○
伊藤修君
只今議題になりました事案に対する
ところの御
報告を申上げます。先ず第一に、島根県安来町における
ところの自治体警察の存廃問題に関する件について御
報告申上げます。
第一に
調査の経過について申上げます。
島根県安来町における自治警察存廃問題に関する
調査報告書
一、
調査の経過
島根県安来町における自治警察存廃問題に関して、当
委員会は、本年一月
伊藤、羽仁両
委員を
現地に派遣してその
調査に当らせることを決定した。両
委員は先ず一月八日松江地方検察庁において、立石検事正、中村国警県本部隊長、龍河同刑事部長等より、検察庁、国警側の立場について
事件の詳細なる
説明を聞き、翌九日安来町公民館において高橋安来町長、並河同町議会
議長、田部元同町公安
委員長、池田元同町署長、奥村元同署次席等、関係者十五名より資料の提供を受けたのである。右両
委員の帰京後、
委員会においては、
理事会を
開き、両
委員の
報告に基いて、
本件取扱方につき
委員長及び各
理事が協議した結果、
委員会としての
調査はこれを以て一応打切ることに決定し、ただ派遣両
委員の
調査においてなお未了の分については、專門員、
調査員等をしてその
調査に当らせることとしたのであ
つた。
右の決定により、
法務委員会專門員長谷川宏、同
調査員及川泰吉、法制局参事木内茂の三名を更に
現地に出張せしめたのであるが、三名は、二月六日松江地方検察庁において翌七日安来町日立厚生クラブにおいて、合計二十八名の関係人、参考人について
調査を行い、
本件について一応の
調査を終えたのである。
二、
調査の結果
本件の概要については、すでに昨年九月二十一日附読売新聞の三面トツプ記事によ
つて全国的に報道せられ、当
委員会においても、昨年十一月十五日の
委員会において、大橋前
法務総裁より一応の
説明を聞いておるので、ここに再述する必要はないものと思われるが、簡単にその要点のみを述べるならば、
昭和二十六年法律第二百三十三号警察法の一部を改正する法律によ
つて、町村の自治警察については、当該町村民の住民投票によ
つて、その存廃を決することができることにな
つたのであるが、安来町においては、自治警察の存置を主張する自治警当局と、その廃止を要望する国警側の対立が尖鋭化し、両者夫々の有形無形の運動が激化したる
ところ、自治警当局は、同じく自治警存置運動を展開したる日本共産党員と連携してその運動を進め、他方国警側は、松江検察庁の介入によ
つて、安来町自治警当局及びその存置派とみらるる町民に対し、種々圧力を加えたというのである。
以上が新聞その他によ
つて、世間一般に報道せられたる
事件の概略である。
本件の
調査に当りては、第一に、安来町署当局と日本共産党との連携の事実の有無、第二に、
本件について国警側のとりたる措置、第三に、
本件について、検察庁のとりたる措置、第四に、
本件と松喰虫
事件の関係、第五に、安来町及び町民全般の
本件に対する動向に重点をおいて、これを究明せんとしたのであ
つた。
調査は、時間的、地域的制約を受け、必ずしも満足すべき程度まで遂行することができなか
つたのではあるが、ここにその一応の結論を得ることができたのである。
(一)安来町署当局と日本共産党との連携の事実の有無について
松江地検立石検事正は、連携を証する事実として七
項目に及ぶ事実を挙げている。国警も大体これらの事実を
根拠として疑惑を抱いたものの
ごとくであるが、これらの事実は、いずれも立証せられておらず、殊に池田元署長の米原衆議院議員(日共所属)訪問の事実の
ごときは、当
委員会の
調査によ
つて全く事実無根なることが判明した。併しながらこのうちただ一点、奥村元警部補の資金カンパに関する自供については、同人の派遣
委員等に対する陳述も極めて曖昧で、その自供に至る心理過程が充分に納得し得るのもではない。結局安来町署と日共との間に連携の事実ありという積極的な確証はないのであるが、町署幹部の一部の者の言動において、他人に疑惑を抱かせる点があ
つたということは認めざるを得ない。
(二)
本件について国警側のとりたる措置について
国警島根県本部龍河刑事部長の奥村元警部補に対する再度に亘る注意は、その弁明するように、知己としての親切からでたものであるとしても、当時の状況下において、その
地位等を考慮するならば、いささか慎重を欠く態度であ
つたと認められる。又山根元能義地区署長は、安来町署の廃止を希求するのあまり、その言動において陰に陽に廃止を助長するが
ごとき態度をと
つた事実があ
つたことは遺憾に堪えない
ところである。
なお国警島根県本部は、自治警引継ぎに際して、安来町署の元刑事村井重雄及び櫻内松次郎の両名を不採用としているが、これは
国家地方警察本部の指示に基くものと認めらるるも、警法察改正の
趣旨は、自治警廃止の際は、その職員を全面的に引継ぐことを原則とし、廃止によ
つてその職員に不安を與えないことにあるのであるが、
本件の場合、右の両名に対し、同様の立場にある者と異る取扱をし、これを不採用としたことは妥当を欠くものと言わなければならない。
(三)
本件について検察庁のとりたる措置について
松江地方検察庁立石検事正の
説明によれば、安来町における自治警察存廃に関する住民投票の後、安来町において同地検が直接捜査したのは、池田元署長及び奥村元警部補の業務上横領等被疑
事件外
一件に付、
昭和二十六年十月中に、関係人合計約六十余人を取調べたのみであり、このほかは九月二十三日特審局員が政令第三百二十五号違反
事件で安来町において五、六カ所
調査したのに協力したことがあるだけであるというのである。他方、高橋安来町長は、約二百名の町民が取調を受けたと言い、他の者は、三百名ぐらい調べられたとか、三年間に安来町署が捜査した全
事件について、関係人全部が取調をうけたとか言
つている。併しいずれにしても、地検が犯罪ありと認めた場合に、これを捜査するのは当然のことであ
つて、それが町署職員の不正
行為であろうと、又はその他の犯罪であろうと、その間に何等の相違はないのであ
つて、その職権の発動に対しては、是非を論ずるべきではないのである。又捜査の
範囲についても同様であ
つて、検察庁は捜査のため必要と認める限り、幾人でも取調べることができるのである。ただ
本件については、たまたま安来町においては、町署存廃問題に関し町民の関心が高まり、町全体の空気が相当鋭敏にな
つていた時期において、町署幹部の不正
行為についての捜査が行われたために地検当局についてのあらぬ噂や疑惑を招くこととな
つたものである。
地検当局としては、捜査の時期を選ぶに更に慎重を期し、町署存廃問題についての町民全般の興奮が收ま
つた後において、おもむろにこれを行うべきであ
つたものと認められる。この捜査が、安来町民全般に不安を與えたことは、争われない事実である。
(四)
本件と松喰虫
事件との関係について
松喰虫
事件に関して国警能義地区署が捜査したのは、
昭和二十四
年度の国庫補助金に関する件、安来町署のそれは、
昭和二十五
年度分であり、両者の捜査には
関連性なく、又安来町署が松喰虫
事件の捜査に着手したために、それをもみ消すために、町署廃止運動が開始されたのであるということに関しては、何の証拠もなく、関係者の陳述に徴しても、松喰虫
事件が
本件に関係ないことは明らかである。
(五)安来町及町民一般の民主化について
本件を通じて特に痛感せられるのは、安来町全体を包む封建性の残滓である。安来町が地理的に比較的僻遠に位置することも、その
一つの理由とみられないこともないが、その現状は、未だ民主主義に通なお違き段階にあることを思わせるものである。
二、三の例を示すならば、町当局の幹部は、自治警を自己のために利用せんがために、その存置を図ろうとしたような傾向があり、他面町のいわゆる有力者でさえも、官憲の権力を過大評価して、これに追従する過去の惡弊を未だに脱しきれず、みずからの権利をみずからの手で擁護しようとする民主主義の精神に欠けているのである。地検当局の捜査について、徒らに不安の念を抱き、
根拠なき風評を蔓延せしめたるが
ごときも、その
一つの現れとみられている。
安来町は、町当局及び町民全般が、主権在民の思想と基本的人権の尊重を自覚することによ
つて、その封建的遺風の一切を拂拭するよう努力することを要望してやまない。以上簡単でありますが、安来町
事件に対する
報告を終ります。
次に名古屋地裁荒木元判事の汚職容疑
事件について、第一に、その
調査の経過を御
報告申上げます。
本年四月十九日付中部日本新声紙上に、名古屋地方裁判所荒木辰生判事の汚職容疑に関する記事が大きく掲載せられ、世人の注目を惹いたと
ところであるが、当
委員会においても、問題の
重大性に鑑み、これを重視し、五月九日の
委員会において
伊藤委員より最高裁判所事務総局鈴本人事
局長に対し、
本件について質疑が行われた。
委員会においては、
本件について更に詳細にこれを
調査し、その真相を究明するために、
現地に
委員を派遣することを決定した。
かくて五月十四日
伊藤、中山の両
委員は名古屋に赴き、名古屋高等裁判所、同地方裁判所において、それぞれ長官並に所長より、名古屋高等検察庁、同地方検察庁において検事長及び検事正より詳細に事情を聽取した。
当時
本件は名古屋地方検察庁において捜査中で同庁では、荒木元判事の汚職容疑について、すでに相当程度の確証を挙げてはいたのであるが、なおまだこれを起訴すべきや否やについては決定を見ていなか
つた。よ
つてこの処分が決定するまでは、
本件についての
報告を留保するのが妥当なりと認め、これを留保してきたのであるが、
法務府よりの通知によれば、名古屋地方検察庁は去る七月十六日、荒木辰生を收賄被疑によ
つて起訴したことが明らかとな
つた。よ
つてここに
本件について
報告に及ぶものである。
二、
事件の概要
名古屋地方裁判所元判事荒木辰生は、
昭和四年高文司法科試験に合格、同五年千葉弁護士会に登録、弁護士を開業、同十年判事に任ぜられ、以来、東京、金沢、安濃津、名古屋各地方裁判所に勤務し、
昭和十九年に至り陸軍司政官としてスマトラに赴き、以来
昭和二十一年十月帰国するまで南方各地に在勤し、同月帰国と同時に判事に任ぜられ、名古屋地方裁判所岡崎支部に勤務、
昭和二十二年十一月名古屋地方裁判所に転勤、
昭和二十七年四月二日依願退官するまで、同庁刑事単独部において判事として勤務したものである。
荒木は別添名古屋高等検察庁検事長藤原末作より木村
法務総裁宛の
昭和二十七年七月十日付日記秘第一八四号写記載の
通り
(一)
昭和二十五年十一月十七日名古屋地方裁判所刑事単独部に係属中の林製鋲株式会社名古屋工場の工場長林忠雄に対する労働基準法違反被告
事件審理に関し、同
事件の当初担当判事が、同二十六年三月十五日同裁判所刑事会議部に転出したるため、同
事件の配填替えを受け、その審理を担当するに至るとともに、同
事件の被告人林忠雄が自己に対する裁判について、有利寛大なる判決を受けたいという
趣旨のもとに行うものであることを知り乍ら、同年三月以降六月頃までの間に、名古屋市所在の旅館美乃屋において、二十一回に亘り酒食の饗応を受け、同年六月二十五日言渡したる判決においては、右林忠雄に無罪を言渡し、更に判決言渡当日たる六月二十五日及び同月二十九日頃の二回に
亘つて、同じく美乃屋において、林より酒食の饗応を受け
(二)
昭和二十六年十二月から翌二十七年一月にかけて、名古屋市において検挙された椙江正昭、西畑龍男及び成瀬由松の集団強盗被告
事件について、これらの者の検挙が別々であ
つたために、先づ椙江は、
昭和二十七年一月八日名古屋地方裁判所に起訴され、
事件は刑事単独部澁谷判事のもとに配填せられ、次いで同月十七日起訴された西畑及び成瀬に関する被告
事件は、同一強盗
事件に関する共犯関係であるから、さきに起訴された椙江の
事件に併合審理されるべきことが明かにされたため、澁谷刑事のもとに併合せらるべきに拘わらす、その起訴に先だち一月十四日西畑龍男の実兄及び養父の両名が、荒木の居宅に赴き右強盗
事件が起訴された場合には、荒木判事のもとにおいて同
事件を担当し、西畑のため有利寛大な審判をせられたい旨、荒木に対し請託した
ところ、荒木は、この請託を容れて、西畑のために有利な執行猶予を付したる判決をなすべきことを約束して、右両人が持参した菓子折一箱と現金二千円を受領し、その後、前記各被告人の
事件を一括して自己の担任に移し、西畑に対しては同年二月六日に懲役三年、五年間執行猶予の判決を言渡し
(三)
昭和二十六年十二月三十日、名古屋地方裁判所に係属したる周惠生に対する関税法違反被告
事件が、荒木に配填せられた
ところ、被告人の義弟羅志雄等より名古屋市所在富久屋において、一月十五日酒食の饗応を受け、その請託に応じて二月二十日右周惠生に対し寛大なる判決を言渡し、更に三月三日頃周の知人易東生より富久屋外一カ所において、酒食の饗応を受けたものである。
以上の事実によ
つて、荒木は去る七月十六日、名古屋地方検察庁によ
つて名古屋地方裁判所に起訴せられたのである。これらの事実がすべて真実なりや否やは、勿論裁判によ
つて、確定せらるべきことであ
つて、今これについて深く言及することは避けることとする。併し、右の
ごとき事実によ
つて起訴されたということ及び検察当局がこれについて相当の確信を持
つていることは特に注意すべきことである。
次に、検察当局の捜査の端緒及び荒木判事退官までの経緯を略述すれば次の
通りである。
昭和二十七年二月二十七日、前記福江、西畑、成瀬の強盗被害
事件の主任平田判事の許に椙江の雇主山本磯治が来訪し、同
事件について先般判決があ
つたが、椙江は懲役五年の実刑を科されたが、他の二人は執行猶予とな
つて、これには不服である。執行猶予とな
つた西畑の親族が荒木判事を訪れ、菓子折と金一封を贈
つたということなので、私も訪ねて行
つたが、私のほうは駄目で返されたという
趣旨のことを同検事に語
つた。
同検事の
報告に基き、名古屋地方検察庁安井検事正は、検事長の指揮を受け捜査を開始した
ところ、贈賄者二名が詳細に自白するに至り、検察庁は更に荒木判事の素行行動などについて追求するに至
つたのである。その結果として同判事の担当刑事
事件について、特に検事控訴となる
事件が多いこと、同検察庁の調べによれば、
昭和二十六年四月一日から同二十七年三月二日までの間において同庁で検事控訴した
事件九十一件のうち、二十九件が荒木判事の担当した
事件である。麻雀が好きで、料亭等に頻々と出入していること等が判明するに至
つた。
三月二十日頃に至り、安井検事正は、名古屋地方裁判所村田所長及び同高等裁判所下飯坂長官に右荒木判事の
事件について話したのであるが、一方、荒木本人も検察庁の捜査を察知したものの
ごとく、三月二十六日に至り、村田所長に辞意を洩らし、翌二十七日遂に辞表を提出した。そこで村田所長は、下飯坂長官と相談の上、裁判官会議に附することなしに、最高裁判所に伝達したのである。なおこの際荒木判事について、前記の
ごとき汚職容疑
事件が発覚している事実については、最高裁判所に通知しなか
つたのである。故に、最高裁判所は、右の事実について何等知る
ところなく、四月二日附を以て荒木に対し、依願免官の発令をなしたのであ
つた。
なお、この間の事情について、下飯坂長官及び村田所長は、彈劾裁判ということについても十分心得てはいたのであるが、自分等としては、
本件をそこまでも
つて行くことには耐えられなか
つたし、又、荒木判事が現職のまま拘束された場合における世間に及ぼす影響及び裁判官全体のための名誉保持の点等を考慮し、自分等両名の
責任において最善の方法と認められる措置をと
つたものと考えると言明している。
この間検察庁側は着々として荒木についての捜査を継続し、犯罪の確証を握るに及んで、遂に同人を起訴するに至
つたものである。
以上が
事件の概要であり、その詳細は別添参考資料聴取書等によ
つてこれを参照せられたい。
三、結論
先ず
本件において、荒木元判事本人の
行為については、それが目下刑事
事件として裁判所に係属中であるため、ここにこれを批判することは、暫らく差し控えることとする。
次に
本件において問題となるのは、裁判官の弾劾裁判制度との関連において、荒木元判事の辞職について、裁判所側、殊に名古屋高等裁判所長官及び名古屋地方裁判所長のとりたる措置並びに最高裁判所の人事行政全般に関する問題である。すでに、
事件の概要中において述べた
通り、荒木元判事は、自己の身辺に検察庁の捜査の手が伸びたことを察知するや、三月二十七日附その辞表を提出したのであ
つた。名古屋高等裁判所下飯坂長官及び名古屋地方裁判所村田所長は、これに先だち、三月二十日前後に、名古屋地方検察庁安井検事正より、荒木元判事の汚職容疑について、
報告を聽いているのである。即ち下飯坂長官及び村田所長は、荒木元判事について、かかる事情が存することを知りながら、なお且つその辞表を受理し、而もこれを裁判官会議に諮ることなく、長官及び所長の意思と
責任において、最高裁判所にその伝達をなすと共に、これを至急決裁あらんことを具申したのであ
つた。なをこの際最高裁判所に対しては、荒木元判事について前述の
ごとき汚職容疑
事件が発生したことについては、何等
報告しなかつのである。
このような取扱いをした理由として、下飯坂長官及び村田所長は、荒木元判事が現職のまま、身柄拘束されるようなことがあ
つた場合においては、それが国民一般の裁判官全体に対する不信の念を招来するが
ごとき結果を生ずることを虞れて、荒木を一刻も早く辞職せしむることが、裁判所及び裁判官全体の名誉を守るゆえんであると考えたというのである。
名古屋高等裁判所裁判官会議規程及び名古屋地方裁判所裁判官会議規程を見るに、裁判官の身分に関する
意見、具申等については、いづれも裁判官会議若しくはその常置又は常任
委員会に諮り、その決議によ
つて処理することにな
つているのであ
つて、長官又は所長の独断的専行は許されない
ところである。
のみならず、荒木元判事の
行為は、明らかに裁判官弾劾法第二條の規程に該当する罷免の事由たり得る非行であ
つて、下飯坂長官及び村田所長は、同法第十五條によ
つて、当然荒木元判事について弾劾による罷免事由を
最高裁判所長官に通知すべきであ
つたのである。
然るに下飯坂長官及び村田所長は、右の処置をとることなく、むしろ反対に荒木元判事の非行については何等
報告することなく、又その辞表については、至急決裁せらるべく具申して、これを伝達したことは前述の
通りである。
下飯坂長官及び村田所長が、
本件の世間に及ぼす影響と、裁判官全体の名誉と威信を保持するために苦慮を重ねたであろうことは、
本件の
調査に当り、長官等が
委員に対し、その心境を吐露したる
言葉の節々によ
つても、十分にこれを推察することができるのである。
長官及び所長が右の
ごとき措置をとるに至
つたその心境は同情に値するものであり、その措置は気持の上では諒とせられるものではあるが、併し、法の維持を任務とする裁判官としては、飽くまでも法令の命ずる
ところに
従つて事に処することが正しい態度と言うべく、かかる態度を堅持することこそが、裁判官全体のための名誉と、威信を保持するゆえんであると思料されるのである。
本件の場合において、下飯坂長官及び村田所長が、荒木元判事の辞表を裁判官会議に附することなく、最高裁判所に伝達して、その結果において荒木元判事の彈劾裁判を免れしめるような処置をと
つたことは妥当を欠くものと言うべく、遺憾に堪えない
ところである。そもそも裁判官彈劾裁判制度は、裁判官の身分保障を前提として、裁判官が濫りに罷免されることのないように、これを保障するために設けられた制度であ
つて、それ故にこそ、特に刑事訴訟手続にも似た嚴格なる手続によ
つて行われるのである。裁判官が法に触れる非行をなした場合において、
一般の刑事裁判に付されるほかに、更に弾劾裁判にも付されるということは、一見二重にその責を問われるものの
ごとくみられないこともないが、これはその身分を強く保障するための制度よりまする当然の結果であ
つて、かかる制度が裁判官のために、ひとり裁判官のみのために設けられている事実こそ、まさに裁判官の職務遂行を独立不覊のものたらしめるものであると同時に、その名誉と威信とを示すものである。故に裁判官の弾劾裁判制度は裁判官の名誉と威信とを保持するためにも、これを守らなければならないし、又それが憲法の精神にも副うものである。
本件については荒木元判事の依願退官の手続はすでに完了し、その弾劾のための訴追については最早とるべき手段はない。併しながら、将来においてはひとり下飯坂長官及び村田所長のみに限らず、裁判官全体の問題として、かかることを再び繰返すことのなきよう嚴に自戒すべきことを要望して止
まない。然らざる限り、裁判官の弾劾裁判制度は全く有名無実の制度と化するであろうとことを虞れるのである。次に最高裁判所は荒木元判事の辞表の伝達を受けたときに、同人の非行については何の
報告も受けておらなか
つたために、これを知ることなくして、その免官を発令したのであ
つて、その手続において欠くる
ところはなか
つた。併しながら
本件の
ごとき問題が、将来において再び発生することがないとは言えないのであるから、将来の問題として、裁判官の
辞任の
申出があ
つた場合においては、少くともその理由について万遺漏なきような措置を講ずることが必要であると思料するのである。最高裁判所においては、終戰後住宅その他主として経済上の理由により、裁判官を適材適所に配置することができなか
つたことは誠に止むを得ない
ところであ
つたが、我が国が独立を回復したる今日は、当時と社会一般の情勢も異り、経済事情も相当好転しているのであるから、裁判官についも適材適所主義をとり、慎重なら人事行政を行うことによ
つて再び
本件の
ごとき
事件が発生することのなきよう十分なる対策を講ずべきである。
以上簡單でありますが、両件の
報告を終ります。