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参考人(
田上穰治君) 簡単に與えられました問題につきましてもうすでに御
研究済みのことと考えまするが、御
命令によりまして私の思
つておりまするところを申上げたいと思います。
第一に、
行政協定の
内容が、
憲法上の
条約、或いはそうでなくても
国会の
承認を受けなければならないものかどうかという点でございます。私も余りよく読んだわけではありませんけれ
ども、通常問題にな
つておりまする十八条の
刑事裁判権の点を考えますると、これは
安全保障条約の第三条では、
駐留軍の
配備の
条件について細目的な
規定を
行政協定において定めるというふうにとれるのであります。ところが広い
意味におきましては
駐留軍というものがある以上、その軍に属する
構成員或いは
家族、そうい
つた人たちの犯罪につきまして、一体
日本の
裁判所で
裁判権があるかどうか、これは当然に考えなければならない問題であります。でありまするから、まあ広く考えると、
安全保障条約の第三条、
配備の
条件という中に含まれるようにも見えるのであります。けれ
どもこの点
裁判権或いは
裁判管轄と申しますか、この問題は
司法権にとりまして重大なことであ
つて、本来は、でありまするから
法律、少くとも立法的な
措置を
国内におきましてはとらなければならない。この点におきまして最近の
外国の
憲法の例を見ましても、必ずしもあらゆる
条約について
国会の
承認を必要としないというふうな
規定、
憲法におきましても
法律上と定めなければいけないような、或いはそういう問題につきましてはやはり
国会に出すのが当然ではないかというふうに思うのでありまして、言い換えますると、
安全保障条約のほうでもう少し具体的に、いわゆる
属人主義のような
規定、或いはそうでなくて現在の
大西洋憲章の
関係諸国について予想されております
協定のような、どちらでもよろしいのでありまするが、そうい
つたことについてもう少し具体的な
規定が
安全保障条約の中にあればよろしいと思うのでありまするが、そういう点を一括して
行政協定の
形式で定めておるというところは、普通言われます包括的な
委任と申しますか、普通の
委任の
範囲を越えておるように私も考えるのであります。
それからもう
一つの、これもよく引合いに出されます
行政協定の二十四条でありますが、
非常事態に当
つて日米共同措置のための協議をしなければいけないという
規定でありますが、これも考えようによると、
安全保障条約の第一条で、
駐留軍の出動する場合がすでに
規定せられておる、これに
関連があるわけでありますが、併し
条約のほうでは
アメリカ軍、
駐留軍が出動する場合の
規定でありましてこれに対して
我が国の側の
義務については明確にされていない、勿論どういう形で
我が国が
駐留軍に協力するかということは、これは
国民各
個人の
権利義務には或いは直接の
関係がないとも言えるのであります。併しながら
国家の
義務、国の
義務という形においてはかなり重大なものであ
つて、私はやはりこの点も本来は
条約の形で明確にし、言い換えますると、あらかじめ
国会の
承認といいますか、そういう形が必要であ
つたのではないか、こういうふうに思うのであります。
細かい点は略しまして、これは
蛇足を加えますと、一九四六年の、つまり新らしい
フランスの
憲法、或いは多く十九世紀のヨーロツパの
憲法にございますが、これらの国では
条約必ずしも
国会の
同意を必要としない。けれ
ども通商航海条約でありますとか、その他国の財政にまあ
負担をかけるような、
負担となるようなそういう條約、或いは
個人の
権利義務に関する、直接
影響するようなそういう
条約、これらが大体において
フランス或いはドイツの
諸国の
憲法にございますが、これは
国会に諮
つて、
事前のあらかじめ
同意が必要である。で、これらの
憲法を見ますというと、そうい
つたような
条約はこれは特に
法律或いは
予算、そういうものに
影響があるのであ
つて、本来
国民に対する
関係では、
国会が
法律を作り、或いは
予算に費用を計上する、そういうところに
影響があるのだから、
従つて国際関係の
規定ではあるけれ
ども、
条約を締結するに当
つては前以て
国会の
承認が必要であるというふうに考えられるのであります。で、新
憲法は
条約の中で
国会の
承認を要する場合と要しない場合という区別はしておりませんけれ
ども、併しおのずからそこに場合が分れて来ると思うのでありまして、殊に
行政協定のような表面は細的な
規定、執行の細目といいますか、そういう性質を持つ場合には或る
範囲においては細かいところまで
国会の
承認を受ける必要はない、丁度
法律に対する政令とか、或いはその他の
命令の
関係で同じことが言えると思うのであります。併しながら特に
国民の
権利義務に直接
影響のある、或いは
国家の
義務、そういうふうな
部分につきましては、これは重大な
内容を持つのであるから、
条約の形におきまして
国会の
承認が必要であるという、まあ
議論が立つと思うのであります。私は
蛇足でありますが、実際申しまして、今日の
行政協定の
内容につきましては、或る
程度結果は止むを得ない、
行政協定が若し、殊に今の十八条でありまするとか、或いは二十四条その他の
規定を、それならばどういうふうに変えたらよいかという問題になりますると、
格別腹案は何もないのでありまして大体まあ現状においてはどうもあの
程度の
内容で止むを得ないではないか、これは勿論
法律論ではございませんが、そういうふうに思うのであります。併しながら今申上げておりますのは
手続の点でありまして、
結論が同じようなところに仮に到達するとしても、やはりそうい
つた本来、
司法権にと
つてその限界をきめるという重大な問題、或いは
国家の
義務、大袈裟に申しますると国の運命に関する、そういう重大な国の
義務につきましては、やはり
国会の
承認を受けるということが
憲法上は正しいように考えるのであります。で、これが私の申上げたいと思いまする第一点でありますが、もう
一つ実は考えておりますることは、当面の問題としてそれならばこの
行政協定というものを
条約というふうに
解釈をする、或いは
条約にこれを切替えて、そして
国会の
承認を受けるということに
なつたら一体どうなるのか。で、
現実にはもうすでにこの
条約と区別された
行政協定といたしましてこの
日米両国間の
政府においてそういう
解釈で進んで来ておるのでありまして、これを急にその
解釈を変更いたしまして、
条約の
形式、或いは
形式は
行政協定のままであるといたしましても、とにかく
国会の
審議に付する、
国会の
承認を受けるというそういう
手続をとる、その場合に結果はどういうことになるか、殊に
国会が若しそういう場合に
承認を与えなか
つたということに将来、これから
なつた場合、仮に
なつたといたしまして、その場合にこの
行政協定が
効力を失う、少くともその
部分的に
反対されたところは一応、勿論
不承認ということがそういう可分のものであるかどうか、これも
議論がございましようが、少くともそうい
つた不承認の場合には、
行政協定の
効力が失われるかどうかという点につきまして、
ちよつと附加えて申上げたいのでありますが、これは実は旧
憲法以来この問題につきましては相当な
議論があるのであります。併し旧
憲法の話は時間の
関係上省略いたしまして、この新
憲法七十三条で、
事前に、若しくは
時宜によ
つては
事後に、
国会の
承認を受けなければならない。この
事前にというのだけがはつきりしているのでありますが、
時宜によ
つては
事後に
国会の
承認を受ける、この点が頗るあいまいなのであります。
外国の
憲法と比較いたしましても、どうもその適当な
参考になるべきものがない。で、これは
事後にという言葉、
事前でなくても、これを非常に何というか、広く
解釈いたしますと、必ずしも
事前でなくていいのである、
事後に
承認を求めても差支えない、こうなるとすでにまあ
協定なり
条約が、
条約といたしましてもそれが
効力を生じた後に
国会にこの
事後の
承認を求める、そこで否決されるということも考えられる。若し機械的に
事後の場合にはすべて
国会は
承認しなければいけない、
曾つて旧
憲法で同様な
議論がありましたが、
承認する
義務があるというふうなことになると、これは全く無
意味でありまして、
承認を受けなければいけないということは、ときとして
国会は否決、
不承認の
議決もできるわけであります、その場合に、すでに一旦
効力を生じた
行政協定が、そのときに
効力を失うかどうか。これはまあ今日の問題といたしましては少し先走
つた、そんなことを考える必要はないかもわかりませんが、
法理論といたしましては説が分れておるのでありまして、いわば
解除条件である、
事後の
不承認はこの
法定の
解除条件で、
法律できま
つている、
憲法の
規定できま
つている
解除条件なんであるから、そのときに一旦発生した
効力が消滅すると、こういう
見方。これは
一つの立場でありますが、
反対の
見方は
事前の
承認、これは
条約の
成立要件である、
承認が得られなければ
政府は有効な
条約を結ぶことができない、けれ
ども一旦
効力を生じた後に
事後に
不承認と
なつた場合は、これはもはやその
効力は
影響がないのであ
つて、
結論は
政府の政治的な責任の問題が残るだけである。言い換えますると、まあ極端に言えば
不信任の
議決、
不信任の決議、これとまあほぼ同じように考えられるのであ
つて、併しながら
外国との
関係、旨い換えますると
条約の
効力、これは
影響されないのである。こういう
議論が一方で考えられるのであります。実は私の
意見はあとのほうをと
つておるのでありますが、併し
学説は分れておりまするから、これは必ずしも私の
意見がそういう有力であるというのではなく
つて、むしろ通説は現在のところでは、或いは
反対の
見方、
事後の
不承認が一種の
法定解除条件であるという
見方のほうが数において多いかとも思うのであります。併し必ずしもこれは私の特別な
議論ではなく
つて、同じような
見解はほかにもあるのであります。これは
条約というものが飽くまでも
事前の
国会の
承認を要すると
憲法に書いてあれば、それは
効力或いは
成立要件でありまして、
承認、明示の
承認、
議決があるまでは
効力を生じない。けれ
ども新
憲法はこの点非常にぼかしてありまして、
事後でもよろしい。勿論それは自由に
政府が理由なくして
事前の
国会の
承認を略して、そして
気儘に
事後の
承認という
手続をと
つてもよろしいというのではないと思いまするが、併しとにかくその
事前の
承認がなく
つても、一応
条約は有効に締結されるということにな
つて参りますと、一旦締結されて
効力を生じた
条約を
日本の
国会が
承知しないから、あれは
一つ取りやめに願いたい、或いは当然にあれは
条約は流れてしまう、こういう
議論になりますと、例えば
個人同士の
約束で一旦お互いの信用の上に
約束をした、それが家に帰ると、どうも
家族のものが
反対であるから、それであの
約束は
一つ取りやめに願いたい、こういう話になると少しおかしいのでありまして、殊に新
憲法は九十八条のほうでも
条約を特に尊重しなくてはいけないという
規定がございまするし、勿論これにつきましてはとにかく
国会が
事後においても
承認しなければいけないということは
憲法に書いてある、決して
日本の
国内の
申合せというだけでなくて、世界に、公に発表してある、だから
アメリカその他の
外国においても十分その点は
承知の上であ
つて、だから
事前の
承認がない、
事後の
承認を求めたところが、
国会ではこれに不幸にして
反対があ
つて否決されたということになりますと、それは
相手の国も
計算に入れておるはずであるから、当然
効力を失うという
議論も出て来るわけであります。併しこの点、
相手国は
日本の
憲法を十分に
研究をし、そして又その
憲法に基く
国会の動き、動向を十分に考えた後それを
計算に入れた上で
条約を締結する。だから若し
日本の
国会の
情勢によ
つては
予想外に否決されるかも知れない、そうすれば又
国際関係が変
つて来る、そういうところまで考慮した上で締結する
義務があるかどうか、
日本の
政府でありません、
相手の国でありますが。そういう
意味で私
どもは
反対の
意見を持つのであります。勿論
条約を締結するときに、或いは
行政協定を締結するときに、これは追
つて国会に出し、
国会の
承認を受ける、それが若し
承認が得られなければ
効力を失う、そういうことを
条約の中で明示した場合は、これはその
通り不承認によりまして
効力を失うわけでありますが、そうでない限り
憲法の
解釈といたしまして、
事後の
承認が
効力を存続せしめる
要件であると見る
解釈には、私はむしろ
反対の考えなのであります。さればと
言つて、併し
効力に
関係がないといたしましても、だから
行政協定は
国会の
承認を必要としない、或いは現在においてはもはや
国会に提出することは無駄である、こういう
議論にはならないのでありまして、私
どもはやはりこういう重大な問題は
国会に正式に提出すべきものというふうに考えるのであります。
なお、時間をとりましたが、或いは横道になるかもわかりませんが、
憲法違反であるかどうか、
条約の取扱をしないことが
憲法違反かどうかという問題のほかに、
行政協定の
内容が、例えば戦力に
関係する、そういうふうな点で
内容的に見て
条約であるとしても
憲法違反かどうか。この問題はどうも私に課せられました問題から少し外れると思いまするから省略いたしますが、まあこういう問題につきまして、最後に誰が
最高の
解釈権を持つか。つまり
政府が
行政協定につきまして、これは
条約にあらず、
従つて国会の
承認を受ける必要はない、こういう
解釈。或いは
国会のほうで若し
反対の
解釈をとる、そういうふうなときに、いずれの
解釈が権威を持つか。これは
一つの
見方は、これにつきまして
裁判所で或る争いが起きた場合、
見解の相違に対しては、食い違いに対しましては、
最高裁判所が終審として決定する権能を持
つている、こういう
議論もあるようであります。私は併し、これも少し本論から外れるかと思いますが、
憲法八十一条の
違憲立法についての
審査権、勿論この中には私は
条約を入れて差支えない、
法律、
命令、処分、規則とかいうふうなものが合憲であるか
違憲であるか、これを
最高裁判所が決定するとありますが、
条約はその中にはつきりとは書いてないけれ
ども、
条約がこの中に含まれるという
意見に従うのであります。けれ
どもこの点
反対の
学説は、
憲法よりもむしろ
条約のほうが優先する、
憲法以上の力を持つのであ
つて、だから
条約が
違憲として
効力を失うようなことはない、むしろ
条約によ
つて憲法が変更されることを認める。そういう
学説も相当に有力なのでありまして、これはもうやはりいろいろな機会にお聞きにな
つていると思いますが、学界のほうではすでにこの問題を取上げたことがあるのでありますが、まあ数から申しまして、
出席者の数から申しましてやや我々のような、
憲法が
条約以上のものであるという
見方のほうが多か
つたようでありますが、併しかなり有力な学者が
反対に
条約優位説をと
つているのでありまして、そうなれば実は今の問題は全然変
つて来るのであります。私
どもは
理論上は若し
条約が
憲法違反ならば、その
条約は本来
効力を失うはずであるという
見方をとるのであります。併しながらこの点も少し紛らわしいのでありますが、
裁判所が必ずしも徹底的に
条約の
内容を審査して、そうして例えば
行政協定の十八条が
憲法違反であるかどうかというふうなことを審査し決定するのではない。これは御
承知のように具体的な
事件に
関連して初めて審理することができるのでありまして、
司法権はこれは抽象的な
一般的な問題、
憲法違反であるかどうかという問題を取上げることはできないという
解釈なのであります。そういう点につきましては、或いは
反対の御
意見もあるかと思いまするが、若し御質問がありましたならばお答え申上げます。簡単に、まとまりませんけれ
ども、二、三の点を申上げまして一応私の
お話を打切りたいと思います。