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説明員(小島慶三君) 問題の焦点が
評価という点にあるように思われますので、その点に関しまして少し詳細に御
説明して参りたいと思います。先ほど
中川経理長から申されましたように、当時の
配電統合時代の
評価につきましては、
公営、
私営の区別なく細目の
基準を
評価委員会できめまして、その
基準に
従つて公営だからどう、
私営だからどういうことなしに平等にと申しますか、
評価額を
決定して作
つたわけでございます。
評価の
方法といたしましては、先ほども御
説明がありましたように、
原価主義とそれから
収益の還元
方法、この二つのシステムを組合せたわけでございます。この
方法につきましては、当時
評価委員をしておられました太田哲三先生がこの公聽会で述べられましたように、日本製鉄株式
会社設立のときに用いられた
方法でありまして、
一般に公正妥当と認められ、当時の体系理論上の
方法を適用したということであると申されております。この場合に
原価主義と申しますのは、純粋の
簿価主義とは
ちよつと違うのでありまして、これは一種の修正
簿価主義ということができるわけでありまして、真実且つ有効な建設原価から適正な原簿額を控除したものを以ちまして
評価益といたすわけでございます。従いまして建設原価につきましても、帳
簿価額をそのままとらず、従前建設原価に算入すべきものであ
つて脱落しておるものがありました場合にはこれを加算して建設費といたしておるのであります。又現存額につきましては、従来の
減価償却をそのまま
通りとりませんで、標準
減価償却と
経過年数を
基礎にいたしまして算出いたしておるわけであります。当時はいずれにいたしましても、会計の非常に精密な理論的な運営が各企業の間でバランスのとれた形でなされていたかどうかという点につきましては、非常に問題があ
つたと存じますので、この点につきましては水脹れであるものは修正し、過小なものは修正する、大きく修正する、こういう
行き方で修正
簿価というものを
決定したというふうに我々は聞いておるのであります。又
一般的には、この場合に
簿価よりも低く
決定されたということではありませんで、
一般的には
評価益を出しておるという点が先般の太田哲三氏の証言にも明らかであります。従いまして不当にこれを低く圧縮したということは
公営私営の別なく、
公営だから圧縮した、
私営だから圧縮したという問題ではありません。
評価方法を理論的にと
つて行
つた結果が、場合によりましては、水脹れの
会社についてはそういう例があ
つたかも知れませんが、
一般的には
評価益を出しておるのでありまして、この点につきましては先ほどの
お話は少し違りのではないかと私はかように
考えております。もう一つ組合せました要素といたしましては、
収益還元の
方法があるのでありますが、これにつきましては最近年度における建設費に対する益金の平均
割合を出しまして、これを統合時の建設費に乗じました
金額を七%の利率を以て還元した
金額を
評価益とするのでありまして、最近
事業年度といたしましては、
一般に最も
収益率の高か
つた昭和十五年というものをと
つております。これは先ほど
中川経理長の御
説明にもありましたように、
日発の場合にこれが十年というものの年間でとりましたものに比べまして、非常に
収益の見方が有利にな
つているわけであります。なおこの二つの
評価方法の組合せにつきましては
原価主義、即ち修正
簿価主義を一の要素といたしまして
収益還元の
方法を二のウエイトにと
つております。この
意味におきましては、
収益率の高か
つた企業に対する
評価の
方法を頗る有利にしていると言わざるを得ないのでありまして、特に
公営が
収益率が高か
つたという事実が或いはあ
つたかと思うのでありますが、そういうものに対する実際の現実の尊重というものは、妥当な
方法でなされているというふうに我々としては
考えるのでございます。それから、従いましてこの結果として出されました
評価につきましては一応
一般的な
評価基準というもので国として
決定した
評価額でありまして、それを以ちまして
対価をきめて、その授受を完了しておるわけでありますから、そのときに残
つた対価の一部が
公納金として残
つたという点につきましても、会計理論的に見ましても、当時の行政
経過から徴しましても、
ちよつと違
つておるのではないかというふうに我々としては
考えておるわけであります。
対価の授受はいずれにしましても法的に済んでおるわけでございます。公正妥当に済んでおる。この点は太田氏の証言にも強調されておるところでございます。それからこの
対価の授受が済んだ以上は、補償の開脚がもはや起らない
性質のものでありますけれども、これにつきましては
一般的な当時の政治情勢その他から見て、政治的な專ら配慮の下に
公納金というものが
制定された。この点も太田氏の証言にございます。その場合に、この補償の
性質が
配電会社と、それから
公共団体との間の損失補償の
性格を持つものであるか、それとも国家補償の
性格を持つものであるかという点が次に問題になるわけでございますが、この点につきましては先ず
経過的な問題と、それからその後におきまする実際の運営の問題、この二つの面から
考えて参りたいと思うのでありますが、先ず第一に
経過的に申しますると、当時の
関係者から経緯を伺いますると、この
公納金制度をとりまする場合に
公納金で行くか、それとも一応
配電会社が
公共団体に全額を支出いたしまして、その全額のしわを
日発のプールに寄せまして、それに対して国家が補償金を支出するという、つまり
公納金を出させてこれを
免税で行くか、それとも
日発の補償で行くか、この二つの
意見があ
つたようでありまして、結局
日発の補償
財政支出というものよりも、
財政收入を減ずるという今の
行き方で
公納金制度がとられて来たというふうに我々は承わ
つております。従いまして、その面から見ましても、
経過的に言いましても、国庫補償の
性質が明らかに打ち出ておるというふうに我々は感ずるのでございます。
それから第二の問題といたしましては、補償の実際の額といたしましては、
公共団体の従来の
利益の九五%、それから統合によりまして生ずる
収益、この差を一応国家補償の額として
公納金の額としてと
つておるわけでございまするが、純粋に損失補償の
性格を持
つておるものでありますれば、配当利子その他を全体の
公納金の限度額から差引けばよいということに相成ると思うのでありますが、実際の
配電統制令の三十四條にも書いてありますように、そのほかに、
公共団体が
日発に
出資しました結果生ずる配当、それから
配電統合によりまして新たに課せられる電柱税、その他のものも実際の限度額から引いておるわけでありますから、そういう
意味におきましても
地方財政の現実の額というものを
考えて、その面から
公納金の
金額というものをきめておるというふうに見られるのでありまして、これも国家補償的
性格を持つ
公納金の見方としましては非常に重大な点であるというふうに現在我々感ずるのでございます。
それから第三の問題といたしましては、当初
公納金制度がとられましたときには、配当金その他で
地方団体が受けますものと、
公納金の
支払額との間の
差額の最後処理につきましては必ずしも明瞭でなか
つたわけです。即ち
法人税額に対しまして配当金が上廻る場合には、
公納金の上廻る場合には控除せらるべき
公納金の原資がないわけでありまして、その点だけが国庫補償的な
性格から国庫補償的な全額から足が出るということになるわけでございますが、その点につきましては十年間最終年度までの
法人税で
軽減するというふうに
大蔵省の通牒で明確に定められておるのでありまして、この点もやはり
公納金の国家補償的な
性格を示す一つの例であるというふうに
考えられるのでございます。
それからなおもう一点申上げたいことは、これはもうすでに先般の公聽会等でも繰返されておる点でございまするが、この十年ときめましたことにつきまして何か
復元その他の期待と申しますか、そういうものが絡んでお
つたかどうかという点についてでございます。この点先般公聽会で当時の
関係官でありました内田氏が述べられたところによりますると、総動員審議会におきまして、この十年間になぜきめたかという点の質問に答え、当時の松隈主税
局長が、十年間に
地方公共団体の
財政原資としては他に適当な
方法を求めよう、こういう
趣旨である、そういう
意味で
経過的に十年というものをきめたのであるというふうな答弁をしておるという旨の陳述があ
つたわけでございますが、そういう点から見ましても、当時の公式記録に載
つておりますそういう点から見ましても、やはりこの十年というものは
復元を予想してのことではない、
地方財政の変動その他
財政体系或いは
地方財政のよります客観的な社会諸情勢というものの変化に対応すべき途を何らかこの十年間の間に求めよう、こういう
趣旨であ
つたと我々了解するのでありまして、そういう点からいたしますると、むしろこの
公納金制度を現在延長するかどうかという問題は、
地方財政一般の、全般の体系の下に愼重に考慮判断せらるべき問題ではなかろうかというふうに
考えられるのでございます。補足いたします。