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畑中参考人 ただいまの問題は、前半におきましては
配船の問題と関連しておりまして、実は、私が
配船の
委員会に
関係しまして、
配船の問題をもつばら担当しておりました
関係上、私から御答弁を申し上げます。
実は、中山さんが言われました三
団体乗船の問題の発端と申しますか、これは、いろいろな諸問題につきまして、われわれの
意見を具体的に提出することをわれわれで決定いたしまして、そうして
配船の問題であるとか、
帰国者の範囲の問題とか、あるいは経済の問題などを十分に討論いたしまして、われわれの要求するところを文書にして一応
中国側に提示したのでございます。その
配船の問題の中で、こういうことをわれわれは
最初に
中国側に申し入れました。
日本政府は、その機関である引揚援護庁から
日本人の帰還手続を
援助する職員若干名を
乗船させ、
日本土陸後の諸手続の説明並びに復員手続の一部を行わせたい希望を持
つている、なお法務省から入国審査官若干名を
乗船させ、出入国管理令に基く
帰国査証を行いたい希望を持
つておるのであるということを、実は文書をも
つて向うに申し入れた。これに対する回答は、第二回の
正式会談におきまして、
中国側は、
中国領海に出入する
日本船舶のために特に設けた規則、この規則を廖
団長から逐条説明する段にあたりまして
——その第八条にはこういうことが書いてあります。
日本側船舶はわが国の事前の許可なくしてはいかなる旅客も
乗船させることはできないということが書いてあるのであります。これを説明するときにあたりまして、わが方からさきに提出したところのその資料、つまり帰還手続等のための援護庁職員、あるいは法務省から入国審査官を、
日本人であるというただそのことを確認するために乗せたいという希望を持つおるというわれわれの申入れに対しまして、この第八条の関連事項として言及し、諸君の方からすでに、
日本政府からこのような希望があるという申入れを受けておるが、われわれは、今日の日中両国の
関係において、
日本政府の職員が
中国の領海に船に乗
つて入るというがごときことは想像だにすることもできない、
——そのときの廖
団長の顔色はすでに相当緊張してお
つたと私は思うのであります。想像だにすることもできない、こういうように廖
団長は
言つたのでございます。そこで私は、それでは
政府の職員についての貴方の
意見はそれでよくわか
つた、それならば、われわれ三
団体の代表がここに
交渉に来ておる、その三
団体の
代表者がやはり船に乗
つて中国の港に入
つて来るということについてはいかなる
意見を持たれるかということを、
参考のために私は即座に実は
質問をいたしました。そうして私は、その前にこういうことを言
つた。このお答えは実は今お聞きしなくてもよろしい。なお御討議の上でお聞きしてもさしつかえはございませんがということを私は前置きした。しかしながら廖
団長は即座に、それは皆さんと一緒にこうして
会議を開いておるのだ、皆さんと
配船その他の問題を討議しておるのだから、皆さんの代表が
中国の領海においでになるということに何の異存もないということを即座に答えたのであります。そのときは、それをも
つてこの問題は終りました。ところが、その後実際に、
日本の船が入
つて来て
日本に
帰国する者をどういうふうにして乗せて行くかというような技術的な問題をいろいろ研究討議する過程の中において、
中国側は、どうしても三
団体の
代表者が来てもらわなければならないと信ずるに至
つたものだと、私は
考えておるのであります。というのは、この問題の次の回から、いわゆる乗客者名簿をどういうようにしてつくるかという技術的な問題の討議に入りました。そのときに、すでに出入国管理の特別規則にもありますように、
日本の
船員は上陸することができない、上陸しないで、さてどうして
帰国者の
人たちの名簿を作成するかというような技術的問題から始ま
つて、どうして船に順調に乗せる作業ができるだろうかという研究を、そのときに
中国側で始めたものと思うのであります。そのときに、
中国側では、どうしてもこれは三
団体の代表に来てもら
つて、そしてこの人に上陸してもら
つて、
日本に帰る
邦人に会
つて、そしてその
人たちの身元など、よく資料をつかんで船に
帰つて、船長が乗客名簿をつくるという、この手続をとる以外に道はないと
中国側は断定したものと私は想像しておるのであります。その結果、第四回の最終回に至りまして、
中国側はこの諸手続きを詳細にわれわれに示しました。つまり
中国側は、
日本人を何か一まとめにしてこれを
日本側にすぽつと引渡すというような
考え方は全然とらない。
——中国側では、
日本人が抑留者というものではないという観念に立
つております。自由に
帰国をする、自由に申し出て自由に
帰国をする、そういう
人たちであるから、それを何か
中国の機関が一まとめにして、そしてそれの書類を一括してつく
つて、それをすぽつと
日本側に渡すというような
考え方は正しくないという見地に立
つておりますので、
中国側が乗客名簿をつくるということはその原則に反する。しかしながら、そうかとい
つて、
日本側が
乗船名簿をつくるのに何か手伝いをしてやらなければいかぬということから、
日本人の
帰国者がだんたん港に入りますと、その
人たちが宿泊する一つの施設を港につくりまして、そこで
中国紅十字会と、それから
日本船舶のエージエンシーである
中国外国船代理公司というものがお世話をして、そして姓名と年齢と性と原籍地と現住所、それから
中国に来る前の住所を書く表をそこでみなに渡しまして、それに記入させる。そこで三
団体の人が上陸して来まして、その紙きれをみなから集めるわけであります。その集めるところの
仕事は、もちろん好意的に
向う側が助けてくれる。そしてその紙きれを持
つて船に来て、船長に渡して、船長がここで初めて
乗船者の名簿をつくるという手続を明確に規定したのであります。
従つて、
中国側が
最初に三
団体が
乗船してもさしつかえないということを
言つたのは、今申しましたように、
日本政府の職員が乗ることは想像だにできないということを
向うが言
つたとたんに、私がぱつと
質問したとき、それはもちろんかまわないと言
つたけれ
ども、そのときには、どういうぐあいに
乗船して、どういうぐあいに
日本人を送り出して行くかという諸手続については、まだ
中国側は十分に検討してなか
つたと私は想像しておる。その後、今言うような過程を通じて、どうしても三
団体が乗らなければならぬという結論に
向うは達したものと思うのであります。
従つてこれは、中山さんのお
言葉によりますと、何か私のえらい尽力によ
つてな
つたようでございますが、それならばまことに私は光栄でございますけれ
ども、なかなか私のごとき者でそういう大きな問題を動かすということは容易ではないのであります。また阿部さんの方に、この三
団体が乗る
計画は続行しろ、いいニュースが来るだろうというようなことの書信があ
つたとのことでございますが、これは確かに打ちました。しかしそれは、こちらの方で三
団体を乗せるという問題について今
政府と全力をあげて
交渉中であるということの電報をわれわれが受取
つておるのでございます。そのことにつきましては、私は賛意を表しました。国内連絡事務所において諸般の情勢を検討してそういう運動をしておられるということはいいことだと私は信じたのであります。だから、それはお続けなさい、そしてそのような努力を続けるならば、必ずや天は助けるであろう、必ずグッド・ニユースがメイ・エキスペクト
——かもしれないということを申し上げたのであります。ユー・メイ・エキスぺクト・グッド・ニュース
——あなたにそういういいニュースが来るかもしれないと私は申し上げておるのであ
つて、けさの一
新聞では、私が何かや
つて、そういうことにな
つたというような話でございますけれ
ども、決してそんななまやさしいものではございません。その点は十分御了察を願
つておきます。
それから、なおこれは、中山さんの
お話では、
中国一辺倒で、何でもかんでも
向うのおつしやることを聞いて来たので、お前たちは高い国費でも
つて行かなくともよか
つたではないか、こういうようなことをおつしやいましたけれ
ども、実はわれわれ三
団体が
行つて、
日本国民のいろいろな意思をよく伝えるためのいわゆる準備段階というものが十五日間、この十五日間の準備段階はまことに
日本の人にはもどかしか
つたでございましよう。その現われは、何かモスクワの方に入
つたというような説にまでな
つて、そのもどかしさは極に達したようでございますけれ
ども、その準備段階というのは実に重大な段階であります。
日本の
国民はこういうぐあいに
考えておる、
中国の
国民はこういうぐあいに
考えておるというので、非公式の
会談でお互いに
意見を交換して行く間に、
最後の第四回の
正式会談への基礎
交渉ができたのであります。われわれの意向はこうだと、資料をつく
つて十分に
意見を出す。非公式
会談で十分に
意見を述べ、この
意見を基礎にし、
参考にし、あるいは、ある場合にはそれを無視したものもありますけれ
ども、とにかくわれわれ側の
意見も十分に出さして、それを取入れながら
中国側で対案を出している。
中国側で対案を出して来たときには、必ずその前にわれわれの
意見を提出している。
最後のコミユニケの問題でもそうでありますが、
中国側は、
最初共同コミユニケというようなものは出したくないというような非公式的な
意見を連絡して参りました。というのは、お互い両側でそれぞれ大体似たようなステートメントを出せばいいじやないかというような非公式の
意見を
向うから伝達して来た。これに対して、われわれは、それはいけない、われわれはあくまで共同コミユニケということで、ここに完全に
意見が一致したという形式をとらなければ、われわれは
日本国民に対して
責任が果せないということを
主張いたしましたところ、
中国側でも了承したということで、共同コミユニケ案ができたのであります。しかも、あの共同コミユニケ案は、案をつくるより前に、われわれの方でさらに資料をたくさん出しておりまして、それを十分に取入れながらつく
つているのでありまして、
中国の言うなりに、
中国一辺倒になるというようなことでは決してないのであります。これはわれわれがなお十分に皆さんに御説明する機会がなか
つたので、あるいは中山さんのような賢明の方も誤解されているのじやないかと私は感じますので、
一言説明を申し上げた次第でございます。