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岡村文四郎君
只今上程されております
農業共済基金法案に対しましては終始一貫反対の態度をと
つて参りました。そこで各
委員の
かたがたが非常に御
心配にな
つて、何とかこれを円滑にしようという御
努力を願いましたことはよくわか
つております。そこで私は
信念は絶対曲げておりませんので、これに対する懸念、痛心も持
つておりますが、
岡村議員として
同僚のお骨折に対して
賛成をするものであります。そこで問題は二十二年に
農業災害補償法を制定いたしまする時分に、
口角泡を飛ばして
議論をしたものでございます。それは
保険法がございましたが、国の
責任は何にもないというので、丁度
食糧が非常に大事な時期になりましたから、国がそれを取上げて
補償をする意味において制定されたのが
災害補償法なのであります。そこで第
一條に謳
つておりますることを
政府自体が真直ぐに実行してくれるなれば、何にもこの際
基金法案なるものは出て来る必要はないのであります。私に言わしめますると、
農林省自体の甚だ無気力、怠慢を
農家に転嫁をしている、こう言わざるを得ないと思
つております。そこでできて来たものは止むを得ませんし、多数の
委員の
かたがたは御
賛成のようでありますが、私は
信念から
農業者の不為になりますようなことは絶対に
賛成をしないという
原則を持
つております。併しながらそういう
原則を持
つておりまして竜、
同僚各位の非常な御
努力で何とかこの案をスムースに上げるようにということはよくわか
つておりますから、前申しましたように
賛成をいたしまするが、
是非とも
政府のほうでは
農業災害補償法が何のために一体できているのか、ただ生えただけではいかんので、これを
心配すると、今度の
農業共済基金法も同じような御
心配があるわけであります。そこでいろいろ
議論をいたしましてや
つておりましても、私はこれは無駄だな、こういう感じを持
つております、と言いますことは、御
承知のように第
一條さえ読めばそれですつかりわかります。これでもう何も文句はないので、これさえ真直ぐに実行するならば叱言はございませんが、但し五年間という年間のうちは、やつたことのない仕事をや
つておりますから基礎は掴めない、その後にな
つて改正をしてしつかりしたものにするということは法のもう制定した当時からそうでございます。そこでその間のことは止むを得ませんが、それにいたしましても、
不足金の
処理その他のことについては非常に遺憾に存じておりますが、今後は絶対そういうことのないように十分な御注意と御
検討を願わんと、文相も変らぬことを繰返すようなことにな
つてはならんと思いまするが、私に言わしめますと、第
一條を真直ぐに実行すれば、
農業共済基金法は決してこう
農家にまで
負担をさしてまで集める
努力をしなくても済む、こういうことを実は
考えておりまするから、
是非政府のほうでは
政府の
考えていることを
農家の
負担まで謳わなければ
大蔵省の認めることのできないようなことにしないで、当然あるべきだということによ
つてこの
法律を押して行けば何にも
不足はないと思います。そこで問題は、我々
百姓は
徳川時代から生かさんように殺さんようにということをや
つて来たのでございますが、
明治三十三年に、
明治陛下が非常に御
心配になりましてそれから
農業は取上げられ、だんだん
経済的の
援助を受けて立
つて来たのでございます。ところが戰争が始ま
つて、そうしてその後そういうことはなくなり、
占領国にな
つてから、外国の
占領国でございますから、今までの
経済援助は殆んど
農業土地改良事業の或る一部より認められないで来たものでございますが、
独立国になりますと、これから前のように何とか又
農業というものは見てもらわなければ、
政府の
援助、即ち国が見なければ成立たない
事業であると
考えております矢先に、こういう
農業基金法案という、まるでさかさまな、金銭の大小にはかかわらず、
百姓から
出資をさしてそうして
政府が、それを出さなければや
つて行けないというような
政府のお
考えでは、又同じように
徳川時代に
あと戻りをする傾向があると言わざるを得ないのであります。そこで問題は
是非共今後そういうことのないように、ますます
戦争前の
明治三十三年から
戦争前までに、
農業者を
援助し引立
つて行かなければならない
事業であるということを
認識にな
つて、強く進んでもらいますことを御
希望申上げまして
賛成いたします。