○
参考人(
神川彦松君) 私は多年国際政治史及び国際政治学を專攻いたしておるものといたしまして御諮問にあずかりました問題の一について私の
意見を申述べたいと思うのであります。私は自分の
專門からいたしまして主として
行政協定について申上げたいと思います。
〔
理事吉川末次郎君退席、
理事徳川頼貞君
委員長席に着く〕
行政協定は言うまでもなく日米
安保條約と一体をなしておるものでこれを分つことはできないのでありますが、そのうちの主なる点が三つ四つあると思いますが、そのうちの第一点は、
行政協定では第
二條にな
つておりまするが、
日本においてまだその数の確定しておりません陸海空軍の施設及び地域、私はこれを簡單に基地と申しますが、基地を租借することができ、そうして駐屯軍を置くことができるという点であります。それから第二は、その裁判管轄権、特に刑事裁判管轄権の問題であると思います。第三は、敵対行為があつた場合にその駐屯軍が発動する場合の
規定であります。こういうような点について私は私の
意見を申上げたいと思いますが、今回の
行政協定のように多数の基地を外国軍に提供したという例は第二次大戰以前にはございません。第二次大戰以前におきましては、半植民地とか又は植民地とか言われる所におきましては若干外国軍隊が駐屯いたした例もあります。例えば支那でありまするとか、今日の中国でありまするとか、或いは満洲国でありまするとか、更にアメリカ大陸のカリビアン海に臨む諸国というような所には外国軍隊がおつたことがありまするが、普通独立主権国と呼ばれまする所で多数の外国軍隊が相当長く駐屯したというような例は一つもなかつたのであります。無論講和條約なんかでその履行の担保として駐屯したというような若干の例は勿論ありますが、そういう例はもとより除きまして、今申したような他国の軍隊が駐屯しておるというような例はいわゆる半植民地又は植民地以外にはないと、こう申してよろしいと思います。ところが第二次大戰後に至りましてその例が若干できたのでありますが、それでも私の知
つておる範囲では二つしかないのでありまして、その一つはフイリツピンであります。フイリツピンは独立を與えられました翌年に米国との間に軍事基地の使用に関する
協定というものを結びまして、そうして相当多数の陸海空の基地を米国に提供いたし、且つ米国軍隊の駐屯を許し、而もその期限は九十九カ年という長い期間に及んでおるものであります。これが今回の
日本の場合と最もよく似ておる例でありますが、それに若干似ておりまするのがバオダイのヴエトナム国、バオダイ帝を頂きまするヴエトナム国がフランスとの
協定によりまして多数の基地及び駐屯権を供與いたしております。但しヴエトナムは法制上はフランスの一部をなしております。ユニオン・フランセーズ、フランス連合の一部をなしておるものでありますから
純然たる独立国とは申せませんが、とにかくそのヴエトナム国のうちに多数の基地と軍隊を置く権利をフランスは持
つておるのであります。私の知
つております範囲ではこの二つのみと申してよろしいのでありまして、それ以外には今回のような多数の陸海空軍の基地を外国に提供した條約はないと思います。或いは多くの人は感違いいたしまして、今日大抵の国がアメリカに基地を提供しておる、であるからして何も今度の條約はそう珍らしいものではない、こういうふうに
説明をしておる人があるようでありますが、これは一と百とを一緒にした
議論でありまして、極めて粗漏なる
意見と私は考えるのであります。成るほど北大西洋條約その他によりまして、ヨーロツパの諸国も若干の基地を、主として空軍の基地でありますが、空軍基地を提供するという約束はできておるようであります。併しながらこれは同盟條約に基き、又共同作戰計画を基礎といたしまして、そうして若干の空軍基地の共同使用を提供しておるものであ
つて、決して独占的な使用、即ち基地として提供したものではないと私は理解しておるのであります。でありすから、こういう同盟條約に基き共同作戰計画に根拠して、そうして若干の空軍基地を提供するにとどまるものと、
日本のような殆んど全土に亘りまする多数の陸海空三軍の基地を提供するものとは断じて同一に語ることはできないと私は信ずるのであります。でありますからこの点において、今度の
協定は戰後においても誠に珍らしいものであります。第二次大戰前になかつたのは勿論、第二次大戰後におきましてもフイリピン、私は唯一の例はフイリピンと思いますが、フイリピンを除けば例がないと言うて、私の
專門の範囲内では断定し得ると思うのでありまして、この点が今度の
行政協定の一つの特点と申さなければならないと思います。
次に第二の裁判管轄権の問題でありますが、これについては
只今柳井さんから大変詳しい法制上或いは先例上のお話がございましたが、これについては遺憾ながら私は
柳井さんと
見解を異にいたすものであります。この外国における軍隊若しくは軍艦というものの特権について
国際法上学説がまだ確定していない。
従つて諸説が分れておる。或いは又その慣例がそうたくさんはないという点においては
柳井さんのお説の
通りと考えております。ただ併しながらこれにつきましては戰後相当多くの実例が出て参
つております。又第二次大戰中から戰後にかけて、若干これに関する
協定ができており、それらと比較して今回の
行政協定の裁判管轄権の問題を考察することができるわけであります。これらの例のうち最も近いと言われておりまするのは、一九四一年及び二年に英米の間に交換されました空軍基地に関する公文交換であるようであります。これはそういうものがあるということは聞いておりまするが、併しながら秘密
協定にな
つておるのでありまして、未だそれが
世界に公表されたということを私は聞かないのであります。でありまするから、それについてイギリス本国の人民も恐らくその内容を知
つていないのではないかというふうに私は考えておるのであります。でありまするから、その内容が何であるかということは私も申すことはできないのでありますが、ところが丁度それと同じ年に英米の問に大西洋における海空軍の基地に関する
協定というものができておるのでありまして、丁度同じ頃に英米の間にできたものでありまするから、それについて英米間の慣例を考えることができると思うのであります。この英米間の海空軍の基地に関しまする
協定は、丁度その前年の九月にルーズヴエルト、チヤーチルのいわゆる駆逐艦と海空軍基地との物々交換の結果としてできました一つの
協定であります。この大西洋に並んでおりまする七つくらいの極く小さい海空軍の基地でありますが、これは我々の国際
常識では九十九カ年の期限にはな
つておりまするが、実際はイギリスがアメリカに提供したものであるというふうに考えておつたものであるのでありますが、ところがそれにつきましてもこの裁判管轄権につきましては、相当詳しい
規定が置かれておるのであります。もとよりそれは戰時でありまして平時ではありませんから、アメリカの裁判管轄権が広く認められておるわけでありますが、又基地がありまするからその基地の内外の
区別であるとか、そういうようなもので
はつきり
区別をされておりまするが、併しその戰時における
協定におきましても、原則といたしましてはやはりアメリカについて基地内における裁判権というものを戰略的に認めておる。基地の内外に亘りまするものにつきましては軍事的性質その他相当
種類を限定いたしておるのであります。でありまするから、そう極く簡單に裁判管轄権をきめたものではないのでありまして、相当細かいところまで
規定をいたしております。ここで一々全部を挙げて申上げませんが、決してそう簡單に定めたものではないのであります。ところがそれは戰時の
協定でありましたので、戰後一九五〇年に至りまして、米国駐在のイギリスの大使とアチソン国務
長官との間に公文交換によりまして、その裁判管轄の
規定を一層詳細にいたしておるのであります。この場合にはやはり戰時と平時を
区別いたしまして、そうして戰時にはもとより広く裁判管轄権を認めますが、平時にはこれを相当限定するという方針によ
つてできておるわけでありまして、戰争中の
規定よりは一層具体化されて、且つ又アメリカ側の裁判管轄権も限定されるという形を示しておるのであります。これから
判断いたしまするというと、一九四一、二年に英米の本国における空軍の根拠地なんかについて交換されました交換公文というものも、恐らくそう今回の
行政協定のように簡單明瞭に行くものであるかどうかについては私は疑いを持つものであるのであります。たとえ今回の
行政協定のような
規定にな
つておつたといたしましても、それは戰時のことでありまするし、又英米両国は同盟
関係にある共同作戰計画に
従つて現に共同戰争に従事しようという際でもあつたわけでありまするから、
従つてそういう点で今回の
行政協定のような平和の際に結ばれたものと同一に論ずることはできないと考えるのであります。ところがその他に至りますると、例えば先に申しました一九四一年三月の米比
協定にいたしましても、或いは又一九四九年のフランスとヴエトナム間の軍事
協定、裁判
協定、基地
協定によりましても、今回の
規定よりは更にこの駐屯軍の裁判管轄権、私はそれを治外法権と言うのでありますが、裁判管轄権を制限いたしておるのであります。でありまするから私の考えるところによりますると、今回の
行政協定の認めておりまする米軍に対する治外法権、即ち裁判管轄権というものは、今までの事例におきましてはただ戰時においてのみ許されたものでありまして、戰時以外に認められたというような例を寡聞にして発見することができないのであります。
そこで然らばどういう点が、今度の
行政協定がそれほど広汎なる裁判管轄権を認めているかというと、今度の
行政協定におきましては、
言葉は施設及び地域とな
つておりまするが、要するにそれは基地のことでありまして、基地というものを認めて、そうしてその基地におきましてはもとよりこのアメリカの独占的管轄権というものを無論認めておるのであります。これは多くの点において独占的な権利というものを認めたわけであります。裁判管轄権のみには限りません。それのみならず基地の内外を問わず軍人軍属及びその家族に対しましては米国側が裁判管轄権を持つ、又公務中と否とを問わず、公務中であろうが私用中であろうが
如何なる場合にも軍人軍属及びその家族の犯しました犯罪につきましては米軍が裁判権を持つ、こういう
規定であります。戰争中以外には私は
如何なる
法律も
協定もこれを認めたことはないと思うのであります。で、これによく似ておりますものは旧時代の領事裁判権と見てよろしいのでありますが、旧時代の領事裁判権は属人主義を認めているという点が今回の
行政協定と類似いたしておりまするし、又今回の
行政協定が治外法権であるかないかというようなことと関連いたしまして、この領事裁判権との比較というものが興味ある問題となるわけであります。この領事裁判権は申上げるまでもなく、外国人居留地という若干のその地域がありまして、尤も中国ではその居留地に又いろいろ
種類がございますが、
日本では一律に外国人居留地と申しております。この居留地なるものがございます。この居留地内における外国人、いわゆる居留民であります。居留民というものに対してその本国の裁判管轄権が及ぶというのが根本でありまして、
従つてその点においては今回の場合と同じでありますが、ただ領事裁判権の場合には、その居留地以外には領事裁判権は及ばない。治外法権というものは及ばない。その点が非常に違
つておるのであります。又今回の
行政協定では、その治外法権の特権を受けまするものは、軍人、軍属、家族ということにな
つておりますが、領事裁判権の場合にはそれに限らず、およそ居留民でありまする以上は、誰でもその適用を受けるという権利があるわけであります。併しながら昔の治外法権におきましては、その居留民の数はそう何方、何十万には及びません。極めて限られたものであります。ところが今回の
行政協定におきましては、その軍人、軍属及び家族の数が何万に及びまするか、何十万に及びまするか、これを限定することはできないのでありまして、その適用を受けまする人数の上から申して昔の領事裁判権とは比較にならんほど重大な結果を持つものと私は考えておるのであります。ところが今回の
行政協定が認めました裁判管轄権というものもやはりこれは
国際法上、従来申して来ました治外法権と同じものでありまして、決して違つたものではありません。
政府当局は議会において今回の
行政協定は治外法権ではないということをしばしば
説明されておるのでありますが、それは我々学問の
立場から申しまするというと子供騙しの詭弁である、こう申上げるほかには批評の仕方がないのであります。治外法権というのは言うまでもなく領土外にあるというようなそういう考えではなくして、要するに外国におりながら、外国の裁判管轄権を受けない、外国の法権の管轄を受けないということを
意味するにほかならないのでありまして、従来は、先ほど
柳井さんの言われましたように、外国におります国家元首、或いは
外交使節、或いは軍艦、軍隊というものに大体限られておつたのでありますが、大体それと同じような現象でありまするために、領事裁判権も又普通には治外法権と言われておつたのであります。そこで今回の
行政協定の認めます裁判管轄権の免除というものが、治外法権であるか、領事裁判権と同じような
意味の治外法権であるか、或いは又国家元首、
外交使節又は軍艦、軍隊に対する治外法権と同じようなものであるが、こう申しますると私は全然同じものである、こういうふうに考えておるのであります。これが異なる論拠といたしまして、
政府当局の説かれまする点は、今回の
行政協定においては、その第十六條に、米国の軍人、軍属、家族というものは
日本の
法律を尊重するのである。又第十七條の四項において、軍人、軍属又は家族が
日本の
法律を犯した場合には、米国がこれを裁判し、処罰する、そういうふうに書いてあるから、これが治外法権であるはずはないじやないか、こういうふうに説かれるのでありますが、これは思うに昔
日本に行われましたところの治外法権時代の歴史を知られないから言うことであると私は考えるのであります。又簡單に今回の
行政協定と、そうして昨年の六月十九日に調印されました北大西洋
協定とを同視された誤りではないかと私は考えるのであります。およそこの治外法権かどうかということは、その国の法令を尊重するかどうかという問題ではないのでありまして、要するにその在留国の裁判管轄権を受けるかどうかという問題、その
法律の適用及び執行を受けるかどうかという問題でありまして、尊重するかどうかということは問題ではないのであります。それで昔
日本に行われました領事裁判権の下におきまして、米国の公使は、常にアメリカ人は
日本において
日本の国法を尊重するのである、ただ
日本が米国人に対して
日本の国法を適用し、執行することができないだけのことである、尊重することは尊重するのだということをアメリカの公使は常に主張しておつたのであります。これはイギリスや、フランスの公使などと違
つておるものであ
つて、イギリスやフランスはそうではない。
日本に在留する自
国民というものは、
日本の法令には初めから従わないのである、
従つてその執行も受けない、処罰適用執行も受けないのだ、こういうふうに申しておつたのであります。ところがその結果はどうかと申しますと、全然同じことに帰着いたしたのであります。
如何にこの法令を尊重するとか、尊重しないとか申しましたところで、その
日本の法令を外国人に対して適用し、執行する
権限はないのでありまするから、結局結果においては全然違いがないということが実証されたのであります。でありまするから、
日本の法令を外国のほうで尊重しようというような場合には、
日本の法令と同じようなものをつまりその外国が作りまして、そうして自国の居留民にこれを適用するということに
なつたのでありまして、例えば検疫規則なんというものは、コレラとかチフスとか何かが入ります場合に、やはりこの外国の船も又外国の軍艦もこれを実施してくれなければ困りますので、
日本が特にこのことをイギリス、その他の公使に頼んで、同じような検疫規則を作
つてもらつたことがあります。そしてそれをイギリスその他の居留民に適用したという例がありますが、要するにそれは
日本の法令が適用されたのではなくして、結局やはりその国の法令が適用された、直ちに
日本の法令を尊重したということはできないのであります。でありまするから、法令を尊重するかどうかということは、実際上單なるいわば道徳的な義務であ
つて、
法律的効果はない、こういうふうに言わざるを得ないのであります。北大西洋條約の第
二條には、非常に広く駐屯軍の軍人、軍属及び被扶養者、つまり家族と同じことでありますが、家族は駐屯国の……受入国という字を使
つてありますが、受入国の法令を尊重するということを謳い、そうしてその次に
日本の
行政協定にはない字が一句あるのであります。又その末段におきまして、又派遣国はこのために必要な措置をとる義務を負う、第
二條の末段に又派遣国はこのために必要な措置をとる義務を負う、こういう末段の
規定があるのであります。ところがどういうわけでありまするか、
行政協定の第六十條には、この末段の
規定が拔いてあるのでありまして、私は何の故にこの必要なる
規定を抜いたか、その
理由を明らかにすることはできないのでありますが、とにかく第
二條において今申したように、法令を尊重する、又その
協定の精神に合致しない活動、特に受入国における政治活動を愼しむ義務を負うと同じような
條文を置きながら、特に末段の
規定を拔いたということに何か
意味があるのではなかろうかと私は考えるのでありますが、それは主に北大西洋條約におけるこの裁判管轄権のきめ方が、
日本のとは違いまして、北大西洋
協定におきましては、すべての犯罪について、駐屯派遣国も、受入国も平等の裁判管轄権を持つのであります。でありますから、その点において
立場が全く今回の
行政協定とは建
つておるのでありまして、あらゆる犯罪について一応受入国は裁判管轄権を持つということにな
つておるのであります。でありまするから、どうしても受入国の法令を尊重するということを書くことは当然であり、又その義務を実行せしめるために、これがために必要な措置を、多くは立法措置だろうと思うのでありますが、措置をとるという義務を負うということにな
つておるのであります。ところがこの点が
日本の
行政協定第十六條には拔けておる、又第十七條の第4項には地域内における犯罪とか、地域外において、或いは又
日本の法令に反しました軍人、軍属、家族の犯罪というものを米国の裁判所がこれを処罰するということが、裁判処罰するということが書いてあるのでありますが、これも決して
日本の法令そのものを適用するものでないということは言うを待たないのでありまして、アメリカの軍事裁判所であろうが何であろうが、
日本の法令をそのまま適用するというには当らないので、適用するものはアメリカの法令にきま
つておる、
従つてたとえ
日本の法令と同じようなものが適用されるといたしましても、やはり適用されるものはアメリカの
法律でありまして
日本の
法律ではありません。でありますからこの点において
日本の法令が基地その他において尊重され、或いは行われるということも言えないことは言うを待たないのであります。聞くところによると一九五〇年に米国が作りました軍人裁判統一法とかいう
法律においてこういうような場合のことが
規定してあるそうであります。私は遺憾ながらまだそのテキストを見ることができませんのでどういうふうに
規定してあるかは存じませんが、とにかく
如何なるふうに
規定してありましても、アメリカの軍事裁判所その他が
日本の法令を適用するというようなことは立法上あるはずはないのでありますから、
従つて適用するものはアメリカの
法律である、こういうことになるわけであります。結局この
日本の今回の
行政協定におきまして、治外法権を認めておると言うて何ら差支えないのであります。のみならずその範囲が従前か
つてない広汎な治外法権を認めておるものでありまして、私の知
つておる限りでは、戰時は別といたしまして、先き申しましたように同盟條約に基き、又共同作戰計画によりましてそうして戰時、例えば戰場というようにな
つておるような場合は別でありますが、それ以外においてこういうような広汎な治外法権を認めました
協定というものは未だか
つて知らないと、こう断定いたさざるを得ないのであります。この点におきまして先ほども申しましたように、昔
日本が強制されておりました軍事裁判権、即ち治外法権などとは比較にならないのでありまして、決してこれを同様に論ずることはできないのであります。
政府当局としては昔の治外法権というものは違う、これはただ
一般居留民に適用されるものであ
つて、今度は軍人だけであるから範囲が狹いのだ、こういうふうに言われるようでありますが、これは事実を正視しないためのことで、成るほど
一般の居留民に及びますが、先ほども申しましたようにその居留民の数は限定されておる、居留地というのは全国に数えるほどしかないのでありまして、その居留地内に住んでおる居留民というものはその数は極めて少い。ところが今度はそうではなくして、その人間は何万、何十万に及ぶかわからないのでありまするから到底比較にはならない。のみならず昔は居留地内のみに治外法権が行われておつたのでありますからその弊害は少かつたのでありますが、今度は地域を問わず治外法権が行われるのでありますから、その影響は恐るべきものがあると、こう私は申さなければならぬと思うのであります。或いはこれに対していや、それはそういう
規定は止むを得ず認めたが、併しながらそれはじき改正する、修正するという約束がついておるではないか、であるからやがてそれは修正されるのであ
つて、單に一時のことに過ぎないと、こういうふうに
政府当局は説いておりますようでありますが、私はそういうふうに簡單に楽観することはできかねるのであります。今回の、
ちよつと
行政協定のテキストを……、これによりまするというと第十七條でありますが、その第一項におきまして「千九百五十一年六月十九日にロンドンで署名された「軍隊の地位に関する北大西洋條約当事国間の
協定」が合衆国について効力を生じたときは、合衆国は、直ちに、
日本国との間に前記の
協定の相当
規定と同様の刑事裁判権に関する
協定を締結するものとする」。と、こういうふうにな
つておるのであります。ところがこの点につきまして、この北大西洋條約諸国間の
協定というものは、昨年の六月十九日にロンドンで十二カ国間に調印されたのでありますが、そうしてその後今日まですでに十カ月た
つておりますけれども、未だ一国も批准したことを聞かないのであります。そうしてこの條約はその調印国のうち四カ国が批准しました折に初めて効力を発生すると、無論四カ国の中にはアメリカをも入れなければ
意味をなしませんが、とにかく四カ国批准すれば効力は発生するということにな
つておりますが、未だ一国もこれを批准したことを聞かないのであります。なぜ十カ月もた
つておるのにまだ一国も批准しないかという
理由は
はつきりはいたしませんが、私の観測するところによりますると、この北大西洋條約国間の
協定というものも、成るほど軍隊その他の治外法権というものを明確には
規定しておりまするが、ところがこの
協定で以て権利乃至特権を獲得するのはアメリカ合衆国だけでありまして、その
協定の相手国というものは殆んど何らの権利は得られない、ただ義務のみを負うのであります。これはこの
協定上の当然のことでありますが、アメリカはただ特権を得るだけでありまして殆んど義務を負わない。ところが軍隊の駐屯されまする国は義務のみを負
つて殆んどその権利というものは得られないということにな
つておるものであります。でありまするからどこの国の
政府も進んでこれを議会の批准に問うということを急がないわけでありまして、
かたがた十カ月たちました今日なおこれが一国すら批准しないのではないかと思うのであります。でありまするからこういう形勢で行きまするならばいつ條約が、この
協定が発効いたしまするか想像
はつかないのでありますが、でありまするからこういう第一項の
規定がありましてもこれがいつ適用されるかはわからないのであります。のみならずこの
條文をよく見まするというと、「
日本国の選択により」、アツト・ザ・オプシヨン・オヴ・ジヤパン、「
日本国の選択により、」という一つの
條件付きにな
つておるのでありまして、
日本国が選択しなければそういうことにならんということにな
つておるのであります。ところが果して
日本が選択するかどうかということはわかりません。選択しない場合もあり得るのでありまして、現に選択しない場合を予想いたしまして、この條の第五項に「
日本国が1に掲げる選択をしなかつた場合には、2以下に定める裁判権は、引き続き行われるものとする。」というふうにちやんとその選択しなかつた場合のことも
はつきり
規定いたしておるのであります。更に又この第一項の末段を見まするというと、「
協定を締結するものとする。」とこう書いてありまするが、原文をよく見まするというと、締結するであろう、ウイルという字を使
つてあるのでありまして、單なる締結するであろうという、いわばアメリカの任意的の
規定にな
つてお
つて、決してアメリカを義務付ける
規定にはな
つておらないのであります。若しアメリカを義務付けるためには、「締結するものとする。」とうのではいけないので、締結する、シヤルという字を使わなければいけないのでありますが、ウイルを使
つてある。このウイルとシヤルとの使い分けはこの
行政協定全文を通じて守られておるのでありまして、他の條項と比較いたしますると非常に
はつきりいたすのでありまして、ここには單にウイルという字を使
つて、せねばならんという
意味に書いていない。或いはそのことを約束する、アンダーテイクとか、或いはそのことが合意されたというふうに書かなければ、義務付けたということにはなりません。これはこの
條文の両方を比較して見まするというと、明確にこの義務を負います場合にはシヤルを使いますが、或いはアンダーテイクとというこを、或いはイツト・ウオズ・アグリードという字を、合意されたという字を使
つておるのでありまして、單なるウイルという字を便つた場合には單なる任意的な
規定、それはアメリカの合意に任された
規定という
意味に解するほかないのでありますが、遺憾ながらこの場合はやはり締結するであろうというふうに書いてあるのでありまして、義務付けたようにはな
つておらないのであります。でありまするから
日本がたとえ選択いたしましても、アメリカが締結するかどうかということはアメリカの合意によるわけでありまして、アメリカが嚴格な義務を負うているというふうには解釈することができないのであります。又この北大西洋條約が容易に発効いたさない場合を予想いたしまして、第五項の終りには「前記の北大西洋條約
協定がこの
協定の効力発生の日から一年以内に効力を生じなかつた場合において、
日本国
政府の要請があつたときは」……
日本国
政府の要請があつたときは、「合衆国は、合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族が
日本国で犯した罪に対する裁判権の問題を再考慮するものとする。」と書いてありますが、それもやはり同じ書き方でありまして、
日本国の
政府の要請があつたというこの
條件付に
従つて、要請がなければ再考慮しない。要請があつた場合に初めて再考慮する、そして再考慮するであろうとやはり書いてあるのでありまして、ウイル・リコンシダーという字が使
つてあるのでありまして、やはり任意的な
規定にな
つておる、こういうふうに実に嚴格に書き分けてありまして、決してこの
行政協定にきめてありまする刑事裁判管轄権に関する
規定をアメリカがどうしても修正しなくちやならんとか、或いは再考をしなくちやならんということは義務にはな
つておらないのであります。でありまするから、果してアメリカが修正説に同意するや否や、修正を再考するや否やということは、アメリカの任意に属することと、こう解釈しなければならないのでありますから、遺憾ながらこの條約がそう簡單に再修正されるものと期待することはむずかしいと私は感じておるものであります。
まあこういうわけでありまして、この刑事裁判権の管轄というものは誠に従来例のないものであり、又その修正のそ他の再考慮についても幾多の憂慮が、心配があるわけであります。又たとえこれが北大西洋
協定と同じように修正されたと仮定いたしましても、北大西洋
協定というものはこの期限が明確に
規定されておりまして、期限は四年、四年たてばそれを廃棄するということができる。通告後一カ年間で失効することができるということにな
つておりますから、要するに五年であります。五カ年の期限が
規定されておるのでありますから、たとえ北大西洋條約が不満であつたとしても、五カ年のうちにはそれが廃棄されるという見通しがありまするから我慢することができるわけでありまするが、ところが
日本のほうはそうではないのでありまして、言うまでもなくこの
行政協定は安全
保障條約と同一期間有効であるということにな
つておる。そうして安全
保障條約の期間というものは限定されておらない。
はつきり限定されておりませんから、要する無期限の條約と言わざるを得ません。
従つてこの
行政協定は又無期限と言わざるを得ないのでありまして、そういう点において北大西洋
協定と又大きな開きがある、こう申さざるを得ないのであります。でありまするから、この刑事裁判管轄権という問題にいたしましても、これは要するに戰争というものを前提し、又それが戰場にあるということを前提にしたときにのみ考えられる問題でありまして、平時の場合には考えることのできない私は
規定であると思うのであります。これと、先に申しました
日本において数のきまらない、多数の軍事基地を租借し、且つ駐屯軍を置くという点とを併せまするというと、結局この條約及び
協定というものが、
日本を戰争前におけるならば半植民地若しくは植民地、又民族の例によりますならばフイリピンとかヴエトナムと同一の列に置いたものでありまして、決して本当に
日本を独立主権国と認めたということはできないのであります。若しもヴエトナムのような国が独立主権国であると言うならば、無論
日本も独立主権国でありましようが、ところがヴエトナムのごときは独立主権国ではなく、事実においてフランスの植民地である、或いは属国であるというように多くの人が認めております以上は、
日本も又それと同じようなふうに見られるということは止むを得ないことではないかと私は考えるのであります。こういうような條約及び
協定というものは、思うに軍事
当局者でなければ考え得られない政策ではないかと思うのであります。若しも
外交当局或いは米国の大統領府というようなものが考えましたならば、決してこういうような條約を作ることはなく、恐らく北大西洋
協定と同じようなものを作ろうと考えたに相違ないと思うのでありまして、又それができなければならんのであります。ところが思うに従来数年間に亘りまして、
日本に対してどういう
條件を強制すべきか、どういう
條件を課すべきかということについて軍事当局と大統領府と、そうしてマツカーサー司令部との間に扞格がありましたが、その扞格がやつと朝鮮戰争の教訓によ
つて一致点に利達いたしましたが、遺憾ながら
日本にとりましては結局この軍事当局の
意見が全勝を占めたということを立証するものと私は考えるものであります。この点については我が国にと
つて不幸であるのみならず、米国の政策といたしましても、私は決して当を得たものではないのではないかというふうに考えておるのであります。
先ず一応……時間も過ぎたと思いますから、私の
説明はこれだけにいたしておきまして、又あとでいろいろ御
質問に
お答えいたしたいと思います。