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参考人(
伊藤謹二君) 最初に
藤森さんの
お話でございました、
赤十字の経営します院の医療行為部面自体について、公的医療機関として独立採算をとることは如何かというふうな御
意見でございます。私
ども病院を経営いたしておりまして、入院或いは外来の患者のうちで、生活保護法の
適用は受けないけれ
ども、併しながら実際において非常に医療費の支弁に困窮しておられますかたが相当多数にございます。そこで現在各病院に漸次医療社会
事業部なるものを設けさせまして、そういうかたがたの、これはひとり経済部面だけではございませんけれ
ども、併しやはり医療社会
事業部の最も活動いたしますのはその経済部面が多いのでございまして、そういうかたがたのお世話をいたしております。生活保護法の
適用を受けるかたには
適用を受ける
ようにお世話をする。併しどうしても生活保護による医療保護が受けられないかたで、而も医療費の支弁ができないというかたが相当多数ございますので、そういつたかたに対する診療費の軽減の問題、これは
赤十字としては相当大きな問題でございまして、現在でも各病院でできるだけのことをいたしておりますが、又若干
本社なり支部の経費から医療社会
事業部に廻します金がそういう部面に充当されておることも事実でございますが、そういう部面に今後
赤十字がどんどん手を擴張して行きますということになりますれば、
お話の
通り独立採算というふうな看板は到底かけることのできない
ようなことになるわけでございます。現在のところでは、各病院の経営を合理化する意味から申しましても、いろいろな面からいたしまして、一応普通の患者に対する診療は診療收入を以て支弁して行く
ような、不完全な独立採算でありますけれ
ども、まあその
方針でや
つて行けと、こういう
ような指示でや
つておるわけであります。将来永久にそれがいいとは私
どもも決して
考えていないのでございます。財政が許しますならば、本当に公的医療機関らしい姿に持
つて行きたいものとは心から念じておる
ような次第でございます。
それから
只今赤十字の財政がどうしてそんなに窮屈になつたかというふうな御
質問でございます。御
承知の
ように戰前における
赤十字というものは、これは民間団体としては。恐らくこれくらい財政的に恵まれた団体はなかつたであろうと思うのです。相当巨額の基本財産を持
つておりまして。極めてしつかりした経理をして参つたわけでございますが、御
承知の
ように日華事変から引続いて太平洋戰争、あの長い
期間日赤の救護看護婦約三万人を派遣いたしまして、後には外地における看護婦は
政府の負担になりましたけれ
ども、相当長期に亘
つてこれらの人々の費用を支弁するといつた
ようなことからいたしまして、
赤十字社の持
つておりました基本財産というものは殆んど皆無の状態になつたわけでございます。そうして終戰後、一般の
国民の風潮が、
赤十字というものは、とにかくこれは戰時のためにあるのであ
つて、今後戰争を放棄した日本としては、
赤十字というふうなものは殆んど存在の意義を失
つたのだといつた
ような
考え方が相当広く瀰漫いたしまして、従来
赤十字の
社員としてきちんきちんと間違いなく年の
醵出金を出して頂いた
社員のかたがたも、終戰と共に
年醵金の醵出をしぶられると申しますか、従来
通りには円滑に出して頂けないというふうな事情にも直面いたしました。更にその当時の年の
醵出金が僅かに三円であ
つたので、インフレーシヨンの影響を受けて、殆んどそれが
赤十字の
財源としては意味をなさないというふうなことにな
つて参りまして、財政的に終
戰後非常な苦境に陷つたわけでございます。この苦境を打開するがために、一種の
募金の運動を起してみたり、或いはその他いろいろな
事業を試みたりいたしまして、漸く今日まで凌いで来たわけでございますが、今日におきましては、幸いに
国民の皆様の御支援を頂きまして、年々五月に行います
募金運動が相当の成果を挙げまして、終戰当時の苦境から
考えまするならば、非常に前途に明るい希望を持ち得るに至つたわけであります。私
どもこの社法が
成立いたしました曉においては、非常に前途に希望を抱きながら、
赤十字事業の進展に努めて行きたい、こういうふうな明るい希望を持ちながら進んでおることを御了承願いたいと思います。