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証人(
渡辺留吉君) 自動車売却代金の経路につきましては極めて複雑怪奇であるということを先ずあらかじめ申上げておきます。この
関係を申上げますには、先ず自動車
関係を運用するに至
つた前後の
事情を
最後まで申上げないとはつきりいたしませんので、非常に長い
説明になるかと存じますが、あらかじめお含みおき願いたいと存じます。先ず
高橋がモーリス自動車を提供するに至
つた事情から御
説明申上げます。特別調達庁で二十四年の一月にいわゆる過払の二千二百万円余を発見いたしまして、これを
足利工業の
田中及び
高橋に対して返納を命ずるようにな
つたのでありまするが、この返納の
方法といたしまして前の二十五年の十二月の
委員会に
証拠が出されておりますが、
昭和二十四年二月の二十三日に
高橋と
田中の間に
大橋立会の上で覚書が作成されておるわけであります。この覚書は
高橋と
田中の間の特別の契約になるわけでありますが、この覚書によりますと、
高橋はその所有或いは管理にかかわる足利寮の所有権、それから尾張町ビル七階
事務所の賃借権、それからモーリス自家用自動車の所有権、それから東武鉄道株式
会社の三万五千株の所有権、これを
会社に無償にて提供して、
田中の
会社のためにする処分に一任するということにな
つております。この契約に基いて続いて特別調達庁に対して誓約書と称する返納
方法を
特調との間に契約いたしました誓約書が出されておるわけであります。この覚書と誓約書に基いて
高橋がモーリス自動車を三月の初め頃に
会社に提供いたしました。この法律
関係を特によく御理解願いたいと思いますのは、
高橋はこの契約で自動車の所有権を
会社に無償で提供する、そうしてその処分は
田中が
会社のためにする処分に一任す回るという形にな
つております。従いま関して
高橋がモーリス自動車を
会社に提供いたしました時に、この自動車の所所有権は
高橋の手を離れて
会社のものにな
つた、
会社に帰属するということになります。そこでこの
高橋が三月の初めにモーリス自動車を
会社に提供いたしました
あとでこの処理について
田中、
高橋、
大橋の間で協議がなされた。当初この三人の間に自動車を損料をと
つて他に貸して損料を稼ごうという話があ
つたわけでありまするが、それでは面白くないからいつそこの自動車を他に売
つてその売却代金を以て運用しようじやないかという話が、三人の間になされたわけであります。三人の間と申上げてもその処分
関係は
田中にあるわけで、
高橋にはその処分権限はすでになくな
つていることに御注意を願いたいと存じます。ともかく三人で協議をいたした結果、この車を
大橋に処分させるということになり、
大橋は更に
山下をしてこれを売却せしめるという話が進んだわけであります。この話が進むと同時に
特調の三浦及び川田のほうに話かけを進めまして、大体六月の上旬頃までの間にこのモーリスを売ることにな
つた。その売却代金を運用して百万円は
特調に納める、残余はその差額が出ればそれは
高橋の生活費に当てる、なお運用して利益が出るならばその利益のうちから月に一、二割ぐらいを
高橋に廻す、その余利益が出れば
特調に納めるというような大体の話ができたわけであります。その後
特調との了解に基きまして処分権を有する
田中が
大橋にその処分を委任した、その委任に基いて
大橋は
山下をして自動車の売買をさせるということにな
つたのであります。その頃には先刻も申上げましたように
高橋はその売却代金については、すでに何らの所有権を主張することはできなくな
つている。但し
田中及び
特調関係との話合によ
つて、モーリスを百万円以上で売るならば、その差額金は
高橋に帰属するという新たな契約
関係が発生したということに御注意を願
つておきたいと思います。そういう経路に基きまして
山下がこのモーリスを売りに出してお
つたわけで、このモーリスが五月の二十日に、虎ノ門の中村宗平の手を経て東宝株式
会社に売られた。これは百五十万円であります。ところでこの百五十万円のうちから
山下の手数料五万円と、車庫費或いは試運転用のガソリン費、更に一部修
理費を含めて十五万円がかか
つてお
つて大橋の了解を得ております。ところがこの十五万円の了解を得た
あとで、これは六月の二日でございますが、六月の二日に名義書替のために
山下が宇都宮の道路管
理事務所に出かけてお
つたときの費用、これは一泊しておりますが、その費用二万円かか
つたということで
大橋の更に了解を得て、その二万円を加えた十七万円というものが諸経費として差引かれるという形にな
つて、モーリスの売却代金は百三十三万円が残
つたということにな
つたわけであります。ところでこの頃、大体五月の二十四、五日になりますが、その頃に
山下が
高橋から五十万円を借りております。これはいろいろと問題があるのでありますが、この際
説明を申上げておきます。これは当時パツカードという車の払下物が約百万円余りであるということで、
山下がこの話を
高橋に持込んでおるのであります。これは交詢社の二階
事務所で話をしておりますが、そこでこのパツカードを買
つて儲けようという話が出て、
高橋に金策方を申込んでおりますが、その結果百万円を
高橋が出そうという話にな
つてお
つたところ、五月の二十六日になりまして
高橋が五十万円しかできなか
つたというので五十万円の小切手を
山下に渡しております。
山下は五十万円ではそのパツカードは買えないということで、取りあえず同日虎ノ門自動車株式
会社の有城重吉の口座にこの五十万円を預けております。ところで
山下は五十万円だけではパツカードは買えないというのでいろいろ奔走し金策に当
つたのでありますが、金策ができないということでこのパツカードはのちに思いとどま
つておりますが、ともかく
高橋から借りた五十万円を虎ノ門自動車に五月の二十六日に預けてお
つた。この五十万円と先の百三十三万円、併せて百八十三万円を基金として自動車の売買をするということにな
つたわけであります。その結果二十年の七月の二十八日にデソート百万円を買
つて、これに修
理費を約三十四万円かけて、十月の一日に虎ノ門自動車の木村元樹の手を経て大和証券株式
会社に売却しておりますが、木村との間において百二十九万円という契約にな
つたためにこの間に五万円の損失を生ずるということになりました。ついでこの車の代金を以て二十四年の十月の二十一日にナツシユという車を大草勲の手を介して百三十万円で買
つた。ところがこの車が非常に惡か
つたということで約六十七万円、これは正確に言えば六十七万四千八百二十円という修
理費をかけておりますが、その修
理費をかけた上で余り時日が長くなるので止むを得ず越えた二十五年三月の二十八日に虎ノ門自動車を介して関東電機通信局にこの車を売却しております。虎ノ門との
関係は大体五十万円ということにな
つておるので、この間に四十七万四千八百三十円という赤字を出した結果にな
つております。そこでこの問題はナツシユを売
つてからになると存じますが、ナツシユを売
つて得た金の処分の中に
山下の問題が生じて来るわけであります。
山下はナツシユを百五十万円で売
つておりますが、先ずこの赤字の四十七万四千八百三十円を差引いた残余を有城重吉に約二十七万五千百七十円を支払い、更に齋藤政吉に三十三万円、田村金太郎に約四十万円を支払
つたために、遂にこの金が全部なくな
つてしま
つたという形になります。このうち有城に対する二十七万五千百七十円のうちで二十五万円は、これは大坪に対する十五万円の貸付の際に有城から借りたものであり、十万円は渡瀬昌勝に貸す際に有城から借りた金の穴埋めであります。これはともかくとして二万五千百七十円というのが有城に対する
高橋の
個人的な借財であります。それから齋藤政吉に対する借金は、これは
高橋正吉に二十四年の十月十二日に三十万円渡した際に借りた金であります。これは一応
高橋の下に渡
つているのであります。この穴埋めでありますから、これは法律上問題はないと思います。田村に対するもののうち二十五年二月十五日に二十八万円ほど
高橋の借金の穴埋めに使
つておりますが、この二十八万円を
高橋に渡す際に、これは田村から借りたものの穴埋めでありまして、これも法律上問題なく、
ただここに田村から借りた十万円ほどの穴埋めというのがあるのであります。この
個人的な穴埋めに使
つたもの、これが一応
山下の横領が観念上認められるという形になるのであります。これは理由書には約三十八万円とありますが、細かに数学的な計算をいたしますと、三十七万五千百七十円ということになります。それからナツシユの代金のうちで、齋藤政吉と田村金太郎に返した、田村の中には三十万円ありますが、それを除いた有城に対するもの、それから田村の約十万円というものが問題にな
つて参つております。でこの
山下に認められる理念上の横領罪はいつ成立するかということが問題でありますが、これは私
どもの見解といたしましては、
山下がナツシユの金をもら
つて個人的な用途の借金に充当した際に、
山下の横領罪が認められるということになると思います。そこでこの
観点からいたしますならば、
山下はこれを
大橋の了解を得ずして勝手にや
つてお
つたという
事情が明らかにな
つております。そうすると、
山下の横領罪をここで認めたといたしましても、
大橋はこれには
関係しなか
つたということが明らかになるわけであります。そこで
山下の横領罪は一応認められるけれ
ども、これには横領罪の成立する時期において
大橋は
関係してないということについて、この点では
大橋に
刑事責任がないということが言われると存じます。かような次第で、
山下と
大橋の
関係は横領罪の成立する時期、法律上の時期というものを特に強く御判断願いたいと存じますが、さようなわけで一応
山下には認められても、その法律上犯罪の成立する時期には
大橋は
関係しなか
つたということで、
大橋にはそのときの
刑事責任はないという形になるわけであります。なおこの点について非常にこれはデリケートな問題が種々ありますので、これについて個々の御質問があれば詳しく御
説明申上げますが、一応私の
説明をこれで終りたいと思います。