○
説明員(
村井進君) 私のほうで作成いたしました
資料につきまして御
説明をいたします。
資料の第一にございますのは、現在におきまする
建築物の
建築量と
災害によ
つて失いまするものとの
比較をいたしておるのであります、
終戦後
建築資材の非常な拂底と、
建築物の不足いたしておりました
関係で、
昭和二十二年頃までは非常に少なか
つたのでありますが、
昭和二十三年後
資材が出廻
つて参りましたのと、経済の多少とも回復して参りました
関係で、大体
昭和五、六年ペースと言われております約一千万坪内外の
建築量と大体大差なくな
つて参つたのであります。でありますが、
災害のほうは相当殖えておりまして、いろいろ
天然災害が多かつた。或いは
天然災害による被害が大きかつたといつたようなことから殖えておりますのと、一面
火災によ
つて或る
程度なくな
つて、又
天然災害の際に、相当
戦争中
補修等を怠
つておりました
建築物がやられてしまつたというようなことで相当の
面積を失
つております。従いまして、この次の表にありますように、
火災、
風水害等で毎年大体百二、三十万坪といつたようなものが失われておりますが、特に
昭和二十五年、二十六年は相当、量が大きくな
つておりまして、
建築量は大体この辺になりますと、二割から三割失われておるというような
恰好でございます。
又
建築活動としては、
昭和五、六年の水準までは回復はいたしておりますが、そのうち相当のものが失われておるという
現状でありまして、誠に残念なことに存じます。なおここに一緒に書いてございますが、この失われましたものが大体
木造建築物でございまして、仮にこれを
坪当り四石ぐらいの消費と見ますと、毎年七百四十万石といつたような大きな量が失われておるという
恰好でありまして、その
意味から申しましても、誠に憂うべき
状況ではないかと考えておる次第でございます。
耐火建築物のほうの
建築状況は、
終戦後極めて窮屈な統制をいたしました
関係で、
終戦後直ちにはできなか
つたのでございますが、
昭和二十五年頃からはやや回復を見まして、
昭和二十六年におきましては、全
建築量の約九%ほどに回復して参りました。
昭和十二年頃におきましては、これは大体一二、三%
程度であ
つたのでありますが、そうしますと、まだ相当できたとは申しますが、できましたものは、
東京とか、大阪とか申します
大都市の一部でございまして、まだ全般的には回復していないということでございます。
耐火建築が今申しましたように非常に局部的にと申しますが、
大都市の一部にのみあるということで、大体集計して参りますと、昨年の鉄筋コンクリートの
建築物は
全国で八十二万坪ございましたのでありますが、その中の約半分は六
大都市に建設され、十方以上の
都市といたしますと、大体全部の八〇%が
大都市に、十万以上の
都市に集ま
つておる、かような
恰好に相成
つておる次第であります。これを見ましても、六
大都市が半分を占めておるというようなことでございまして、
全国的にまだ
耐火建築が普及していないというような
状況にな
つておる次第でございます。これを表に現
わしましたものが、次のようなものでございます。
その次はずつと表を下りまして、三の
都市におきまする
火災の
状況を簡單に御
説明申上げます。
都市におきまする
火災は郡部に比べましていろいろの特徴がございますが、その中で最も大きな特徴は
火災の
出火件数が、
人口の割合にいたしまして、郡部に比べまして非常に高いということでございます。従いまして、まあその
損害も高いということにな
つております。これを数字で申上げますと、
昭和二十五年、第四表の一と二にございますのには、
昭和二十五年度におきまして、
全国の
出火件数が一万九千ほどございましたが、市部、市と名のつきました所におきましては一万件にな
つております。それが五五%でございますが、それを更に入口十万以上、十万以下というふうに分げて参りますと、
人口十万以上の
都市が格段に高いわけでございます。これを仮に入口の割合で申しますと、市部の人は
全国の
人口の三七%を占めておるのに対しまして、
出火件数のほうは五五%を占めておる。それから
人口十万以上の
都市を比べますと、二六%の
人口を持
つておるのにかかわらず、
出火件数のほうは四四%の
出火件数を見ております。
都市になりますと、
火災出火件数は非常に高いということになります。これを更に多少細かくいたしまして、各
都市別に調べましたものが次の表でございますが、この表で参りますと、
火災の
比較的頻度の高い
都市、それから
比較的低い
都市といつたようなことがわか
つて参りますので、こういつたようなことを参考にいたしまして、これらの
都市につきましては、できるだけ速かに
耐火建築が普及いたしますようにして参りたい、かように考えております。三の二の、
都市におきまする二十戸以上の
火災というものは、まあ
比較的大きな
火災でございますが、こういつた
火災というものを一応拾
つて見ましたのが次の表でございます。
次に
東京都の
関係につきまして昨年の実績を、
件数をプロツトいたしましたものを挟んでございますが、青写真が挟んでございますが、これを御覧下さいますと、昨年中の、
昭和二十六年中の
火災の
出火いたしました場所がわかるわけでございます。少しまるが大き過ぎまして誠に物すごく書いてございますが、数は合
つております。まあかような
火災出火件数が非常に多いのが
日本の
現状でございますが、何しろ
木造の
建築でございますので、さような
出火というものがいろいろな
條件が伴いますと、直ちに相当大きな
火事にな
つて参るわけでございまして、由来
日本には非常に大きな
火事の歴史がたくさんあるのでございますが、
大火の
比較、この二十頁の所にちよと図面で現
わしてございますが、二十頁の一がロンドンの
大火でございます。いわゆるグレート・フアイヤーと言われておるものでございますが、図面に現
わしますと同じスケールでこのくらいのものでございまして、五十二万坪でございまげ。先日の鳥取の
火災が四十万坪と言われておりますから、これより少し小さいというくらいのものでございます。それからその次がシカゴの
大火でございます。それからその次がサンフランシスコの
大火でございますが、これが
世界の三大
火災と言われておるものでございます。四が関東大震災のときの
東京の
火災の
燒失面積でございます。これが
世界最大のものであ
つたのでございますが、
終戦後
東京はそれに比べますと更に大きな、五というのが
東京の
戦争による
焼失面積でございますが、かように非常に大きくな
つております。で、この
出火件数のほうは外国と比べまして決して
日本は多いわけではございません。戦車中、戦後というものの
出火件数を
全国的に
比較して参りますと、
人口一万人
当りにつきましては、大体一年に二件或いは一件七分、一八分といつたような数字でございます。ところが七表、二十三頁の七表にございますように、
世界の他の国、まあいわゆる多少の
文化国家であると言われております国と
比較いたしりますと、
日本の
出火件数は格段に少いのでありまして、イギリスが十三、アメリカが六十三、それに対しまして
日本は
昭和十九年、これは
戦争の真最中でございまして、一番低いときでございますが、一・七件、こういつたような
件数でございまして、火の用心が非常によろしいということにな
つておるのでございます。第八・一表と申しますのは、これは重なる一例でございまして、すべてはこのようには参りませんと思いますが、とにかく
耐火建築で埋
つておりますニユーヨークのマンハツダンの
火災の
件数と
損害とを調べて見たのでありますが、
マンバツダン地区の
火災は大体
居住者一万人
当りにつきまして、
出火件数は四十六件、一年間に五十何件或いは四十九件といつたような、約五十件
程度の
火災があつたわけでございまして、これは非常に高いものであります。その一件
当りの
損害は二十五万三千円、
日本の邦貨に換算いたしまして、そういう
程度でございますが、それを遡りまして、第六衷の一件
当りの
損害額というものと御
比較下さいますと、
昭和二十五年におきます
日本におきます
火災一件
当りの
損害額は百十四万円にな
つており、二十五万三千円と比べますと、非常に大きな額にな
つております。これは
一つは
火災の記録が多少動いておるという点もあるかと存じますが、いずれにいたしましても、
木造建築でございますので、焼けると直ちに広が
つて行くというところに基因しておるのではないかと考えております。そのことを二十四頁の八・二表で多少御
説明申上げたつもりでございますが、グレート・ニユーヨークにおきます
火災は、昨年、
昭和二十五年の記録でございますが、二十五年におきまして、大体、四万件あつたわけであります。それが
消防が到着いたしましたときに燃えておりました、その
範囲でとま
つてしまつたもの四万四百九十三、
消防が到着いたしました後に他の階へ、要するに
一つの階で
火事がありましたら、その間ほかの階へ、まあ上でございますが、ほかの階へ延燒いたしましたが、併しまあ同じ
建築物の中でとまつたというのが二十二件、それから
消防が来ました後に他の
建物にまで延撓いたしましたものが三件、かようなことでございまして、
火事が非常に局部的にとめられておる、こういう
状況でございます。これはまあ
消防活動の点もあるかと思いますが、
建築物そのものが非常に燃えないというところで、かような結果にな
つておるのじやないかというふうつに考えておるわけであります。
それからその次は
建築資材の需給の
状況を大体
安定本部その他の貸料で集めて参
つたのでありますが、この点につきましては、もうすでに十分御承知のことだと思いますので、簡単に申上げておきますが、
木材資源のほうから即しますと、
薪炭林を除きました
建築の
需要部門におきまして、
建築は最大の
需要部門であります。大体推算いたしますと、三千万石以上のものを
建築用材として
使用しております。而も
建築用材は相当の立派な木を
使用いたします。特に針葉樹に
限つて使
つておるというようなことでございますので、この点は
木材の需給から考えまして非常に御迷惑をかけておる点ではないかと考えております。この点はできるだけ今後切替えて参りたいというふうに考えておりますし、特に
木材の面から申しますと、
只今のような若木を使いますと、
只今使つておりますような若木を
使用して参りますと、四十年或いは四十五年と山で育ちましたものが、それだけの壽命を持たずにして
建築では失われてしまうというような極めて残念な
恰好になりますので、
木材の
使用につきましては、
建築部門におきましては、今後とも更に重要税して参りたい。その他の鉄或いは
セメント等の
需要につきましては、
建築部門の
需要はそれほど大きなものではございません。
従つて生産さえ順調に参りますならば、決して我々の
建築部門のほうは他の部門を圧するというようなことはないのではないかというふうに考えておる次第でございます。
それから
耐火建築物促進法の第
一條の
目的に掲げております
土地の利用の増進という言葉がございますが、その面におきましての
資料が5でございます。二十九頁でございますが、この5の
資料は餘り完全な
資料とは申しがたいので誠に恐縮に存じますが、現在
昭和十四年、要するに焼ける前の
東京都の三十五区の
建築物の
平均階数というのが
東京都の統計に載
つておりまするが、それによりまして調べて参りますと、
日本橋のような
比較的たくさん高いものがありますように考えておりましたところが二・三階、麹町が二・五階、こういつたようなものでございまして、
平均が三階にな
つておる区は
一つもございません。従いまして、かように
低層建築が非常に多いということは、
都市の
面積を徒らに広くいたしまして、そうして
交通機関或いは
都市施設といつたようなものの整備を極めて困難にしておるというようなことになるのではないかと考えております。特に
終戦後
日本の国土は百年前の
面積に縮小いたしましたにもかかわらず、
人口は百年前の約二倍半にな
つておる、この
人口の又大
部分が
都市に收容しなければならんというような
現状におきましては、
都市の宅地はできるだけ高度に利用する、こういう
意味から申しまして、もう少し
平均階数を上げて
行ぐべきではないか、こういつたようなことが考えられるのでありまして、この
意味の
資料として吊したものでございます。特に
耐火建築物が
比較的たくさんあるだろうと思われますところだけにつきまして、
耐火建築物と他の
建築物との
比較をとりましたのが次の十二表でございますが、そこにも載
つておりますように、
丸の内、
日本橋、京橋、銀座、大手町、こういつたような
丸の内を含んだところでも
平均三階でございまして、而も
耐火建築物は四三%で、
木造建物のほうがまだ多い、この地区を除きますと、その他は格段に洛ちてしまうわけでございます。ここにも
耐火建築が非常に普及されていない、局部的に集ま
つておるものはあるが、普及されていないということを示しておるものと考えております。
それから三十二の表は
防火建築帯の
計画につきましての大体の貸料でございます。これは大蔵省と私どものほうで
予算の折衝をいたしましたものの結果を大体取りまとめたものでございまして、まだこの通りにやるというわけでもございませんし、
継続事業にな
つておるわけでもございませんので、
予算或いは
事業計画は年度々々できまるものと存じますが、一応の含みといたしまして、かような
計画を持
つておるということでございます。これを概略御
説明いたしますと、
防火建築帯の
造成というような仕事は、
都市計画の道路と違いまして、どんどん
公共団体が塾
つて行くというような
恰好で
造成して参るのではなくて、新たに
建築する場合、又は
建替えをする場合に、これを
耐火建築物にするというような
方法でや
つて参ります。ただそこが非常に資力のない人である、或いは
共同建築をしなければ
建築としての
目的を達しない、
目的を達し得られないような小さな宅地であるにもかかわらず、誰も
共同建築をする者もない、市が代
つてやる、或いは県が変
つてやる、今度の
法案の十二條以下にありますような
方法は
特例として設けられておるのでありまして、原則としましては
建築者がみずからや
つて行くというような
恰好になるものと考えております。その
防火建築帯の延長は、ここにございますように一応
全国で四百キロを
造成することを目標といたしております。至急いたしますところは十万以上の
都市であるとか、十万なくても
火災危険度の高いという
都市に設けて参りたい。国といたしましての一応の
計画は、これを本年度より十カ年間で総延長の六〇%に当るところまで
補助金を出して
行つて、この
造成を
促進して行こう、それ以上のことは更に又考えて参りたい。この
防火建築帯の
促進の
方法といたしまして、
一つはとにかく指定したものを完全に仕上げて行くという
方法と、六〇%まで仕上りますならば大体の
目的を達しますので、今度はそのほかの方面を選んで行く、こういつた
方法にするか、その点は今後の研究に待ちたいと考えております。それによりますと、次年度の
予算は二億円計上されましたので、大体五キロ分ができるということにな
つております。次年度以降は軌道に乗せてや
つて参りたいと思います。そういつたようなことで、ずつと継続の
予算を考えて参りますと、総
予算が十カ年間に約百十六億円の
補助金が計上されなければならんのでありますが、この点は今後の
木材の値上りがして参りませんのと、一方
耐火建築の建設費をできるだけ安くするというような努力が実を結びますならば、この
国庫補助金はもつと減
つて行くのじやないかというふうに考えておる次第でございます。
次に三十六頁にございます不燃
建築物と
木造建築物との経済上の
比較でございますが、これは
補助金を必要とするという理由でございまして、現在のような高金利のときでございますと、どうしても国から、或いは
地方公共団体から
補助金を出して参りませんと、
耐火建築物のような大造に比べますと、高い費用のかかりますものはペイをしないということにな
つて参ります。それはその点を数学的に示したものでございまして、ただそれがペイして参ります場合は
耐火建築の高層
建築は逆である。従いまして地代が非常に高いところにおきましては、
耐火建築もペイをして参りますが、地価が低いところにおきましては高層
建築にいたしましても、ペイをいたさないということを書いたものでございます。従いまして年間の経費を全部普通の経済ルールに乗せまして計算して参りますと、
補助をいたさずに五万五千円
程度の
耐火建築をいたしますと、年間の経費は
木造と
比較いたしますと、三千三百円ほど
坪当り高くな
つて参ります。
補助をいたしまして一千円
程度高くな
つて来る、かようなことでございますが、これを大体三階というようなところにいたしますのと、
比較的高地価のところに持
つて行くというところで、
木造の場合と大体同等の計算になるのではないかというふうに考えておる次第でございます。
その次の(6・3)と申します表は、特殊
耐火構造と言いますのが最近非常に発達して参りまして、
日本のような
土地につきましては、この特殊
耐火構造が非常にいいのではないかというつふうに考えております。
耐火構造と申しますと、一般に非常に高価なものであるというような観念が植わ
つておりますので、これが普及を非常に妨げておるのでありますが、私どもといたしましては、必らずしも
耐火建築は高くはないということを皆さん一般国民に知
つて頂きたいというような気持から、この特殊
耐火構造の研究を非常に進めておるわけでありますが、現在相当実績もあり、又信用のあるところに
建築の設計をいたしまして、それの嚴格な見積りをいたされましたのが、この四十頁の表でございます。あの表で御覧になりますとおわかりになりますように、大体
坪当り一応の仕上げをいたしまして、規格にきつちり合
つているものというもので、高いもので五万九千円、安いものは四万円という数字が出ております。多少この間には仕上げの差がございますが、併し
耐火構造であるということには間違いがないわけでございます。耐火度或いは耐火度という点につきましては同等でございまして、多少仕上げの差があるというようには考えております。これを更に内訳といたしまして、工事費というものだけを取上げて考えて参りますと、これは大体二万五千円
程度ならば大抵のものはできるという勘定ができております。八階、九階という高層
建築物は、はつきり申しますと、五階以上の高層
建築物を
耐火構造でや
つて行きますのには相当の費用を要しますし、今のところ無理だろうと思いますが、四階以下のところでございますならば、その構造で行けるのじやないか、そうしますと、その工事は二万五千円でございます。これに対しまして、多少とも
補助がございますならば、仕上げの
程度にもよりましようが、
補助さえもらえば
木造と大した開きがなくできて行くのじやないかと、かように考えておるのであります。四十一の(6・4)磁の一のところに仮名を書きまして、昔の條文を挙げてございますが、この
防火帯という観念は決して私どもが新らしく考えましたものではなく、すでに明治十年の銀座の
火事のあとで
防火路線というものがございました。かような所は当時の
耐火構造を造るということを要求されておつたものでございます。なお
防火地区の
建築物につきまして
補助金を出すという制度は、これ又私どもが考えましたものではなくて、すでに大正十三年に、要するに関東大震災後におきまして、
東京と横浜の
防火地区内におきましては困りから
補助金を出しておつたという歴史のあるものでございます。これが
資料の概要でございまして、そのあとにたくさん附いております町村名は、これは
都市計画法の適用町村を並べただけでございます。
最後に、
只今まで出ております
防火建築帯の指定の各
都市の希望の二、三の例を附けて置きました。まあこういつた形で
地方の要望があるということの御参考にしたいと考えて作つたものでございます。
以上が大体
資料の
説明でございます。