○
参考人(
田中榮一君) 図面の
関係であちらで
説明さして頂きたいと思います。
五月一日の
メーデー騒擾事件に関しまして概括的に
国警の柏村
警備部長からお話がございましたが、私はこの都内に
発生しました
皇居前
広場における
メーデーの
騒擾事件のみに限定いたしまして一応御
説明申上げたいと思います。
事前の
状況としましては、先ほど柏村
警備部長からいろいろ
情報の入手の
状況とかまあそうしたものにつきましてはお話がございましたので、大体あの
説明を以て一つ御了承願いたいと思うのであります。当日は相当この
メーデーを利用いたしまして、一部の極めて
極左破壊分子がこの
メーデーに
参加して相当
暴行をなすであろうという大体の予想は我々もしてお
つたのであります。まあ
警視庁といたしましては、この
メーデーそのものの
秩序維持につきましては、できるだけこの
主催者であるところの
総評側に十分なる責任を持
つて秩序ある
メーデーを実施して欲しいということをかねがね
申入れをしておきまして、又その
主催者たる
総評の自主的な
統制に対して、我々ができることはできるだけ
応援協力も惜まないということを
申入れし、
両者事前に極めて密接な連絡をとりまして、この意義ある第一回の
メーデーを
平穏裡に而も明朗に盛大に実施をするように、
両者極めて協調の下に
計画が進められてお
つたのであります。従いましてその人員とか
メーデー行進の順路であるとかという具体的なことにまで
両者十分に密接な連絡をと
つて大体この
計画ができ
上つたのであります。
今回の
メーデーは
皇居前
広場が
メーデーの
大会会場として使用できないという
関係からしまして、
明治神宮の
外苑を
大会の
会場に充当することを
総評としては決定されたのであります。で、この
大会の
会場において
大会が終了いたしましてから、大体五カ所に分散して
メーデー行進をするということに手筈をきめまして、一つの班は
外苑から出まして新宿駅において
解散をする、第二の班は澁谷の
繁華街を
行進しまして、澁谷駅の、東急の駅の前の
広場において
解散する、それから第三の班は
宮城の外濠を廻わりまして、
九段坂を
通つて後楽園の
附近の
広場において
解散する、それから第四は
南部班と言
つておりまするが、これは溜池を
通り虎ノ門、田村町を
通つて日比谷公園において
解散する、これを
南部班と言
つております。それから
中部班はこれは
青山外苑を出まして、
赤坂見附からこの永田町の
自由党本部前を通過いたしまして、この議会の裏を廻わ
つてそして霞ヶ関へ出まして、
日比谷公園に出て
解散をする、こういう五つの分散
メーデー行進を実施することにな
つたのであります。
当日の
模様といたしましては、
大会の席上におきまして、石川島造船の一部急進分子が
大会に
参加して演説をやらせろというので席上でごたごたが起り、又
朝鮮人並びに全学連、都学連の急進分子が壇上を占領しましていろいろ演説その他についての異議の中立て等がありまして、
大会席上においても相当波瀾を招きまして、
メーデー主催者としましては成るべく早く
行進に移して、
大会を速やかに終了しようというような考えから
大会をできるだけ早く打切りまして、そして
メーデー行進に移
つたのであります。それで現在
警視庁としまして、この
メーデーに注込みました実際の
警察官の数は、沿道その他の
警戒並びに
解散地における
警戒又
会場の
警戒その他に約四千百名の
警察官を使用いたしておるのであります。そのほかこのいろいろの
事前の
情報からいたしまして、
メーデーの
行進中に或いは隊列を離れていろいろな
行動に出る虞れもあり、又
解散後に如何なる事態が
発生するやも測り知れませんので、管下七十三の
警察署は
警察署員自体をも
つてその署管内の
警戒警備につかせる、いわゆるその署の自衛態勢をとらせるようなことにいたしてお
つたのであります。従いまして各署の人員を引上げましてそうしてこの今の
メーデー行進その他にこれを取締りに従事させるということはできるだけ避けまして、大体支障のないと思われる極く少数の
警察署から一応人員を引上げまして、この
皇居前
広場と
メーデー行進の沿道の
警戒、その他に当ててお
つたのであります。
丁度この
中部班が
行進を権田口から東交を
先頭に
メーデー行進がプラスバンドで
行進を始め出しまするや、全学連、都学連並びに
自由労組、勿論
朝鮮人も入
つてお
つたと思いまするが、これらの一つのグループ約七千人くらいが別の団体を形成しまして、これはこの信濃町停留所の
巡査派出所のあの辺から出まして、権田口から出ました普通の
メーデー部隊等を追越しまして、馳け足でも
つてその
先頭に立
つてどしどし
メーデーとは全然別個な梯団として
行進を始めたのであります。そうしてそれが先ず自由党の前に行きまして、
学生群が投石等をいたしまして
暴行を働きました。それはそのまま霞ケ関を通
つて旧比谷
公園に入
つたのであります。そうして
日比谷公園の旧音楽堂の前に一応集合いたしまして、そうしてこれから
皇居前
広場につつ込む、人民
広場を我々の力によ
つてこれを戰い取れというような極めて激越なアジ演説等がその場で始められまして、そうして喚声をあげて日比谷の
公園の入口から日比谷の交叉点に突進し始めたのであります。それから今一つの
南部班は、これも青山の
外苑の電車
通りの口から
行進を始めまして、そうして行
つたところが、
朝鮮人の団体が途中から脱出いたしまして、この
中部班に合流して来たような状態でありまして、相当
メーデー行進としてはこれらの別動隊によりまして、秩序ある
行進が相当秩序を
破壊されてお
つたのであります。図面につきましてちよつと御
説明いたします。当時の
警視庁の
警戒態勢といたしましては、このここに三田と水上署の
警察官約八十七名ほどがここに
警戒しておりて、そのほかにここに第一方面
予備隊の二個中隊と更に一個中隊、合計三百四十二名が待機しておりまして、ここで先ず馬場先門を
警戒してお
つたのであります。それからそのほかにここに三田水上の両
警察から来て三十名、それから高輪の
警察署員六十七名、それから丸の内の署員八十二名、それからこのうちに丸の内の署員百五十二名、この辺に三十五名、それからこの櫻田門の入口のところに三十五名の丸の内署員が、これだけのものが
警戒配置についてお
つたのであります。これを全部合算いたしますると、大体七百数十名になると思うのであります。そしてこの
皇居前
広場にこれらの
デモの崩れたものがどんどん入
つて来て、そうして或いはここで集会なり、
大会を催す虞れがありますので、一応ここで防止するというような
警戒配置をいたしてお
つたのであります。それでこの数において非常に少いじやないかというような一応のお考えがあると思うのでありまするが、先ほど
説明いたしました
通りに、現在七十三の
警察署署員を引上げまして、これを
警戒配置につけるということは非常に困難であります。それから又
予備隊等も各方面にこれを出しましてその署の応援をいたしておりまする
関係上、こちらは一応この程度にしまして、で、各分担地等の
警戒が必要の度が少くな
つたその度に応じまして、極力これに集中いたしまして、逐次これを
警戒力を増強して行くという方針を立ててお
つたのであります。然るにこの暴徒のいわゆる
行進なるものが極めて迅速でありまして、ここに着きますると暫くしてから直ちにこれに向
つて行進して参りまして、一応ここで丸の内の
警察署員八十二名がこの交叉点に来まして、これを制止いたしたのでありますが、七千人の大衆でありまするので、怒濤のごとくこれを押し出しまして、これはもう忽ち、制止いたしましても、とてもその力では及ばない。それでこれに一応最初梯団としましては、三千人ぐらい、その次に又四千人ぐらいの梯団が来たと思うのでありますが、一応ここに
学生群を
先頭に停滞いたしたのであります。これに着きましたのが大体二時二十三分頃に着いたと思います。そしてこの連中はここにおきまして、
プラカードの板を全部壊しまして、そうして釘だけを出す、或いはここにおいて戰闘体形のような恰好を示しておるのであります。そこでこれらのものは直ちにこれに全部
警戒についたのでありまするが、やがて二時半頃に喊声を上げましてこれから中に一目散に駈け足でも
つてプラカード等を
先頭に、旗等を
先頭にいたしまして、二重橋に向
つて突進を始めたのであります。そこでこの部隊はこのまま押されまして、そしてこちらのほうのいろいろ進駐軍の自動車等も相当ございますので、これなんかの
警戒に当り、それからこの
予備隊は直ちにこの集団のあとを追いながら、二個中隊というものがこれにあとを追いながらここを全部占拠いたしたのであります。そうしてこれがこちらに来ることを極力、正門のほうに突入するような形勢にありましたので、この辺で防いでお
つたのであります。それからこの一個中隊もなお不足と見まして、更にこの一個中隊も直ちにあとを追いかけまして、そうしてここに三個中隊というものがここにこの暴徒をここで一応抑えたわけであります。このときにこの暴徒は一応ここでとまりまして、そこで或いはインターを歌
つたり、まあいろいろや
つてお
つたのであります。それで当時第一方面の加藤
予備隊長が再三再四
解散を命じました。で、若し
解散をしない場合においては止むを得ず
催涙彈等を投擲するかも知れんからそういうことのないように直ちに
解散をすべしということを声をからして再三再四ここで
警告を発したのであります。そのうちにこの暴徒はこの祝田橋
派出所におりました
警察官に対しまして
暴行を働きまして、三瓶
巡査は殆んどここで
暴行を受けまして人事不省に陥りまして、その人事不省に陥りました
警察官を誠に惨虐な行為でありまするが、意識不明になりまして、抵抗が不能に陥
つた者を濠のなかに放り込んでしま
つたのであります。そうして、まあ、
予備隊の連中が来ましてこの三瓶
巡査を漸く濠から引上げまして、漸く一命を取りとめ得たのでありますが、この
巡査は只今病院に入院中でありまして、一時生命も非常に危か
つたのでありまするが、一応生命だけは助かりまして、意識も回復しまして只今専心療養中であります。かような状態にありましたので、止むを得ず加藤
予備隊長はこの
催涙彈をここから初めて投擲し出したのであります。ここに、これが
宮城に突進して行く
赤旗を
先頭にし、
宮城に今まさに突貫をして行くところの
状況でありまするが、それからこれは漸くその二重橋前に着きまして、そうしてあそこでいろいろ
デモつたり何かしておる
状況であります。そこでこの二個中隊、人員にいたしまして約二百数十名だと思いますが、この中隊がここで
催涙彈を投げ始めましたので……、その間に
警察官との間に相当な
乱闘が展開いたしまして、或いは槍で突いて来る、竹積で突いて来る、或いは棒きれで打合うというような
関係で……、この暴徒はこの
催涙彈にひるみまして、こちうのほうへ、この芝生のほうへ後退をいたしまして、ここにあとから又一個中隊参りまして、この三個中隊というものがここでこの暴徒と対峙をいたしたのであります。併しながら、ここにおりました百八十名……、六十七名これらは直ちにこれに全部応援に参りまして、そうしてここにおりました三田水上の中隊、高輪の中隊なんかと合流いたしまして、ここに百八十四名がここに陣を張りまして、あとから入
つて来る者をここで防いでお
つたのでありますが、併しながら相当な者がなお且つこれにぽつぽつと洩れて入
つて来るというような
状況でありました。それからなおこの
皇居前
広場にこれらの梯団が入る前に、すでにぼつぼつ午前中からこういうような芝生に暴徒の
一団らしい者が、ここにこういう所々潜在いたしまして、これがここに入ろうとすると、中からも相当な喊声を上げまして、内外相呼応して乱入を相当助けたというような形勢があるのであります。
それから大体二時四十分頃になりまして、大分
催涙彈も残り少くな
つたのでありまするが、更にここでこの芝生からここまで襲おうのいうので、この二百数十名の中隊がここから更に
催涙彈を逐次二時四十五分頃から放り出しまして、二時五十五分には、これは祝田橋
通り、これは凱旋
通りでございますが、凱旋
通りまで押込んだのであります。そうしてこの暴徒はこちらのほうへ又押返えそうとしてお
つたのでありますが、ここへ自動車が盛んに往来しておりまするので、この頻繁な
交通のためにこちらにこれだけの人数が出ることができない、従
つてこの
交通量のためにこの暴徒はここで暫くの間釘付けの状態にな
つてお
つたのであります。そしてこちらから更に応援隊の来るのを、この中隊はここで
両者相対峙しまして、ここで暫く特久戰をや
つてお
つたのであります。この間にここを
通ります進駐軍の自動車に対して或いは棒きれを放
つたり、或いは又石を放
つたり、相当ありとあらゆる暴虐な
行動をここでや
つてお
つたのであります。そうして二時五十五分後になりますと、先ほど申しました、
南部班の
先頭を切
つて行
つた朝鮮人隊約二千名のものがこの霞ヶ関から、
日比谷公園に入らずに、一部入りまして、この櫻田門から抜けまして、ここへこう出て参りまして、そうしてここに勿論若干の
警戒員がお
つたのでありますが、これを排除いたしまして、こちらに出て
参つたのであります。でこのときにこれを防いでおりました、
警察官がこれは濠の中に投げこまれまして、そうして
一般の民衆が、地検これは地方検察庁でありますが、ここへ各署から
容疑者を送
つて参りまする押送自動車というのがあります。押送自動車に相当な
警察官が護衛のためについてくる、ここに十二、三名の
警察官がおりまして、この濠に
警察官が暴徒のために放りこまれておるから助けてや
つてくれという通行人の申出がありましたので、直ちにこの十二、三名の
警察官がこれに参りまして、この四、五名、この濠の中に放りこまれた
警察官を助けようといたしましたところが、この救助の
警察官に対して又非常な打つ殴ぐる、蹴る、の
暴行を働きまして、そこで又相当な重傷者を出しておるのであります。そうしてこの
朝鮮人部隊がこれがこの芝生に入りまして、この
学生群と合流をしたような恰好になりまして、更にこの
学生群の気勢はこれからいやが上にも上がりまして、更に又これから向へ寄返すというような
状況にな
つたのであります。それから当時風は
警視庁からこう吹いておりました、こういうふうに吹いておりまして、
催涙彈はこちらの方に流れて来たのであります。そうしてその
学生群のうち、大部分がこちらに、三時五分頃からそちらに移動いたしまして、そうして勿論この中にも、
朝鮮人も入
つております。
学生もこの中に入りまして二つの梯団に分れまして、この梯団はこの芝生に進出いたしまして、そうしてこの梯団はこの芝生に、丁度これは憲法発布式典の式場のできる前の芝生でございますが、ここへ入りましてそうしているうちに、三時丁度、これが移動する時に、逐次引上げました
予備隊が、これに逐次増強いたしまして、七方面
予備隊の二個中隊、六方面
予備隊の一個中隊がこれにこう新たに加わりまして、そうして前の第一方面
予備隊の二個中隊だけは、この
宮城正門をここに約百七、八十名のものがこれをしつかりここで抑えてお
つたのでありますが、これに乱入しないように、ここでしつかり防禦をしてお
つたのであります。それを新たに加わりました新手の
予備隊と一緒にここでこれが対峙いたしまして、そうしてこれから盛んに投石をする、こちらに投石をする、更に中には
警察官のところに挑みかか
つてそうして
警察官に追返される、お互にここで
乱闘をや
つてお
つたのであります。そのうちに
催涙彈の、風がこう参りますのでここにお
つた連中が
催涙彈の
ガスに相当圧迫を受けましたので、これが風上のほうへ移りまして、それと同時にこの
朝鮮人の梯団がここに三時十五分頃この隊形にな
つたのであります。そうしてこの
警察官の隊形は止むを得ずこういう隊形に移りまして、これと連繋をとりまして絶対にこちらへ入らせぬような隊形に移
つたのであります。そうしてこのときにこの
朝鮮人の梯団が
竹槍を全部
先頭に立てまして
警察官に突込んで来たのであります。このときは
警察官もここで更に又
乱闘が始まるというような極めて緊迫な大勢になりまして、ここですでに
乱闘が始ま
つたのであります。これは丁度三時十五分であります。で、先ほど申しましたここで
乱闘が始まりました際に
警察官に
竹槍を持
つて突いて来ると
警察官も警棒で以てこれを受けてお
つたのでありまするが、相当
負傷者も出ましたので止むを得ず
警察官としても生命を擁護するためにここで拳銃の発射が行われまして、そして拳銃の発射と更にこの
予備隊が新たに又
催涙彈を携行して参りましたので、この
催涙彈をここで又投げまして、中には
催涙彈を又こつちへ投返すというような相当の
乱闘の
状況がありまして、これが
催涙彈とそれから拳銃の発射によりましてこの梯団をずうつと一挙にここまで追返してしま
つたのであります。これは丁度三時三十分から三時五十分、二十分間の間にこれをここまで追返してしま
つたのであります。そうすると、その中で一部の
朝鮮人等がこれから追返されたものですからこれからここを出まして、そうしてこちらのほうへ出て来た。この三時五十分頃にこの梯団が出る際に自動車に放火いたしたり、相当乱暴狼藉をや
つたのであります。それから最初
学生群がこつちへ来ますときに、この辺にありました自動車に対して投石をしたりなんかして
窓ガラスを
破壊したのであります。そうしてこの百八十七名の
警察官はこの態勢に移りまして、そしてこれをこちらへ全部出す、追返してしまうという態勢をと
つたわけであります。そうしてこの辺の自動車を更に十分に
警戒をするという態勢に移
つたのであります。そうして三時五十分頃から約四時、十分の間にこの芝生におりましたこの
学生群並びに
朝鮮人の一部をこの力によりまして更に圧力を加えまして全部こちらへこれを排出したのであります。この辺に若干残
つておりましたけれども、これは逐次あとから出すということにして、部隊だけを全部排出いたしまして、これがさようにいたしまして、この出た者は大部分これから
解散したようであります。途中交番とか
警察署の
襲撃ということもありませんで一応これは
解散したのでありますが、これから出ました一部と、それからこれから出ました一部が又ここで千人くらいこの三信ビルの前で相当とぐろを巻いてお
つたのでありますが、これはこれからこの
警察官の余力と、それから又更にあとから来た
警察官の余力によ
つてこれを逐次
解散させるというような方途を講じまして、大体これをここへ追拂
つてしま
つたのは四時十五分で、四時十五分に大体全部追拂
つてしま
つたのでありまして、丁度二時半から始りまして四時十五分でありますから一時間と約四十五分の間この中で暴れ廻
つたのであります。一時間四十五分でこれを全部追拂
つてしま
つたのであります。これに要しました
警察力というものは、今申上げましたように大体五、六百名の
警察官でこれを全部追返してしま
つたのであります。
ここに入りました暴徒の数でありますが、これは正確なものは到底わかりませんが、大体八千から九千ぐらい、これは正確な数字はもうわかりません。これは併しながらここに相当見物人といいまするか、やじ馬等も相当たくさん入
つておりまして、どれが暴徒でどれが見物人であるかそれもすらわからぬ状態でありまして、まあ全部入れれば一万人くらいにな
つたろうと思うのでありますが、実際これ全部が暴徒であるとは云えないのであります。中には見物人もお
つたろうと思うのでありますが、要するにこの辺にお
つた者が暴徒の一群であろうということが言えるわけであります。そうしてこの部隊は最後まで、これがすつかり平静に帰しましてもなおここにこのまま釘付けでここに
警戒配置をしてお
つたのであります。それから私どものほうも大体相当な
暴行をやるであろうという予想はございましたので、
警察官の拳銃を予防
措置としまして一応全部外さしたのであります。そして百人のうちにまあ二十人くらいはこれは拳銃を持たして、これを拳銃の部隊として編成させ、それからあとの者は全部拳銃を外させまして、そして暴徒に対抗するという態勢をと
つたのであります。と申しまするのは、その
情報によりまして、拳銃を奪取するというような
情報もいろいろ
事前にございましたし、又拳銃を奪取されはせんかというような心配から思う存分な働きができないというようなことになりましてはというので、拳銃を一応外させまして、そして一部拳銃部隊を作りまして、そしてここで
警戒に当
つてお
つたわけであります。それから拳銃を発射いたしまして死傷した労組員が一名おります。それから重傷をこうむ
つた学生もあ
つたようであります。相手方暴徒の
負傷した数は今のところ判明はいたしません。何名でありまするかはつきりした数字は判明いたしませんが、相当な数、数百名の数には上
つておるだろうと思います。又
負傷した者の中で明らかに
警察官に公務執行妨害をして
警察官と
乱闘の結果
負傷したと認められるはつきりした証拠のある者は直ちに令状を取りまして、病院等においてこれを逮捕するという
措置をと
つているのであります。従
つて暴行した者が直ちにこの
容疑者であるということは言えんかも存じませんが、一応
負傷している者は
警察官と
乱闘して
負傷しているということが推定できまするので、恐らく
負傷者の申し出と申しまするか、
負傷者の名乗りというもののないということが現在相手方暴徒の
負傷者の数が確実につかまれん一つの原因であろうと考えているわけであります。
今回の
事件によりまして多数の外国自動車を炎焼させ、又何ら罪のない
駐留軍の兵隊に
暴行したということは誠に国際信義の上から許すべからざる暴虐なる
行動であろうと思うのであります。今回の
行動は私どもは明らかに
尖鋭過激な分子が一つの組織的な軍事
行動の一環として、こうした暴虐なる行為をや
つたものであると信じているのであります。同時に今回の暴徒の特徴は極めて残忍性、残虐性があるということであります。それから全学連、都学連、
朝鮮人並びに共産党の地区
委員が相当これに加わ
つております。そうしてこれらの者一人々々が極めて残虐なる気持で
警察官に対して
暴行を行な
つたということであります。勿論当初から
警察官殺傷の目的でかずかずの凶器を隠匿して
会場に持込んだのでありまして、
メーデーが、
大会が始まると同時にかかる凶器が
会場に持込まれる
状況を確認いたしましたので、
大会の責任者にかかる凶器を持込むことは甚だけしからん、最初の條件にも反することであるし、十分注意方を責任者に
警察側から喚起いたしまして、こうした凶器は直ちにこれを放擲するように
大会の責任者からそれぞれ地区の責任者のほうへ申渡したことは事実であります。併しながら地区の各組の責任者から個々の組合員にそれが伝達が十分に徹底されたかどうかということはこれは疑問であります。恐らく
総評参加の
一般の組合員にはそれが十分に徹底されたろうと思うのでありまするが、こうした一部の急進分子の別動団体にはこれを徹底さしたところで、その命令に服するということは全然なか
つたのではないかとかように考えるのであります。
それから今回の
騒擾事件におきまして、極めて私どもが注目すべき事柄は、
メーデーそのものは極めて円満裡に、
平穏裡に終
つたということが言えるのであります。その証拠にはこの恐らく
学生並びに
学生群は先端を走りまして、
先頭を走りて、そうして他の労組員を誘導してこの
皇居前
広場へ全部導こうというような
計画だ
つたのではないかと思います。併しながら他の
一般の労組の梯団は大体
総評の責任者の命令
通り日比谷公園内においていずれも
平穏裡に散会をいたしまして、この
皇居前乱入の梯団の中には恐らく入
つたものはなか
つたと私は信じているのであります。或いは見物がてら若干その中に入
つた者があ
つたかも知れませんが、殆んど大部分の労組員というものはこの
日比谷公園内から全部この梯団とは全然別
行動で、それぞれ帰宅をいたしているというような
状況でありまして、かような点からいたしまして、このいわゆる急激な分子の指導する団体
行動とは全然別な
行動をと
つて、そこに健全な労組の
メーデーと、この暴戻な梯団の
メーデーとの間に一線ははつきりここに画されたということが、これが今後の労組の動きかたについて十分に一つ我々としても注目すべきことであろうと考えるのであります。この点は
一般大衆がこうした一部過激分子の、極左分子の指導に乗らなか
つたということは、私は大衆自体としても十分に自覚ある
行動をと
つていたということが考えられるのであります。
今回の
事件によりまして
負傷いたしました
警察官は、昨日
法務総裁から国会に御報告があ
つたと存じますが、重傷者八十三名、軽傷者六百七十八名、合計七百六十一名でありまして、重傷した者はそれぞれ十分なる手当を盡し、又見舞金その他についても十分遺憾のないような
措置を講じている次第であります。
それからなお今回
騒擾事件を起しました、実際にこの
皇居前におきまして指導的な役割を演じたり、或いは又
警察官に対して極端な
暴行行為を行な
つた者、又は相当助成した者というようなものは、大体本日午前九時現在におきまして検挙人員が三百二十一名、検察庁に送致した人員がそのうち二百七十八名、拘留人員が百十名ということにな
つておりまして、なお今後続々として検挙されるものと考えております。
警視庁としましては、この
事件によりまして徹底的に一つこうした極左分子の根源を衝きまして、そうしていろいろ今まで相当な不穏
計画、或いは
警察、交番の
襲撃というようなことも
計画をしてお
つたのでありまして、まあこういうような
事件をきつかけに徹底的な検挙をいたしまして、どの程度できるか存じませんが、抜本塞源的な一つの検挙をいたしてみたいとかように考えておる次第であります。当日
皇居前の
警戒態勢は先ほど御
説明申上げました
通りに、当初におきましては七百名程度の人員であ
つたのでありまするが、大体各方面の
メーデーも漸く終了いたしまして、最後には二十二個中隊ぐらいで、この周辺をすつかり整理いたしたのであります。そこで
警察官の士気の点でありまするが、最初御
説明申上げましたごとくに、この二重橋の袂におきまして僅か二百数十名の少数寡勢を持ちまして、六乃至七千の大衆に敢然として抵抗いたしまいて、とにかく二百数十名でこれを後退さしておるのでありまして、ただこの六千名、七千名の暴徒でありまするが、これは本当にいわゆるモツプでありまして、何ら指揮系統も何にもない一つの烏合の衆でありまして、従
つてまあそういうようなためにこの二百数十名の寡少な
警察力を以てこれを押し返したのでありまして、まあ将来こうした問題につきまして、我々も相手方が今少しこの組織的な方法を持
つて来た場合においても、十分に考慮する必要があるのじやないかと考えております。それからこの今回の
騒擾事件によりまして、
警備に当る我々といたしましても、いろいろ装備であるとか、施設の点につきましてまだまだ十分でない点も多々あると考えております。早急にこの装備、施設の点につきまして、不備の点につきましては、即刻改善をいたしまして、又強化すべき点は直ちにこれを強化し、整備すべきものは至急これを整備して、再びこうしたことが絶対に起らんことを期して万全の方策を立てたいと、まあかように考えておるわけであります。
一応
事件の報告だけを申上げた次第であります。