○矢嶋三義君
大臣の今の教員を養成する場合に、教員を志す生徒諸君と一般の
学生とを一緒にして、そうして非常に
教養の高い教授が指導するというような点、私は全く同感なんでございますが、私のお尋ねいたしたい点は、仮にですよ、ここで我が国は再軍備をやらないと、そういう点から、
文化国家建設という
立場から、
予算を十分確保して行くというそういうような基本的な政策と、それと今
大臣がおつしやられたような
大学教育の
考えとが一致すれば、ここで私は非常にうまく行くと思うのでありますが、
現実に我が国の現在の、殊に吉田内閣の指向している
予算編成のこういう性格と、その内閣におられる
大臣の今申されるような理想というものは、非常に私はギヤツプがあるのじやないか。そういうギヤツプがある以上は、もうちよつと
現実的にならなくちやならんじやないか、こういうふうに私は
考える。そこで私は
大臣にお伺いするのですが、この四年課程と二年課程を
認める場合、その二年課程の諸君にもこの四年課程を教授するところのかたがた、そういうスタツフを揃えてやるというお
考えは結構ですけれ
ども、それは先ほど申上げましたように、私は
大臣が現在おられるところの吉田内閣の
予算の性格から見てもわかりますように、私は不可能に近いものであると思う。そうだとすればそこを少し、吉田内閣におられる
文部大臣としては、
現実と文教政策をマツチさせて、従来ありました師範学校、そこには私は二年課程を置いたらどうか、こう
考える。先ほど
荒木君から
新発田の特殊性を説かれたわけなんですが、確かに
新発田は特殊性があると思う。併し私はこれは
新発田に限らないと思う。私は今ずつと全国の地図を頭に描いてあそこはどうな
つている、ここはどうなるということを頭に描いておりまして、大体この教員養成の師範学校というものは、その
地域の
文化の中枢にな
つておりますし、義務
教育の
教育者確保という必要性に迫られてできたのが曾ての師範学校なんです。それが現在殆んど
分校とな
つているわけですが、他の
大学と教員養成の
大学とは私が申上げるまでもなくおのずと違うと思うのです。実際義務
教育でございますから、どんな山の上にも学校があるのでございます。そうしますと要するに教員養成の
大学を出た卒業生の分布というものは、他の
大学を卒業した者の分布とはおのずから違わなくもやならんわけですね。そういう
立場から
考えますと、
大臣が私は二年課程はやめると、もう四年一本で行くんだと、
従つて四年課程の
大学が充実するような
予算を十分取るのだ、自分もそうだし、自分の所属している内閣もそういう
方針だというならば、私は話がわかるのですけれ
ども、
大臣のさつきのお言葉では、半永久的に二年課程というものも
認めて行くとあれば、私は教員養成の二年課程というものは、現在あるものは全部残したほうが妥当なんじやないかと、こういうふうに私は
考えるのでございますが、如何でございますか。