○
政府委員(
寺内祥一君) この点につきましては
只今資料をお賜りいたしましたから、これによ
つて御覧を頂きまして御
説明を申上げます。
先ず第一にこの
繭糸価格安定法によりまして
生糸の
最高価格、
最低価格をきめますに先ず先日お手許にお配りいたしました
繭糸価格安定法の
施行令の第三條におきまして、「
標準生糸の
最高価格は、繭の
生産費の額に
生糸の
製造及び
販売に要する
費用の額を加えて得た額の十二割と
生糸価格指数、
主要繊維価格指数及び
物価指数の
関係から附録の算式により算出される
価格(以下
物価参しやく値」という。)の十二割とを
基準とし、
経済事情を参しやくして定める。」
最低価格につきましては、同條第二項におきまして、「
標準生糸の
最低価格は、
最高価格の七割を
基準とし、
経済事情を参しやくして定める。」というふうにいたしまして、大体
法律によります
最高価格、
最低価格をきめます範囲を
政令によ
つてきめたのであります。要しまするに、
法律におきましては
生産費を
基準としてきめるということに
なつておりまして、その
基準をどういうふうに見るかということを
考えたのでありまするが、それにつきましては、
最高価格は大体繭の
生産費及び
生糸の
製造販売に要する
費用の二割
上値を
考えたのであります。それは何故二割
上値ということを
考えたかと申しますると、
昭和に入りましてから、
昭和元年から
附和二十六年までの
生糸の
価格の
変動率を見て参りました。先ずそれに、
物価の
変動による率と、
生糸そのものの
変動による率とを区別して計算いたしたのでありまして、
物価の
変動による率を見て参りますると、それは大体その年の一月から三月を
基準にいたしまして、その年度内にどの程度に
物価が変
つているかということを調べました。そういたしますると、その
基準の日よりも
物価が変りました、五分
変つた月が何カ月あるか、一割
変つた月が何カ月あるかというような調べをいたしたのであります。そういたしますると、上のほうの上りました率を平均いたしますると、大体〇・九割、約一割の
上昇率であります。下落のほうも同じような計算で行きますと約〇・九というような数が出まして、約一割でございまして、それを次に
生糸それ
自体の
価格の
変動率を調べますために、
生糸価格指数を
物価指数で割りました
——生糸価格率と申します
——このものも今申しましたような
方法によりまして、
昭和に入りましてからの上りました
指数を勘定して見ますと、これもやはり大体上りましたほうは平均いたしましてプラスの一・〇六%くらいの
数字が出たのであります。結局これを四捨五入いたしますと約一割という
数字が出たのでございまして、又マイナスのほうもそれと大体同じような
数字が出たのでありまして、結局大体
昭和に入りましてから
生糸の
価格は
上下二割の
変動しておるというようなのが平常の
状態であるという
数字が出たのであります。特にその差の多いのはそれより出たり入つたりしておりますが、大体平均いたしますと
上下二割の
変動をしておるのであります。そこで
最高価格をきめますのは、その
生産費の二割を
最高価格の限度として見たらよかろうと
考えたのであります。
次に
最低価格につきまして、何故三割という
数字を出したかと申しますと、
数字の
上下二割の
変動を上に
上つた数字から下のほうの
数字の割合を出して見ますと、約六六・六六%、これを四捨五入いたしますると、大体七割という
数字が出たわけであります。
それから次に過去におきまする
生糸の
価格の
変動を、これは明治四十年あたりから極く最近、
昭和二十六年までの間の四十五カ年、そのうち戰争中の五カ年を引きまして、約四十カ年の、その年間における
生糸の
価格の
変動を見たのでありまして、その年間におきまして
最低に
なつた値段と、最高に
なつた値段との値幅がどのくらいあるかと、それを調べて見ますと、約三割以上の差ができました年が約二十六カ年、約半数以上に
なつておるのでありまして、三割になりました年度が大体十五、大カ年というような
数字になりましたので、その最高と
最低の値幅を二割にいたしますると、我が国の過去の
生糸の
価格の趨勢から申しますると、余りに差が狭過ぎるということになりまして、又四割になりますと、これも後にも触れたいと思いますが、値幅が余りに大き過ぎまして、
繭糸価格安定法の
趣旨に反するというので、大体最高
最低の値幅が三割程度がよかろうということでこの三割という
数字をとつたわけであります。これを
基準にいたして去る二月十一日及び十二日の
繭糸価格安定審議会におきましてこの資料を
提出いたしたのでありすす。それは
只今お配りいたしました
生糸の最高及び
最低価格の算定の資料一覧というのを御覧になりまするとおわかりになるのでありますが、先ず第一に先ほど読み上げました
政令の
物価参しやく値というところから御
説明いたしますと、これは先日お配りいたしました
施行令の附録を御覧頂きますとわかります
通り、これは主要繊維の
価格率である……アメリカにおける主要繊維の
価格率及び
物価率というようなものから算出いたしまして、こういう数式があるわけであります、これにそれぞれの所定の数を算入いたしましたのが、
只今お配りいたしました資料の一、
物価参しやく値というところでありまのて、これが結局十九万六千九百五十四円という
数字が出たわけであります。次に繭の
生産費の額に
生糸の
製造及び
販売に要する
費用の合計額というのが二に出ておりまして、これを御
説明申上げますと、繭の
生産費につきましてはここにもあります
通り、
昭和二十六年度推定上繭一貫
当り生産費千二百九十一円、これはどうして出たかと申しますと、これは統計調査部において調査いたしました二十五年度の繭の
生産費を調べたのであります。これは二十六年度を取りたかつたのでありますが、まだ当時二十六年の結果が出ておりませんでしたので、止むを得ず二十五年を取つたのでありまするが、統計調査部において調査いたしました結果は、これは約五百八十何戸の
農家に記帳を頼みまして、その結果を集計した
数字なんでございますが、その総和平均におきまして千二百九十一円という
数字が出ておるのでありまするが、これはその総和平均の一戸
当り経営規模を見ますと、反当收繭量が十五貫であつたり、或いは桑樹の作付面積が三十二畝というように非常に経営規模が大きなものに変じておる嫌いがあつたのであります。従いましてこの
繭糸価格安定法の基礎となりますためには、少し統計調査部の調査によります総和平均の
数字は上層に偏しておると認められるのであります。それは
昭和二十五年におきまする蚕糸局の調べによりますと、養蚕
農家一戸
当りの反当収繭量は十一貫でございます。二十六年になりまして、漸く十三貫というような
数字が出たのであります。そこで統計調査部の調査のうちの総和平均は上層に偏しておりますのでこれを取りませんで、大体掃立卵量を二十グラムから五十グラムの單位の
農家を取つたのであります。これは
昭和二十五年の養蚕
農家の生産の規模が平均いたしまして、一戸
当り三十五グラムの掃立量がありましたので、それを
基準にいたしまして二十グラムから五十グラムまでを取る、こういたしますと、大体これが当時の養蚕
農家の中核をなすものでなかろうかという見通しをとつたわけであります。そういたしますとその繭の
生産費は千三百三十三円に
なつたのでありますが、これは
昭和二十五年の
生産費でございますから、これを二十六年の十一月、この当時の調査におきまして、十一月が最も確実なる
物価指数等の
数字が出ておるときでございましたので、我んといたしましてはこの
価格決定時の最も近いときにおける、而も信用のできる
数字を基礎といたしましてこれをスライドして直して行つたのであります。それともう
一つは、この統計調査部の調査によりまするこれは一般的な資料として使う
数字でございますが、今回この
繭糸価格安定法によりまする繭の
価格決定には原価計算方式によりまする要綱によりまする各費目に合せますために、例えば公租、分譲につきましては所得に課せられたものは除くとか、或いは資本利子については見積額を除外するとか、或いは支拂地代については自作の見積りの地代を除くというような、そういう原価計算方式の要綱に基きまして抜いたところがございます。その結果が結局、これに載
つておりまする
昭和二十六年度推定上繭一貫当
生産費千二百九十一円という
数字が出たのであります。これが(b)行きまして
生糸一俵当所要上繭数量というものに直しますると、
生糸一俵当所要上繭数量は従来の慣例によりまして計算いたしますると百三貫と七、これを
生糸一俵
当りの原料繭代に直しまと丁度十三万三千八百七十七円という
数字が出ました。それから次に
生糸の
製造及び
販売に要する
費用、こういうものはこれは統計調査部で調査いたしておりまする
数字でありますればそれをとるのでありますが、それを大体調査いたしませんで、蚕糸局において毎年調査いたしておりますので、蚕糸局における調査の結果をとりまして、これは
昭和二十六年の
生産費でありますが、これもまあ先ほど申しましたような
価格決定時の一番近い時期において、而も最も確実な資料、
数字のとれるといういわゆる十一月
物価指数にスライドして直しました
数字が五万九千七百六十円こう出たわけでございます。これに繭の取扱手数料の上繭一貫当手数料三十七円と、
生糸一俵当同上金額二千八百円、これを合計いたしますと
生産費の十九万六千四百三十七円という
数字が出たのであります。これを先ほど申しました割合の
規定によりまして、
最高価格の
基準となるものは、先ず
物価参しやく値のほうは十九万六千九百五十四円でございますから、これの十二割と申しますと二十三万六千三百四十五円、この七割と申しますと十六万五千四百十二円と出たわけでございます。それから
生産費のほうは、最後の行にBと書いてある、その
基準額が十九万六千四百三十七円、この十二割が二十三万五千七百二十四円、その七割が十六万五千七円、こういう
数字が出たわけでございます。これを
審議会に資料といたしまして提供いたしまして、いろいろ
審議会の
委員のかたがたの御
審議を願つたのでありまするが、結局その
審議の過程においてこの繭の
生産費についても、それから
生糸の
製造販売に要する
費用についても議員諸公は、この
数字は不満であるという意思を表明せられたのでありますが、これは
只今申したような当局としては確実な資料に基いて、尤も十一月の
物価指数にスライドしてありますが、これは
数字に基いてスライドしただけであ
つて、その結果こういう
数字が出たということを御
説明申上げましたが、
委員諸公には大分不満のようでありましたが、併しこの繭糸
価格審議会の諮問では
生産費をきめるのではなくて、
最低価格、
最高価格をきめるのであるということで議論が一致いたしまして、その
審議に入つたのでありますが、結局
最高価格は二十三万円、展低
価格は十八万円ときまつたのでありますが、先ず
最低価格をなぜ十八万円にきめたかと申しますと、
一つには絹織物の代表の
委員の人から、絹織物をアメリカに輸出したときの
価格が一ポンドについて五ドル五十セント以上でありますればアメリカの輸入関税が二五%であります。一ポンドが五ドル五十セント以下に下ると、途端にアメリカの輸入関税が五五%に上るのであります。要するにアメリカにおいては絹織物業者の
保護のためにそういう、我々は普通ダンピング税と申しておりますが、日本の絹織物が余りに安くアメリカに輸出されることを防ぐためにそういう税金をかける、そこで絹織物を五ドル五十セント以上に売ろうとすると
生糸の原価は十八万円でなければ困るという
意見が出た。それに対して通産省もできるだけ
生糸の値段を安くする、そういう絹織物の輸出を阻害するからというようなこともありました、又養蚕
農家のほうにおいても
最低ぎりぎり十八万円でなければ繭の
生産費を償えないという議論もあ
つて、
最低価格は十八万円にきまつたわけであります。
次に
最高価格が二十三万円にきまつた
理由は、先ず第一には最高と
最低の値幅を余りに広くしては我々としては困る、できるだけ狭くすることが糸価安定の基礎であるということと、もう
一つはアメリカに出ます
生糸の
価格ができるだけ五ドルを超えないようにしようという
意見が
審議会の
委員のかたがたの頭を支配したのでありまして結局二十三万円と申しますと、大体FOBにして四ドル九十セントになります。これはニユーヨークに持
つて行きますと、横浜からアメリカまでの運賃その他の諸掛りが三十五セントかかりますので、アメリカに来るとどうしても五ドルを越すのでありますが、現在ニユーヨークにおける
生糸の市価が約四ドル八十セントちよつと割
つておりますが、当時は四ドル八十セントを上廻
つておりましたが、五ドルを超えては結局
生糸は売れないという情勢でありましたので、できればアメリカの五ドルを越さないようにしようという
意見がありました。が、それでは余りに内地の
価格が安くなるというので、せめてFOBで日本の港を出るときだけでも五ドルをちよつと割
つておこうという空気が支配いたしまして、
最高価格を二十三万円にきめるというように
審議会が答申したような次第であります。
以上が
審議の経過でありまして、それぞれ二十三万円と十八万円にきまつたわけであります。
只今申上げたような議論が農林当局としても尤もだと思いましたので、大体
農林省としても
審議会における
審議の答申案をそのまま採用いたしまして告示いたした次第であります。