○
羽仁五郎君 私は
伊藤委員の御
質問を伺い、又それに対する
政府からの
お答えを伺
つておる間に、特に重要な点であると思うので、
政府のお
考えを伺
つておいたほうがいいのだと思う点が二、三ありますので、恐らくはこの
法律案を修正するということはなかなか困難でありましようし、
従つて何かの
機会に
政府側が公式にお述べになる
機会があるならば、そういう
機会に
見解を明らかにして頂きたいと思う点を二、三申上げておきます。時間も遅くなりましたので簡單に申上げますが、第一に
伊藤委員の非常に論理的な御
質問を傾聽しております間に、そうして
政府の御答弁を伺
つております間に、どうしても納得できないのは、やはりこの
法律によ
つて対象とするところの刑の性質であります。これは今日
政府側で
お答えにな
つているような答え方では、
伊藤委員が御心配になるように、今後問題が起るんじやないかというふうに思うのであります。私はこれは私見でありますが、参考に申上げ、
政府が同じお
考えであれば非常に結構だと思うのでありますが、第一には平和に対する罪、人道に対する罪というものはこれは單に国際及び
各国の
軍事法廷において
判決として與えられたばかりでなく、
日本国憲法及び
平和條約によ
つて日本がこれを公式に認め、そうして同じ確信の上にあるものであると私は信じて疑わないものであります。この点についてあいまいの態度を存して置くということは非常に問題があるんじやないかと思います。これはこの
委員会でも参考人のかたがたの御
意見を伺いました当時からもいろいろ討論がありますが、すでに
国際法上この平和に対する罪及び人道に対する罪、そういうものに対する個人的な責任というものについての原則は確立している。まさか現在の
政府がこれを覆えされるという御意思はないだろうと思います。
従つてこれに対しての態度というものは確信を持
つてはつきりおきめになるべきものである。その
目的は言うまでもなく平和を絶対に守
つて行きたい、又
民主主義を守
つて行きたいということだと思うのです。この点について我々はすでに刑の
赦免等の及ばない絞首刑を
執行されたかたがたのこともあるし、それらの非常な極刑というものの意義があいまいになるようなことは絶対に許されないだろうと思います。そういうかたがたに対して取返すというようなことは絶対にできない刑の
執行のそれの意義ということから
考えましても、平和というものを守
つて行くために、平和に対する罪、人道に対する罪というものは再び侵さないし、そうしてそれに対するそれを
刑罰の罪と
考え、それの
刑罰が行われ、個人的な責任を問われたということに対する態度があいまいになるということは私は許されないだろうと思うので、この点についての
政府の
はつきりした
見解をこの際明らかにせらるべきだと思うのでありますが、これが第一点。第二の点は、然るに現在
平和條約というものが成立をして、そうして
日本に関して
戰争状態が終結して平和の
状態が発生し、
日本がこの
占領状態から脱却するということは、又これは他に軽く比較することのできない特殊な非常な
喜びであり、これに対しては
日本国民はもとより国際社会も最大の祝福を送られる、
従つてこの際にそうした一方においては平和に対する罪、人道に対する罪としてその刑として嚴格な
執行をしなければならないという一面、と同時に他面においてそれらについてその理由の存する限り寛大にして、友愛の精神に充ちた
処置がとられなければならないということも、これ又同じく俯仰天地に愧じない
意味において、確信を持
つて政府においておつしやるべきことじやないかと思うのです。この二点については
伊藤委員が縷々御
質問になりました御
趣旨も全くそういうところにあつたんじやないか。然るに本日の
政府側の御答弁はどうもいずれもそれに対して立派な
お答えがなかつたので、或いは今日の
速記録などを誤解して読みますと、その両方が何だか非常にあいまいにな
つて、それで行くようなことがあると私は非常に後日において嘆くべきことになるんじやないかと思いますので、この二つの点につきまして、本日はもう時間が遅くなりましたことですから、次の
機会にどうか
政府において最も立派な態度を示して頂きたい。それでいわゆる先日
岡部委員もおつしやつた咎めるということと、許すということが両方がごつちやにな
つてしまうことはいけない、一方において咎めなければならなものは飽くまでも咎めるということと、他方において併し又これが許すべきときには、又その理由がある場合には許すということを
はつきりしておかないと、何だか
戰争犯罪というものはあいまいなものだということにな
つてしま
つて、実に嘆かわしいと思うので、今の二点を申上げて
政府の所見を伺いたいというふうに思うのであります。
それから第三点は、同時にこの
法律案が作られますときに、残念ながら
伊藤委員の御質疑に対する
政府の御答弁を伺
つておりますと、この
法律案が、こうした特殊な
法律案がこの際明らかにすべき模範的態度というものが現れていなかつたことを、我々が質疑応答の間に伺いまして、残念に堪えないのです。で、それはこういう
法律案というものは実際單に事務的に処理せられるべきものではない、こういう
機会にこの刑或いは行刑というものについての
政府の新らしい、そして高いお
考えというものが出るそれこそ絶好のチヤンスであつたのに、そういう点が余り出ませんで、そうして事務的に
考えられているという印象を拂拭することができないことを非常に遺憾だと思う。なかんずくその際にこの第三の点としてお
考えを頂いておきたいのは、さつき申上げましたように、ここに問題にな
つている刑は平和に対する罪、人道に対する罪という罪でありまして、で、その他のいわゆる刑というものと性質が違うのです。併しそこには又共通するものがある。それで刑の
執行或いは
赦免というものについての我々の
考え方というものは、この
機会に又前進して行くべきものであるというふうに思うのです。
従つてここに模範的な態度が現れて来ることが又従来の
日本の刑の
執行及び
赦免に関する
法律なり
規定というものに対して、いろいろといい影響を與えて行くということが当然期待されることと思う。
それで時間がないので細かい具体的な点は申上げませんけれ
ども、例えば巣鴨のプリズンにおいてすでに確立されている慣行というものがある。その慣行の中には、我々が先日見学した中にも非常に立派な慣行であるというふうに
考えた点が多々あります。例えば現在のデヴイス所長はお会いして、私が所長としてどういうことを最高の任務とお
考えにな
つているかというふうに
質問したときに、デヴイス所長は、自分の最高の使命はここに入
つている人が毎日幸福に、そして健康に暮すということだというふうに答えられた。又そういう
趣旨に
従つて、先日もちよつと申上げましたが、あそこには暖房が設置してある。或いはその他従来
日本では見られなかつたようなさまざまな進歩的な
方法というものが講ぜられているこういう慣行というものは今後十分尊重されて行くべきである。それは特に
平和條約十
一條の刑の
執行及び
赦免に関して新らしいそうした進歩的な
措置がとられて行く。同時にそれが今度一般の刑の
執行及び
赦免に対してもそうした進歩的な新らしい
考え方というものが影響を及ぼして行くべきであろうと私は思うのです。
以上特にこの際この
法律案の審議の過程において明らかにしておきたいと思うものは、さつき述べました一と二の点でありますけれ
ども、第三の点につきましても、適当の
機会に
政府の所見を伺いたいと思うのであります。