○中山福藏君
只今お述べになりました基本的の人権の重要な要素をなしておる自由、
憲法で申しますれば第十九條から大体二十一條にこの規定が表われておるようでありますが、
只今承
つておりますると、普遍の原理ということを述べられ、私としてはそれに
異議はないわけですが、併しお述べに
なつた内容は大体英米式の民主主義であ
つて、
人間のありかたはかくのごときものだというお言葉が述べられるのではないかと思うのです。申すまでもなく全体主義的、或いは自由主義的な民主主義の国家であろうが、これはいわば個人を尊重するか全体を尊重するかと、帰納か演繹かという論理上の言葉で表現することを最も妥当と
考えますが、そういうことにな
つて来るのじやなかろうかと思うのです。この出発点をはつきり頭に入れておかなければこの破防法を論ずることはできない。破防法の各細部に亘
つて私達は論じて行きますことは、この基盤の上に立
つて行かなければ議論が二つにわかれて来て幾何学上の平行線を永久に引張
つて行くのと同じ結果になるのではないかと思います。勿論ロシアには非ユークリツトの幾何学があ
つて平行線はこれを延ばして行けば相合するのだという、普通のユークリツトの幾何学と反対のことを述べておる国でありますから、これはまあ現在の我が学問を以て立証することはできない。それで神ならぬ身のいずれの民主主義が正しいかということは言い得ない。だから言い得ないその現実に彷徨しておるすべての学徒、思想家、或いは普通のひどく迷うてお
つてあらゆる暴動、放火、騒擾をいろいろな
方面に起すのはここから出発するのだと私は思う。だから今後の日本のありかたは、これはもう本当に、何と申しますか大自然に
徹底した哲理というものを日本人全体が先ず頭の中にしつかりと把握して、この
考えの上に乗つか
つて日本独得の方向を
政府の人々が
国民の頭に植えつけて引ず
つて行くというほかには、今日の混乱というものを防止することはできないのじやなかろうかと実は
考えておる。ですから提案
理由の中に世界の期待に副うというお言葉を使われておるが、どれくらいのことを
政府はお
考えにな
つてこれを言
つたのか。それを一応質したか
つたのであります。
御
承知の
通りに、嘗
つてフランスのカルビンだとかドイツのマルチン・ルーテルだとか、これらの宗教的の思想の流れから生れでたアメリカの独立宣言中の自由人権というものが我が新
憲法の上に表われておるということは、私でなくても美濃部博士が
憲法の総論に書いてある
通りであります。これはいわば一種の自然法学に基いた哲理から出発した自由人権の思想だ。これが我が
憲法に表われておる。これを私達が
法律で縛るということになりますると、やはり一つの宇宙観、世界観、哲理の上に立
つた考えかたを以てこの破防法を
審議して行く必要がある。私はかように
考える。そこでそのようなお尋ねをしたのでありますが、併しこういうことで時間をつぶしておりますと幾ら時間があ
つても足りませんから、第二点に移ります。
第二点は総裁のよく御存じの
通りに、政治というのはものを見通す力が政治である、いわゆる洞察力を持たない政治というものは無価値である。国家、
国民の向うべきところを
判断した、即ち歴史上の事実を参考にして将来を洞察する。勿論政治、経済、思想、外交というふうな問題がありますが、これらをすべて勘案してそうして洞察力にその過去の経験を伴わして国家の行手を定める。これが本当の政治と
考えておるのであります。そこで洞察力を持
つた人間はどういうことに
なつたかというと、
吉田松陰は幕府の手にかか
つて死んだ、西郷南洲も不遇に死んだ、いろいろな人が自分の身を犠牲に供して洞察力によ
つての
行動をや
つておるのです、そこで私どもは静かに
考えなければならんことは、丁度国家というものはたけのこが育
つて行くようなものでたけのこが育つにつれて一枚々々皮がはげて伸びて行く。その一枚々々の皮というものはそのときの国家の制度であります。国家というものは生長すればするほどその制度文物というものは竹の皮のようにはげて行かなければならん。その過去の制度文物がはげ落ちて中味がすくすくと伸びるところに国家の生長というものがあると思う。この提案
理由の中に我々は今まで民主主義を相当に
徹底せしめたからこの態度を堅持して、そうして日本というものの
国民を育生化育するということが書かれて、この育成化育というものはものの育
つて行く姿であります。ですからあらゆる思想家、洞察力を持
つた人がいろいろな
行動をするというときに、ただ昔の竹の皮を落すまい落すまいとい
つて竹の皮に
政府がしがみついておりますと、中の伸び行く竹の幹さえもその生長を停頓させるのではないかと思う。そこで
政府の人人はどういうふうな文物制度というものを取り込まねばならんか。過去の日本の
国民の着てお
つた着物というものは、長い間着てお
つたから垢が附いて、しみができて、繊維が弱くな
つて、腐り果てて、しらみがわいたということでは健康が保てない。国家の健康というものは新しい織物を着て伸びて行かなければならない。この破防法というもののこういう着物を国家が着たら、国家というものが伸びて行くかどうかということを見て
判断して行かなければならないものだと存じます。育成という言葉は伸びて行く姿である。過去の事実にとらわれて過去の道徳、過去の制度、過去の我々の頭の持ちかたに拘泥しておりますと、伸び行く育成化育ができんのではないかと
考えるのであります。(「そうだ」と呼ぶ者あり)
そこで私は総裁にお尋ねしたいのは現在行われております、例えば刑法の百六條或いは七十七條——七十八條、七十九條この内乱、予備、陰謀、或いは又百二十五條、百二十六條或いは二百三十六條第一項の強盗というような、こういうようなことがらというものを手段として、そうして集団的な継続的な共同の目的を持
つた団体が国家の基礎というものを危くする、基本
秩序というものを破壞するというようなことをいろいろと並べておりますけれども、その国というものをどういうふうに育成化育するかということになりますると、竹の皮を落すまいと
政府がこれを支えておりましても、これは自然の攝理というものはそういうふう簡單なものじやない。だから先ずこの破防法をお作りになるには、この破防法がなければこのたけのこは伸びて行かないという基礎的な
考え方は一体どこからお出しに
なつたものか。それを一つ承わ
つておきたいと
考えている次第であります。