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伊關政府委員 ただいまお配りいたしました
書類につきまして御
説明申し上げます。従来はいつも
件数につきまして御
説明をいたしておりましたが、今回は
面積を
はつきりここに出したのであります。これは昨年の一月一日と、それから第二表が
講和発効の際四月二十九日、それから本年の一月末、こういうふうに
三つの表にできております。それでどういうふうにかわ
つておるかということはこの
三つでも
つてわかるわけでございまして、なぜ昨年の一月一日をとりましたかと申しますと、大体昨年の一月一日から
戦争終結の準備が始まりまして、そのころから
施設の
返還が始ま
つておりますので、そこを起点にいたしたのであります。
件数で申しますと、当時一千二百十二件ありましたものが、ただいまは七百三十三件というふうに減
つております。この七百三十三件のうちで一時
使用と無
期限使用が半々ぐらいに
なつております。そのほかに
個人住宅が一番
最後に書いてございますが、これは昨年一月に二千くらいございましたものが、ただいまは四百三十くらいに
なつておりまして、これは三月末日、二、三の
例外を残しまして、全部解除になるわけでございます。
それから
最後の第三表をごらん願います。ここにAが
兵舎、Bが
集団住宅、
C飛行場というふうに
なつております。これを御
説明申し上げますと、
兵舎と申しますのは
兵舎並びに
事務所等も含まれておるわけでございます。それで昨年一月の五百七十九から二百二十、これが非常に減
つておりますのは、各地に小さい
事務所等がありましたのが、ずつと大きい
兵舎にまとまつたわけでございまして、これが非常に数が減
つております。
兵舎だけでなくて
事務所を含んでおるということを申し上げておきます。
それから
飛行場が四十四ございますが、大体どこにどういうものがあるかということを申し上げますと、
北海道で千歳の
飛行場が一番大きいのであります。それから八雲というところに
補助飛行場がございます。稚内に小さな
滑走路がございます。それから最近できました計根別、美幌という
飛行場がございます。東北に参りますと
三沢に一番大きな
飛行場がございます。仙台に
霞目飛行場、
矢目飛行場、これは小さい
飛行場であります。新潟にかなり
りつぱな飛行場がございます。
関東に参りまして
立川、横田、入間川、この
三つが
関東で大きな
飛行場であります。そのほかに
補助飛行場といたしまして、白井、太田あるいは木更津がございます。それから厚木の
飛行場、これは
海軍が
使つております。それから
浜松にも
補助飛行場がございます。中部に参りますと、
名古屋の北に
小牧飛行場、近畿では
伊丹の
飛行場がおもなものでありまして、あとは阪神とか甲子園とかいうところに
補助飛行場がございます。それから中国では美保に
一つ、岩国の
飛行場、山口の防府に
補助飛行場がございます。九州では板付、雁、芦屋、九会この四つが大きな
飛行場でありまして
補助飛行場といたしましては大分、曽根あるいは宮崎、これだけございます。
飛行場の
面積を申しますと、
三沢の
飛行場というのは非常に大きくて一千三百坪くらいございます。
それから
港湾施設が現在三十と
なつておりますが、これは無
期限のものが十五件、一時
使用のものが十五件、半たに
なつております。この中でおもなものは
横浜の
北埠頭がございます。それから
神戸の第六突堤、こういうものが無
期限使用の一番おもなものであります。その他は小さいものでありまして、大湊に
一つございます。それから
横須賀の隣の
九里浜に小さなのが二つ、
横須賀の
海軍の
施設のそばに
一つございます。それから呉のはしけのとまるところがあります。あるいは江田島に
一つ、博多に
救難艇用のもの
一つ、
門司港の一部、佐世保の港が無
期限使用に
なつております。一時
使用といたしましては
東京港のさん橋あるいは
横浜の一番いいさん橋、あるいは
横須賀にも一時
使用が
三つございます。それから
神戸では第五
埠頭をまだ一部
使つております。それから
神戸の高浜さん橋、これは
倉庫の方を
使つております。それから若松の港の一部あるいは
門司の税関の建物の一部を
使つております。
演習場は非常に
面積が広く
なつております。全体の
面積が
土地につきましては約十万
町歩ございますが、そのうちのほとんど三分の二は
演習場に
なつておりまして、これは
占領当時から見ましても、ひとつも減
つておりません。ほとんど変化がない
状況であります。
演習場のおもなものを申し上げますと、
北海道にありますのが一万五千
町歩、富士のすそ野が三万二千
町歩くらいに
なつております。そのほか青森県の関根の
演習場、あるいは宮城県の王城寺の
演習場がおもなものでございます。アメリカで申しますと、大体一個師団の
演習場は四万
町歩くらいのものを
向うでは
使つております。
その他工場、
倉庫、
医療施設、
通信施設——通信施設は、この数では減
つておりますけれども、小さなものが入りまして、むしろ最近新たに提供いたしておりますのは、ほとんど
通信施設でありまして、これは逐次充実されて行くという傾向にあります。その他の
施設と申しますのは、モーター・プールあるいは石炭の置場だとか
消防施設、そういうものであります。
それから約五百件ほどのものが
返還に
なつておるわけでありますが、
返還になりましたおもなものを申し上げますと、
関東では第一
相互ビル、帝国ホテル、
丸の内ホテル、
内外ビル、銀座の松屋、白木屋、
東京会館、
如水会館、
服部ビル、
野村ビル、
日本青年会館、
島津ビル、住友、偕行社、
中央市場等、
東京ではこうしたものがおもなものでありまして、京都、大阪は二、三の
例外を除きまして、ほとんど全部
返還に
なつております。
神戸がまだ多少残
つておりますが、この方も大体この秋ぐらいには全部目鼻がつくと思
つております。一番遅れておりますのが
横浜地区でありまして、これは一応来
年度にずれるのではないかと見られております。
大体以上でございます。