○
三好始君 私は改進党を代表して、
保安庁法案並びに
関係法案に対して反対の意見を表明せんとするものであります。
その理由を明らかにする前に、一言いたしておきたいことがあります。それは我々は条理を曲げではならないということであります。真実を無視する野蛮な態度をと
つてはならないということであります。遅れた社会では、ともすると理論と現実とを全く別々な世界と
考えて怪しまず、理論は理論として棚上げして、現実的には、
状況に応じて要領より処理して行くべきだというような態度がとられるのであります。日常生活の末端においてならともかく、国会の審議の中に若しこの条理を無視した便宜主義の態度が持ち込まれるならば、それは法秩序維持の根柢を破壊するものでありまして、社会生活の秩序を保つことは到底不可能となり、良心的な国民の間に政治の不信を来たすことは明らかであります。そこには社会生活の秩序を維持するところの条理の尊重がなく、人間生活に必要な理性がないからであります。私は五年前党籍を持つたそのままで一年ばかり緑風会に所属しておりました。今でも同じだと思うのであります。緑風会は是々非々主義を標標しておりました。是々非々主義というのは無
性格ということではなくして、むしろ特定の
立場に捉われないで、条理を尊重するということでなければならんと思います。即ち野党だからすべて
政府案に反対するというような
立場でもなければ、また与党だから
政府案には無
条件で賛成するというような態度でもない、こういうことが是々非々主義の本来の姿だと思うのであります。私は参議院にはこのような冷静に条理に
従つて行動する会派が存在することの重要性を認めるものであります。
そこで特に今から述べることは、緑風会なり民生クラブなり、そういつた諸君に特に十分に聞いて頂きたいのであります。私はこの
保安庁法案の審議こそ最も条理を尊重する必要の痛感される問題であることを
感じております。国家には
治安維持機構或いは自衛機構が必要なのだから、
手続は単なる
形式的な手段の問題であ
つて、とにかくその実現には賛成すべきだというような素朴なる
立場が若しとられるとするならば、民主主義以前の状態であ
つて、国会のあり方としては悲しむべきことと言わなければなりません。
手続の履み方を誤まらずに目的を実現するという原則を守ることが民主主義の第一課であることは、殊更私が指摘するまでもありません。
保安庁法案が必要であり、
保安隊、
警備隊が必要であると
感じている人々は、外敵が侵入して来た場合、正当防衛として国家がこれに対抗し、或いは国家
機関たる
保安隊、
警備隊が
出動しなければならないのは当然であるというような
考え方を持
つているのではないかと
考えられます。単に
保安隊、
警備隊だけでなく、
一般国民もただ外敵のなすがままに任しているはずはない、これに対抗するのが当然である、
保安隊、
警備隊の行動も当然である、こういうふうに思
つていると
感じられます。私は
政府を初めとして国会内部に、このような単純にして素朴な
考え方が行われていることを了解するのに苦しむのでありますペーグの陸戦条規によりますと、正規の軍隊でないものが交戦
資格を与えられる場合として、義勇兵団と群民蜂起の
規定があります。義勇兵団は統率者があ
つて一定の標識をつけている場合、群民蜂起は統率者を選んだり或いは徽章をつけたりするようないとまなくして、所在の民衆が外敵に抵抗する場合をいうのであります。ところがこれら国際法上合法的なものとした認めることと、憲法上自衛権を放棄した
日本の国家が、国家
機関としての
保安隊、
警備隊等に交戦の
資格を認めることは全く別なことでありまする
日本の憲法は国の交戦権を認めておりません。
従つて国家
機関が国家の意思として外敵に対抗することは憲法上は不可能であります。これを義勇兵団、群民蜂起と同一視するわけには行かないのであります。是非は別といたしまして、これは憲法の命ずるところであります。法はたとえ悪法なりといえども無視することは許されません。それは改正を待
つてのみ適用をやめることができるのであります。今回の
保安庁法案に対して私は先ず以上の点を最初に強調しておかなければならないと思うのであります。
以下具体的に反対の理由を申上げたいと思います。
政府の
説明によりますと、
保安庁は
国内治安維持のために設けられるものだというのでありますが、
治安の維持とは別な表現をいたしますというと法秩序の維持であります。ところが
保安庁法は憲法に違反し、憲法の秩序を破壊するものであ
つて、法秩序の維持に任ずべきものが先ず出発点において最大の法秩序破壊を侵している。この点が私は本
法案に反対する第一の理由であります。
反対の第二の理由として指摘しなければならないのは、
保安庁機構運営の物的手段としての
保安隊、
警備隊の装備は米軍の
貸与に待つものであり、
貸与兵器並びに
艦艇の種類、数量等は我が国の発意と自発的
判断によ
つて決定されておるよりは、むしろこれらの決定のイニシアテイブは米軍にあると思われる点であります。即ち
国内の
治安の維持乃至国家自衛の手段が自主的に決定されていないということであ
つて、独立国の名に値するかどうかに大いに疑問を持たざるを得ないことであります。而も
貸与条件は未定であり、
貸与に関する
国内法上の
手続すら未だ明確にな
つていないのであります。
反対の第三の理由は、
保安庁法の
規定が極めて弾力性のある表現に終始し、而も重要なる具体的内容を政令又は総理府令に委任しているために、
部隊の組織、
編成、装備、訓練
機関等から始ま
つて、その実体と行動の内容を予測することが困難であ
つて、国会の監督を不十分にし、民主政治に反するという点でありまして、もつとはつきり言えば、このような弾力性のある
規定によ
つて、
保安庁の国防省的
性格をカムフラージしようとしていることであります。以下これらの諸点に関して
内閣委員会における審議を通じて明瞭に
なつたところを中心に問題を明らかにしてみたいと思います。
先ず憲法違反性の問題でありますが、具体的に
保安隊、
警備隊が憲法違反的の存在であるかどうかを決定するには、先決問題として
基準となるべき憲法の解釈自体を明らかにしなければなりません。本
法律案の審議に当
つて憲法論が長時間論議されたのはこのためであります。
保安隊、
警備隊が憲法に抵触するや否やを判定する上に
関係のある憲法の主たる条文は第九条二項であります。即ち憲法九条の戦力放棄の意義は如何なるものであるか、「交戦権は、これを認めない、」という
規定はどういう
意味であるか、先ず明らかにされねばならないのであります。この点に関する従来の国会の論議は極めて活発であつたかに見えて、実は単純極まる議論にとどま
つていたことは遺憾なことであつたと言わざるを得ないのであります。
政府は予算
委員会以来、戦力とは近代戦を有効適切に遂行し得る
編成装備を持つたものであ
つて、時代により国際情勢によ
つて異るところの相対的なものであると主張して参りました。これに対して予算
委員会においては野党側より、潜在戦力も憲法違反であるとの反対論が述べられたことは余りにも有名であります。率直に言えばこれはいずれも憲法の正しい解釈論とは言えないのであります。殊に
政府の憲法解釈は、国際法の原則と憲法の平和主義的構想に全く目をおおい、憲法の
規定を離れた、抽象的な戦力の定義をもてあそんでいる暴論であるととは識者の常識であります。成るほど法を離れた、抽象的な概念としては、戦力の意義は相対的であり、固定的でありません。併しながら実定法に
規定された用語の意義はこのような不確定極まるものではないのでありまして、或る
程度限定された客観的な意義が
考えられねばなりません。即ち憲法が戦力を保持しないという
規定を設けた趣旨は、解釈上おのずから論理的な限界があるはずであります。それは何であるかと申しますと、攻撃目的にせよ自衛目的にせよ、対外的な対抗の意図を持つた武力は、名目の如何にかかわらず、これを保持しないということであります。換言すれば、武力を保持する国家の意図が外敵に備えんとするものである限り、憲法第九条第二項の禁止する戦力であるということであります。これは先ほど
中川委員の賛成討論においても認められたところでありまして、
中川委員は、竹槍以上の
武器を持たなくとも、戦争目的で設けたものであればいけないのだということを率直に而も強く主張されました。憲法第九条第一項が、国際紛争を解決する手段として、戦事に限らず、一切の武力を用いないことに
規定したのに対して、第二項はそれを確実にするために、名目の如何にかかわらず、一切の対外的意図を持つた武力を保持しないということを明らかにしたものであります。そこには対外的な目的を持
つて保持し得る武力の
程度問題のごときは、全く考慮の
余地のない問題であります。即ちこの場合には近代戦遂行
能力に達しているかいないかということは問題にならないのであります。それを問題にすることは全くナンセンスなんであります。これは憲法第九条の正しい文理解釈であると共にへ憲法全体の平和主義的構造の正しい認識に立つた理論的帰結であります。このような対外的意図は、軍と名付けられた軍隊を保持する場合には明瞭に現われているから勿論許されないが、軍隊と名付けられていない実力
部隊についてもそれを設ける意図が奈辺にあるかが客観的に
判断されなければならない。若しそれが、外敵対抗を予想して設けられたものである限り、
保安隊と名付け
警備隊と名付けてみたところで、憲法の容認しないところであることは解釈論として明瞭であります。潜在戦力の問題のごときも、このような
考え方に立てば極めて明快に解決できるのであります。
政府及び一部の学者は、憲法が潜在戦力をも禁じているものとすれば、
普通警察は勿論、人口も産業一般も潜在戦力たり得るのだから、一切の産業活動も国民生活も不可能になると称して、潜在戦力違憲論に反対しております。これは潜在戦力としての可能性の問題と、潜在戦力意図の問題を混同するものでありまして、戦力の意図を持
つて保持する場合、潜在戦力が初めて違憲であるということを見落している幼稚な議論なのであります。一方潜在戦力が無差別に違憲であるという素朴な議論も、憲法論としては正当であるとは言えないのであります。
そこで
保安隊、
警備隊が違憲であるかどうかを判定する上に先ず検討しなければならないのは、兵員、装備を中心とした総体的な戦力論争ではなくして、このような武力機構を設けんとする
政府の意図が対外的にあるかどうかの一点に始らなければならないのであります。私は
委員会の審議で先ずこの点の究明に全力を傾けた次第であります。先ず理論的な前提として、主として対外的な意図を持
つて設けられた
部隊は近代戦遂行
能力に達しなくても違憲であるということを
大橋国務大臣は率直に認めるに至りました。これは六月六日及び七日の会議録に極めて明瞭に繰返して記録されております。これに対して木村法務総裁は六月二十六日の
内閣委員会で、そういう
考え方も下し得ると思うけれども、自分としては近代戦遂行
能力が戦力であると解すると答えて、
政府部内に憲法解釈上混乱があることをはつきり示したのであります。これは先ほど
中川委員が木村法務総裁と違
つて、今私が申しました、
大橋国務大臣が認めたのと同じ
立場を主張されたことによ
つてもはつきり示めされているのであります。この点に関する限り私ははつきり申上げまして、
大橋国務大臣の答弁が良心的であり、木村法務総裁の答弁には違憲の追及を免がれるための法制意見局苦心の作為の跡がありありと見られるのであります。ところが
政府にと
つてお気の毒だと思うけれども、
大橋理論をと
つても、木村理論をと
つても違憲であることを免がれることは不可能であります。即ち
政府としては、違憲論争の上からは進退両難に陥
つていることはもはや動かし得ない事実なのであります。即ち
大橋国務大臣は、主として外敵に対抗する意図があれば違憲であることを認めたのでありますが、
警察予備隊創設以来、今回の
保安庁法案提出までの間に、これらの
部隊が外敵に当然対抗するものであることは繰返して述べられたところでありまして、これらの証拠資料としての速記録は枚挙に遑がないほど数多く記録されているのであります。
政府の主観においてすらそうなのでありますが、更に客観的にも現にライフル銃に始ま
つて、重
機関銃、バズーカ砲、迫撃砲等を多数に持ち、更にこれ以上の戦車、航空機等の装備を急ぎつつある
部隊の意図が「
治安を乱すところの一部国民を目標にしているとは到底
考えられないのでありまして、
大橋国務大臣が、憲法の解釈論として、外敵対抗の意図を持つ
部隊を持つことは違憲であると認めたことは、
予備隊、
保安隊等の違憲であることを自認したものと言わざるを得ないのであります。この辺の事情がわかつたかどうか知りませんが、
大橋国務大臣は後に至
つて、憲法問題は法務総裁が主管大臣であると言出しました。ところが木村理論は、これを追及して行きますます陸海空軍と名付けられたものを保持しても、客観的に近代戦遂行
能力に達しない限り違憲ではないというところまで到達するのでありまして、これは六月二十六日の
内閣委員会速記録に明瞭に記録されたところであります。これはまさに木村理論が到達せざるを得ない運命であつたのでありまして、逃げ廻
つていた船が陸に乗り上げてしまつたと称するほかはないのであります。近代戦遂行
能力に達していないと
政府が認定する限り、陸海空軍と名付けられた
部隊を持
つても差支ないという
考え方が、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しないという憲法の明文と両立し得るかどうかは問わずして明らかであります。このように憲法理論の上で進退両難に陥つた
政府をなお且つ弁護しようという篤志家があれば、私はいつでもこれと対決する用意があります。若し本
法案の賛成者が、この
程度の
部隊を持たないと安心できないというような極めて通俗的で、何ら憲法問題の本質に触れない幼稚な
立場にとどまるならば、それは私は冐頭に主張したところの条理を無視する態度であ
つて、参議院の権威、国会議員の権威を失墜するものであると指摘しなければなりません。先ほど申上げました
通り、法はたとえ悪法なりといえども無視すべきではないのでありまして、法改正の
手続を待
つて欠陥を是正する以外に文明国のとり得る途はありません。
政府が若し自衛機構の必要を認めるならば憲法改正を提議すべきであります。
政府はそれを問題にしないだけでなく、憲法は改正しないと言明しながら、対外的自衛力の具体化を急ぎつつあることは、明らかに法秩序を破壊するものであ
つて、憲法違反として糾弾されることを免れないのであります。
本
法案の憲法違反性の第二の問題は、国の交戦権はこれを認めないという憲法の
規定にもかかわらず、外敵に対して対抗の意図が明らかに示されている点であります。
政府は
保安隊、
警備隊が外敵に対抗しても、
国内治安維持のための
警察行動であ
つて、自衛戦争ではないから違憲ではないと主張しておられます。即ち
保安隊、
警備隊の行動は国際法秩序維持のための軍事行動ではなくして、
国内法秩序維持のための
警察行動である。
従つて外敵に対しても
国内法を適用するのだと弁解しておるのであります。侵入外敵に対して
日本国刑法の騒擾罪を適用しようというがごとき答弁を、私は正気の者が言う言葉として受取ることはできないのであります。国家として武力を以て外敵に対抗する場合、交戦状態が国際法上発生するのは当然であ
つて、交戦に伴
つて生ずる
法律関係が、
政府が宣戦布告をすると否とにかかわらず、国際法
関係であることは否定できないのであります。これを強いて
国内法関係として
説明しようとした
政府は、相手国が宣戦布告をして侵入して来た場合はどうかという問題を私が出して見ますというと、全く答弁ができなかつたのであります。戦争は合意を要せずして
成立するという国際法の原則があるからであります。このようにして、違憲論に答えました
政府の主張は、全くしどろもどろでありまして、我々を納得させる何物をも見出すことができなかつたのであります。
次に私は本
法案に反対する理由として、
保安隊、
警備隊の装備の内容が、独立国家としての自主性のない状態で定められていることを申上げなければなりません。現在までの使用
武器は米軍の
貸与に待
つているのでありますが、これは
米国と我が国、又は米軍と
警察予備隊との間の正式の契約又は協定によ
つておるのではありません。全く
予備隊の顧問
将校の個人的
責任において事実上の使用をしておるのに過ぎないのであります。
貸与条件は何ら明確にされておらず、貸手が誰で借手が誰なのか、有償なのか無償なのか、返済
条件がどういうことにな
つておるのか全くわか
つておらないのであります。而も如何なる
武器をどれだけの数量
貸与されるかは、
日本の自主的な
計画に基いてではなくして、米軍の発意と示唆に基いて決定されておるという自主性のない状態に置かれておるのであります。若し財政的な考慮を全然伴わずして装備充実を急ぎつつある
政府が、その期待に反して、将来
武器貸与が我が国に財政負担を課するものとなる場合、その
責任は一体誰が負うというのでありましようか。私はそうした
責任は
政府にあると共に、こういう
法律案に賛成を与えた議員も共同
責任を免がれることができないということを指摘しなければなりません。又このような独立国としての自主性のない、而もわけのわからない貸借
関係の装備に依存して、果して
部隊の指揮と任務の達成が期待できると言い得るかどうか、甚だ疑問と言わざるを得ません。吉田内閣の最大の失政は、我が国の独立の回復に当
つても、国民に対して何ら独立国家の国民としての感激も与えることができず、精神的に依然として占領下の状態から脱却し得ないという風潮の原因を作
つておることであります。国民的誇りと勇気を失わしめるがごとき政治を継続しておることであります。本
法律案の実体をなす具体的事実の中にもこれが明瞭に現われていることを私は強く指摘せざるを得ません。
次に反対の理由として、
保安庁法案の
規定が余りにも弾力性が強く、解釈の中が広くて、而も具体的な内容の多くは政令又は総理府令に委任されておるために、いよいよ捕捉しがたいものにな
つている点を挙げなければなりません。例えば第四条によると、
保安庁の任務は、「わが国の平和と秩序を維持し、人命及び財産を保護するため、特別の必要がある場合において行動する
部隊を管理」することが主なる内容として
規定されておるのでありますが、「特別の必要がある場合」とは如何なる場合か、甚しく不明確である。それは六十一条以下に書いてあると
大橋国務大臣は主張するのでありますが、六十一条にはどういう
規定をしておるかと申しますと、「
内閣総理大臣は、
非常事態に際して、
治安の維持のため特に必要があると認める場合には、
保安隊又は
警備隊の全部又は一部の
出動を命ずることができる。」と
規定してあります。ここに言う
非常事態とは如何なる場合であるかはつきりしないのであります。暴動も含まれるし戦争も含まれるというわけであります。又六十八条には「
保安隊及び
警備隊は、その任務の遂行に必要な
武器を保有することができる。」と
規定しております。「任務の遂行に必要な
武器」とはどの
程度のものであるか、全く限界がはつきりしないのであります。ピストルから始ま
つて原爆にまで及び得るという広汎な内容を持
つておるのであります。而も
保安隊、
警備隊の組織、
編成は政令で定めるのであり、第一幕僚監部から第二幕僚監部の内部組織を
規定するのは総理府令であり、保安研修所、保安大学校、技術
研究所の内容を
規定するのは政令であり、第一幕僚長又は第二幕僚長の監督を受ける訓練施設、その他所要の
機関を定めるのは政令である等、重要なる問題を余りにも多く立法事項から外しておるのであります。そのためにどこにどういう
部隊がどれだけ置かれるということは、
法律自体には全然明らかにされておらないのであります。
警察予備隊、
海上警備隊を統合したこのように弾力性のある
法律を作ろうとする
政府の真意が一体どこにあると
考えたらいいのでありましようか。それは
国内的には
警察と
説明し、
アメリカに対しては軍隊と
説明できる状態にして、
性格の二元性を実現しようとしておると
考えざるを得ないのであります。それは
アメリカが
ヴアンデンバーグ決議に基いて、自助と相互援助の原則に立たないところの
他国の
治安維持のごときものには
軍事援助をしないという原則があるところに最大の事情が存在すると
考えられるのであります。そこで今回名称を
保安隊、
警備隊として、
警察補充的表現を条文中から一切削除して、
性格に弾力性を与え、
アメリカからは公に
武器貸与その他の
軍事援助を期待し、
国内的には違憲の追及を免れんとしたのが
保安庁法案提出の真意と見ることができるのであります。かかる意図は、
政府の弁明にもかかわらず、我々には掌を指すがごとくに明瞭に指摘し得ると断言すれば、果して言い過ぎでありましようか。
以上私は
保安庁法案の主要なる問題点を指摘したのでありますが、このような
保安庁法案を認めることは、良識ある国会議員のなすべからざる態度であ
つて、このような
法律案が
成立することになれば、現在の心ある国民は勿論、後世の国民に国会の
能力と権威を疑わしめることになることを恐れるのであります。ただそれだけではありません。政治的方便のためには憲法をまげてはばからないという例を示すことは、正義と秩序を基調とする法の権威を
政府みずからが傷つけるものであ
つて、国民の良心を破壊するところの最大の罪悪を犯すものであります。今日我が国は社会的にも政治的にも無秩序と分裂の傾向を示しつつあります。敗戦に打ちのめされた
日本が、講和発効後の国家の独立と繁栄を期待するには、今日各方面に見られる国論の分裂は、速かに克復しなければなりません、それには殊に政治家が真に良心と誠実を以て国民に真実を語り、真実を訴えなければなりません。政治的方便のために一時を糊塗し、憲法をさえ曲げて憚らないごとき野蛮政治が許されるならば、民族の前途は誠に憂慮すべきものがあります。
占領軍から憲法を与えられてこれに従い、軍隊設置を示唆されて、今度は憲法を曲げてこれに従うというがごとき、無気力にして自主性のない状態が独立回復後においても続けられる限り、真実を追及せんとする国民の胸に深い憤りと苦悩を感ぜしめずにはおかないと思うのであります。純真なるべき学徒が暴力的な狂態を示すのも、その由来するところの多くが今日の政治の真実無視の態度にあることを我々は銘記しなければならないと思うのであります。
以上私は
保安庁法に対する反対の意見を述べたのでありますが、私の反対の意見の中には与党側と政策乃至見解の相違に基くものも多いと思いますけれども、
武器貸与関係をめぐる問題のごとく、
保安隊、
警備隊設置の前提
条件を欠くというがごとき、本質的にこの
法律案を現在の
段階において可決することは
内閣委員会としてとるべき態度であるかどうかを疑わしめる問題も含まれておるのであります。そこで私は討論を終るに当りまして、本
法律案は今最後に申しましたような理由に基いて、今国会においては本
委員会において議決すべきものではなくして、前提
条件として未定の諸問題が明らかになるまで決定を延ばすべきである、こういう見解の上に立
つて継続審議にすべきことの動議を
提出するものであります。(「賛成」と呼ぶ者あり)