○羽仁五郎君 今諸君の前に置かれている
法案は、いわゆる
破壊活動なるものに対する
恐怖心を煽
つて諸君、議員の判断を誤らしめることによ
つて、我が
憲法を超越する権力を
行政権に付與し、即ち我が
憲法を覆えしめようとしているものであります。
国会が、この
国会の前提であり
基礎である
言論、
集会、
結社の自由を停止したり、解散したりすることのできるような超
憲法的な権力を
行政権に委ねるような
法案を成立させることは、
国会の
立法権の逸脱であ
つて、決して許され得ないことであります。いずれかの
集会或いはいずれかの新聞、いずれかの
結社を抑圧することのできる権力は、すべての
集会、すべての新聞、すべての
結社をも抑圧することのできる権力にほかなりません。この
法案を提案し支持している人々は、いわゆる破壊的
行為の実体、その性質、その
原因について正確なる分析も認識もなく、従
つてこれらを解決する積極的政策の自信もなく、ひたすらいわゆる
破壊活動に対する
恐怖にみずから怯えているのであります。併し諸君、いわゆる破壊的
行為なるものが少数者の
扇動によるものであるならば、そこには恐るべきものもありません。人民
大衆の生活の不安と不満とは、積極的な社会的政策によ
つて、必ず平和的に解決されるものであります。
破壊活動に対して
民主主義を護るというこの
法案が、実はいわゆる
破壊活動に対する
恐怖心の表現でしかないために、それはすべて
恐怖心から生まれたあらゆる政策がそうであるように、ひたすら禁止抑圧という消極的手段のみに頼
つて、その結果いわゆる
破壊活動を防止することはできず、却
つてそれらの禁止抑圧によ
つて、およそ
民主主義の積極的手段たる
言論、
集会、
結社の自由そのものを萎縮させるよりほかのものではありません。本院の公聴会において刑法の専門家滝川教授が述べられたように、この
法案が通れば、
基本的人権はあらしの中の木の葉のようになるでありましよう。知識階級が、現在の支配体制への愛着を失
つて離反することが革命の前兆であると言われております。然らば知識階級と労働組合とを先頭とする世論を踏みにじ
つて本
法案の成立を急がんとする人々は、革命を
恐怖しつつ革命への道を急いでいるものと言わなければなりません。本
法案を法理論的に又立法論的に又結果論的に、あらゆる面から客観点に考察するときに、何人も本
法案の成立さすべからざるゆえんを明らかにせざるを得ません。
法理論的に第一に考えなければならないことは、自由が傷けられなければ決して
騒擾というものは起るものでない。これは京都市の
公安委員長としての体験に基いて、同志社大学の田畑学長が言われた名言であります。本
法案は、第一に、欠くべからざるものでもなければ、決して濫用の虞れのないものでもないのであります。この点について、去る四月二十二日の
日本経済新聞がこう言
つています。「
破壊活動防止を強化するために
言論、
結社、
集会などの自由が抑圧される危險を冒すか、あるいは
言論、
結社、
集会の自由を守るために、
破壊活動に対する取締が弱くなるのを忍ぶか、どちらを探るかということになるが、われわれは
言論、
結社、
集会の自由を守ることを第一とする。
破壊活動は防止しなければならない。しかしそれには刑法もあ
つて、
破壊活動防止法がなければ全然取締れないというものではない。又
破壊活動防止法案さえ出来れば、
破壊活動が完全に防止できるというものでもなかろう。むしろ
言論、
結社、
集会などの自由を確保することこそ、
破壊活動に対抗する最も強力な手段といわなければならぬ」と記しております。法は少いことを以て貴しとする、
国民主権は必要欠くべからざる
法律か、それでなければ濫用の虞れの全くない
保障があるか、この二つの條件の厳格な規定を
立法権に命じているのであります。
国民の生活にと
つて必要欠くべからざるもの、これがなければ
国民が生活できないというものでもなければ、決して恐るべき濫用はされないという確実の
保障のあるものでもない
法律を作
つて、不必要に
国民の自由を脅すことは、
国民の信託する
立法権を以て
国民に対して罪を犯すものであります。ここに法理論士、本
法案が
反対されなければならない第一の
理由があります。
政府は最近各地の
騒擾を誘発し、又は誇張しているきらいがあり、新聞紙がセンセーシヨナルな報道をしておるのは、その職業でありますが、我が
法務委員会において国家地方
警察長官は、最近の将来において現在の法規と治安機構とを以て対処し得ないような、根本的不安の発生を予測せしめるような根拠はないと証言しているのであります。第二に、そもそも本
法案は一体如何なる法益を
目的としているのか、本
法案は何を護ろうとしているのか、決して明らかにされておりません。
法案第一條は、公共の安全の確保に寄與することを
目的として掲げ、
政府は
暴力に対して
民主主義を護ることを
目的としていると声明しておりますが、我が
法務委員会における我々の質疑に対して、
政府はこの点について遂に何らの確信を示し得ておりません。我が
民主主義が、我が
憲法の
保障の確保によ
つて、自由なる発展において、そのすべての機能を発揮する限り、如何なる
暴力にも耐え得べき確信を現在
政府みずから持
つておりません。占領軍の
実力及び
占領政策によ
つて維持されて来た治安であるから、講和発効、独立と同時に不安なきを得ないという
政府の見解ほど恥かし気もなく、
民主主義の確信を欠いた見解はありません。
団体等規正令という占領法規、即ち戰時法規の廃止を喜ぶのではなく、その継続を計画して世論の痛撃を受け、形を変えること二十三度、名を変えること四回、あらゆる弁解の下に本質的にこの占領軍法規の線を持続しようとしている
政府は、おこがましくも占領軍に代
つて国民の上に超
憲法的権力を以て臨もうとしているのではありませんか。事実は、最近数年間、ひたすら占領
行政に寄りかか
つて来た
日本の保守勢力が、独立後自分の
政治力の欠如や社会問題についての識見や見通しのなさを打ち忘れ、すべてを治安の問題としてしか考えないことは、ここにも端的に表現されているのであります。近代の
民主主義は、社会立法や労働立法を治安立法から明確に独立させて、社会関係又労使関係の合理化によ
つて、平和的手段によ
つて社会の進歩の要望の実現を図ることにあります。然るに今
政府は、本
法案と並んで社会立法をも治安
警察の立場から取扱おうとしており、社会立法や労働立法を治安
警察的な観念と枠の中で理解し、
政治運動、社会運動や争議を
騒擾現し、社会関係や労働関係の合理化や生活安定、社会
保障の
制度化を回避する
政府の
態度は、みずから進んで治安を危殆に陷れるものであり、過去の
日本の
警察治安
主義を代表する保安條例とか、
治安警察法、
治安維持法によ
つて、
日本の社会運動、労働運動は正しい軌道に乗らず、暴動と一揆と
騒擾とがこれに代
つていたではありませんか。本
法案が治安を
目的とするというのは、事実上本
法案が
民主主義を護るものでなく治安国家即ち
警察国家を導くものであることを示しています。治安国家とは治安がよく保たれている国家という意味ではなく、治安の維持が
政治の中心とな
つている国家という意味であり、
警察力が不足なら軍隊を準備し、刑法が不足なら特別法を制定し、これらの
実力によ
つて治安を維持しなければならないという脆弱な国家の意味であります。そうしてこれは現代におけるナチス国家の姿であります。フアシズム権力の姿であります。あらゆる
団体の上に立ち、政党の上に超越し、
団体活動を停止し、新聞紙を監督し、
団体役職員を監視し、政党、組合その他如何なる
団体をも解散することができるという本
法案の第二章第四條、第六條、
国民の組織するあらゆる
団体及び
団体行動につき、あらゆる政党につき、それが破壊的であるか否かを
調査し、認定し、解散することができる権力、この超
憲法的、フアシズム的専制権力こそ、本
法案がその表面上に掲げている法益のあいまいさのうしろに事実上に作り上げようとしているものであります。
破壊活動防止法案という名のこの
法案、実は秘密国家、
警察権力樹立のための
法案、ゲハイム・シユタート・ボリツアイ、即ちゲシユタポ
法案であります。
第三、私は決して誇張しているのではありません。本
法案は
思想の自由をも監視しようとしているのであります。本
法案みずからこのことを告白している。
法案第二條を御覧なさい。本
法案は
思想、信教、
集会、
結社、表現及び学問の自由、或いは
勤労者の団結し、及び
団体行動をする
権利その他
日本憲法の
保障する
国民の自由と
権利に対する、本法による不当の
制限に、みずから戰慄しているではありませんか。
行為なき
扇動とは
思想、表現の自由にほかならないのであります。
言論、
集会、
結社、そのほか一切の表現の自由が無條件に
保障され、
法律を以てしても、これらの自由の濫用に対してその実害ある
行為につき刑罰を課し、又は民事的賠償責任を負わしめるほかに、
行政的
制限を加えることができないことを明らかにしているところに、新らしい
日本国憲法が、旧
日本帝国
憲法と本質的に異なる意義があるのであります。然るに明治
憲法時代の
新聞紙法によ
つてさえも、新聞紙の発行停止は裁判所の判決によ
つてのみなされたのに、
言論の自由を最高のものとして
保障している新
憲法下において、本
法案が
行政権に新聞発行停止の権力を與えようとしていることは、明らかに違憲であります。
基本的人権と自由とは、無
制限ではなく公共の福祉によ
つて制限される、現在の
日本においてこうした言葉で至る所
基本的人権と自由との
制限を行な
つている人々は、実は現在の
日本に
警察国家を準備し、強化しているのであります。これらの人々は、実際どれほどまでに自由を何ものよりも尊しとする実感を持
つているのでありましようか。自由を最高のものとも考えず、何らかの
理由があれば、自由を
制限し得るのだと考えているものは、
警察国家にほかならないのであります。政令三百二十五号は、
日本において占領軍が行な
つた戰争法規の一種であ
つて、従
つて我が
憲法を超越していたものでありますが、戰争状態が終結し、占領が終
つた今日、
かくのごとき超
憲法的権力の継続は絶対に許されない。すでにこの七月四日、山口地裁岩国支部法廷において藤崎裁判長は、如何なる
言論、新聞に対するものであ
つても、
言論の自由に対する
制限は違憲であると判決し、続いてこの七月二十日、横浜地裁吉田裁判長も、政令三百二十五号の継続は
憲法に違反することを明らかにしているのであります。然るに本
法案は、実質的にこの政令三百二十五号の継承を企てているのであります。占領下において非合法とされていたアカハタが最近占領終結後合法的に発行されていますが、そこに実際にどれほどの実害が増加しているのでありましようか。仮にアカハタが日刊一百万に上るとしても、
日本にはこれらに対して朝日、毎日、読売など日刊一千万が広く
国民に読まれ信頼されて、十分に対抗されているのであります。伝統あるこれらの大新聞が、
日本国民によ
つてどれほど信頼されているか。
曾つて日本国民は朝日、毎日、読売らの新聞に欺き導かれて
犯罪戰争に陷れられたが、而もその後
国民がこれらの新聞に対する信頼を変えない姿には、いじらしいものさえあるではありませんか。惡しき宣伝に対する唯一の有効にして正しい
方法は、刑罰や禁止処置などではなくして、よき宣伝によ
つて惡しき宣伝に対抗して
国民をして自主的に判断せしめることよりほかないのであります。そんな悠長なことをしていると実害が起ると言う春がいるが、併しこの害は新聞や
言論を非合法とし、これを地下に潜らせることによ
つてこれを追求するために、ここに
政府機関が秘密
活動を開始せざるを得なくな
つて発生する秘密
政治警察の恐るべき弊害と、いずれが社会を暗くするか自明なるものがあるではありませんか。
日本新聞協会は、本
法案が立法によ
つて、いわゆる
扇動を新たに罪として設定し、
言論を
理由とする新らしい罪及び刑を創設しようとしていることを極めて重大なる問題であるとし、
特審局が三月二十八日、一般新聞紙も、その
内容如何で本
法案に言う
機関紙の中に含まれると言明していることを指摘し、本
法案第四條は、まさに一種の検閲
制度を構成し、
憲法に違反する疑いがあるとし、今後の新聞雑誌の経営上、先ず何よりも
機関誌紙と認定される危険を避けるために無用且つ有害な考慮すら多くの
言論機関、経営当事者に強要しないと保し難いとし、このような可能性を頭上に置かれつつ、如何にして自由なる
言論に対する社会的信頼を求め得るかの問題は、まさに致命的の課題である。本
法案が実現すれば、新聞、放送、
出版に対する信用すら、恐らく動揺せざるを得まいと声明しています。本
法案は
言論と並んで
結社の自由を
制限しようとしている。
言論及び
結社の自由に対する如何なる
制限も許さるべきでないとする
憲法上の根拠は、これらの
制限が必ず常にいわゆる事前の
制限、ブライア・レストレーントを伴い、これらが相俟
つて、そこから
警察国家の発生する危険があるからであります。
犯罪の予防を
理由とし、未だ何らの
行為がないのに
言論、
集会、
結社の自由というような
憲法上特に侵さるべからざる重大なる
基本的人権をなしている深い根拠のある自由を事前に
制限することは、近代
民主主義の許さない
警察国家主義にほかならない。実害の予防のために或る種の自由の
制限が、比較的に軽い或いは浅い他の場合には、許されることがないわけではありませんが、併し
言論、
集会、
結社の自由については、これは許されない。これらの自由と
権利とは、そうした
制限を許さない重く且つ深い
基礎を持
つているのであります。
自由の原則の最も重大なものの
一つとして、罪というものが個人的なものであるということは有名な
アメリカの最高裁判所の長官であ
つたチヤールズ・エバンズ・ヒユーズの述べたところであります。そして
アメリカの最高裁判所は最近においても、罪というものは我々にと
つては個人的なものである。決してこれは集団的に
適用せらるべきものではない。更に
アメリカの最高裁判所のマーフイ判事は、集団ということを規制の
対象とするような考え方を非難して、これは絶対に取入れられるべきものではないと言
つて、罪の責任は個人にあるということを我々の立法の基本的な原則の
一つをなすものである。それこそ我々の自由の概念と適法なる法的手続の必要ということの本質をなすものであると言
つています。
本
法案の第四條によれば、
一つの
団体においてその運営を信託されていた決議又は執行
機関が、誤
つて本法に触れる
破壊活動を繰り返す虞れありと
行政機関たる
公安調査庁によ
つて調査され、
公安審査委員会によ
つて認定された場合には、その
団体の
団体行動、
機関誌紙は停止され、
団体が解散されるが、これは、その数名又は数十名の役職員の誤りによ
つて、その
団体を構成している数千又は数方の人々の
言論、
集会、
結社の自由の
権利の明らかなる不当な蹂躪となることにほかならんのであります。
行政機関官憲の、
かくのごとき僭越なる干渉が、人民主権の新
憲法の下に許されることができましようか。一九四五年に
アメリカ最高裁判所のダグラス判事がこういうことを言
つております。「個人というものは、国家と同じく、或る一定の何カ月か或いは何年かの間、その最後の
目的においては一致していない
団体と共同に協力することがあり得るものである。例えば、これは、或る程度の限定された
目的の下に協同して働く場合があることはよく知られている。現にナチスと戰うためにロシヤと共に戰
つた国々は、それを以て
共産主義を拡めるための同盟をなしたものとされることはできないじやないか。又飢えている人々に食物を與えるために努力する人々は、その飢えている人が
共産主義者であるからとい
つて彼ら
自身が
共産主義者とされることはできないではないか。」ということを言
つています。
本
法案の成立後における
基本的人権と自由とに対する
制限の性質は、すでに本
法案と性質を同じくしているところのある
アメリカのいわゆる非米
活動委員会が、どんなことをして来たかによ
つて十分に判断されなければならないところがあります。この
アメリカの非米
活動委員会が一九四七年にザ・サウザアン・コンフアレンス・フオア・ヒユーマン・ウエルフエア、人間的生活の向上のための南部の会議というのを、最も危険にカムフラージユされた
共産主義戦線の
団体と認定したことは世論の痛心を捲き起し、ハーヴアード大学のロー・レヴユーはその
報告を以て、この認定を批判せしめている事実があるのであります。而もこれらの重大な
言論、
集会、
結社の自由ということの
制限を、裁判によらないで
行政処分によ
つてなそうとするところに、又本
法案が
憲法に違反するものとして許されがたいものがあるのであります。「裁判所の判決を待
つていては迅速有効に取締ができないからとい
つて、
行政責任のみを第一に考える本
法案の趣旨自体が、半面からして言えば、
行政処分で簡単に正当な
活動が抑圧される虞れがある。」とこの四月二十二日の
日本経済新聞社説も断言しています。一体何のために
政府はこのような重大なる基本的
権利の
制限を含む本
法案を、あらゆる非難を無視して
国会に要請しているのでありましようか。
ヒツトラーは、一九三三年に
ドイツ共産党と何らかの関係を想像させるような形において、一人の精神薄弱者の青年ルツペなる者を挑発して
ドイツ国会議事堂に放火せしめ、これによ
つてドイツ共産党は議会
制度を否認する
目的を以て
国会議事堂に放火したと認定し、
ドイツ共産党幹部を逮捕し、その党を解散し、引続き
ドイツ社会民主党を解散させたが、何者かが我が国において同様の挑発及びフレイム・アツプによ
つて、
日本の社会
主義政党の解散及び労働組合の無力化を計画し、そのように使うことのできる本
法案の成立を急いでいるのではありませんか。ここには共産党の問題ではなくて我が
憲法の問題があります。第四に、
国民の
権利は、ただ明白にして現在の危険によ
つてのみ
制限されることが許されねばならない場合があると考えるのであります。然らば本
法案は、
言論、
集会、
結社の自由、
政治の自由、これらの
基本的人権、我が
憲法が
制限を許さぬ無條件の自由、又は少くとも極めて
制限されがたい
権利としているところのものを、あえて
制限しようとしているのだが、一体そうした必要を認めさせるような如何なる重大なる明白にして現在の危険が立証されているか。「人間の信念、それがどのようにエクセントリツク又は嫌われたものであろうとも、それが又実害ある
行為にな
つていないのに、その單なる信念を、西欧の国々のいずれかの
政府が
対象としたところがあ
つたとすれば、それは人間の歴史の最も暗黒の時代においてのみあり得たことであ
つた。」ということを一九五〇年にジヤクソン最高裁判所判事が警告しています。それならば
日本は現在そのような暗黒の時代に我々は臨んでいるでありましようか。まさかそうだとは
政府も言うことはできますまい。
法務委員会における我々の幾たびかの質疑に対して、
政府は、明白且つ現在の危険の疑いがあるが、それを確証することはできないことを証言しております。
日本新聞協会も声明しているように、
言論の自由にまで干渉するような立法については、そのような立法を必要とする如何なる危険が差迫
つているかを立証せねばならないが、
政府はただの一言も責任ある立証を行な
つていないのであります。
政府の本
法案の立法の
基礎は、危険に対する
恐怖にあ
つて危険の証拠に基いていない。さればこそ、
法務委員会諸君との懇談において神近市子女史も、
特審局の官吏がその共産党の文書などを恐ろしげに説明している
態度には、笑うべきものがあると喝破しております。事実
共産主義の何たるかを知らず、ただそこに法に触れそうなところを探し出して仕事の種にしようとしているような官吏に、どうして
共産主義が克服できますか。
共産主義は高度に発達した近代科学の理論の体系であります。官吏の手におえるようなものではありません。無知文盲の人々のみが、共産党を以て
恐怖すべき憎むべき集団と信じせしめられることができましよう。我が首相
吉田茂君がこの点について、これらの無知文盲の人々と大差ない程度においてしか、共産党について知識を持
つていないのは、現在の
日本国民の不幸であります。マツカアランやマツクアシイなどという議員の影響下に、
共産主義について何事をも知らずして、反共
主義に躍らされている現在の
アメリカを支配している人々さえも、共産党そのものを非合法とすることはできず、何人にせよ、その人が共産党の党員であるという
理由のみによ
つて非難することはできないことを、繰り返して確認しているではありませんか。共産党の主張する革命は、社会革命であ
つて、社会の歴史の進歩の意義を有する革命である。人民の支持する
政府を
暴力によ
つて破壊しようというような、人民に対して反逆を意味するものとは認められないのであります。イギリスの保守党が先頃の選挙の際に公けにした対共産党方針も、「共産党に対しては賢明なるステーツマンシツプによる社会政策と教育とによるのが、公然と
政治上において共産党と出会
つてこれに打ち勝つ最善の
方法である。ミート・アンド・デフイート。共産党を非合法としてこれを地下に追いや
つたのでは、公然これと
政治上に出会うことができなくなり、勝
つたのか敗けたのかさえ分らなくなる。」こう言
つておるのであります。ここには、共産党を非合法とすることは、政党の自由、従
つてあらゆる
政治の自由に関係する問題を生じ、
憲法の問題が生ずる重大な関係がある。さればこそ
民主主義の伝統を擁護しようとしている国々において、共産党を非合法とすることに
国民の支持が得られない十分の
理由があるのであります。
第五に、本
法案は「法の明確の原則」を破
つていることに又重大な問題があります。本
法案第三條第一項一号の
行為なき
扇動、文書図画の所持、同じく二号「
政治上の
主義若しくは
施策を推進し、支持し、又はこれに
反対するため」、という規定、この号のりの
公務執行妨害などの拡大、ヌの
教唆、
扇動、第三十七條一項
内乱の罪の
行為なき
扇動を
犯罪として、個人を七年までの禁錮に処し、二項、
内乱の予備、
陰謀の罪の
行為なき
扇動、文書図画の印刷、頒布、公然掲示又はそのための所持を
犯罪として個人を五年までの禁錮に処し、第三十八條は、
政治目的のための放火等の罪の予備、
陰謀の罪を刑法による二年までを五年までに加重し、
行為なき
教唆、
扇動をもこの重い刑に処し、第三十九條は、刑法に安定している
騒擾の罪を拡大し、これに
政治的
目的という不安定な概念を結びつけ、並びに
公務執行妨害等を拡大し、並びにこれらの
行為なき
扇動を罪とし、これらに三年までの刑を加えようとしている。これらに対し、専門家、例えば東大鵜飼信成教授が、この六月七日の参議
院法務委員会委員との懇談において、何と言
つているか。「刑法の既成概念を用いているという御説明がございましたが、成るほど個々の字句は刑法の既成概念でございますが、その中には概念を変更したもの、例えば
教唆のようなものがございますし、それからそれが結びつきますと、果してその結びついたものに対する概念というものは、従来の刑法の司法的の範囲で完成していないものが非常に多くございます。そうしてそういうものに対する
行政的な規制がなされた後に、それが確立してしまいますと、司法的な
処分のほうもおのずからそういうふうに動かされる。この
法案の建前としてはそういう方向に行くということにな
つて来る。」と述べ、京都大学の宮内助教授は、「本
法案の
犯罪の類型は、刑法に規定されている
犯罪行為によるというが、それにまつわるもの、即ち
政治目的というもの、それから
教唆、
扇動及び
陰謀とい
つたようなこと、これらは甚だ不安定な概念でございます。基準から遠ざかれば遠ざかるほど、どういうもので判定するがというと、本人の主観的な意図によ
つて判定されるようになる。これ即ち
思想取締の問題です。
犯罪の類型は客観的な事実で帰一しなければならない。価値判断を必要とするような要素を入れてはならない。或いは主観的な要素で以て何らかものを決定するようなフアクターは成るべく避けなければならない。それからそれを判定する
機関は成るべく
政治的立場を超えた独立を持
つた裁判所でなければならない。人類が営々として築き上げて来た法的の諸
権利が、この
法案によ
つて完全に破壊されている。」と述べています。有名な
アメリカの最高裁判所の長官ヒユーズが言
つた言葉にも、「自由の
制度というものの本質は、罪というものが、決して実際の実害ある
行為のない場合の意見或いは意図とかいうものにかけられるべきものではない。」ということを断言しています。本
法案に殺人とか汽車、電車の顛覆とかは、確定の事実というものとして挙げられているものでありますが、それに
政治的
目的を結びつけ、直接関係のない言説をその
教唆、
扇動とし、且つこれらを
団体の
行動とするということが、如何に法の明確の権威を地に落し、あいまいな認定を発生させ、
基本的人権と自由とがそのために脅かされるかは、最近の事案についても深く反省せられなければなりません。自由の問題というものは、最悪の場合に守られなければ守られるものではありません。自由の敵は必ずそういう場合に攻撃して来るのであります。諸君のよく知るグラツドストーンさえが破壊的と言われたこともあります。それはなぜかというと、グラツドストーンは、その当時エジプトにおいて英国の軍隊に刃向
つて武器を取
つているエジプト人の叛乱は、彼らの自由のために戰
つているのだということを言
つたからであります。
本
法案が、本法によ
つて不当に
基本的人権の
制限が行われた場合の救済について、近代の法の原則を守
つていないということにも、本
法案の違憲的本質が現われています。本
法案がモデルとしている
アメリカの
破壊活動防止法は、本
法案が
団体の
集会、行進、
機関誌紙の停止、更に進んで
団体の解散などという重大な
憲法違反の問題のある
行政処分まで行おうとしているのに対し、單に
団体の登録を要求しているにとどま
つているのでありますが、これについてさえトルーマン大統領が、「
共産主義共同戰線
団体に登録を要求することは、一七八九年以来最大の
言論、
出版、
集会、
結社の自由に対する危険である。」として署名を拒否しているのであります。我が
日本新聞協会の声明は、「本
法案により
機関紙の発行停止など
言論、
集会の自由、各種の基本的自由の
制限や禁止が、裁判所の判決によらず
行政処分によ
つて決定されること」、この点を特に重大視し、京都大学法学部宮内助教授も「本
法案の
団体規制は
行政措置であると言うけれども、懲役が我々の自由を剥奪すると同じように団結権、
団体交渉権、表現の自由など、
基本的人権を
制限し又は否定することになる権限は、
アメリカの
委員会においてすら持
つていない。」と述べております。裁判所の判決を待
つていては有効な取締ができないという主張は、半面から言えば、
行政処分で簡單に正当な
活動が抑圧される危険があることを意味していることは先にも述べました。
第一に、本
法案による
公安調査官の
調査は、強制権のない任意
調査であると言いますが、それは実質的に
公安調査庁による秘密
調査、秘密
報告であ
つて、従
つてそれは事実上、一般市民にまで大なる不安を與えるものであり、尾行、張込みなどが人心を暗くし、
憲法の
保障する個人の自由がひそかに侵害されることになりますが、これらの不当な
人権圧迫に対して、本
法案は何らの救済の途を開いていないのであります。
第二に、本
法案第四條により、公開の
集会、示威行進など或いは
機関誌紙、従
つて一般の新聞及び雑誌、
団体の役職員、それらのものが事実上官憲の検閲の下に置かれ、
憲法の
保障する
言論、
集会、
結社の自由が侵され、
憲法の禁止する検閲が行われるというような不当な圧迫に対して、何らの救済の
方法がないのであります。
そして最後に第三に、公開の
集会、集団示威行進などの停止、
機関誌紙の停止、
団体役職員の排除、更に進んで
団体の解散、これらの
行政処分に対する不服は、本
法案第二十四條によ
つて裁判所に訴えることができるが、併しその
処分の執行の停止の申立は、いつでも
政府、首相の異議によ
つて阻止されるので、裁判の結果無罪が明らかにな
つたときでも、すでにその間に公開の
集会、集団示威行進、
機関誌紙が最終的に停止され、
団体役職員は最終的に排除され、
団体が最終的に解散されてしま
つている事実、この重大な
基本的人権の侵害は、如何とも救済されるすべがないのである。
行政機関に過ぎない
公安審査委員会が、果して
団体の解散などという重大な決定ができるか。且つ
行政措置により
委員会から不法
活動として解散を決定された以上、その後の正式裁判でこれを取消す判決が確定しても、回復すべからざる打撃を受ける。
憲法で
保障する
結社の自由は、そのように不安定なものであ
つてはならないのであります。而も
政治的責任を負うことのない
行政機関が、重大な
政治的決定をなすこの
行政処分は、必ずや恐るべき結果をもたらす。裁判所がそこからさまざまな影響を受ける。こういう重大な問題を導くのであります。裁判所の裁判の独立がこの面から動揺せしめられる虞れがある。ナチスが遂に裁判官の多数に、ナチス党員を任命した事実は本
法案と無関係とされ得ないものがあるのであります。最も恐るべきことは、本
法案によ
つて政治的行動が、本質的関係のない刑事
犯罪に結びつけられ、
政治的行動が、無頼漢の殺人放火などの
行為よりも重い罪刑を加えられることによ
つて、
政治が名誉ではなくして不名誉とされることに対して、何らの救済の手段がなされていないことであります。本
法案には、大塩平八郎の
政治的行動に、それと本質的に関係のない私行上の非難を結びつけて政敵を侮辱した封建
主義の卑劣を、新らしいフアシズムの中に復活しようとしているところさえあるのであります。
団体及び個人が
公安調査官によ
つて調査を受け、且つ最後に無罪となるまで、又はその後においてさえ受けるであろういわゆる破壊的という憎悪、侮辱又あらゆる
政治的圧迫、あらゆる経済的圧迫さえまでも、何らの法による救済の手続もなく、本
法案によ
つて実現されようとしているのであります。本
法案と同趣旨の
アメリカの
破壊活動防止法に対して大統領トルーマンの声明したところが、本
法案に対しても指摘されなければなりません。即ち本
法案は、たまたま破壊
主義者によ
つて述べられたことと同一であるという
理由で、全く誠実な意見を発表した
団体及び個人に対して刑罰を加えるという機会を内に蔵するバンドーラの箱を開くものである。
行政的認定のために、立法によ
つて新たに罪を設定し、この立法的認定を率いる
行政的認定によ
つて、
憲法による裁判にと
つて代
つて、いわゆる明白、現在の危険を認定し、
国民の基本権を
制限する本
法案の方向は、フアシズム的独裁の方向にほかならない。誠に本
法案によ
つて団体の公開の
集会、示威行進、
機関誌紙の停止、役職員の排除、
団体の解散は、
行政権力が
治安維持の責任上なさねばならない
行政措置であるというけれども、実は、
政府は健全なる
国民の支持と、独立公平の裁判とに信頼する代りに、自己の
恐怖心に訴えているのであります。
本
法案はその第七に、その
目的とするところを実現し得るであろうか否か。本
法案による
団体行動又
機関誌紙の停止、
団体の解散指令が、現実の停止となり、解散となるか否か。
政府委員は我々に対して、結合自体は存続するであろうと証言しているのであります。現在諸君の前に置かれている
破壊活動防止法案も、実は現代に十七、八世紀のラツパ銃を持ち出すのと等しいのであります。共産党には痛くも痒くもない。一般の進歩的
言論や労働運動だけが
犠牲となるのであります。
法務委員会における我々の質疑に対し、
政府は何らの自信を示し得ず、中山
委員をして、効果の無い法がいるのかと嘆かしめておるではありませんか。一体これではセデイシヨンを取締る法、いわゆる治安立法は
憲法土許容されるかどうか疑いがあるばかりでなく、この法によ
つてその証拠を挙げることが困難であることは、専門家の定説であります。且つ法の歴史もこれを明らかに示している。現に本
法案が裁判に代えるに
行政処分を以てしているのは、迅速の
行政措置などと言
つているけれども、実は裁判所において採用されることのできるような証拠があり得ないからであります。即ち本
法案がなくても、証拠があるならば
政府はすでにこれを裁判所に持ち出して司法
処分を求めているはずであります。それができないで、本
法案を制定しようというのは、実は証拠があり得ない性質の問題だからであります。
政治的
反対は
犯罪ではありません。従
つて犯罪の証拠があるはずがないのです。そうして
政治的
反対は法と刑罰とによ
つて根絶されることのできるものではなく、ビスマルクの社会
主義鎭圧法も、それによ
つて社会党への投票が一八七八年の四十三万から一八八一年の三十一万に減少したのはこの一回だけで、次の選挙には再び五十四万に増加し、一八九一年には実に百四十二万に増大して、法自体が撤廃されざるを得なか
つたのであります。第八に、本
法案はその所期の効果がないのみならず、その弊害最も恐るべきものがあります。そもそも
団体として
破壊活動を行う
団体などというものが、諸君想像されますか。そんなものはあり得ないのであります。本
法案はないものを探すのでありますから、従
つてその結果は三つしかない。即ちその一は、至る所を探し歩き、至る所組合や大学や各種の
団体の周囲や内部を
スパイがうろついて、至る所
国民に不安と
恐怖とを與える。その二は、フレイム・アツプ、いわゆるでつち上げが行われる。
事件のでつち上げの伝統が
日本になか
つたでありましようか。大正十二年の大震火災の際に、朝鮮人の蜂起計画なるものをでつち上げて、罪なき朝鮮人の大量虐殺を導いたのは誰であ
つたか。
政府がその挑発者であ
つた有力な証拠があるではありませんか。最近下山国鉄総裁の不慮の死が、国鉄労働組合の無力化に利用されなか
つたでありましようか。三鷹
事件、松川
事件はどうでありますか。
法務委員会において
特審局次長は、
公安審査委員会の決定には、誤りはあり得ないということを断言し、
特審局長は、暗黙の同意ということも証拠になるかのごとき言辞を弄して、無責任にして独断的の、独裁的なる
官僚主義の本質を自己暴露しているのであります。本
法案自体が、
団体又は
言論を
犯罪に結び付けるという卑劣な計画を含んでいるのであります。
団体又は
言論に対しては、
団体又は
言論によ
つて闘うべきものであるのに、
団体又は
言論を
犯罪に結びつけ、これを倒そうとするのは卑劣極まります。第三に、
かくて本
法案によ
つて政治的
団体又は労働組合が、破壊
団体として解散を指定されようとも、これらは確信による
政治的
団体であり、組合であるから、いわゆる確信犯であ
つて、決して本
法案による規則や刑罰に服するということはあり得ないということは、私に対して
法務総裁の
答弁にもこれを認めざるを得なか
つたところであり、ここにおいてそれらの
団体や組合は、必ず地下に潜入して
活動を続け、従
つて本法による
政府機関は、それらを追つかけて、みずから秘密
活動をしなくてはならなくなるのであります。
暴力を防ぐためには、
暴力に代
つて、人間が発明したもの、即ち
言論、
集会、
結社、争議の自由権を尊重することが最も大切であるのに、これらの近代社会の基本権を
制限したり、否定したりしたのでは、原始的な、なまの
暴力が復活して来ることを歓迎するようなものであります。本
法案に賛成しようとしている人々も、この点においてはみずから困惑を感ぜざるを得ないでありましよう。ブラツク最高裁判所判事も言
つておるように、数世紀の経験が示しているごとく、或る
一つの
政治的グループを抑圧しようとする法は、必ず憎悪を発生させ、ここに発生する憎悪は、必ずその周囲にひろがり、拡大し、深く入
つて行くものなのであります。本
法案による
政治機関の秘密
活動は、必ずそこに機密費を発生させざるを得ません。我が
憲法の禁止する機密費、即ち
国民の代表によ
つて国会において審査し、コントロールすることのできない機密費、そうしてそこにこの
国会がコントロールすることのできない権力とその
活動とが、自動的に増大することを誰が阻止することができましようか。
かくてここに自由の最後の一片も砕かれ去
つてしまうのであります。
以上が本
法案に対する法理論上の
反対の論拠であります。
続いて立法論上本
法案に
反対すべき
理由が、最も大なるものがあります。その
一つは、本
法案の立法の動機は一体何であるか。それは
恐怖心にほかならないのであります。本
法案が理性的動機によ
つて立法されたのでないことは、本
法案が現在の
日本の知識階級及び一般の世論の
反対を無視して無理に成立せしめられようとしているところにも現れています。現在
政府は
政府の政策と
国民の本能的直感との間の隔りが、深い溝のように日々に深ま
つて行くのを見て、みずから
恐怖しているのであります。
国民が棍棒とピストルとによ
つて奴隷的に服従させられないのを見て、
政府はみずから
恐怖しているのであります。
恐怖に基く立法ほど恐るべきものはない。それは問題の性質の認識ではなく、問題を
恐怖しているのだから、問題を解決し得ず、却
つて恐怖は
恐怖を生むのです。
かくて民衆の間にも
恐怖心が挑発され、ここにナチスが
国会議事堂放火
事件なるものをでつち上げ、共産党員を逮捕し、続いて社会民主党員を逮捕し、ナチスの一党独裁に突入したような、
恐怖から
恐怖の利用、そうして
恐怖の増大が国家と
国民とを滅亡に導く。こうした精神が、本
法案の中にも盛られておるのであります。さて本
法案の運命は、同様の
法律の運命によ
つてすでに物語られています。本
法案におけるいわゆる
扇動の規定について、
民主主義に立つイギリスにおいても、
内乱等に関して
扇動そのものを独立罪としていたと説明する者があります。思わざるも甚だしい。イギリスにおいて一六四九年人民によ
つて国王チヤールズ一世が裁判され、処刑された事実は、決して忘れられてはならないのであります。英国の王位の背後には、そうして英国の法の背後には、今日もチヤールズ一世の亡霊が立
つているのであります。
日本の法の背後にもそうした亡霊を立たせようとしているのでありましようか。本
法案と比較すべきものとしてオーストラリアの共産党解散法を挙げる者があります。併しオーストラリア
政府の提案したこの法は、高等法院によ
つて違憲の判決を下されて廃棄され、更に
政府が
国民の意思を問うたレフエレンダムにおいて、
政府は、
政府提案に
反対する投票は、即ち取りもなおさず共産党に賛成する投票であると宣伝これ努めたにもかかわらず、
国民はたとえ現在国際情勢の緊張ただならぬものがあるとは言え、平和は保たれているのであり、戰時にあらぬこの平時において、オーストラリアにおける共産党の問題に、共産党を非合法とし、共産党員及びその同情者を公職及び労働組合から追放するというような、それ
自身民主主義の
方法に反し、
憲法違反の疑いある
法律を必要とするほど明白にして現在の危険があるかないか。且つこうした
法律がその結果において
民主主義の根本原則を覆すところがないか。そうしてここに
司法権が
行政権の下に置かれるようなことが生ずるのではないか。こうした
法律によ
つて政府に対しアングロサクソン民族が未だ
曾つて政府に與えたことのない過大の権力を與えることになるのではないか。そうしてこうした政策は却
つて労働階級、従
つて産業界にストライキ、そのほか非常な不安を誘発することとなるのではないか。そして
憲法を改正し、高等法院を乗り越えるような
方法が実現されるためには、強大な力を以て
国民の支持を強制せねばならないことになるが、こうした強制は却
つて国民の間に深い溝を掘ることにならないか。大学教授や著述家や芸術家や新聞雑誌関係者が、
言論、
集会、
結社の自由の
基本的人権の
制限に
反対していることに、世論に聞くべきものがあるのではないか。共産党の力に対してフアシズムの力によ
つて、力に対して力を以て闘うということが、
民主主義の勝利となり得るであろうか。これらの
理由によ
つて、
政府の提案に対して、レフエレンダムにおいて
反対の決定を下したのであります。この
国民投票はマンチエスター・ガーデイアンも言
つたように、共産党を擁護するというよりは、本質的に真実の自由
主義を擁護するため、
政府提案に
反対であ
つたのであります。本
法案と比較される反共法を成立させた南アフリカは、その後如何なる方向を歩んでいるか。最近の報道を御覧なさい。南アフリカの
政府は、その最高裁判所が、
政府及び與党が
国会を通過させた立法に対し、違憲無効の判決を下すや、最高裁判所が
国会による立法の
憲法違反を審査判決する権能を廃止しようとしているのであります。併しこの最高裁判所の最高の機能を廃止する立法に対して、最高裁判所が、これを違憲と判決するであろうことは明らかであります。
かくして南アフリカは今や
政府の
暴力の下に、いわゆる剥き出しの力よりほかの何ものでもないものの下に支配されるのであろうかと、イギリスの世論が憂慮しているのであります。
アメリカの
破壊活動防止法、マツカラン法、スミス法などに対しては、すでにトルーマン大統領が署名を拒否し、最高裁判所のブラツク判事、ダグラス判事が
憲法違反と断定し、識者は、
アメリカがその
民主主義の不朽の父であるジエフアーソンの理念から退却しつつあることに対し、重大な警告を発し、
民主主義を
暴力から守ると言
つて、これらの非
民主主義的立法を強行するならば、この事自体によ
つて、その
民主主義そのものが破壊されてしまうとしているのであります。
アメリカはフアシズムヘの道に立
つているのではないかと、イギリスから、ほかでもないバートランド・ラツセルが、最近公開状を送
つている。然るに、更に最近
アメリカ合衆国商業会議所が、今や自由
主義者の
活動をも
制限せよと決議したことは、先きのマツカラン法、スミス法、非米
活動調査委員会などが、この商業会議所の決議に基いて成立したものであ
つただけに、
アメリカの
国民の間に非常な不安を捲き起しているのであります。そうして現に
アメリカのあちこちの州において、学校教科書の検閲が事実上企てられておることさえ報道されているのであります。日米
行政協定と比較される韓米経済財政協定が結ばれたのは一九四八年八月のことでありますが、併しながらその十一月には、現在の
日本の本
法案に比較さるべき
国家保安法が立法され、その後引続き
新聞紙法、映画演劇法、そうして遂に兵役法が立法され、その間に
国家保安法成立の二カ月後には早くも京城女子医大教授、学生二十名が逮捕されたのを皮切りに、半年間に十万余人の
言論人、知識人、学生が
国家保安法違反で逮捕され、一切の
政府批判の
言論が抑圧された後に、あの朝鮮
内乱が起
つた事実、そうしてその南鮮において最近には
国会議員に対する
政治的逮捕さえ強行されている事実、これらが比較立法的に深く考えられなければならない。
アメリカ軍の下に、国際連合は朝鮮において
民主主義を救うという
目的を掲げたけれども、最近に至
つて国連は南鮮におけるフアシズムを擁護しているのではないかとの疑惑を生じ、ナパーム爆撃のような戰慄すべき非人道的爆撃によ
つて、
民主主義の勝利、否、
民主主義の存続さえもが
保障されるか否か。イギリスの保守
主義に立つオブザーヴアー紙さえも、水豊ダム破壊爆撃以後イギリスの
アメリカとの協力が困難になりつつあると指摘しています。本
法案のような立法は
国民のモラルに堕落的な影響を與えざるを得ないことに、本
法案の支持者は思いをいたしているのでありましようか。
本
法案は
国民の間に密告者を作り出そうとしているのであります。
法案第三十七條三項を御覧なさい。人間として密告者ほどいやしまるべきものはありません。本
法案は、
内乱が防げるなら、
国民の間に密告の風習を作り出してもいいと考えているのであります。本
法案が
スパイによ
つてでなければ動かされ得ないということはすでに明らかであります。
かくて本
法案が成立した後には、
日本国民は絶えず本法に違反の嫌疑をかけられ、秘密に
調査されることを恐れ、怯える毎日を送らなければならん。FBIのエイジエントが大学の中に張りめぐらされ、大学教授たちの会話が立聞きされ、
政府に
報告され、多少とも
政治を批判する談話をなす教授に対しては、国家予算による地位を辞すべきことが警告されている事実が、
アメリカからイギリスの新聞に報道されているもの一、二にとどまらないのであります。本
法案によ
つて人道
主義的
活動さえもが圧迫されるのでありましよう。
アメリカの非米
活動調査委員会は、先に
ドイツ又イタリーのフアシズムとナチスとの圧迫を逃れて
アメリカに避難した人々のために、孤兒院や病院などを以て救済
活動に従事していた合同反フアシズム避難民救済
委員会に対して破壊的
団体の嫌疑をかけて、その後援会の名簿及び一切の記録の提出を命じたのであります。この
団体はルーズヴエルト大統領によ
つて戰時救済資金をも與えられ、その人道
主義的性格は一般に確認されていたのであります。この救済
委員会は、この
委員会の救済を受けたあと、現在再び
ドイツ、イタリーに帰
つている子供たちが危険にさらされる場合などをも考慮して、あえて名簿及び記録の提出をしないことを決定し、且つ人道
主義的行爲が法の下に
調査さるべきものでないことは自明の理であります。然るに非米
活動調査委員会は遂にこの救済
委員会の
委員長を告発し、彼に対して刑罰が宣告されたのでございます。最近、この三月三十一日のニユーズ・ウイークは、現在
アメリカにおいて最も欠乏して来たのは、創造的天才であることが、重大な問題となりつつあるということを報道しています。いわゆる
破壊活動防止法は、
国民の間に進歩的努力を麻痺させるよりほかないのであります。本
法案によ
つて治安を維持しようとするならば、その結果学問も死んでしまうのであります。
反対の立場を認めることが進歩の絶対的な條件であります。
反対の立場を認めないならば、人生そのものがその香りを失
つてしまうのであります。近代の
大衆の組織の力は、電気のエネルギーのごときものであ
つて、その取扱を誤るならば、ここに火を発し、人を殺すこともありましよう。併しその故にこのエネルギーを禁止するならば、我々は近代以前の生活にかえらなければならないのみならず、そのエネルギーはその性質に従
つて取扱われるならば、偉大な建設力となるのであります。本
法案には如何なる建設的性質もないのであります。而も本
法案が
政治的行動に
犯罪を結びつける結果、
国民の間に
政治的無関心が、今日すでに恐るべき程度に達しているのに、これ以上の
政治的アバシイが発生するならば、如何にして
民主主義が維持され得ましようか。本
法案は、
政府の不当に対する
国民の抵抗権を否認するものであるが、
国民が不正に抵抗する気力を失することほど恐しいことはないのであります。黙して属従する
国民は、フアシズムの支配の下に導かれ、世論を沈黙させて戦争が開始されるのであります。
第三に結果論的にこれを考えて見ますならば、本
法案に対する第十の
反対の論拠として、本
法案は実は革命を促進することになるものではないかということであります。あらゆる
言論、従
つて我々の憎悪し敵対する
言論をも含む
言論、
集会、
結社の自由が、
憲法によ
つて保障されていることの意義は、これ以外にはないのであります。革命によらない平和的進歩の
方法は、これ以外にない。説得による革命を認めないならば、更に恐るべき革命の発生を防ぎ得ない。この事のほかに我が国の
憲法の意義はない。ゼネラル・ストライキといえども、これが
憲法によ
つて保障されているのは、
暴力でもなければ、破壊でもないのである。それは
政府が労働階級の意思を無視し、
憲法の基本的諸
権利を無視しようとすることに対し、
労働者がただ働くことをやめるという、平和的手段としての最後の
方法なのであります。これを禁止すれば、もはや平和的手段はなくなり、革命しかなくなるのであります。
日本は
言論、
集会、
結社、
思想の自由を抑圧して
犯罪戰争を行な
つて敗北し、革命の淵に立
つて、革命の代りに新
憲法による
思想、
言論、
集会、
結社の自由の社会を
保障したのであります。然るに今この
憲法の
保障を実質的に無効ならしめるならば、説得による平和革命でない革命の発生をどうして防ぐことができますか。
日本国民はすでに主権在民、人民主権の体験の上に立
つているのであります。
最後に結論として考えなければならないことは、これを要するに本
法案は、我々
国民が苦しい中から税金を出して、
公安調査委員会、
公安調査庁及び全国五十カ所に亘る
公安調査局の役人を雇
つて、破壊的であるかどうかを調べてもらい、我々の
活動が公正か不公正か、官吏の判断によ
つて決定してもらおうという
法律案であります。この不條理のみならず、ここに発生する権力は、
憲法を超越し、
言論、
集会、
結社の自由の上に立ち、あらゆる政党をも見下す権力であり、この
国民主権以上の権力は、フアツシズム権力を準備し強化するものであります。我々も勿論
暴力を否定します。併し
憲法を超越し、
言論、
集会、
結社の自由の上に立ち、あらゆる政党、組合を見下す権力、
国民主権以上の権力による
暴力が発生するならば、
国民はこれを如何ともすることができないのであります。我々はあくまで
暴力を否定する。
国民の中から
破壊活動が起
つて来るような場合は、
国民自身でこれを阻止することができるのであります。政党、組合そのほかの
国民の
団体の中から
破壊活動が起
つた場合、これを防止し得るのは政党、組合そのほかの
団体内部の同志の力よりほかないのであります。
団体の
行動は、
団体心理学的に新らしく理論的に解明されなければならないところのものを含んでおります。
団体には、集団的に責任の所在がいずれかに帰一することのできない関係が
団体にあります。
団体の決定とも無関係ではない、個人の意思とも無関係ではないけれども、併し、そのいずれにも責任を追及することのできない場合があります。
日本国と、この
日本国を誤まり導いた東條首相との関係の場合にも、そうしたものがありました。又先日早稻田大学において警官のと
つた行動に対して、警視総監は単にこれを元気がよ過ぎたとい
つて、警視庁としてまたそれらの
警察官個人として責任の追及がなされていないのもこうした関係の判断如何によるものがあるからかもしれません。
団体の
行動には、
団体内部の
行動、
団体間の
行動、社会的不満と
団体行動との関係など、それぞれについてデリケートなものがあり、
団体又は
集会、新聞、
言論、
思想というものには、自己是正の作用がある。これを否認をすることは即ち
団体、
集会、新聞、
言論、
思想の破壊にほかならないのであります。社会における
団体の自由の絶対の意義には、個人における
思想の自由の絶対の意義に共通するものがあるのであります。破壊的
行動は
政府の官吏などによ
つて取締ることはできないのみならず、それらの官吏の権力は
国民の
団体の内部の自己是正の作用を抑圧し、窒息させてしまい、
国民主権以上の権力を発生させる。これらを考えて来るときに、我々は自由こそ我々を安全にし、我々を強くする唯一のものである確信を深めざるを得ないのであります。この
法案は
共産主義とか、共産党とかについて何らの知識を持たない人々によ
つて立案されたのであります。ただ知識ではなくして、
恐怖心だけがこの
法案を作
つているのである。この
法案を作
つた人々は毎日何者かに襲われる
恐怖心に脅やかされているのでありましよう。そうしてそうした怯えた
恐怖心が
共産主義、共産党に対して闘いを始めようとしているのでありましよう。従
つてこの
法案は、もはや
法案ではなくして銃剣であります。
恐怖心のために我々の自由を投げ捨てて
警察国家を作ることほど恐るべきものはないのであります。
この
法案は何らの建設的なものを持
つていません、
民主主義が勝利し又は存続すべき如何なる理智的な途をも指示していないのであります。
共産主義と対抗しようとするならば、むしろ積極的な
態度をとるべきであります。こうした消極的な禁止抑圧の立法によ
つてではなくして我が国の経済を整備し、
国民のために適正な経済を打立てれば、本法の施行以上に
共産主義の駆逐に役立つでありましよう。我々が
共産主義に対抗して何らかの
行動に出たいというならば、積極的にこの国を
共産主義、その他の侵入に対して微動だもさせないために、我が
国民に相当の生活水準、機会及び教育の均等、老後の安定を
保障する必要があるのであります。社会
保障法だけを実現しても、本法よりも遙かに以上の効果があることは明らかであります。我々
国民は現在の首相
吉田茂君の手の中に、あらゆる権力を委ねているのであります。然るに
国民からあらゆる権力をその手の中に委ねられながら、忽ち今
内乱が起りそうだ。従
つて基本的人権を
制限するような立法を作
つてもらいたいと
国会に願
つている。このような恥ずべき
政府がありましようか。このような
政府はすでに
国民に対してこの権力を返すべき時期が来ているのであります。いわゆるテロリズムを
政治的
方法によ
つて防ぎとめることはできないという言葉は、
日本帝国
主義と同じく古い言葉であ
つて、そして朝鮮や台湾における
日本帝国
主義の支配がすでに今日死んでいるように、死んでいる観念なのであります。我々の目を、現在アジアにおいて行われている革命の現実の進歩に注ぐべきであります。諸君は
憲法か、然らずんばこの
法案か。いずれかを選ぶのであります。我々はこの両者を選ぶことはできないのであります。我が
憲法か、それとも、この
法案か、この二つのうちの
一つ、いずれかが捨て去られなければならないのであります。(
拍手)