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参考人(堀江寅蔵君) 私舞阪漁
業協同組合長の堀江であります。
今切口は遠州灘における唯一の
漁業根拠地たる舞阪、新居両港の入口であります。そうして
漁船数は舞阪
漁港が約二百二十隻、新居
漁港が約七十隻、そうして伊良湖崎から御前崎の間の海面、いわゆる遠州灘です。この間の
漁船総数の約三分の二をこの今切口から送り出しているのであります。そして他の渥美半島の沿岸で約七十隻、福田、豊浜附近で約七十隻、そうしてこの遠州灘の総数が四百三十隻と、こうな
つているのであります。そうして漁獲高は舞阪が約二億五千万円にして百五十万貫、それから新居町が約一億万円、五、六十万貫程度の水揚げをいたしております。そうしてなおこの今切口を通じて浜名湖内の水揚高は、のり、かき或いはその他の海産物を合せて約二億円程度の漁獲が水揚げされております。そうしてこの今切口を通じて遠州灘及び浜名湖内で
漁業に従事する漁民が大体五千人おりまして、こねに
関係して十七カ町村の
漁業協同組合があります。そうして特に舞阪、新居のごとき沿岸漁民としては、今切口の安定工事の成否は実に我々の死命を制するとい
つても過言ではないと存じます。それではこの今切口は昔はどうであつたかというと、大体水深が約五メートル、幅が千百メートルくらいあ
つて、そして千石船の航行も自由自在にできた時代もあるのであります。ところが明治二十一年東海道線が敷設されて以来、漸次港口は塞が
つて行きまして、明治三十一年頃には約八百メートルの幅、それから大正八年頃には四百五十メートル、
昭和七年には更に国道の架橋により港口は狭められて、昨年現在では約三百メートルとなり、そして水深も一メートル五十程度でございまして、我々としても遠洋
漁業を
計画したときもありましたが、大型
漁船は到底出入することができませんので、漸次小型船となりまして、現在では主として沿岸
漁業に従事するほかない、こういうような
状態でございます。ところが最近の
状況は、殊にこの埋没の度が甚だしくなりまして、どういう
関係か我々にはわかりませんけれ
ども、
只今お手許に差上げてあるような現況図面を御覧になりますればわかりますけれ
ども、非常に港口が今切口の両端と新居町と舞阪の両端が狭められて来て、殆んど食い違いのような工合になりまして、この図面で御覧の
通り、
昭和二十五年現在ではこの黒いのが洲にな
つておりましたのが、二十七年の五月一日現在で測量して見ますと赤線の洲がこういうふうに両方から、新居と舞阪のほうから出て来まして、もうよほどの食い違いが出て来てお
つて、そして船の航行する間は非常に狭くなり、おまけにこの点線で示されたようにこの洲以外に浅瀬がありまして、そうしてなお最近では五トンの
漁船すら干潮時には航行ができない、こういう
状態にな
つておりまして、その五トンの船が航行できないという点は細かい点線で図示されておりますけれ
ども、そうしてこの五トン以下の船が干潮時に通れないために、舞阪、新居は沿岸
漁業でありまして、毎日朝行
つて晩帰るのであります。そういう
関係でこの潮汐の干満の度合によりまして制約を受けるために、朝出漁する場合に思うような時刻に出漁ができない。そのために例えば朝五時或いは六時に、三時頃行く場合もあります、天候の
関係で……。そういう場合にこの潮汐の
関係によりまして、出ようと思
つてもやはり朝丁度干潮時には出られない、それがために一時間も二時間も三時間も待
つて出港し、そうして又晩帰るときにはやはり晩方丁度満潮時であれば入れるけれ
ども、干潮だと入れない。そうしてもう暗くなる時分で、この今切口の沖合にたくさんの船が蝟集して、そうして満潮になるのを待
つてお
つて帰
つて来る。そういうわけで、
とつた魚もこれによ
つて非常に鮮度を落し、そうして価格の点においても非常に下落する、こういうような、経済面においても非常に
損失をこうむり、なおそうして又これが一朝天候が激変しまして、そうしてこの沿岸へ出ておる船が一時に帰
つて、そうしてこの狭い港口を争
つて入ろうとするときに、丁度干潮にぶつかると、入れぬために沖合で待
つておる。こいう場合を予測した場合には、非常に我々としても経済的な面以上に危険を感じて、実際我々としてもこういう極く最近の現状のようではもうとても安心して
漁業ができない、こういうような
状態に現在はな
つておるのであります。それで若しこの今切口の工事が安定した曉には我々としても多年の宿望であつた遠洋
漁業も可能であり、水揚げ率も現在の数倍となり、現在の愛知県との
漁業紛争も即時解決する、こういうようなわけで、我々としても
昭和二十四年以来
運輸省の技術研究所にお願いをして、港口固定、水深の安定等の今切口の安定工事について研究をお願いしてありましたが、どうか一日も早くこの研究の成果を得まして、そうしてこの今切口の安定工事を促進してもらいたいと痛切に感ずる次第であります。それでなおこの今切口が先ず五百トンの船が仮に出入できる、こういうような
状態になりました場合には、遠州灘を航行する船舶としては大体三月、九月のこの時期は非常に気象の激変期でありまして、そうして清水港を出た船が鳥羽まで入る間に、遠州灘においては実際避難港として全然なく、或いは御前崎、伊良湖崎、あそごに今避難港ができかか
つておりますけれ
ども、それまで帰るのがなかなか、どちらへでも帰ればいい、こういうふうにお
考えになるかも知れませんけれ
ども、この三月、九月というと、非常に気候の急激に変る時期でありまして、一刻も早く港へ着きたいというのが航行業者の心理だと思います。そういう場合に、若し舞阪へ五百トンぐらいの船が楽々と入れるとすると、こういうものが過去において事故があつたこの遭難が根絶するということは間違いないと思います。こういう見地から見ましても、国家的見地からしても、避難港として非常に大きな意義を有するものだと
考えます。
以上のような工合で、とにかく舞阪、新居方面としては非常にもう不安のうちに毎日出漁しておるというような
実情にありますから、是非
一つ促進方をお願いしておきたいと思います。