○伊藤修君 私は、これから
緑風会から提案されました
修正案に対しまして、(「無茶苦茶だ」「やかましい」「うるさいぞ、静かにしろ」と呼ぶ者あり)質疑をしたいと存ずる次第であります。
原案に対しましては、すでに私から、本
会議並びに
委員会におきまして、総論において十二点、各論において八十一点、補足して二十五点、合せて百年八点に亘りまして各欠点を指摘して参つた次第であります。
只今中山さんの御発言にもありました、ごとく、又
委員会におきまして討論の際、岡部さんから御発言がありましたごとく、
原案の不備であることは十分與党各位においてもお認めのことである。むしろ御発言の御趣旨は、不備ということを
通り越しまして、
原案は
法律としてな
つていない、こう断言しても憚らないのであります。(「その
通り」と呼ぶ者あり、
拍手)若しこの
原案を我々が容認するか否かと、こういう問いを発せられますれば、これは容認しがたい、撤回すべきものであると私は申上げて差支えないと存じます。(
拍手)その趣旨の端的な現われは、
委員会におきまして
緑風会を含めての十対四として
原案が否決せられました。この事実を以てしても明らかであると考える次第であります。(「その
通り」と呼ぶ者あり、
拍手)
およそ、この
原案の成り立ちが、御承知の
通り刑事法規と行政の実体
規定と、これに伴うところの手続
規定と、審理
規定と、罰則と、雑則とこうしたものを一つの
法律にまとめ上げたという、この異例な
立法体制というものから来るところの混乱である。
法律としては殆んど曾
つて類例のないところの形であ
つて、その
法律体制をなしていないことは、万人の認めるところであるのであります。私から言わしむれば、
政府は速かにこれを書き直して、更に整理して提案すべきものであると私は確信して疑わないのです。刑事法規と行政法規とを区別して、これを提案なされば、
かくまで紛糾するはずはなかつたと私は考えるのであります。法務総裁が就任早々にしてお慣れにならなかつたために、これを
特審局の立案の鵜呑みをせられた結果、今日の苦境に立
つていられることは、御同情に堪えないと思うのであります。(
拍手)「同情します」「同情の必要なし」「それだけじやないよ、問題は」と呼ぶ者あり)この
法律案に対するところの
緑風会の
修正案について私は以下三十五点について御
質問を申上げたいと思うのです。(「時間がないよ」と呼ぶ者あり)
先ほど木村さんか、どなたかから、細かいことは
委員会でと仰せになりましたが、
委員会でなすことを私の本旨といたします。若しお許しあるならば
委員会において、事細かに、この
法律案について、この
修正案に対しまして
審議を試みたいと考えておる次第です。(「動議出せ」「異議なし」「
委員会異議なし」と呼ぶ者あり)併し今の
過程においては止むを得ずこの壇上からかような詳細の点について御質疑申さなくてはならん次第でありますから、
中山さんにおきましても、
緑風会諸氏におかれましても、私の
質問に対しまして一つ一つ懇切丁寧に御答弁を賜わりたいと存じます。(「そうだ」「その
通り」と呼ぶ者あり、
拍手、「ごまかしは許されん」と呼ぶ者あり)あらかじめ
緑風会の秘書のお方に私の質疑要旨を差上げてありますから、十分御研究に
なつたことと存じますから、(
拍手)それで先ほど(「答弁なし」と呼ぶ者あり)中田君に対する
質問のお答えは、私、尊敬する
中山さんとしては余りに親切がなさ過ぎると思うのです。(「できないのだよ」と呼ぶ者あり)少くとも
法律家としてかような重要な
法案に対する御答弁は、
参議院の権威にかけても、(「その
通り」と呼ぶ者あり、
拍手)十分納得の行くような御答弁を私は願わしいと思うのであります。(「あれが
緑風会の代表か」「誠に遺憾だ」「五分五分だよ」と呼ぶ者あり)
先ず私は
修正案に対しての
質問に入る前提の問題を、二、三御
質問申上げておきたいと思うのです。これは
政府にも併せて御
質問を申しておきます。
第一は、昨日の総理の答弁であります。(「重大だぞ」「そうそう」「重大だぞ、あれは」と呼ぶ者あり)一松議員に対するところの御答弁を拝聴いたしますと、たとえ
行き過ぎがあ
つても、
破防法案の速かな制度を希望するのは
国民の声である、こういうような御趣旨を述べられたのです。(「その
通り」と呼ぶ者あり)
行き過ぎがあ
つてもですよ、この
法律を通さなくてはならないというお考え方です。これは誠に重大であると思うのです。(「その
通り」「そうだ」と呼ぶ者あり)いま一つは、片岡君に対するところの御答弁に、これに
反対する者は(笑声)暴力団体を教唆し、扇動するものであるとの御発言であります。(「その
通り」「そこだ」「それこそは
破防法だ」と呼ぶ者あり)もう一つの御答弁は、この
法律が制定されれば、暴力団体の発生は完全に防止できる、こういう御発言です。(「笑止千万」と呼ぶ者あり)又内村議員に対する御答弁としては、
破防法は決して言論や基本人権の侵害を目的としたものではない、治安維持法に対する悪評を
破防法に転嫁するのは卑怯である。こういう趣旨の御答弁があつたようであります。いま一点は、
破防法は
刑法その他
法律を以て防ぎ得ない暴力に対する
法案である。(「変だな」「その
通り」「違いないと呼ぶ者あり)この五点に対しまして、恐らく
緑風会の
方々は、こうした首相の御答弁に現われたところの考え方の上に立
つて、この
修正案がなされたと私は考えるのです。先ず基本的にこの点を私は
伺つておきたいのです。一体、
法律が基本人権を侵害しても差支えないという考え方はそこから来ると思うのです。憲法においては嚴として基本人権を保障されていることば
皆様御承知の
通りです。これを侵害して差支えないということは、それ自体、憲法を破壊して憚らないという暴言に私は等しいものと言わざるを得ないと思うのです。(そうそう、明言だ」と呼ぶ者あり、
拍手、「フアシスト吉田の封建だ」と呼ぶ者あり)或いはそれは
公共の福祉のためには基本人権においても制約されるのだと、こういう御趣旨かも存じません。問題は、憲法が
国民に対して不断の努力を以てこの基本人権を擁護しなくてはならないと示しておるのです。又その大なる義務を持
つておるのです。この重要な基本人権を
国民が守る場合におきまして、
政府がこれをは毀損する場合は、
公共の福祉の理由がある場合に限るのです。問題はこの
公共の福祉と基本人権との調和です。由来、国家がその国家を形成して行く場合において、おのずから国家全体の目的があるのです。今日のごとき
日本の
国内事情の場合においては、国内治安を如何にして保つか、こういう大きな問題と、いわゆる
公共の福祉と、他面、この目的を達成するために如何にして基本人権を侵害しないか、この二つの考え方の調和をどこで図るかということを考えなくちやならん。
原案に対しまして
政府が、
説明するところの大きな理由の一つは、
アメリカにおいても、或いはその他の国々においても、かような扇動罪は罰しておる、これ以上の
法律を出しておる、こういうことを常に敷衍しておられるのです。御承知の
通りアメリカにおきましては、ミニツツ
委員会というものがあります。即ち
アメリカの国内治安、
アメリカの安全を期待するために各種の非常
立法を
提出せざるを得ないこの情勢下においては、この目的を達成するために、幾多の刑事法規、行政法規を以てその目的を達成しなくちやならん。併し他面においては、
アメリカが国是とするところの基本人権の保障ということを守らなくちやいかん。その目的のために基本人権が破壊されてはならない。このことを調査し、研究し、示唆し、以て
アメリカ国民の基本人権を守ろうというために、ミニツツ
委員会というものが一九五一年の一月二十三日に設立されておるのであります。大統領のそのときにおけるところの宣言を朗読いたしますと、こういうことを申されております。「私は、この
委員会の仕事は非常に重要なものである。世界は自由と専制の闘争の中にある。米国は
自由世界の指導者の一つであるが、これは我々が物質におい七強力であるのみでなく、我々が
国民の自由を保持し拡張して来たからである。我々は、我が社会を自由尊重の信念及び実行の下に打ち立てて来た信仰の自由、言論の自由、結社及び
政治的信條の自由、信念及び実行の下に、今日米国人は共産主義者の脅威に関心を持たされているが、同時にこの脅威に備えてとられるもろもろの方策が、憲法よ
つて保障されているもろもの自由権を侵害することなきやについて関心を持
つている。」
かく大統領は述べておるのです。こうした国の基本的な考え方を強力な
委員会を構成して打ち立てて、然る後これらの治安の維持の目的のためにするところの政策及び基本人権との調和、こういうことを図りつつ
法律制定がなされておるのです。然るに、
日本におきましてはどうですか。何らかような手当をもなされずして、ただ
国民の権利を制約する面においてのみ
法律制定をなしている。この基本人権を保障する面においては一顧の考慮も與えられていないというのが昨日の吉田首相の答弁によ
つてはつきりしているのです。(「その
通り」と呼ぶ者あり)かような考え方を以て、今後の
法律制定、又この
法律制定がなされるとするならば、それは、それ自体憲法を蹂躪するも甚だしいものと言わざるを得ないと思うのです。今日為政者は、旧憲法時代のごとく、自己の諸政策を実行するために、権力を常に把握せんことに努めておる傾向がある。誠に寒心に堪えないと思います。その一例としてこの
破防法を見ることができると思うのです。私は、法務総裁が内閣の
法律の最高顧問として意見を述ぶるところの重大な責任をお持ちになる、その法務総裁が付いておられるにかかわらず、
日本の憲法を無視したかような大きな失言に対しまして、一法務総裁は如何にお考えになられるか。よろしく昨日の首相の御答弁に対しまして、取消若しくは(「それがあるまでは
審議をやめよ」「そうだ」「異議なし」と呼ぶ者あり)釈明されて、
国民の納得の行くような趣旨に御解明あらんことを(「すぐ出て来い」「吉田さん、すぐ来い」と呼ぶ者あり)切に私はお願いしてやまないのであります。又
緑風会諸氏におかれましては、かような
政府のお考え方を支持されまして、この
法律案を如何にして通すか、それには
政府の考え方をなるべく傷けないように、他面におきましては、
国民に何とかして申しわけ的な
修正をしてこれを言訳を立てようと、こういう考えの下に立
つてこの
修正案がなされていると考えるのです。(「その
通り」と呼ぶ者あり)この考え方であるといたしますならば、私は
緑風会諸氏が、
国民的なこの輿論、殊に知識階級を代表するところの全国の大学の教授の意見というものには少くとも耳を傾けなくてはならんと思うのです。殊に
国会におけるところの公聽会の意見に対しましては、十分これを取入れなくては私はならんと思うのです。それが
国会としての義務であろうと確信して疑わないのです。若し公聴会の意見が漫然聞き流されるとするならば、新
国会法の重要な一つの制度というものが
国民の信頼を裏切るに至ると言わなくてはならんと思うのです。我々は公聽会の意見はただ聞き置くではないのです。聞いて以てこれを取入れるというところにこの制度の基幹があると言わなくてはならんと思うのです。(「そうだ」と呼ぶ者あり)どうかその
意味におきまして、
緑風会諸氏の考え方は基本的に一つ改めて頂きたいと思うのです。(「買収されちやいかんぞ」「取入れたよ」「
議長に言えよ」と呼ぶ者あり)公聴会の意見を取入れておられないのです、遺憾ながら。(「いや入れてある」「どこに入れた」「取入れてないじやないか」「入れてあるよ」「冗談言うな」「社会党はどうだ」「どこに取入れてあるか
説明しろというのが大部分の意見じやないか」「
委員会でやれ」と呼ぶ者あり)
それでは私は、これより
緑風会の
修正案の各條について質疑を申上げたいと思うのです。どうか責任者のかたはメモして頂きまして、その点を一つ御答弁をはつきりして頂きたいのです。(「異議なし」「忘れないように」「我々もメモして一つ聞こうじやないか」と呼ぶ者あり)
先ずいわゆる
修正案第二條についてお伺いしたいのです。これは
原案の第二條のいわゆる訓示的
規定と相応ずるものであります。この
法律が如何に疑義があり、
国民の非難の的であるかということは、
原案第二條が第一項を設けてこれを申しわけしている後に第二項が附加されて又申しわけされている。然るに今度、三たび
緑風会の手によ
つて新たに第二條を設けまして、
拡張解釈をしてはならないという
修正をなされているのです。
かくまで、一回ならず、二回、三回に亘
つてこの條章を設けて、この
法律の
濫用の危險というものを制約しなくてはならないということを
法律自体が
国民に対しまして約束しなくてはならないという、それ自体が本法の危險性を表明して余りあるものと言わなくてはならんと思うのです。(「その
通りだ」と呼ぶ者あり)然るに三たび
緑風会の諸氏がこの
拡張解釈についての
規定を設けられたゆえんのものは、公聴会その他の意見において
濫用の慮れがあるからという点を、これによ
つて賄おうと考えられたことは、それはわかるんです。併しこの二條の
規定が果して
濫用防止に役立つでしようかどうか。「この
法律の
解釈適用」と題をなされまして、「この
法律は、
国民の
基本的人権に重大な
関係を有するものであるから、
公共の安全の確保のために必要な
最小限度においてのみ適用すべきであ
つて、いやしくもこれを拡張して
解釈するようなことがあ
つてはならない。」と、あ
つてはならないんです。あつた場合にはどうするんですか。(「どうだ、何のこつちや」と呼ぶ者あり)これに対しまして、この
法律を運用する者から考えまして、どれだけの羈束力を持ちますか。
法律はおよそその明文に
従つて国民の権利義務に
影響を及ぼすものでなくてはならんのです。そこに法的な効果をもたらすものである。單なる訓示的
規定ならば、
大臣の訓令で当然賄われるんです。(「その
通りだ」と呼ぶ者あり)法文にここに制定する以上は、その裏付けがなくては何らの価値を有しないことは、すでに指摘されておる
通りです。又
緑風会の諸氏も、
原案の第二條がその趣旨において何らの効果を持たないから、このたびの
修正案につきましては、
原案第二條について独立的な職権
濫用罰をお認めに
なつたんでしよう。然るにその裏付けは、
修正案の第三條、
原案の第二條にとどまり、
緑風会諸氏がお出しに
なつた
修正案第二條には何らその罰則は適用されていないのであります。かような矛盾した不合理な考え方が果した是認されるかどうか。ないよりはましだと言うならばいざ知らず、それでは
国民を欺瞞するにひとしいと思うのです。
立法府としての責任ある処置とは言いがたいと私は断言して憚からないんです。(「その
通りだ」と呼ぶ者あり)
又これを本質的にお考え願いたいんです。一体この
解釈適用というこの第二條の
修正の本質は何ですか。これは訓示的
規定というのか、或いは
法律規範であるのか。若しこの
破防法を運用する者においてこれを不当に
拡張解釈され光場合におきましては、
法律違反になるのですかどうですか。即ち
解釈の法定制度を設けたのかどうか。私はそれをお聞きしたいのですが、若し
解釈に対するところの
法律的にこれを
規定したものであると、こういう本質を持
つておるならば、若し
拡張解釈されますれば、それ自体
法律違反になるのですよ。(「その
通り」と呼ぶ者あり)してみますれば、これは上告審だおけるところの、
最高裁判所にこれを上告し得るということになるんです。上告理由となるのです。私のお伺いしたいことは、これが
法律であるか訓示であるか、本質を明らかにして頂さたいんです。これは重要な点であると思うのであります。その点を明確にせず、裏付けもせず、漫然この第二條を創設されたことは、いわゆる世の非難をこれによ
つて免れようとする一つの遁辞的な
修正に過ぎないと私は断言いたします。(
拍手、「なぜ君は
修正案を引つ込めたのか、卑怯じやないか」「なぜ
反対したのだ」と呼ぶ者あり)私は
修正案を引込めたのではないのです。
原案は
委員会において否決されております。
修正案は
委員会において否決されております。否決されたことは、それ自体
国会の
意思であると考えております。
従つて私は本
会議に出しませんでした。(「わかつたか」[わからない」と呼ぶ者あり)それを
緑風会のお
方々は、否決されたものを本
会議にお出しに
なつたから、私はお尋ねしておるんです。(
拍手、「わかつたか」「どちらが卑法だ」「恥をさらすだけだ」と呼ぶ者あり)お互いに、この
法律は重要な
法律で、
国民注視の的の
法案であるのです。我々は
参議院らしく
愼重に
審議いたしたいと考えるのです。(「異議なし」「その
通り」「安井君困つたぞ」「安井君の顔青いそ」と呼ぶ者あり)
次に
修正案第四條についてお尋ねいたします。
修正案第四條におきまして、その第一項第一号「イ」において
外患誘致罪及び
外患援助罪、同未遂罪、同
予備、陰謀罪、これを取入れまして、即ち
原案の内乱と同様な位置に置いて、これを
破壊活動の基本的な刑事罰則といたしたのであります。一体
原案がこの
外患罪を取入れなかつた基本的な考え方を
緑風会の
方々は御存じなのかどうか。一体、
外患誘致罪又は援助罪、こうしたものが
日本に曾
つてあつたのかどうか。(「ちつとも答弁しない」と呼ぶ者あり)これを一体お調べにな
つてこういうものをお作りに
なつたのか。(「さつきから答弁できないのだ」「黙秘権」と呼ぶ者あり)およそ刑事法規を作る場合におきしましては、御承知の
通り国家の非常な大典であるのですよ。(「ゆつくりや
つて下さい」と呼ぶ者あり)大きな憲法附属の法規であるのですよ。この重要な法規を、漫然、御研究もなく、自己の観念によ
つて取入れてあるという不合理なことがなされてはならないと思います。
〔副
議長退席、
議長着席〕
私が
政府の手を以て調べさせたところによりますれば、
日本の過去の例においては、
昭和十三年にこの
予備罪が一件あつたのみです。これのみが今日までの
日本におけるところの
外患罪の実例であるのですよ。
刑法施行以来数十年になるにかかわらず、(「三十年」と呼ぶ者あり)この
予備罪一件、而も
昭和十三年に一件あつたのみであるのを、何のためにこれをここに取入れなくちやならんかということを私は根本的に疑わざるを得ないのです。(「悪質だよ」と呼ぶ者あり)
外患罪というものは、御承知の
通り、
日本の
刑法にこれを取入れた趣旨はですよ、大陸法系を以ていたしましたからこういうことに
なつたんです。私が申上げるまでもなく、大陸地方は国々が相接しておる。でありますから、
外患誘致援助ということは容易に想像されるんです。
従つてこうした條章を
刑法に設ける必要も国家としてはあり得るんです。
日本は地域的に恵まれております。
従つてこの自然地域のこの形態においては、
外患罪は法典の上にありましても、実際は活用したことがないということは、この事実が証明しておるのです。かような点を考えますれば、
政府は、本質的には或いは必要かもわからんが、事例がないからとしてこれを取入れなかつたということは、容易に推察し得るのです。然らば、これが、今後果してこの
外患誘致罪及び助勢罪というものか必要かどうかということは、これは
外患罪を研究下さいますればすぐわかることであります。敵の
武力、
外国の
武力を誘致したのです。犯罪の成立は、例えばソヴイエトの軍隊が
日本に上陸したというときに犯罪が成立するのです。わかりますか。(笑声、
拍手)してみますれば、成立したときには、
日本の国土はすでに占拠されておるのですね。(「自己陶酔しておるな」と呼ぶ者あり)自己陶酔ではありません。占拠されておる。占拠されておりますれば、もうそれによ
つて日本政府の機構が果して動くか動かぬかもわからない。むしろ
占領軍の力があ
つて、
占領軍の統治下に置かれておる、すでに……。その場合にこの
破壊活動防止法がどうして動くのですか。むしろ
破壊活動防止法を適用しようという人が死刑にな
つてしまう、向うから……。(笑声、
拍手)又第八十二條の
外患助勢罪の場合に、これは八十二條の
外患助勢罪は、御承知の
通り、
日本国内に
外国軍隊がお
つて、それにくみして軍務に服し、利益を供與し、助勢する場合、まさに占領の実体があるのです。その場合に、その助勢をした者を
破壊活動として掴まえる前に、向うから掴まえに来てしまう。それだから、観念的には
中山さんのお考え方も、私は何も無理ではないと思うのです。併し実際に、必要論として実際論としては、曾
つてさような事件もない、今後においてもさような場合を想像し得ないとするならば、あえて以てここに取入れて、なお以上この
法律の
適用範囲を拡める必要は、毫末も認められないと私は断言して仰りません。(「吉田
政府こそや
つてるじやないか」と呼ぶ者あり、
拍手)
次に私は第四條の第一項の第一号のハについてお尋ねいたしたいと思うのです。
緑風会のかたは、本法のおいて一番問題点となるところのいわゆる扇動につきまして非常に御苦心をなさつたことは、この
修正から見ましても窺い知ることができるのです。御苦心のほどは察せられます。併しその基本的な考え方が如何にして
政府原案を傷けないように
修正しようかという考え方の下に
修正されておるのですから、
従つてどうしてもその
修正態度というものがはつきりしていないのです。(「必要な問題だね」と呼ぶ者あり)必要であるかないかということは、これは昨日一松議員からも櫻々お述べになりました。
委員会におきましても、これに対するところの質疑応答は詳細になされております。私はここであえてその問題を繰返そうとは存じません。私は、本日
皆様に訴えたい、
皆様に反省を要求したいことは、
皆様がよいと考えられて御
修正に
なつた点に
国民の一人として疑義がある、こういう点を指摘いたしまして、
皆様のお考え方を反省に導きたいと、こう考えておるゆえんです。(
拍手)およそ一人が最善なりと考えましても、他から見ますればこれは欠点があるだろうという場合においては、これを聞いて改めることは、私は聖人君子のなすべき点であろうと存ずる次第であります。その
意味においてお尋ねしておるのです。(「君においても同様だよ」「
議長をペテンにかけてね」「いやしいぞ」「ペテン屋だ」「年中や
つているとわからないからな、自分のことは」と呼ぶ者あり)木村さん、まじめに聞いて下さい、お互いに……。もう時間もないことですから、まじめにや
つて、一つ研究して頂いたほうがいいと思うのです。(「妨害するな」と呼ぶ者あり)
緑風会の
方々のお考え方として、先ず第一に、この扇動罪の頭に「目的」ということを常に掲げていらつしやる。「実行させる目的」と、こういうように表現されておるのです。これは私は深くは申上げんでもよろしいと思うのですが、お考え方の一端に、「実行させる目的」、そういう表現を用いれば、何らか扇動罪というものに対して非常な制約をした、
国民に安心感を與えた、少くとも扇動罪の幅を制約しのだ、こういうお考えの下になされたとするなら、それは大きな誤まりであるると私は申上げたいのです。そうではなく、單に
原案の「ため」とある表現を、そうでなく「目的」という言葉で言い換えたのだ、「ため」では不明確だから、それで「目的」という言葉に切り換えたのだ、こういう軽い
意味なら又是認もできるのです。そうでなく、これによ
つて少くとも
国民の危惧するところの扇動罪の幅を制約したものである。という御主張ならば、それは誤ま
つておると申上げたいのです。御承知の
通り、
中山さんも専門家ですから、十分おわかりのことと存じます。目的罪というものは、その目的が犯罪構成要件をなすのです。若しその目的がなかつたならば犯罪は成立しないのです。ここに扇動とある場合において、例えば「内乱を扇動したものは」と、こう言つた場合におき」ましては、それは内乱を目的として扇動したものだということと同じことです。(「その
通りだ」と呼ぶ者あり)「人を殺す目的を以て殺人を犯したるものは」、そんな書き方はないですよ。殺人という言葉は、それ自体において殺人の目的が含まれておるのです、でありますから、ここにあえて目的」という言葉を使
つて、これが扇動を制約したものだという理由には私はならないと思うのです。(「その
通り」と呼ぶ者あり)若しそういうお考えだつたならば、すべての
刑法典の上に皆「目的」ということを掲げなくちやいけないことになるのです。(「本屋が喜ぶ」と呼ぶ者あり)さような馬鹿々々しいことはあり得ないのですよ。又目的罪といたしますれば、目的に対しまして、少くとも判例から申しましても、認識の程度は必要であるのです。婦女を営利誘拐した、営利の目的を以て誘拐し云々とあります。この場合においては、少くとも営利の目的を以てしなかつたならば、單に婦人を自己の支配内に置いても、営利誘拐罪は成立しないのです。そこに営利の目的があ
つてこそ初めて営利誘拐罪が成立する。こういう場合において、初めて目的罪というものは価値あるわけです。御
修正の御趣旨はこれを目的罪に切り換えたとは考えられないのです、この表現から考えても……。若し目的罪としてこれを表現なさつたとするならば、それは大きな誤まりであります。
解釈上そういうふうには出て参りません。この点は私は、どういう御趣旨でこの表現をお用いに
なつたか、この点をお伺いしておきたいと思うのです。
次に、第四條第一項第一号ハ及びその他の個所におきまして、いわゆる扇動という定義を用い、その他扇動という言葉についてその定義を援助されておるのであります。
緑風会の今度発明されましたところの扇動の定義というものは、私は
日本学界におけるところの新機軸であろうと思うのです。(
拍手)昨日扇動に対しましては一松さんから詳細にお話がありましたから、改めて私は申上げません。昨日一松さんが引用されましたのは
昭和四年の大審院判例です。その後、
昭和玉年十一月四日に大審院の新判例が出ております。それで今日学界その他の通説として扇動の定義を述べる場合におきましては、この
昭和五年の十一月四日の大審院判例を述べております。
委員会におけるところの速記録を御覧になりますれば、
政府の答弁も又この判例に基いてお述べにな
つておるのです。それで、この判例を分析いたしますと、先ず中正の判断を失わしめる、これが一つです。それから実行の決意を生じさせ、又既存の決意を助長させるような刺激を與えること、これが第二の要件。そうして相手方は不
特定多数人たることを要しないのです。この点が
昭和四年の判例と変
つて参つた。
昭和四年の判例は、相手方は不
特定多数人ということを要件としておつた。新判例では、相手方は不
特定多数の場合がこの犯罪の通常の
状態でありますけれども、犯罪構成要件ではない、こういうことを打ち出しております。
従つて、
昭和五年の扇動罪の主たる要件は、中正の判断を失わしめるというところにあるのです。これが扇動罪の大黒柱を成しておるのです。然るに
緑風会のかたの
修正案を分析いたしますと、
特定の
行為を実行させる目的を必要とする、これが一つの要件にな
つております。それから文書若しくは図画又は言動によること、これが第二の要件にな
つております。第三の要件としては、実行の決意を生ぜしめ又すでに生じている決意を助長させるような刺激を與えること。これはまさに判例と同様な要件です。又第四に、相手方は
特定又は不
特定たることを要しない。これも
昭和五年の判例と同じ構成をと
つていらつしやる。
従つて第三、第四は判例と同様な趣旨を要件に掲げられておる。併しここに第一と第二が新らしい要件をここに取入れられた。これは非常な私は進歩であるか退歩であるか、大胆な、なされ方だと思うのです。(「めくら蛇におじず」と呼ぶ者あり)
特定の
行為を実行させる目的を必要とすると、先ほども申しましたいわゆる目的罪をここに私はと
つて来なくちやならんと思うのです。これが要件であるかどうかということは重要な問題とな
つて来る。若し要件であるとするならば、いわゆる目的罪と同様な考え方にも類推される。そうではなく、扇動罪の一つの内容であるとするならば、特に法文において実行させる目的ということを書く必要がない。こういう二つのどつちへでも議論が立
つて来る。要件であるという御
説明ならば、法文のあの表現は間違
つておるということになるわけです。私は一応要件としてこれを考えてみた。又中正の判断を失わしめという大審院の判例の重要な要件を切捨ててしまつた。そうすると、扇動罪と一体教唆との区別が全然つかないです、これでは。……扇動罪というものがこれだけある、教唆というものはその中に入
つてしまうです。丁度日蝕の場合の皆既蝕をちよつと外れたくらいな三日月程度になる。そういうように御想像になればよくわかるです。(「想像できますか」と呼ぶ者あり)扇動罪というものの中へ教唆という独立罪が入
つてしまう。少し出るところがある。これは本当の観念的に出る、理論上出るだけです。先ず普通の考え方としては、扇動罪の中に教唆が全部入
つてしまうという表現でも過言ではない。それでは、本法において特に教唆を独立罪とした、そうして扇動罪を独立罪とした、何の意義があるかということにな
つて来る。然らば教唆は削除して扇動罪一本にしなくちやならんという
法律構成をとらなくちやならん。ここに大きな矛盾がある。いま一つは、かような中正の判断を失わしめという要件を取つたために、少くともそういうことが要件とならなければ……、大審院の判例は
皆様お考えにな
つてもそれが犯罪構成要件になる。若しそれがなければ扇動罪は成立しない。然るに
緑風会の
修正案によりますれば、それを要件としないということになりますか、幅が広くなるのですよ。でありますから、
修正によ
つて国民の期待をここに取入れた、公聴会の意見を取入れたということは、却
つて逆に広く
なつたということにな
つて意思に反することになる。(
拍手)これは私の議論は決してここに
政治的に申上げるわけでない。
法律的に申上げまして
皆様の再考を促したいと思う。恐らく
緑風会の
方々のお考え方も、広くしようなんて考えていない。恐らく私は良識ある
緑風会の
方々がさような考え方をお持ちにな
つて修正なさつたとは思われぬ。併しなされた結果は
解釈上当然広くな
つて来るということは、私一個の見解じやありません。世にこれを問うて御覧なさい。
学者は必ず私と同様な見解を表明することは、私はここで断言して憚かりません。だから
皆様の目的としないことがここに現われて来た。これはどうか一つ考え直して頂きたいと思うのです。私が仄聞するところによりますと、
特審局の吉河君などが、
緑風会の
修正は
原案より広く
なつちやつたんだ、まあ喜んでおつたかどうかそれは存じませんが、少くともそういう表現は用いておつたですよ。(「
特審局の御用党か」と呼ぶ者あり、
拍手)この点を
一つ十分御研究にな
つて、ただ、なぶればいいというのではなくして、かようなことは重要な点でありますから、
お考え合せを願いたいと思うのです。いま一つは、
緑風会が文書若しくは図画又は言動によることと、こうなさつたですが、これは非常に端的で明らかです。お考え方は私は結構だと存じまするが、果してこの場合において、文書若しくは図画と、ここまではわかるのです。言動という言葉が私はわからない。言はおのずからその字のごとく
解釈して差支ないと思います。動はどこまで指すのですか。動は私たちの
行為者のこの
行為の範囲に限られておるのか、或いは我々の
行為を他に移して、そうしてそこから反射的に出て来る動まで含むのかどうか。具体的に申上げますれば、例えばこれを映画に撮
つて、映画によ
つてこれをなさしめる、幻燈によ
つてなさしめる、テレビによ
つてなさしめる、こうした場合に、これは動のうちに入りますかどうか、非常に不明確だと思うのです。(「そうだ」と呼ぶ者あわ)恐らくそういう点はお考え合せていらつしやらないのかも存じませんが、これは御研究になる必要があると思う。それで、それまでお考えになりますれば、そういう点にもやはり御研究の一端は進めて頂かなくてはならんと思うのです。この点は私はどうか提案者に十分納得の行くようにお聞きしておかぬというと、この
修正案が若し通つた場合において
国民は至大な
関係を持つことになる。十分その点について御
説明をお伺いしておきたいと思うのです。(「
緑風会寂として戸なし」と呼ぶ者あり)
なお詳しく申上げたいと存じますが、お聞きになるかたも大変でしようと思いますから、成るべく簡單にいたしておきますけれども、次に第四條第一項第一号ホについてお尋ねいたしたいと思います。ここに
修正案によりますと、「ホ、
刑法第七十七條、第八十
一條又は第八十二條に
規定する
行為を実行させる目的をも
つて、無線通信又は有線放送により、その実行の正当性又は必要性を主張する通信をなすこと。」これを新たに
緑風会のかたは設けられた。これも一応の考え方としては私は成り立つと思う。併し一体今日無線に関する
法律は、御承知の
通りその
法律自体において重罰を科してこれを
取締つておるのです。おのずから無線放送の内容というものはその
法律の範囲内においてこそなされるのです。でありますから、ここに
破壊活動防止法の一つの構成要件としてこれを取入れる必要があるかどうかということは非常に疑問であると思うのです。今日のNHK或いは民間放送というものが、この嚴として存するところの無線放送に関する
法律を犯して、許されざる
行為をなすとは考えられないのです。ここに取入れられますことは、一体どういう場合を想像してこの無線放送を取入れられたのかということを先ずお伺いしたいのです。
それで一体この無線放送と無線通信というものの私は意義もわからないのです。無線通信というのはどこまでを指すのか。勿論我々の常識を以ていたしますれば、放送と放送局というふうに考えます。併し、この無線、有線、この区別をどこに置くのか。それで、この
原案の有線放送というのは、
日本では確か北海道ほかないと思うのです。放送局から或る一カ所に受信しまして、そこから有線で以てスピーカーに各戸に分ち與える。これが即ちここに言う有線放送の一つの事例でしよう。その北海道の一つの村で行われておることを対象にしてこれをお書きに
なつたのですが。若しそうでないとするならば、その他の場合の各個におけるところの施設、小さい施設を目標としてお書きに
なつたのか、乃至は街頭において演説会をする場合において、マイクから線を繋いでスピーカーに出る、これをも含めてのお考え方であるかどうか。こういう点は、やはり明確にする必要があると思うのです。この点をお伺いしておきたいと思う。こういう場合におきまして一体この條章をお入れに
なつた主たる目的が、非合法な個人の無線放送というものを対象に
なつたかも存じませんと思います。若しそうであるといたしますれば、この非合法の無線放送というものは、果してキヤツチできるかどうか。一体余り
法律を理想的にお作りにな
つて、有効にこれが運用できないようなものであ
つてはならないのです。又
政府がこの條章を最初から取入れないという趣旨も併せて私はお伺いたしておきたいのです。然るに
緑風会諸氏のお考え方によ
つてこれをここに取入れられたということにになりますれば、そこに大きな理由がなくてはならんと思うのです。いま一つは、この
修正に
関連いたしまして、ここに
関連的にお尋ねしておきたいことは、
修正案の第三十
八條第二項第三号の処罰の
規定です。ここに「通信をなした者」と、こうある。この表現が「通信をなした者」、こういう表現で賄われておりますが、一体、通信をなしたということは、私なら私が通信をなしたというので私を対象にしておるのか、或いは通信をなしたアナウンサーを言うのか、その通信をした技術者を言うのか、通信をなさしむるに至つた原稿を作つた人を言うのか、これを検閲した人も含むのか。ただこの表現で行きますと、通信をなした者はすべてこれに包含されるということになるのです。まさか
修正案の立案者がさような広汎な
規定をなされたとは考えられないのです。併し、この條章を率直に文理
解釈を以ていたしますれば、当然
只今私が挙げました範囲まで及ぶ
解釈がなされる虞れがあるのです。この点はやはり十分お考え合せ願わないと、今後無線通信に関與する人々は非常に危險な地位に立たざるを得ないのです。恐らく通信
関係に従事される人が、さような重大な事項が
緑風会の諸氏の手によ
つてここに企画されたとは考えていないのです。この点は私は将来のために十分御研究にならなくちやならんと思うのです。又この通信をなした者についての犯罪には、一体、通信をしたときに犯罪が成立するのか、通信が相手に到達したときに成立するのか、はつきりしないのです。これは
皆様が
法律を作るときに簡単にお考えになると、それは困るのです。人がそれによ
つて処罰されて刑務所に行くのですから、
皆様が
緑風会のお部屋で以て坐
つてお煙草を喫んでいらつしやるような安易なお考えでお作り下さると大変な迷惑なんです。(「そうだ」「どうだ岡本案」と呼ぶ者あり)どうかその辺に対しまして、我々が放送したときに、そのときに犯罪が成立するというこの考え方ならば、若しその通信が相手方に到達しない場合にどうするのか。又放送はしたけれども、相手方に到達しなければ犯罪が成立しないとするならば、そのラジオを聞くということが構成要件のポイントをなすと、こういうことになるのです。この点はいずれでもよろしい。けれども、はつきり明確にすることは、およそ犯罪を規制する場合においては、これは厳格に
規定されることは私がここにあえて申上げるまでもないことであるのですから、この点を十分お考え合せ願いたいと思うのであります。(「
緑風会案杜撰極まりなし」「岡本愛祐君どうだ」「答弁を聞いてから言え」「検討済みだ」と呼ぶ者あり)
修正案の
刑法の実体
規定についての部分は以上で以て先ず打切
つておきます。
次に
修正案の手続
規定のほうに移りますが、
修正案法第十四條以下において、この受命職員の
規定を設けておられます。先ほど
中山さんが私の考え方も取入れたというのはここのことをお指しになるのでしよう。私の考え方をお取入れ下さつたことは誠に私としても喜ばしいのでありますが、お取入れになるお考え方をお伺いたしたいのですが、私の考え方とあなたがお取入れに
なつた考え方とは違う。この表現自体において私はそういうふうに看取される。これは野田さんがお笑いにな
つていらつしやるけれども、いいですか野田さん、お互いに
法律を作る場合においてどういう考え方の下に
法律を作るのか、これによ
つて法律は作り方が違うのです。又その
解釈が違
つて来るのです。(「その
通りだ」と呼ぶ者あり)だから、私の考え方を形の上で取入れられましても、その運用と効果の点において違
つて来ることは、おのずからその考え方によ
つて違
つて来るのですよ。だからそれをお伺いするのです。形はお取入れ下さ
つて私は結構だと存じますが、この問題は先に本
会議場で私が申上げたところです。公安調査庁という一つの機関の中に調査官と審理官を置いて、一つの手によ
つて事が裁かれるという、こういう古いあり方はよくない。この指摘しておる点を
緑風会の
方々はお取入れ下さ
つて、ここに成文化さたれことについては敬意を表しますが、併しそのお考え方を、私の申上げる考え方を貫いていないというのですよ。ただ「審理官」を「受命職員」というものに書き替えたに過ぎないのです。それでは
法律の
原案が持つところの審理官制度の意義がそのまま残
つておるのです。いいですか。文字は変りますよ、文字は変りましたけれども、單なるそれは審理官ということが受命職員というように変つただけであ
つて、その内容はそのまま依然として継承されている点に私は不満があるのです。又
皆様のお考え方は、折角お取入れ下さつたというならば、根抵から、精神からお取入れ願いたかつたと、こう申上げるのです。で、
皆様がこれを採用なさつた趣旨は、この
法律によ
つてこうむるところのあらゆる
国民の権利の制約というものが正しくここから整理されて、いわゆる調査されて、その結果整理されるという方向に持
つて行く、いわゆる保障の制度の一つとしてここに
皆様がお考え下さつたのでしようが、根本的に審理官制度の精神をそのまま残されたのでは有名無実なのですよ。名を與えて実を少しも
国民に與えていないということになる。その端的な現われ方は、この十五條、
原案の十五條ですね、
原案の十五條のいわゆる証拠を、不必要な証拠をこれを取調べなぐてもよろしいという、この
規定を外しておらないのです。この構成を、審理官制度を廃止した以上は審理官ではないのです。受命職員です。調査官のうちの命を受けた、特に命を受けた職員がこの再調査に当るのです。調査です。その本質は調査でなくてはならない。それで、正しい調査をなされてその結果を
委員会に送り出す。この調査をなすということが今度の
緑風会案の中に取入れられたのです。してみますれば、調査官は飽くまで調査の本体を、本質を備えなければいかん。その調査官がみだりに、容疑者から出された、
関係者から、利害
関係人から出された証拠の取捨選択を與えるということは、その審理の
過程に入るのです。いいですか、証拠を取捨選択するということは審理ですよ。そこに審理と調査の相違が出て来るのです。私の申上げることは、折角調査官制度一本になされたならば、従来
原案の審理官制度の残存物、そういう精神を
原案からことごとく抜き去らなければいけない、こう申上げるのです。そうしなければ趣旨が一貫いたしません。形だけはお取入れ下さつたけれども、実質は少しもお取入れ下さ
つていないことに私は反省を促したいと、こう申上げるのです。
只今の
原案の十五條、
修正案の十六條の
規定は従来こういう説があるのです。それは、例えばその構成団体が多数の証拠を出されたならば実に困るのじやないか、こういう実際論から来ておると思うのです。それは肯けるのです。併しそれは、今度の
修正、
皆様の
修正のような形にいたしますれば、それは私は利害
関係人が自己の主張を裏付けするためにお出しになるのですから、おのずからその限界というものはそれによ
つて制約される。証拠物として、参考資料として出される。だから厖大なものを出されてもそれは到底事実上できないのではないか、
委員会において御
提出なさい、こういうことは任意にそれは取引できる、言い得ることもできるのです。又利害
関係人においてもそういうことを十分納得し得ると思うのです。ただここで以て、この
原案の十五條、
修正案の十六條の拒否権を與えるということになりますれば、そこに一つの証拠を取捨選択判断されるという危險を伴う。公安調査庁において審理されるという不合理な結果をそこに具現することになる。こういう点を私は指摘しておるのであります。だからこの制度はやはり取り去らなければならんと思うのです。それから、或いは民事訴訟法の中の不必要な証拠は裁判官の認むるところによ
つてこれを取捨できる、こういう
規定があるから、その精神をここに取入れたという考え方もあるかも存じません。併しこれは御承知の
通り、民事訴訟法を取扱う者は最高学府を出て、修習をしまして、そうして実習をしまして、十年という
予備判事の経過を経てそうして判事としての
立場をと
つておる、その裁判官がこれを運用するというのが今日の裁判所法の形です。かような常識豊かな過まちのない職員を以て行わしめるのでありまするから、この職員が必要がないという場合においては、それはその考え方の
通りに従わしむることを以てしても、決して
国民の権利を不当に制約するようなことはあり得ない。かように
法律は考えて民事訴訟法の二百五十九條というものは設けられておる。これがために本法にこれを取入れて、地位の低い巡査若しくは巡査部長或いは警部補程度の人にかような重大な証拠の取捨選択権を與えるということは不合理極まるところのものである。だから、この点から考えましても、この
修正案十六條、
原案十五條というものは当然削除さるべきものと考えるのです。この審理官制度を廃せられたという基本的なお考え方を維持なさるならば、その首尾を一貫するためにもこれは当然削除さるべきものであることを指摘してやまないのです。
次に、この
修正案の第二十二條についてお尋ねいたしますが、これはこの「点も私の考え方の一部を取入れられていらつしやるようです。併しこれについても私は首尾が一貫してないと思うのです。お考え方がどこにあるか、私はそれをお尋ねしておきたいと思う。一体この公安審査
委員会の審理について
修正なさつたその基本的なお考え方は、この
委員会の機能は直接審理主義をおとりに
なつたか、間接審理主義をおとりに
なつたか、この点を先ずお尋ねしたいのです。若し直接審理主義をおとりに
なつたといたしますれば、すべての
委員会の職権
行為の発動というものは、その基本原則の上に立
つてすべて打ち立てられなくちやならないのです。でありますから、書面審理ということは、即ち間接審理ということは、例外的な考え方にこれを運ばざるを得ない。
法律の立て方もそうである。職務の遂行もそうでなくちやならんと思う。この点は、本法を生かすか殺すか、いわゆる
委員会制度の活用の万全を期する上において重要な基礎をなすものでありますから、明確にしておいて頂きたいと思います。
次に、この
委員会のもう一つの基本観念は、職権主義か処分権主義か、この点にあるのです。これも又私がくどくどと御
説明申上げるまでもなく、
中山さんにおいては十分御了承のことと存じます。職権主義であるとするならば、当事者の申立によ
つて委員会の機能の活動を促すということは例外的にな
つて処分権主義であるとするならば、当事者の行動が主となり、職権主義はこれを補うところの従たる
立場に立つのです。従
つて委員会におけるところの各機能のあり方というものは、この考え方によ
つて重大な
影響を来たし、その活動の範囲、当事者の利害保護の範囲というものは著しく相違を来たして来ることは申すまでもないことであります。この点に対しまして十分御
説明を
伺つておきたいと思うのでございます。
次に、この
委員会におけるところの処分の本質である。
委員会においてなされるところの職権に基くところの処分、
修正案において
かく規定されております。この処分の本質が、私は行政処分と考えるのですけれども、一体、行政処分か、準司法処分か、この区別をお伺いしておきたいと思います。若し行政処分であるといたしますれば、この処分の当、不当に対しましては、行政事件訴訟
特例法によ
つて行政裁判を求むることができるという結果を招来する。準司法処分であるとするならば、おのずから方途も又違
つて来る。でありますから、この
委員会においてなされるところの処分の本質というものを、この際、明らかにして頂く必要があるということは申すまでもないと思うのです。私はこの際この公安
委員会制度のあり方につきましてその機能の完全なる運営を期待するため、
衆議院において取調ができるという單なる言葉を以て表現して
修正して参つた。その取調ができるということを、あの内容を
緑風会諸氏の手によ
つて明確化されたという点は一つの進歩であります。併し、その折角の
修正が基本的にどういうようなあり方であるか、又効果がどうあるかということを、やはり
法律の上において明確にしてこそ、初めて完璧を期せられると、かように考えるのです。然るにその取調の内容を明示するにとどまり、その機能がなした結果、即ち決定に対するところの処置については何らの考慮を拂わなかつたことは、首尾一貫せざるものと言わざるを得ないのです。折角公安審査
委員会制度に対しまして
緑風会諸氏の温かいお考え方がそこに及んだとするならば、仏を作
つて魂を入れて、首尾を一貫して、最後までこれを見守るという
態度を持して頂きたかつたと思う。というのは、昨日一松委員からこの点について簡單に御指摘がありましたが、即ち
委員会のすでになされたところの決定が、その決定をなす前提たるところの
原案の第三條の
破壊活動として
規定されたるところの、
刑法に
規定するところのあの犯罪
行為、これが刑事裁判所において無罪となりますれば……この
原案の第三條、
修正案の第四條、この
規定されておるところの事実があ
つて初めて
破壊活動団体としりて設定されるのです。よ
つて以てこの団体は好ましからざる団体として、
原案の第四條、第六條の処分を受けることになるのです。その決定がなされた後に、刑事裁判所においてその
原案たる事実が無罪と
なつた場合におきましては、当然この処分
行為は本質を失うのです。
従つてこれはみずからその決定を取消すところの
行為があ
つて然るべしであると思うのです。若しそうでなくて司法裁判所は無罪である、行政手続たる
委員会の決定は有罪を基礎として
破壊活動者として認定したということになりますれば、国家の
意思は相矛盾した二個の
意思をここに具現することになるのです。
政府当局に言わしめますれば、各種行政
規定の上において、そういうことは間々あり得ると、例えば古物営業
取締の場合において、その
取締規定の処置によ
つて違反
行為として行政処分が行われた後に古物営業法の事件が無罪に
なつた場合においても、そのすでになされた行政処分には
影響はないのだと、だからこの場合でも差支えないと、これは私は本末を顛倒した議論である。一つの業態、古物業者という一つの業態のそうした些々たる行政処分は、その主務官庁の行政事務遂行上、必要上、そうしたことも認容されることも、これは行政権の責任ある地位を我々が與えておる以上は、一応認容する場合もあり得ると思うのです。併し、この
法律のごとく、八千五百万の一般の
国民に適用するところのいわゆる一般法、憲法附属法規とも言うべきこの一般法の場合において、そうした行政権優越主義を認めることは、国家を破壊するところの大きな素因をなすものと言わざるを得ないのです。(
拍手)この点に対しましては、我々はどうしてもさような不合理なことは帰一せしめることが当然である、又そのためにすでになされたところのかような実質を失つた行政処分に対しましては、これを取消し、そうしてみずから取消しま、て司法処分とその結果を帰一せしめると、こういうあり方をこの本法の上において当然賄うべきであるのです。又その賄つた結果、すでになされた行政処分によ
つてこう
むつた損害というものは、国家はその
国民に対しまして賠償してはならないのです。そこまでの手当をなくしてこそ首尾が一貫するわけです。昨日一松議員が言われたごとく、それをなさざるというのは切捨て御免と言うても過言ではないのです。御承知の
通り憲法十七條に基くところの国家賠償法というものがあるのです。その賠償法の中には、故意若しくは重大なる過失を以て国家が
国民の権利を毀損した場合においては、国家がみずからこれを賠償する責に任ずということにな
つております。然るに本法の場合においては重大なる過失とは言いがたいでしよう。当然な職務
行為の結果、その過まちを犯した、或いは軽過失があつたかも存じません。いずれにいたしましても、故意にその
委員会がなさざる限りは国家賠償法の適用のないことは火を見るより明らかであります。してみますれば、本法においてさような場合においては、審査
委員会は、当然、第四條、第六條の規制の結果その当該団体にこうむらしめたところの損害は、これを時価に換算して賠償することを決定する、若しその決定の金額に対しまして不服のある場合においては、当事者はこれに対して異議の申立てができると、こういう処置を講じてこそ、首尾を一貫したものと言うことができるのです。私は折角
委員会制度において手をお加えに
なつたならば、そこまで手をお入れにな
つて首尾を一貫さすべき筋合いのものであろうと、かように固く考える次第であります。
修正案の第四十五條の職権
濫用罪について、これは先ほど中田さんも詳細にお述べにな
つておりましたから余り多く申しませんが、これは
刑法百九十三條と百九十四條のいずれの罰則を適用するか、
修正案はその中間をと
つている。これは
緑風会さんのお考え方といたしましては、勿論
刑法百九十四條の逮捕監禁という基本人権に直接
影響するがごとき
濫用行為ではない。この場合は又百九十三條のごとく公務の踰越
行為であるとかというような單なる場合でもない。その及ぼす
影響はその中間ぐらいであろうというので、この刑罰を御
規定に
なつたのです。刑罰の高い安いを以てこの
規定の有効無効ということは、結論は出て来ないのです。だから、その量刑、法定刑をここにお定めになることは、むしろ中間的或いは百九十四條、このいずれかをとらざるを得ないと思うのです。問題はむしろそうでなくして、私はこの
規定を置かれる以上は、
原案の第二條、
修正案の第三條になりますが、公安調査官が規制のためにする調査について、その職権を
濫用し踰越した場合において、この刑罰
規定が適用せられる。ここに新らしい職権
濫用罪というものが創設されたわけであります。併し、この
法律の持つたところの
適用範囲と旧いうものはひとり公安調査官のみではないのです。公安調査官の持つ職域というものを五〇%といたしますれば、他の五〇%は司法警察官が持
つているのであります。即ち本
原案の第三條の事案があるかないかということは、これは司法警察官の職域であります。更に、これがありと認定された場合において、初めて
原案の第四條以下で公安調査官に職域が発動して来るわけであります。
従つてこの一つの事案に対しましては、その五〇%は司法警察官の持分であり他の五〇%が公安調査官の持分である。でありますから、
原案の第二條の職権踰越
行為に対するところの保障
規定即ち制裁
規定というものは、ひとしくこれらの司法警察官にも遵守させる、遵奉させる必要があるのです。これは法務総裁もまさにその
通りでありますと
委員会で答弁に
なつた。賛意を表せられておられるのであります。
緑風会の
方々がそれをお忘れに
なつたか、或いは気付かれてお
つても故意に落されたか、いずれにいたしましても、これを首尾一貫させるためには
政府も同意をしておられるのであります。して見ますれば、
原案の第二條のところに「捜査する者も」と、こう入れなくてはいけない、表現は別といたしまして……。そういう
措置を第二條に入れまして、そうしてこの罰則の中へ取入れて来なくてはいけないと思うのであります。さようにしてこそ初めて、
原案の第二條、
修正案の第三條というものは、裏付けあるところの保障
規定として役立つのです。この
修正案のごとくいたしますれば、
原案の第二條の範囲にとどまりまして、大部分の捜査の範囲においては何らの効果をもたらさない。捜査に従事するところの司法警察官、或いは事務官、検事、これらの者はたやすく
原案第二條の
規定を犯すことができ得るということは想像にかたくないのです。むしろその弊害が多いかも存じません。だから、そうした場合におけるところの
措置というものは当然なされなくてはならんと思うのであります。
又この罰則
規定がこの調査官の職務
行為に対しまして全的に適用ができない、この表現では……。例えば調査官が必要に私なら私を尾行しておつたという場合には、この罰則は適用できないのですね。若し私が
選挙をしている。その場合に毎日不必要な尾行がついて廻
つて御覧なさい。忽ち落選にな
つてしまう、そういう手も用いられるでしようね。その場合においてこの本法は動かないのです。皆さまお笑いつにな
つていらつしやいますけれども、これが
政治鬪争が熾烈になりまして、
反対党をとしても彈圧しようというような
政府の
立場に追い込まれた場合におきましては、そういうことが当然行われることは想像にかたくないのですよ。だから、そういうことは、この本法の持つところのいろいろな不備欠陷というものが、今後におけるところの各種の合法的な行動の上に、合法的な争いの上にことごとくこれが及ぼして来るということに、本法に危惧を抱くのです。そういう点において私はこの保障として設けられました新らしい罰則
規定というものり
適用範囲が非常に狹められたこの表現では、いま少し私は考慮さるべき必要があると思うのです。いわゆる
原案の第二條に対して、世の非難を阻止するために、かような保障
規定を設けたと、これは結構です。併しその保障
規定の及ぼす効果というものが非常に狭められているということを指摘してやまないのです。この点は更に私は
緑風会諸氏に御考慮を促したいと思うのでございます。(「答弁を聞きましよう」と呼ぶ者あり)いま一点、この
原案、
修正案の附則の第六項の
修正におきまして刑訴二百六十二條第一項を準用されております。いわゆる準起訴手続及び審判請求権というものがここに準用されておるのですが、かような
規定をここに準用される必要性というものについてお伺いしておきたいと思うのであります。
まだ私の時間があと三十分ありますから、再
質問及び再々
質問の時間にこれを確保しておきたいと思いますから、以上御
質問申上げた点につきまして、どうか
中山さんから
法律的に詳細に一つ御見解を表示して頂きたいと思います。この質疑の応答に関しましては、我々は
参議院のあり方として笑われたくないと思うのです。
参議院は如何にも
参議院らしく、
法案に対しまして忠実に
審議して、
国民の負託に応えたと、こういうことをここで具現したいと思うのです。その
意味において
中山さんからの詳細なる御答弁をお願いしておきたいと思います。(
拍手)