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1952-06-11 第13回国会 参議院 内閣委員会 第40号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年六月十一日(水曜日)    午前十時二十九分開会   —————————————   委員の異動 本日委員山田佐一君及び上條愛一君辞 任につき、その補欠として草葉隆圓君 及び赤松常子君を議長において指名し た。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     河井 彌八君    理事      成瀬 幡治君    委員            草葉 隆圓君            横尾  龍君            楠見 義男君            竹下 豐次君            和田 博雄君            赤松 常子君            波多野 鼎君            栗栖 赳夫君            松原 一彦君            三好  始君   委員外議員            上條 愛一君            曾祢  益君   国務大臣    大 蔵 大 臣 池田 勇人君    建 設 大 臣 野田 卯一君   政府委員    外国為替管理委    員会委員   大久保太三郎君    行政管理庁次長 大野木克彦君    行政管理庁管理    部長      中川  融君    法務府法制意見    第二局長    林  修三君    大蔵大臣官房長 森永貞一郎君    大蔵大臣官房文    書課長     村上  一君    大蔵省理財局長 石田  正君    大蔵省理財局次    長       酒井 俊彦君    国税庁次長   正示啓次郎君   事務局側    常任委員会専門    員       杉田正三郎君    常任委員会専門    員       藤田 友作君   説明員    外国為替管理委    員会委員長   木内 信胤君   参考人    京都大学教授  大石 義雄君    東京大学教授  田中 二郎君    弁  護  士 村瀬 直養君    首都建設委員会    委員      次田大三郎君   —————————————   本日の会議に付した事件 ○保安庁法案内閣提出衆議院送  付) ○海上公安局法案内閣提出衆議院  送付) ○大蔵省設置法の一部を改正する法律  案(内閣提出衆議院送付)   —————————————
  2. 河井彌八

    委員長河井彌八君) これより内閣委員会を開会いたします。  保安庁法案及び海上公安局法案を議題といたしまして、本日わざわざ御出席を頂きました参考人諸君から御意見の御陳述お願いすることにいたします。  一言委員長として内閣委員会を代表しまして参考人諸君に対しお礼を申上げます。非常に御多忙のところを特に御割愛下さいまして、この重要な案件につきまして御意見を御陳述下さるということは誠に有難いことでありまして、厚く御礼を申上げます。  内閣委員会には目下行政機構改革法案がたくさんありまして、およそ三十件近く付託せられております。いずれもこれは重要な事項でありまして、委員会といたしましては慎重に審議をいたしておるのであります。そのうちで本日御意見を承わりたいと考えておりまするところの保安庁設置法のごときは、最も重要なものであるのであります。  そこでこの保安庁関係につきましては、すでに警察予備隊令或いは海上保安庁法というような法令によりまして、すでに相当の人員が用意せられておるのであります。本年五月に法律を改正いたしまして、その結果予備隊警察官といたしまして七万五千人から十一万人に増強せられ、又海上警備隊におきましても六千五十八人ということになつておるのであります。今度の行政機構改革を機といたしまして、それらの法律或いは勅令に基いておりまするその機構を一元化いたす、そして内閣の外局といたしまして保安庁というものを設けまして、それらを警察力政府は申しておりまするが、これを一つ機構の下に統一して今後の国内治安に備えるということにいたす趣意であるのであります。そこで現在は実勢力を申しますと、保安官といたしまして元の警察予備隊でありますが、これが十一万人、それから海上保安隊といたしまして警備官が七千五百九十人というように増加しております。なお海上関係におきましては、千五百トン級の船が十隻、二百五十トン級が五十隻というものが備えられまして、今度の新らしい機構に基きまして訓練を施し、それから装備を整え、いつでも出動することのできるように実行せんとしておるのであります。そうしてその経費は大体四百五十億円ぐらいに達するというので、予算もすでに通過しておるわけであります。  この委員会におきまして研究すべき事柄は、この陸海両方警察隊であります。その性格がどういうものであるか、その機能はどうかという点について最も慎重な検討をいたしておるのであります。法律論といたしましては、憲法第九条の規定の解釈の問題があるばかりでなしに、今後その憲法或いは法律を如何に取扱つて行くかという、将来に対する重大な問題が入つているのであります。又国の財政から見ましても、国民経済観点からいたしましても、或いはその他国民の感情やら、日常生活等と比べ合せまして、最も重大なる関係があるのであります。更に国際関係からこれを見ますときに、やはり非常な緊要性を有するものと考えておるのであります。従いまして内閣委員会におきましては慎重なる検討を加える上においても、もつと十分な研究を進めたいという考えを以ちまして、本日各位を煩わしまして、それぞれのお立場から、高き識見に基いての精細な御批判を伺いたいということを考えておる次第であります。願くば本案の可否、或いは利害得失、どうすればよくなるかというような点等につきまして、御遠慮なき御意見をお聞かせ願いたいのであります。それによりまして、内閣委員会審議の上に多大の効果を上げることと考える次第でありまして、こういう趣意に基きまして御陳述お願いすることにいたしたので、あります。どうぞよろしくお願いをいたす次第でございます。  それから委員側を先ず御紹介申上げます。こちらから楠見義男君、三好始君、栗栖赳夫君、横尾龍君、松原一彦君、上條愛一君であります。  それから委員諸君に御紹介申上げますが、こちらは次田大三郎君で、次にいらつしやいますのは大石義雄先生京都大学教授であります。次に村瀬直養君で、なお本日まだお見えでありませんが、田中一郎先生が御出席になることになつております。  これを以て紹介を終ります。つきましては御陳述の順序を申上げます。第一に大石教授お願いをいたします。第二に次田先生お願いいたします。第三には村瀬直養先生お願いをいたします。第四に田中一郎先生お願いしようと考えております。それで、御陳述が終りましたらば、委員の側から若干の御質疑を申上げることがあるかも知らんと思いますから、それはお含みを願つておきます。それから、御陳述の時間は強いて制限いたしておりません。三十分或いは四十分ぐらいな程度なら結構と考えますから、御自由にお願いをしたいと存ずる次第であります。  それでは大石教授に御陳述お願いいたします。
  3. 大石義雄

    参考人大石義雄君) それではこれから保安庁法案及び海上公安局法案について、主として憲法観点から所見を述べることといたします。  我が国におきましてはポツダム宣言無条件に受諾し、終戦と共に占領政策の行われるや、政治体制が各方面に亙つて根本的変革を受けることとなつたのでありますが、その著しい変革一つに、わが国治安体制変革があります。即ち従来の軍組織は全面的に解除せられ、警察機構も単一の国家的統一体組織から、国家地方警察自治体警察分散的組織変革されたのであります。治安体制に関する占領政策の方向はこれを結果から見ますると治安体制強化に向けられたものではなく、治安体制弱化、弱くするということ、治安体制弱化に向けられております。勿論このことはポツダム宣言我が国に要求しておりまするところの政治民主化復活強化基本的人権尊重ということと関連するのであります。併しながら政治民主化と申しましても、又基本的人権尊重と申しましても秩序ある共同社会の存続を前提してのことであります。それでありますから占領政策方法我が国治安体制弱化に向けられたとしましても、治安体制弱化そのことが、弱くするということそのことが目的なのではなく、そうすることによつて一層望ましい平和的秩序が実現され得ると考えたからであります。然るに大局的に見まするというと、結果はこの予想とは大変違つて現われているのであります。素朴な自由解放の意識の波が秩序ある社会生活をその根本から破壊しなければ止まないのではないかと思われるほどに拡がつて来たのであります。極端に申しますると国権の権威は地に落ちて、例えば警察の威信もなかなか行われ難くさえ見えたのであります。勿論その原因の一つ民主主義生活訓練を経ていない我が国国民性に存するわけではありまするけれども、一つ治安体制弱化にのみ気をとられ、戦後の治安体制確立に積極的な考慮を欠いた占領政策の誤りに起因するものと考えられるのであります。それでも占領政策が行われている間は我が国自身の力を俟つまでもなく、占領軍という実力があつたればこそ我が国の平和とその治安は保たれ得たのであります。講和の発効した今日では事情が違つて来ております。我が国の平和と秩序我が国自身の力でこれを維持して行かなければならないのであります。それでありますから、占領政策が行われていた間に治安体制というものはどうしてもこれを再検討しなければならんと考えるのであります。必要とあれば憲法の改正も考えられなければならないのであります。憲法を初め一切の制度というものはそれ自身存立意味を持つものではなく、その時代、その国の社会的必要に由来するものでありますから、社会的必要とあれば一切の制度は変わらなければならないものであります。勿論このことは、だから政府はいつでも変えればいいというようなことを主張しているわけではなく、その制度のままでは社会目的がどうしても達せられない、止むを得ない場合を前提してのことであります。そうでなければ社会生活は常に動揺し、社会生活の安定を確保することはできないのであります。このことは国家根本法である憲法との関係において特に重要な意味を持つものであることは言うまでもありません。ところで我が国平和の維持治安体制確立についてでありまするが、それが政治体制である以上憲法と無関係にこれを考えることはできないのであります。併し警察力組織については憲法は何ら特別の定をしていないのでありますから、警察力組織をどのようにするかということは直接憲法問題を生じることはないのであります。問題が生じるのは治安体制確立が軍隊の設定という形で現れて来るときであります、と申しますのは憲法戦争放棄宣言をしているからであります。憲法で直接戦争放棄宣言をしている規定と言えば第九条であります。この嚇第九条は二項からなつています。その第一項によりますと、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と定めているのであります。又第二項によりますと、「前項目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と定めているのであります。この第九条の規定によりますと、戦争放棄宣言をしておりますのは先ず第一項の規定であります。併し第一項の規定はただ漠然と戦争放棄宣言をしているのではありません。国際紛争解決手段としての戦争を全面的に放棄するということを宣言しているのであります。一般国家国際紛争の生じたときに執り得る手段としては二つあります、その一つ平和的手段であり、他の一つ実力による手段即ち武力行使手段であります。併しながら我が国では国際紛争を解決する手段としてはただ平和方法のみをとるのであつて武力による方法即ち戦争に訴えて国際紛争を解決するということは絶対にしないというのであります。これが憲法第九条第一項の意味であります。それでありますから国際紛争解決手段としてでなく、純然たる自衛行動については憲法は何も定を設けていないのであります。自衛行動をとれとも定めていなければ、とつてはならないとも定めていないのであります。このことがどういうことであるかと申しますと、自衛行動をとる或いはとらないは憲法とは関係がないということであります。勿論憲法がこのように定めたのは自衛というものの性質に基くことなのであります、と申しますのはおよそ生命体は自己に対する危害があればこれに抵抗し、これを排除するという本性を持つております。それでありますから刑法でも個人正当防衛権を認め、急迫不正の侵害あればこれに対して抵抗することは適法行為だと認めているのであります。生命体としての国家についても同様であります。国際法国家自衛権を認め、侵略あればこれに対して抵抗することは国家の権利であることを認めているのであります。日本国憲法が漠然と戦争放棄を定めないで、国際紛争を解決する手段としての戦争のみを全面的に否定しているのもこの理由からであります。人によりましては国際紛争を解決する手段としてという文句はあつてもなくても同じことだと説くものもあるようでありますけれども、憲法という国家の法がはつきり明言しているこの文句を、あつてもなくてもどうでもよい文句であるとなすことは全く無理なことであると考えます。又人によりましては自衛行動とそうでない行動とは実際に区別することはむずかしいから、自衛を認めることは戦争放棄宣言した憲法の趣旨に反するのではないかと説かれる見解もあるようでありますけれども、このような見解をとるといたしますと、今日一般国際法が各国家自衛権を認めている事実を否定しなければならないこととなるのであります。又人によりましては、第二項で交戦権を認めないと定めていることを理由として、自衛権発動も認められないと説くものもあるようですが、第二項の規定は第一項の規定に定めた目的、即ち国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄するという目的を達するためにとるべき処置を定めた規定なのであります。それでありますから、第二項が我が国交戦権を認めないと定めた規定国際紛争解決手段としての戦争についてであることを前提しているのであります。このような関係で、第二項で交戦権を認めないと定めていることを理由として、自衛行動違憲である、憲法に反するというのは理由のないことであります。又人によりましては憲法前文などを理由として、自衛行動違憲であるというものもあるようであります。成るほど憲法前文を見ますると、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存保持しようと決意した。」と定めているのでありまする。併しこの前文において、日本国民の安全と生存の保障の根拠としているのは、平和を愛好する諸国民の公正と信義であつて、平和を愛好しない諸国民の不公正と不信義なのではありません。それでありますから平和を愛好しない諸国民の不公正と不信義には日本国民はその安全と生存を任すことはできないのであります。申すまでもなく侵略は不公正と不信義の現われでありますから、これに対して抵抗したからと言うてそれが憲法に反するということはないのであります。これを要するに憲法純然たる自衛行為については何とも定めていないのであります。それでありますから、憲法の上からは日本自衛権発動しましてもそれが憲法に違反するというようなことはないのであります。勿論憲法は侵略あれば必ず自衛権発動しなければならないとも定めてはいないのであります。それでありますから、憲法の上からは侵略ある場合自衛権発動するかしないかは日本国の自由に決定し得ることなのであります。このことを理解した上で初めて憲法第九条第一項は戦争放棄宣言した規定だと言うことができるのであります。第九条第二項はこの第一項の規定で定めた目的を達するための処理のことを定めた規定であります。この第二項の規定を見ますと、先ほども申しましたように「前項目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と定めております。即ち国際紛争を解決する手段としての戦争はこれをしないという目的、その目的を達するために戦力はこれを持たないこととするのであります。だから戦力はこれを持たないと定めた第二項の規定は、無条件戦力保持禁止を定めているのではありません。第一項の定めた目的的制約付き戦力保持禁止なのであります。そこで国際紛争解決手段としてでない武力行使、即ち自衛のための武力行使するものとしての戦力保持はどうかということになりますと、憲法はこれについては何とも定めていないのであります。このことは何を意味するかと申しますと、自衛のための戦力保持すべきか、保持すべきでないかということについては憲法は白紙だということであります。それでありますから、自衛のための戦力保持は、それを保持しても保持しなくともそれが憲法に反するという問題は生じないということであります。言葉を換えて申しますというと、国家自衛のための戦力保持するか保持しないかは、国家の自由に定め得るということなのであります。  そこで、ここで問題となつておりまするところの保安庁法案公安局法案についてでありまするが、憲法の定めた戦争放棄宣言意味がこれまで申上げたようなものでありますると、結論はおのずから明らかであります。即ち保安庁法案及び公安局法案内容戦力保持であるかどうかということは、違憲、合憲の問題とは関係がないのであります。極端に申しますると、例えこれらの法の内容が、戦力保持内容とするものであつて違憲の問題を生ずることはないのであります。勿論このことは自衛のためのものであることを前提してのことであります。保安庁法案の第四条を見ますと、「保安庁は、わが国の平和と秩序維持し、人命及び財産を保護するため、特別の必要がある場合において行動する部隊を管理し、運営し、及びこれに関する事務を行い、あわせて海上における警備救難事務を行うことを任務とする。」と定めております。これによつて見ますると、保安庁は専ら我が国治安維持するための機構であることは明白であります。積極的に国策を遂行するための機構ではないのであります。この点は現在の警察予備隊と同じ目的存在であります。併しながら警察予備隊国家地方警察及び自治体警察補助施設であるに対して、保安庁はそれ自身独自の存在性格を持つ治安施設であります。それでありますから保安庁設定我が国治安体制強化を目指すものであることは言うまでもありません。それではこのような治安体制強化は、我が国において必要であるかどうと言えば、私は必要であると考えます。終戦後の我が国社会生活の実情を見ますると、従来の警察組織だけで平和と秩序維持することはすこぶる困難であります。それでも占領政策の行われていた間は、占領軍の威力というものがものを言いましたので、平和と秩序維持されて来たのであります。ところが占領政策終つた今日、治安維持はただ我が国自身公的実力組織に待たなければならんのであります。この公的実力組織としては、国家地方警察もあれば、自治体警察もあるわけでありますが、このような警察力のみでは平和と秩序維持は非常に困難であると考えます。勿論法的実力組織が薄弱であつても、国民自身平和的民主主義思想がよく徹底しておりますれば、平和と秩序維持は可能なわけでありまするけれども、我が国の現在の国民的基盤はそこまで達しておりません。私が現在の平和憲法の下において、而も我が国議会政治の危機を感ぜざるを得ない根本理由は実にこの点に存するのであります。憲法は、「国会は、国権最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」と定めております。併しながら国会自分の好きな法律を作ればよし、自分の好まない法律を作ろうとでもすると、実力を以てしてもこれを排除しようとする国民的傾向は何としても無視することはできません。これでは平和的議会政治の行われるはずがありません。民主主義平和的文化社会の実現を目指しております。併しながら健全な文化の芽生えは、常に平和的秩序確立されている状態を前提にしてのみこれを期待することができるのであります。集団の力を背景とする暴力と威嚇の恐怖が支配するところにおいては、個人の人格の尊厳も保たれ得ないし、如何なる健全なる文化も芽生え得ないのであります。でありますから、私は講和の発効した今日の第一の問題は、如何にして我が国自身の力で平和と秩序維持して行くかの問題であると考えるのであります。治安体制強化としての保安庁設置を必要とするゆえんであります。  それでは治安体制強化としての保安庁設置は必要であるとして、この法案に示されているようなものは適当であるかどうかという立法政策論になりますと、私債大体において適当であると考えます。法案によりますと、保安庁長官国務大臣を以て充てることとなつています。何びとが保安庁最高責任者となるかということは、保安庁機構根本問題であります。任務の公正を期するために、内閣から独立した地位にある者を充てるというのも一つ考えであります。尤もこのようなことは現行憲法の下ではできません。何となれば、現行憲法では行政権内閣に属すべきものだからであります。それから国権最高機関でありまするところの国会に対して、直接責任を負うの地位にある者を以てこれに充てるというのも考え一つでありまするが、今問題としておりまするところの保安庁法案建前は勿論これであります。併しながらこれとても運用の公正を誤れば、党利党略実力行使が利用されるのではないかという危険も考えられるのであります。旧憲法下統帥権確立根拠なつた理論がこれであります。併しながら現憲法建前から言えば、統帥権確立といつたような論拠はどこにもこれを認め得ないのであります。現行憲法では、行政権内閣に属するのであり、又内閣行政権行使については国会に対して連帯して責任を負うものでありますから、内閣組織する国務大臣保安庁長官となるのが議会政治建前から言うても適当と考えられるのであります。  それから保安庁活動について見まするに、法案第六十一条を見ますると、「内閣総理大臣は、非常事態に際して、治安維持のため特に必要があると認める場合には、保安隊又は警備隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。」と定めております。部隊出動を命ずることのできるものは内閣総理大臣であることを定めたものであります。これは行政権行使する最高国家機関たる内閣の首長としての地位から見て適当と考えられます。部隊出動命令内容については別に国会の承認を必要としているのでありますから、その心配はなかろうと考えます。  最後に海上公安局法案について一言いたします。保安庁法案第二十七条によりますると、海上公安局保安庁に置かれることとなつております。それから海上公安局法案によりますと、海上公安局の長は海上公安官のうちから保安庁長官がこれを任命し、保安庁長官指揮監督を受け、部務を掌理することとなつております。国家地方警察自治体警察保安庁とは別に独自の存在性格を持つておりますのに、海上公安局だけ保安庁に附属しているのはどういうものであるか、これについては私はいろいろ判断に迷うのでありまして、今以つて結論を得ないのであります。保安庁部隊活動強化するというたたその点たけから見れば、海上公安局保安庁に附属せしめることは望ましいことでありますが、一般海上警察を行うことを本務とする海上公安局というものの性質から言えば、特別治安体制としての保安庁に対しては、独自の存在性格を持たしめるのがいいのではないかとも考えられるのであります。あたかも国家地方警察自治体警察保安庁に対して独自の存在性格を持つようなものであります。併しながらその点は、法案におきましても、幕僚長に対して公安局の長は独自の地位を持つのであるから、問題は大してないようにも考えられます。併し又保安庁法案第六十二条によりますると、保安庁長官内閣総理大臣による部隊出動命令のあつた場合において、特に必要があると認めるときは海上公安局の全部又は一部を警備隊の統制下に入れることができると定めているのでありますから、この限りにおいてやはり公安局は警備隊に従属することとなるのであります。それならば海上公安局は全く保安庁から離して、例えば運輸大臣の下に置いたほうがいいのではないだろうかということになりますると、私も今のところはつきりした判断が付きかねるのであります。  以上で私の所見の陳述を終ることにいたしますが、全体といたしまして私は保安庁法案海上公安局法案に賛成するものであります。理由治安体制強化に役立つと考えるからであります。これを以て終ります。
  4. 河井彌八

    委員長河井彌八君) 有難うございました。委員諸君に申しますが、何か御質疑がありますれば極めて簡単に御質疑を願いたいと思います。
  5. 大石義雄

    参考人大石義雄君) ちよつと補足さして頂きますが、私耳が悪いものですから成るべく大きな声でお願いします。
  6. 三好始

    三好始君 簡単にということでありますので、十分に私の意は尽されるかどうか不安でありますけれども、数点お伺いいたして見たいと思います。  この法律案に対する是非の問題は、大きく分けると二つの問題になると思うのであります。一つは政策的に保安庁法案に盛られた内容が適当であるかどうか、或いは必要があるかどうか、こういう問題。もう一つはこれが憲法に許される存在であるかどうか、こういう二つの問題になると思うのでありますが、私は内容についてその適当であるかどうか、是非の問題は抜きにいたしまして、一応憲法によつて容認されるものであるかどうかについて数点の疑問をお尋ねいたしたいと思うのであります。  その一つは先ほどお話頂きました憲法第九条の解釈のうちの専ら第二項に関するわけでありますが、「前項目的を達するため、」という表現の解釈を大石教授目的的制限と御理解になつておりまして、従つて自衛戦争は第二項によつても保留されておる。自衛のための戦争であれば憲法禁止はしておらない。又自衛のための戦力であれば、現行憲法は認めても否認もしておらないのだから差支えないということになる、こういう御見解のように承わつたのであります。この点なんでありますが、「前項目的を達するため、」というのは果して目的的制限と理解するのが正しいのか、或いは戦力を放棄し、交戦権を認めないという規定の生まれて来る理由を明らかにした表現なのかというのが一つの問題だと思うのでありまして、むしろ「前項目的を達するため、」という表現が文理的に与える印象なり、或いは憲法全体の平和主義的構造から判断いたしますというと、制限規定というよりは理由を明らかにした規定ではなかろうか、こういう感じがするのでありますが、この点についての御見解を重ねてお伺いいたしたいと思うのであります。
  7. 大石義雄

    参考人大石義雄君) 今の御質問は、要するに第二項による戦力の放棄は第一項の目的の制約を受けないのだ、そういうふうに解するのが正しいのじやないか、その点どうか。こういう御質問と承わつたがそうですね。
  8. 三好始

    三好始君 戦力を放棄する理由を明らかにした規定ではなかろうか、こういう気持を一応持つわけでありますが、これについてのお考えを承わりたい。
  9. 大石義雄

    参考人大石義雄君) その点は併し第二項というもの、それ自体が独立して存在しておるのじやなくて、はつきり断わつておりますように、第一項の目的を達するためと断わつてあるのですからね、そう断わつた実質的な理由は、先ほど申しましたように事物、事柄の性質が根柢をなしておるというのが私の考えですが、それはおよそ生命体というものは自己に対する危害があれば、これに抵抗し、これを排除するという本性を持つものだ。だからこそ国家というような大きな問題でない、個人生活との関係においても、例えば我が国でも刑法は正当防衛権というものを認めておる。これは要するに個人というものが自己に対する危害を自己の意思を以て排除するという内容のものでありますから、そこで国家について見ましても、国家が何もせんのに侵略があつた場合に、それでもじつとして殴られるままに、或いは殺されるままに殺されてしまうというのも一つ考えではありましよう。けれども憲法が明らかに戦争放棄宣言というものは、国際紛争を解決する手段としてと、はつきり断わつてあるのですから、このことは今言つた事物の性質から来る私どもは当然の結論だと、こう考えておるのですから……。
  10. 三好始

    三好始君 私は第九条第一項に関する解釈については、只今述べられました大石教授の御見解と隔りのある考えは持つておりません。第二項が一応いろいろ疑問に感ずる点があるのでお伺いいたしておるわけでありますが、その第一点である「前項目的を達するため、」の御解釈についての疑問を質すわけでありますが、これは別に討論でありませんから、私不審に一応感じた点だけを質すということにとどめて参りたいと思うのでありますが、第二点に移ります。  一応私の考え方から申しますというと、今申しましたように「前項目的を達するため」というのは、第一項の目的が十分に貫徹して実現するためにという理由を明らかにした規定考えて第二項を解釈しようとして来たわけでありますが、そういたしますというと、制限規定ではなくして理由を明らかにしたものでありまして、戦力の放棄にしても交戦権の否認にしても、これは無条件だと、こういうのが私は今まで考えて来た考え方であります。そしてこういう考え方が分れて来るのは、先ほど御陳述頂いた中に、大石教授も指摘されておりましたように、自衛自衛でないものとの区別が、大石教授は一応はつきり確定できるのではなかろうか、この自衛自衛でないものとの区別がないというような立場を取るとすれば、国際法自衛権を認めた意義がなくなつてしまう。自衛権そのものを否認しなければいけないことになる、こういう御見解のように承わつたのであります。勿論自衛と侵略との区別は典型的な形としては区別できますけれども、窮極的には区別がむずかしいのではなかろうか、こういう考え方を持つて来たのが今までの私の考え方でありました。これは主として国際法秩序の本質に触れて来る問題であります。即ち今日の国際社会の発達の段階では、国際連盟に続く国際連合が成立し、国際司法裁判所が存在いたしましても、国と国との間の主張の合法性をどちらが合法的であり、どちらが非合法であるか、こういう有権的な解釈を下して、そのほうを有効に実現して行くだけの公権力が確立されておるとは言えないと思うのであります。少くとも国内法におけるごとく違法国に対して違法だという断定を下して、有効にそれを実現して行くという公権力が、国内法におけるごとく確立されておらない。従つて国家はみずから正しいと判断するところに従つて窮極的には行動せざるを得ないという状態が現在の国際社会の発達段階からは考えられる、こういうことが国際法戦争が合理化される理論的な根拠になつているのではなかろうか、こういうふうに考えて来たわけであります。そうしますというと自衛自衛にあらざるもの、侵略と侵略にあらざるものの限界は、やはり非常に確定の困難な場合が生じて来る、そういうことになりますというと、或る国が自衛行動なりとして行動を起したことが、他の国にとつて自衛でない、侵略だという断定を下さざるを得ない場合が恐らくしばしば起つて来るのではなかろうか、そういう場合の、自衛だと主張しておる国の立場は、必ずしも單に自国の行動を強いて合理化するためのこじつけだとは言い切れないものがやはり理論的に考えられるのではなかろうか、こういうふうに思うのであります。つまり自衛自衛でないものとの区別は一応は立ち得るとしても、窮極的ににはむずかしいのではなかろうかという私の見解に対する、自衛自衛でないものとの区別はできるのだという大石教授のお立場を、もう少し御説明頂きたいと思うのであります。
  11. 大石義雄

    参考人大石義雄君) 今の御質問についてお答えいたします。初の、憲法第九条の一項と二項との関係について、私が二項というものは一項の目的的制約付きのものだ。それは併しどうかという点なんでありますが、若し目的的制約付きのものでないとするというと、今の質問なさつたかたの立場を徹底しますというと、第一項が、特に国際紛争を解決する手段として戦争を放棄するといつたことが無意味になつて来ると思います。でありますから「国際紛争を解決する手段として」というあの憲法の明文を無視しない限りはどうしても私が申しましたような目的的制約のものだ、こう解さなければならんと私は考えるのでありますが、第二点の自衛戦争と侵略戦争との区別はそうはつきりつかんのじやないか、この問題についてはなんにも私はこの自衛戦争と侵略戦争との問題でない、一切の存在はこの問題に打つかつて来ると思う。例えば地形境界においても、あの問題においても平野と山との界はどこであるかといつたような際どいところになりますと、どこからどこまでが平野でどこからどこまでが山かという問題或いは窃盗罪についても、窃盗なのか窃盗でないのか、こういう際どい判定というものはあらゆる問題について出て来ると思いますけれども、戦争についていえば、現在の国際法というものが国家国際法上の原理として自衛権というものを認めている。この事実は、戦争には侵略戦争自衛戦争というものが区別されて存在するのだということを前提としなければ出て来ない問題だろうと思います。それから又自衛戦争と言うとか言わないとかいうことは、何もその戦争自衛戦争か侵略戦争かということにはならん、自衛戦争か侵略戦争かということは客観的な認識の問題でありますから、名前は自衛と言つても客観的に見てそれが自衛でなければ、それは自衛と言うべきものではない、でありますから、現実の国際事情といたしましては、国々によつてお互いに自分の国の立場だけを固執して、侵略であるものを自衛と称する、こういう歴史はまだまだ繰返されるかも知れませんけれども、客観的な批判というものはそれ故に否定することはできないと思います。だから客観的批判によつて自衛でないものを自衛とする、そういう国々はやはり信頼を諸国から失うのではないか、こういう客観的な批判というものが人間の良識というものをかきたたせるものでありますから、自衛戦争、侵略戦争についても、はつきり自衛戦争と侵略戦争の限界を具体的な問題が起つたときに、あらゆる場合でも明確に区別し得るか、この点はたとえ困難があるにしても、客観的批判として自衛自衛でないかという問題は常に歴史の上において繰返され、自衛を侵略という国はやはり私は信用を失墜して行くだろうと思うのです、ですからこの問題は何も自衛、侵略というだけの問題についてでなくて、ものの区別の明確なる限界の現実的な困難というものは、あらゆる場合共通な問題だと思います。だからと言つてものの区別がないと言い切れるか、これはそうはいかんのではないか、こう考えておるのであります。
  12. 三好始

    三好始君 時間の関係があるそうでありますから、極めて簡単に残つた問題を私は進めて参りたいと思いますが、さつきの点で次の問題に関連がありますから一言整理しておきたいのでありますが、自衛を客観的に考えて行かなければならないという御説なんでありますが、窮極的にはやはり自衛自衛でないものとは主観的に決定するよりほかないというのが国際法社会の現実ではないだろうか。こういうふうに私認識いたしていることをさつき繰返して申上げたわけでありますが、そうすると日本の主観によつて自衛戦争にあらざる戦争の発生が客観的には起らないとは言えない。こういう問題も考えられるのではなかろうか。ただその場合に教授陳述の際にお述べになりましたように、国としての生存権を主張できる以上、そういう場合の判断は国がみずから下し得ることでなければいけない、こういう問題に発展して行くだろうと思うのであります。私も国家みずからの判断の尊重さるべきことを信じております。ところが国家の意思とか或いは国家の判断というものは、国民全体が下すというよりは実際的には専ら政府の意思として、政府が代表して意思表示をする。特に対外的な折衝をする、こういうことになると思うのでありますが、そういう場合の政府の意思と国民の意思とが果して完全に一致するかどうかについては、やはり現実の問題としてそこに問題がある。憲法はそこでどういう表現をしているかと申しますと、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、」あと中間省略いたしますが、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」つまり日本国民は「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」というような表現を使つて政府自衛だという口実の下に戦争が起つたりすることを防止するのだという意図が憲法前文に、今読んだような表現で現われてきているのではなかろうか、こういうことも一応考えられるのであります。  それからこの問題は長くなりますから、繰返すようになることを避けて、次の一点だけをお尋ねいたしたいと思います。それは同じような問題に結局落着くかもわかりませんが、第二項の後段の「国の交戦権は、これを認めない。」という規定が、やはり目的的制限の下に規定された規定であつて自衛戦争は否認されておらないというお考えの上に立たれております。この問題も少し今まで私が信じて来た立場と異つておるのでありますが、実は佐々木惣一博士がこの点に関して、第一項で放棄されておるのは事実上の行動としての国権発動たる戦争武力による威嚇或いは武力行使という行動であつて、第二項後段で放棄され、否認されておるのは、交戦権という国際法上の権利を放棄しておるのであつて、事実上の行動とは別問題である、こういうことを主張されておるのでありますが、大石教授の立場がこれと同じであるかどうかだけをちよつとこの際お伺いいたしておきたいのです。
  13. 大石義雄

    参考人大石義雄君) 今の最後の点については、佐々木博士の学説というものは一体どういうものであるかという御質問だつたと思うのでありますが、今日は私の責任において私自身の意見だけを私は述べたいと思いますので、学説の批判は今日は遠慮したいと思います。  それからもう一つ自衛権の問題でも、自衛権発動であるかどうかということは客観的なものでなければならないと言つたつて、実際はその国が自衛権発動だと信ずれば、それに従つてやるよりしようがないじやないかというお話のようだつたのでありますが、そのときに日本自衛自衛でないかという判断の標準が客観的なものでなければならんということを申上げるのです。ですから、一切のこういう問題は、その国家の良識が常に前提になるのです。そういうことの意味で申上げたのです。
  14. 楠見義男

    参考人大石義雄君) 今の最後の点については、佐々木博士の学説というものは一体どういうものであるかという御質問だつたと思うのでありますが、今日は私の責任において私自身の意見だけを私は述べたいと思いますので、学説の批判は今日は遠慮したいと思います。  それからもう一つ自衛権の問題でも、自衛権発動であるかどうかということは客観的なものでなければならないと言つたつて、実際はその国が自衛権発動だと信ずれば、それに従つてやるよりしようがないじやないかというお話のようだつたのでありますが、そのときに日本自衛自衛でないかという判断の標準が客観的なものでなければならんということを申上げるのです。ですから、一切のこういう問題は、その国家の良識が常に前提になるのです。そういうことの意味で申上げたのです。
  15. 大石義雄

    参考人大石義雄君) そうです。
  16. 楠見義男

    ○楠見義男君 そうしますと、本来戦力というもの、或いは陸海空軍を持たないというのは、今三好君との間に御質問がございましたように、侵略戦争なり、或いは自衛戦争というものの区別がはつきりしない。従つてそういう観点からして、どこの国といえども侵略戦争を国の方針として掲げるところはないのだから、そこで自衛の名の下に従来もいろいろと問題が起つたのだから、日本としてはそういう観点からしても、陸海空軍その他の戦力自衛のためにも持つちやいけない。これは政府も御承知のようにはつきりと言つておることなんですが、あの政府見解というものは、大石さんのお立場から言うと間違いだというふうに考えられるのですか。
  17. 大石義雄

    参考人大石義雄君) 勿論そうであります。非常に不徹底であります。
  18. 楠見義男

    ○楠見義男君 その御意見はよくわかりました。第二点として、今の保安庁目的組織について或いは誤解をせられておるのじやないかと思いますので、その点でお伺いしたいのですが、従来の警察予備隊なり、海上保安庁、特に警察予備隊国家警察或いは自治体警察の補充を目的にしておつた、今回はそうじやなしに独自の目的を持つておるのだから、従つて治安体制確立の上から言えば強化になる、而も現在の情勢から見ればそういう治安体制強化は必要だと思うと、こういう御意見であつたのでありますが、その前提に立つ限りは御意見は御意見として拝承したわけなんですが、その前提の、今度の保安庁は独自の目的を持つという点が実は誤解だと申上げた点なんですが、それは政府は従来の警察予備隊と今回の保安庁における保安隊というものは全く目的は一緒だ、従来は警察力の補充というような極めてあいまいなことを書いておつたのだけれども、その警察隊の補充ということを具体的に六十一条以降に列挙しておるので、従つて目的は一向変つておらない、こういう提案者の説明であります。従つて、そういう点から行きますと、従来と目的が変つておらない。そうすると、今大石さんがおつしやつたように、独立の目的を持つて、従つて体制の強化だと、そのためにはこういう機構も必要であるという、こういう前提がすつかり変つて来るわけなんです。従つてそういうことでないとすれば、改めてここに軍隊組織のような保安庁が必要かどうかということが我々の又検討すべき問題になつておるわけなんです。そこで全然お考えになつておるのと違つた前提における保安庁法というものについてのお考えを、簡単でよろしうございますからお伺いしたい。
  19. 大石義雄

    参考人大石義雄君) 今の御質問に簡単にお答えさして頂きます。私の言うておるのは少し政府提案の意図とは違うじやないか、こういう点については、およそ法というものは、すでに立法者の手を離れて客観的に出たものは、立法者の意図はどうあろうとも、その取扱い方によつて客観的に認識されるものを把握されるべきだと思います。でありますから、政府提案者がどんな意味を盛つたであろうと、私はそういう意図には一切拘束されないのですよ。この点は憲法においても、戦争放棄宣言を作つたのはマツカーサーか誰か知らんけれども、自衛だろうと何だろうと一緒くたにした意図があつたのかどうか知らない。そんなことは立法過程の法技術の問題であつて、一たび日本国憲法として我々の前に来れば、立法者の意図を離れて客観的な法意識を我々は認識するものとしてとらなければならんと考えるのです。でありますから、私は今のお説は、それは本当なのかも知れないけれども、立法過程においては私の見方はちつとも誤つていないと考えておるのであります。
  20. 栗栖赳夫

    栗栖赳夫君 先生、私声が大きうございますからここで……。実は衆議院の修正がありまして、憲法の面でちよつと御意見を承わりたいと思うのであります。
  21. 大石義雄

    参考人大石義雄君) この保安庁法案に対する衆議院の修正ですか。
  22. 栗栖赳夫

    栗栖赳夫君 そうです。それは大体戦争前とか、戦争中のような、いわゆる軍部大臣とか、軍部のスタツフを作つていろいろ間違いを生じてはいかんということの虞れから、この保安庁法の中には、十六条の六項にいわゆるシビリアン・コントロールという精神を盛るための規定が入つておるのでございます。それは「長官、次長、官房長、局長及び課長は、旧正規陸海軍将校又は」云々とありまして、「の経歴のない者のうちから任用するものとする。」、こういう規定があるのであります。ところが衆議院で修正をいたしまして、旧正規陸海軍将校という言葉は、多分これじやないかと思うのですが、憲法の十四条、すべて国民は法の下に平等であると、こういう点からであろうと思うのでありますが、削られて来ておるのであります。ここに参議院としちや非常な心配を持つたわけなんであります。この委員会でもその議論が非常に出ておるのでございますが、そこで政府としては、政治上、事実上の手段として、旧正規陸海軍将校は当然資格がないのだと、こういうことで、政治上の手段若しくは事実上の問題としてこれを解決しようとされておるのでありますが、我々は憲法上それが違法でないならば是非この規定を入れておきたい、こう思うのであります。そこで法の前に平等であつてという規定はありますけれども、又憲法の中には、第六十六条に内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなければならん、シビリアンでなければならん、こういうような条文がありますし、又この保安庁というようなごときは、この憲法の十二条で言うような公共の福祉のためにこれが設けられるものであつて、一個人のために設けられるものじやないのでありますが、そういうような点を考え合せまして、先生の憲法上の御意見を承わりたいと思います。
  23. 大石義雄

    参考人大石義雄君) 今非常に重大な問題が突如として出されたのに対して、学者として責任を持つて即答するということは私ちよつと遠慮さして頂きます。けれども第一点、大臣が文民でなければならんという今のお話ですが、あの点は私は即答ができます。といふことは、文民でなければならんと定めた規定憲法規定でありますから、国民は法の前に平等でなければならんというのも憲法規定です。同じ憲法として国会が定めたことなんだから、日本民主主義の実体は何かということは、具体的な日本国憲法が定めた民主主義体制でありますから、ですからこの文民でない者は大臣にできないと言つたからといつて憲法違反という問題ではない、それは憲法が定めたことなんだから……。併し今新らしく保安庁法案の問題とされた点になりまするというと、問題は少し考えさして頂きたいと思います。
  24. 栗栖赳夫

    栗栖赳夫君 ちよつと私の質問を補足さして頂きたいと思います。文民でなければならんということを私引きましてお尋ねした趣意は、この法の下に国民は平等でなければならんと言いますけれども、これは絶対無限に平等でなければならんという趣意ではなしに、憲法の中でもすでにこういう制限があると、或いはそのほか憲法の条章の直接間接その精神から来る制限があるかどうか、そうしてその制限が来た場合に、この十六条の旧陸海軍云々ということはその中に入るかどうかをお尋ねしたのです。
  25. 大石義雄

    参考人大石義雄君) その点については、まあ極めて抽象的なお答えになりますけれども、元来私が考えておりまする国民平等の原則というものは、御承知のように人種、信条、性別、社会的身分、門地によつて政治的、経済的、社会的関係において差別されないというのでございまして、だから私どもは法律論としては、機械的な平等は伺も憲法は保障しておりません。個人の事情とは関係のない事情、人種によつて政治的に区別する、或いは性別によつて、或いは信条によつて、社会的身分によつて、或いは門地によつて政治的に、経済的に、社会的関係において区別するということはいけないという意味において国民平等なんです。だから例えば能力によるところの差別は何も憲法違反の問題は生じない。そこで今の旧陸海軍将校の問題などでも、あの標準と無関係な適格性ですね、そういう職に就くことの適格性ですね、そういう論点から見られ得る性質のものかどうかという問題であろうと思うのでありますけれども、この点は私にもう少し考えさして頂きたいと思います。これは非常に重大な問題で、私どもの参考資料にくつついて来たならば大変結構だつたかと思いますけれども、突如として私に今質問されたのですから……。
  26. 河井彌八

    委員長河井彌八君) それでは次の参考人次田大三郎君の御発言をお願いいたします。
  27. 次田大三郎

    参考人(次田大三郎君) 数日前河井委員長から、こういう問題があるのだという問題を示されましたのですが、その順序で私見を申述べたいと思います。  第一は、今問題になりました保安庁設置憲法第九条の規定に違反するかどうかという問題なんであります。まあ私の了解するところでは、保安庁設置せられますと、保安隊警備隊という部隊ができる、それは憲法第九条で禁止している軍隊を作るものではないかという、そういう問題であろうと思うのですが、保安隊は先刻お話のありましたごとく、警察予備隊警備隊海上予備隊の名前を変更したものに過ぎないのであつて、これが違憲かどうかということは、もう警察予備隊海上予備隊等について十分論議し尽されておると考えるのであります。ただまあ問題として出ましたから、一通り私の常識論を申上げてみたいと思います。私の常識論は、今まで行われました憲法論とは少し違うのでありますから、御参考に申上げたいと思います。  保安隊も、警備隊も、武器を保有して、法律の定めた場合にこれを使用することができることになつておるのでありますが、併しこれは法文の中にあります通り、我が国の平和と秩序維持し、人命及び財産を保護するため特別の必要がある場合において行動することを目的としておるもので、外国に対する戦争をしようというのではないのであります。であるから、従来の警察予備隊と同じように、かくのごとき部隊を設けることは憲法第九条の規定に違反するものでないと考えるのであります。新聞の伝えるところによりますと、警察予備隊の持つておる武器は外国と戦争をするなど思いもよらないものである。即ち戦力ではないのだという説明が行われておるということでありますが、私はそういうふうに考えるべきものでないと思うのであります。若し外国と戦争をする目的で装備をするならば、つまり竹槍でも戦力になるのだ、戦力とか、軍備とかいうものとしては甚だ不十分なものでありまするけれども、それでもなお戦力たる意味を失わないと思います。現に今日いずれの国でも十分な完全な軍備を持つております。又竹槍で以て外敵と戦おうという考えはそう昔の話ではないのであります。竹槍でも、これで外国と戦うのだというのであれば、それは一つ戦力であり、軍備である。やはり憲法禁止しているものに該当すると思うのであります。これに反して、戦車とか、重砲とかいうものを装備いたしましても、それがただ内乱に備えるものであるということであれば、これは憲法の禁じておる軍備ではない、憲法違反という法律問題は起らないと思います。ただそれが必要以上の装備であるかどうか、そんなものを警察予備隊が持つ、若しくは今度できます保安隊が持つということは、必要以上に国費を濫費するものではないかという議論は起り得ると思うのであります。曾つて警察予備隊がバズーカ砲を持つているから憲法違反だという議論があつたのでありますが、前のような意味憲法違反にはならないのです。併し警察予備隊にバズーカ砲が必要であるかどうか、そういう必要がないということであれば、それを公認する予算を削除したらよろしい、そういう見解であります。これが私の第一の問題に対する回答であります。  第二に、この種の警察機関を設置する必要があるかどうかということでありますが、私は我が国の現状においてはこの種の警察機関を設置する必要があると考えます。私は共産主義者が日本で内乱を企図しておるという話はありますが、それに関する情報は何も持つておりません。ただ我々の目に触れるいろいろな事柄を考えてみまして、そういうこともあり得るということを信ずるのであります。五月一日のメーデーの事件のありましたときに、私は偶然その現場におりまして、メーデーの騒擾の光景、ほんの一部でありますが、私目で見たのであります。午後の三時半頃人事院ビルに行こうといたしまして、何にも知らないで日比谷から新宿行きの電車に乗りまして日比谷公園の北側の門のあたりに来ますと電車がとまりました。そして街路上には多くの人が右往左往して如何にもただならぬ空気が漂よつておりました。濠を隔てた向う側の広場の石垣の上には大勢の人が人垣を作つて見ておるといつた状態であります。それから電車の前方の左側にはもうもうと黒煙が上つておる。何事だろうかと電車の運転手に聞いてみますと、これは進駐軍の自動車を焼いておるのだ、或いはアメリカ人の自動車を焼いておるのだという答えでありました。そうすると、突然電車の入口、閉つておる入口を棒で叩いて開けろと言つてつて来た男があります。それは二十四、五才の一見朝鮮人と感ぜられる青年でありました。棍棒を手にして入つて参りまして、電車の中に入つて来るといきなりヤンキーはいないか、こういう質問であります。本当はその電車の隅つこにアメリカ人の兵隊が二人いたのです。併し車の中で、電車の中で乱闘が起りますと、中の人は傍杖を食う、大変迷惑なことだと思いましたから、私はどうも見えないようですよと言いましたところが、そうですか、失敬しましたと言つて挙手の礼をして降りて行つた。更に窓から頭を出してみますると、電車の左側のうしろのほうで自動車をとめて、その戸を開けて、二三人で外国人の乗客を引ずり出しておる光景がありました。それから電車の右側の窓からお濠のほうを見ますると、誰か堀の中に落つこちている。それに向つて石を投げておる。私は近眼ですから、その落ちつている人が何人であるかということも見えなかつたのです。すぐ傍におる中年の人に誰でしようかと言つて聞きましたら、どうもアメリカの人らしいと、こういう答えでありました。そのうちに警視庁のほうから鉄兜の警察官の一隊が走つて来るのが見られます。と同時に電車は動き出しまして、無事に桜田門に着いて、急いで人事院ビルに行つたのであります。その後のことは知りません。併し私が見ました範囲内では、あの騒動はアメリカ人を攻撃することがその目的である。少くもその目的一つであつたということは疑いないのであります。私はそのときに感じましたことは、かくのごとき攻撃が、即ち棍棒と石を投げつける方法による攻撃が我々の上に加えられたら一体どうだろうかというようなことでありました。アメリカ人であるというほか、何の理由もなくして突然として攻撃を受けておるのを私はこの目で見たのであります。そうすると、まあ例えば共産主義者でないということ以外に、何の理由もなくして攻撃を受けることがないとは保証し得ないのであります。併しまあ我々はとにもかくにも今日枕を高くして眠つておる。これはやつぱり警察のお蔭だなあということを知つたのです。実は私は今の警察、なかんずく警視庁のやり方については極めて批判的でよく悪口を言うのでありますが、それでもなお今日我々の身体、財産の安全は警察のお蔭で以て維持されておるということを感ぜざるを得なかつたのであります。そのメーデーの時の騒擾のほかの部分、殊に国民広場で起つた乱闘につきましては、新聞雑誌の報道は必ずしも一致しておりません。最近に出ておりました「世界」という雑誌の七月号には、国民広場では警察官のほうから、何もしない群衆に向つて攻撃を仕掛けたんだというような記事もあります。併し私はNHKが現場でとつた録音放送を信ずるものであります。これはもう現場でとつたので、これによりますと、警察官が群衆に大きい声で呼びかけて、どうか解散してくれ、どうか引取つてくれということを頼んでおる声がその録音の中に入つておる。それからあとで乱闘になり、それから催涙弾が発せられたという経過がその録音でありありとわかつております。即ち国民広場では群衆の中の或る者、或る者といつても少くとも何百人かが隊を組んで警察官を攻撃したというのが事実であると思うのです。又いくら警察官が乱暴でも、自分の身が可愛いければ、何千人という群衆に対して三百人ばかりの警察官が進んで攻撃を加えるということは考えられない。これはもうその群衆の中の極端な人が警察官を攻撃したということが事実だと、私は信じております。  それから先月末起りました練馬の交番の襲撃事件に至りましては、これはもう明瞭に共産主義者が警察を攻撃したのであります。まあ「世界」という雑誌の記者でもこれは弁護の余地がないと思います。とにかく今の我が国では治安担当の当局者を攻撃して、治安を乱そうという連中が相当数いるということについては疑いを容れる余地がないのです。問題はこの連中に対抗して、いわゆる我が国の平和と秩序維持し、人命、財産を保護するためには、現在の国家地方警察自治体警察だけで十分であるかどうか。或いは更にそのうしろに、この警察のうしろ楯となるものが入用であるかどうかということになると思うのであります。今日の警察を戦前の警察と比べてみますというと、大体の見通しとして、今日の警察のほうがずつと質が悪い、劣つておるということは遺憾ながら認めなければならんと思います。戦前の警察を評して警察国家だというような人もあります。私これは必ずしも当らないと思うのでありますが、戦前の警察が世界各国の中で優秀なものの一つであつたということは疑いない。GHQが日本を占領すると、すぐ目の仇にして警察の去勢を断行したのも尤もだと思うのであります。併しこの有力な警察を以てしても、警察だけでは治安が守り切れないで軍隊の出動を仰いでやつと治安維持し、若しくは治安を回復したというような事案が戦前に幾たびも起つたということは、これはもう歴史上明白な事実なんであります。私の記憶しておるだけを数えてみましても、明治三十八年の九月の初め、ポーツマス条約に不平な国民が、不平な連中が東京で騒擾を起し、交番の焼打ち、国民新聞社を攻撃するというようなことがあつたのです。大正八年の八月には米騒動と言いまして、富山県の漁師の女房たちが米屋を襲撃したことを契機として、広島、岡山、神戸、大阪、京都、名古屋、静岡、とうとう東京まで波及いたしまして、全国の大都市に、或いは米屋を襲撃するとか、取引所を襲撃するとか、警察を襲撃するとかいうような暴動が起りまして、これも軍隊が出動して、殊に大阪では師団長が自分で陣頭に立つて暴動を鎮圧したというようなことがありました。大正十二年の関東大震災の朝鮮人事件、これは何も根も葉もなかつたことだつたそうですけれども、それで人心が非常に動きまして、朝鮮人らしい者を襲撃して危害を加えた。暴動をやつたという事件、それから近くはずつと下つて、昭和七年の五・一五事件、十一年の二・二六事件の騒ぎ等、申上げるまでもないと思うのであります。つまり、警察だけではとても抑え切れない。そのうしろ楯としての軍隊の出動を求め、或いは戒厳令を発布して治安維持し、又はそれを回復し得た例は幾らもある。戦前の、今日の警察から見ればずつと有力な警察でもそうであつた。今日の警察だけで活安が維持できると考えるのは私は飛んでもないことだと思うのです。軍隊は第一に外敵と戦うということであります。それと同時に第二に、国内の内乱に備えるという目的を持つておる。この二つの役目を持つておるのでありますが、我が国では憲法で外敵と戦うことがない建前になつておるのでありますから、まあ軍備を持つことはできんものと私は思う。併し警察のうしろ楯になる第二の役目を担当するものは、我が国の平和と秩序を保つために今日の場合にどうしても必要であります。今問題となつている保安隊並びに警備隊は、まさにその必要に応ずるものであると考えるのであります。これがなかつたら、まあ何か事が起つたときに大変なことになると考えます。この保安機構設置には賛成するものであります。  それから、それが必要であるとしてこの法律による機構は適当であるかどうかということであります。私も大体においてこの法律案には賛成でありますが、ただ私としては十分の知識がないので甚だ確信のないことを申上げることになるのですが、釣合上どうかと思いまするのは、先刻お述べになりました海士公安局を保安庁に属せしむることが適当であるかどうかと思うのであります。海上公安局のやつている仕事は、陸上の国家地方警察自治体警察と同じように治安維持の第一線に働くものでありまして、いわば一種の水上警察であります。これは国家地方警察自治体警察と同列に考えるべきものであつて警察のうしろ楯になる。従つて海上公安局のうしろ楯になる保安隊警備隊とは別の役所で管理するというのが理論上正しいのではないかと思うのであります。まあ聞くところによれば、警察のことを担当しておる国務大臣保安庁を担当しておる国務大臣を別にすることのようであります。これは権力の偏重を避けるために必要であると思うのでありますが、若しそうであるとするならば、海上公安局保安庁を担当する大臣に属せしめずして、国家地方警察自治体警察を管轄する大臣に属するのが筋道ではないかと考えます。  ついでに、問題には直接関係がないことでありますが、ついでに申上げますが、私は権力の偏重を避くるという意味から、法務総裁が警察を担当する、国務大臣として警察を担当するというのはよくないと思います。警察法改正も早晩問題になるらしいのですけれども、そうなりましたら警察を担当する大臣、保安庁を担当する大臣、法務総裁、これはもうみんな別々にして置くことが必要だと思うのであります。これは問題外でありますが、ついでに皆様の御参考までに申上げておきます。  私はこれで終ります。
  28. 河井彌八

    委員長河井彌八君) 有難うございました。何か御質疑があれば簡単にお願いいたします。
  29. 三好始

    三好始君 治安機構強化の必要性についてはいろいろ問題はありますけれども、それは別といたしまして、憲法上の問題だけをお尋ねいたしてみたいと思います。  次田さんのお話のうち、憲法の解釈に関する部分は、一点を除いては、私が今まで考えておつたものと同じでありました。特に第九条第二項の戦力は外国との戦争を意図して設ける場合には、それは第九条の容認しない戦力だ、こういう御見解は全く同じであります。ただそれに関連して御意見を承わりたいのは、政府は外敵が侵入して来た場合には現在の予備隊、それから設けられようとしておる保安隊警備隊はこれを鎮圧するために行動をとるということを申しております。但しその行動は、国内治安維持の見地からとる行動なんだと、こういうことなのでありますが、いずれにいたしましても、予備隊或いは保安隊は、外敵が侵入して来た場合にはこれに対抗するための行動をとるということは繰返して説明いたしておるのでありますが、こういう場合には、果して第九条の否認しておる戦力になるのかどうか。この点を先ずお伺いいたしたいと思います。
  30. 次田大三郎

    参考人(次田大三郎君) 私は大石先生とは少し異見があるのですが、自衛戦争というものも憲法は禁じておると思うのです。従つて保安隊警備隊でも、それを使つて外国と戦争するのは憲法違反だと思う。若しそういうことがあれば憲法改正をやつたらいい。そんなまあ問題は私はすらつと解釈したいと思います。
  31. 三好始

    三好始君 只今の御解釈は同感でありますが、それでは次の問題をお尋ねいたしてみたいと思います。  それは次田さんは、警察として必要以上の装備の場合には、ただ国家の財政政策として問題があるだけのようにおつしやつたと了解いたしたのでありますが、警察としての必要を超える装備を持つた部隊が出現した場合に、それは果して財政政策としてのみ問題なのか、或いは客観的に警察の装備を超えるものと明らかに認められるものは第九条の戦力になるのかということは一つの問題だと思うのであります。それを先ほど伺つたのでは、財政政策として適当であるかどうかということがやはり問題のようにお話になつたと思うのでありますが、これはむしろ戦力として問題になる可能性はないでしようか。
  32. 次田大三郎

    参考人(次田大三郎君) 私は憲法の問題はその場合でも起らないと思います。ただ併し財政政策ばかりではない、いろいろな見地から、そういうことはよくないということで国会あたりで抑えて頂きたいと思うのです。財政上からも、予算は国会でおきめになるのでありますから、抑える術があるのではないかということを申上げただけであります。
  33. 河井彌八

    委員長河井彌八君) 他に御発言がないと認めますから、甚だ時間が足りませんが、田中教授の御都合もありまするから、一時まで休憩いたします。    午後零時十三分休憩    —————・—————    午後一時二十三分開会
  34. 河井彌八

    委員長河井彌八君) 休憩前に引続いて内閣委員会を開きます。  この際東大教授田中先生の御発言をお願いいたします。
  35. 田中二郎

    参考人田中二郎君) 先日この委員会に参りまして、意見を申述べるようにというお手紙を頂きまして、大体これまでいろいろ論議されております以上に、私特に意見というほどのものを持つておりませんので、出席いたしますことを甚だ躊躇いたしました。又いろいろ仕事がありまして、十分に準備をして参ることもできませんでしたので、一層不完全な意見より申述べられませんことを予め御了解願つておきたいと思います。  お尋ねの問題点が主として三点あると思いますが、第一の保安庁及び海上公安局設置は、憲法九条の規定に違反するや否やという問題から意見を申述べたいと思います。保安庁及び海上公安局というふうに並べて書かれておりますが、海上公安局のほうについては、特に違憲性という意味で問題になる余地は先ずないのではないかと思います。問題があるといたしますと、保安庁関係でありますが、この点は突き詰めて言えば、保安庁に置かれる保安隊及び警備隊が、憲法規定する戦力に該当するものと言えるかどうかという点になるかと思います。ところで戦力という憲法規定の本来の趣旨とするところは、午前中に大石教授からお話になりましたような意見もあると思いますが、私はああいう形であの規定を置いたこと自体が、少くとも憲法の制定の本来の趣旨から言つて、現在の憲法の持つている意味の合理的な解釈という点から見まして、大石教授の御意見とは反対に、仮に自衛目的を持つものであれ、それが一定の大きさと力になつた場合には、やはり戦力に該当し、従つてそれは憲法の趣旨に違反するものがある、こういう考え方をとつておりますし、又そういう考え方が正しい憲法の解釈だと思つております。そこで問題は保安庁に置かれる保安隊なり、警備隊なるものがその意味での戦力に該当するものであるかどうかという問題になりますが、その戦力なるものはもともと相対的にきめられるべきもので、それが国際的な情勢とか、国内的な治安状況というものに照して、果してそれが対外的な戦争に向けられた戦力になるのか、或いは対内的な治安確保の目的に向けられた警察力に過ぎないのかという問題になつて来るのではないかと思います。国内的な問題として向けられているものであれば、それは戦力にはならないというふうには直接には言い切れない。私の考えまするところでは、治安確保の見地から取締りの対象になる要素が非常に強力になり、それを鎮圧するための力の要求が多くなつて来るということも考えられます。そういう意味では現在の段階では戦力とは言えないという種類のものも、或る段階では戦力と見なければならないというように、世界情勢の動きによつて治安状況の変動によつてつて来るべきものではないかと思うのです。そこで現在国内治安の状況に照して、それを鎮圧するための、或いは治安撹乱の工作に対して対処するためのものとして、相当な程度のものであるという場合には、これは一種の警察力であり、相当に強力なものであるとしましても、取締りの対象になる治安状況が非常に悪いという場合には、その程度のものも国内治安のために向けられたものとして、憲法で制限、禁止している戦力には該当しないということが言えるだろうと思います。併しその程度を超えて国内の取締の見地から、或いは治安対策の見地から必要な程度を遥かに超えて人員を持ち、装備を整えるということになりますと、それは当局者がどう説明しようと、それは単に国内治安のための警察の一部という意味考えているとは言えない、やはり客観的に見てそれは対外的に向けられている、或いは戦争のための手段として設けられているという判断をせざるを得ないことになるのではないか、こう考えます。言換えれば結局治安の確保のために取締りの対象になる状況がどの程度に強力な力を必要とするか、その要求されているものに相当するものであるかどうかということによつてその判断が下され、その必要な限度を超えて強力なものを整備するということになりますれば、もはや警察力の範囲を超えて戦力の域に入つたものだ、こう見なければならないと思います。最近の治安状況が非常に悪い。そこでそれに対するために従来の警察とか、或いは警察予備隊程度ではどうしてもいけない、その対内的な治安確保の見地から見てももつと強力な保安機構が必要である、警察力が必要であるということになりますと、現在以上に強力なものを設けることも必ずしも戦力規定に牴触しないということになるのではないかと思います。そういう判断の問題になるといたしますと、現在の治安状況がどうか、そうしてそこで予想される治安紊乱の手段としてどういうものが考え得られるか、又それに対する警察のあり方としてどういうものが必要であるかという問題になりますが、私は従来の警察予備隊というものであれば、必ずしもそれは直ちに憲法禁止する戦力ということは言えないのではないか、従つてそのままに受継いで大体現状通りの保安庁機構を設けるということであるならば、或いはその意味での戦力に該当しないという意見も成立つのではないかと思われますが、併し前に七万五千の警察予備隊が十一万になつたというとき、或いはこれから先更にそれを増強して人員を殖やすだけでなしに、その装備も漸次強化して、いわば軍備に相当するようなものにまで発展させようという狙い、じりじりとその数を殖やし、装備を強化し、又そのための予算を整えて行くというその行き方の中には、確かに戦力を持とうとする動き、そういう気配を感知せざるを得ないのであります。そういう意味におきまして現在ここに新らしく設けられようとしております保安隊なり、警備隊なりが果して必要な治安機構という限度にとどまるものであるかどうか、相当に問題の余地があるのではないか。又殊にそれが更に増強されようとする動きがあるということを予想いたしますときに、これを予定した現在の保安庁機構というものを、憲法のいわゆる戦力に全然該当しないものとして、憲法上何ら支障のないものとして考えることが果して妥当であるかどうかという点に疑問を持たざるを得ないのであります。従つて今後の法案自体が政府の説明するところによりますと、警察予備隊の発展であり、全然新らしい角度から制度を設けたものではないということにあるといたしましても、元の警察予備隊令建前の上でもはつきりと警察の補充である、国家地方警察自治体警察との足りないところを補うための正に警察予備隊であるという建前をはつきりし、そうして基本的人権との関係における予備隊のあり方というものを明示していたその行き方と、今度の法律に示されましたこの保安庁機構のあり方との間には、やはり若干の相違が現れているのではないか。そこに性質の転化とも言うべきものが現れているのではないか。そして将来への発展を予測するものがそこに認められるのではないか。若しそういうことになるとしますと、これはやはり現在戦力であると言えるかどうか、それは若干問題があるとしましても、戦力への発展を内包したその意図をすでに現したものだという考え方は一応されなければならないのではないか、こういうふうに考えるのであります。その意味では私はここに示された人員だけでは判断ができないといたしましても、更にこれにつぎ込まれる装備、或いはこれにつぎ込まれる予算というものと照合せて、それが果して国内治安に向けられた一種の警察機構と言い切れるかどうか、それは恐らく装備の問題、或いはそれにつぎ込まれる予算という見地から見て、その顕示された戦力に該当するものを意図している、少くともその方向に向つているということは言わなければならないのではないかと考えるのであります。従つてこういうものが必要であるかどうかという問題については、又別に考えなければならない問題でありますが、どうしてもこういうものが必要だということになれば、やはり憲法の改正という堂々たる手続によつて国民の声を聞いて、この問題の最終的な決定をする。それをどの段階でやるかということは政治的にも、技術的にもいろいろむずかしい問題があると思いますが、やはりこの保安庁法というものが通る機会、この問題を審議する機会が一つのチヤンスではないか、やはりそういう意図の下にそういう発展性を持つたものとして、この法案考えて行くという場合には、少くとも現行憲法の下においては無理があるということを関係者としてはお考え頂きたいと思うのであります。  第二の問題として、この種の行政機関設置の必要があるかどうかという問題でありますが、これはもつぱら政治情勢とか、治安状態の如何にかかわります。これを戦力と見るにしても、又警察の一部というふうに見るにしましても、それは現実の政治情勢なり、治安状態の認識の問題にかかつて参ります。そういう点では表面に現れたところだけより承知いたしません。私どもがとやかく言うべきものではないと思います。この程度のものが必要であるか、或いはもつと小さなものでいいのではないか、こういつた判断については私ども十分な材料を持つておりませんので、公正な判断が十分にはできないと思います。ただこの問題を考えるにつきまして、為政者として十分にお考え願いたいと思いますのは、現在確かに治安状況がよくない。いろいろの問題をめぐつて次々と問題を生じている状態は何としても抑えて行かなければならないことは、先ほど来大石教授もおつしやり、又次田さんもおつしやつた通りだと思います。併しそこで一体誰がその治安状況の悪い原因を与えているかということについての反省をしなければならないと思うのであります。確かに或る方面からの策動が力強く動いておるということは否定できませんし、それに対する対策を考えて行く必要のあることも否定できないところだと思います。併しそれだけの力で治安状況が今日のような混乱した状態にまでもたらされるとは思わないのであります。それは我々が健全な分子と考える人々をそういう紛糾の状態に協力するような態勢に、そのバツクになるような態勢に追いやつておる一つの要素があるのではないか。例えば破防法の論議のごときがそうだと思います。破防法が必要であるかどうか非常に問題だと思いますが、私は諸外国の例に見ますように、その対象を明確にする、その焦点をはつきりさして規定を設けるということになつて一般国民がその取締の対象になるものではないということを印象付けさえすれば、アメリカで共産党断圧法ができましても、一般国民がそれによつて何らの不安を感じない。それは別の世界における問題のように一応考える。立法的にはいろいろ問題がありましても、一般の大衆には何らの不安を与えない。民主主義の基礎を危くするような不安を与えない。それと同じように日本でも若しその対象を明確にし、重点をクローズ・アツプしてその規定を設けるといたしまするならば、健全な分子まで、健全な学生までそれに対する反対の運動を展開し、それが治安に不安をもたらす一つの背景を作つておるというような事情は、これを事前に防ぐことができるのではないか。治安を混乱に陥れるようないろいろの問題をそこに続出せしめながら、その状況に対処するために又大きな警察力を作つて行くということになつては、これは曾つて日本が辿り、世界の独裁国家が辿つた道と同じような道を迫る不安を感ぜしめます。そういう意味で健全な分子が治安維持に協力はしても、治安を混乱に陥れる方向に対して常に批判的であり得るように立法に当つても十分の御配慮を願いたい、こう考える次第であります。現在の治安状況は決して安心すべきものではないことは認めます。併しそれも原因がそういうところにもよつているということをお考え頂いて、国会としてはこの問題に限らず、あらゆる法律全体を通じて、そういう不安を起させないように、その不安が治安を乱す原因になることのないように御配慮を願いたい、こう考えます。  次に第三の問題としまして、若しこういうものが必要であるとした場合において、この法律案による機構は適当であるかどうかという問題でありますが、先ほど申上げました憲法上の疑問は一応別問題としまして、こういうものが必要だとして、この機構がどうであるか、この点につきましては私は大体においては異論がありません。この長官国務大臣とし、その下にいわゆる文官制の部局を設け、部隊の面で第一、第二幕僚監部を設け、幕僚長を置くという構想には私は賛成いたします。むしろこういうふうに第一、第二に分れ、それが部隊の指揮に当る。併し最高の部局が文官制によつて全体を内閣責任において民主的に運営して行くという行き方には全面的に賛成をいたしたいと思います。そこで先ほど衆議院の修正として加えられたという十六条第六項の規定の問題でありますが、これは多少問題の余地がないではないと思いますが、私は実質的に考えまして、この武官を排除するという考え方はこの保安庁機構考える場合の最も重要なポイントであり、根幹の一つとも言うべきものではないかと、こう考えております。これが完全な意味で旧軍隊のような形において訓練され、又統率されるということになることを私は保安庁機構のために最も惜しむのであります。ところで憲法の解釈論として、こういう不平等待遇的な規定を設けることが許されるかという問題でありまするが、これは多少問題の余地がないではないとは思いますが、憲法を貫く民主主義的な基本原理を基礎として、その制度の合理的なあり方、民主的なあり方というものを考える場合に、過去のこういうものを排除することは必ずしも憲法禁止するところではない。平等の原則に反するという議論を以て退けるべきものではない。平等の原則というものの本来の意図は民主主義の精神に反しないということが根本の狙いで、その一つの現われだと思います。憲法の趣旨から申しまして、例えば選挙の場合に選挙違反を犯したものの選挙資格、被選挙資格を特に重く制限を加えるとか、或いは一定の犯罪者について公権剥奪的な取扱をするということが何ら問題にならないと同じように、民主主義の基本原則を貫く、そうしてその見地から見て合理的と認められるそういう制約は必ずしも憲法の平等原則には反しないと言えるのではないか。やはりこの見地から旧正規陸海軍将校が、部隊の面では別問題として、この長官、官房長並びに各部局ことに長官とか次長とかいう、この面における責任者の地位につくことを排除することがこの保安庁機構考える場合の最も重要な問題として、この衆議院の修正に対して更に参議院において十分御考慮を願いたい点だと思います。少し末節に亙りますが、この保安庁法案によりまして拝見いたしますところは、その部局関係では一応はつきりといたしますが、実際の部隊関係は全部政令の定めるところに譲られております。これは今までの軍隊の組織等について考えられたと同じ考え方によるものであり、実際上にはそういう考慮も必要であつたのではないかと思いますが、これも基本的な原則はやはり法律の中に明示して政令に委ねるということについて成る限度を認めるのが妥当なのではないか、二十四条の第二項に「前項部隊組織及び編成は、政令で定める。」とか、そり他総理府令に譲るとかいうような形になつているところが多々あると思いますが、少くともこの基本的なあり方というものについては法律自体の中に定め、国会がその意味での監督をする根拠を定めておくことが必要ではないか、こう考えます。  それから又非常に細かな問題でありますが、現在警察予備隊の実情を聞き、又拝見いたしまして、そこで隊員の訓練ということが言われております。そしてその趣旨が、保安大学校というものが設けられました場合にも訓練という言葉で現わされております。その訓練に当る者は、教官とは申しますが、そして又教育に従事することと思いますが、教育という考え方が従来の予備隊訓練の中には全然欠けているように想像いたします。これは或いは関係方面のそういう示唆に基くものであるかも知れません。併し私は広く隊員を募集し、広く訓練をして行くという場合に、それから教育的な要素、人間としての教育という点を無視しては健全な保安隊というものは構成されないのではないか。これまでの警察予備隊は曾つての軍隊とは違つて、実際に拝見しましても非常に明朗であり、又全体として受ける感じが民主的であるということは否定いたしません。併しそこでいわゆるこの訓練に終始して、人間としての教育或いは文化的、社会的な諸問題についての教育の面が完全に無視されているのではないか、そうなりますと、その人たちの中から本当に社会人として、又人間として日本治安を託するに足る健全な人材を求めることができるかという点に懸念を抱かざるを得ないのであります。やはり訓練によつて強くなるということが必要ではありましようが、併しそれは人間としての教養によつて裏付けられたものであつて初めて人間がそれに親しみ得る、そして対個人関係において問題を生ずる場合にその摩擦を防ぐことができる。そういう意味においてこの訓練という点を重視し、又警察大学校の場合と同じように保安大学校を設けるということは結構でありますが、そこではやはり人間としての成長を目指した教育でなければならない。殊に幹部を養成するものにおいては、訓練という言葉には現わせない、むしろ本当の意味での教育が重視されなければならないのではないか、こういうことをまあ痛切に感ずる次第であります。更にこれも本来とは直接関係いたしませんが、法律案の中には何ら現われていない点でありますが、全体で言えば私はこの保安という見地から見まして、これは対個人の問題がしばしば問題としてクローズ・アツプされて参ります。そして治安維持基本的人権の確保という問題を保安隊の内部においても、又対人民との関係において問題を生ずる場合においても、常に治安維持基本的人権の保障という点をどちらに重点を置いて考えるかという形で問題が提出されると思います。そういう点を考慮いたしますと、警察予備隊令の中に、はつきりと基本的人権尊重の趣旨、そして警察権の限界という点をはつきりと謳つていたその線を、やはりこの保安庁法の中でこの保安隊出動する場合の一つの原則として、こればただ訓示的な意味を持つに過ぎないことになるかも知れませんが、やはり一つの基本的な原則として謳われるべきではないかということと、それからとかくいきり立ち過ぎるところに問題が生ずるという点を考えますと、私はこの保安庁機構の中に、法案自体には何ら現われておりませんし、関係のないことかも知れませんが、広く女子を採用して女子隊員を設けることによつて機構内部の空気を明るくし、又対人民の関係においても摩擦を生ずべきことを避けることができる場合が幾多あり得るのではないか、そういう点についても現在の警察予備隊について考えるところでありますが、新らしく生れ変りますこの保安庁機構の問題としても御一考願いたい、こう考えます。  それから次に海上公安局関係でありますが、海上公安局に関する規定保安庁法の中に設け、保安庁機構の一環として考えられておりますことは、いざという場合に、この海上公安局の職員が警備隊の職員と一体となつてその治安確保に当るという狙いから出発したものと思います。併しもともとこの海上公安局は先ほど来お話もありましたように、海上警察を構成する機関であつて国家地方警察及び自治体警察だけでは保つことのできない海上の保安の任に当るべきものだと思います。これは保安庁機構の一環として考えるべきものではなく、むしろ警察的なものとして、その所管関係はともかく、本来の狙いはそういうものとして考えなければならないのではないか、そしてこういう意味での海上公安局機構は現在の機構で果して十分であるかどうか。例えば密入国を取締る、或いは密出国を抑えるというような具体的な事例を考えてみましても、これは現在の機構で十分にその目的を果し得るかどうか、こういう面でこそ治安確保の面からまだ相当に拡充しても戦力となるというような疑いの全くない領域ではないか。場合によつては、非常に船足の速い船によつてどんどん出入するというようなことが考えられるとすれば、航空機を備えて海上公安局なりが任に当るということも考えられる、そういう意味海上警察としての海上公安局という制度は、或る程度に拡充することも必要ではないかとさえ思われます。併しそれは飽くまで海上警察として考えるべきものであつて、そうなりますと、一体となる場合に備えるような意味で、その海上保安官というものの階級を大体この警備隊のそれに準ずるような形で、非常に多くの等級を設けるというようなことが果して適当であるかどうか。一般警察に準じてこの機構考えるほうが、本来の筋じやないか。そうしていざという場合にはこれを補う意味において、警備隊活動する。それは全然別個の見地から活動するという行き方になるのが本来の筋ではないか。こういうことを感ずる次第であります。いろいろ申上げたい点もございますが、私はこれが現在の段階において必要であるかどうかという問題になりますと、事実の認識の問題として十分の材料を持つておりませんので何とも判断いたしかねます。又これだけの機構が対外的なものを予想しているのではなくて、専ら治安の確保の見地から必要であるかどうかという問題、憲法のいう戦力に該当するものであるとはつきりと言えるのかどうかという点についても私はまだ断定することは躊躇いたします。併しこれが専ら対内的関係に向けられているもの、治安の確保という面だけに向けられているとすれば、それは治安の見地からの必要と対個人関係において人権の尊重というものとの兼い合いを十分に考え基本的人権の保障という面がもつとはつきりとこの中に謳われるということが必要ではないか。警察予備隊令の中にさえそれがはつきりと謳われている。その線さえ今度の法案の中には謳われていないということには若干の疑念を持つ次第であります。  非常にまとまりのない話しでありますが、一応これを以て私の意見を終ります。
  36. 河井彌八

    委員長河井彌八君) 有難うございました。田中教授に対して御質疑がありますれば簡単にお願いいたします。
  37. 三好始

    三好始君 数点お伺いいたしたいと思います。法律案の具体的な内容についての御意見は一々御尤もだと思う点が多いわけでございますが、先ず憲法との関連についての問題をお伺いいたしたいのであります。田中教授保安隊警備隊が一定の装備、編成以上にたつてすれば、それは憲法禁止する戦力になるだろうと思うけれども、現状において、それが禁止せられているところの戦力に達しているのかどうであるかは、認定の問題としてかなりむずかしい問題である、こういつたような意味の御意見が出ておつたかと思うのでありますが、それは保安隊警備隊純然たる国内治安を目指しているという前提の上に立たれている御意見でしようか。それとも保安隊警備隊は外敵が侵入した場合には、外敵と戦うということも含めての御意見でしようか。その点をお伺いいたしたいと思います。
  38. 田中二郎

    参考人田中二郎君) この保安庁法で示しております保安庁任務とするところが第四条に現れておりますが、「保安庁は、わが国の平和と秩序維持し、人命及び財産を保護するため、特別の必要がある場合において行動する部隊を管理し、運営し、及びこれに関する事務を行い、あわせて海上における警備救難事務を行うことを任務とする。」ということになつています。これは従来の警察予備隊令と、海上保安庁法に現われたところとを総合してできた規定のように思いますが、従来の警察予備隊が、専ら国内治安目的として作られたもので、対外的なものとして考えたものではないという説明がなされていたと思います。そうして性格的には変つていないという政府の説明、それは全然外の関係が無関係だというわけではないでしようが、その狙いとしているところは、そういう機構を整える本来の狙いとするところが、国内治安に向けられているということは、従来の説明と今度の法案に現われたところとを総合して見まして、大体変りはないのではないが、対外的なものを考えているのではないという見方をすべきではないか、こう考えております。若し対外的なものに備えての、日本のそういう力を整えるということになりますと、これはやはり憲法禁止する戦力となるのではないか、そういうふうに考えております。
  39. 三好始

    三好始君 そういう場合に、対外的な戦争に備える意図というものは、純然たる自衛戦争に限られておるということと、それから本来の目的国内治安維持であるけれども、外敵が侵入をして来た場合には、当然に国を守るために自衛権発動として、これは外敵に対抗しなければいけないのだ、併し本来の目的は、国内治安維持目的なんだ、こういう説明になつておる場合、それは果して憲法第九条で禁止されておる戦力になるのかどうか。本来の目的国内治安なんだけれども、外敵が侵入して来た場合はこれに対抗するのだという場合の判断の問題なんです。
  40. 田中二郎

    参考人田中二郎君) 実際問題としますと、若し外から侵入して来たという場合、この保安隊なり警備隊というものが使われる、或いは又それを予想してこの機構が作られているということは想像できますし、又恐らくその通りだろうと思います。むしろそういうものを狙いとして、国際連合軍の一環としての訓練をするというのが、この制度の狙いとするところではないかと思います。併し少くともそういう大きなものを作るということならば、やはりそれは戦力を作るということであつて、その点ははつきりさして論議を進めるとなれば、当然憲法の改正を経なくちやならないということになるのじやないかと思います。そこでそこへ行かないようにというので、国内治安のためということを謳つて、この法案ができている。もともと警察予備隊なるものができました沿革から言つても、今の憲法の趣旨とはやはり食い違つたものがあり、そこに無理があつたと思うのであります。治安維持対策という見地から、或る程度のものはこれは合理的に説明し得るとしても、今おつしやるような意味でだんだんその線がはつきりして来たという場合に、もはや国内治安のための機構だということは言えない。むしろその点ははつきりと国民の声に聞いて、憲法の改正をして、やるならやるという態度に出るのが正しい行き方じやないか、合法的な行き方ではないか、こう考えております。
  41. 三好始

    三好始君 そういたしますと、田中教授のお述べになりました一定の限度を超えれば、それは憲法第九条にいうところの戦力になるというのは、たとえ国内治安を目指している場合にも、それが国内治安維持の必要を超えるような過大なものになつたり、とにかくそれが一定限度以上になると第九条のいう戦力の疑いが生じて来る、こういう意味に解していいわけなんですか。
  42. 田中二郎

    参考人田中二郎君) そうでございます。
  43. 三好始

    三好始君 ところで警察予備隊令によつて設けられた警察予備隊と、今度の保安庁法案との比較においていろいろな点で相違があるわけですが、政府は本質は同じだということを説明いたしております。ところがこういう意味において本質が同じなのじやないかと思うのでありますが、実は予備隊が作られる直前の昭和二十五年七月十八日の参議院本会議で吉田首相が議員の質疑に答えてこういう答弁をいたしておるのであります。速記録をそのまま読んでみますというと、「このたび警察力増強ということになりましたのは、朝鮮問題等に鑑みましても、いつ共産軍が日本の国土を侵すとか治安を乱す、或いは又人心にどういう企らみをするか分らないというような不安がありますので、この不時の事変に備うるために警察力を増強いたすことにしたのであります。決して弾圧政策のためにいたすのではないのであります。」、こういうことを実は参議院の本会議で答弁せられて、当時私は非常に問題だと感じたのでありますが、世論はそれほど大きくは取上げなかつたことを記憶いたしております。ところが首相のこういう言明にもかかわらず、客観的な法としての予備隊令には、やはり国家地方警察或いは自治体警察の補充的な機関であることを明記いたしております。その意味では予備隊令並びに予備隊令によつて設置された警察予備隊は必ずしも違憲という断定は下すべきものではない、やはり内容検討した上でないと憲法違反だということを速断すべきではない、こういうように私は考えておつたわけであります。ただ予備隊令なり予備隊に対してとつておるところの政府の態度が違憲だということはあつても、予備隊令そのもの、或いは予備隊そのものが違憲だということはあつても、予備隊令そのもの、或いは予備隊そのものが違憲だということはにわかには言えない、こう思つておつたのであります。ところが今度の保安庁法案では、国家地方警察或いは自治体警察の補充的な存在であるということは法律の条文からなくなつてしまつております。第四条に保安庁任務を書いてありますけれども、これはさつき田中教授がお読みになりましたように、「わが国の平和と秩序維持し、人命及び財産を保護するため、」、こういうことになつておりますし、又出動の場合の条件にいたしましても、第六十一条に、「内閣総理大臣は、非常事態に際して、治安維持のため特に必要があると認める場合には、」ということになつて非常事態という非常に包括的な表現がされておりますために、これは外敵侵入の場合も含めた表現でありますから、予備隊令と保安庁法案との間には、客観的に申しまして性格の相違が感じられる。それとしばしば政府は私たちの質疑に答えて答弁しておるのは、先ほど申しましたように、外敵が侵入して来た場合に国内治安の見地からこれに対抗するのだ、外敵鎮圧のための行動をとるのだ、こういう説明をして憲法との間に一つのまあいわば逃げ道を作ると申しますか、その間の合理化を図ろうといたしておるわけなんです。私はこういつた場合の外敵に対抗するという意図は、政府国内治安維持目的だというような説明によつていわば一方的に片付けられるものか、或いは法律案なりその他委員会の答弁などを総合して客観的に判断さるべきものかということが一つの問題だろうと思うのですが、この点についてのお考えを承わりたいと思います。
  44. 田中二郎

    参考人田中二郎君) 私は政府警察予備隊を作りました時から、又今度の保安庁法案を準備いたしました時にも、憲法とそれとの関係においてかなり疑問を持ちながら、併し現実の必要に押されて、或いは連合国側の要求に基き、更に今回も事実上にはそういう関係との関連においてこういう法案を出そうとしておりますので、その苦衷はよくわかりますが、そこに何としても説明の無理があるのじやないか。従つて政府の説明しておりますところがすつきりしない。常に無理な説明をしながら通り抜けようとしておるという感じがいたします。今おつしやいますような問題点も、そういう意味で説明上にいろいろ困難を来たした結果出てきたのではないかと思いますが、私自身としましては、実際問題として自衛上の見地から、或いは外からの攻撃に対して力を以て反撥するという場合があり得ますし、又それがどういう形で行われるかという問題、その時の情勢によつていろいろ違いましようが、憲法の趣旨とするところは、飽くまで自衛の名においても戦争という形のものはやらないという考え方であつて、ただ事実上正当防衛的な行動がとられるということはあるとしても、今の憲法の趣旨とするところは、自衛の名においても戦争をしない、こういう考え方でできておるものと考えなければならないのじやないか。従つて自衛の名においてでもここに軍隊に相当するものを設けるということになれば、それは違法になる。従つて専ら対内的な治安保持の見地から警察力を整備する。事実上にはそれが対外的な攻撃に向けられるということがあるとしても、若しそれが対外的なものを考慮して設けられるということになれば、憲法の趣旨とはすでに逸脱しておるというふうに見るべきではないか。少くとも憲法に謳つておる基本的な考え方というものはそういうところにあるのだろうと思う。従つて若し外の攻撃に対する一つの力を整えるという意味で、そこに或る程度の規定を設けて制度を整備するということになれば、それはやはり憲法改正の上で行わるべき問題だ。今度の保安庁法案なるものが実質的にはそういう方向に向つておるのではないか。それが隊員という点だけから申しますと、十一万或いは十一万何千というのでそう大した数ではないにしても、それに与えられる装備、或いはそれに投ぜられる予算、その予算内容の詳しい説明などは私は存じませんが、そういうものを総合してみますと、国内治安の見地からの必要という限度にはすでに達しておるのではないか。正直に言えばこの立案に当られたかたがたも、又国会において審議されるかたがたも、これは単に国内治安のためのものだというふうには考えられないのじやないか。それを最近の政治情勢で憲法の改正にまで持つて行くことが非常にむずかしいというような事情から、何とか説明できるような範囲でこれを適当に納めて行こうというような苦慮の現れではないかと思うのですが、率直に申しますと、誰もがやはり憲法の本来の趣旨、憲法の第九条だけの問題としてでなく、前文からすべてを総合してあの憲法規定が設けられた本来の趣旨からすれば、もうすでに従来の警察予備隊で限度に来ておるという考え方が率直な考え方ではないか、そう考えております。
  45. 三好始

    三好始君 もう一点お伺いいたしたいのでありますが、政府は外敵に予備隊或いは予定されておる保安隊が対抗しても、それは戦争ではないという説明をいたしておるのであります。私たちは常識的に言つて、そういう場合は自衛のための実質的な戦争だと理解しておるのでありますが、政府はどういう説明によつてそれを戦争でないと説明しようとしておるかと申しますと、外敵が侵入して来た場合に、専らこれに対抗するのは駐留軍であつて日本予備隊或いは保安隊は主体的な形で外敵に対抗するのでなくして、駐留軍に協力するに過ぎないのであるから、これはみずから戦争するのとは違うのだ、飽くまでも国内治安維持のための警察行動としてやるのであつて戦争でない、こういう説明をしておられるのでありますが、理論的にはこういう説明は成立たないと思うのでありますが、果してそういう理論が成立つ余地はあるのでしようか。
  46. 田中二郎

    参考人田中二郎君) それは、その戦争というものの考え方、殊に今後の新らしくできる国際社会における戦争というものの考え方の変遷に伴つて、いろいろ考え方も変つて来るだろうと思います。極端に申しますと、国際連合軍というのは、国際警察の一環に過ぎない。従つてその中に日本が加わわるというのも、ただ国際的な秩序維持するための国際警察の一環であつて警察権の発動としてするのは今までの要するに戦争じやないという説明までこれはすれば、一つの説明の仕方かも知れません。併し今までの普通の常識からいたしますと、やはりそうは言えないのではないか。駐留軍が戦争をするので、日本のほうは下働きをする、請負いで一部分を守るに過ぎないという説明は、何としてもこじつけの説明になるのではないか。やはりそれは国際連合軍の一環として一部署を担当して戦争をするということになる。仮に自衛戦争であれ、それは戦争にはなる。又それに備えた今の装備などが考えられ、又訓練などが考えられているのじやないか。従つて率直に申しますと、そういうものを作るべきかどうか。又そういうものを作り得るような憲法にするかどうかということは、国民全体の意向に聞いてきめるというのが憲法の本来の趣旨ではないか。そして現実にそういう事情が必要である。やはり国が軍隊を持つべきだ、或る意味ではそういう場合に何ら手段を持たないことは困るということが、政府が確信を持つていられるならば、そうしてそれがはつきりと国民に認識されるようにされるならば、それが必ずしも通らないわけではない。若しそれでも通らないということであるならば、やはり国民の意思に聞いて、それをやらないというのが民主的な憲法の精神ではないか。やはり一部の人が非常にその神経を尖らして、それを大いにやろうという行き方で来ることは、考え方としては非常に問題だと私は考えております。
  47. 三好始

    三好始君 憲法との関係においては、田中教授と私の考え方は大体完全に一致するものだと了解いたしましたが、必要性或いは内容の妥当性に関する部分では、お尋ねいたしたいような特別に不審に感じた点はありませんから、特に疑問の意味でお尋ねいたす点はありません。ただ治安維持基本的人権のいずれに重きをおくかというような観点から、基本的人権尊重する趣旨を明記すべきであつたというような点、或いは女子隊員を設けることが対国民との関係において適当なのではなかろうか、こういうような点も、若し保安庁性格は単純な国内治安の問題であるとすれば、私も同感なんでありますけれども、出発点において、恐らく立案者の趣旨も対国民を意図しておるというよりは、対外的な意図のほうが強いのではなかろうか、こういうふうに判断せられますので、基本的人権の問題、外敵に対して基本的人権尊重するということも考慮の余地がなかつたのだろうし、女子を採用して外敵に対抗するということも問題になり得なかつたので、こういうことは出て来なかつたものと私たちは了解いたしておるのでありますが、こういう御意見が恐らく前提の点で、田中教授が理解せられている保安庁性格、或いは一応政府の説明を基礎として、内容の問題を御批判されて、こういうことが出て来たのであろう。併し私たちは、一応政府の説明を伺い、今までの本会議、委員会の質疑応答を通じて性格がほぼ推定される状態にありましたので、こういうことは全然考えておらなかつた点なのであります。こういう二点を除いて、他の部分は非常に教えられるところが多く、参考になつたことを御礼を申上げる次第であります。
  48. 成瀬幡治

    ○成瀬幡治君 一点だけお伺いします。先ほど次田さんが申されましたように、戦力というものに対する常識が、戦争中におきましては、例えばB二九に竹槍を持つてつて戦力だという解釈が私はあつたと思います。最近は木村法務総裁の言葉を借りれば、一千億や二千億の予算を使うものは戦力ではない。或いは原子爆弾みたようなものを持たなければそれは戦力にならないのだというような、私は常識的ないろいろな動きはあると思いますけれども、ここであなたのお述べになりました一定の大きさとか力というようなものも、一つの判断の資料になると私は思いますが、ここに仮定といたしまして、例えば木銃で訓練を幾らでもしている。ところがこれに一定の武器とかそういうものをすぽつと持つて来れば、私は立派な戦力になると思うのです。従つて訓練の状態がどういうふうに行われているか。例えば科学兵器をここへ持つて来れば、直ぐそれが戦力になり得るのだというふうに私は解釈したいと思うのです。従つて訓練内容というようなものは、私は非常に重要なものだと思います。そこで久里浜のごとき、例えば幹部の養成所などの教授の仕方というものを見ていると、政府の答弁を聞けばそれは向うの人がやつている、関係の人がやつている。教科書というようなものも、英語の本を使つている。従つてここに資料を要求しましても出し得ないのだというような状態なんであります。ですから、そこから私は想像をして判断をすれば、誰が何と言つたつて、私は今の幹部養成のごとく、或いは今申しましたような観点に立つて私は訓練を行なわれておるとするならばやはり戦力ではないか、そういうふうに言つても差支ないのではないか。従つて憲法制定当時の考え方、或いは前文の問題、或いは九条の問題に照し合せまして、私はやはり治安目的がどうであろうとか何とかいうけれども、結局私はやはり憲法に違反したものである、こういうふうに断定をしたいと私は思うのですがね。非常に極端なことになるでしようか。その辺を一つお伺いしたいと思います。
  49. 田中二郎

    参考人田中二郎君) 現実にどういう訓練をしていますか、又どういう装備を持つておりますか、そういう点私は詳しくは存じませんが、これは私一個の考えと申しますよりは、我々の仲間でいろいろ論議をしました際にも、従来の警察予備隊と言えば、ぎりぎりのところ、戦力には該当しないという説明はつくのじやないか。或いは例えば治安状況などを考えてみましても、いろいろその面での武器その他も進歩しているということが想像される。それに対する対策を考えるという意味において、国家警察なり自治体警察の補充という意味予備隊は一応憲法でいう戦力には該当しないという説明はできるのではないか。併しやはりそれがマキシマムであつて、それ以上の人を殖やし、又装備を充実し、更にそれが予算面に現われて相当多くの予算が組まれることになつて来れば、それはもはや治安確保の見地からの警察力という限界を超えて戦力という段階に入つて来るのではないか、それが私どもの仲間の多くの人の意見だと思います。それがいいか悪いか、そういうことに持つて行くのがいいか悪いか、これは現在の社会情勢、政治情勢を判断してきめなくちやならない問題。併し若しそれが必要だというなら、然るべくそつちの方向に持つて行こう、国力と睨み合せてそつちの方向に持つて行こうという、最初のスタートとしてそれをそつちのほうに持つて行こうというなら、それはやはり成規の手続を経てやるべきことではないか。現在の治安状況、そして取締の対象になるものとの関連において考えて、現在の保安庁というものが戦力にならないという判断ができるのか。それとももうすでにその段階を踏み越えているという判断をすべきかはいろんな政治情勢なり、或いは治安状況などについて十分の材料をお持ちになつている国会議員のかたがたが十分に判断をなさつて下さればいいのではないか、そう思つております。私ども普通常識的に考えますところで、先ほども申しましたように、保安庁純然たる対内的な治安確保の見地から設けられているとは思いません。併し法律建前としてはまあそういうところに狙いがあり、又そういうものだと説明されています。としますと、それを一応受容れて、それが本当に必要な範囲内にとどまるか、客観的に必要な限度を超えているかという判断が、これを戦力と見るかどうかという岐れ目になるのじやないかと思います。
  50. 河井彌八

    委員長河井彌八君) 有難うございました。  次に村瀬直養君の御発言を願います。
  51. 村瀬直養

    参考人村瀬直養君) 本日は午前中から専門のかたがたから詳細のお話がありまして、又本件につきましては警備、それから殊に装備その他について技術的、専門的な知識を必要とすることが多いと思うので、私としては十分なお答えをすることが或いはできないのじやないかと考えまするが、一応簡単に私の考えておりまするところをお述べいたしたいと存じます。  先般委員長からお示しのありました問題のうち、第一問でありまするところの保安庁及び海上公安局設置憲法規定に違反することがないかどうかという問題でありまするが、これは結局保安隊とか警備隊というものが警察力であるか戦力であるか、午前中から問題になつておりました問題、換言すれば国内の治安維持の責に任ずることを目的とする組織であるか、或いは戦争のためにする組織であるか、これはまあ実質の問題と説明の問題と違うのかも知れませんが、そういう問題に帰着すると考えるのであります。これは申上げるまでもなく、警察力戦力というのは、その限界において非常に接近をいたしておりまして、或いはその境界を画するということは困難な場合があるかも知れませんが、本来この両者は目的が違つておりまするし、従つてその規模、装備等においておのずから違うところがある、かように考えられるのであります。で、これを申上げますまでもなく戦力という観念は、古今或いは東西を通じて一定不変というものではなくて、勿論その時代によつて又国によつて違うのでありまして、即ちそういうふうに時代又国によつておのずから判定を異にする可動的の観念であることは申すまでもないのであります。憲法第九条第二項の戦力というのは、勿論現在の戦争、現在の戦争を遂行するに適当するものでありまして、又我が国が置かれたその状況において戦力であるかどうかを判断すべきものであることは申すまでもありません。同様にその警察力についても同様な事情が存在するものと考えられるのであります。なお、これは余計なことかも知れませんが、憲法第九条第二項におきましては「陸海空軍その他の戦力」と、こうありまするが、この「その他の戦力」というのは、これはまあいろいろ議論があると思いまするが、私はやはり陸海空軍に近い力を有するもの、例えば形式は陸海空軍ではないけれども、実質上にはそういうような実質を持つておりまして、必要ある場合においては陸海空軍に転換することができる、こういうものを言うのではなかろうか。潜在戦力というのもこういうものを言うのではなかろうかと存ずるのであります。従つて、その戦力というものは、人的及び物的に総合せられておる力を言うものであつて、単純な武器のみの存在或いは兵器製造の事業能力というようなものは戦力保持と称すべきものではない、かように考えるのであります。で、かように申述べましたことによつて、只今問題となつておりまする保安隊及び警備隊戦力であるか警察力かということを考えてみますると、これはたびたび申されましたように法律の第四条によりますと、保安隊警備隊は、「わが国の平和と秩序維持し、人命及び財産を保護するため、特別の必要がある場合において行動する部隊」、かようになつております。申すまでもなく国民の生命、身体、財産の保護、公安の維持ということは警察の本来の責務でありまするから、まあ法律規定上は保安隊警備隊警察組織である、かように言い得ると思うのであります。尤も保安隊警備隊の規模、即ち人員であるとか装備というものは、私ども聞きまするところによりますと、相当強大なるものがありまする。法律規定の上は以上のようであるが、その実質は或いはその戦力に当るのではないかというような議論が生ずると思うのであります。事実保安隊警備隊の人員或いは装備は通常の警察以上に、通常の警察に必要な程度を超えるものがあるのではないかと考えるのであります。併しながら現在殊に今後の我が国内のいろいろな情勢を考えますると、或いはいろいろの方面から即ち国外から武器の供給を受けるとか、その他のいろいろの手段によつて相当大きな騒擾であるとか、或いは内乱の発生というようなことも考えられないのではなくて、こういう場合に対処するためにはおのずから一定の人員、装備は必要といたしまするから、かような人員、装備はやはり警察上の装備とは言えないのではないかと考えられるのであります。尤もこれは事実問題でございまして、我々のような事実に余り詳しくない者より、先ほどから申されておりますように、この事実をよく承知しております議員のかたがたのほうでこれは判定を要する問題であるかと存じますが、なお本法に規定しておりまする保安隊警備隊の人員、装備は非常に大きなものであるということは事実でありますが、併しながら実情を見ますと、今回の保安隊の人員というものは、すでに決定されておりますところの警察予備隊令の一部を改正する法律によつて、すでにもう確定された人員は少しも増員してない。これは午前に委員長からお話があつたようであります。又警備隊の人員について考えましても、すでに決定せられた海上保安庁法の一部を改正する法律によつて定まつている人員を増員していない。ただ公安局に極めて僅少の増員があるにとどまつているように見受けております。又装備の点につきましても、これに必要な予算は、先に予算審議の際に詳細に論議をせられまして、これに必要な費用の支出は予算の決定によつてすでに認められているというような状況であるのであります。従つて只今その保安庁設置法律というものについて、それが憲法に違反するかどうかということを論議すること、或いはややその所を得ないのではないかというような感じもいたすのであります。ただ軍隊と警察とはたびたび申しますように、極めて近接いたしておりまして、その境目は紙一重というような場合もあると思いますので、さように思うのでありますが、併し保安庁設置はこれは私どもから見ましても、諸般の事情に鑑みまして、警察力としては殆んど行くところまで行つているのではなかろうか、かように考えます。従つて今回の問題は、只今申しました通りであるといたしましても、更に人員を増加し装備を拡大するというような事態が起りまする、必要があります場合においては、これはその法制上の措置につきましても十分の考究を必要とするのではないか、かように考えているのであります。  次にお示しになりました第二問、第三問について申述べますと、我が国現在及び将来の治安の状況を見ますると非常に重大なものがあるということはたびたびお話に出たところであります。従つてこれに対応する目的を以て現在の警察予備隊海上警備隊とを統合して一体的の運営を図りますために、本法案に定めておりますような特別の行政機関を設置するということは、恐らくはこれは必要であるのではなかろうかと考えるのであります。従つて特別の行政機関を設ける必要があるといたしまして、果してこの法案に定めておりますような機構が適当であるかどうか、これは更に十分検討を要する問題でありまして、私ども短期間でこれを判断することはできない問題でありまするが、大体において本法案規定しておりますような強力な、又機動的な機構というものは機宜に適したものではないか、かように考えるのであります。又先ほど午前中から問題が出ておりました衆議院の改正案の問題でありまするが、これは私としては過去の軍人を幹部に、中心の部局に採用しないというような原案は趣旨としては適当であると思いまするが、これは願わくば運営としてやればいいのでありまして、法制として全部そういうものが採用できないというようにきめることは如何であろうか、かように考えるのであります。海上公安局の問題はこれはたびたび問題が出ましたのでありまするが、これは多少性質が違いますので別個の取扱をしておりまするものと考えまするし、所管の問題等はいろいろありまするが、組織としては大体適当なものではなかろうか、かように考えております。  極めて簡単でありまするが一言申上げます。
  52. 三好始

    三好始君 村瀬先生に憲法の点でお伺いいたしたいのでありますが、戦力の定義は、抽象的な戦力という言葉だけを考えますと、勿論それは仰せのように可動的なものであり、相対的なものだと考えられますけれども、実体法としての憲法規定されておる戦力の定義は、抽象的に戦力という文字だけを定義付ける場合に比べて、もつとその意義を確定できる性質のものではなかろうか、こういうように判断をするわけでございます。例えて申上げますと、第九条で言つておる戦力は、これは国家戦力という意図を持つて保持する場合にはいけないのだというはつきりした原則を一つ確立できないものだろうか。それは総体的な、或いは可動的な問題としての認定の問題ではなくして性格的に戦争に備えるという意図を以て設ける場合には、これは許されないという一つの原則は打立てることができるのではなかろうか、こういうように思うのですが、如何ですか。
  53. 村瀬直養

    参考人村瀬直養君) 可動的と申しましたのは、時代によつて戦力の幅が変るというだけのことでありまして、只今お話のように、或る一定の場合において戦力になるかならないかということは、やはりお話のように戦力として設定をするということが必要であり、又そういう場合には戦力になると思う。ただ今度は逆に戦力として設定しないでも、客観的にそれが例えば警察力として設定するとしても、実際において必要以上のものが設けられるというような場合においては、或いはそれは戦力になるのではなかろうかと、かように考えます。
  54. 三好始

    三好始君 そういたしますと、只今おつしやいましたお立場は、先ほどの田中教授のお立場と同じように了解いたすわけでございますが……。
  55. 村瀬直養

    参考人村瀬直養君) 大体さようでございます。
  56. 三好始

    三好始君 それでは現在の政府の言明しておるところに基いて、やはり田中教授にお尋ねしたのと同じことをお伺いいたすわけでありますが、戦争に備えるというのが本来の意図でなくして、本来は国内治安維持に任ずるのが意図であるといたしましても、一旦外敵が侵入して来た場合には対抗するのだと、こういう場合にどういう関係になりましようか。
  57. 村瀬直養

    参考人村瀬直養君) 先ほどもお話がございましたが、外敵が侵入した場合に対抗するという場合は二つあると思うのでございます。一つは、本来国内に対抗するために設けるのだが、場合によつて外敵が侵入の場合にも備えるというような目的を持つておつた場合と、そうでなしに純然たる国内のために設けられておつて、たまたま外敵が侵入して来た場合にただ黙つておつたらよいか、その場合にも戦うかどうかという場合と違うのではないか。前者の場合であれば、それが仮に小さい部分を占めておるのかも知れませんが、やはり目的があればそれは戦力になるんじやないか。併しながら全然そういう目的がなくて、たまたま外敵が入つて来た場合にこれは個人でも戦う場合がありましようし、その場合に警察でも戦う場合がある、そういう場合があるからといつてそれが戦力になるということはどうかと私は思いますが……。
  58. 三好始

    三好始君 大体先ほどの田中教授の御見解と同じように了解いたしたわけでありますが、もう一点同じようなお尋ねをいたしたいのですが、外敵が侵入して来た場合に主体的に戦うのは駐留軍であつて保安隊は主体的には戦わないで、ただ駐留軍に協力するに過ぎないんだと、こういう説明によつて保安隊行動憲法第九条後段で否認されておる交戦権或いは行動としての交戦でないという説明が果してできるかどうかという問題なんであります。これは如何でございますか。
  59. 村瀬直養

    参考人村瀬直養君) 主体的にという問題でございまするが、これも初めから日本の力が主体的に働くというのでなくても、初めから例えば外国軍隊と一緒にやつて行く、それに協力してやつて行くという目的があると、それはやはり戦力になるんじやないかという感じがいたします。併しながらそういう目的がなくて、現実純然たる国内の目的というか、事態に応じていろいろ活動いたしますから、そういう場合はこれは別じやないかという意味で同じ問題じやないかと思いますが……。
  60. 成瀬幡治

    ○成瀬幡治君 少し問題が逸れるかも知れませんが、ちよつとお尋ねしたいのですが、先ほど治安関係の問題で、それとこの法案といろいろな関係があるとか、或いは破防法の問題とも関係があるというような話をちよつと聞いたんですが、戦争にずつと日本がなつて来たようなこととからみ合つて、私はそういつた点で何か又やはり何かの方向に一つ行くんじやないかというような非常に心配を実は持つているわけです。どちらにしましても独裁的な形式がとられて行くのじやないかということを非常に心配しているのです。そういう場合が、例えばこの保安庁機構であるとか、或いは破防法といつたようなものが私はそういう方向に追いやるような何か一つ関連したような関係があつて非常に心配しているのです。そういう立場に立つて、曾つて法制局長官をやられて政府に非常に重大な影響力を持つておられたおかたでございますから、そういうものに対してあなたがそういう立場で、これも憲法に違反するとかどうとか言うのじやなくて、こういうものが本当に必要であつて、これが日本の将来というものをどういう方向に……私は或る一つの方向付けるものだと思いますが、そういう立場において国を誤るような実は心配をしている人があると思います。私も実はその一人なんですが、そういう点についてどういうふうにお考えになつておるか、御意見を伺いたいと思います。
  61. 村瀬直養

    参考人村瀬直養君) それはこの保安庁自体がどつちに行くということをすぐに言うわけには行かないと思いますので、確かにこれがうまく活用されれば本来の目的を達成するし、又場合によつては先ほどいろいろお話があつたようにこれを転機として非常に悪用されるということもものによつてはあり得るかと思うのでございますね。それらは併し結局運用の問題になると思うのですが、保安庁法自体がどうこうという問題じやないのじやないかと思いますが、これはやはりその運用の問題、それから政治家がやはり賢明な判断と賢明な裁量でやつて行くということになるんじやないかと思います。非常に抽象的な問題になりますけれども……。
  62. 河井彌八

    委員長河井彌八君) 他に御質疑がありませんか。それではこの程度にとどめますが、私は内閣委員会を代表いたしまして、本日御繁忙のところをわざわざこちらにおいで下さいまして有益な御意見を拝聴させて頂きましたことを厚くお礼を申上げます。保安庁法案海上公安局法案審議につきまして御発表頂きました御意見は非常な参考になるものと考えましてお礼を申上げる次第であります。誠に有難うございます。  内閣委員諸君に申します。約三十分間休憩いたします。三時半から開会いたします。    午後二時五十七分休憩    —————・—————    午後三時四十八分開会
  63. 河井彌八

    委員長河井彌八君) これより休憩前に引続いて内閣委員会を開会いたします。  大蔵省設置法の一部を改正する法律案及び大蔵省設置法の一部を改正する法律等の施行に伴う関係法令の整理に関する法律案を議題といたします。
  64. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 ちよつと、議事進行についてでありますが、非常に法律が大きいですから、先ずどちらか一つを先にやつて頂きたいのですが、設置法の一部改正かどちらでもいいですが、恐らく設置法の一部改正を先にやつたほうがいいのじやないかと思いますが……。
  65. 河井彌八

    委員長河井彌八君) 波多野君に申上げます。さように取計らつてよろしいと思います。併し関連事項もありましようから、主として設置法の一部改正を審議することにいたしまして、それらの点に触れることは差支えないと思いますから、さよう取計らいます。御質疑があれば御発言願います。
  66. 栗栖赳夫

    栗栖赳夫君 それじや一つ委員のかたも大臣も座つてなごやかに答えて頂きたいと思います。一番初めは外国為替に関する問題でありますが、この為替政策というものは、過去一年におきまして日本はだんだん迫詰められた問題でありまして、重大な問題であると思います。それを担当せられるお役所としては、非常に重大な問題だと、見方によつてはこの中の一番大きい問題だと思うのであります。幸いに大蔵大臣及び木内委員長がおいでになりますから、一つ双方から御意見を伺いたいと思う次第であります。先ずこの外為委員会の問題でありますが、外為委員会を大蔵省の中に持つて行かれるか、或いは外に置いておかれるかという問題であります。私も為替の関係の若干仕事もしましたし、大蔵省にもいささか勤めておつたことがございますので、双方にいろいろ事情があると思いますが、先ずどちらがいいかということを我々ここで公平に判断をしてみたいと思いますので、大蔵大臣から、これをこういうように中に持つて来ることにされたにつきましての理由を承わりたいと思います。
  67. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) この外国為替管理というものは、本来は大蔵省で取扱うのが常則でございます。外国の例を見ましても、大蔵大臣がこの管理に当つておるのが大部分の場合でございます。今の西ドイツの場合はちよつとわかりませんが、多分大蔵大臣或いは中央銀行でやつておる、イギリス、フランス、ベルギー、カナダ、外国為替管理をしておるものは全部大蔵大臣の監督下に置きまして、大蔵大臣の責任において、或いは事務的のものは中央銀行が取扱うとか、或いは為替委員会を設けるとしましても、やはり大蔵大臣の監督の下にあるのが常則でございます。然るところ、日本ではなぜ外国為替管理委員会というものを国内並びに国際関係におきまして、通貨の安定に対する責任を持つ大蔵大臣の下に置かれなかつたかという理由考えてみますと、御承知の通り、敗戦後におきましては、外国貿易というものはスキヤツプの管理に属しておりまして、そうして出入りの勘定は全部スキヤツプがやつておつた。従いまして、その出店として日本に特別の機関を設けたほうがいいというので、中立的の臨時的のものを設けたわけであります。その後貿易が日本政府に委ねられ、日本政府責任においてこの外貨の預入れ、その他ができるようになつたとき、昨年の春でございましたか、夏でございましたか、この機構については日本政府に任す、こういう話があつたのであります。そこで我々は常態に復する上においても大蔵大臣の監督の下に置くのが適当だという主張をし、或いは外為委員会のほうでは今まで通りにやるのがいいのだと、こういう主張がありましたが、日本銀行総裁も入れて相談の結果、内閣におきましては、大蔵大臣の下に三人委員会を作つて、そうして為替委員会は置いておくが、相談してやろうとこういうことになりまして、大蔵省の関係が強くなつて来たのであります。而して、今のように独立いたしまして、スキヤツプの関係もなくなつた場合におきましては、行政事務の簡素化と言い、又責任の所在をはつきりする意味から言つても、大蔵大臣の下に為替局を置いて、そうして事務的なことは日本銀行に任して行くのが適当な方法である、こういうので、慎重審議の結果こういう案にいたしたのであります。
  68. 栗栖赳夫

    栗栖赳夫君 まあ安本その他というものが非常に機構が変りますので、新らしい機構の下において、そのスタツフ、或いは実務というものがすべて大蔵省で行われる、こういう考えの下にお答えになつたのじやないかと思うのでありますが、その点は、この為替局というものを設けられ、日銀についてどういうふうな仕事をさせるかということを一応御説明を承わりたいと思います。
  69. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) 事務的なことでございますから、事務当局のほうからお答えいたさせます。
  70. 石田正

    政府委員(石田正君) お尋ねの点は、仮にこの改正がありました場合に、どういうスタツフを以て外国為替の問題に当るかということであろうかと思うのであります。この点につきましては、大蔵省に為替局を作りまして、それが大蔵大臣の下におきまして為替に関するところの事務を所掌するようにいたします。これは適当に分課をすることになろうかと思います。又、その下に係ができることに相成ります。それから日本銀行には実務を相当広範囲に委譲いたしまして、そうして実務的な方面は日本銀行が当るということになろうかと思うのでございます。なお日本銀行のほうの構成でございますが、これは日本銀行のほうで考えておりまするので、我々のほうとしてどういう構成をとるかということを指示するというのは筋違いかと思うのでありますが、現状を以ていたしまするならば、日本銀行には現在のところ局が二つございます。外国為替局とそれから為替管理局というふうに二つに分れておりまして、これは相当現在におきましても大きなスタツフを持つて為替関係事務を所掌いたしておるわけでございます。大体この人数は、我々の承知いたしておりまするところでは、この二つの局を合せまして実際の人員は五百名を超える者が現に事務に当つておるというような状況でございまして、これらの人たちは、機構改正がありました場合にも、当然従来外国為替管理委員会の下におきまして事務をされておつたのと同じような意味におきまして、大蔵省の下におきまして委任事務を取扱うということに相成ろうかと思つております。
  71. 栗栖赳夫

    栗栖赳夫君 そういたしますと、為替というものは、私ども若い頃は正金さんが主にやられる、エキスパート・ビジネスであつたわけですが、人事についても、大蔵省の局長とか、その他についても十分そういうようなエキスパートを配して遺漏ないようにやろうと、こういうお考えでございますか。
  72. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) さようでございます。
  73. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 ちよつと関連して、今の説明でちよつと補足して頂きたいのは、外国為替管理委員会の設置法で管理委員会の権限が第四条として出ているのですね。この第四条で権限として規定されておること、それからもう一つ、所掌事務として第三条に規定されておるあれがありますね、これはどんなふうに今度できる為替局ではやり、どの事務を日銀でやるといつたような説明をちよつと補足して頂きたい、設置法に基いて……。
  74. 石田正

    政府委員(石田正君) 設置法で今お話がありました点は、大体六つの条項が挙つておると思うわけであります。この中で一つの点は、外国為替取引に関するところの問題と、それから外国為替取引に関連する外国貿易の取引の手続につきまして必要な調整を行うということに相成つておるわけでございまして、これは要するに為替と貿易関係との手続の調整ということに相成ろうかと思うのでございます。而も、これは外国貿易自体と直接に外国為替取引との調整を行うというのではなくして、外国為替に関連するところの外国貿易取引との調整を行うということになるわけでございます。この点は当然大蔵省に帰属すると思います。それから第二の外国為替特別会計の運営でございますが、これも改正の結果当然大蔵省に入ることに相成ろうと思います。それから第三の外貨予算につきまして、その定められた原則及び条件がうまく守られるように確保するという点でございますが、これは外貨予算につきましては、貿易関係につきましては通商産業省、それから貿易外につきましては大蔵省ということに相成りまして、それぞれ責任を分担いたしまして、そうして予算の調整をいたす、それを今度は大蔵省が総括的に準備をいたしまして閣僚審議会に付議して決定して行く、こういう手続になるわけでございますが、これらにつきましては、何と申しますか、通商産業省といたしましても、それから大蔵省といたしましても、その予算の運営上第三者的な機関から掣肘を受ける、或いは干渉を受けるということでなく、みずからそれに気を付けてその定められた限度及び条件でやるということは勿論でありまするし、それから又それにつきまして若し守られないような虞れがあります場合に、それの遵守を確保いたすという責任は当然大蔵省に入つて来ると思います。それから第四の外国為替及び外国貿易……
  75. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 外国為替管理委員会の設置法を基にして一つ説明して下さい。
  76. 石田正

    政府委員(石田正君) 設置法の所掌事務の三条のほうを申しております。
  77. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 今の四が抜けたじやないですか。
  78. 石田正

    政府委員(石田正君) 四のところは「関係行政機関の用に供するため、外国為替及び外国貿易に関する取引について完全な記録を保持する」、とこういうことでございます。この点につきましては、大体の事務日本銀行に委ねることが適当ではないだろうかと考えておる次第でございます。それから第五の「外国為替取引の数量及び内容並びに国民経済の復興に及ぼす効果に関する報告を、定期的に、内閣総理大臣に提出する」という問題でありますが、この点は新らしい設置法には別段規定がございません。併し必要でありまするならば、これは日本銀行におきましていろいろ実務的に数字を調査いたしましたことに基きまして、大蔵省が適当な報告を作るということに相成ろうかと思うのでございます。それから第六の「外国為替に関する政策について、内閣総理大臣及び関係行政機関に勧告すること。」、この点はどこが執務ということでなしに、当然大蔵省が外国為替の全責任を負つてやるということに相成りまするので、これに該当するような勧告というようなことは行われなくなる、かように考える次第でございます。なお権限の問題につきましては、これはいろいろと規定がございまして、一から十二までございますが、大体所掌事務等を逐いまして細別いたしました点が多いのでございまして、この点に関連いたしまして、この中で目立ちまする点は、対外取引の決済条件を定めるという点がございます。これは十一にあるのでございまするが、それから更にその前でございまするが、九の所に外国為替特別会計に対するところの外貨資金の集中に関する手続を定めるという点がございます。この点はやはり大蔵省に引継がれるのであります。ただこのうち実務的な問題につきましては、日本銀行の意見聴取を行うことが多いかとかように考えておる次第であります。
  79. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 第四条の権限の中で、支出負担行為だとか、収入金を徴収し云々というようなことは、これは全部大蔵大臣でしよう。
  80. 石田正

    政府委員(石田正君) これは先ほど説明いたしました第三条の二にございます「外国為替資金特別会計を運営する」ということに当然伴いまして、その細分と申しますか、細かい点が規定されておるものと、かように考えております。
  81. 栗栖赳夫

    栗栖赳夫君 それでこの外貨予算が作られ、そうして各省からも貿易関係とか、或いは貿易外の収入その他について集まつて来ることを、もう少し詳しく御説明願います。
  82. 石田正

    政府委員(石田正君) 現在安定本部が外国為替資金編成の準備をいたしておるわけでございます。その実情は、貿易関係につきましては、これは大体通商産業省が主となります。それからそのほか農林省でありますとか、或いは運輸省その他のいわゆる運営に関係ありますところの省からそれぞれ要求がございまして、これはまあ通商産業省が主となりましていろいろ取りまとめをする、その間におきまして経済安定本部が統轄いたしておるという形になつております。それから貿易外の関係につきましては、大蔵省が作る責任を現在でも負わされておるのでありまして、そういうようなものを一々一般民間及び関係省から連絡がございましたものを審査いたしまして、そして議案を作りまして経済安定本部へ持ち込みます。そうして経済安定本部で両者を合せましてきめるというのが現実の実態になつております。今度変りまするところの点は、それを経済安定本部へ持ち込まずに、通商産業省でまとまりましたものを大蔵省に持つて行く、大蔵省は自分で作りまして、それを調整いたしまして、そうして閣僚審議会に出しまして、そうしてそこで御決定を願う、こういう手続になるわけでございます。
  83. 栗栖赳夫

    栗栖赳夫君 それから為替銀行の問題でありますが、政府で或いは他に強力な為替銀行を作られるような意図があるかどうかということはを一つ伺いたい。
  84. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) 明治の頃から、御承知の通り正金銀行が中心になつて為替取引をやつておりました。大正の中頃から昭和にかけて民間銀行も相当な仕事をするようになりました。併し、何と申しましても正金中心という状態でございます。終戦後為替業務を一般銀行に取扱わせますにつきましては、昔のように正金中心ということでなしに、民間銀行に一つ為替業務をやらしたらどうかというので、為替業務を十二銀行認めております。今までに実績のあるところ等を勘案して認めております。今後は昔のように正金銀行一本ということでなしに、民間銀行でフリーにやらせる。只今十二認めておりますが、取扱の大体二割程度は東京銀行がやつております。その次、二番目が一割、三番目も一割くらいになりますか、こういう状況でございまして、十二の為替銀行の取扱の分量も非常に多い少いがございます。そこで平和回復後この為替業務というものの拡大強化を図らなければならん、従つて外国銀行を通してやるということは将来を考えますと余りいいことではございません。できるだけ早く支店の設置を見たい、こういう気持でおります。併し支店を設けるにつきましてもなかなかいろいろの問題がございますので、前から、前支店を持つておつた銀行につきまして出張員を取りあえず出そうというので、今五銀行か六銀行かにロンドン、ニユーヨーク、こういうふうに出張所を出すことにいたしまして、今後におきましても東南アジアの関係もございますから、今認めている五、六の銀行以外にも東南アジアのほうにも要望によりまして出張員の派遣を認めよう、こういう考えでございます。
  85. 栗栖赳夫

    栗栖赳夫君 今大臣は外国銀行にも話が及んだようでございまして、その点でも一つ今後問題をお尋ねしておかなければならんと思うのですが、勿論外国人も日本人の銀行と同じように日本において同じ機会において営業するということは勿論問題ないところでありますけれども、併し昭和七年のあの資本逃避防止法ができたその前のフリーなマーケツトの時代におきましても政府は正金その他について随分日本の為替相場の維持その他というものに努力をされたのでありますが、又それでなければ維持ができなかつた場合がしばしばあつたのでありますが今後外国の為替銀行が入つて来ますと或いはこの為替上の位置その他をこういうものによつてコントロールされるような虞れはないか、そのためには特殊の従来のような為替銀行はお作りにならんにしても、日本の為替銀行を育成をしてこれに必要があれば立向つて行かすと、こういうふうなお考えがあるかどうか、これを一つ承わりたいと思います。
  86. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) この為替管理をやつていない場合におきましては栗栖委員のおつしやる通りに実力が非常にものを言います。併し今は為替管理をやつておりますので大体において抑えられますが、併し何としても今までの状態で放つて置くわけには行きません。為替管理をしているときにおきましてできるだけ日本の為替銀行を強くしよう、こういうことで先般来外貨の貸付も為替銀行がしよう、それから御承知の通り昔は日歩二厘で二千万円まで日本銀行から正金に出して、それを超えて要るときにはだんだん金利を上げて正金に円資金を出す、こういうことも昔やつておつた、その通りに行きますか、特定の銀行をきめるということは先ほど申上げたような状態でちよつとむずかしいと思いますが、外貨の貸付その他につきましていろいろの方策を講じて急速に為替銀行の拡大強化を図りたい、こういう方針でおります。
  87. 栗栖赳夫

    栗栖赳夫君 そういうような面において大蔵省は銀行自体を監督しておられるわけでありますが、この為替に関する外為の業務が大蔵省へ移つた場合と移らん場合においてどちらが便利であるかどうか、将来のそういう為替政策上どつちに重点を置くべきであるかというような点についてお尋ねいたしたいと思います。
  88. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) これは国内の円資金、通貨の価値、これは国際的の通貨の価値ともう表裏一体をなしております。先ほど申上げましたように通貨価値の維持ということは大蔵大臣の一番の使命でございます。而うして国内通貨価値の維持ということは為替管理をやつているときにおきましても国際的の視野から立たなければならないのであります。今のように外貨の溜まつているときに外貨を如何に使おうかというような問題は私は国内金融その他につきまして責任を持つている大蔵大臣がやるべきことである、で今後もその方針で行くべきであるという考え設置法の改正を図ろうとしているのであります。
  89. 栗栖赳夫

    栗栖赳夫君 実はそういう点については通産大臣、安本長官の御意見も承わりたいと思うのでありますが、ここにおいでになりませんので今まで私が尋ねたような点について木内委員長から一つ意見があろうと思いますから、先ず承わりたいと思います。
  90. 木内信胤

    説明員(木内信胤君) いろいろお尋ねがありましたので必ずしも全部覚えているかどうかわかりませんが、最初のお尋ねの委員会が大蔵省の内か外かとおつしやいましたのは、つまり委員会をなくして大蔵省為替局にするというのが内だということでありましようが、そうすることについてどうか、私どもはそれはよくないと思つておりますことは衆議院のお求めによりまして提出しました意見書、多分昨日御要求がありましたからお届けしましたが皆さんに渡つているのでございましようか。それに書いて置きましたから御覧下すつたものと思いますが、そのような理由で内へ持つて行くことは今の場合特によくないと考えているわけであります。それに関連して……。
  91. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 ちよつと頂きましたけれども、今頂いたので読むひまがありませんからその内容をついでにお話願いたいと思います。
  92. 河井彌八

    委員長河井彌八君) それでは委員長から簡単に御説明願いたいと思います。
  93. 木内信胤

    説明員(木内信胤君) それでは私どもが今度の機構改革に反対であると申上げる理由を簡単に説明して、次いで、それではどうしたらいいと為替委員会が思つているのかということを申上げたわけなんです。今の機構を改正するのは悪いということは第一に根本的に申しますと、今の機構というものは誰が仕事をするかという通常権限と考えられていること以上のものを今の機構には含んでいる。これにはものの見方が取入れられておる。それがまあ化体しているとこう考えられるのです。その見方と申しますのは、第一は為替管理というものは貿易管理と一体的に構想され運営されなければならないという考え方は、これはとかく前の為替管理にはなかつたことであります。今度の改革はどういうことであるか、私もそれは十分全貌は知らないのでありますが、伺つておりますと、この原則はやはり捨てられることになりそうに思われます。第二の原則は、その貿易管理と一体的に構想され運営されねばならない為替管理というものは一省一局の専管事項とするには余りにも複雑多岐な問題であるという認識であります。従いまして現在の機構は為替管理、これに一体と考えるから一層でありますが、それをいろいろな政府機関において分担するのだとこういう考え方に立つておる。これは多分日本にとつては新らしい考え方であると思います。従いましてなかなかこれを消化するのに時間もとつたことでありますが、分担する以上はこれを総合調整しなければならないということが必然的に出て来ます。事務を分担しそれを総合調整するという機構が出て来るのであります。これはいいことであると私どもは考える。それから第三の原則は、およそ権限というものは余りに多く一人の手に集中すべきものではないという考え方であつて、これはいわゆる民主主義政治というもののいわゆるチエツク・アンド・バランスと通常言われるあの思想であります。これは第二の原則である為替の管理というものは複雑多岐なる仕事であるから分担するという原則を立てればおのずから達成されるようなことではありますが、現機構の中にそういう思想が動いておることは疑いないことと思います。  第四の原則は、為替管理は、かような理由に基き大勢の手でやることで、多数の機構でやることでありますが、その中心的な機構には、少くともその中心的機構責任者には、これは専門家を当てるべきものだという認識であります。第五には、為替管理は言うまでもなく政府事務であります行政事務ではありますが、これはいわゆる政治から或る程度独立しているほうが望ましい。ときに政府の意向、まあ選挙が近いというようなこともありますが、とかく左右されがちになるものでありますが、これは国際信用維持の上に非常に大事なことでありますから、成るべくそのうちの或るものは政府から別途に独立しているほうがいいと考えられます。これがいわゆる責任の分担が明らかでないということが起つて来るゆえんでありますが、従つてこれは実行に移すことがむずかしい原則ではありますが、これはいい原則であると思うのであります。この五つは、有機的に組み合つた原則でありますが、この原則というものはやはりいいことである。実施は非常にむずかしいです。確かにむずかしいですが、いいことであるので、これを保存し発達させるべきであるにかかわらず、今度の改革は、まさに元に戻つてこれらを殆んど全部捨て去ることになると考えます。それを惜しむのです。この点は敷衍行すれば限りなくあることでありますが、省略いたしまして、なおこの意見書で申しますと、七頁でありますが、二番目にこの点は時期方法共によろしくない。だから改革はまずいと思うわけであります。時期と申しますのは、日本が独立して初めて一人立ちをするのであります。この現在の機構を、実は司令部が、大蔵大臣と所見を異にするもので、司令部自体に必要だからできたものではない。司令部は世界的に承認されたいい原則であるというように考え、将来に末長くやつて欲しいものであると、このように苦心して育てたものであります。それを占領が終る途端に掌を返すごとくやめてしまうことは、時宜を得ていない。然るに現に新発足の日本はどうなるかということが注目されておる。国際信用上非常に慎重なる態勢を要するときに、これを軽々と動かすことはよろしくないと思います。この前、衆議院で……こちらの委員会で大蔵省の理財局長の御説明に、為替管理というものはだんだん簡単に簡素化されて行く、管理はだんだん緩やかになつて行くのだから大したことはないという御説明があつたと記憶しますが、国際情勢はなかなか緊迫しております。今の日本の外貨事情こそ割合に潤沢でありますが、為替管理というような仕事はますますこれからむずかしくなり、非常に注意しなくちやならんのが今の時期だと思います。にかかわらず、この改革をするというのはどんなものだろうか、おもしろくないのではないかと考えます。それが時期の問題でありますが、方法の問題は、今度私どもは実は当惑しておる。国際信用上由々しき問題になるだろうと心配しておるのであります。なぜ改革するのだという理由が天下に明らかにされて、見解の相違というものは仕方ございませんが、併し或る一種の見解に基いて十分な研究がなされ、それが天下に公表されて内外の納得を得るという手順を踏んで改革がなされたならば、それほど心配ないのでありますが、そる手順が、今度は遺憾ながら踏まれていないのでありまして、私どもも新機構内容をこの席で初めて承わつたような次第になつておりますし、私どもとしては私どもの見解は十分に披瀝する機会はなかつたのであります。世間としてもいつの間にかなくなるというふうなことになることでありますが、これは甚だよくない行き方だと思います。それらの理由が、時期及び方法共によろしくないということ、内容的には現機構に含まれている原則とも申すべき大きな見方というものは、それが悪いことならばなくなることが結構でありますが、多分いいことであると思われるのになくなる、これが反対理由であります。そこで外為委としてはどうして欲しいかということに対しては、私どもも現機構を必ずしも百%いいとは思つておりません。昔の為替管理よりはいいと思つておりますが、改良の余地も多々ありますし、運営上の困難もあります。いろいろありますので、取りあえず先ず中立なる第三者の、立場を問わず十分に知識・見識をお持ちのかた二、三名にでも委員会を作つて頂いて、それで十分に客観的研究をして頂きたい。特に私どもは責任者として三カ年やつて参りましたから、果してそれがよかつたのか悪かつたのか、私はみずから爼上に上つて熾烈なる御批判を仰いで見たいと心から思うのであります。ですから、殊に現機構から来たよしあしというものを客観的に十分分析して、然る後にその調査委員会において調書を作成し、我々の言うところを完全に記録し、それを比較検討して一つの案を作つて政府に報告してもらう。政府はそれを天下にお流しになつて、内外の反響というものを聞いて、それによつて新らしく真の決心をなさつて決して遅くないし、そのくらいにしなければならん問題だと思うのであります。私どもはそうして頂きたい。殊にこの問題は、これから外国との比較の問題をお答えしなければなりませんが、外国の制度等を見ますと、中央銀行の独立性ということと密着した問題であると思います。日本におきましては、その問題がまだ必ずしも解決しておりませんし、ポリシイ・ボード廃止云々ということも伝えられます。又これを拡充すべきであるという点もあると思いますが、その問題をよそにしては決しがたい問題であると思います。それらとも兼ねて、関連事項として、只今為替銀行の操作の問題もありましたが、これも密接に関係するものであります。関連事項が多いと思うのでありますが、それらの関連において御研究の上、そういういきさつ、或いは意見発表の機会も与えられ外国人もそれを見る、而うして新機構に移るというようなことにして頂いたらいいと思う。我々がどうしたらいいということはそのときに申上げたい。私どもも国会の席上でこうと申すことはむずかしいのであります。まあそんなふうに考えておるのであります。それがこの意見書の大要であります。
  94. 三好始

    三好始君 只今伺つて見ますと、こういう重大な機構改革を立案し国会に提出するに当つて関係者の間で何にも話合いができておらない印象を受けたのでありますが、行政管理庁と大蔵省当局のほうでは、外国為替管理委員会と何らの話合いをしないでこういう機構改革案を出したのでしようか、そのことを伺いたいと思います。
  95. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) この外国為替管理委員会のあり方或いは今後の問題ということについては、先ほどもちよつと触れましたが、昨年の春、夏頃から非常に議論した問題でございまして、議論の結果が大蔵大臣、一万田日銀総裁、木内委員長、この三人で集まつて、運営その他について考えようというので、昨年の夏頃からやつて来た問題であります。それからこの外国為替管理委員会廃止の問題につきましては、野田行政管理庁長官が相当研究され、又事務的にも話をし、それから木内君も一回乃至二回は総理大臣に意見も言われ、総理大臣からいろいろな意見もあつた次第でありますし、それから野田君も数回に亙つて総理大臣に意見を具申し、閣議で慎重審議して来たのであります。私は木内君が総理大臣のところへ行つてお話しになつたことも早くから聞いております。相当事務的にも話をしたのであります。これは二、三年……三年前からできたのですが、一昨年から去年にかけて非常に議論のあつたところで、事務当局につきましてもやはり議論があつたのであります。又繰返すようですが、外国為替管理委員会についての三人委員会ができるまでも、相当議論のあつた問題でございます。
  96. 栗栖赳夫

    栗栖赳夫君 ちよつと議事進行ですが、重ねて私申上げたいと思います。木内委員長にもう一言お尋ねをしまして、その後、この問題は非常に大事な問題でございますので、丁度大蔵大臣と外為委員長にこうして来て頂くということもなかなか機械が少うございますから、私もう一つ木内委員長に質問をさして頂いて、あと皆様からのこの問題に集中してお尋ねを願うことにする。そのほかの大蔵省の問題は、そのあとに譲るというふうにしたらどうかと思うのでございます。
  97. 河井彌八

    委員長河井彌八君) よろしうございます。
  98. 栗栖赳夫

    栗栖赳夫君 私は、やはり行政は簡素化されねばならんということ。それから、一面においては為替問題は非常に大事な問題だと思うのでありますが、そこで総理大臣直属の一つ委員会と別に大蔵省がありまして、その間に意見が割れるとか、重大問題について、割れなくても意見がまとまらんというような問題が仮にあつた場合においては、これは大問題だと思いますので、その辺についての委員長がまあ今日までいろいろ苦心もされていると思いますが、今後も若し外に置くとすれば、どういうような持つて行き方をして円満に運ぶべきかということを考えておいでになるか、腹蔵のないところを一つお話願いたいと思います。
  99. 木内信胤

    説明員(木内信胤君) それを簡単に申上げることができますれば……為替機構はどうあるべきかというような調査委員会でもお開き下さつて、十分に申上げたいということのエツセンスを申上げることになるので、短い言葉で言えと言われますことは甚だ辛いのでありますが、まあ併し言つて見ますれば、現機構は、今も大蔵大臣からお話がありました通り、三年越し何となく大蔵省とは争いを続けて来た。これは隠れもない事実でありますから正直に申しますが、つまり現機構の私の言ういわゆる五大原則というものを、大蔵大臣は真つ向から御否定であります。でありますから、その機構はその点において紛争が絶えないのは当然であります。ところが大蔵大臣のお考えは、まあ私は古い考えだと思いますが、これも一つ考え方であつて、現機構に確かに不便があるのです、一つの原因だと思います。従いましてこれはどちらがいいか、日本の国情に照してどちらがいいか、又世界の現状に照してどちらがいいかという判断の問題になる。正邪という問題では勿論ありません。従いまして私どもが考えますことは、現機構に含まれた精神を発展させるという機構を打建てるならば、すべからくそれを政府国民も納得の上でやつて頂きたい。今のように中途半端であるならば、これは必ずしもいいことばかりではないので、そこに重大な疑問があると思います。従いまして、この五大原則の適否、いいか悪いかは、根本的な議論が必要だと思います。それがいいときまつた上において打建てられるべき機構は、現在よりはもう少し割切つて頂きたいと思います。一番の問題は、政治責任を私どもは負担しない、これは身分保証を得ております。身分保証を得ておるのに、日本の国際信用に関係あるようなことに関して、政治的影響から独立であれというために身分保証が与えられておるのですが、身分保証を頂きます結果として、いわゆる政治責任というものには参与できない、こういうことになるのであります。そういう短所があるということが大蔵省で如何にも何か邪魔のようにお感じになるということになるゆえんであります。ここのところを割切ることが必要なんです。政治から独立であれかしと願われる部分は何であるかというと、私は国際信用そのものに関する重大なることが一つ。技術の末端であります。どういう方式で政府政治目的を達成するかは専門家に任して下さつていいことだと思います。それを、殆んど非専門家の管掌でやることは余り好ましくない。従いまして政治から独立であれという限界を明確にして、機構をもう一遍こしらえ直して行くということになります。もう一つは、今度この改革が、私どもは余り御相談を受けずにここに来たということになりますが、これはやはり事実であります。それに関しては、私どもは閣議に出る資格がありませんので、この廃止にきまりました閣議でも、どういう討議があつたか存じません。併しながら為替管理、私どもの位置は相当重大な仕事でありますから、私どもに関係した事項に対しては、少くとも閣議において説明ができるといつたような位置が与えられるというようなことが改革の骨子になると思います。大体そういうようなことを私として取入れて、それですつきりした機構に組直して見れば、いわゆる複雑であるという非難はそう当らない。かなりすつきりした、素人が外から見てもわかりいい機構を作られると思います。そのラインに沿つて改革して行けたらいいじやないかと思います。
  100. 栗栖赳夫

    栗栖赳夫君 為替銀行でも、銀行業務にエキスパート・ビジネスですか、それが総理によつて閣議に代表されるということで、極く稀薄でなかなかうまく行かんという点を私ども伺つておるのです。これは、私の経験に徴してもそうなんです。そういう点について我々委員も非常に疑問を持つておるのです。この問題については、いろいろ各位の御質疑もあろうと思うのですが、ほかの事例のことはやめまして、皆様からの為替問題についての質問をして頂きたいと思います。
  101. 河井彌八

    委員長河井彌八君) 諸君にお諮りいたしますが、委員外の曾祢議員から質疑をしたいというお申出がありますから、発言を許そうと思いますがよろしうございますか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  102. 河井彌八

    委員長河井彌八君) 御異議ないと認めます。  今じやなくてよろしいのですか。
  103. 曾禰益

    委員外議員(曾祢益君) 結構です。
  104. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 先ほど大蔵大臣は、この機構改革の案を作るまでに十分まあ討議した、外国為替管理委員長の意見も三人委員会で聞いたというような話があり、委員長のほうから言うと、余り大して相談にあずかつていないというような話もあるのですね。我々委員としては非常に判断に迷うのですが、なお且つ我々のほうには、国会に対しましては今度突如としてこれが出て来ておる。我々は何も聞いていない。従来金融問題に、金融機構に関しまして、もう三年越しだと私記憶しますけれども、いろいろ審議会があつたり何かして、研究に研究を重ねておる。まだ結論は出ない。出ないのは私は事が重大だから出ないと、こう私は思つておる。怠けているわけではないと思う。国内の金融機構の問題について何度も案が出て、それを又修正して次の案が出るといつたようなふうに、非常に慎重に取扱つて来た。ところが、今度の外国為替の管理の問題については、そういう手続が踏まれたことを私は聞いておらない。併し政府部内でそれぞれ、寄り寄りいわゆる共同会議があつたという話なんですが、その共同会議において、どういう点が論点になり、どんなふうな議論が戦かわされたか、特に私は通産大臣の意見も聞きたいと思う。通産省に非常に関係のある問題でありますから……。で、若し可能ならば、大蔵大臣が言われる、例えば日銀総裁あたりと三人委員会を開いて話したとかいつたような点について、記録でもあつて、我々に見せてもよろしい、我々の審議の参考にするためなら見せてもよいというのがあれば、是非提出して頂きたい。我々は今度の問題は寝耳に水なんで、金融機構の問題なら何でも私ども知つております。議員も皆この問題について関心を持つて討議して来たから、これはわかるのですが、この外国為替の問題については初めてなんです。そういう資料があつたら一つ出して頂きたい。これを先ず要求いたします。
  105. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) この金融機構の改正その他の問題は、民間の銀行のあり方でございますが、為替管理委員会のこの問題は政府機構問題でございまして、事柄が違うと思います。第二段に、三人の委員会でやつたというのは、為替管理委員会がどうあるべきだという問題でなしに、為替管理の実態をどういうふうに……仕事でございますね、仕事の点についての連絡機関という意味でございます。それが今までのように大蔵省と為替管理とが対立いたしてはいかんから、一つ毎週というくらいの計画でやつておつた。これは為替管理機構のあり方についての委員会ではないのであります。実際の運営についての委員会であります。だから為替管理委員会をどうするかというのは、政府機構でございまして、これは民間の意見をどうこうというようなことは、今まで政府機構について余り聞いておりません。そうして特にこの為替管理委員会政府機構の問題につきましては、先ほど来お話申上げておる通り、衆議院でも相当予算委員会、大蔵委員会、或いは外務委員会におきましても、私の意見は申上げておるのであります。
  106. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 そうしますと、為替管理行政の運営の点について為替管理委員会、日銀、大蔵省、三者が運営の問題を論議した。そうしてスムースに行くようにやつて行く。その話をしただけのことであつて機構をどうするかということの問題については話合つていないというように了承していいのですか。
  107. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) そういうことであります。
  108. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 そういたしますと、私は更にこういうことを要求しなければならんと思うのです。我々外国為替の問題は、今後の日本が外国貿易を以て立つて行かなければならんということは、これは誰だつて認めておるところなんで、而も為替管理は外国貿易の問題と密接不可分に結び付いておる、国民の生活、国民経済のあり方、将来という問題と運命を共にする問題だと私は思う。そういう重大な問題でありますから、各方面の意見を我々内閣委員会として十分聴取して、この問題に慎重に対処しなければならん。若し政府のほうで、この問題はただ政府部内の問題だから意見を聞く必要はないという考え方を持つておられるなら、国会側としては逆に、だからこそもつと我々は広く意見を聴取しなければならんという建前をとらなければならない。そこでこれは委員会において御考慮願いたいと思うのだが、非常に技術的な問題も引つからまつております、外国為替の問題については……。でありますから、我々が審議を或る程度進めた上で、一応専門家の意見を聴取ずるという機会を一つつてもらいたいということを委員長お願いしておきます。  外国為替管理委員長の出された意見書なるものについては、又あとでいろいろ御質問したいと思うことがあるのですが、この意見の中にも、為替貿易管理機構調査委員会というようなものを作つて十分審議してくれ、そうでないと、国際的な信用を確保する上において相当問題が起る危険性があるということを警告しておるような現状なんですから、我々内閣委員会としては、そういう慎重な態度で似てこの問題に対処して行きたい。こう思うので、是非そういう機会を作つて頂きたい。  それでは大蔵大臣にお尋ねいたしますが、只今お聞きのように、木内委員長は、為替管理について五つの原則といつたようなものをここで説明しておられるわけでありますが、こういう考え方、ものの見方の原則なんですが、これについて大蔵大臣はどうお考えになりますか。
  109. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) 細かい点はあれしませんが、特に僕が感じたことは、外国の信用をなくするというふうなことは木内君のドグマだと思います。  外国為替委員会があるから外国の信用がある、大蔵大臣よりも為替委員長が信用がある、こういうことになるというと、吉田内閣として困るわけであります。これは私はよほどお考えにならなければいかんと思います。その次に、為替管理というものは政治でございます。政治から為替管理は独立であれということは、私は民主主義に反するのじやないかと思う。これは国内の通貨その他につきまして責任はある。為替管理法の運用は政治であります。これを政治から独立するという考え方は民主主義考え方でないのでございます。それなら為替管理をやつておるかたが閣議へ列席する、こういう事柄も私は今の状態からして、まあ頭が古いと言われますが、どうかと思います。細かい点につきましては事務当局から……。
  110. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 今の点に関連して、為替管理と貿易管理とは一体的に考えなければならんということは承認されるのですね。
  111. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) そうでございます。そこで貿易管理というものは、外貨予算の問題でございますから、外貨予算の問題につきましては、先ほど事務当局から説明しましたように、各省所管の大臣と協議の上、閣僚審議会で外貨予算を決定する、こういうことであります。
  112. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 今まで外貨予算の問題について、大蔵委員会でも随分何度も問題があつたことは御承知の通りなんですが、或いは大蔵省、通産省、農林省、その他外国貿易に関連する行政各省との間の連絡調整ということを、今大蔵大臣が言われたような形でして行くことに非常に問題がたくさんあるように私は思う。特に問題となる点は、今現に起きておるが、例えば十億ドルを超える外貨を持つておる、これについて通産省側の意向というものと大蔵省側の意向というものが、私の聞くところでは、これはあとで質問したいと思うのですが、我々の聞くところでは、非常に対立した考え方を持つておる。而もこういういわゆる過剰外貨を持つておるという実情は、もう三、四カ月前から始まつておる。而もそれについて何らの処置も講じない。未だにそのまま問題は一歩も解決されておらんのです。そういうようなことになつて来ると私は思うのです。それでは只今の激烈な国際競争の上に処して、日本経済が伸びて行く上に問題が非常に多いと思います。そういうような対立を取除くような恰好に……、デツド・ロツクに乗上げておるのじやないか。そういう場合に第三者的な一つの調整機関があつて、それが調整の任に当るということは、これは一つそういう問題を打開する上においての途ではないか、こう思うのですが、どうなんですか。
  113. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) 外貨予算の編成につきまして、私も閣僚審議会へ出ますが、議論のあつたことは殆んどございません。バターの輸入のことにつきまして、ちよつとくらい議論がございましたが、幹事会できめまして、殆んど幹事会に行くまでに練つておりましたので、余り議論がない。外貨の溜まつたことにつきましてどうこうという問題は、私はこれは簡素化が必要だ、外貨資金を運用することは、これは外為委員長の権限であります。大蔵大臣は権限がございません。ただアメリカのどこの銀行に預けようかというときに、銀行を指定することは、大蔵大臣が指定いたします。なんぼ預けてどういうふうにということは大蔵大臣の権限でない。こういうことが私は実際政治としていいのか、金の使い方は大蔵大臣関知せず、こういうようなことは私は筋が通らんと思う。
  114. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 大蔵大臣関知せずというのじやない。私の考えでは大きな政策は政府責任を以てきめなければならんと思うのです。それは必要なことなんで、それから独立せよという意味じやない。そうじやなくて、そういう激動する世界経済に処しての為替事務の適切な処理ということは、それが官庁機構ではできないのじやないか。
  115. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) そこで問題が集約して参りますが、為替のいわゆる事務というのは日本銀行でやる、為替政策、外貨の運用ということはこれは大蔵大臣がやるのが本当だと思うのです。そこでこの外為の委員長が総理大臣についておつて、閣議では総理大臣が発言するというのでは事実上うまくないわけです。そういうことは改めて、国のいろいろな政治というものは各省大臣の責任において行われるというのが本則なんです。私はその本則に返えるということが却つて信用を深めるゆえんじやないか、こういう気持です。
  116. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 その各省大臣が責任を持つということの意味ですがね。それはどういう意味ですか。
  117. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) 外貨の運用その他為替相場その他のいわゆる国際金融について誰が責任を持つかといつたら私は大蔵大臣だ、こういうことなんです。それを申上げているのです。
  118. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 いわゆる事務遂行上の責任ということじやないのでしようか、それは。
  119. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) 例えば外貨を、ドルをどこへいついつ預ける、どういう預け方にしようというふうなことは政治一つであります。で、それじや小切手をどう切るかということはこれは事務でございます。これは日本銀行なんかに任していい。
  120. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 それからもう一つ聞きますが、今度外国為替管理委員会が廃止されまして、大蔵省の為替局になるというと、今ここで提出された五原則というものの一つ、これはどういうことになるか知らんが、権力が余りにも多く大蔵省に集中し過ぎるということが、これは木内君だけの意見じやなしに一般的に言われていることなんです。これはどうなんですか。
  121. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) 権力が集中し過ぎるという話でございますが、これは各省の所管事務の多い少いは免かれんと思います。大体今の内閣制度はイギリスに倣つている制度でございますが、イギリスの大蔵大臣も徴税から予算から外貨の監督、いろいろやつている。若しそれが日本の大蔵省が多いということになれば何も為替管理自体を別にしなくても仕事を分ける方法はございます。
  122. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 どういう仕事ですか。
  123. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) それは私はいろいろありますが、今の場合で昔もやつておりましたことで、私は差支えないと思います。
  124. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 何かよくわかりませんが、何ですか。
  125. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) 今の状態で権力を集中し過ぎるという議論がありますが、私はこれも止むを得ないのじやないか。国の仕事が非常に少くなれば大蔵省の仕事も非常に少くなる……。
  126. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 いや、集中し過ぎるというのを分けるというのは……。
  127. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) 集中し過ぎると……、それを分けるという場合に徴税事務は別の長官がやるとか、或いは財政と金融を分ける、こういうやり方はありましようが、分けた場合の支障のことを考えますと、私は今の場合は集中主義をとつたほうがいいのじやないかと思います。
  128. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 じや、集中するということは認めて、その集中主義のほうがいいという御意見のようです。それはそれでいいです。  それから政治から独立するというような問題を木内委員長は出しておられますが、これは木内委員長からもう少し説明を求めたいのですが、どういう意味であるかということの、実際上どういう点に支障があり、どういう点に改善すべき点があるか、もう少し説明して頂きたいと思います。
  129. 木内信胤

    説明員(木内信胤君) 為替管理の問題は国務でありますから国の行政機関がやつているのであります。国の事務というものは必ずしも時の政府が……、時の政府事務から或る程度分離するということは近頃の行政形態のはやりであります。通貨に関してはそのほうがいいのではないか。現に日本銀行は今日本では半官のような半私のような恰好になりましたが、これが私設銀行であつても中央銀行の事務というものは、時の政府の干渉に対してはこれは高度の独立制を与えておるということは近頃非常に顕著に現われて来たことです。ですからその事例をよく考えて下すつたら一番早いのではないか、国の事務たるところの中央銀行の信用統制というか、通貨の価値といつた事務が近頃では非常に高度に独立制を持たされている。これは併しそうかといつて他の行政事務と離すわけに行かないので、この実際的な法制のきめ方、その運用というものは非常にむずかしいのであつて各国とも苦労しておるところであります。各国ともどうかしてそういうふうにしようとしてみんなが努力しておる、その途が開けておるということは顕著なる事実である。先ず為替管理の中のバランスの維持であるとか、特に国際信用にするものに関しては今の中央銀行が独立であれと言つたと同じ原理、並びにやり方を適用すればいいのではないかと思います。もう一つは技術面、さつき申上げました技術面の責任ですが、これは大蔵省の下部機構であつて責任をとるということはなかなかできない、如何に専門家を集めて、大蔵省の役人にしたところで上から命令されればそれで命令に従わなければならんというのでは、これは真の技術家としての真価は発揮できない。これは政治と申しますけれども、政治目的は、例えば外貨バランスをだんだん殖やして行こう、そのほうが日本のためにいいという場合にはこれは一つの大きな政治でありましよう、だんだんに殖やして行きたいということであつたならばそのように技術をやつて欲しい、これで結構です。或いは今オープン・アカウント、オープン・アカウントと言つておるが、これからも激しい論争の的になると思うが、販路拡張ということとしつかり金をとるということとは場合によつて予盾する、今販路拡張の時代だとおつしやるならば、そのごとく技術をアレンジできる、又販路拡張よりもしつかり金をとるほうが大事であるとおつしやるならば、そのほうに技術は適用して行けるのでありまして、その技術は任して頂いてもいいと思います。今どつちの時代にあるかというと、これは政治でありますので私どもは意見を申上げるという点だけで満足している。それ以上は意見を申上げてもお聞きにならないことは今までたくさんありました。それで私どもは一応申上げるだけで引退つているのでありまして、この政治責任は私は、どんな身分を与えられてもそれは必然の結果である、そういうふうに思つております。これが調和はむずかしいと思いますが、次第に練つて行けば十分にできると思います。
  130. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 もう一つついでに……この意見書の中に特に目を引く点は、機構改革、つまり外国為替管理委員会というものを作る場合に、私も国際通貨基金から援助を与えたということは知つておりますが、その国際通貨基金から専門家が来て援助を与えるということと、その機構を今度変えるということは相当問題ではないかという気もするが、そこへ持つて来で木内委員長意見書の八頁には「これを聞いては国際通貨基金当局もさぞ驚く」だろうというように書かれて表現されておりますが、その間の事情をもう少し詳しく説明して頂きたいと思います。
  131. 木内信胤

    説明員(木内信胤君) 驚くかどうか知りませんが、国際通貨基金の連中が来まして、機構問題というものは、誰が権限をとるかということは、それは国の事情によるのだということは確かに言つております。又最近司令部もそうでありますが、機構問題は国内問題であるから我々は干渉しないということは司令部の同僚官も言つておりました。だから機構がどうなのかということは、必ずしも彼らの関心事ではないとは申せますが、現機構というものは、昔の日本が知らなかつた新らしい精神を盛り込んであるとするならば、又新機構が昔に返るものであるならば、これは三年間の努力を無駄にするものであつて、彼らは驚くだろう。もう一つは、この改革が私ども極めて新らしく承わつておるのですが、事前に連絡されたかどうか、国際通貨基金に入るについては、日本の為替管理のやり方等も説明してアプライなさつたものと私は思う。これは大蔵省のなすつたことかどうか、私は存じませんと思つておるのですが、今度変えるということが事後通告であつたら驚くだろう、私はこう思うのであります。そういう意味であります。
  132. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 その点大蔵大臣どうですか。通貨基金に今度入ることを申請しておりますね。
  133. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) 私は木内委員長の言われるようなふうには考えておりません。これは昨年来スキヤツプのほうでいろいろ話をしておりますし、今木内委員長の言われた、向うはノータツチ、私の考え方は、スキヤツプのかたもよく知つております。もつと詳しく人の名前を言つてもいいのですが、私はそれは遠慮いたしまして、外国人がどう思うだろう、こう思うだろうということは、私はここで申上げません。
  134. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 そうではなくて、通貨基金との正式の連絡はどんなふうになつておりますか。今度加入を申請しておられましよう。
  135. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) こういうことは問題ではないのでございまして、各国が皆そうなんでございますから、却つて私から言わせれば、各国通りにやつておるのだな、直したんだな、こう思うと思います。
  136. 波多野鼎

    ○波多野鼎君 どうですかその点は……。
  137. 木内信胤

    説明員(木内信胤君) 先ほど栗栖委員の質問に対して、各国の事情を、実はお答えすべきであつたのです。私は各国は大変違うと思います。各国は大蔵大臣が責任を持つておるというのは、中央銀行の総裁の任命といつたようなことに、形式的責任があるかも知れませんが、これはほんの形式であつて、中央銀行の総裁の位置というのは非常に独立な、固いものであります。これが多くの国の例であり、而もそれはますます固くなりつつあるというのが例であります。例えばイギリスは、これはイギリスの大蔵省のやるものを、バンク・オブ・イングランドが下請してやつておるのではない、バンク・オブ・イングランドがやつておるのです。それに対して大蔵省は政策、指導するだけと、こう思つております。従つてさつき責任という問題がたびたび論ぜられましたが、バンク・オブ・イングランドは自己の責任でやつておるのであります。これが非常に尊いことであつて自分責任としてやらなければ、つまり部下としてやつたのでは、本当の力というものは入らないし、政治からの独立性というのは確保できませんから、これがまさに大事な点でありますが、一番日本の、今度の外国の新機構に近いと言えば言えるところのイギリスがすでにそうであります。その他の国は非常に複雑でありまして、例えば二、三の例を申上げますと、私がこの間廻つて参りましたので、ほうぼうで聞いて来たのですが、例えばイタリーの例を申しますと、イタリーでは外国貿易省というものがありまして、実は為替問題は外国貿易省が最大の発言者であります。むしろ大蔵省ではないのであります。そうして別にウフイツイオ・イタリアーノ・カンビ、普通にカンビタールというのですが、これが為替管理の実務的専管者であり、これは日本と少し違いまして、為替許可のみならず、輸入の許可もそこが出すのであります。このカンビタールと称せられる為替局ですが、この主宰者は、リオンという人が、これがその専門家を持つて来るよい例でありますが、要するに、仕事にあることすでに二十年という人であります。これが私どもの機構にやや近い為替管理局、為替管理委員会みたいなものですが、これは委員会ではなくて、役所です。その長は一人です。ところがそのほかに、これにポリシイ・ダイレクシヨンズをするためのマネージング・ボードがありましてそれがカンビタールの責任者リオン氏を命じておる、このマネージング・ボードなるものは、チエアマンがイタリー銀行の総裁であります。イタリー銀行の総裁というのは、たしかあれは総理の任命であつたと思いますが、法律上は、いつでも免職できるんだそうでありますが、誰に聞いて見ても、イタリー銀行の総裁が、その意に反して職を去るということがないので、半永久的な職と思われます。そこで外貨の使用の意思決定は、これは貿易も、貿易外も含んでおりまして、外国貿易省大臣が握るところであつて、大蔵省ではない。但し、それでは又外国貿易省の専横になりますから、そこでSIR、シルと呼んでおるのですが、このイタリー語はよく存じませんが、要するに閣僚審議会のごときものです。その議長は総理でありますが、それがありまして、それが政策決定をやる。日本の閣僚審議会は、要するに外貨予算のことだけやつておりますが、外貨予算だけではなくて、一般の為替政策の国策決定機関であり、ポンド問題はどうするか、オープン・アカウントはどうするかというようなことを閣僚審議会でやる。日本の閣僚審議会でやるといつたらそれに近いかも知れませんが、これにはひよつとしたら或いは民間銀行家なんかも入つていたかも知れません。ちよつと覚えません。なおイタリーについては大体そんなことですが、もう一つ面白いのは、イタリーの大蔵省というものは、大蔵大臣は、有名なペラーという人がありますが、この人がみずから大蔵省を二つに割つてしまい、予算省とその他の省に変えてしまつた。そんなようなことも併せて関係事項でありますから、併せて考えて見れば、各国とも、責任が一人に集中することを避けようとしておる現われとも言えると思います。それからそのマネージング・ボード、今のシルと称するものは、最高の政策決定機関でありますが、別に予算省、この予想省を大蔵省から分離したのですが、これが経済計画省のようなことになるらしいです。これは私行きましたときに、日なお浅くその権限はまだ本当に確定していないという説明でしたが、その予算省と外国貿易省との代表を以て組織する大きな委員会があつて、これがポリシイ・ダイレクシヨンズ、その代り為替管理委員会に相当するカンビタールの長は、純技術者、併しそれは勿論その両方の委員会もやるのであります、その両委員会委員長も、中央銀行の総裁です。ですから各国で驚きましたことは、中央銀行が実に為替の業務に対して責任を持つておられることです。それと同時に、中央銀行のかたは、いずれも非常に為替管理に対して堪能であられることで、その他いろいろな例を申してもいいのですが、イタリーの例は非常に面白いと思います。これはオランダですが、オランダも貿易と為替管理は一体であります。一体でありますが、オランダは特殊な国であつて、普通の為替管理、国内輸入というのは為替管理の対象ではない。あそこは中継貿易で生きておる国でありますから、中継貿易が本当の為替管理であつて、国内に本当に輸入して、国内消費に充てるものと区別してある、国内消費に充てるものは、これは貿易省と言いましたか、何か特殊な経済省の中に一部局がある、それが許可をやつております。そうでない中継の本当の為替管理のほうは中央銀行がやつておりますが、これは中央銀行に任せきりであります。中央銀行総裁は事実上終身官だそうです。自分がやめたいと思うまでやめないで、女王の任命ですが、そうだそうです。これは政府機関として働く広大な権限委譲を受けております。法律命令を出す権限を持つております。これは大特徴だと思います。それからその中に、如何にエキスパートがいるかは末梢になるかも知れませんが、中央銀行だけは組合とか経営者の団体の規則破りをやつてもよいので、規則破りをやつて高給者を雇つてもよいということで、内外の商売人及び為替銀行から堪能者を集めて、全権を振るつて中央銀行がこれをやつておるというのが、オランダの例です。併しその中央銀行は女王の任命でありますが、大蔵省の区処を受けるものとは私は考えません。  それからベルギーが御参考になると思いますが、ベルギーはアンステイチユート・ベルゴ・ルクサンブルジヨアース・デユ・シヤンジ、要するに何と言いますか、エクスチエインジ・インステイチユーシヨン・フオア・コントロール・オブ・ベルジユアム・アンド・ルクセンブルグというようなものがありまして、それが為替管理委員会に相当するのであります。ところがこれも中央銀行の総裁を議長とし、貿易省、大蔵省、農業省、それから一般銀行の代表等を以て組織するボードがあつて、そのポリシイ・デイシジヨンを議するということであります。それでその議長にはナシヨナルバンク——中央銀行の総裁がなります。ベルギーの制度で面白いことは、為替管理局というものが事務局を持つていないということであります。中央銀行の事務局を使つておる。その中央銀行の理事ですね、為替管理局の長というのは、これは世界的に有名なハンセルという人ですが、欧州の決済同盟を作つた人です。この人は中央銀行の理事も兼ねておつて、そうして政策をやつております。これは為替管理委員会的な、つまり命令、規則を出すという機能を今申上げたアンステイチユート・ベルゴ・ルクサンブルシヨアース・デユ・シヤンジというものにやらせて、但しその人を以てそのまま中央銀行の理事にして、事務局は中央銀行のを使う、こういう特殊なことをやつております。そのような事情から中央銀行は勿論独立制が非常に強く、今盛んに政府が破ろうとするのを健全通貨維持で闘つておられるそうであります。大いにやつておるというふうに説明なさいましたが、そういう状態であります。従いまして大蔵大臣はどうして世界各国の例とおつしやるか知らないが、世界各国の例は全くその反対であると私は思います。
  138. 河井彌八

    委員長河井彌八君) 諸君にお諮りしますが、本日はこの程度でやめておきたいと思いますが、如何ですか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  139. 河井彌八

    委員長河井彌八君) 御異議ないと認めまして、それでは本日はこの程度で散会いたします。    午後五時十四分散会