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公述人(鈴木多人君) 私は單なる弁護士としてでなく日本弁護士協会の代表といたしまして
発言したいと思うのであります。
六十年の
人権擁護に輝く伝統を持つ我が協会が数十回の
調査研究の結果、ここに総合員の総意を体して大乗的見地から結論を見出して、四月の二十二日に賛成することを決議、これを公表いたしました。私は三十年の弁護士生活の体験と知識から、殊に弁護士の使命が基本的
人権の擁護、
社会正義の実現のために、先ず以て
社会治安の維持と
法律制度の改善に貢献すべく、衷情以て本問題を討議したいと思うのであります。
先ず本法は自由民主国家としての独立した日本が置かれておる現下の内外客観的情勢下、国家の健全な興隆を企図して、
社会秩序を維持し、国民全体の公共の安全と福祉を確持し且つ保障するため緊急止むを得ない最小限度の
立法だと思うのであります。コミンフオルムの指導によるところの日共の中央
委員会、軍事
委員会等、最高司令部から幾段階かに分れた統率ある組織によ
つて中核自衛隊とか、或いは抵抗闘争パルチザンなど戰略戰術があたかも軍隊組織体制を整備されて、すでに破壊活動に着手し、暴力革命の推進に寧日なく、昨年二月の第四回全協、十月の五全協、これらによ
つて軍事方針が確立され、公共
機関、公務員を対象として各所に武器の奪取、或いは権力反抗等々が行われております。これら破壊活動はその行動態様において相共通するものがあることは見逃し得ません。この行動を憂慮し、人心の不安動揺をこのままで静観し得ましようか。去る五月一日、
メーデーの好機をつかまえて皇居前に無辜の国民さえ道連れにして、白晝公然而も各国人の環視の前に市街戰にひとしいあの破壊活動は、一体このままで手を拱いていていいでありましようか。第二、第三の不祥事が近きうちに起きないと何人が保証し得ましようや。この現実の炳たる事実にさえ彼らは反省の色がなく、ますます増長して反動
政府、反動官憲がみずから計画実行したものと宣伝しておるのであります。これらこそ無辜の而も純真な勤労大衆を
扇動或いは
教唆し、あの現場を見ました者の多くが一体これでいいのか、このままで日本の将来はどうなるのかと悲憤慷慨しないものがありますか。ここにおいてか抜本塞源の処置を講じねば
社会不安の除去は困難であります。あの問題についても一部の者或いは同調者或いはためにせんとする者はいろいろな批判をしております。この種の極左破壊活動の防止のためからいたしましても、被害の予防のためからいたしましても、本法の成立は誠に焦眉の急であります。
次に、私は極左のこの種の破壊活動のみを本法の対象として
考えたくないのであります。即ち極左に対抗して必ずや生ずることあるべきフアツシヨの抬頭であります。前第一次大戰後に、イタリア及び
ドイツにおけるところのあの共産党の展開、頻々たる破壊活動の横行に、当時の警察力や
政府が無力に手を拱いていた結果、容易に反動勢力の勃興と
なつたのであります。燎原の火のごとくに現われたあのムツソリーニ、ヒトラー、このフアツシヨの国民の自由を奪
つて計画した行為が、結局両国をして滅亡の憂目を見せたということは吾人の記憶に新たなところであります。この極右運動が勃興したゆえんのものは、取りも直さず極左の破壊活動を放任した結果であります。この極左に対する恐怖と熱烈真摯な祖国愛の自衛心を悪用したがために、かようなフアツシヨが功を奏したのであります。日本の現状でも過去の例に徹して容易にうなずけるのであります。仮に現在その危險の切迫なしとしましても、極左の破壊的脅威から
社会を防衛し、民主主義の体制を確立するためには、これに相応する
政府の施策に万全の措置を講じなければならんことはもはや
議論の余地はありません。由来日本民族の多くは熱血性に富むの余り軽挙盲動の弊なしとしません。指導層に人を得なければややもすれば無批判となり、或いは諦めに陷り、中庸をと
つて冷静に事を決することが困難であります。曾
つては軍閥の誤れる指導の下に三千年の歴史が一挙にして葬られたというあの苦い経験は決して忘れてはいけません。民主主義
社会の訓練現在なお日が浅き今日、真に我々はこのままでいいのか、何とかしなければならんという気持は恐らく何人も持
つているでありましよう。一部の
立場や感情からの者のは別といたしまして国民の多くが、本法による最小限の治安確保と民族互いに血で血を洗
つて国家再建の妨げとなるような不祥事防止のため、衷心本法成立を望んでやみません。何といたしましても、日本及び日本民族が、敗戰後過去六カ年半に亘り連合軍の占領政策のために自主性を失いまして、依頼心が強く何事も占領軍の指導と援助に易々として盲従しながらも、他面戰勝国或いは占領軍ひいては
政府権力者に対する欝勃たる不満と反撥心により、司令部当局の指令、覚書とか或いは新
憲法で與えられた幾多の権利と目まぐるしいまでに無血革命にひとしい改革が行われておりますけれ
ども、これは未だ真に消化し切
つておらないのであります。ここに思想の統一なく幾多対立が各所にあ
つて、それが飽くまで並行的に分れることも又止むを得ないことであります。殊に平和條約受入態勢の整備未だ全からざる現在、思想において、労資協調において、その他法令の解釈において幾多のここに対立がありますことは、過渡的現象とは言いながら安定性の見出しがたく自主、独立、
責任をみずから担
つて国家の健全なる発達と治安の確保に種々なる
意見の相違を来たすのであります。要は日本国家及び
社会の現在の客観情勢、これを如何に評価して考うべきか、客観情勢の評価の軽重の問題であります。対外的
関係におきましてこの朝鮮事変の成行を見まするときに、まさに対外的
関係において、本法の必要の時期、必要性、
相当性はおのずから明らかにな
つて参るのであります。民主主義自由国家の発展と平穏な
社会秩序を否定して独裁、専制、一部特権階級の国家
社会の樹立を企図する極左並びにその同調者の暴力主義的破壊活動によ
つて、当然なさねばならぬ合法的議会活動によらぬ行為が、
憲法の保障する基本的
人権その他の自由権、或いは勤労者の団結権等の正当な権利の
範囲を逸脱したもので、これに対する何らかの
規制をしなければならないということは極めて明白なことであるのであります。今後明かに予想され得る
社会への現実にして明白な危害に対処して、警察力の武装強化とか或いは集会、言論、出版その他
人権に対して或る種の制限
規制も結局は民主的政治体制の中においても或る
程度の取上げをしなければならんことは当然中の当然でありまして、これは民主的
政府及び
国会の最も重要な分野であります。
憲法の保障する国民の基本的
人権の自由を真に確保するためには、どうしても
社会防衛の任務を忘れてはならんのであります。これを非民主的政治勢力に引渡すようなことがあ
つては、ここに極右勢力が勃興したりする余地を残すし、公共の安全の確保は期し得ません。これらの
関係から本法を私は支持するゆえんであります。
この種の
法律は日本のみにとどまらずして、
立法例として米合衆国における一九五〇年の国内安全保障法も破壊活動取締法と称し、共産主義
団体に対して
届出、或いは或る種の非米破壊活動から同国を保護するための幾多の
規制をし、取締の対象となる
団体並びにその
団体員に対する
届出や報告義務を課して嚴重に罰を規定しております。或いは同年のオーストラリアが或る種の役職につく資格を共産主義者から奪
つていることであります。これにもさつき申上げた米合衆国の破壊活動取締法と類似の
規制、罰則を規定しております。或いは又南アフリカ連邦議会が共産主義弾圧法を制定して或る種の刊行物、集会を禁止し、共産主義の
目的達成助長の意図に対し十年以下それぞれの処罰規定を設けました。殊にそれらの
目的に関して土地や家屋その他の財産を使用することにさえ罰則を設けているのであります。その他ポルトガル、スイス連邦等々幾多
立法例があります。反対説中の多くが
憲法による基本的
人権の保障を概念的に或いは包括的に強調して、公共の福祉、この限界をややもすれば軽視する傾きがありますことは遺憾であります。或いは
治安維持法、国家保安法、
治安警察法など、極右のあの遺物である特高、憲兵の政治警察によるところの非違と結びつけて、本法を直ちに政治警察の復活による
人権軽視の弾圧政治を行うためだとの偏見論或いは感情論が少くはないのであります。殊に学界、言論界等有力者間に強硬に、先の
団体等規正令から
団体等規正との
法律関係を以て、本法を同巧異曲の構想を持
つているとして反対することは甚だ遺憾の次第であります。思想の自由は内的の心理段階であ
つて勿論法的に無制限であります。外面的に人に対し対
社会的にな
つて行き、初めてこれらの自由に或る秘度の
規制があることは当然であります。これが
自由人権の思想の長い歴史から見ても容易にうなずけるのであります。一七七六年六月の米合衆国ヴアージニア州の権利章典によるところの平等、自由、独立、幸福、安全、追求、享有のこれらの権利、或いは
新聞報道、宗教の自由を宣言し、次いであの有名な一七八九年
フランス大革命によるところの
人権及び公民権の宣言による思想と言論の自由は、西欧文化の中心国であるだけに極めて重大であります。併しこの宣言ですら公共の秩序を害せざる
範囲において、或いは自由の
濫用に対して責を負うとか、幾多の
規制があります。その他挙げ来たれば幾多先例はありまするがこれは省略いたしまして
自由人権の宣言から五百年、
フランス大革命から百五十年の洗練による今日、何人もその
人権が自由且つ安全な発達があ
つてのみ可能であることを
社会に対して義務を負うというのが大
原則であります。それらの権利及び自由の行使に当りましては、他人の権利及び自由の妥当な承認及び
尊重を保持すること、並びに民主的
社会における道徳及び公けの秩序、及び一般の福祉の正当な要求を充足することを專ら
目的として
法律が規定している制限のみに従わねばならんということも明示されているのであります。これの現在世界において最も大きな反響を呼んだのは一九四八年十二月の国際連合総会の世界
人権宣言であります。これにつきましては、これらの権利及び自由は、如何なる場合にも国際連合の
目的と
原則とに反して行使してはならないという
規制がありまして、これが民主主義の基本原理であるのであります。世界
人権宣言後に発布した一連の
憲法の思想、言論の自由は、
一つは自然法学的に絶対的なものとしながらも同時に義務の伴うことを宣言しております。これらの
人権宣言をソ連邦、或いは中共の
憲法や同国の法令上、思想、言論の自由或いは勤労者の自由と、プロレタリアの独裁獲得の強化による幾多の強硬な
規制は、自由民主主義国家群の想像以上のものがあることを
考えねばならんのであります。欧米その他の国において民主主義的破壊活動取締法が共通にする理念は、全体主義的独裁制を樹立する行為、外国人又は外国の勢力による指導統制による国内政治の変革を企てること、暴力に訴えて事を決せんとする行為の、この三つを違法としているのであります。民主主義下において暴力を強く否定し、自由な思想、言論による討議を通じてのみ
目的の事を決することは当然中の基本的原理であります。反対説の中に金城鉄壁のごとく口を開けば挙げることは、近代米国の生んだ偉大な合衆国一最高
裁判事〇・W・ホームズ氏が同
裁判所判例に掲げる、その行為には明白且つ現在的危険が存在すること、このことであります。言論、結社の自由のごとき政治的基本権に対する例外的制限の場合であ
つて、それ以外は許されないとしていることであります。これは当然中の当然。ここで注目しなければなりませんことは、一九三九年一月現在のニユーヨーク
刑法典に、無
政府主義とは、組織されている
政府を暴力により、又は
政府の
行政長官若しくは
行政官の暗殺により、又は不法手段によ
つて転覆すべきであるとする主義、このようなことを口頭又は文書で唱道することは重罪とし、集会、主義者に対する集合場所の土地家屋使用許可、出版等、広
範囲の禁止重罰規定を課していることであります。合衆国最高
裁判所の、
アメリカ共産党書記長ほか十名に対するいわゆるスミス法違反
事件に対して一九五一年第一審の一万ドルと五年の禁錮を維持しまして、
アメリカにおける共産主義運動、ひいてはこれに関する言論、集会、結社の自由に関連して注目すべきシエク
事件対合衆国
事件の、
先ほど言うホームズ判事の
意見書中には「いずれの
事件でも
国会に防止する権利がある、実害がもたらされる明白且つ現在的危險を生ずるような
事情の下でそのような性質の
言葉が用いられているかどうかが問題である。」強力及び暴力によるところの
政府の顛覆を図ることは、
政府にと
つては確かに言論を制限するに足りる重大関心で、
一つの叛乱が企てられて決行の合図がなされるまで待
つていなければならんということはない。結局言論の自由を絶対的とせず相対的に見て制限の必要性と行われた行為、なさんとする行為、これを天ぴんにかけてどつちが重いか、国家並びに公共の福祉が重いかどうかは
裁判所で決すべき問題であると、この判例からいたしましても、本法によるところの国家
社会の
利益からする一部少数者の破壊活動の言論の制限も極めて止むを得ない、当然であることは何人もおわかりと存ずるのであります。
我が
憲法十二條は十一條と共に、自由の権利は国民不断の努力によ
つて保持しなければならない、国民は
濫用してはならない、常に公共の福祉のため利用する
責任を負うとありまして、十三條以下四十條決して無制限のものでないことはこれ又異論の余地がありません。そこで本法三條の一項一、ロです。いわゆる
扇動罪を独立罪としたこと、又同犯行の実現を容易ならしめんとするための実現の正当性、必要性を主張した文書若しくは図画を印刷し、頒布し云々、これを独立させましたことについて種々
議論があります。特に特殊の極左暴力主義
団体が不
利益な扱いをされることに対する強い反対は申すまでもないことであります。或いは又
濫用の危険なしといたしませんが、この
扇動行為、これらこそ本法の
目的として極めて必要であります。先般
メーデー事件後に私の家へ、並びに近所へ配
つて歩いたこういうビラがあります。「この日、人民広場を国民のものへ、と押しかけた労働者、学生、市民五万のスクラムに対し、血に狂
つたアメリカ戰争屋共の手先き、警視庁虎の子“
予備隊”は
アメリカ製ピストルの乱射と催涙弾によ
つて、女子供の見境いもなく即死六名重軽傷千二百名の犠牲者を出した。国辱の日四月二十八日とこの
メーデーの暴圧に
アメリカ戰争屋共と売国奴吉田の正体を見た愛国労働者は民族の解放へと実力を行使し、
アメリカ高級車の破壊を敢行した。最早や彼らに対抗する途は実力による粉砕以外にはない。これは全世界の植民地解放斗争に対する日本民族の応えである。この偉大なる日に労働者を抑えた裏切者=
社会民主主義者を叩き出せ!たたかいに傷ついた愛国者は、国民の温かな愛情に守られている。」かように非常な強硬にして
扇動的なこういう出版物を各所に配
つて歩くのであります。これが本法の
扇動罪を外にして真の治安の維持は困難であるというゆえんであります。或いは
扇動という
範囲が非常に広くてあいまいだ、こう非難しておりますが、この
意義概念につきましては、すでに我が大審院は昭和五年十一月に判例で明示しております。「他人ニ対シ中正ノ判断ヲ失シテ実行ノ決意ヲ創造セシメ又ハ既存ノ決意ヲ助長セシムヘキ勢ヲ有スル刺戟ヲ與ヘルコト、
扇動罪ハ
扇動行為カアルコトニ依ツテ成立シ必スシモ相手方ニ於ナ其ノ結果ヲ惹起スルコトヲ要シナイ」これでこの観念はすでに
はつきりしておるのであります。又すでにある法的根拠からいたしましても、食糧緊急措置令の十一條に、
政府に対する食糧の不売を
扇動する罪として三年以下の懲役一万円以下の罰金に処しておるのであります。或いは又国税犯則取締法の二十二條一項に「国税ノ納税義務者ノ為スヘキ国税ノ課税標準ノ申告ヲ為ササルコト若クハ虚偽ノ申告ヲ為スコト又ハ国税ノ徴収若クハ納付ヲ為ササルコトヲ
扇動シタル者ハ三年以下ノ懲役又八二十万円以下ノ罰金」或いは
刑法七十九條、いわゆる内乱
予備陰謀の幇助、公職選挙法、引揚者の秩序保持に関する政令、公共企業体労働
関係法、爆発物取締罰則、国家公務員法、地方公務員法、これらにいずれも
扇動行為
自体を
犯罪として処罰することが
はつきりしておるのであります。この
扇動行為について
憲法二十一條言論、出版の自由保障の違憲じやないかどうかということにつきましては、我が最高
裁判所は昭和二十四年五月に大法廷を開きまして、
憲法違反でない、有罪としております。これは食糧管理法につきましての判決であります。その理由の中に「前に述べた言論の自由は公共の福祉を害し、自由の限界を逸脱し、
社会生活において道徳的に責むべきものがある」から、食糧緊急措置令第十一條によ
つて処断するのだ、こう公共の福祉と
扇動行為の言論の限界を定めているのであります。注目をいたしますことは電波法であります。昭和二十五年の
法律、第百七條であります。「無線設置又は第百條第一項第一号の通信設備によ
つて日本国
憲法又はその下に成立した
政府を暴力で破壊することを主張する通信を発した者は、五年以下の懲役」云々とあります。これらはまさに本法のこの
扇動罰と殆んで似ておるのであります。次に国家公務員法の三十八條の五條に公務員の資格を欠くものとして「
憲法施行の日以後において、日本国
憲法又はその下に成立した
政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の
団体を結成し、又はこれに加入した者」地方公務員法十六條、
人権擁護
委員法、保護
司法その他特別公務員に関する数極の
法律にも同様の規定があります。本法が
団体等規正
法案と一連の構想下にありと宣伝反対するものの中には特に注目すべきものがあります。先の
団体等規正
法案に対する日本
新聞協会の発表にかかる雑誌世界三月号の
新聞法制
研究会
委員の著名なる
学者連中の発表したものであります。これは又六月号にも出ておりまして、
公述人の中にもよくお知りのかたがありまして、そのかたが述べられることとは思いますからあまり詳しくは申上げませんが、この中に私の属する東京弁護士会名を利用して発表されておる
団体等規正
法案、ゼネスト禁止
法案、集団示威取締
法案に対する反対
意見であります。この
関係からいたしまして、いわゆる本法を性格、
目的、
範囲が違うにもかかわらず同巧異曲のものと見、いわゆる坊主憎けりやけさまでの例えで、面目論或いは感情論の上から本法に対する強い反対論を推進すべく、我が弁護士会の一部会員が先般本法に対する反対決議を弁護士会の名において発表しようとしたことを私は知りました。それでその
手続なりその不当を交渉いたしました結果、それは我が会の名義で発表してありませんがその後個人名義で発表したようであります。これらの経緯からいたしましても、なかなか反対者は理路整然真つ向から
憲法論を掲げて誠にその言やよし、はなばなしい感はありまするが、その手段
方法その内容幾多矛盾と撞着あるをいなめません。殊に我が会の名前で発表しようとしたその経緯から見ましても、会長その他の者に対して理論闘争の結果、あまり当局者は
研究しておらないものだから、成るほどそれは
憲法の自由権を無視するものだとして軽々に賛成したような
関係などからいたしましても、本法反対論は極めて立派に構想せられておりまするが、反対の直の理由が
先ほど来述べましたように矛盾と撞着あるを否定し得ません。
次に結論といたしまして、本法がかかる強硬反対と立案の経過、殊に平和條約発効後の急速を要する過渡期の混乱期に処せねばならん内外客観情勢の支配を受けまして、且つ恒久法でなく非常臨時法たるの性格からややもすると本来企図する
目的達成にこの
程度で十分かどうかさえ疑う節もあるのであります。或いは又本法が
団体の
規制という
行政機関の
公安調査庁と
公安審査委員会の
行政処分と、
一つは罰則のいわゆる補整、これが形式的にはあたかも
刑法の改正にもなるごとく見えますし、前者が
行政処分であり、あとのほうは
司法裁判に属しまして、
行政処分は急速果敢を要し、他面罰則
適用に関連し、政治上に或いは
憲法の自由権の抵触、なかんずく勤労者の団結権、
団体行動の
規制等に幾多影響がありますだけに、本法運用に当りましては予期しない障害と、若しも
濫用或いは運営を誤ることがありますならば、反対論の言うごとくそれこそ民主主義国家の禍根、日本民族悲劇の慮れなしといたしません。特に第三條一項ロの強き反対のあるあの正当性、必然性の具体的問題に対する処置であります。或いは四條及び六條の
団体の活動たるや否やの
範囲の確定、これが一部尖鋭分子が
団体名を利用し、或いは役職員を威迫、陷穽、驚かしたり騙したり、
団体本来の
目的やまじめな
団体員や役職員の真の意思に反して破壊活動をしたときの連座性、文書、印刷物の所持、その所持がたまたま本法の抵触せざる
目的のために所持したことに対して具体的にどう扱われるか、その
濫用の弊なしとしないか、この点が運用上
心配されるのであります。いやしくも本法一條の
目的、二條の基準を断じて逸脱したり、今後みだりにこの性格、
目的、基準を軽々に改悪するようなことのないよう希望するのであります。併しながら反対者の言うごとく、さような点について
濫用の慮れがあるんだと、
濫用されりや困るのだということはこれは反対の理由にはなるのであります。如何なる
法律といえ
ども濫用の伴わない、
濫用の絶対慮れないという
法律はありません。その
濫用される余地があるからというて本法に反対するということは、あたかも角をためて牛を殺すの例でありまして真の反対理由にはなりません。
〔
理事伊藤修君退席、
委員長着席〕
次に
審査委員会の点につきましてその性格、これはまさに準
裁判手続であります。この運用こそ本法の最後の決断をするところでありまして、この
委員長、
委員、
委員補佐の使命は誠に重大であります。この点につきましては特に万全を期するためにそれらの人選にはやはり多年経験ある民間の弁護士を任命することが最も適切と
考えるのであります。
いろいろ
修正意見も出ておりまするが、その点について触れてみたいと思うのであります。職権
濫用の慮れがいろいろな
かたがたによ
つて述べられまするが故に、
刑法百九十四條の特別公務員のほうの規定を本法に織込むかどうかという問題でありまするが、これはそうしないほうが本法をして健全に運用発達せしむるゆえんと信ずるのであります。何となれば
審査官に、検察官、
司法警察官と同種同様の権限を與えないのが本法の極めて苦心したところと
考えられるのであります。検察官、
司法警察官はその捜査行為
自体幾多強制権がありまするが、この
審査官には強制権はありません。よ
つてこれら職員の精神的に熟する
意味からい
つても検察官、
司法警察官の職務とは違うのだ、捜査権がないのだ、みだりに自由権の干渉はいけないのだという自覚を促すためからしても、特別公務員の罰則規定は却
つて害あ
つて益ないと思うのであります。要は本法の違反行為或いは
濫用行為を一般公務員の職権
濫用行為によ
つて嚴重処罰し、その検挙を躊躇しないよう、又国民なり弁護士会は断固本法の
濫用に対しては民主的に対抗すれば事足りると信ずるのであります。
次に問題の
扇動の削除が
修正意見として問題にな
つておりまするが、これは
先ほど来述べましたようにこれを抜いては本法の真の
目的運用は骨拔きになります。
扇動行為の取締こそ最も治安維持のために必要なんであります。次に正当性といわゆる必要性、この問題もやはり
扇動行為と関連して同様であります。或いは本法第四條の公開の集会を禁止するなら非公開の集会をも禁止しろという
議論でありまするが、これは公開の集会においてのすでに行われた破壊活動に対して、而も更に反覆継続して行うことの明かな慮れがある場合に
適用する、この停止解散の場合、而も停止の場合のみでありまするから非公開の場所での相談や何かはこれは禁止する必要はないのであります。停止処分に応ぜずになお反覆してやる場合においては解散処分ができるのでありまして、これは問題ないと思うのであります。ただ三條一項一号ロと三十七條二項のいわゆる実現の正当性又は必要性を主張する言論や映画、或いは
先ほど申上げた電波法にあるラジオ、次に起るテレビ、これらによ
つて扇動行為が行われた場合に一体これを放任していいのかどうか、かような場合をも当
委員会としては
相当御
研究せられて本法運営に万全を期せられんことを願いたいのであります。
破壊活動
団体の
行政処分に対する違憲性の有無が
議論にな
つておりますが、これは
法務総裁が述べられておりますごとくに、飽くまで本法の
団体に対する
規制は
行政処分で、三権分立の
趣旨からいたしましても、一方
行政処分に対する
訴訟行為の途が開かれております小ら、この点は
行政処分としてせられることが適切であるのであります。
次に破壊活動が
裁判所で無罪にな
つても停止処分が直ちに取消されるかどうかということが問題になるのであります。これは具体的の場合で一概に抽象的には言い得ないでありましようが、当該
団体の停止処分を受けた既存の破壊活動行為、これが
団体員全部の意思を体してや
つた行為によ
つて受けた場合その全員が無罪に
なつた、而もその無罪が立派に罪のなか
つたことが証拠立てられておれば、停止処分は解除しなければならんのであります。要は
団体の構成員が
団体の意思としてや
つたかどうか、この点が問題になるのでありまして、又一方本法がこの点によ
つて相当成果を収めると思うのであります。
先ほど我が会において問題に
なつたように、一部急進分子が
団体名を利用して成る行動をしようという場合には、互いにそれを討議し合うなり或いは監視してさようなことのないようにしてこそ、民主主義の
団体の
団体、員たるの義務であり、かくしてこそ健全なる
団体の発展、ひいては国民の民主主義の健全なる隆盛を来すゆえんであります。ただこの運用について十二分に愼重を期せられたいのであります。さようなことを
考えてみましたときに
審査委員会が誤
つて決定をした場合、その変更取消を
裁判所にのみ委ねていいか。
はつきりした場合に、訴願的の
方法なり或いはみずからこれを取消、停止する
方法を
考えてみてはどうかという問題であります。
最後に
行政事件訴訟特例法によ
つて本法の処分をされて
裁判所に訴えても、総理大臣が停止処分に異議を主張した場合には停止の効力はない、活動をとめられた
団体は復活の
方法がないのだという、この場合であります。尤もの
心配であります。この点につきましては或る
程度の
修正をせられるか、この点についての
濫用の弊のないよう特に
関係当局に希望いたしまして、以上私の賛成
意見として述べた次第であります。