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岩間正男君 私は去年の暮
矢嶋君と九州を廻
つて宮崎へ行きましたら宮崎の図書館長は非常に特色のある作家の中村地平君がや
つている。よく話を聞いて見ませんけれども、で非常に個性のある、そういう人で、恐らく
日本の図書館の中でも宮崎の図書館はいろいろな意味で注目する余地があると思うんです。本の冊数にしても、いろいろ映画の試写のルームを持
つているとか、録音の、いろいろレコードを聞かせる部屋を持
つているとか、その他採集とか、そういう
方面から見ますと非常に特色がある。雰囲気も非常によい。そういうふうな人を仮に司書に、これはやはり
資格とか何とかということで来るというとね、僕はどうも官僚的な匂いで、今の図書館というのはそういう個性豊かなものに行かない。私はあれを見て来て、時間の
関係上から中村君と懇談することはできませんでしたけれども、流石に作家の中村地平という人の匂いというものは全館の中に溢れている。こういうものを見たときに司書とか系統付けて、今日こういう
資格で免許状がなければいけないということになると、本当にこれは
日本の図書館というものを本当に運営する道はあるのかどうかということと、根本的な問題も多くなる。これは
一つあなた
たち研究して頂きたい。單に体系付けて昔の
学校の何か片割れみたいなものにしなければ、そういう系統的な官僚的なものをおかなければ
日本の図書館はできないということは逆に伸びるものにマイナスになる。本当に文化的な豊かさを持
つて伸びるものが逆に抑えられて、或る制限の下におかれるということは非常に私は憂える。具体的に私はそういう面でいい例を見て来たものでありますから、中村君のような人がどんどん教授にな
つて日本の文化のために後進の指導に当るということは大いに発展の方向にこれは個性を発揮させ、その智性そのまま育てる手を大きく加えることになる。余りにこういう中央統制的な手を加えるということは
日本の民主主義の
一つの逆コース以外にならないと
考えます。この点は研究する余地があると思うんです。是非これは寺中
局長あたりはこういう点で非常に造詣深いんですから是非
一つ考えてもらいたい。