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小笠原二三男君 だから、私さつきから申上げました
通り、いつも
緊急質問が同一問題について、各
会派において展開されるというふうなことはめ
つたにないのです。こういうふうに集中して来る
ゆえんのものは、これは事実の
認識において、或いはその解釈において、或いは
政府に対する
希望において、それぞれ
会派としての
観点が違い、求めるところが違
つているから、こういう形が現われて来るんじやないかと思うのです。それからもう
一つ第三の
先ほどから
安井君や何かで盛んに
言つておられた
原則論の問題ですが、これは何ら
会派の
立場を持たないで、
原則論があ
つてそうして
質問というものが行われる場合には、それは非常に徹底した
言論の
整理の上に立
つた質問が展開されるでありましよう。併しこれは
如何ほど理論的に正しいこととして主張しながらも、
與党は
與党としての
立場でこの
原則論を
考え、
野党は
野党の
立場で
考えて、自己に有利に展開させんとしながら、この
言論統制をして行こうというところにおいては、限界があると思うのです。極く数学的に客観的にただきちんと並べて、それでいいんだというわけには行かぬ。
従つて少くともこの
原則が決定にな
つて、今日のように
議運においてまあ五人なら五人、立つ者の間で
お互いにその点は
考えてみましようとか、そういう話にな
つたばかりでも、これは
一つの進歩なんです。それをどこまでも箍をかけて、そうして
原則論だからときちんとはめようとしたところで、前提とな
つている基盤が、各
会派がそれぞれの思惑を持
つて、そうしてそこに飾られておるものを美しいものにしようなどと言
つたところで、それは真実ではない。だんだんにこれは流動して
行つて時間をかけて
行つているうちに自然におのずから
一つの
参議院の形態というものが生れて来るものなので、それを
原則論だけで、だからその
通りピンからキリまできちんと行かなければならぬ。こういうようなことはもうできないと思う。それから今
木村君が
言つておるように、第三の問題だが、
言論統制という
言葉の
意味において、各
会派のその
質問せんとする点を絞
つて整理して
質問をや
つて欲しいということであるならば、これは無理だ。何としても無理なんだ。それは
おのおのの
立場に立
つて質問を展開するものだ。少くとも
原則論というものは本当はなくてもいいんです。銘々
質問点というものは持
つておるんですから、各人各様に
質問したいということにおいて
質問を展開されるのが議会
政治だと思うのです。それを
原則を作
つて幾らかでも
整理をし、幾らかでも重点的にや
つて行こうということは、
参議院におけるさまざまの運営の必要からだんだん出て来た方法論上の問題であ
つて、それを他
会派にそれぞれ納得することなしに押付けてそれでよろしいという問題じやないと思うんです。だから自然、おのずからにだんだん、
與党さんは
與党さんで
考えられる方向に持
つて行くように御努力になることはかまいません。それでだんだんに
原則というものに実を付け、皮を着せて、しつかりしたものに持
つて行くことには賛成です。併し具体的にその都度々々起
つて来る問題について、ただ
原則ということだけで取きめて行くということは、私は
現実問題として不可能だと思う。
で、本日は幾ら
論議してもこれ以上
論議が進まないと思うので、少くとも
質問する側において会法の
立場を超越して続一できそうなものについてはこれは社二のほうで重点的にやりたいから、君
たちのほうは割愛してくれとか、或いはこれは労農党のほうで重点的に、こういう
観点でやりたいのだから、余り前にやる連中はそれに触れてもら
つては困るとか、そういうふうなことで
話合いをつけて行く以外にないと思う。それだけでも私は進歩だと思う。