○松原一彦君
保利官房長官にとくと私は御懇談的に伺いたいと思うのであります。
日本に前例のない敗戰の跡始末でありますから実は誰も心がまえがなか
つたということは無理はないと思うのでありますが、突如として
昭和二十一年に
軍人恩給はすべてこれを給せずというポツダム宣言受諾に伴うあの勅令が出ましてすべての
軍人が
恩給を給せられなくな
つたのであります。これは敗戰の結果であるからいたし方がないと言
つてしまえばそうでありますが、
考えてみると随分これには無理があ
つた。戰争に従事した者がその罪として追放を受けておる。追放を受けた者は
軍人ばかりではない、文官といえ
ども同様に追放を受けておるのであります。この追放を受けた者が
恩給を
停止せられるということは当然であります。然るにこの勅令によ
つて恩給の
停止を受けた者は実は追放にも何も値いしない、大東亜戰争にも支那事変にも一切のミリタリー・サービスしたことのない日清、日露役以来の古い人たち、老将軍たち、又文官、高等官等以上である軍部に奉職したる文官も全部これは一様に
恩給権を
停止せられたのであります。誠にこれは悲惨な話でありまして、今回必ず戰争が終
つたならば
恩給権が
復元せられるであろうと期待してお
つたかたがたが、突如一年間延びるという話を聞いて非常に憤慨せられてその期待にそむいたことを歎きいろいろなる請願、陳情が出おることは御
承知と思うのでありますが、この中には八十何歳という老将軍たちも相当おられます、七十何歳、かような老人の
かたがたまでもが何ら追放
関係のない人が一様に非常な悲惨な運命に陷
つておるという事実がある。然るに同じ戰争に加担したと言われる重い責を負うて
恩給停止の処分を受けた
ところの文官側の者は、御
承知のように追放解除のその翌日から
恩給権が復活して現に
恩給をもら
つておるのであります。文官は一面において追放解除と共に
恩給は
復元し、
軍人であ
つたということのために当時の責任者である追放被処分者は
恩給権は復活しない、のみならず巻添えを食
つたと思われる過去の古い人々までがなお一カ年間この
恩給権を
停止せられるというのが今日の実情なのであります。この中には日清、日露戦役時代の古い
軍人の未亡人もその生活を絶たれておるのであります。実情の
一つ二つを申上げますと、私は今杉並におりますが承わる
ところによるとこの在住の或る将官はその生活の苦しさの余りに区役所に出て筆耕を勤めて月三千円、一日百円の手当を辛うじてもら
つてお
つたのに、
軍人であるが故に
臨時雇もできないというので区役所をも追放せられて、いたし方なく今日はその老将軍がはかりを携えて屑物を買
つて廻
つておる。又或る部隊長であ
つた現に私の近くにおる人は今下町の学校の夜警を勤めておるのであります。私はこういう人々の実情を
考えたときに実に気の毒に堪えないのであります。刑務所に入
つた者は食うものは與えられます。併し
軍人であ
つたということの條件のために職も與えられない。訴願の途もなくそうして一方には
独立とな
つたならば必ずこの
恩給権は復活するとのみ信じてお
つた人々がなお一年間この生活の途を絶たれようというのであります。この恨みの深刻さを
一つ御想像願いたい。泣くにも泣けぬ必死の憤まんのあるということは、これは職を絶たれた者でないとわからないのであります。人間何が悲しいかとい
つて生活のできないほど苦しいことはないのであります。而も過去には相当の面目を保ち金鵄勲章功何級をもら
つた栄誉ある人々が、今回の戰争に敗けたためにその過去の人まで巻き添えを喰
つて、そうして相当以上の生活のできた人々が今日職を失
つておるという事実、これは
昭和十九年までしか
恩給局には統計がありませんのでその二十年頃のことはわかりませんけれ
ども、私の調べた
ところによりますとこの勅令によ
つてすでに
恩給証書をもら
つており、或いは
扶助料の証書をもら
つておる人々の数が九十二万八千二百十四人に及んでおるのであります。このうちには三十四万三千二百五十六人の戰病死による
遺族扶助料者も含まれておるのであります。なおこの後に
恩給を期待しておる、期待権を持
つておる人々が
只今お話の
通りに非常な大きな数に上
つておる。これがたとえ敗戰の結果であるとはいえ
ども、若しミリタリズムを根絶する、
軍人というものには子々孫々
懲罰を加えるとい
つたようなあの戰勝国側の一方的意思で加えられたる処分であるとしましても、私はすでに六年八カ月間言おうようなき悲惨なる運命に会わされた人々の処分はもうこれで一応今日は消えておるのではないかと思う。一方においてあの平和憲法を制定した当時の
気持を以てするならば
軍人というものは今後一切
日本には現われないのでありますから、仮に
軍人というものの根絶やしをするということであるならばなお且つこれでも辛抱できたかも知れない。併し社会情勢は違
つた、違
つたと
政府のほうでは仰せられますが、どう違
つたかというと再軍備に向
つて違
つておる。そうしてアメリカから何千か何万か知りません、
国民の知らない量です、無限の量です、
国民は何らあずかり知らない
ところの無限の量の兵隊がいつまでおるかわからない年数の先の限定もないものを、雇
つて来たかどうか知りませんけれ
ども日本に来てもら
つて日本の国防に当
つてもらおうとしておる。これは併し條件付であります、この人々はアメリカの意思によれば
日本国民の国防力の漸増によ
つて帰るというのであります。国防力を漸増しなければならない條約を
政府は結んで来ておられるのであります。一方国防力を漸増すべき義務を負い、そうして現に着々として警察予備隊或いは保安隊というものが生れようとしておる、現に生れておる、これは嚴然たる
軍人であります。軍隊であります。誰が何と申されても世界的に
日本の新軍隊ということはもうはつきりしておる。それを徐々に殖やそうとしておる、現実に今
国民の前にさらされておる。現に許されない再軍備が一方にはすでに進行しておる。そうしてこの将来がどうなるかというとこれは国防力を漸増してアメリカに帰
つてもらわなければならない運命にな
つておる。これも
日本の
国民の意思かどうか私はわかりませんがすでに
政府はこういう約束をしておられるのであります。かかる情勢の変化した際にこの七、八百万乃至一千万に近い過去の
軍人を泣かせておいて、怨ませておいて、めしを喰せわないでおいて果して
日本の
独立自衛ができますか。失うものが余りにも大きくはありますまいか。現に私はここに林三郎という署名のある旧大佐のかたが書いておられる最近の週刊朝日を見ますと、再軍備をやる場合一番肝腎なことは失われた祖国防衛心の振興ではなかろうか、自分の国は自分で守る気魄のない者に立派な銃を渡そうものなら
国民は心配でたまらない。形よりも心が大切である。祖国防衛心が
国民の間に盛上
つて来ればすでに再軍備の基礎はでき上
つたものである。再軍備の
用意をしきりに
政府はしておいでになる。一方にはアメリカの軍隊によ
つて国防力をどうにか真空
状態でないようにするということでありますが、一方においては徐々に警察予備隊若しくは保安隊によ
つて国防力をつくろうとしておられますが、それは形です、外国の武器でありそうして魂なき人間です。この人々に果して過去の
軍人のような祖国防衛の精神がみちみちておるのでありましようか、どうでありましようか。それで安心ができましようか。私は再軍備論者じやない。殊にミリタリズムの復活に対しては絶対反対のものでありますが、併しミリタリズムの復活というものと国防とは違うのであります。八千万の
国民が生きて行くためには何らかの
措置が要ることは当然であります。併しその
措置がかように過去の忠実に戰
つた人々にです。この人々は私はいば
つたとか或いは政治を誤
つたとかいいます、
日本の運命を誤
つたとかいいますけれ
ども、それは維幄に参画した人々のことであ
つて多数の現地に戰
つた人々の罪ではないのであります。然るにこの人々は断じて弱か
つたのではないのであります。強か
つたのであります。武器が足らなか
つただけの話であります。B29がなか
つた、電波探知機がなか
つた、原子爆彈がなか
つただけの話なんです。一人々々の
軍人を比べたならばどの
軍人といえ
ども未だ曾
つて弱くて負けたのではない、むしろ強すぎて厄介がられたのであります。この人々一千万人をここに泣かせて、恨ませて、そうしてこれから
政府は一体祖国防衛をどうしようと言われるのか。一方に東條
内閣に参画したる
ところの過去の大臣が追放解除にな
つて堂々と
恩給をもら
つておるのです。文官はかくのごとくにして立派に復活しておる。今度の選挙にも出るでしよう。何ら今度の戰争には一体参画しておらぬ陸地測量部の技師などがただ高等官であ
つたがために八十以上の老人たちが数名今日まだ食えずに困
つておる。これは何らミリタリー・サービスしてはおらん。ただその位置が軍隊の
関係者であ
つたというために今日
恩給停止であります、泣いておるです。余りにも私はこの
政府の
措置が止むを得なか
つたとはいいながらも残酷なものであ
つたということを思わざるを得ません。せめて今度の
独立にな
つたならばその翌日から
恩給は復活するものとのみこの人々は思
つて今日の日を待ちこがれてお
つたのです。中には中風にかか
つて病床にあえいでおる人がある。眼の見えない手を挙げてまだ
恩給は来ないかと待
つておるのです。然るに今一カ年間
政府はこれから
考えるから待てと言われることが、これが残酷でなくて何でしよう。
長官一つこの点はよくお
考えを願いたい。そうしてあの
援護法というものは一体得体の知れないものであります。戰死した人に対してはこれこれの
恩給を與える、つまり貴族に対してはこれこれの
恩給を與えるということは明治維新以来ちやんときま
つておるのです。はつきりきま
つてこれで戰さしておるのです。日清戦争も
日露戰争もそれでさしておる。それをば当然復活すべき
恩給権を押え付けておいて、如何にもお恵みのように地方ではこういうパンフレツトが廻
つておる。自由党ならこそこれほどのことをしてやるのに何のこことがあるのかとい
つたようなパンフレツトが廻
つておる。当然受くべき
権利を押えておいてパンのかけらをお恵みのごとく與えておる。今回の
援護措置のごときは、私は実に初めから厚生省がやることは所管違いだと叫んで参
つたのであります。これは当然
保利長官、あなたの御所管なんです。
恩給局の所管なんです。戰死者にこれこれの
遺族扶助料を與えるということははつきりわか
つておる、何十年来わか
つておる。それをばやらないで一方に
援護措置というわからんものをや
つておる。あれは一体どういう結果を来したか。未亡人には僅か一カ月八百三十円、生活保護費の半額にしか当らないのです。それが何でお恵みでありましよう。そうして最近においてはですね、警察官が公務によ
つて死んだ場合においては百万円くれるというのです。警察予備隊が何ら我々に姿も見せないで二カ年間営内で訓練を受けただけでこれはこの秋に六万円もらうのです。そうして一方には過去の
軍人たちを而も、これは
考え方の根本が違
つておるかも知れませんが、至誠純忠これこそ
日本国民の名誉ある働きだとのみ教えられて戰
つた人々に今日憂目を見さしておる、勿論二の人々は敗戦ということは
日本の軍隊は知らんのですから皆死ぬはずだ
つたのです。皆腹かき切
つて死ぬか、然らざれば突撃して玉砕すると皆きめてお
つたのです、あの十五日の日まで。
ところが天皇の御命によ
つて降伏しろと言われたから涙を呑んで降伏しておる。恥をさらして帰
つておる。それをなお且つ一カ年間飯も食わせずに追討をかけるということは余りに残酷じやないか。この恨みが一体どうなるかということ、
日本国民の失う損失を私は
政府がお
考えにな
つたことがあるかどうか。せめて老
軍人だけでも応急の
措置をとさつきから
山下氏が婉曲に言われましたけれ
どもが
お答えがない。七百万の
既得権者があると言われますが、実はこれは
軍人には加給も何十種も
加算があ
つて、一年行けば四年に計算せられる、下士は十二年で
恩給になるのでありますから三年戰争に行
つた人々は皆
恩給になるのです。そのために七百万人にな
つておるのです。これを実役計算し文官同様に直せば下士官にして十二年の
恩給になる。準下士官以上の十三年の実役計算者の数は、私がもれ聞いた
ところによりますると、士官以上は
恩給は五十歳以上でいいのですから、弱年
停止でいいのでありますから、五十歳以上の老
軍人は下士から準士官以上を加えて僅か八万八千人になるのであります。実役計算によ
つて加算を除いて計算すれば八万八千人のような僅かな数になる。それならば恐らく職業
軍人のみがその恩典に浴するとかようにお
考えなさるかたがあるかも知れませんが、実は准尉の数が三〇%を占めておるのであります、少尉が一九%、中尉で一七%、将官などに至
つてはもうごく〇%というほどに少いのであります、大将などは。で、八万八千人の
かたがたのせめて老
軍人だけでも実役計算によ
つて恩給を
支給するとすればこれは微々たるものである。現に今日の文官は二十二万人、その
恩給の総額は九十三億円です。二十二万人で九十三億円としまするならば、この老
軍人たち、五十歳以上の実役計算による八万八千人の
恩給は四十億内外で結構足りるのであります。今日の
財政で四十億の金が出ないということが言われますか。私は
大蔵大臣に聞こうと思
つたが帰
つてしまわれた。いずれ改めてお聞きしますけれ
どもが、そうしてこの昔の功労のあ
つた栄誉のある
かたがたに大手を振
つて歩いてもらうということこそ私は
日本再興の
一つの基礎だと思う。ミリタリズムの復活を言うのじやございません。過去の約束を守るという政治上の信用を言うのであります。一旦緩急ある場合においては全
国民は命令がなくても立上ります。併しかような残酷なことをおやりになれば命令があ
つても立上りません。国防はできません。私は理窟を申すのではない、事実こういう
状態で、果して
日本民族が自立して行けるかどうかということを疑うのであります。外国の軍隊に無制限に駐屯してもら
つて我々が枕を高うして眠られるものじやない。但しこういう憲法を作らせてそして
軍人を
懲罰したアメリカのこれが勝ち得たる結果なんであります。そうして今は四苦八苦の悩みを持
つておらるるこういう実情の下において、ここに
軍人懲罰令。ミリタリズム根絶のこの残酷な
占領軍命令による
ところの政令を更に一ケ年間延ばして
研究するということは、私は
政府の怠慢だと思う。
山下氏もさつき言われましたが今日の或る人ははつきりわか
つておる、
恩給局長には私はようわかると思うのです。十二分に御
用意がある、その御
用意をおとりにならんで、
遺族援護法とい
つたようなつじつまの合わないものをお出しにな
つてどうにかこうにか一部を埋めたがこのほうは抜けてしま
つたのです。増加
恩給に属する傷病兵、それから戰死者の
遺族だけは
恩給関係のうちでも一時の無償債をやりましたけれ
どもが、一審数の多い
軍人、その正規
軍人には何らこれが及んでいないという片手落がここに実現しておるのです。文官に対しても片手落であり、又戰傷病者に対しても生きておるからこことを言うなというわけには参らないのであります。でこういう
ところを総合しまして私はこの今日の実は御
用意があるものと思うのです。
長官はさつきから
用意がないとおつしやるけれ
ども私は
用意があるものと確信する。
審議会などにかけないで
政府は原案を示されてそうしてやられてもいいのでありますが、若しどうしてもやられないというならば至急に
審議会を
作つて政府の原案によ
つて後半期十月一日からでもこの八万八千人の老
軍人に対する緊急
措置としての
恩給復活でもおやりになる意思はないかどうか。これは私はできないことじやないと思う。五十億そこら、三十億か四十億の
補正予算が今日の経済でできないとは言わせないと思うのです。こういう御意思があるのかどうか。やろうと思
つたらやれるものなんであります。決して、できないことじやない。
この点につきましてもう
一つ申上げておきます。十月一日から実施するものとしますると一月までの
恩給になりますから四分の一の額で済みます。年額の四分の一で済みますから十億円そこらで済みます。
遺族扶助料はもう一方に一応は片がついておりますから済みます。一月から三月分までは明
年度の
予算に組めばいい、仮に四十億円要るとしましてもその四分の一半期分あれば本年の補正には足りるのであります。それでもなお且つできないと仰せられますかどうか。私は実情を訴えてそうして我々のとるべき義務と責任を果したい。この
意味における
保利長官の本当の
一つ気持を出して頂きたい。それだけを申上げておきます。以上であります。