれを発行する、あるいは治療も先輩の指導によつてやらなければならぬ、こういうふうに考えておるのであります。でありますから、繰返しますが、インターンは見学生のような取扱いをしてはならないというのであります。なぜこういうことを特に強調するかと申しますと、医学校ではありませんところの普通の一般の学校におきまするような、物理の実験は何時から何時までというような実験では、医者としてのほんとうの患者の取扱いはできぬのではないか。一日一ぱい自分の担当した患者についてあらゆるお世話をしなければならぬ。もう少し砕きますと、医師と看護婦の間にあるくらいの仕事をしなければ、ほんとうに将来専門医となつて患者の幸福を祈るということは、とうていできなかろうというのであります。インターンの先進国でありますアメリカ病院あたりのインターンの取扱いも、そういうふうになつているとわれわれは耳にしているのであります。でありますから、先ほどもお話がありましたように、インターンは、二十四時間病院の中に宿泊するのが、ほんとうのインターンの立場であります。いわゆるインターンの意味がそこから出て来ると思いますが、不幸にして私らの病院もやはり非常に経済的基盤が弱いのでありますから、インターンというのは名ばかりでありまして、通勤であります。しかし、非常にしばしば当直制度を設けまして、そして病院にとまりまして、自分の関係した患者につきまして治療を行つておるのであります。  こういうふうに私らは考えておるのでありますが、同時に最もわれわれが強調しなければならぬことは、病院施設はどういうふうに監査をされなければならぬか、この監査の結果によりまして、病院が落第したり及第したりということになるのでありますが、ただこれは、病気をなおすというだけで患者を取扱うということは、国民の衛生福祉に沿うものではないと思います。病人をなおすのがわれわれの仕事であります。そしてその病人につきまして健康指導をするということもまた病院あり方であります。同時に病人の生活ということも病院の仕事であります。でありますから、特に病院はよき看護管理のもとに運用されなければならない。これが一番大事な問題であります。ここに病院インターンはヒユーマニテイーに関する教育もやはり受けなければならぬ。こういうふうに考えて私らの病院ではそれをつとに実行しております。大体やり方はそんなふうでございます。  そこでさつきからお話がありましたように、こういうインターンが一番困つております問題は経済問題であります。私たちのように日本の経済がそれほど苦しくないときには、長らく親のすねをかじつて勉強することができた時代もありますけれども、現在は非常な苦痛をインターンが訴えておるのであります。幸いに私の方の病院は非常な厳格な監督をいたしますために、アルバイトをしなければならぬというインターンは、あらかじめ自分の方から忌避しましてよけい参りません。それでもこの間調査いたしましたら、十八人のうち四人は何かのアルバイトをして収入を求めなければならない、またほかの四人は育英資金を五千幾ら借用しまして、それでやつとどうにかやつておるというような非常に気の毒な状態であります。しかしながらさつき申し上げましたように、医学そのものだけでほんとうに患者の幸福を祈ることはなかなかできないと思います。これは長らく日本の各病院国民のために、はたして有益に働いたかどうかということが、われわれの疑問になくつておるところであります。さつさ阿部先生からもいろいろお話がありましたように、もし国家がこういうインターンにつきまして、補助をお出しくださることがありましたならば、それは国家理想としていい治療を国民に施す上に、必ず大きな成功になると思います。ただいまここで計算いたしましたら、大体三千人の医学部卒業生が毎年出ます。そのインターンには大した報酬はいらないのであります。たとえば宿舎を与えまして、そして食事を与える。それだけでもインターンはやつて行けるのではないか。そうなりますと一人大体三千円でありますから、一月に九百万という数字が出るわけであります。一年に直しますと一億八百万という数が大ざつぱに出るのであります。かれはお小づかいが入つておりません。でありますけれども、現在のようにアルバイトをやらなければ食つて行けないインターンがあるようでは、将来の日本医師一が国民の衛生を守るために非常な不幸なことじやないか。こういうふうに考えております。しかしまたある論者がありまして、これは国家が直接使う人間ではない、あるいは開業する医師もたくさん出るだろうというようなことを言いますけれども、開業医の人たちも、やはり国民の衛生を守る仕事をやつておられるのでありますから、国家のためには非常に重要な人ではなかろうかと思います。そしてその将来の開業医をりつぱな良医につくりますのが、われわれインターン指定病院の職責であろうと私たちは考えておるのでおります。  それではこれは私の方の病院の専売特許のような形になつておりますが、私ども卒業生をとりますと、この人たちにはなかなか患者のために十分なことをしてもらえなかつたのであります。そこで私たちは、病院はいかにあるべきか、近代病院はいかなる組織であるか、患者に対していかなる病院活動をしてあげなければならぬかということを、初め準備教育として教えております。大体これを四年間行つたのであります。その中で一番特徴のありますものは、病院の中の看護管理とはどういうものであるか——従来は患者さんが、非常な苦しみのために病院に入りますと、生活に関するいろいろな世話をしてもらえなくとも、病気がなおりさえすればいいという非常に危険な状態であつたのであります。その教育をしまして、看護管理とはどういうものであるか、将来看護婦に対する命令を出すというふうなために、そういう準備教育インターンの初めにやつているのであります。そうするとこれは大学病院その他におきましては、実際はなかなか手がまわらぬのでありますが、町の病院に出てみますと、初めて患者扱い方がよくわかる、こういうふうにいわれるのであります。  それからただいま、あるいはインターン大学医学教育の中に入れるのが当然であろう、こういうお話がありましたが、大学医学教育は医学の教育であります。学問の教育であります。インターン教育患者扱い方の教育であります。この点において両方の間のごたまぜは、私たちのなるべく希望しないところであります。従つて国家試験は医学校る卒業試験とは意味が非常に違つて来ると考えられるものであります。こういうふうに考えますと同時に、この日本におきましては非常に事大思想が盛んであります。従つて学校をあらゆる病院の基本にすることは非常な危険じやなかろうか。集中排除という問題はこれによつてつてインターン学校教育と直結させませんで、わざとあらゆる公的医療機関に結びつけることが、どうしても必要な日本現状ではなかろうかと私は考えておるのであります。
  11. 野澤清人

    野澤委員長代理 次に国立東京第一病院院長栗山重信君にお願いいたします。
  12. 栗山重信

    ○栗山参考人 栗山であります。医師実地修練をやらすについては、患者を実際に取扱う実地のことができて、まずひとり立ちの医者としてやれるようにするということが目的であると思うのであります。それに関しましては医学教育がどういうふうにやられておるかということ、それから実地修練あと国家試験をどういうふうにやられるか、また相当多数の者が専門家になりますから、その専門教育をどういうふうにやられるか、こういうものに関係して、そのまん中に実地修練の期間がはさまつておるのであります。ほかのものはみな関係なしに、実地修練だけの部門をどうするかということは、非常にむずかしい問題であります。一方をこうすれば、一方はこうなるじやないかということがありますので、ほかは触れないで、実地修練のことだけを、こうしたらいいということは、非常にむずかしいことになるのであります。一方がこうかわるならば一方はそういうふうにかえてもいいということが言えますから、それを両方合せて言わないと困るのでありますが、それを何もかにもということになりますと、非常に広い範囲になりますので、ただそのことだけを申し上げておきます。  今の医学教育の状況では、実地修練のことなしですぐ医者にしてしまうことは、ぐあいが悪いと私は考えます。やはりもう少し実地のことをやれるようにすることが必要であると思います。  それから今やつている実地修練の仕方が、あれでちようどいいかというと、それは非常にいかぬ、もつと大いにやらなければならぬ、少しの改善ではいかぬ、それは相当幅広く改善しなければいかぬということを感じます。それで実地修練を今のようにしておいて、それを改善するにはどうするかと申しますと、まず実地修練の仕方をもう少しよくしなければならぬ。よく行つている面もありましようが、実地修練のやらせ方がぐあいの悪い部門が相当あると思います。これをかえなければならぬと思います。それには指導者もちやんとした病院をやらなければならぬ。またその指導者も、人としてはりつぱであつても、そう指導に熱意を持つてくれない人もあり得る、そういうようなところも考えなければならない。また施設もよほど——今はだんだん悪い施設指定しないようにされておりますが、今のところでもまだあまり適当でない施設指定されておるものが、かなりありはしないかという懸念もありますから、そこらもかえて行かなければならぬと思います。またインターンをやつておる人自身の考えも、ただ楽なことばかりを希望するというよりも、実際いい医者になるにはどうするかということを、もう少し考えてみなければならぬのではないかと思います。今一番問題になつておることは、経済上の問題が一番大きな問題になつておると思います。そこで今のきめでは医学教育を終つてインターンの期間を一年やつてから、それで国家試験がやれるということになつておるのでありますが、一年間インターンをやつて、試験を受け医師免状をもらうのに昨年度までは一年半かかつておるのであります。一年でできるところが一年半もかかつておるのでありまして、これが今の規則だけでも一年に正しく短縮できるのであります。私はやり方をかえて、三月三十一日に卒業して、翌年の四月一日に医者の免状がもらえるようにすると、今のままでも一年半が一年になると思つておるのであります。ことしはそれが少し短縮されるそうであります。  それから経済上の問題で困るということは、これはもう当然であつて、今のままにしておいては、今日の社会情勢から見まして、インターンをやるにも困るだろうということは十分察するのであります。まずそれを援助するにはどうするかということであれば、まずインターンの名が示すように病院の中に住まわしておく。そうしてしよつちゆう患者に接触させるような態勢を整えるということ、そうして食事を給する。その他に多少の手当をやることまでできればけつこうでありますが、少くとも住まわして、食事を与え、そうして診察着ぐらいは貸してやらすということにすると、相当援助ができると思うのであります。なお奨学金の給与というようなこと、あるいは通勤を学生並の割合にするというような、学生のときに与えた援助を少しやるとか、また病院の中へ住まわして食事を給する等の援助をすれば、大分経済上の緩和ができるのではないかと思います。  なおその他に国としても、大蔵省の方でもう少し——国としていい医者をつくるためには、もう少し予算を出していただきたいということを切に願う次第であります。看護婦を養成する看護婦養成所というものが公立の病院とかいろいろな施設にあります。これは今相当国の経費が出て養成されておるのであります。これは医者になるためにやるいろいろな施設ができても、また同じように——私は規則のことはよく知りませんが看護婦の養成には国は金が出せるが、インターンの方はなかなか国の金が出せないというのはどうかと思う。また法律関係の司法官なり、あるいは弁護士になられる方も、その資格を得るためには俸給をちやんととつてやれるようなふうになつておるということであります。そういう法律関係の方にいろいろ国の費用が出せる、また看護婦養成のためにいろいろの費用が出せるというようなこともあわせ考えて、このインターンというものに対しても、ある程度——いい医者をつくるためには、国が相当の予算を出してもいいのじやないかということも、御考慮を願いたいと思うのであります。はなはだ簡単ですが、以上で終ります。
  13. 野澤清人

    野澤委員長代理 国立仙台病院長、加藤豊次郎君にお願いいたします。
  14. 加藤豐次郎

    ○加藤参考人 私が申し上げようと思いますところは、すでにほかの参考人からお話になつたので、ある程度重複するかもしれません。  今のインターン制度につきましては、これを全廃するという考えと、存続するという二つの考えがあります。全廃する方については、先ほどからお話がありますように、医学の教育の年限が長過ぎる。それに対して父兄負担が重いということが主であります。学生の側から見ますと、私は全国の学生と接触いたしまして、意見を聞きましたが、今の制度ではインターン病院でじやまもの扱いをされる、何も覚えない。ただ両便の検査くらいしかさせてくれないということを言つておるのであります。  しかしながらこのインターン制度そのものは、現在のままではとうていいけないと思いますが、これを制度の上並びに経済の面から改善すれば、非常に必要な制度であると私は確信しておるのであります。その制度を現在の医学教育の四年の間に織り込むという考え方と、現在実施されているように外に出す。すなわち医学教育が終つてから一箇年やる、あるいは半箇年やるという考えになるのでありますが、もし実施できるならば、医学教育の四年の間に実地修練が織り込まれれば、非常にいいことと思いますが、その実行がいかがかと思うのであります。  東北大学では大正の初め創立の時に、私ども医学部の四年の中に現在のインターンのような制度を織り込んで出発したのであります。すなわち医学部の四年生の二学期と三学期を実地修練期といたしまして、内科、外科、産婦人科は必須科目、あとの科目は抽籤によつてやるということで、病室に配置して、つまり現在のインターンのようなことを実施したのであります。ところがその当時でも医学の教育を三年余りにしてしまうと、規定の講義ができない、あるいは学生として必要なほかの実習ができない、これから病室でそういう世話をすることが困る。その当時はわれわれの大学では学生が一クラス三十人ないし五十人であつた。現在は百三十人くらいになつております。これではとうていできないというので、惜しいかな二箇年でその制度をやめまして、ほかの帝国大学のように四年間ずつと普通の教育を施して行くことになつた。私ども創立当時の者から見ますと、たいへん惜しい感じがいたします。  大学の中におりますと、インターン生の不平の最大原因の一つである、何もさせられない、すなわち現在では大きなクリニツクになりますと、医学部助手と病院助手がある。それが十教名ないし二十数名、そのほかに専攻生という者が多いところでは七、八十名、内科が三つつてその一つの教室にすでに七、八十名いるというような状況であります。これに持つて来てそれと別個に考えても、四年生の二学期のインターンの生徒を入れていろいろやらせるということはとうていできない。ことにその当時と比べまして今日の医学の課程が、医学の進歩によつて著しく拡大されておるのでありますから、むしろそれは逆コースでないかと私は思うのであります。  それでありますから、私個人としては、インターン制度を存続して、それを医学教育四年の外に置く。しかしながら、年限が長いことはむろん間違いないことでありますから短かくする。先ほど粟山博士の言われたように、国家試験を経てライセンスを与えるまでの期間を極力短縮いたしまして、翌年の四月中に、できればもつと早くライセンスが得られるようにしてやることもできると思います。  それからインターンそのものの一番の不平は、先ほど申し上げましたように、彼らの言葉を借りて申しますと、せつかくおつても何もならない、これは私はある程度まで同情するのであります。一つのクリニツクに専攻生が百名近くおるところヘインターンが参りまして、しかも現在の大学の医学機関では、そこの卒業生の大部分は母校へ残ります。これは本年から多少改正になりましたけれども国家試験先生が大体大学教授である。それから母校へ残つておれば、特に学説試験にパスするのに好都合であるというので残りたがつておる。事実大部分が母校へ残る傾向になつております。従つて、母校にすでに専攻生が数十名一つの教室におるところへ、またインターンが多数配置される、これは非常に悪いことでありますから、まず配置の方法を勇敢に著しく改革する必要があると思うのであります。すなわち、専攻生をどうしても多数収容しなくちやならぬところには、インターンの配置を極端に少くする。ついてはインターンの経済問題、他の病院へ移転させれば、移転、下宿その他で一箇年のために非常に金がかかるわけでありますから、できれば指定病院の中で宿泊する。これはインターン固有の一つの仕組みでなくちやならぬ。アメリカでは一、二流のホテルのような一室をみなインターンが占領して、むろん食事も洗濯も無料でやつてもらつておるのであります。それまで行かなくても、せめて日本の入院患者くらいの程度のベツドを与えて、病院の中に入れて宿直をさせる。そしてまたほかの町へ移転して、ほかの病院へ卒業後かわつてもそう負担をかけないようにしてやる。それから食事、宿舎はむろんのこと、できるならば育英資金の拡張というような手ぬるいことでなく、俸給——俸給というと語弊がありますが、厚生省の規定では、現在の甲種看護婦は、先ほど粟山博士からお話がありましたように奨学資金を八百円ずつもらつております。国の優良な医師をつくる上においては、先ほどたびたびお話がありましたように、大蔵当局その他も努力していただいて、すでに今日国立その他の学生は、授業料の何倍かを国から受けて教育を受けておるわけでありますから、インターンに一文もやれないはずはないと思います。前はアメリカでも俸給をあまり出さなかつたが、今日では医学教育に関係ある病院、すなわちテイーチング・ホスピタルでは、昨年の統計では大体病院の三割は月額百ドル以上の手当を出しておる。全然出していないのは六%にすぎない。また医学教育に関係のない病院でも、ほとんど全部が俸給を出しておる。そのうちの二割は百五十ドル以上、中には二百ドル以上出しておるところもあるのでありまして、ほとんど無給の病院アメリカにおいてもどこにもないのであります。さようなりつぱな部屋に入れ、りつぱな食事を食わして、着物の洗濯も何も世話をして、しかもこれだけの俸給を出しておるのでありますから、日本でも、国力は違いますが、理論的にいつてこの制度を残すならば、金を補助することができないという筋道は通らぬと思うのであります。そこで何かの方法で配置を正当にする、従つてそれに伴う待遇改善してやるということ、身分の問題も、インターンの大きな現在の悩みであります、一体学生か職員かという問題がある、これも考えなければならぬのでありますが、詳しいことは時間がございませんから御遠慮いたしますが、改善すべき一点に加えなければならぬものと思うのであります。  それから一番大事なことの一つは、指定病院の厳選であります。これは現在でも、最初八千人もインターンがあつた時代の名残りが多少あります。厚生省当局でも今熱心に指定病院の厳選をやつておられますが、これはすみやかに実施して、実際においていろいろの条件の備わつたものだけにする。しかも大学の医学機関のごとく、多数の専攻生の集まつておるところには、この配置を少くするというようなことをやれば、インターン制度が生きて来ると思うのであります。これができなければ、むしろ廃止した方がいいのじやないかと思いますので、御努力を仰ぎたいということを私どもとしては切望する次第であります。
  15. 野澤清人

    野澤委員長代理 次に、ただいま御意見を述べられました参考人方々に対する質疑の通告がありますので、順次これを許します。柳田秀一君。
  16. 柳田秀一

    ○柳田委員 ただいま各権威であられる先生方のお考えを承つてつたのでありますが、直接学生教育せられるお立場の先生方と、実地診療に当つておられるお立場の先生方では、多少インターン制度に対する御見解も違うやに承つたのであります。そこで私は問題点を明らかにしたいと思います。ので、先に実地学生を御教育なさつておられます戸田先生、三沢先生阿部先生等にお伺いしたいのであります。先に申しておきますが、私は昭和の初めに医科大学のコースを終えた者でありますが、私はなはだ不勉強でありまして、ただいま戸田先生が、一向に勉強せぬやつも一緒にやつておればどこかからひつぱつてくれるというようなことを申されておりましたが、それにやや該当する者でありますので、はなはだ愚なことをお尋ねしますけれども、ひとつあしからず御了承願いたいのであります。  私の約三十年ほど昔の記憶では、その当時の医科大学目的は、こうでなかつたかと思うのであります。これはあと戸田先生のお教えをこうむりたいと思いますが、何でもその当時の第一条に、その当時は国家意識の強い日本でありますから、国家に須要なる人間と申しますか、人格をつくるところである。同時に医学の蘊奥をきわめるということがあつたと思います。その次が問題でありますが、あわせて医師に必要なる技能を修得する。私は岡山の医科大学ですから、学部制をとつております総合大学と単科大学とは、やや違うところがあるかしれませんが、われわれのときにはそこであつた思います。国家に須要なる人格、これはあつたと思います。それから医学に必要なる蘊奥をきわめる、これもあつたように思いますが、次の、あわせて医師に必要なる技能を何とかいう点について、戸田先生のお教えを願いたいと思うのであります。
  17. 戸田正三

    戸田参考人 それは総合大学と単科大学とによつて大学令の第一条の文句が違いますが、要するところ、大学国家に須要なる学術の蘊奥をきわめ、かねて人格を陶冶する。こういうような文句が、ついせんだつてまでずつと続いておつたわけであります。それが、医学の単科大学におきましては、大学全体が医学ということになつておるのであります。
  18. 柳田秀一

    ○柳田委員 そこで、どうも私の記憶では、あわせて医師に必要なる知識とかなんとかいうのはなかつたと思うのであります。そうなりますと、ここに少し矛盾が起るのは、その当時かりに医科大学——これは大学医学部も同じことになるのでありますが、医科大学が、国家に須要なる人格というものは置いておいても、医学に必要な学問の蘊奥をきわめると同時に、医師に必要なる技能を修得せしめることがないとするならば、その学校を卒業した卒業証書によつて、今度は厚生省が、その当時は医師国家試験を省略いたしまして、医師の免状を与えたことに、私は多少疑問があると思うのでございます。しかしながらそれは法文上の解釈の問題でありまして、実地におきましては、医科大学というところは、国家に必要な人材を養成するところである、同時に医学の蘊奥をきわめるところである、同時に医師に必要な知識を教えるところである。これが常識上の解釈であろう。枝葉末節にとらわれるのでなくて、常識上の解釈はそうであろう。でありますから、文部省責任を持つて卒業証書を与えた者に、厚生省はこれまた無条件で、国家試験を排して医師免状を出しておつた、かように私は解釈しておるのであります。そこで現在の大学令をもう一度調べてみるのですが、その点があまりはつきりしないのですが、ここに文部省の、昭和二十五年四月十八日、大学基準協会の改訂決定というところには、医学教育の基準と書いてありますが、一、目的医学教育においては、医学に関する知識及び技能を授け、医師たるに必要なる教育を施すをもつて目的とする、こういうふうに書かれておるわけであります。私はこれが当然ではなかろうかと思うのであります。従つて医科大学コースというものは、医学に必要な知識、技能を教授し、あわせて医師たるに必要な技術を修得せしめるものである。従つて文部省には当然その責任があるべきではなかろうか。但しその責任があつて文部省の所管する各大学が、責任を持つて卒業証書を授与した者に対して、さらに厚生省国家試験として医師の免状を出す試験を置かれるということは、今別の問題に考えたいと思うのです。それが現在必要であるかないかというようなことは、戦時中の医師濫造の問題に関連いたしまして、別問題として考えますが、私はこれは、当然文部省の一つの責任でなかろうかと思う。そういう前提のもとに議論を進めて参りますと、インターン制度——インターンの名称はどうでもよろしいが、結局においては、医師患者を実際に診療するに必要なる実地の技能、知識を修得せしめるというのが目的でありますから、その目的そのものは、当然文部省教育の中に入るのが至当ではなかろうか、私はこういうふうに考えるわけであります。そこで現在のインターン制度に対してとかくの批判がありますが、学生諸君が言つておりますように、たとえば経済的の事由、あるいは同時に身分の問題、アシスタント・アルツト、プレ・アルツトというような身分の問題、これらは副次的なものではなかろうか。やはり根幹は、医学校教育コースの中にこれを入れることの是非を論ずるのが、問題点でなかろうかと私は思うのであります。そこで、従来は六・五・三・四、最低で行きますと六・四・三・四で、われわれのときには、六・四・三・四あるいは六・五・三・四、すなわち十七年ないし十八年のコースでありましたが、六・三・三・二・四・一で十九年のコースになつております。このこと自体に大きな問題がある。もとより十分に医師を養成するのでありますから、ネセサリー・アンド・サフイシエントであつて、さらに十二分なそういう条件を具備するならこれに越したことはありませんが、あくまで必要にしてかつ十分で、しかも最短のコースをとるということが、立法上の建前ではなかろうかと考えます。そこで私は阿部先生にお伺いしたいのですが、先生のお考えとしましては、現在のインターン教育——これは名前のことは私は申上げません、どうでもよろしいが、必要なる技術を与えるのをどのコースにおいておやりになるのが最も賢明、妥当であるとお考えになつておられるか。私ちよつと阿部先生の御議論でその点がはつきりしなかつたのじやなかつたかと思いますので、その点ひとつ御教示願いたいと思います。
  19. 阿部勝馬

    阿部参考人 先ほどもちよつと申し上げてありますように、現在の医学教育制度そのものに再考の余地が十分にあるのじやないかということを考えておるものであります。現在では医科大学教育は四年間にいたすという建前をはつきりとつておりますが、その医科大学に入るためには、二年間他の学部、ことに理科系の他の学部お世話になつて資格をとつて、そして医科大学に入るようになつておる。それは先ほども申しましたように、今アメリカカレツジ教育が最低三年、あるいはバチユラーになつて卒業してから医科大学に入る。ごく少数の、しかもあまりよくない医科大学が、二年から入る制度のあるのを日本はまねて、二・四という最短のコースをとつたわけです。そして、医者という専門職業になりますと、どうも知識が該博でない、職業知識に偏する人間ができることをおそれたために、その二年間に一般教養をやろう、先ほど申しましたように、ほかの学部は現在一年半ないし短かいところは一年の一般教養しかやつてないのであります。ところが、医科大学だけは、日本新制大学アメリカ大学のようになるであろうという前提のもとに出発して、二・四というコースを先にきめてしまつた。そこにおいて医学教育が長くなつてしまつたのです。私はむしろ、でき得るならば医学教育制度そのものをもつと根本的に考えて、高等学校を出たならば、医科大学の初めのプレメデイカルの二年のコースに入つて医者として必要な自然科学以外の人文科学の知識も、そこで十分織り込むことを考える。そして、他の学部に迷惑を及ぼさずに、二年の次に四年が続けられるようにする。もしも他の学部のように一般教養が一年半なり一年で済むとするならば、医科大学も一年半で済ませて、四年半の大学をつくれば、その中にインターンを含めた教育が十分に織り込めるはずなのです。そういうことが新しい制度考える場合には考えられるのじやないか。そうすると、大学学生としてとるのでありますが、但し最後の一年、インターンに相当するところでは授業料を免除し、待遇学生待遇にしてやれば、学生として学問することもできる。現にアメリカでもインターンを含めた五年制の医科大学があり、また四年制で終つていて、インターン・メソツドでやる大学もある。そんなことで、日本医科大学の出発が他の新制大学の出発よりも先に出たために、ちよつと変なかつこうになつておるので、ここで根本的に考え直したらどうか、そうしたらインターンの問題も含めて年限短縮の問題も考えられるのではないか、そうならなければアメリカカレツジ教育を三年受け、あるいは四年受けて、医科大学に入つつた者と比較すれば、日本医科大学全体の素質は下るわけです。それをどうするかという問題は、日本の経済復興の問題と別に考えられなければならぬと私は考えます。
  20. 柳田秀一

    ○柳田委員 ちよつと三沢先生にお伺いしたいのですが、六・三・三まではいいとして、あと二・四・一が問題なのです。少くとももしも医学教育そのものが医学の蘊奥をきわめて、同時に医師たるに必要な知識を施すを目的とするというふうに文部省か認めておる以上は、文部省責任、少くとも各医科大学責任において医師を世の中に送り出す、こういうふうに私は解釈しておるのです。先ほど三沢先生のお考えも多少そういう点に触れられたのではなかろうかと思うのでありますが、もしも文部省が認めておるように、医師国家に送り出すためには、文部省責任であるという建前にかりに立つて、そのコースの中に入れてしまうと、インターンという名称はおかしくなると思いますが、インターンという名称はともかく、文部省責任において、医科大学責任においてやるという前提に立つならば、二・四・一はどういうふうなコースに持つて来られるのが適当であろうか、その点の御意見を承りたい。
  21. 戸田正三

    戸田参考人 私からお答え申し上げます。先ほど申しましたように、私の考えといたしましては、今日までのヨーロツパあたりにおける古い各大学、並びに日本におきまして過去の帝国大学初め医科大学がとつた年限と、同じ総合大学におきましても、理学部、工学部、農学部、法学部等を出るのと比べて、医学部は一年長かつただけなのであります。それが今日におきましては三年、おまけに国家試験という名前のもとに、先ほども言われた通り、三年半も延びるようなことになるのであります。はたしてその必要があるかということを根本的に吟味しなければ、この問題は解決しないと思つております。そこで文部省にこの問題を即刻解決しろ、こういうことを申しておるのであります。これはいろいろな事情がありますが、まだそこがはつきりしないのです。私どもとしましては、ほかの大学学生と同じように、医学部学生も高等学校から来た者からとつて、そしてほかと同じように、私の大学では全部各学部が一年半ずつやらしております。一般教育、人文、社会等を通じまして、一年半でやる、そしてその一年半を出て、全体から医学部の入学試験をやつて医学部に入学せしめる、入学せしめて、そこで基礎医学を二箇年にする、その二箇年のうちにプレメデイカルに必要なところの生物学、化学、物理学あるいはドイツ語等の補習を含めて二年のところで、この人間をほんとうに国家の重要な医師にするのにいいかどうかということを、つまり基礎医学の試験をやる。これはかねて京都大学改革してやつた事柄であります。これにパスしない者は臨床に入れさせないのです。そうでないとしつかり勉強しないのです。今日の日本大学では医科大学なんというものは入学話験がばかにむずかしいのです。非常な競争をして通つて、一ぺん医学部の方に入ると勉強は何もしない。こんなことではよくないので、この間に年限短縮の余裕がある、基礎医学は二年をやらして、それにプレメデイカルのものを加味してそこを終つて試験をする、そしてその試験に通つた者を臨床に進ませる。臨床の一般教育はといいますと、今医科大学などでやつております普通の一般教育は、十分一年半でできると先ほど加藤さんも言われましたが、一年半で一般の臨床教育をやつて、最後の一年のところで大学責任においてインターンをやらせる。私はインターンをやらせることは決して不賛成ではありません。よく私がインターンなんというばかなことを言う、こう言つておるように世間の人が思つておられのるですが、私は一度もそんなことを書いたことはありません。今までは医科大学卒業生と申しますものは、卒業してからみな一年なり二年勉強したのですが、それは内科とか外科とかおのおの専門の勉強をしたのでありまして、医科大学を卒業して歯も抜けなけばれ、腹の痛いのもなおされない、眼もなおされない、こんな医者は困る、どうしても全科に通じた医師を送り出す。それがために各科の実地修練を一年間大学責任においてやらせる。大学責任においてやります場合に、大学の模様によりましては——そう申しては失礼でありますが、病床その他が、学生定員八十名とか大きな定員をとつてつて、その八十人の定員に十分なる教育実地修練をやらせる能力のないのが、そこにも書いておりますが、少からずあると私は見ておる。それらのために能力のある者また優秀な者をも年限を引延ばすということはよろしくないことである。これが私の見解であります。そこでつまりしまいの一年におきまして、各科の実地修練をやつて、眼も応急的のことはできる、耳もできる、ちよつとしたけがのこともできるという人間になつて、それが今度進んで卒業後専門教育に行く、また一年のうちにおきまして第三学期と申しますか、つまり卒業の二箇月ほど前にこういうようにしたら私は一番簡単だと思うのです。というのは、文部省なら文部省厚生省も一緒でもよろしい、一緒になつて試験を学生に対して全国一様にやる。そしてその答案をその大学先生にみな調べさせて、甲乙丙をつけたければ甲乙丙をちやんとつける。その問題は毎年何が出るかわからぬのです。一題か二題でいいのです。われわれやつた経験がありますが、それを出して、その答案を持つて来させて調べる。それはどこの大学でもよい、今年は東京の大学をとつて来るかもしれません。そこはくじ引きでおやりになつても何でおやりになつてもよい、とつて来てその答案を調べる。そしてその先生がはたしてこれは国家に対し、社会に対して責任を果しているかいなかを試験する。これは先生と同時に学生を試験するのです。こうしないで、ただのんべんだらりと長く年月をかけておくなどということは、日本の経済の状況から見ても、はなはだ不都合やり方である、ここはよく考えてなるべく早く改良すべきであるというのが私の所見であります。
  22. 柳田秀一

    ○柳田委員 原先生にちよつとお尋ねいたしますが、原先生は現在広尾病院長として、他の場所と比較いたしまして、非常に進歩的なインターン制をとり、しかも実際に効率が上げられた御教育をされておるのでたいへん感謝しております。原先生にこういうふうにお尋ねいたしたいのですが、つまり先生の御議論は、今阿部先生なり戸田先生がおつしやいましたように、医科大学責任において医師たるに必要な技能を与えるということを、前提条件としておつしやられておるのであるか、それとも現段階において各大学から出て来るところのいわゆるプレ・アルツト式のものをインターンによつて教育するのがよろしいとお考えになつているのか、その論理過程の立脚点をひとつ御教示願いたい。
  23. 原素行

    ○原参考人 お答えいたします。ただいま柳田先生からお話になりましたような両方の意味が実は含まつております。今急いで改革するというならば、さつき申し上げたことが非常に必要であろうということであります。  それからもう一つ、今度は改革の問題でありますが、改革をしまして、大学病院というものがいかにあるべきかという問題が、やはり大学間の自己批判として相当にあるらしいということを風のたよりに聞いております。そうしますと、大学病院というものは患者さんをどういうふうに扱うか、これは医師としまして人権の尊重という問題が非常にやかましくいわれておりますが、私は社会主義者ではありませんけれども、結局人間を扱うという問題になりますと、大学病院というものは、やはり普通の病院と同じように、いかがわしい大ざつぱな治療もして行けない。ほんとうに患者さんに幸福な治療を、科学的で適正なものでして行かなければならない。そうなりますと、一般の病院も、大学病院も、病院としてはあり方が同じでなければならぬというのが、われわれの意見でもありますし、また今度の大学教授連の研究会でのお話も、そういうふうなお考えを持つておいでらしいということを実は聞いておりますから、将来とも、あるいは現在とも両方にまたがつた考え方であります。  それからさつき余分なことをちよつと申しまして、これは失言かもしれませんけれども、集中排除という言葉を申してしまいましたが、これはこうなのです。日本の国はかけ足文明をやつておりますためか、学問とか研究という言葉を使いますと、すぐそちらの方に目を奪われまして、実際の科学的で適正なる診療の限度がわからぬお医者さんが出て来やしないか、こういうことがありますから、科学的で適正という問題を第一に取上げなければならぬのではないかと考えております。  それからさつきちよつと申し落しましたが、これは日本病院協会の委員会意見でありましたが、インターンを指導しますときに、現在の社会保険の制度についても、やはり常識を与えなければならぬという一項をつけ加えておきます。
  24. 野澤清人

    野澤委員長代理 ちよつと柳田君に御相談申し上げますが、非常に質問通告者が多いものですから、なるべく簡単にお願いします。
  25. 柳田秀一

    ○柳田委員 それでは加藤先生にちよつと伺います。かつては東北帝国大学医学部教授、さらに附属病院先生として、現在は国立病院院長としてのお立場で、今私が原先生にお尋ねしましたような私に関してひとつ御所見を承りたい。すなわち大学教育文部省責任ではなしに、大学責任において実地に必要な技能を修得するという前提においての議論でありますが、それはそれとして、やはりインターンというものは、大学コース外において行うのを必要と認められるか、その点をちよつと承りたい。
  26. 加藤豐次郎

    ○加藤参考人 ただいまのお尋ねごもつともでありますが、私は大学課程なり、あるいはかつての私の大学が創立当時やつたようにできるならば一番よろしいのでありますけれども現状大学——私も最近までは大学に大分長くおりましたし、現在は仙台病院長をやらしてもらつておりますので現状も、どつちもよく知つておりますが、今の大学の教師の実情では、さつきから戸田君その他もおつしやいましたけれども大学責任においてインターンの実績が上るように改革した上においてならともかく、現状においてそれができるかできぬか、私ははなはだ疑問だと思います。つまり大学には専攻生があまりに多過ぎる、これは世界の珍現象だろうと思つております。アメリカでは御承知の通り、もう学生のときに三年の学生は病室配属、それから四年の学生は外来でみな病人をとつていて、今のインターンでやつている以上のものをやつております。それからさらに卒業をしてあの通りりつぱなインターンをやります。これは御承知のように、大きな病院ではみな医学教育に関連して、いわゆるテイーチングホスピタルとして活躍しておりますから、日本もそうあるべきだと思つております。大学では卒業生、ことに大きな大学では、東北大学でも百三十人くらいおりますが、それに完全なインターン教育を、いわゆる実地修練大学病院の中で専攻生の研究と一緒にやるということは、私は当分むずかしいのではないかと思つております。
  27. 柳田秀一

    ○柳田委員 その御議論はよくわかりました。各方面の皆さんの御意見を公平にお聞きしたいので聞いておるのですが、時間の制限がございますので、最後に一問だけお聞きしますが、現在の学生、すなわち私たちのときでなしに、新しい六・三・三の制度から出て出たところの現在の学生教育しておるところの三澤先生戸田先生阿部先生のどなたからお答え願つてもけつこうですが、かりに私が厚生大臣であるといたします——仮定の問題を言うと吉田総理に怒られるかもしれませんが、各医科大学を出た者を私が試験する——これには論議があります、つまり戸田先生がおつしやいますように、六・三・三を出ました者が一年半、二年ということで、さらにこれを抽出方法によるところの学生の試験をやるというたいへん進歩的な御見解を承つたのでありますが、そうではなしに、一応仮定としてかりに私が厚生当局として——大学がそれぞれ責任を持つて医学の蘊奥を教え、同時に医師実地に必要な訓練を教えて、それをもつて大学がそれぞれ卒業証を与えたとする、かつては与えたことによつてそれがそのまますぐに医師の免状を得るという資格になりましたが、それを各大学を出た者を厚生省、私が試験してやる、その際に厚生省は非常に厳格な試験をやる、そうすると東京大学は合格率が何%であつた、どこの大学は合格率が何%であつたということになつて来ますと、大学のかなえの軽重を問われることになるかもしれませんが、かりに厚生省の方では、一応責任を各大学に持つていただいて、少くともその大学を出た以上は医学の蘊奥をきわめ、医師に必要な最低限度と申しますか、必要なだけの実地訓練を受けた者と厚生省が認めて、それを試験する、そしてその試験にパスした者だけに医師免状を与えるという場合に、現在の学生教育しておられます三先生のどなたからでもけつこうですが、もしそれならばおれの方の大学は少くとも百パーセントに近い合格率——現在のこの年限は別問題ですが、そういうようなコースをかりにとつたならば十分自信があるとお考えになりますか。少し質問がくどくなりましてわからないかもしれませんが、要するに文部省責任ではなしに、大学責任を持たした場合に、年限はともかくとして、医師に必要な厚生省の出す免状を、おれの方の大学では十分学生教授し得るという、現在の学生をつかまえて、御確信がありますか。これは年限がからんで来ると思いますが、少くとも本問題のこれが急所であろうと思うのであります。この点どなたでもけつこうでありますから、お答え願いたい。
  28. 三澤敬義

    三澤参考人 ただいまのお答えでございますが、先ほどあなたがおつしやいましたように、われわれ三十年以前の卒業生ですが、もとは東京大学あるいは医科大学を卒業すれば、これを厚生大臣が医師として医師免許状をくださつたのです。ところが戦後インターンを一年間受けまして、そして国家試験を受けて医師になるような現状でございますが、東京大学について申し上げますと——ほかの大学のことはよく存じませんが、国家試験につきましては一〇〇%、第二回が九八%に落ちまして、その後はほとんどが一〇〇%の合格率を示しておるのであります。従つてもちろんただいまのような前提のもとでありますが、現在の教育そのままですぐ国家試験を受けていいかどうか、これは一箇年のインタ—ンを受けた上で受けているのですから……。しかし今後四年間に十分の教育の改正をいたしまして、そうしましたら東京大学においてあるいはそのほかの大学においてもできると思うのであります。しかしもちろんこれは厚生省がそれを許可なさるかどうか、あなたが厚生大臣にならなければ、それはわかりませんが、その前提のもとであります。
  29. 野澤清人

    野澤委員長代理 次は大石武一君。
  30. 大石武一

    ○大石(武)委員 ただいまはいろいろと有益な御意見をお教えいただきまして、私どももこのインターン制に対する認識を深くいたしまして、非常に幸福に存ずる次第でございます。  実は直接インターン制とは関係のないことでございますが、医学教育に挺身されました方々の御意見をちよつと伺いたいと思うのであります。私も医者の端くれで加藤豊次郎先生のはなはだ不勉強な弟子でございましたけれども、われわれが医者になりますころは、ちようど四年の医科大学を卒業すればよろしいのであつて、ほかの学部に比べまして、一年だけ期間が長かつたわけなのであります。ところが近ごろの新しい医学教育制度によりますと、医者になるには、他の学部よりどうしても二年あるいは三年以上の負担をしなければなれないというのでありますが、実際このように現在の医学のみが、ほかの学問と比べて特に進歩をして、医者になるには昔よりも一年ないし二年以上の期間を長くしなければ医者になれないような現状なのでありましようか、あるいはまた昔のように一年だけの違いがあれば、医者になり得るのでしようか、その辺の適当な御見解をお聞きいたしたいと思うのでございます。  またこれは私の見解でございますが、以前私ども医者になりました時代は、要するに、その時分の医者はかたわの医者でございまして、たいていの者はどこかの研究室に入る、内科なり外科の研究室に入つて、一年なり三年なり五年なりの研究をするというのでございましたから、従つてそのような医者は、内科の教室に入れば内科の専門になりまして、外科の教室に入れば、婦人科のことについては何ごともなし得ないようなかたわの医者でございました。そしてほとんど学校を卒業したばかりで研究室にあまり入らないで地方に赴任をする、あるいは直接医者になられた方は、何でも扱わなければならない関係もありまして、いわゆるランド・アルツトと申しまして、一般に軽蔑を受けたものでございます。しかし昔のようなほとんど専門に片寄つた医者というものは、現在ではあまり合わないと思つております。現在の日本医者は、少くとも医者として立つ以上は、一応どの分野も相当こなせる、ことに先ほど原先生の御意見にもございましたが、そのような医師が望ましいのであつて、さらにその上に専門医があつて日本医療と医術というものが正しく行われると思うのでございますが、このような一般の医学の分野を相当にこなせるという医者をつくり上げるためには、やはりどうしても今のような二年、三年の負担が必要でありましようか。その辺の御見解は先ほど戸田先生からお聞きしましたが、もし他の先生からお聞かせ願えるならば仕合せだと思います。
  31. 阿部勝馬

    阿部参考人 他の学部との卒業までの年限の比較でございますけれども、私は医学教育は何も三年延びておるのではなくて、インターンだけ一年延びただけだと思つております。他の学部の方が二年減つたのでございまして、これは新制大学の新学士さんが、どうも会社の採用試験等において成績が悪いというのは、旧制の旧学士と新学士との学力の差がそこに出ておると思うのであります。従つて医学教育の面では、中学の五年から入つたとすれば、やはり年限においてはインターンだけ一年長くなつておるわけであります。その一年は先ほど申されましたように、学校を出てすぐ地方にでも赴任した者は何も知らないということを、補うためのインターン制度になつておるように私は今考えております。
  32. 野澤清人

  33. 勝俣稔

    勝俣委員 時間がありませんから、簡単に伺いますが、戸田先生は、インターンと申しますか、実地訓練は必要であるということで、学校教育の中に入れるようにするのが適当である、こういうようなお話でございましたが、パブリツク・ヘルスの問題なんかは、実地訓練となりますと、やはり保健所をお使いになるお考えでございましようか。それを学校付属の中に入れてしまうかどうかというような問題、これが片一方は学校教育でないにもかかわらず学校の中に入れてしまうかどうかという問題。  いま一つお伺いいたしたいのは、これは皆様方にお伺いいたしたいのでございますが、学校の内部に実地訓練が入りました場合において、国家試験と卒業試験との取扱いはどういうようにされますか。戸田先生のお話は、国家試験と卒業試験と合同したような制度をとろうというようなお話のように承りました。こういうことはいやしくも学校の業を終えたならば、学校としては卒業試験をなさるのではないかと私は思います。これと国家試験との関係は一体どうなるものであるか、こういう点を承りたい。  それから他の先生にお伺いいたしたいのは、実は専攻生が非常に多い。従つて半年間実地訓練を入れるようなことをしておつたけれども、これがどうしてもできない。であるから実地訓練はやはり学校外の方でやらざるを得ないような状態で、なお最近の医学は非常な進歩をして来て、いろいろの講義の材料も立たず、なかなか中へ入れることができない、こういうようなお話を承つておりますが、大学として専攻生というものはどういう制度になつてつて大学学生実地訓練を省いてまでも専攻生というものをたくさんとらなければならないという理由は、それが大学制度であるのかどうか。こういうものを制限をしたならば、半年くらいの実地訓練はあるいはできるのではないか。しかしパブリツク・ヘルスのように、外に出て、大学付属でないところの仕事に勤めておつてやるということは、委託実地訓練というようなかつこうになります。そういうことは学校内においてはなかなか時間もないしというならば、これはこういうものだけをはずして、卒業後においてやるようなことも考えられるのではなかろうか。こんなふうな事柄をお聞きいたしたいのであります。  なお阿部先生に、これはあまりに小さいことですから、ちよつとどうかと思いますが、先ほど身分保障の問題につきまして、医科大学を卒業した者に対しては、十分に自由に手術もでき、診断書も自由に書けるようにして、身分保障をしたらいいんじやなかろうか、こういうよりなお話がありました。これはやはり建前としてはたしてそういうことができるかどうか。国家試験医師と開業免状を持たない人にそういうことをさせるということが——先生は準医師としてでも何とかというようなお考えもあつたようでありますけれども、これはあるいは厚生省側考えねばならぬ事柄じやなかろうかと思いますが、一応阿部先生にお伺いしてみたいと考ます。  なお全般的には各先生方のお考えは、実地訓練はどうしても必要だ。これは先ほど原先生のお述べになつたように、昭和十五年でありますか、何もアメリカの占領政策によらない前に、昭和十五年というのですから相当以前に、一箇年間の実地訓練を修得する必要ありという事柄は、すでに審議会で決定しおつた。たまたまアメリカがこういうインターンという言葉を使つて来たために、たまたまこの意見は一致しておるということから、インターン制度になつたのであると私は思うのであります。ただその受入れ態勢が十分できない。そのために非常な不服が出て来ておるというのが、現在の学生諸君あるいはその方面に興味を持つている方々のお考えじやなかろうかと思うのであります。このインターン制度については御賛成のようでございますが、現在の状況においては、その受入れ態勢ができておらぬ。もうすでに四年もたつのにもかかわらず、その受入れ態勢ができなかつたということは、少くとも厚生省責任じやなかろうかと私は思うのであります。ただ皆様方にお伺いいたしたいのは、できないならやめた方がいいか、それともなお存続して改良しながら時をかせぐか、こういう問題であります。あまり長い間かせがれたのじや困るけれども、来年度あたりの問題については、これを改正して行くようにして行かなければならないと思いますが、この二つの考えのうち、どちらのお考えであるかをお伺いいたしたいと思います。
  34. 戸田正三

    戸田参考人 先の方は、私が申しましたインターン制度を置くのがよい、しかし置くについては、大学自分のところで育てた子供を、ただどこの病院でもかつてなところに行つてそこでインターンをおやりなさい、これでは大学そのものが無責任である。大学責任においてインターンをでき得るようにやることをもつて原則とする、こう私ここに書いておりますが、その意味は、たとえば私どもの金沢大学医学部卒業生が八十人おります。横には国立の金沢病院があります。そのほかにも近くに国立病院がありますが、先ほど加藤君のおつしやつたように、金沢大学医学部あたりでも、学生は三百二十人が定員なのですが、卒業生は五百人おるのです。卒業生の五百人が研究生として研究科におりますが、それがために八十人の学生に、実地修練をやらせることが相当に困難であるという結論になつております。現在やつておりますように、お隣の国立病院にお願いしてやつておるのでありますが、あの国立病院で習う上において、学生がほんとに修練ができるように、厚生省からやつてもらいたい、こういう考えを実は私は持つておるのであります。できるならば教える先生は少くとも講師ぐらいの程度にお願いをして、八十人の卒業生が出ますれば、四十人だけならば大学病院でできる、あとの四十人を国立病院もたいていできるといつておられるのですが、他にもありますから、その辺のところに適宜に配置するように、厚生省文部省とが親切によく打合せて大学をやつてくださるならば、インターン制は非常に有効なものができるのじやないかと思う。先ほどどなたかのお話のように、あひるの卵みたいに産みつぱなしでほかのものに育てさせる、こういうことではならない。私は先年文部省に対してもこういうことを言いましたが、一体文部省責任問題じやないが、先ほど柳田さんのおつしやつた通りに、学生はやはり育てて行かなければならぬ。その責任を言うのでありまして、いわんや公衆衛生方面におきましては、せつかくできたところの保健所というものについて、十分習うように、またその保健所長は学生を教える力のあるような者に持つて行くようにしていただかねばならぬ、そういう点であります。  それから次の国家試験と卒業試験とごつちやになりはせぬか、そこがうまく行くかということでありますが、これは全部やるのじやないのです。国家試験は今年度は内科なら内科のくじが当れば内科で一定の問題を出す。来年度は眼科が当れば眼科が問題を出す。内科でも眼科でもよろしいし、二科目でもよろしいが、全国一つに問題をこしらえてしまうのです。そしてその問題を全国同一期に、各医科大学は数が知れておりますから、一斉にやつてしう。そしてその国家試験の問題については、やはりその学校先生責任を持つて調べさせる。その学校の内科の問題が出る場合にはそれが内科の答案にもなるわけです。それを厚生省なら厚生省が持つてつて審査する。そういたしますと先生が一体どういうような点をつけておるか、無責任なことをやつておりはしないか、これはすぐわかるのであります。これはごく簡単でそうして手間もかからないのです。また今日のような非常に莫大な費用もかからない。そうして一方においては行かない学生はどんどん落すのです。日本医科大学のように、八十人入つたものがそろつて八十人出るというような、こんな大学は世界無類ですよ。先ほど勉強せぬとおつしやつたが勉強せぬでもほんとうのものになつたり、勉強せぬでもよいようになつておるのはこれはよろしくない。これが私の意見であります。ただ試験の仕方もいろいろと方法はあるのでありますが、私のは大体こういうことであります。
  35. 加藤豐次郎

    ○加藤参考人 先ほど大学関係にインターンを入れてみると専攻生が多過ぎたということでございましたから、それはどうかという御質問です。実は私申し上げましたのは東北大学創立当時につくりましたこの制度は、先ほど申しました四年の二学期と三学期をインターンにしますと、医学教科はあとの三年プラス一学期、それでは、二箇年やつてみましたところがどうしてもいけない。それからその当時は実は教室は創立当時でありまして、はなはだしきは十名あるいは二十名以内の研究生を含んで、ごく少数ではありましたけれども、その責任者、教授、助教授、講師というものは学生インターン式に十分世話することができぬという理由で、二箇年たつてこの制度廃止したのであります。専攻生が多くてということは後のことであります。専攻生を入れるために世話なり教育ができないのじやないかとおつしやいますが、これはごもつともでありましで、今のようなのはどうしても行き過ぎると思われます。大学の研究の使命から申しますと、俸給をとつておる助手というものは定員が、ごく少数に限られておりますから、ある程度研究生を入れるということは、これは大学責任じやないかと思いますので、現在のように多く入れてはいけませんが、若干専攻生、すなわち研究者は世話しなければならぬと私は思います。そうすると、どうしても大学だけの課程内に、大学責任においてインターンを十分修めさせるということは不可能と思いますから、やはり大学に近い設備のある他の病院に委託といいますか、わけてインターンをする、これはぜひとも必要じやないかと思うのであります。アメリカの例を申して済みませんが、最近の統計を見ましても、アメリカでは医学教育に関係のない病院に配置されておる昨年度のインターンの数字は約四千名であり、これに対して大学病院はむろんのこと、多少とも医学教育の一部分を分担しておる大きな病院に入つておるものは、それより約一千名少いのでありまして、すなわち医学教育に関係のない方へ分布しておるインターン生の方が数が多いのでございます。これはアメリカの例でございますが、日本としては、インターン生を現在の大学、ことに新制大学ではべツド数が非常に少いのでありますから患者も少いのであります。従つて大学以外にやはりインターンを世話させる、世話してもらうということが、当分の間は必要じやないかと私は思います。
  36. 柳田秀一

    ○柳田委員 ちよつと関連して。今勝俣君から公衆衛生の問題が出ましたが、これは衛生学の権威の戸田先生にあるいはおしかりをこうむるかもしれませんが、私は公衆衛生を含めた衛生学と法医学は、基礎医学でもなければ臨床医学でもないといつては語弊がありますが、基礎医学というよりは、むしろこれは応用医学とでもいうような一つのカテゴリーに入るのではないか。従つて公衆衛生を含めた衛生学、法医学は、基礎医学に近いのですが、そういう応用医学の実習という点に関して、ひとつ戸田先生の御意見を承つておきたいと思います。
  37. 戸田正三

    戸田参考人 公衆衛生というのは、公衆衛生の知識を持つて医師医療をやるべきであるというような見解もありますが、ともかくもこの公衆衛生の問題を、日本では非常に軽々に扱つておりましたのが、今後はすでに憲法にも定めてあるごとく、公衆衛生ということに対して、医師がもつと熱心にその頭を——実を申しますと、私なども申訳ない話ですが、公衆衛生的の知識なしに、すぐ切つたり、はつつけたりする方面にばかり傾いた日本医学教育の欠陥があるわけです。その欠陥を補充するためには、やはり公衆衛生というものを大事にして、ことに今日また今後も、ますます発展せんとするところの保健所のごときと十分なる連絡を持つて、一国の医事衛生をやつて行くようにしなければならぬ。そこに私は公衆衛生というものがあるので、基礎医学ではもとよりありません。従つて基礎医学、臨床医学、公衆衛生学、こういうような三段わけに今はどこの文明国もなつておるような次第でございます。
  38. 野澤清人

    野澤委員長代理 鈴木義男君。
  39. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 いろいろ承りたいと思つておりましたが、先ほどから承つておりまして、大体問題も尽きたようであります。この委員会インターンの問題が付託された理由は、今現にインターンに従事をしておる者及び医学生代案ら、とうていわれわれは生活にたえないからやめてくれという陳情があつたので取上げたのであると思つております。少くも私はそういう見地からこの問題を取上げている。私もたくさんの医学生に囲まれて答弁を迫られて閉口したわけであります。  そこで先生方の卒直な御意見を承りたいと思つておりますが、このインターン制度がいいものであるということには論がない。いいけれども負担にたえない、食べて行けないから、血を売りながらインターンをやつておるのでは困るからやめてくれ、こういう要求でありました。それに対してどういう態度に出るべきかということが、この委員会にかけられた問題であると思います。私も学生に答えたのでありますが、ぼくもインターンは必要なものと思う、せめて竹の子くらいになつて出てもらわなければあぶなくてしかたがない、ぜひそれはやつてもらいたいと思うが、ただやれということは無理だから、国家として考えるべきだ、こういうふうに答えたのです。学生に四年もやらせるということは私は間違つておると思う。四年間に専門教育がやれないというならば、ほかの専門は——学術の蘊奥をきわめるなら、これはとても四年や五年ではやれないのでありますが、とにかく免状をくれられるというならば、法学も四年でやつつておる、理学も四年でやつておる、医学だけがやれないという理由はない。二年でやつてあとの二年はかたわら実習をしながらやつて行く。しかしどうしてもなおインターンは一年くらい必要じやないか。それで皆さんの御意見も大体そういうふうに聞えたのです。その問題について何か具体的にお医者さんの間に動きがあり、今までにそういうものがあつたかどうかを承りたい。私は弁護士でありまして、法律の方で飯を食べておるわけであります。これもずつと前から司法修習制度というものがありまして、これは大学の法学部で教えるのですが、法学ではちつとも役に立たないのです。実際に技術的な応用的なものは徒弟式にして、判事、検事、弁護士について学ばなければものにならないのです。おそらく医学においても似たものがあると思うのです。そこでみな昔は縁故をたよつて先生のところに入つてつてつた。しかし今度は制度として司法修習というものをぜひ一年半やらせるということになつた。そうすると国家は何の援助もしないのでありますから、結局裁判所は司補として月給をくれる。弁護士になるものは弁護士の事務所に入つて習うしかない。ところが学生か、職員かという先ほどの論もあるように、どつちでもない。中間地帯のものであつて、代理行為はやらせられないのであります。そんなものを弁護士のところへよこされても迷惑だ、非常にゆたかな弁護士だけが子分を養成するつもりで引取つてつたのであります。そういう人は少いからあぶれてしまう、結局大道で、書物を売りながら、一年半だけ過してそうして資格をとつて開業する、相当危険なものが出る、こういうことなのであります。そこでどうしてもこれは国家援助してやらなければならぬ、弁護士会連合会長が司法大臣に交渉した結果、弁護士も公職たることにおいては判検事と同じだ、ゆえに国家がこれを補助すべきだということで、ただいまは御承知のように大学を出たものが資格をとつて国家試験に合格した後一年半、国家の費用において修習いたしておるのであります。りつぱな修習研究所ができておりまして、そこで判検事、弁護士が先生になつて教える、それからそれぞれ分属させて、三箇月ずつ裁判所、検事局、弁護士の事務所、そういうところへ配属させてやつておるのであります。これは一万円ずつやりますから、りつぱに生きて行けるのであります。先ほど、三千円ずつやつたらどうかということだが、三千円ではとても食つて行けない、日本の人口に比例してお医者さんをどれだけ年々生産することが必要であるか、こういうことを私は承りたかつたのでありますが、かりに三千人が必要とすれば、これはやはり国家的の任務を持つた仕事だから、国家援助すべき義務があることにわれわれから見てたくさんのむだな金を使つておる五億や六億の金をこういうことに出すのに何の惜しむ必要があろうか、むしろそういう御意見を私は強く承りたかつた、そういう点についてどういうふうにお考えになつているか。大体御賛成のようでありますが、原先生、栗山先生などにいま一度お伺いをいたしたいと思います。それでインターン大学のコース内でやれるもなこれは問題ないのであります。その点においてもどうも御意見がはつきり私はのみ込めない。コース以外にやらなければならぬという前提のもとにお伺いするわけであります。
  40. 栗山重信

    ○栗山参考人 先ほどちよつとインターンに対して、国家援助が願いたいという希望を申し上げましたが、その一例として看護婦養成所に国が費用を出しているということ、それから今おつしやいました司法科の弁護士になる修練の場において、国がやはり費用を出しておられるということもあるのでありますから、やはり今御意見のように、それをインターンにも適用して、国家が費用を出していただきたいということを私は希望する次第でございます。  それからもう一つ。医学教育をいろいろかえて、そうして実地のことが習えるようになれば、私はどの方法でやられてもちつともさつしかえない、今の制度を大いに改善してやられてもよし、あるいは医学教育制度をかえられて、その中で実際において実地がやれるようにさえしていただけば、私はどちらがどうということはない、ただよい医者ができて世の中へ出さえすればよいということを感ずるのでございます。
  41. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 インターン大学または大学付属の病院、国立病院等だけでやらなければならぬということになつているのでございましようか。あるいは民間の公立病院のようなものはみな使えるのでございましようか。
  42. 栗山重信

    ○栗山参考人 厚生省指定されておりますインターン指定病院は非常に多くなつております。
  43. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 その病院は三千人をインターンさせるに足りませんか。
  44. 栗山重信

    ○栗山参考人 インターンを収容して余りあるくらいに指定病院ができておりますから、すきなところへ行つているのであります。
  45. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 私の聞くところでは——私も医学生を一人世話しているのですが、じやまにされて困るというのです。なすことがないから麻雀をやつてつて来ているということですが、実にじやまにされる、そういうことでない方法を案出すべきだと思います。
  46. 栗山重信

    ○栗山参考人 指定病院をもう少し厳選されて、そうして一定の大きさだけを条件にせずにやりさえすればよいじやないか、インターン生ももう少し本気になつて勉強しなければいかぬ、それから指定病院もただ指定されただけでなしに、ほんとうにインターン生をもつと教育しなければならぬ。ただしかし現在は大部分はその病院負担においてインターン生を指導しておる。国家からそれに対してほんのぽつちり何か来ますが、問題にならない。国家はほとんどそれを負担せずして、各病院及びその指導者自分の後継者となる医師を、また国家のためによい人を出すために、自己の負担においてむしろやつておるのであります。しかし医者はある程度のやるべき義務もあると思います。それから当然協力すべきであると思いますからみなやつているのですが、そこの熱意が少し足りない指定病院もないとは言えないと思います。そこらが麻雀をするような指定病院になつているのかとも思います。
  47. 野澤清人

    野澤委員長代理 堤ツルヨ君。
  48. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 私はただいま鈴木先生から御質問がありましたから、重複しないように、他の点について質問いたしたいと思います。ここにはお医者さんの指導をしてくださる大家の先生方がおいでになつておりますが、厚生委員会にはお医者さんが多いのでございまして、何だか先ほどからの問答は、みな自己陶酔をしながらなさつているような感がなきにしもあらずでございます。そこでいろいろお聞きしたいこともございますけれども、私が率直にお聞きしたいのは、何十年間医学生の育成に当つておられる戸田先生もお古うございますし、皆さんもお古うございますが、先生方の目から見て、率直に言つて戦争以前のインターン課程を経なかつた卒業生と、それからインターン課程を経てからのここ四、五年の卒業生とにおいて、ほんとうにどれだけ実質的に価値が上つているかということ、これは厚生省に聞いても漠として答えられないのです。ですからすなおな、たとえば戸田先生あたりが正直に、入学試験は非常に問題だけれども、入つて来たらなかなか勉強しないとおつしやるが、これは私のところも医者一門でございまして、人殺しから人助けまで五十人ぐらいおりますが、医者はほんとうにいいかげんな医者になられては困るのでございまして、勉強しない者が多いように思うのです。試験のときだけ徹夜などして勉強しておりますけれども、あれで医者になられたらどうかと思うような学校が多いように思うのでございまして、これは学校の悪口を言つては恐縮でございますけれどもインターンをおやりになるようになつてからは、私たちが学生時代に言つてつた医学生というものと、今日の医学部卒業生というものとは、実社会に出てからの医者としての価値を先生方が率直に見られたときにどうであるか、ということを一応お聞きしたい。  それから一つずつ質問してもよいのですが、先ほどの仙台国立病院院長さんのお話でしたか、大学などの学部を見ていると、一人の教授の部屋に百人ぐらいぶら下つている。これは私たちしろうとから見ても、一つの医者部落があるというような感じがいたします。これは専門的にやつておられる方たちから見れば、そこにいることが一番効率的であり、また一番将来のためにもなるからお残りになるのであろうと御推察申し上げますが、しかしこの大学医学部卒業生というものが、今日国家の要請するところの医者の数と、今日の卒業生の数、つまり需要と供給の関係ですが、これはどういうふうにごらんになつているか、正直なところを言つて多過ぎるとか、いや正直なところを言つて足りないのだとか、将来国の医療体系というものは、こういうふうになつたときにはどうとかいうような正直な御意見と二つ承りたいと思うのですが、どなたからでもよろしゆうございます。
  49. 戸田正三

    戸田参考人 まずあとの御質問の方からお答えいたします。  医師の数が国民の数に比してどれほどがいいかということは、治療の仕方によるのでありまして、今日のようにもう肺が悪くなつてしまつてからお医者さんに連れて行つても、これはお医者さんだつてなおせません。またこれはなおりません。医師というものは社会において最も重要なる責務を持つたものであるということで治療をやるのならば、これは五百人に一人の医師がいります。私は学校を卒業いたしましてから平均稼働年限を三十年といつも概算しております、もう少し延びるかもしれませんが、そうすると人口八千万の日本においては年約四千五百人、まず四千人ぐらいのお医者さんがいることになりますが、今の日本の医学のような、大分胃潰瘍になつたのを見て、それに葛根湯などを飲ましておるというような程度ならそれは二千人に一人でもいい。そこのところははつきりいたしませんが、ごく進化した、つまり公衆衛生及び医学の進歩した平和な国家スエーデンのごとき、スイスのごとき国においては、まず人口六、七百人に一人ぐらいが妥当ということになつております。やはり国の背景に応じて異なると考えます。  それから初めの、インターンをやつた学生と昔の学生とどういうふうに違うかという御質問は、しごくごもつともなことであります。私よく知つておりませんが、ここにインターンをやられたほかの先生がおられますから、私が聞いておる範囲で申し上げますと、先ほど栗山さんのおつしやつたように、これはやり方一つの問題です。無責任に、ただインターンをやつておらなければ、医師免許状がもらえぬから、柳田さんのおつしやるように麻雀クラブのようなものができるかもしれません。ほんとうにやらせるならばインターンは実に必要なものだと思います。少くもそのくらいな、やるべき仕事を一応やらして社会に出すということは、文部、厚生御当局の社会に対する責任でもあると私は思う。やつた方がいいというのと、今のではつまらぬというのと、学生のアンケートをとつたのがございますが、今までの経験では必要というのは割合少いようですね。しかしこれをうまく改良してやつてもらつたらたいへんいいという説は非常に多く聞いております。
  50. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 私は現在日本がやつておるインターンでつくられた医者ということを言つておるのであつて、改良をされたらいいにきまつておるのですから、今までのやり方における卒業生について聞いておるのです。
  51. 戸田正三

    戸田参考人 学生から投票をとつたのでありますが、それによりますと、今までのやり方インターンはやめてもいい、極端なのに行きますとむしろやめた方がいい。大学教授の中でも、インターンをやるのがいいか悪いかを手をあげさせたならば、ほとんど九〇%までインターン不必要という意見であろう。あなたの今のお問いに対しては、インターン不必要という声の方が、はるかに強いということを私は聞いております。またそういうアンケートも見ました。
  52. 原素行

    ○原参考人 ただいま終戦前と終戦後の、インターンをやつた卒業生とやらない者との差のお話がございましたが、先ほどもお話がありましたように、インターン制度がないころでありますと、卒業生がただちに内科の医者とか外科の医者とかいうふうに、簡単ですけれども専門化して、からだ全体を扱うことについて欠点のある医者がどうしても出て来ることになる。ですから私らも内科の専門家のつもりでありましたが、ほかのことを知らないのが自慢というような、実にふしぎな自慢があつたのではないかと思います。  それから終戦後にインターンをやりました二人の医師でいろいろと比べるのにちようどいい例を私は持つておりますが、それを見ますと、一人は非常に厳重な病院インターン教育を受けまして、非常に優秀なドクターになつております。しかし同じ学校の同級生であります一人は、インターン教育を非常にそまつにしました病院、たとえば患者は扱わせないとかいうところの病院に行きまして、三年たつておりますけれどもおそらく見込みがないだろうという、これは元の帝国大学卒業生でありますが、これほど大きな差が出ております。皆様御承知のように、あれは非常に名医だとか、良医だとか、やぶだとか、個人差が実にはげしいものであります。人命を扱う人の、知らないためとか、無知のための失敗は、とうてい許すことができますまいとわれわれは信じております。この個人差をどうするか。やはり従来の教育方法は、お前は苦労して自分で勉強しろというような教育方法ではなかつたかと思います。ですから苦労した人と、勉強しない人との間には大きな差が出て参りますが、インターン制度の一箇年間というものを非常に厳重にやつて効果をあげて、国家試験を受けますと、その個人差は、どうせありますけれども、非常に少くなりまして、国民の実害が非常に減るのではないか。これが大きなねらいではないかと私は思つております。従来五年も六年も学校に巣をつくつて勉強しなければ、一人前の医者になれない。結局個人差のためにある人は五年経過する、ある人はりこうだから三年でどうにか一人前の医者になる。こういう差がありますと、個人としても非常な損害だろうと思う。そうしますとどうしてもインターンの一年の間である程度の個人差を抜きまして、ある程度の段階まで持つて行くのが、われわれ医師の先輩としての社会に対する返事ではなかろうか、こんなように私らは考えております。それから大学教育の中に盛つてはということもございますが、現在の卒業生インターンとして病院に来ましても、実に無力なものであります。それを一生懸命われわれが教育しますが、たとえば学校の実験とかいうものについて特に十分にやつてもらいませんと、日本医者の素質が下るのではないか。それには四年間をもう少しがつちり実際に役立つ学問の教育をしていただかなければならぬのではないか。その上にインターン教育を一年やる。そして国民のために、知らないための失敗は許されないということを実現して参りたいと思います。  それからじやまにされるという問題でありますが、さつき申しましたように、インターンを十分に教育しなければならぬという熱意を持つたところと、持たない病院によりまして、麻雀が出たりひつ込んだりするのではないかと思います。
  53. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 他の先生方に御意見はないでしようか。——では、これは非常にりつぱな先生方ですからお怒りにならないで聞いていただきたいのですが、インターンをやるようになつてから実に大学教授連中はけしからぬ、どうせインターンがあるのだからということで、教授内容が昔よりもうんと粗雑になつているということが巷間批判されるのです。そういうことがお耳に入つているかどうか知りませんけれども、私たちはよくそういうことを耳にするのであります。良心的な先生方にこういうことを申し上げて恐縮でありますが、全般的な問題としてお聞き願いたいと思うのです。どうでしようか。これは病院などの実際卒業生をお使いになる立場の方からお聞きした方が適当かもしれませんが、断じてそんなことはないとおつしやるのでしようか。大体二年、四年、一年という課程は長過ぎるのでありまして、医学は進歩しているとおつしやいますけれども、医学だけが前に行つているのではなくて、文化水準というものは総体的な問題だと思うのです。それで医学が進歩しているから六年のところを七年にしても決して長くはないというりくつは、やや自己陶酔の感があると言つたのもそこなんです。そこで医学の実地訓練が必要ならば、文部省の厳格な監督下に、大学課程内においてこのインターンを終られるのが当然である。極端でありますが、もつともつと医学部なり医科大学に対する国の補助なり方針が厳として立てられなければ、今までの医学部教授内容なり運営のあり方は、先生方の御満足の行くところではないのでありますから、これは政策自体に問題がございますが、いたずらに青春をむなしゆうするなかれという言葉がありますが、じやまもの扱いにされながら一年暮しているようなインターン生もおり、あるいは看護婦よりもばかにされているようなインターン生がうろうろしているという現実を充実するためにも、文部省監督をきびしくして、そのかわり補助、育成、援護して、大学教授内容を充実してもらつて医師国家免状をやれないような医学部教育ならば、私は医学部なり医科大学をつぶしてしまつてもいいというくらいな権威を持つてもらいたいと思う。一般に言われるところによりますと、インターンができてから、どうせこれはインターンで彼らはやるんだからインターンにまわそうという節が、間々見られるということでありますが、これは教授の立場からと、一般の卒業生をお使いになる立場からと、どういうふうに見られるでありましようか。
  54. 三澤敬義

    三澤参考人 ただいまの御批判まことにごもつともなことであります。しかしこれには非常に誤解があることと存ずるのであります。なるほど医学教育というのは現在六・三・三・二四・一でありまして、われわれ医学部教授はその四を引受けておるのであります。そうして従前医学部を卒業しますと、医師免許状をもらつた間は、四年間に今のインターンほどは行きませんが、実地修練を若干やつた。講義をする際に、旧制の帝国大学においては学問の蘊奥をきわめるところの大学でありました。しかし新制大学におきましては、蘊奥ということよりは若干専門的な教育なつたわけであります。その際におきましては現在課せられておる四年間にとにかく医学部の専門的な知識を与え、その後一年間に実地修練をやつて、五年間で完成することになつております。従つてその講義の内容において、中にはそういうような御非難のような教授もあるかもしれませんが、少くとも東京大学にはそういうような教授はないと存じます。私はそのようなことはいたしておりません。但し毎日講義をしておる間には、従来でありますと二時間の講義の間に、たとえば尿の計算とか、いろいろなことを教室の中でやつた。しかし今は卒業後のインターンの方でしますので講義の中では除いておりますが、決して粗雑というのではなくて、インターンの一年間を加えて五年間の教育医学教育を完成するということから、四年だけをごらんになると、あるいはそのような御批判、誤解があるのではないかと存じます。
  55. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 お医者様方がごらんになつておりましてもわかる通り社会保障の基盤たるべき医療政策と申しますか、これは非常に現在貧困でございまして、御存じの通り、保険制度にいたしましても、いろいろな保険制度の中で国民が迷惑をしたり、その恩典に浴せなかつたり、たとえば国民健康保険制度にいたしましても、三千四、五百万人の国民がまだその対象にならないというような実に情ない状態でございまして、大体国の医療体系と申しますか、それから医療施策と申しますか、国民の保険制度と申しますか、そうしたものが現在のところ確立いたしておりません。しかもいまだに吉田自由党内閣のもとにおいては——やや政党的な言葉づかいになりますけれども、一貫した良心を持つてこれを整備しようとか、前進助長して行こうというような良心が見られません。従つてども大学の研究室などに伺いまして驚きますのは、日本で何人といわれるほどの大学先生方が、お茶を飲んでいらつしやる湯のみなどを見ますと、助教授の方はフランコでときに飲んでいらつしやるというようなことで、こういう国家の大切な人々が研究なさり、育成をする所を、かくも国は冷淡に扱つておいていいのだろうかということをしばしば拝見いたしまして、私ども会議員といたしましても、まことに恐縮に存じておるわけであります。そうした制度の中で蘊奥をきわめられまして、国際的な水準にまで持つて行かれました日本の医学に対しましては、非常に敬意を表するものでございますけれども、私たちは、国民大衆を守る立場から、何とかして今日の無為無策な医療体系——保険制度社会保障の基幹たるべきところの医療を扱つているお医者さんの養成に対する国の方針というものがきまつておらないところに、今日のインターンの問題もひつかかつて来ていると思うのでございます。これははなはだ残念でございますけれども厚生省当局だけをとつちめて私たちが申しても事になりません。文部省とか、さいふを握つている大蔵省とか、国自体がこの社会保障の基幹たるべき医療という問題について考える建前をとり、横の連繋をとつて協力しなければ、おそらくいろいろと皆様方の貴重な御意見を承つても、要するところは、国がどれだけの腹をもつて今日の国家施設なり医者を養成するかというところまで、言及して行かないと片がつかない問題であつてインターン制度云々の問題はその一部であろうと思います。それでただいま鈴木委員から御発言がございましたが、先輩として、また教授方々としてどれだけの努力が具体的になされたかということの質問に対しては、御答弁がございませんでしたけれども、これを機会に私たちは、一生懸命におやりくださいました大学教授方々、また受入れてくださる医療機関の方々と協力いたしまして、できるだけ国庫の補助においてこれをなすの建前をとつて行くように、国会自体の意思表示をはつきりいたしたいと存じておりますので、今後の御協力をお願いいたしまして、私の質問はこれで終りたいと思います。
  56. 野澤清人

    野澤委員長代理 日高忠男君。
  57. 日高忠男

    ○日高委員 もう大分時間もたちますし、皆さんからのいろいろな御質問で……。     〔「いらないことを言うからだ」「批判しているのです」と呼ぶ者あり〕
  58. 野澤清人

    野澤委員長代理 御静粛に願います。     〔「はつたりだ」「自分の党をけなされたからといつて怒りなさんな」と呼ぶ者あり〕
  59. 野澤清人

    野澤委員長代理 御静粛に願います。     〔「なまいき言うな」「女と思つてばかにするな、なまいきとは何で   す、取消しなさい、議員に対する侮辱です、取消しなさい」と呼ぶ者あり〕
  60. 野澤清人

    野澤委員長代理 御静粛に願います。     〔「なまいきとは何だ、取消しなさい」「取消しません」と呼ぶ者あり〕
  61. 野澤清人

    野澤委員長代理 ちよつと速記をとめてください。     〔速記中止〕
  62. 野澤清人

    野澤委員長代理 速記を始めて。日高君。願います。
  63. 日高忠男

    ○日高委員 先ほど鈴木委員からも、大学附属病院においてはインターンがじやまもの扱いにされるということを言つておられましたが、それはなるほど大学病院には無給副手という制度がありまして、たくさん無給で勤めて研究している者もありますが、最近大阪から来た学生の話を聞きますと、無給どころか、その連中は授業料を納めているということを聞きました。それは大学院の学生であつたならば授業料を納めますが、無給副手も授業料を納めなければならぬ状態になつておりますか、三澤先生にお願いしたいと思います。  それから続いて戸田先生にお願いいたします。このごろの大学の教え方は、ドイツ語、英語、日本語と三種類でおやりになるようであります。昔はただドイツ語一本やりでありましたが、このごろはどういうふうになつておりますか。  それからまた教養学部というものは二年と聞いておりました。先生のところでは一年半でやつているとおつしやいましたが、これはどうにでも学校の方針によつて、自由に年限は短縮できるものでありましようか、どうでありましようか。そうしますと先生阿部先生との御意見を折衷いたしまして、医学部では教養学部を一年半にして大学課程を四年半にしましたならば、一年のインターンというものが大学の授業内において行われるようになると思いますが、そういうように一年半あるいは二年というように教養学部の短縮は、その大学独自でやれるものでありましようか、どうでありましようか。  それから公衆衛生というものが言われるようになりましたが、これはわれわれの習つた当時の衛生学にどういうようなものが附加されたのでありましようか。  最後に原先生初め諸先生から、このインターンをやるならば専門以外のどの科のこともこなせる、それで非常に病気の治療をする上に有益であると言われましたし、厚生省当局もそういう見解をとつていると思うのでございますが、私が地方の医師会を取扱つて見ている経験では、あまり何にもかも知り過ぎているために、自分のほんとうの専門以外のものにも手をつける。それを専門家から見ました場合には、非常にむだな治療をしているように思うのでございます。また手術料などにつきましても、専門でない人のやつた手術料の方が非常に高くなつている状態でございまして、自分のところに来ました患者は、インターン時代に習つた知識を応用しまして、何でもかんでも自分のところで片づけてやつている。あるいはいろいろな薬を飲ませたり、注射をして、何とかして自分のところで解決しようと思つて努力する跡が見えますために、専門家の方から見ますと、非常に無用の治療が行われておつて、そうしてこれは医療費が非常にかさばつて来ているようであります。今日まで保険が赤字に悩んでいる、国民保険がつぶれそうだということは、やはり治療にあまりむだが多過ぎるということも、大いに原因しておると思うのでありまして、インターンのなかつた戦争以前の時代には、社会保険というものは決してこういうふうに行き詰まつておらなかつたのであります。先生方は、特に原先生は、インターンをやらぬときの医者と今日の医者とでは、前の医者から見ると非常にすぐれておるようにおつしやいますけれども社会保険の運営の面から見ますと、昔のインターンとやらなかつた時代の医者の方が、社会保険の上からは費用が少くて済むようになつておるのでございます。いいことではございますけれどもインターンをやつてなまかじりになつておりますと、何でもかんでも手をつけようとする傾向が非常に強いように思いますので、診断の助けになる程度のインターンでいいのじやないかと思います。何でもかんでも治療が少しはできるというものは、かえつて弊害を来しはしないかということを憂えておるものでございます。できますならば、先ほど申し上げましたように、戸田先生阿部先生の両方の意見をとりまして、教養学部を一年半、そうして医学部を四年半にして、その間に全部のインターンを終つてしまうという制度の方が、最も適しておるように私は考えるのでございますが、先生方の御意見を伺いたいと思います。
  64. 三澤敬義

    三澤参考人 私に対しまして初め御質問がありましたので、お答え申し上げます。大きな点、ことに国立大学病院におきましては、ただいま仰せのように、職員が非常によけいになつている。教授、助教授、講師、医科助手、それから病院助手、これは有給でございます。これで大体病院教育と研究、それから一般診療をするわけであります。ところが文部省の予算と申しますか、この定員だけではとてもできないのであります。それで従来無給副手——月給が出ないものですから無給副手といつているのですが、その制度があつたのであります。戦争前はそれほど多くなかつたのでありまして、一つの教室、たとえば内科の教室に五、六十人おつたのであります。ところが戦争になりましてみな兵隊にとられますと、ほとんど四、五人の無給副手しかいないとか、教室員が全体で東京大学でも十人内外で、ほとんど診療ができないような状態で困つてつた。ところが戦争が済みますと、応召軍人がみな帰つて来まして、一時は東京大学病院も、無給副手と申しますか、今の研究生が千三百人くらいふえた。そうしますと大学病院の経理というものが、もともと予算が少いからではありますが、千三百人がいろいろな研究をする、それから診療を手伝つておりますが、そういう経費が非常にかさみますので、大蔵省文部省からわれわれ病院長に、やかましくこれを減らせという御注意が参つております。われわれもなるべくこれを減らそうと思いましたが、これは応召軍人が戦争から帰つて来て中には四年の課程を三年で卒業させ、三年の間にインターンを一年やつた、非常に不完全な教育を施した。これがみな前線へ行きまして軍医として働いたので、さぞや兵隊さん方は迷惑したろうと思いますが、それが帰つて参りましたので、われわれは再教育の必要があるわけであります。それをしばらく再教育しておりました。もう減るだろうと思つておりましても、なかなか減らぬ。いまだに減らぬので、大蔵省文部省からいつもおしかりを受けておる状態であります。あまり減らぬものだから、向うでは、これを、無給副手というと職員になるので、従つて職員組合が月給を出せとか手当を出せとか言つて来るものですから、おそらく文部省じやないかと思いますが、研究生という名前にかえたのであります。実質は同じですが、研究生ですから学生身分でありまして、これは職員ではない。従つて手当をよこせ、日直料をよこせということがない。研究生という名前で、初めのうちはただだつたのですが、あまり減らないものだから、大蔵省つたと思いますが、研究生から金をとれ、それほどではありませんが、一年に四千円かを出せということになつた。われわれ大学病院の当局者としては、これを出すのもけつこうだが、しかこういう無給の研究生が大学病院診療あるいは教育、研究の方を手伝つてくれているので、なるべく研究生の授業料は免除してくれと今お願い中なのです。しかし大蔵省から昨年その指令が来まして、若干とられているのです。この研究生は東京大学におきましても千三百人ありましたのが、ただいまでは実質において七百人くらいです。おそらく二、三年のうちに減るのではないかと存じます。そこヘインターン生が入りまして、今の千三百人もいるところヘインターン生が来るものですから、ついじやまものというか、われわれ毛頭じやまにする考えはないので、一緒に教育しようと考えておりますが、つい仲間同士でじやまもの扱いにしたこともないではないかと思うのであります。病院としましては、あるいは大学といたしましては、決してじやまもの扱いにしたことはない。その点最近多少改善されたのではないかと思います。そのような現状でございます。
  65. 戸田正三

    戸田参考人 日高さんの一年半でできないかということ、そもそも医学教育改善かどうかしりませんが、医学に入る者はどの科からでもいい。教職員になつて学校先生をやられておつても、その間に医学の教育を受けるのに所要の単位というものをとつておれば、弁護士の方が受けられても、だれが受けてもいい。そこでまず初めに、医学の教育を受けるのには、人文、社会、自然の三つの科学について最低二箇年間、つまり二箇年以上六十五単位以上をとつたものでなければならないということを、アメリカ先生方から言つて来たわけです。今から三年半前ですか、私が金沢大学に参りましたときに、今私どもが言いました一年半でやつて——そうせぬと、ほかの科が実に困るし、国もいろいろな費用を浪費しなければならないことになるから、ぼくたちのところは医学を一年半で打切るというので、文部省に持つてつた文部省に持つてつたところが、それだけはこらえてくれ。それでアメリカ先生方に話をして、その方がいいじやないかと言つたら、これは絶対にいかぬということがあつて、二年間来ている。しかし今日ではもうあれを一年半にしようが、いかようにしようが、われわれは独立国であります。  次に公衆衛生でありますが、以前の衛生学と違うか、これは同じものであります。これは立場によりまして、たとえばドイツでありますとヒギエーネでありまして、公衆衛生という字をあまり加えずに来た。日本などはその医学を持つて来たわけなんです。アメリカの方ではハイジーン・アンド・パブリツク・ヘルスで、ハイジーンとパブリツク・ヘルスがくつついたものです。ハイジーンはむしろ理論的の方面をやつて、それにはまた個人衛生も加わりますが、もつと公衆というものを対象として衛生学を推し進めて行かなければいかぬ。また昔の生理衛生学のようなものでなく、公衆衛生としては、たとえば小児科の方であるならば、小児というものをどういうぐあいにして行くか、精神科の方であるならば、昨今のように不良少年ばかりつくつているような日本では、これはこういうようにして教育をやつて行かなければ、いくらしても気違いじみたやつばかりどんどんふえて来て困る。もと五万人であつたものが今日二百万人に達しているのです。そういうような者の精神を、すなわち公衆衛生の立場から、気違いをなおすのではない、気違いをつくらぬようにしよう、それがつまり公衆衛生の幅でありまして、私どもの昔講義しておつたのとかわりがない、かように思います。
  66. 原素行

    ○原参考人 日高さんにお答えします。これは専門的でないということの問題でございますが、これはこういうことであります。専門的でなしに、いろいろな科目をごつたまぜにやつてしまうということは、内科も、外科も、産婦人科も、眼科も全部一通りやれる一前の医者という意味ではございません。大体今までの卒業生がすぐ内科なり外科へ参りますと、人間のからだ全体を総合して扱うことに非常に困難を感じております。従つてインターンの一箇年間で大体一人の患者を一人の患者としてまとめて扱うことを覚えるのであります。ですから全身症状とか、そういうことに対することが一番重要視されております。医者の訓練ということにもなりますけれどもインターン状態を見ますと、医者と看護婦の間でほんとうに患者お世話をするというふうになつて参るはずであります。ですから、さつきから病院がじやまにするということにならないかと申しますが、私たちがインターンを指導しますのは、病院でぜひなければならぬ人間のように、病院がそういうふうに心がけて行くにはどうすればいいかというふうにしまして、病院の中に溶け込むような制度病院の内部で相談してつくつて、そうして指導しております。従つてまずインターンは非常に忙しい。あらゆる患者お世話病院におつてするのが原則であると心得ております。そのお世話の中にはいろいろなことがありますが、たとえば医療社会事業的の問題もそれにいくらか含んで参ります。あるいは母子健康指導というふうな問題も出て参ります。従つて何といいますか、児童福祉法の問題、あらゆるそういう問題についてもそのアウト・ラインを知りまして、そうして医者としまして、患者さんはどういうものであるかということを知らねばならぬというのが、これが医者患者を扱う基本条件じやないかと思います。少し話が余談になりますけれども、ただいまの看護教育の中に浸透教育という言葉が使われております。これはもう少し社会的に、世間でわかりやすく申しますと、患者というものは一個人の病人である。でありますけれども、一個人の病人というものは、社会構成上重要な一人のメンバーである、これを早くなおして、そうして健全なる人間として健全なる社会にもどすということが、これが浸透教育、看護教育の総合教育になつております。同じことが、やはり医師の場合でも、基本的な教育の中にどうしても必要な問題であるだろうと思つております。こういうふうにしましたら、今お話のありましたような、一人でいろいろなことをやつてみたい——社会保険の点数をあまり高めてしまうというのは、やはりインターン教育がまだ徹底していないためじやないかと思います。ですからこれはこうなります。この患者は腎臓病だ、それでは眼はいいかというふうにして、眼のことを心配して眼科と連絡したり、いろいろなことに気がつくという、その程度のことをインターン教育でやつてほしいということを私らは願つております。
  67. 野澤清人

    野澤委員長代理 ほかの問題についての御発言はありませんか。     〔「しまつたらいけませんよ、議員を侮辱されて黙つていられない」と呼ぶ者あり〕
  68. 野澤清人

    野澤委員長代理 ないようですから、本日はこの程度で……。     〔「しまうたらいけない」と呼び離席する者あり〕
  69. 野澤清人

    野澤委員長代理 この際参考人の方方に一言ごあいさつを申し上げたいと存じます。長時間にわたりまして貴重な時間をさいていだだき、有益なる御意見を述べてくださいましたことに対し、厚く御礼申し上げます。当委員会といたしましても、お聞きいたしました御意見を十分尊重いたしまして、一日も早くこの問題の解決に努めたいと念願いたす次第でございます。ありがとうございました。  次会は公報をもつて通知いたします。本日はこれにて散会いたします。     午後一時三十五分散会