○高岡
委員 私は
政府当局にお伺いする前に、一言これは
委員長に申し上げておきたいのでありますが、過般の本会議において、同じ外務
委員である大橋
委員が、これも同じ外務
委員である
中村委員に対しての言葉であります。私も大橋
委員が指摘されたような同じ追放者であります。追放者が何かそういうことを話をすると、なまいきなような出過ぎたとでもいうか、そうい
つたような言葉使いでこれを扱われたのでありますが、はなはだ私は遺憾であります。大橋さんの経歴そのものは、私はよく存じませんけれ
ども、想像するに、官吏でおありだ
つたと思う。官吏であれば戦時中は確かに戦争に
協力された方である。終戦後大臣にまでなられた方だから、相当優秀でゑ
つて、むしろ人一倍戦争に
協力された方だと思う。ただその当時位が下で追放にならなか
つたというだけなのであ
つて、追放者の
中村がいまさらそんなことを言う資森があるかというようなことをおつしやることは、はなはだ私は遺憾に思うので、きようは
本人がいらつしやらないし、いずれ速記録を見て、ひとつこの問題は提起したいと思います。
私は今政務次官に
お尋ねいたしたいのでありますが、これは政務次官でなく
外務大臣の代理としてひとつお聞き取りを願いたい。それはさつき
ちよつとお言葉のうちにありましたが、インド大使の西山さんの話が出ました。これは話はまるで違うのでありますが、西山さんはインドにある
日本人の在外資産の一部を日印の文化促進のために、友好促進のために、これを使いたいというような御意向があり、それには今インドで総理大臣をしておりますネール氏が、そうい
つたような意向を持
つておられるというようなことを聞いておるのでありますが、これはまことにけつこうなことだと私は思います。ぜひそういうような取運びがで当るものであれば、そうした御処置といいますか、そうした方針をと
つていただきたいと思うのであります。そもそも吉田総理大臣も、
外務大臣も、口を開けば東亜の善隣友好であるとか、いろいろのことをおつしやるけれ
ども、一体口だけでおつしや
つたところで、何もなさらなければそれは結局ゼロはゼロなのであります。そこで一体、どういう形で善隣友好をやるかという問題であります。しかるに私は久しぶりに議会へ出て参りましので、この数箇月の間というものは、ま
つたくの陣がさの端つばで、俗に言うつんぼさじきにお
つたものですから、よくわかりませんが、
予算書その他を見ておりますと、まことに
外務省の
予算というものが、驚くべきほど少いのであります。しかもそのうちのそうい
つた面に対する
経費がまことに微々たるもので、私からいえばなきにひとしいような数字であります。こんなことで一体これが
外務省だということが言えるか言えるかというような
感じが私はする。そもそも昔は海外に対する貿易でありますとか、その他一切のものは悪いことだが、うしろに星かないしはいかりが光
つてお
つた。またこの光の前にちらついてお
つたのが、
外務省の今までの行き方だ
つた。これがいけないのだ。今度はそうした星やいかりではなくて、
外務省が一番のバツクボーンとな
つての海外のいわゆる発展といいましようか、そうしたことをやらなくちやいけない。その方々が口では善隣友好をおつしやるが、から手でこれをやろうという。平和というものはそう安くあがなわれるものではないのです。ある
意味においては、私は人間の血を計算に入れない限りにおいては、戦争よりもむしろ平和を維持する方が金がかかると思うのです。ただ平和は人間の血を使わない。われわれは戦争を非常に忌避したりするのでありますけれ
ども、金の面からいえば、戦争と同じほどの金を使わなければならぬことであります。過般来フリゲートをどうこうというようなことでしたが、あれを維持するにも相当金がかかりましようけれ
ども、フリゲート
一つで沿岸警備はできないのです。すなわち
外務省のそうした善隣友好の手段といいますか、いろいろのことをや
つて行くところに、初めて
日本の沿岸警備ができ、
日本が守られるのであ
つて、ただその方は
アメリカから借りて来たからそれでいい、片一方はどうせ
外務大臣が言えば、ないしは総理大臣が本会議で言えば、
外国の
新聞記者がこれを
外国へ報道するだろう、そうすれば
向うでもこつちの気心がわかるだろうとい
つたような、そんな安つぽい
考えで、私は善隣友好はできないと思う。か
つて日本は第一次欧洲大戦直後、海外貿易の乱脈に
なつたときは、何とかこれを調整しなければならないというので、全世界に、たしか十八箇所と思うのでありますが、一番大きな機構が商品館、その次の機構が貿易あつせん所ないしは商品陳列館、そうい
つたようなものを各国のあちこちに置きまして、そうして
日本の海外貿易の調整をやり、
日本の経済の発展を計画したことがあります。それと同時に、その当時は相当民間
団体というものはそれぞれできてお
つて、両国間の親善に寄与して参
つたのであります。その当時貿易の方は当時の商工省がや
つておりましたし、それから文化
団体の方は
外務省が相当力を入れてお
つたのでありますが、さてこのごろの
外務省を見ますと、一向どうもや
つていらつしやらない。なるほど今までは
占領治下であ
つたから、
外務省としてはそういう手が打てなか
つたかもしれませんが、独立した今日においては、
外務省本然の姿に返
つていただきたい。むしろわれわれが平関家をこれから打
つて出ようというときに、か
つての軍部のあ
つた当時の
外務省の力より以上の力がここに発揮されませんければ、海外との平和提携というものができない、善隣友好はできない、こう
考えるのです。それにこのごろよく世間の人から向米一辺倒と言われる吉田外交なるものは、事実において東南アジア諸国にそうした手を打たないから言われるのであ
つて、いかに
アメリカにわれわれが親しみを持
つておりましても、東南アジア諸国、すなわち東亜全体に向
つて、より以上大きな手を打
つておれば、向米一辺倒ではない、これは比重の問題なのである。そこで世間の人が言うように、向米一辺倒ということがよいか悪いか、これはおのおのその主観によ
つて違いましようから、あえて申し上げませんが、一方において総理大臣は、確かに本会議でも
予算委員会でも、また
外務大臣も同じように、東南アジアの善隣友好ということを言
つておられる。それからもう
一つは、東南アジアの経済開発ということをまた言
つておられるのでありますが、これもこの前も私はこの
委員会で申し上げたように、この言葉が非常に悪い。これは先様から言わせると、
日本の経済侵略、経済進出という言葉に受取れる、こういう問題から見ましても、現地にいわゆる文化センターとでもいいましようか、そうした民間
団体がありますと、それがいろいろの
情報を集め、いろいろ先様の希望を開いて、そうしてそのところでじつと
経過を見て、
大使館といいましようか、大使がじつとその民間の進み方を見てお
つて、悪いものはこれは断ればよい。よいものはこれを取上げて、両国間のいわゆる国交問題にする。最初から大将と大将がぶつか
つたのでは取引になりませんから、一応地ならしとでもいいましようか、それを民間
団体にやらせる、こういうものを海外にどんどん置きませんと、今後の
日本の善隣友好というものはできないと私は
考える。この点を十分ひとつお
考えになりますと同時に、昭和二十八年度の
予算には、
日本が真に平和をこいねがうものならば、この
経費は惜しみなく、ひとつ大蔵大臣に迫
つていただきたい。もしもこれがおできにならないくらいならば、私は
外務大臣の不信任案を出すかもしれません。これはあえて脅迫ではありません。これは本気にな
つて私は
外務大臣にこの問題を建言しなければならぬ。この
意味におきまして、
外務省の今後のいわゆる善隣友好の手段というものは、どういう形でお進めになるのか、私が今申し上げましたような形でお進めになるのか、その辺を一応お聞きしまして、その上でまた重ねて
質問させていただきます。