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栗山良夫君 今の問題も
委員会の
一つ問題として取上げておいて頂きたいと思います。私ももう少し実際に研究をして行きたいと思いますが、お願いをいたしておきます。私の質問はこれで終るわけでありますが、もう一遍念のために、
委員長に議事を今後切廻して頂くためにも、又
公益事業委員会なり
安定本部のいよいよ結論を出される場合の是非とも意見として取上げてもらうためにも、整理して申上げておきます。
先ず
最初に、今度の電気料金の値上問題につきましては、昨年の夏のときにいろいろと世論の批判もありました
通りに、
電気事業者が要求する値上の所要総額というものが恐らく適当であるか否かということについて問題が起きると思います。従いまして値上をいたしましていわゆる收入を増さなければならんということは、反対に
電気事業者の経費が足りないということになるわけでありますから、いわゆる経費が、値上を予定いたしましたところの反対の立場にある経費が、反対の立場でなくて、値上をしなければならん根拠になる経費が、各方面に
亘つて合理性を持ち真実性を持つかどうかということについては、これは当
委員会が最も関心を払うところでありますから、極めて明快なる
資料を用意せられて、成るべく早く
説明をせられたいということが第一点であります。
それから第二点は、先ほども繰返して申しましたように、料金値上の
基礎になりますのは、いわゆる
供給力の問題になるわけでありまして、
従つて供給力につきましては、今日持
つておる電気事業の発電設備等を総動員をいたしまして、そうして一
キロワツトといえども無駄にしないところの
計画が必要であることは私は否定をいたしません。併しながらそういうような心組でやります場合に、実行不可能ないろいろなアサンプシヨンがこれに織込まれ、或いは又実行が短
期間ならばできますけれども、そういうことを毎年繰返しているために、
電力設備というものが戰争中と同じように荒廃して行くような
傾向を持つのでありまするならば、これはやはり限度がありまして、適当なところで切らなければならんと思うわけであります。そういうようなところを勘案せられて、そうして二十七
年度の
電力の
供給力の算定というものは、どこから見ましても絶対に確実であり、而も電気事業の経営にはいささかも不安を與えない、そういう
数字であるものを早く作
つて頂きまして、この
委員会に
説明を願いたいということが第二点であります。
それから第三点は、そういうふうにしてきまりました場合に、いわゆる料金の値上の負担を
需用家にさせるわけでありますから、
従つてその負担をさせる場合には、單価が
業種によ
つて違うことは箇別原価主義の考えからい
つて当然でありますが、併しそれは單価の違いと
電力の標準
電力量の割当との相乗積を以て差等を設けるべきでは絶対にない。飽くまでも單価は、先ず
標準料金の枠にある
電力料というものは全
需用に対しまして一律にいたしまして、そうしてそれによ
つて火力料金の單価或いは
標準料金の箇別的な原価主義に基くところの單価が出て来るでありましようが、そういうものを余り政策を加えないで、理論的に出すべきである、そういうことを私は考えるわけであります。この点を特に関心を強めて頂きたい。
それから今の場合は地域差の問題には触れませんでしたが、当然各社別に行うわけでありますから、
従つて現行の地域差料金を縮めるのか縮めないのかということは、各社の融通のやり方並びに融通する卸売
電力の單価の問題と併せ絡みましてこれもおのずから結論の出て来る問題であろうと思うわけであります。
従つて電力料金の値上の問題は非常にむずかしいように考えられますけれども、そう大してむずかしいというのではないわけですから、そういうような中心点において
一つ手落ちなく解明せられて、昨年の夏この
委員会で紛糾をいたしましたようなああいう、何と申しますか、手落ちというか、拙劣さを再び繰返さないように、
一つ……。そうして更に電気事業の健全な発展を図りますためには経費の節減に努めなければなりませんが、節減を努める努めると言いながら、先ほど申しました公納金だとか或いは諸課税等が電気事業にますます加わ
つて来るというようなことは好ましくない……。自由党が出されんとしている電源開発促進法を見ましても、これはいろいろな意味において国の公益事業としての電源開発企業体に対して特別な措置が講ぜられております。そういうものが電源開発特殊法人であるが故に講じ得る。そうして電気事業は講じ得ないという理窟は私は成り立たないと思います。その点もやはり発電から配電まで一貫した
一つの方針として、公益事業としての電気事業を見てやる。こういう私は気持がなければならんと思うのであります。そういうような考え方から今度の料金値上は、私はただ電気料金を何円のものを何円に上げるのだ、その上げ方が多過ぎるじやないか、少な過ぎるじやないかというような皮相な考え方で研究をし検討をしたいとは考えておりません。電気事業が持
つているいろいろな
只今の矛盾は、すべて電気料金にいわゆる集中的に現われて来るわけでありますから、
従つて国民が納得し得る電気料金が設定されるということは、結局言い換えますと電気事業に対する国の考え方なり政策なり、更に大きく言えば、産業政策そのものがやはり
一つ表現せられるということになるであろう。こう考えておりますので、今日は
山川さんが指摘された
通りにまだ序の口でありまして、余り内容まで入る
資料もありませんし、そういう
状態でありますから、この辺で私は注文はたくさんつけておきまして、質問を終ります。