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綱島委員 この連座
規定でありますが、私は、罪のない者が罪に処せられるという考え方は、しかもそれをいろいろ別な便益のために考えるということは、基本的な間違いだと思う。そういう考え方をしてはいけない。これは一つの便益のために申し上げるのではありません。従
つて、この連座
規定でいろいろな罪を受くるおそれのある者を防禦して行くような態勢で行くならば、結果の上でそれでよいからそれでよいという考え方それ自身が間違
つておる。元来言えば、罪のない者に罪を及ぼすという
規定を考えることは、本質的にこれは間違
つておりますので、連座するという考え方が間違いであります。もちろん、刑法上には、御承知の
通り共同犯というものがございますので、共同でいたしたものにはすべて罪が及ぶのであります。これは別段の
規定がいらず、及ぶのであります。従
つて、罪のない者を罪にするという考え方は、それが
選挙を粛正するとかなんとかいうことのために考えられるよりも、もつと重大なことだと思うのです。私は、そういう低劣——低劣と
言つては失礼だけれども、低い考え方をしてはいけない。相当な人が集ま
つてやる立法でありますから、そういう便益、主義的な考え方をすることは、われわれ自身が非常につまらぬ考えの中に陥
つて行く迷いであると私は思うのです。そういう迷いをいたしてはならぬ。われわれがどうしてもしなければならぬことは、罪のなき者はいかなる場合も罪にならない、こういうことが基本の考え方でありますし、ことに近代の刑法の趨勢、処罰の趨勢から見れば、免れる者が多くても、無実の者が一人罪になることを防ぐというのが、むしろ近代の考え方でありますから、かような考え方は近代思想に逆行する。それこそ封建的な考え方、こういうことがほんとうの封建的な考え方であ
つて、その人がどういう立場をと
つておるとかいうようなことだけでは、弁解にならない考え方であると思うのです。かりに百歩を譲
つて連座を置くとしても、英国の例などを見ても、免責
規定が非常にゆるやかであります。従
つて、それをそつくり持
つて来れば、これは今おつしやつたような全然罪にならぬという方に近いということで、結局裏を返せば、罪を犯したことがない者は罪がないのだ、こういう
規定でありますので、私は連座という考え方が根本的の間違いと思うのです。もちろん、
制限以上の金を出して、それによ
つて選挙を行うということも悪いので、それによ
つて犯罪を犯せば悪いことはもとより明らかでありますから、さような者が共同正犯として処罰されるのはけつこうであります。けれども、そういう罪のない者に罪を着せるという考え方でなく、罪があれば罪のある
範囲でなければいけません。
制限を少しでも越えた者は監獄に入れるという
規定をするならば格別ですが、さような考え方は非常によろしくないと考えますので、これは根本的に反対であります。