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参考人(
金森徳次郎君) 私の申上げる主たる点は、特別区の
区長を任命することが
憲法に違反するかどうか、こういうことでありまするが、問題は
法律的に言えばそれだけに限定せられるはずでありますけれども、周りに存在しますところの
現実のあり方と
組合わせれてこの問題は解決せらるるように思いますから、少しくその周辺にも触れて申上げたいと思います。
この
憲法は極めて
簡單に
地方自治団体というものを
規定しておりまして、これが如何なる
性質を持
つておるかということを明らかにしておりません。そのためにいろいろな疑問を捲き起したのでありまするが、私
世上に現われておりまする
議論を
二つの系統に分けて見まして、そのいずれにもいささか
違つた見解を持
つております。第一の
見解は、
憲法はただ
地方自治体という
名前を示すのであ
つて、その
実体は
法律を以て
組織、
運営その他の各方面に亘
つて規定するものである。
従つて自治体の
制度は本来
自治政策の
法律問題に属するのであ
つて、
憲法に直接の
関係を持つものではないと、こういうような
議論によ
つて、例えば特別区が
憲法と無
関係なようにも当然にできるように
議論せられておる。この形につきましては私はいささか
疑いを持
つております。それから他の
一つの
議論から申しますと、いやしくも
地方自治体という名が何らかの
関係で
法律的に與えらるるならば、それは当然
憲法のいわゆる
地方自治体である。
従つて憲法に
規定しておるところのいろいろの細かな制限はこれに当てはまるものである。こういう
議論も一面においてあるように思いまするが、これにつきましてもいささか
疑いを持
つています。
私は
考えまするのに、
憲法が何故に
地方自治体の
制度をその中に盛り込んだかと言えば、これまぼろしのごとき空なるものを予想しておるのではなくて、
現実の我々の
社会の中にある
地方自治体というものを
念頭において、而して
憲法が望むところの
制約をこれに加えんとするというふうの
考え方と思うのであります。なお類例をとりますれば、
憲法は人というものを
念頭に置いております。すべて人は
法律上尊重されるというような
原理があるといたしますれば、その人というのはどんなものでもいい、ただ
法律的観念によ
つて人を作り上げるなら何でもよろしいと、こういう
意味ではなくて、おのずから人とはこういうものであるということを
前提にしておるはずであります。人につきましては何も
議論が起るわけでなくて、昔のように黒人は人であるかどうか、こういう
議論のあ
つた時代は別として、現代におきましては、人というものにつきましては異論の起る
余地はございませんけれども、
地方公共団体という面になりますといささかそこがあいまいにな
つて来るのであります。なぜかと申しますと、
地方自治体というものは、一面において
社会的な事実を
基礎としている。それも必ずしもはつきりしたものではございません。その上に
地方自治体は
法律的な
承認を待
つて出て来るものでありまして、
法律は或る程度まで大きく
自治体を認めることができ、小さく
自治体を認めることができまして、いわゆる生殺與奪の権を持
つているがごとき感じがいたします。でありますから
基礎がすでにあいまいである。その上に
法律の
承認ということがかなり自由の
範囲に亘
つておりますから、そこで先に申上げましたような
憲法の
自治体自体について
二つの
見解が現われて、一方は
法律で自由自在にこれを形成することができる。他方はそうではない、もつと
嚴密な
制約を持
つて、
名前が
地方自治体とあれば何でも入るのだというこの
二つの
考え方は、今申上げましたように
憲法の予想する
地方自治体というものが運命的においてあいまいなものであるということから生まれて来るものと思います。併し
憲法が折角
地方自治体を認めてこれを
承認しようとしているときに、單にそれが
自治体行政の政策的な問題であ
つて、
法律で以て
如何ようにするのがよいか、例えば堂々たる
自治体であ
つても本物の
地方自治体ではない、こういうように作り変えてしまえば
憲法の
規定を離れることができるという、こういうことの
考えは恐らく
憲法の全
精神を破壞するものであろうという気がいたします。
そこで内容は非常に
茫漠としておりますけれども、
憲法はおのずからその
地方自治体と申しますものについて或る
一つの理想的な或いは標準的な形態を予想しているものであろうと
考えます。その
実体はそんなに明瞭なものではございません。併しおのずから
一つの
社会がちやんとそこは
自治体である、
地方自治体として本格的に取扱う、こういう
観念があるに相違ないし、又それがなければこの
憲法はただ空虚な文字であるということになろうと思います。そこでそのような
憲法の認めておる
地方自治体というものが
一体どんなものであるか。今まで
世上に現われました
議論を見ますと、例えば
基礎的なる
地方自治体がこれに入るとか或いは一般的な
地方自治体がこれに入るとか、そのほかのものは必ずしも
憲法の言う
地方自治体ではない、こんなようなふうに言われているのを拝見いたします。それは何も間違いとか何とかいうわけではございませんけれども、いささか
言葉が
簡單に過ぎて、その
実体をつかむことがむずかしいのではないかという気がいたします。さればとて私が直接に非常に明快にお答えすることはできません。こういう生きた
社会に存在しますので、複雑なる観察の方法でこれをつかまなければならんと思うのでありますが、先ず第一に実際学問上の
公共団体、即ち
社会的な
意味におきましての
公共団体という
本質を備えないものは如何に
法律が
公共団体らしく装いましても、それは
憲法では尊重する必要はないと思います。何となれば
憲法はいつも
地方自治体の
本質というものを
考えておりますから、それに該当せざる、例えば一個の人間を以て
地方自治体とする、そういうことは少し奇異になりますけれども、昔の思想では單独の一人が過去、現在、将来を通じて
一体をなすということで
一つの法人を
考えてお
つたこともございますけれども、そういうふうなものは
地方自治体の
考えには入りませんと思います。
そこで
公共団体という
実体を一応は持
つておるけれども、
社会の事実といたしまして、これに対していろいろな
法律的特色を認めて行くときに、つまり
法律が
地方公共団体として取上げて行きますときに、それはいろいろなものができるわけであります。とても
一つの型には限らないのであります。
日本の
現行法制の上におきましても種々雑多なるものが出て来ますけれども、この中のどれが
憲法に言う
地方公共団体であるかという点を見分ける標準がどこにあるであろうか、この点に入
つて来るのでありますが、これは結局
憲法の持
つております
規定を
念頭に置いてそうして解釈するよりほかに途はないと思うのであります。
憲法はどういうことを
規定しているか、
幾つも
規定しておりますけれども、併しその要点といたしましては、
意思機関も
住民の直接
選挙で、
議決機関も人民の直接
選挙である。而も
憲法十五條を以て解釈いたしますと、
成年者普通選挙という形をと
つております。満二十才になれば男女何
物たるを問わず公務員の
選挙を行い得る。
従つてこの
規定は当然に
地方自治体に関する
選挙の
規定を制限するものと思
つております。ほかの点は
暫らく別といたしまして、そういうことを基にして
考えて行きますと、これらの
二つの
特色は
地方自治体として守らなければならない
原理を示しているものでありますけれども、これを逆に言えば、この
原理を当てはめたときに何としても非常識だ、
原理から
言つて、少くとも当てはめて見れば
一つのこういうものになるという
自治体を仮定いたしますれば、恐らくそれは
憲法の言う
地方自治体ではないということになりそうであります。逆のほうから、効果の及ぶほうから本体を推測するということは少しく無理な論法でありますけれども、併し
憲法の
制度というものはナンセンスでできておるのではなくて、裏表、左右、前後から
一つの
考えを生み出さしてあると思いますから、その
適用規定を当てはめてみて恐らく不合理であるというものは、
実体のほうがことによると
憲法の予想するものでないということになろうと思います。ですから私は
基本的自治体とか
普遍的自治体とかいうような
考えは、それはよくわかりませんが、ただ
憲法の予想しているようなそういう
規定を当てはめてみて、
社会の通念に
従つて、これならわかる、我々の
茫漠としている
考えをこの
規定に
従つて整理して当てはめて行くと常識的に立派な国家の
制度になる。こういう判断のできますようなものが
地方公共団体として扱われるものではなかろうかというような気がいたします。概念的に申ますれば、
選挙権が二十才というようなことになれば、その
規定を当てはめて見て如何にもおかしいというようなもの、そういうものがあるかどうか知りませんが、
観念的にはそういう
公共団体があればこれに当てはま
つて来ない。だんだん
一つ一つ当てはめて行きまして、そこで今
考えておりますところの特別区というものが果して如何なる
性質を持
つているかというところに入
つて行きますと、これは
世間に非常なる疑問があることに顧みましても、そんなに明白に疑なく答えるということは私ににはできにくいのであります。併し私
自身は現在の
制度のごとき、
東京都の特別区というものはいわゆる
憲法の
考えておる
地方公共団体に必ずしもはまるものではないという
説明ができるような気がいたします。つまり
区長を
任命制度にいたしましても必ずしも
憲法違反ということにはならないであろうという
結論を
日当てにしておいて所見を述べるのでありますが、実際
東京都の特別区というものの
組立は普通のものと非常に違いまして、その間に特別な
考えを加えなければならない要素が
幾多あると思います。
第一の点を
考えてみますれば、大きな
東京都というものの複雑な
組立であります。
カルデラ火山というものを見ましてもいろいろ複雑な
組織をしておる。殊に
自治体が二重
組織にな
つておる。例えば二十三区を合わせて仮に市という
言葉を使いますならば、市と区の間には複雑な
関連があ
つて、区は必ずしも独自の行動ができるものではなく、市の手足であるという
意味が非常に強い。この点におきまして完全なる
自治体の
性質を相当失
つておるものであるというような気がいたします。それからこの
一つの区が担任いたしておる
事務、或いは
機関の委任によりまして
区長が担任しておる
事務というようなものを
考えて行きますときに、私は正確な
数字は門外漢であ
つてよくわかりませんが、ただ聞くところによりますと、
一つの
区長を
中心として
考えてみまするならば、その担任いたしましまする
仕事のうちで純粋の区の
仕事に属するものは
経費から言えば十七%というふうに聞いております。者して半面市の
経費で以て支弁せられるものは八三%であると聞いております。この
数字の
嚴密な正しさはよくは存じませんが、恐らく区の
事務というものは
経費から言えば六分の一くらいである。
あとの六分の五は市の費用に属する
仕事をしておる。こういうことを
考えますると、よほどそこに
特色があるということが
考えられます。勿論広く言えば
府県知事の
仕事にみても、それは国費を以て支弁することが多いということは言えますけれども、併しそれは別といたしまして、区につきまして著しくその
関係があるということがわかります。そこで又第三の
違つた点について
考えてみますると、区には
区会がある。併し
区会が担任いたしまする
仕事というものは、今の
経費の支弁によ
つてもわかりまするように、その区の
仕事のうちの極めて小
部分にのみ
区会が
発言権を持
つておるということが推測できます。そうして
区長自身の施行する
事務、それが区の
機関であろうと何であろうと、つまり
区長の所管として執行いたしますこの
仕事の
範囲というものは相当大きな
分量であります。財政だけの見地で
言つても五、六倍の
分量を持
つておる、こういうことを
考えまするとき、ここに又著しい差が出て来るような気がいたします。それは
憲法が、区の或いは
自治体の
議会は直接
選挙による、同時に
自治体の
執行機関も直接
選挙によると、こうきめましたのは、
二つのものを対立せしめまして、
住民がいわば
主権者である、併しその
主権者の
意思に基きまして
決議機関と
執行機関を対立させて、その間に勢力の均衡を保たせしむることに無理の起らないような
行政を図るこの動機で、
日本の従来の伝統を離れまして両者とも独立な
選挙によるという態度をと
つたのでありますが、これは
二つのものの権能が、バランスが取れておるということから初めて言い得るのでありまして、
区長のする
仕事の大
部分が、その区とその区の
住民の意図に緊密に服せしめるのは不適当であるほかの
仕事が多いというような場合におきましては、今の
住民の直接
選挙の
原理を当てはめまするときは、
憲法の
規定の
精神とそんなに
ぴつたりしないような気がいたします。こういうところにも
考える
余地があるのではなかろうかという気がいたします。次に又
一体住民の
選挙によ
つてできましたところの
自治体の
機関というものは、それは実質上その
自治体に対して忠実であるというのが筋でありまして、
従つて上級機関からその
自治体の
機関、例えば
区長を
指揮、
督督、命令をするということはかなりおかしいことになります。やはり
選挙、
公選ということは、
上級機関の
監督権を自然排除するような傾向を持
つておるものと思いまするが、今
区長を
公選にすることにいたしますると、
東京都の二十三区に該当する
部分の
自治行政、先に市という
言葉を仮に用いましたが、いわば
東京市の行いまする
仕事を
区長が担任いたしまするときに、誰がこれに対して自由に
指揮、命令し得るか、又複雑な
自治組織として市が強く
発言権を持たねばならぬときに、それが区民の
選挙によ
つておるということは、実際これは理論ではなくて、自然の結果といたしまして現在の秩序の下におきましては非常にやりにくいというようなことになるということもございます。数え上げれば
世間で
幾多の論点を挙げられておりまするけれども、要するに
東京都というものが非常に複雑な、惡く言えば筋の立たないくらいにこみ入
つた自治体であるということ、それから区の
事務と市の
事務というものが
区長の肩に非常に複雑な
分量になり、釣合いの
違つたくらいの
分量においてかか
つておるということ、それから
区会の担任としまする
仕事と
区長の担任いたしまする
仕事というものが相対応するという
部分のみでなくて、不釣合に一方がふくらんでおるということ、或いは又
指揮、監督ということが
公選区長に対しましては現在のままでは非常にやりにくい、やりにくいということから起
つて来るいろんな故障がある、こういうことを
考えて見ますると、どこまで行
つたら
憲法の
地方自治体の
特色が外れるかは、それは非常に研究問題でありますけれども、先ず
憲法の
考えておりますような普通の標準的な形の
地方自治体とは言いにくいのではないかという気がいたします。
従つて私はかような場合に文字通りに当てはめて違憲論を起すだけのことはあり得ないではないかという気がいたします。
憲法の文字は多少擴げて読まなければならない場合はほかにも類例のたくさんあることでありまして、例えば
憲法の十五條、例の公務員の選任の場合に成年者による普通
選挙というものを保障すると、こう書いてありまして、普通の場合には公務員の選任には二十才以上の人間がすべて
選挙できめる、こういう
考え方は妥当いたしますけれども、特殊の場合に、例えば女子のみの集団から任命することもありましようし、労働者或いは資家本の方面からのみ選ばなければならない場合もございましようし、時と場合にはこれは違うものであります。それも
成年者普通選挙を保障するということは、特別な事情がない限り、
原則的にその道によるということだけであ
つて、例外をおのずから含んでおるものでありまして、この
地方自治体の場合にもやはり或る程度の例外を含んでおるということは先例もあり、
世間も異論のないところでありますから、ただどこから先がこの例外に場なるかということが甚だあいまいでありまして、この点は先にも申しました通り
社会の常識で判断するよりほかに道はございません。急所を
一つ押えて、この急所だに適うならばどちらかに属する、こんなふうにはつきりはできないという気がいたします。
そこで私は今申しました通り
区長選任の
制度というものは必ずしも
憲法に違反するものでないということを申しました。併しここに
一つ考えなければならないのは、
憲法の
地方公共団体に関しまする
規定はよしんばぴたりと当てはまらない場合におきましても、その
精神はかなり広く行き亘るものと思うのであります。複雑なる
自治体に対しまして
憲法の文字は当てはまらなくとも、当てはまり得る程度にこの文字は活用せられなければならん、それは文字以上に
精神が広く行き亘
つておるということは、これは動かすべからざる
原理であろうと思います。ところが
世上の
一つの
議論は、文字さえ外れれば何をや
つてもよい、こういうふうの
考えがございまするが、それは私どもとしてはこの
憲法を破壞するものであるという気がいたします。一例を申しますれば、この
憲法は先に申ました通り
意思機関と
執行機関というものは独立させる、
市民がこれを選ぶ、或いは
住民がこれを選ぶということではありまするが、その
二つの
機関の一方が他方を選ぶということを排除しております。これは昔の町村の長などの場合と全く違いまして、或いは又よくは覚えておりませんが、旧
憲法時代におきましては大体そういう
考え方、簡便を重んずるの余りに
議会が
執行機関を選ぶと、こういうふうの
原理をと
つておりましたが、この
憲法ではそれと
違つた原理を採用したわけであります。どちらがいいかということはこれはまあ
議論のあることであり、容易に決定はできませんが、併し
憲法は今までと
違つた別個の
議論をと
つて、これを行うことによ
つて徹底した民主主義が実行できる。然らずんば立法と
行政を対立せしめましても同じことにな
つてしまうという
考えをと
つたものと思います。国の場合は、総理大臣の場合はこれ又他の特別の事由がございましうが、ほかの、それを除きましては、大体
地方自治の面におきましてその
原理を辿
つておりまするが、それは守り得るならばできるだけ守りたい。勿論
憲法でどうされておるというわけではございませんけれども、
憲法の
規定の中に含まれておる
一つの潜在的な
原理として、守るならば守りたいという
考えがございまするが、果して区の
議会が
都知事の
承認を得て
区長を任命するということが、
憲法の
精神に顧みまして進歩的であるか、それとも退歩的であるかというところに私は非常に
疑いを持
つておりますけれども、
疑いを持
つておるから
憲法違反というわけではございません。これは妥当の
原理、どうすれば一番よいかということの
原理でありまして、実際
東京都のような複雑な
自治体になりますと、いろいろな工夫をいたしましても、どこかで行詰りが起る。で止むを得ずあらゆることを考慮した結果、この道が先ず一番抵抗の少いよき道であるということになれば、これは止むを得ません。それをかれこれ言うわけではございませんが、そこに問題が残
つておるのであります。これを純粋に
考えて行きますと、この問題を過去の沿革を離れまして、ただ理窟詰めに
考えて行きますと、私は
区長というものはやはり
区会と対立するものである。要するに区の場合は
議決機関と区のことを執行する
区長というものは対立すべきものであり、この限度におきまして現在の
憲法のこの地方
制度の形に倣うことのほうが正しいものである。よしんば不便はあろうとも、その不便は何らかの別の方法で除き去るのがいいのではないかという気もいたします。併し何と
言つてもこれは市全体の影響を受けることの強いポストであります。
仕事の上から申しましてもその市の
発言権を認めなければならないというときに、理論的に言えば二人の
区長を置いて、
一つは区の
区会と相対応する
事務の
区長、一は市そのほかの
仕事を担任する
意味のいわば市
事務の
区長、この二人があるということは形式、理窟ではありますけれども、一応はそういうことが成立いたします。併しそういう不便な
制度はとれないので、昔の地方長官と同じようにこれを一人に合体せしめるということから無理が出て来るのでありまして、この無理の出て来るところを如何に納めて行くかということになれば、結局区に関するもについては
区会がこれを選任する、市に関すものについては
都知事がこれを選任する、この
二つの
考えが生まれて来るのでありまして、このところをできるだけ区が選任し、それを一人の人間に固めて行くためには止むを得ず現在の
法律案が、流れついた、こういう
考え方もその
意味から言えば
説明のできんことはない。こうやりますれば一般的な監督が
区長に及んで、大きな
自治体とも調和でき小さな区とも調和できる、こういうふうな
考え方ができるのでありまするけれども、私はその妥当のほうはよく存ずませんが、
疑いを持ちつつ、
従つてこの
考え方は他日又最も合理的に整理せられて行く道が残
つておるのではなかろうかという
考えを持ちまして、ただ
憲法的に言えば別に非難する点はないと、かような
考えを持
つております。