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委員外衆議院議員(
芦田均君)
現行の
憲法第九條がどういうふうにしてでき
上つたかという
経過を一言述べることが適当かと思うのです。従来その
経過について発表されたものはほとんどありません。
従つて、いかなる
理由でこういう
條文ができ
上つたかという
経過を知ることが、むしろ困難なような状態だ
つたと思います。御
承知のように、現在の
憲法が起案されるときにどういう径路をたど
つたかという問題は、いろいろ坊間に伝えられておりますが、公に発表された文書としては、ここに私持
つて来ましたが、最近に
連合軍総
司令部が発表した
報告書、ポリテイカル・リオリエンテーシヨン・オブ・ジヤパンというものが出まして、その中に、当時
憲法の問題に関連して職務をと
つてお
つたハツシーというのが、
日本憲法の成立に至るまでの
経過を書いております。
従つてこの
報告は相当権威あるものと見てさしつかえないと思うが、その
報告を見ても、
日本政府の用意してお
つた案と、総
司令部が
日本政府に示唆した案との両案についての
交渉の
経過は、ほとんど略して、書いておりません。でありますから、この
報告を見ても、
連合軍総
司令部の案を
受取つて、それが幣原
内閣において一定の
草案につくり上げられたというその
経過は、実は不明なのであります。その
経過は、
松本国務大臣が当時
憲法草案の
担任者でありましたから、多少
記録を持
つておられると思います。私
自身、当時幣原
内閣の一閣僚として、閣議その他において知り得たる事実は、大体の
経過を筆記して持
つております。この両人の
記録をつなぎ合してまとめることが、
唯一の可能な
方法であると
考えておりますが、諸般の
関係上、まだそこまで照し合せて突き詰めた
記録はつく
つておりません。きようはきわめて簡単にその
経過を述べたいと思います。
この総
司令部の
報告を見てわかるように、
日本の
憲法改正の問題が
最初に論じられたのは、
昭和二十年の九月、
東久邇内閣のときに、
国務大臣であ
つた近衛公と
外交顧問官で来てお
つたアチソンとの間に、
憲法の修正についての話合いが行われて、
アチソン大使から
近衛公に対して、
憲法改正の
中心となるべき問題を、ABCからJKに至る箇條にして渡したということが出ております。おそらくこの書類は、
近衛さんの
手元には残
つていないのではないかということをおそれるのですが、
アメリカ側では
はつきりそういうふうに項目を書いて載せております。それから幣原
内閣が成立したときに、
マツカーサーから、
憲法の
改正を至急考慮すべきであるということを
交渉しております。そのこともここに書いております。そうして
連合軍総
司令部においては、
昭和二十一年の二月十日に、一応
日本憲法の
草案として示すべきものを完成した、そうして十二日に
マツカーサーの承認を得て、印刷をして、十三日に
外務大臣官邸において、ゼネラル・ホイツトニー、ケージスそれから
ハツシー、
ローエル、これだけの者が
松本国務大臣並びに
吉田外務大臣に
会つて、そうして申し渡したことは、従来
日本政府から提出されてお
つた松本案なるものが全然承諾しがたきものであるということを通告したのであります。これは私
どもの聞いておることと、
連合軍総
司令部の
報告とは全然一致しておりますから、間違いはありません。爾来いろいろ総
司令部と幣原
内閣との間に折衝をしまして
両院制度と
一院制度の問題については
日本政府側の主張が貫徹をして、
現行憲法のごとき形によ
つて両院制度を認めることにな
つたのであります。それ以外の点においては、いわゆる松本案なるものの認められたものはきわめてわずかであります。
従つて吉田内閣から議会に提案したる
憲法草案は、大
部分連合軍総
司令部より
日本政府に示唆された案がそのまま法文とな
つてできたのであります。
松本国務大臣が
連合軍総
司令部側との
交渉の中途に話された
言葉を引用いたしますが、二月十三日の
外相官邸の
会見において、
ホイツトニー將軍は次のような趣意を述べた、
日本側の案は全然受諾不能である。アンアクセプタブルである、よ
つて別案をスキヤツプにおいて作成した、この案は
連合国側でも、
マツカーサーも承認しておる、もつともこの案を
日本に強制するという
意味ではない、
日本国民がその要望する案であると
考えるのである、
マツカーサーは
日本天皇を支持するものであ
つて、この案は
天皇反対者から
天皇を護持する
唯一の
方法である、
日本の
憲法は現在よりも左に移行するのがよいのである、
日本国民が
政治意識を得るようになれば、必ずこの案に到達するに違いない、
日本はこれによ
つて初めて
国際社会に進出することができるだろう、こういう
意味を
日本側に言
つて聞かした趣であります。そうしてできるならば、二月二十日までに
連合軍総
司令部の示唆したる方針を
日本政府において受諾するやいなやを回答してもらいたい、もし受諾できないということならば、総
司令部は自分のつく
つた案を
新聞に公表して、これに対する
日本国民の輿論に問うという決心をしておる、こういうことを言
つて来たのであります。そこで二月二十一日に幣原
総理大臣は
マツカーサーに
会見して、三時間にわたる
意見の交換を行
つた。これは時の
総理大臣幣原男爵より私
自身聞いて書きとめたものでありますから、大体間違いはないと
考えます。そのときに
マツカーサーが力説したのは、
主権在民という
原則と
戰争放棄という
原則、この二つの
原則が
日本の新
憲法としては最も重要なものだという
意味を述べまして、
戰争放棄並びに国防の問題については、種々幣原
総理大臣に
意見を述べたようであります。その
会見の結果、幣原
内閣は
原則として総
司令部側の示唆する
憲法草案を受諾する
決意をいたしまして、翌二十二日の午後二時に、
松本国務大臣は
吉田外務大臣と同道してGHQにその回答をもたらして
行つたのであります。
そういうこまかいことは省きますが、
政府案の
憲法第九條は、幣原
内閣においてマッカーサー
司令部の示唆する案に基いてつく
つたものでありまして、この原案は、ほぼ先方の案と字句も一致しております。その
憲法原案が審議されました当時、私は
衆議院の
憲法委員長の職を汚しておりました。その際に私の発意によ
つて、主として二つの修正を提案して、いれられたのであります。それは第九條の初めに「
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」という
文字を入れたこと——原案は、「国の
主権の発動たる
戰争と、武力による威嚇又は武力の行使は、」云々と、こう書いてありまして、いかにもぶしつけにできてお
つたのですが、それに対して、「
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」云々と入れることを提議して、それから第二項は、原案によれば、「陸海空軍その他の
戦力は、これを保持してはならない。」と書いてある。それに対して、「前項の
目的を達するため、」という
文字の挿入を提案したのであります。その提案はどういう気持でなされたかということを、一口つけ加えて申しておきます。第一項に対する初めの
文字は、
日本国民は国際平和を熱心に求めておるには相違ない、しかしその平和たるや、正義と秩序を基調とする国際平和であることが必要である、どんな平和でもわれわれは甘んじて受けるという趣旨ではないのだ、われわれ
日本国民が受諾し得る国際平和は、正義と秩序を基調とした平和でなくちやならぬということを
はつきりしておきたいという趣意にほかならぬのでありまして、そのことは、多少第一項及び第二項の適用の場合に、ある種の
意味を持つと
考えたわけであります。それから第二項に修正を加えたことは、あとにもう少し詳しく申し上げますが、原案がどういうところから
戰争放棄の精神をここに書いてあるかという、その沿革的な問題になりますと、御
承知のように一九二八年にパリで調印されたる不戰條約というものがありまして、そのときは、
日本を加えて英、米、独、仏等十五箇国が不戰條約に調印をしたのであります。その不戦條約の第
一條を読んでみると、
憲法第九條の第一項の
規定とほとんど同じ
文字を使
つております。ただ違うのは、不戦條約においては、国権の発動たる
戰争という前に、国際紛争を解決する
手段としての
戦争ということを先に書いておる。不戦條約第
一條には、「締約国ハ、
国際紛争解決ノ為
戦争二訴フルコトヲ非トシ、」と書き出しておる。第九條の方は、「国権の発動たる
戰争と、武力による威嚇又は武力の行使」という字を先に書いて、「国際紛争を解決する
手段としては、永久にこれを放棄する。」と書いておる。しかしその
文字の
意味は、私の解するところによれば、ほとんど差異はないと思います。この不戦條約が調印されたとき、
関係国の間の交換公文が発表されておりまして、その交換公文の趣意によると、
自衛権並びに
自衛戰争の問題はきわめて明瞭に当時から
規定されておるのであります。
フランスも、ドイツも、
日本も、イギリスも、ポーランドも、皆
戦争放棄が何を
意味するかということの
解釈を公文で発表しております。その趣意はきわめて簡単でありまして、この條約にいう
戦争の放棄とは、
自衛戦争を放棄するという
意味ではないということを
はつきり言
つておる。
フランスの交換公文の中にも、ここでいう
戦争の否認とは、調印国から正当なる防衛権を剥奪するものではないと言
つております。それから、当時の不戦條約の発案者であ
つたアメリカ国務長官のケロツグが言
つた言葉に、
国家の
自衛権は委譲すべからざるものとみなすということを言
つておる。それでありますから、不戦條約は
侵略戦争を放棄するという趣意でできた條約であ
つて、
自衛のための
戰争を放棄する趣意でないということは、当時の各国の間の定説でありました。これに反対の意向はどこにも現われておりません。
従つて日本国
憲法第九條の趣意は、沿革的に見ても、
文字の上から見ても、不戦條約の趣意をそのまま採用したものであ
つて、
自衛戦争を否認したものでないということは明らかだと思う。ただ第二項にいきなり「陸海空軍その他の
戰力は、これを保持しない。」と書いてあると、
自衛戰争を認めておるとはい
つても、
方法がないということになります。おそらく
連合軍総
司令部は、
自衛戰争の場合といえ
ども、
日本には陸海空軍を持たせないのだという趣意で、かような
條文を示唆したことかとも想像されるのでありますが、このままでは何らのゆとりがないことにな
つてしまう。当時この修正案を提案した私の趣意は——前項の
目的を達するためという
言葉は、いかにもあいまいであ
つて、どちらにでもとれる
言葉であるに違いありません。非常にこれが明確な
言葉だとは、私
自身も
考えていなか
つたのであるし、今でも明々白々一点の疑いをいれないような文句であるとは
考えておりません。しかしながらこれを明確に説明すると、
憲法委員会においてかような修正を加えることが許される見込みはなか
つた。諸般の
情勢から見て、とうていかような修正案を
憲法委員会に出すことを認められるような
可能性はなか
つた。
従つて私がこの修正案を出したときには、委員会においても何らの説明を行わなか
つた。
速記録をごらんくだす
つても、私は一言も説明を加えておりません。幸いにして質問もなか
つたので、これに答える必要もなか
つたわけです。
従つて、前項の
目的を達するためという修正を加えることによ
つて——前項というのは申すまでもなく第一項のことであります。その第一項には「国権の発動たる
戰争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する
手段としては、永久にこれを放棄する。」と書いておるのでありますから、国際紛争の解決の
手段としての
戦争と武力行使を放棄しておる。これが第一項であります。そこで
憲法が
軍備を保持しないというのは、第一項に
規定されたる国際紛争を解決する
手段としての
戦争と、武力行使を放棄するという
目的を達するためであり、その他の
目的のためであれば、
軍備を維持してもさしつかえない、
自衛というのは
侵略に抵抗して自分を守るということであるから、国際紛争を解決するためではない、
従つて自衛のためであれば
軍備を保持してもさしつかえない、
憲法はそれを禁止するものにあらず、かように
解釈する余地を残すために修正の文句を入れたのでありまして、その
意見は、当時きわめて少数であ
つたと思います。が、
憲法審議が終
つた直後、
昭和二十一年の十月に、「新
憲法解釈」というささやかなるパンフレツトを発行しまして、その中に自分の
意見だけは
はつきり書いて、世の中に出したのであります。その三十六ページに書いておいたことは、第九條の
規定が
戦争と武力行使——武力による威嚇を放棄したことは、国際紛争の解決
手段たる場合であ
つて、実際の場合に適用すれば、
侵略戰争ということになる。
従つて自衛のための
戰争と武力行使は、この條項によ
つて放棄せられたものではない。また
侵略に対して
制裁を加える場合の
戦争も、この
條文の適用以外である。これらの場合には
戰争そのものが国際法の上から
適法と見られておるのであり、一九二八年の不戰條約でも、
国際連合憲章においても、明白にこのことを
規定しておるのであるということを書いておきました。
国際連合憲章のことを引きましたのは、
憲法審議のときに、私が当時の
政府に質問をして言
つた中の
一つの箇條として、
国際連合憲章は共同防衛を建前にしておるではないか、もし
日本憲法が
自衛のためにも、防禦のためにも、武力を持つことができないということであれば、
国際連合に参加する資格は備えておらぬ、武力を持たずして
国際連合に参加を求めるということは不可能である、それはどうするつもりだということを私は
政府に聞いたのでありまして、そのことは
速記録に残
つております。それでありますから、自分の
意見は、
日本が
国際連合に将来参加しようと思うならば、どうしても
国際連合参加国の当然の義務である武装兵力の提供をしなくてはならぬ、その提供すべき武装兵力を持たずして国連に参加することを求めるのは、矛盾撞着のはなはだしいものである。こういうことは、
憲法創定の当時から主張して来たのでありまして、その点は、今日においても
意見はちつともかわ
つておりません。それでありますから、この修正案によ
つて事態が非常に明白にな
つたとは私は申しません。非常にあいまいな修正であ
つて、それならばこそ、第二項の「前項の
目的を達するため、」という
文字の
解釈については、学者の間にいろいろ説がわかれておる。京都の佐々木惣一郎博士だけは、以上述べました私の
意見に同
意見でありますが、多くの学者は私の言うような主張には賛意を表しておられません。今も
つて少数
意見であると思いまするが、そういう事情から言いますと、必ずしも最近にな
つて、
自衛のために武力行使をすることは
憲法違反にあらずという新しい説を自分が発見したのではなく、
憲法草案の審議当時からかような
意見を持
つてお
つたということは、種々の文献によ
つて立証することができるのであります。そういう
経過で、この
規定ができ
上つたわけであります。
それで、もう
一つ問題は、
予備隊、海上保安隊が
戰力なりやいなやという問題であります。軍隊と
警察との区別については、すでに多くの学者、專門家から委員会で御
意見を述べられたことと思いますから、そういう点を繰返して申し上げることは必要ないと思いますが、現在
日本が持
つておる
警察予備隊と海上保安隊に一番似た外国の制度は何であるか、それはソビエトの内務省が管轄しておる武力、昔はゲー・ぺー・ウーと言
つておりましたが、今はエム・ヴエー・デーとかいう名前にかわ
つたようですけれ
ども、約五十万の部隊を持
つておる。戰車も飛行機も持
つております。しかしこの部隊は国防省の管轄にはない部隊である。これは明白に内務省の直轄しておる部隊であります。外戰には
原則として使わないということにな
つておりまして、主として
国内の暴動鎮圧、秩序の維持に使
つておる。しかしその
戦力においては、普通の師団にまさるとも劣らないりつぱな
装備を持
つておる。これは内務大臣の管轄のもとに動いておる兵力であります。そういうものを世界が単なる
警察と認めておるか、あるいはまた正式の武力として計算しておるかということを調べてみますと、私もそういろいろ書物を見たわけじやありませんが、アメリカで発行されておる統計などを読んでみると、ソ連の武力の中に
はつきり五十万の内務省管轄の部隊が入
つておる。世界の常識としては、これを
戦力に計上しておる事実は明らかなのでありまして、いろいろ
法律的に見て、あるいは科学的に見て、
議論もありましようが、世間の常識では、内務省管轄の部隊であろうと、国防省に属しておる部隊であろうと、一定の交
戰力を持
つておる部隊を
戰力と見るということは常識であろうと思います。
従つて今日の場合においても、もし
戦力を持つことが
憲法違反だという論理をどこまでも維持するならば、
警察予備隊並びに海上保安隊の
戦力を維持することは、
憲法違反なりと言わざるを得ない、こういうふうに
考えております。
あまり長くなりますから、この
程度で一応終りまして、もし私に対する御質疑があれば、さらにあらためて自分の
意見を申し述べたいと思います。