○
カニエ邦彦君 これは非常に言いにくいことでありますが、そうい
つたような反証を挙げることができ得ない
事情であ
つたという今
証言をされておるのですが、むしろそういう反証を挙げることに十二分な努力をせなんだ、こういうことではないでしようか。と思われる点は、成るほどあなた言われるように、非常にこれは複雑怪奇であります。もう本当にわからないようなごたごたしたようなことにな
つておることは事実です。これは私も認めます。併しながら私は数回これを虎の門
自動車に
ちよつと余暇があれば三十分、一時間ずつ走
つて行つてはいろいろその事実について
調べておるのですが、いつ
行つてもこの連中のうち一人か二人はいつでもおるのですよ。そうして而も当時金を
支拂つて会計をや
つてお
つた有城重吉の娘婿もこれもいつも向うにおるのです。そうしてわからない点があれば走
つて行つて聞き、わからない点があれば走
つて行つて聞きしておると、だんだんとその真相がはつきりとして来ておる。それで勿論これは坐
つてお
つて出て来い、出て来いと言
つたつてなかなか彼らは出て来るものじやないが、足さえ運んで、遠い所でもないのですから、
ちよい
ちよい
行つて見ればこれは当然私はわかるものでなかろうか。
従つてそういうような私がや
つた体験からして私が專門家でないのにかかわらず、而もこのこればかりにかか
つているのじやないのです、私はほかの
事件にも、
仕事にも、ほかの
委員会の
仕事もやりつつ、その片手暇に
ちよい
ちよいと
行つて調べてお
つてもそういう
工合にわか
つて来るのにかかわらず、なぜそれをやらなんだかということについては、勿論これは善意に解釈して、先だ
つての
証言でも
証人が言われたように、一人で何十というような、一日にその
仕事を、
事件を持
つてとてもそんなに我々のように出て歩くような暇はございませんとおつしやればそれだけのものですよ。併しながらこれだけの
事件を本当に心から糾明して真相を明らかにしたいという熱意があるなれば私はやはりわかるのではなかろうか。むしろ私はそれよりも、これはその重要ないわゆる
大橋或いは
山下に関する部分については成るべく真相を知らないと言うほうがいいのじやないかというようなことで、私は勧められて来たかのように、この
報告書一貫して全体に溢れて来るところの文章の中からさように思われるのです。これは私が思うのですからこれは又必ずしもそうでないでしようが、そこでまあ
証人が非常に御苦心をされておるということは、これはわかります。併しながらいずれにしても今言うように大草が金を借りてそうして利子を拂
つておるということになれば、その額の大小を問わずやはりそれだけの利益を得ておることはわか
つておる、この利益が数字としてはわからないが、確たる
証拠はないが、併しこういう事実があるのだということくらいはこの
報告書の中に現われて来ても一向差支えのないものではなかろうかというように私は
考えておるわけです。
それからもう
一つは、あなたの話によれば有城重吉の口座に入
つたものはそのまま大草に対して融通して、そうして
山下さんは事後
承認をしたと、こう
言つておられますが、併しそれであれば有城重吉、虎の門の
会社自体が
山下のいわゆる入
つて来た金を默
つて融通しておるということなのかどうかという点。それからもう
一つは、
山下という男がそんなその人に、入
つて来たとみすみすわか
つておる金を使われて黙
つておるようなしろものでないというようなこと、これが
一つ。それからもう
一つは、この有城重吉の、その当時のいわゆる金の出入りをしてお
つたところの担当者は、これは
山下が金をこのとき入
つて来たときには必ず一日か二日、遅くても五日以内にはこの金を一旦
山下に返しておるということを
言つておるのですね、そうせなければなかなか
山下が承知しないのですよ、実は金が入
つたか入
つたか、もう入るかと毎日のように言うものだから、入
つた途端にそれは幾らかの手数料は勿論虎の門の
自動車としては取るけれ
ども、併しながらその他のものは全部
山下に拂
つていますよと言うのです。そこであなたはその点についてこの口座をお
調べにな
つたかわからないが、最後の十六日、この
昭和二十四年の六月の十六日の日に百万円、銀座支店から入
つて来ておるところのこの百万円を翌日の十七日にこれは出しておるのですね、而もその出したのは小切手で出しておいて、そうしてその小切手の受取人はこれは井手朝平という名前で受取
つておるのです、この百万円は……。ところがこの井手朝平というのは田村金太郎と四人で
別個の当時
自動車の
会社を、ブローカー
会社を経営してお
つた社長です。そこでその井手朝平を伴
つて、そうしてこの金について調査をし、且つ銀行の当時の小切手の井手朝平の文字並びに判をこれを本人に対して認定させたのであります。そうしたら本人はこの百万円の金はこれは井手朝平と書いてありますが取
つた覚えはございません、私の字でもこれはございませんということにな
つておるのです。
従つて当時のいわゆる百万円という現金はこれは千円札がなか
つたから、だから
従つてこれはもう
相当な量になるのです。風呂敷包殆んど一ぱい包んで行かなければならない量である、こういう現金がその後、これはやはり事実において出ておるのです。そこであなたが言われるように、どうもその点がまあはつきりとせない、どうも私の頭ではこの金の行き方については納得が行かない。その点についてあなたがそこまでお
調べにはな
つていないでしようけれ
ども、どういうようにお
考えにな
つておるか、この調書にあるように、そんなに長く金を置いて放
つて置いたというようにお
考えになるか、やはりこれは
山下がその都度、その金が入
つた都度取
つておるというような御認定になるのか。