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吉岡参考人 御指名によりまして御
質問にお答え申し上げます。
その前に本日、
使用の
土地のことにつきまして
委員会に
参考人として御招致いただきましてここにお答えする
機会を得ましたことを厚く御礼申し上げます。
二十三年一月の二十九日にニユーヨークのフオード・モーター・カンパニーから東洋の総
支配人ミスター・リチヤードが来朝されまして、当時の
GHQ経済科学局の
マーカツト代将と御
相談の上に、内地に在留いたします
軍人軍属を除きました
第三国人と並びに
在京者の足、いわゆる
自動車の
供給並びにその部品の
供給、その
修理等の
事項につきまして
協議をいたしましたよしについて、同日それに関する
サービス・ステーシヨンの
設置のことにつきまして
協議会が開かれたのであります。その道程は抜きにいたしまして、その
結論を申し上げたいと思います。
同日御
出席になりましたのは、
経済科学局の
ドクター・ケニー氏、それから
貿易庁長官の永井殿、それから小
瀧通商監殿、それから
使用地を要請いたしました
関係で都を代表されまして
大木副
知事が
出席されました。
当社からは
不肖吉岡と、もう一人重役が出ました。
それから
フオード会社から
ミスター・リチヤードが代表して出たのでございます。
同席上におきましては、
事業の目的について
ミスター・リチヤードから
お話になりましたことに対しまして、
ドクター・ケニーは、この
事業に対しましては、終戦後進駐軍がお
使いになりました車は軍が
供給しておりました。その他は
PXを通じて
供給しておりましたが、これらはただ単に車を提供するというだけで、
日本の
政府に何の利益しておるところがない。しかもその
自動車の
修理をすることについて
専門家がいないので、実は困
つておるのだ、こういう
お話がございました。
経済科学局の御
構想は、その
実務担当として
民間人の
経験者を採用いたしまして、そうして
政府の持
つております
——当時は
ドル資金でございますから、
GHQがたしか管理されてお
つたと思いますが、その
ドル資金をもちまして、外国から移譲される
自動車を輸入いたしまして、それを
貿易庁の
代行機関として任命したいんだ、こういう御説がございました。
同席の方はそれらの
趣旨に
賛成をされまして、同時に
ドクター・ケニーは、この
事業をされますのには、どうしても交通上最も便利なところが必要なんだ、特に
修理その他車を収容するのにどうしても一千坪以上の
土地が入り用だ、しかも皆さんが最も便利だと言われるところに
設置をしなければならぬのだ、こういう御
発言がございまして、都から御
出席の
大木副
知事はこの御
趣旨に
賛成をされまして、
国家に寄与のできることでしたら
都側も一はだ脱ごう、こういう御
賛成の言葉がございました。
事前にその
所要土地につきましても
当社でいろいろ調査をしておりましたが、なかなか適当な
場所がございませんので、その
会議の席上に、たまたま虎の門の小
公園がほとんど使われておらないので、都にも
事前にある程度御了解を得まして、そうしてその席上に出しましたところが、
経済科学局の方も非常に
賛成をされまして、その
土地ならば
許可をしてもいいということになりまして話が進んだのでございます。
そこで
当社といたしましては二月の二十五日に都に対しまして、虎の
門公園の
使用願を申し出たのでございます。都といたしましては、
事業の
公共性を考慮してくださいまして、その
使用はどうもやむを得ないという御
結論に達したようでございます。しかもそれには都といたしましても、都民の
納得の行くような
条件をも
つて許可をしたいんだ、こういう御主張がございまして、それからなお進みまして、それには都として他の
公園の
施設改善に費用がいるんだが、それらに対してもお前の方に貸すかわりに、それらを出してもらいたいという
お話もございまして、
当社といたしましても、
事業は
公共性ではございますけれ
ども、
当社が
使います上に、都のそれらの御
希望に対しましても当然賛意を表さなくちやならないと存じまして、いろいろ折衝いたしましたが、当初はたしか
改善に二千万円くらいほしいという
お話もあ
つたと存じます。御
相談の結果、それに対しまして
当社といたしましても五百万円都に御寄付申し上げるということを申し入れまして、都といたしましてもたしか三月三十日に、虎の門の
使用についてそれらの
条件を付して
都会に御提案くだす
つたと存じます。
次に、四月の三十日に私
どもは
——これをなぜ申し上げるかというと、ESSの方からいつできるか、いつできるかということを、もうほとんど一日おきに
督促がありますので、この
土地の
許可をまずも
つて私
ども専念しておりましたので申し上げるのでありますが、四月の三十日と思いますが、
都会の
決議をもちまして、それらの
条件をも
つて御
許可をいただきました。
次に、五月の一日に
貿易庁と弊社との間に初めて
OASの経営の
実務の
委託契約が締結されました。
OASとは申し上げるまでもございませんが、オーヴアーシーズ・オートモーテイヴ・
サービスをこう
言つておりました。
当社がこの
OASの
実務担当といたしまして、実は最初でございました。
次に五月の十日に
経済科学局のドクター・ケ二ーから強い御支援がございまして、当
サービスは七月一日までに開業を必要とするという旨の通達がございました。これは
経済科学局でもそれらの
施設をするということに決定しておりましたので、一日も急を要するということで重ねて
督促がありましたので、非常に私
どもはその間困
つておりました。そこで議会の
決議によりまして都からは五月二十六日にそれらの
附帯条件をつけまして
使用の
許可がございました。そこで
当社といたしましては、すでに
鹿島組に
建設の
依頼をしておりましたので、さつ
そく当該地域に塀をめぐらしまして起工に着手いたしましたのでございます。
しかるに六月の二日でございますが、
GHQのリペアー・アンド・ユーテイリテイー・セクシヨンの
ギヴンスという
中佐から電話と同時に伝達がございまして、
当該地域に対しまして家屋の
建設はまかりならぬという
中止命令が
参つたのでございます。
当社といたしましてはびつくりいたしまして、とりもあえず、
ギヴンス中佐をおたずね申し上げたところが、あそこの
地域はあれはもうすでに進駐後
接収予定地として
保留に
なつておるのだ、そこへ建築するとは何事だという
お話がございました。そこで
当社が
事業担当をお引受する
いきさつを申し上げまして、どうかかくかくの次第でありますから、
経済科学局にも御照合を願いまして、
使用のできますように願いたいと申しましたところが、それは結局
GHQのG4で取扱う。
当方ではその管理を委託されておるのだから、G4の方に
陳情書を出せという
お話でございまして、それからさつ
そくG4のチーフのイースト・ウツドをたずねまして、
いきさつを申し上げまして、いかがしたらいいかということを御
相談申し上げましたところが、あそこは満
鉄ビル——満
鉄ビルは
アパートであるから、その
隣接地域に
建物を建てるということはよほどのことでなくてはできないのだ。一体どういうものをつくるのだということの
お話がございまして、これは実は
経済科学局からかくかくの御
依頼がありまして、こういう
建物をつくりたいのだと申しましたところが、それはおれの方もつくることは
考えてお
つたことなんだ。それであの
地域は満鉄の
アパートにも隣接しておるのだから、やはり
日本人の復興の力として
りつぱなものをつくつてもらわなくてはならない——これは口頭でございましたが、
毎日マツカーサーの通るところでもあるし、それから利便にほんとうに適当な
近代施設ができるかどうかということを重ねて御
質問がございました。それで御
許可がありますれば、もちろんかくかくのものをつくるということを申し上げましたところが、そういうようなものが望ましいということで、それでは
当方で
審議するが、結局
接収の
解除は都から
ペテイシヨンが出なくてはならぬからという
お話でございました。それからさつ
そく、都へ
お話をいたしまして、その
ペテイシヨンを出していただくようにお願い申し上げました。