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公述人(横山利秋君) 私は
国鉄労働組合の企
画統制部長の横山であります。公述をいたします前提として、この
法案が立案されるに至つた要件について二つ先ず申上げてみたいと思うのであります。
その第一は、
民営移行論についてであります。今日までこの
民営移行論がやはり終始つきまと
つており、この法律案においても、片一方は
民営的なものでありますが、片一方の
公社法案についても、将来においてその雰囲気がなしとしない。
政府の提案
理由はこの点につきましては、第一に
公社法案は全国に亘る厖大な
組織及び設備を有し、且つ巨額の
事業費を要する
公共企業であることが第一、第二番目には強度の公益性、技術的統一性及び自然的独占性を有する企業である。第三に
民営は公租公課の賦課が加わり、
経営合理化をしてでも
料金値上を招来する。年々巨額の拡張
資金を民間資本にのみ求めたことは、
日本の資本蓄積の状態から見て望み得ないことなどを挙げまして、
運営形態が適当でないということを言
つておられるのでありますが、一方においてそれらの
理由に何ら変るところがないにかかわらず、国際
電信電話事業を国営から切離して、
国際電信電話株式会社に分離し、
民営形態として別に法律案を提出せられておるわけであります。まさにこれは自家撞着に陷
つて、これがために今後の
電気通信事業に幾多の不安定性を与えておることは、私は疑いを入れない事実であろうと思うのであります。本来
公共企業体そのものは
民営形態に適しない、こういう前提に立
つて立案され、制定され、
運営されなければならないと信ずるのでありまして、この
意味からこの
法案の基礎条件が社会大衆、又直接これに従事する労働者諸君に対して、なお今日においても疑義を与え反対をもたらしておるゆえんであろうかと思うのであります。
第二番目には、
公共企業体というものが
日本における発達の歴史がまだ目が浅いのでありまして、今主として社会的基盤の異なるアメリカにおける
公共企業体の形態、
運営をまねて考えられておるところであります。而もこれは昭和二十二年のあのマツカーサー書簡が発せられた際に、僅か二、三行、そこに
国鉄、専売が
公共企業体に代るのがよろしいのだ、こういうふうに書いてあつたために急遽
国鉄、専売が根本的な検討と批判の結果、十分な検討を加えるといとまもなく、今日の
国鉄、専売の日鉄法それから
専売公社法ができたのであります。今回のこの
法案は多分にこういう倉皇の間に生まれた
国鉄、専売の両
公共企業体の
法案の形態並びに
運営と混ぜたのであります。実質的には殆んど変るところがないと思
つておるわけであります。こういう建前から行きまして、私ども
国鉄に従事しておる者或いは専売の諸君もそうであろうかと思うのでありますが、この不合理な
国鉄法或いは
専売公社法のこれをまねて立案制定をせられようとしておることにつきましては、不合理な
運営を熟知しておる我々にとりまして、又それに
関係する
関係者にとりましては、誠に、極言すれば、ばかげたことである。これは誠に遺憾なことである。こういうふうに考えざるを得ないのであります。聞くところによりますると、当時におきましては、或る程度現在の
国鉄、専売のあり方と矛盾を解決するために案が幾つもできたそうであります。併しながら今日ここに私どもの手許にあります
法案というものは、全くその初志は消えてしま
つておるわけであります。若しこの法律がこのまま立法されるに当りましては、
国鉄、専売の自主性なき
公共企業体経営四カ年間の苦しみの歴史を、これからこの電通
公社並びに
関係の従事員が辿られるということを考えますときには、私は同情をし、且つ誠に憤激を覚えざるを得ないと思うのであります。以上この二点が、この
法案制定上の二問題であると私は考えております。特に
公社につきましては、
関係当事者としてもう少し詳しく述べまして、この
法案に対する皆さんの深甚なる
考慮を促がしたいと思うのであります。
第一に、二十二年のマツカーサー司令官から出されたいわゆるマ書簡は、明らかに当時
日本における共産主義勢力に対する、これを弾圧するためにのみ大きな
理由を以て出されたのであります。即ちマツカーサー書簡は、当時の政治的
考慮を以てなされた現実的な効力を中心としたものであると考えられるのでありますが、然るにその書簡の中にあつた政治的行為の中から生まれた
趣旨において
国鉄、専売を
公共企業体にするという、それが適当であるという文章によ
つてにわかに研究がなされ、研究の完成を待つ間もなく、占領軍の数々の示唆を受け、勧告を受けて、
国鉄、専売は
公共企業体として発足をいたしました。ですから今日においても、或いは当時におきましても、純然たる
経営論から言うならば、
国鉄専売或いは電通ばかりでなく、まだまだほかに
公共企業体の対象として考えられるべきものは、純然たる立場から言うならばあるはずであります。ともあれ、このような倉皇の間に研究と準備の不足のままに
国鉄、専売は多くの矛盾と副作用を生ずるに至りました。即ち電信
公社法案が生まれたところの日鉄法によりまして、
国鉄の財政上の自主性は認められません。而もその中でその独裁性を鋭く追及されました結果、
建設改良等の工事は渋滞し、技術研究部門は縮小されましたし、労働者の労働条件は一大打撃を受けましたし、補修政策は地方路線の修復や設備
改善の停頓と犠牲によ
つて行わざるを得ない羽目になりました。特に従事員の伝統的な訓練
制度も大きな支障を受けましたために、直接的な原因がほかにあるとは言いながら、悲惨な桜木町事件の惹起を招くことになりましたのは、当
国会の行政監察
委員会或いは
予算委員会において、指摘、勧告を受けたところであるのであります。今回この
法案が殆んど日鉄法と同様、財政的行為に対して詳細な
規定による制限を加えていることに対しまして、このような点の反省を加えられるように切に要望をいたしたいと思うのであります。
次に本法によ
つて、この郵政省、電通省の機構の大改正となると思うのは当然であろうと思いますが、この点についても
国鉄の二回に亘る機構の改正が各方面において大きな批判を呼んだことを
一つ御
考慮願いたいと思うのであります。これは
一つには企業の
運営が従来のそれと異
なつて、実質的に運輸省が行政
監督の立場に立つことと
なつたことと、大体
内部組織におきましても、基盤の異なるアメリカの企業
運営をまねまして、例えば資材、経理、
営業等の各部門の上下の系統を直接輸送部門から切離したこと、そうして上下の
機関を地方管理局と管理部を別にしまして……、
一つにしまして、四段階制から三段階制にいたしましたこと。二十七の管理局を通して設置したこと等によるものであります。このことは
公共企業体として
責任制を確立する、こういうことを主たる
理由としたのでありましたが、却
つてそれぞれのセクト制の擡頭を招き、各部門がそれぞれ自主性を強調する結果となり、円滑な総合一貫性を欠く結果と
なつてしまつたのであります。このこともやつぱり
日本における
公共企業体の総合的研究と、各企業における歴史的
事情というものを尊重しなかつたゆえんであろうと考えるのであります。財政上の自主性がなく
なつたこと、それから本年度におきましても十分に保証されていないこと等は労使の
関係に大きな影響をもたらしております。例えばこの
法案が三十六条において、公労法の適用を受けるべく
規定をされているのでありますが、又
財務会計の項において数々の
規定がなされているのでありますが、これらのことは
公社当局が今日の
国鉄当局と同じような団体交渉や、その他労使の紛争において
国会の議決による給与の総額内という制限、七十二条でありますが……、によ
つて本質的に統治者能力を失
つているのであります。今日まで
国鉄における賃金紛争が、必然的にすでに両統治者間におきまして真摯な交渉が行われない。当局側は、私は統治者能力が余りないからと言
つて逃げを打つ。どうしてもそれが政治問題と
なつて
国会の論議となる結果をもたらしているのであります。私どもは終局的に言
つて公共企業体でありますから、
国会においての最後の議決となることについては、必ずしも否定するものではありません。併し少くとも今日までの紛争の欠陷を補うためには、七十二条を削除すると共に、公労法の十六条、三十五条を改正いたしまして、仲裁裁定が
公社及び
政府を拘束することになることなく、労資の賃金紛争をより迅速且つ誠意を以て解決できるようにしなければならない、こういうふうに確信をいたしておるのであります。本
法案の御
審議に当
つては、そういうところを併せて御
審議を願い、七十二条の改正をもして頂きませんと、仏作
つて魂を入れない結果になると考えるのであります。
そのほか
国鉄における体験を詳述いたしますと限りがないのでありますが、ここに言いたいところのものは、今申上げましたように、この
法案が正しい
意味の
公共企業体としての立案でなく、以上のような歴史の中に不完全且つ不備な
国鉄、専売に類似して立案されたことが最も大きな欠陷であるということを指摘をいたしたいと思うのであります。私どもは最初申上げましたように、
公共企業体というものは
民営論議が成立たない前提の下にこそ立案をされ、且つ
運営をされなければならないと確信をいたします。そして
国民大衆のために社会公共のためにこそ考えられなければならないと思うのであります。そのためには年々の収支のバランスだけを追及する狭義な
独立採算制は排撃されなければなりませんし、そのためには一部の政党や一部の資本家の
利益に奉仕することだけは絶対に排撃をされなければなりません。それにもかかわらず、この二つの点が今日なお例えば
国鉄におきましては、鉄道及び社線の、元の社線の自動車路線の払下
法案として
国会に出て来たり、煙草の
民営論が出て来たり、或いは又
国際電信電話株式会社法案と
なつたり、
会社の人事が政党の都合のいいように立案され、或いは
運営されたり、形式的な
独立採算制を以て補給金をやらん、借入金も余り出さん、建設公債の発行はなかなか承認しない、郵便
料金は上げない、すべて自前で解決しろ、こういうふうに強要されておるのであります。こういうようなことでは、
公共企業体は何らの積極的な
運営をも期待することはできないと考えるのであります。全電通労働者の諸君はもとより、
関係の諸団体がつとに
電信電話事業の再建の方式を提案し、建設的な方向を推進しておる熱意は大いに尊重されるべきであるにもかかわらず、以上のような現実がこれらの熱意を冷却させ、勤労の意欲を蹂躪しておることを十分お考え願いたいと考えるのであります。
公共企業体は
国民大衆のために
能率的な
運営を図る
意味においては私は十分に考えなければならんと思います。そのためには無駄とむらと無理とは、まあ簡単な表現をいたしますと、こういう三つの点を廃止しなければなりません。我々は本来の完全な国営においても、所期の目的は達し得ると考えておるのでありますが、率直に言いまして、今日の官僚の学閥或いは権力追従主義等においては、容易に払拭は困難であります。その場合においての
公共企業体は第一に無駄をなくすることであります。これは
法案並びに
運営の面において具現をされるようにお願いをしたいと思います。それはどういうことかと言いますと、
政府や
国会或いは郵政省による二重三重の
監督や束縛を最小限度にとどめることが第一であります。又
内部におきましては、管理機構を縮小して現場における運用を全からしめることであります。そうして
公共企業体の自主的な一元的
経営を図り得るようにすることであります。第二番目のむらをなくするために長期の建設計画を立てさして、それに向
つて全努力を集中できるように財政上の自主性を認め、且つ
政府による人事容喙の制限をしないことであります。第三番目の無理という点につきましては、労働条件の犠牲による企業
運営や狭義の独算制を追及する無理を廃しまして、従事員の積極的
意見を取上げて、これを伸長せしめるようにして頂きたいと思います。こういう点が排除されますときに、
公社は本当に魂が入つた建設的な、いわゆる
政府が一応提案
理由に挙げております
内容を私は貫くことができると思うのであります。
抽象的ではありますが、以上の前提に立
つて私はこの
法案に対して具体的な結論を述べたいと思います。第一には、
日本における
電信電話事業の安定と発展を、又これから大衆のために建設的に推進するためには
民営論議を払拭することであります。このような疑念が今日なお存する限りにおいては、
公共企業体は基盤を確立し、
関係する従事員の協力を得て健全な発展をすることはできません。従いまして私は
国際電信電話株式会社法案に対しまして反対をいたします。まさにこの
法案は最近の政策の多くがそうであるように、儲かる企業は国から資本家に移して行き、儲からない企業は狭義な独算制を強要して行く、こういう資本主義的な本来の利潤追求の現われと私は見ておるのであります。この
法案によ
つて国内通信との有機的な連携は著しく阻害されるでありましようし、利潤追求の結果、却
つて実質的な
サービスは落ちるでありましよう。
関係労働者は身分上に大きな犠牲を強いられることは必然であろうと考えるのであります。又この際電通の当局が最近次々と建設倉庫、輸送等の傍系
会社を設立をされるようであります。電通
事業の一部をこういうふうに少しずつ切離して行くようなやり方につきましては、注意を喚起いたしまして、電通
事業の総合的立場を失うことのないように希望をいたしたいと思うのであります。
第二番目には、この
日本電信電話公社法案について結論的に申しますと、仏作
つて魂を入れない、こういう
意味において私は反対をいたします。魂を入れなければ駄目だ、こういう
意味であります。具体的に申しますと、第一には
経営委員会についてであります。
国鉄にも管理
委員会がございます。
経営委員会は
一つの考え方だとは思うのでありますが、この特別な
決定機関を設置しながら、国及び
国会より受ける法規上の束縛に重要な改正が現行の
国鉄に比して何ら認められておりません。ですから一生懸命にやろうと思つた
経営委員が先ほど述べられたように
報酬はなし、それからきめたことは
国鉄、専売と殆んど同様に、国、
国会或いは又
関係省から制限を受けるというふうになりましては、何のために
経営委員会を設けたのか、その意義たるや誠に失われて行くと思われるのであります。ですから若しこの
経営委員会を設けるならば、これに権威を持たして、第四章
財務会計の項においては、
公共企業体の自主性を設けるように大きな努力を払わなければおよそ
意味がないと思うのであります。それから役員及び職員の項でありますが、一番細かい点はいろいろありますが省きまして、一番私の申上げたい点は、二十九条以下、例えば任用の基準、給与、降職及び免職、休職、懲戒、これらの項が書いてあるのであります。これは
国鉄にも書いてあります。併しながら根本的に私は皆さんに
意見を申上げて基本的な再検討をお願いをいたしたいと思うのであります。どういうことかと言いますと、これらは本来労働条件であります。
公共企業体労働
関係法を仮に適用いたしましたにしても、十八条の二項におきまして、これらは団体交渉の対象としてきめられておることであります。労使の
関係に委ねられておることであります。又企業的な
経営をするにつきまして、労働者との
関係にゆとりを持たせ、幅を持たしてや
つて行くということは大いに企業としては重要なことであります。そういうことをなぜ法律の中で枠をきめなければならないかという根本的な点について、私は
国鉄法の場合にも極めて強調いたしたのでありますが、今日又それを全然
国鉄法と同じようにここに羅列をいたしておるのであります。こういうふうなことをいたしますがために、別項の給与の総額と合せまして、電通の
公社当局は、法律にきめられておるから、こういうことについては私どもは当事者能力もありませんと言
つて労働者を政治闘争に追いやる、まあ一部で私どもにときどき批判がされておるのでありますが、政治闘争に追いやる、こういう結果になるのであります。こういうことはこの
法案にきめなくても、
公社がそれぞれ自主性を持
つておきめになればいいのであるし、労働者は団体交渉の結果いろいろ
納得したところに落着けて、それで
納得をして労働者が働らくという、こういうふうにすべきのが当然であります。いわんや
公共企業体として、これから企業能力を伸長させ、労働者の勤労意欲或いは協力を得るという立場におきましては、これらの二十九条以下三十三条までは削除をすべきである、私は特にこれだけは皆さんにお願いをいたして置きたいと思うのであります。
それからそれに関連をいたしまして二十八条の第二項であります。ここも
国鉄法と殆んどではなくて、まるつきり同じであります。第二項には、職員であることができない人の中で除外例として、町村の議会の議員である者はまあ兼職ができる、町村の議会の議員はこの職員と兼職ができるということに
なつておるのでありますが、本来
国鉄だとか、或いはこの電通
関係の職員は町村の末端にまで滲み渡
つて存在をいたしておりまして、町との
関係というものは非常に
関係が多いのであります。これは従来はこの町村ではなくして、更に高いところまで兼職ができておつたのであります。これは単に組合の役員であるから、そういうことを言うのではありません。地方における鉄道とか、或いは電通、郵便局とか、或いはそのほかの我々の立場から言いましても、町村、地方議会と密接な連繋をとり、協力
機関を作る
意味におきまして、この二十八条の町村というのを地方自治団体の議会の議員というふうに是非御修正を願いたいと考えておるのであります。
それから三十四条の服務の基準に「職員は、全力を挙げてその職務の遂行に専念しなければならない。」、但し「組合の事務に従事する者については、この限りでない。」、こういうような項目がございます。これもやはり
国鉄法と同じでありますか、こういうふうに但書を設けるならば、もつと幾らでもあります。全力を挙げずに一部を別の職務の遂行のかたわらやることができるというのは、勤務及び休暇
規定を考えましても多くあるのであります。逆に私はこういうふうな「全力を挙げてその職務の遂行に専念しなければならない。」ということを謳うことによ
つて、却
つて職員の基本的な人権を蹂躙をする、こういう虞れがあることを常に痛感をいたしておるのであります。こういうことは抽象
規定であります。抽象
規定が却
つていろいろの場合に民主的であるべき職場において封建的な反動的な空気が支配し、職場が暗くなるということも考えまして、三十四条につきましては削除をせられるようにお願いをいたしたいと思うのであります。
最後はこの「
財務及び
会計」に関しての問題でありますが、妙なことを申しますが、私はこの
公社の
法案を通読いたしまして勘定をいたしましたら、「してはならない」、「なければならない」、「いけない」という文字が四十六ございます。子供みたいなことを申しますが、実はこれが先ほどからお三人のかたも口を揃えて言
つておられるように、これでは自主性がない、
企業体が本当に積極的にやるのを阻害をしておる、極端な言葉で申しますれば、これは電通
公社に対して国がその破壊活動を防止する
法案だというふうに極言もされるのであります。こういうふうなところが、特にこの「
財務及び
会計」この中にしてはならない、しなければならないという文字が一ぱいあるのであります。ここのところを基本的にお考えを願わなければたらないと思います。四十一条、四十二条、四十三条、こういうようなところにつきましては、特にこれが言われるのでありまして、
国会に
審議を求め議決をする、
政府を通じて決を求めるというようなことは、
予算の本当に総括的な
事項を定める
予算総則と言いますか、そういうふうなことだけにして、あとは一切、例えば歳入歳出の
予算一切は単に参考として
国会に出し、それについては
審議の対象とはしない、そうしてあとは一切
公社にやらして、その
経営の結果について
責任を追及する、こういうふうにせられるのが至当であろうかと考えておるのであります。その点は四十三条の七号まできめてあるのでありますが、結論的に言いまして、私は仮に認めるにしても一号だけで、二、三、四、五、六、七、これらにつきましては、これは
公社に任せ、あとは
郵政大臣なりに報告をするにとどめて、これは一切削除をしても差支えない、こういうふうに考えるのであります。特に労働者として強調いたしたいのは、七十二条の給与準則の
規定であります。先ほど労働条件について言及いたしましたが、これは最もその根本的なところでありまして「
公社は、その役員及び職員に対して支給する給与について給与準則を定めなければならない。」、そうして支出は「
予算の中で定められた給与の総額をこえるものであ
つてはならかい。」、この
規定が全く労働者として一番根本の問題である賃金の値上げ、その紛争、これらは
国鉄もそうであり、恐らく
電信電話公社においても今後とられるでありましようが、当事者能力がないからとい
つて全く逃げてしまわれる、そうして労働者が挙げてこれを
国会に持
つて来る、
国会の周りを取り巻く、或いは
国会に入
つて皆さんにお願いをする、それがああだ、こうだということになるのでありまして、本当に企業を健全に、而も労使の
関係を紳士的ならしめるためには、この給与準則の七十二条につきましては削除することが一番本
法案の成立に当
つて重要な問題であるという考えをいたします。
それから
利益金の
処分乃至は
損失の処理につきましては、先ほどどなたかおつしやいましたように、
政府へ上納する
制度というものをやめて、そうしてこの
独立採算を追及されるならば、それを積立て、又は従事員の労苦に報いるというふうな方式において、この六十一条については修正をされることが大事な問題であると考えます。
最後に余り目立たないところで大事な点でありますが、八十条の恩給についてであります。この恩給は八十条におきまして、現在公務員たる者が引続いて
公社の職員に
なつた場合には、「二十条に
規定する文官として勤続するものとみなし、当分の間、これに同法の
規定を準用する。」と書いてあるわけであります。ですからこれから勤める人には恩給法というものは適用されません。これは
国鉄もそうであります。私は必ずしも恩給を全部
公共企業体に適用してくれというふうな言い方はいたしませんが、今日まで既得権として持
つておりましたこの恩給法を今後の人に対しては適用しないというならば、それに対して代りの措置を何らか図らなければ、極めてこれは従事員にと
つて誠に不都合ではないかということを最後に申上げまして、以下細かい点につきましては省略をいたし、結論的には私はこの両
法案に反対をいたします。
国際電信電話株式会社法案につきましては絶対反対、それからこの
公社の
法案につきましては仏作
つて魂入れず、こういうことで修正がなされなければ、これはいけない、こういうふうな結論を申上げて各位の深甚なる
考慮をお願いいたしたいと思うのであります。