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平林太一君 今日私も行
つて参
つたのですが、
お話は今お聞きの
通りであります。それで私は帰りますときに、なお又重ねてくれぐれも自重を求めて来たのでありますが、どうか各位も堪えがたい苦難に堪えて今日まで来ておる。それがいよいよ我慢ができないというまでになられた御意中、御心情は、察するに余りある。併しここでその苦心を一簣に欠くようなことがあることは、本当にこれは困
つたことであるから、今後国のためにもあなたがたのためにも損になるのであるから、是非
一つこの際いやしくも
あとで取返しのつかないようなことにしてくれては困るということをよく話して参りました。で、よくわかりましたと言
つたのでありまするが、それにつきましては、やはり八月十五日にその決意をしました、で
釈放されるまで、この慰めるべきだけの何らかのこちらからの
処置、つまり好意が届くことをひそかに期待して自重いたしておることと察するのでありますから、この点どうぞ大臣十分
一つお考えを願
つて、今後の御
処置を責任を以て御苦心をして頂くことを、この際強く要請いたすのであります。それで今いろいろ大分
お話が出たのでありますが、一々私も同感でありまして、ただ私の考えておりますことは、
只今この
全面釈放に対しまして、大臣の御
答弁にな
つておることは、それを事務的、或いは部分的に御解釈になられて、そうしてそういうことはいかんと、こういうのでありますが、私のほうの
全面釈放という、私のほうのこの全体的な概念と申しますか、そういうものは、いわゆるその国の、
一つ一つの国々に対してその話をつければ、その場合には、ほかの問題とは違いまして、私はそんな……、じや、これはつまり仮
釈放してやろうとか、或いは緩和、刑を
減刑してやろうとか、そんな私はけちなことは言わんと思うのです。これは
一つ一つの国に対しまして、いわゆる
外交交渉というものは、その国の懐に入
つていたしますれば、事
戦犯の問題に対しましては、話がきま
つたときには、私のほうでは
戦犯に対しましては、それじやよろしうございますから、全都
一つ御要求に応じましようと、こういうことに私はなるのじやないかと思います。誰か、今日もう
戦争が済んでそうして平和にな
つて、そうして世界が二つの勢力に分裂して、相共に協力しておるときに、それに段階をつけて、そうしてあれするということはあり得ないと思う。この場合におきましては、私は
米国の
態度というものは恐らく大臣が本当に先方の中に身を以て自分が飛び込むという行動に出て行きますれば、必ず私は打開のできる問題であるということを信じて疑わないものであります。なぜかと申しますれば、まあいわゆる
米国には
米国の感情がありますから、ただ
向うは、何か
米国人の感情の中にも
戦犯を許しがたいという感情があるというのですが、併し我がほうにおいては戦時中、戦後を通じて、ほかの
言葉で申しますれば銃前銃後を通じて、現に広島、長崎のごとき、あの残虐無道なるああいう悲惨事というものが……、私は先日広島にも参りまして……、その前にも行
つたのでありますが、行くときごとに、当時の悲惨事というものがあの世間で想像しておるより以上に非常にひどいものである。被害者は何十万に及んでおるというようなことですから、これは
一つ今日我がほうでもそれをどうということを言うのでないから、理窟を言うのでないのですから、
米国自体が
戦犯に対して、今日まだそういう感情を持
つておる、その感情が
影響して
戦犯の問題を云々しているというような問題ではないと私は思う。
一つ我がほうの広島、長崎のことを考えてくれたらいい。併しそんなことをどつちも言い合うときではないから、そんなことはこれは相殺して、この問題に対する感情問題は、
一つ両方とも釈然としてそうして今後のことに進むべきじやないかということが、私は言えると思います。それまでに言えば、先方も必ずこれはあれしておる。併しマーフイー大使が非常に御心配にな
つておられるというのでありますが、これは
日本に来て、実際
日本の土を踏んでおるから、そういう正しい感覚ができるのです。マーフイー大使が……、私から申しますれば、ひとり又
米国自体におきまして、我が国の
実情が
向うに誤解されておる点があり、又それに近いものがあるのでありますから、これは
一つ米国に対しまして、一瀉千里に
一つや
つてくれということを私は要請することは極めて必要であると思います。そうすれば、これは成功すると思います。そうして
米国がやるときには、そんな細かい問題はやらない。
平和条約でああいうことを示したことも、今日では恥かしいと、これは
米国も必ず言われましよう。これは速記録を通じて大いに海外に対して、これが
米国の当事者に対して伝えてもらいたい。それは
平和条約というものが今日においては……、あの当時の
条約としてはあれでいいでしよう。まあ我々も賛成いたしたのであります。併しながらその情勢というものは刻々に変
つて来る。一昨年或いは昨年あたりの状況とは、これはずつと変
つて参りましたから、ただ今日はもはやいわゆるあの
条約はもう無必要なものにな
つたのですから、精神的にああいうものは外してしまわなければいけないのであります。外してしまえば、おのずから
戦犯の問題は求めずして自然に解消せざるを得ないのでありますから、その点を
米国は今日責任を以て、若し……感情が悪い、悪いと称しておられる向きもあるであろう。或いはフイリピンに対しましては私は
米国の政治家というものが、又
米国政府というものが責任を以て、これらの国国に対しましてはよろしく
戦犯問題の解消ということに対しまして、今日全部
釈放する、解消でなくてもいいのでありますから、
釈放するということを縷々力をいたすべき
米国は義務を持
つておると思います。今日双方に、日米
関係において、殊に国連の憲章の大精神というものを強く我々が信頼し、信用し、そうしてこれに協力して、世界平和を打建てようという今日の場合におきまして、私は当然のことと思うのです。それができないということは、我が国の
外交というものがまだ何か占領時代の惰性に慣れておる、非常に怯え戦いておる。そのために却
つてそれが国の、そういうことを心配することが過ぎて、いい結果をもたらさない。又それくらいに
米国の懐の中にこれは飛び込んで行
つて、私はいいのじやないかと思います。今日はそれですから、どうかこの点は
一つ、私はこれも
意見だということで、大臣が拒絶になるならば、それはもういたしかたがないでありましようが、併しながら私はそういうものではない。それから
一つ思い直して一大勇猛心、勇気を出して、そうして頼むことであるから、
向うが頼まれて、そんなものは何だと
言つて怒るということはありつこない。頼んで見てそうして悪いと言えば、それじやそのときに悪い部分はどういう
お話だと
言つて、又
お話はできるわけでありますから、だから頼む、そうしてそれを
一つ持込んでこれこれと……如何にもこんなようなことをして置くことは何としても無理ではないですか。併し
条約を結んだ我がほう、
日本の
政府の
立場も少しは考えてくれということで、あの当時だ
つて向うの
条約に対して私は
政府自体当時の今総理大臣である
只今の吉田老人、この老人といえ
ども射る、ああいうものに対しては満足は私はいたしていないと思います。併し当時の
事情といたしまして止むを得ずそういうことをして
米国の顔も立
つたのであります。これもそれによ
つて講和条約を締結することによ
つて妥当な
処置と考えたのであります。
向うの顔も立
つたのであります。それだからいわゆる我がほうに多少不満のことがあ
つても、その不満は忍んでそうしてあの
条約を呑んだ。我々がこの場所においてあの
条約を呑んだことも皆そこに起因いたしているわけであります。それだからすでにそういうわけで騒々として時代が変
つて来た、一時一刻。今日は私は
巣鴨の諸君に会
つて、いやそういうような
お話であるが、この
講和条約が
発効して未だ二カ月か三カ月だ、それだからまあ
一つ非常にその堪え切れんであろうが、まだ三カ月か二カ月だから、これからであるから
一つこの今日の場合は
一つそういうわけで
一つ忍びがたきを忍んで我慢してもらいたい。いや
向うも悲痛な叫びで、いやそれはそうだが、我々にと
つては一瞬一刻が大事だ、一月、二月の日勘定じやないのだ、時計のタイムが刻一刻、一秒一秒を刻んで行くのだ、今日の迫
つている……時間に対する
観念だ、そのときのことはそういうことでありますから、私は申上げることは甚だ言粗雑でありまして粗野でありまするが、実にこれは私はあえて憂国の何とかというような大きいことを申すのではない、人間としての本当の悲痛の何にこれは立
つてこれより深刻なことはないと私は思いますが、私
どもは曾
つて昔の物語に俊寛という僧侶が、何か昔のことですから、畠に流されて二人行
つてお
つたものが、一人だけ
釈放されて帰されて、その
あとで一人残
つたときのその心見というものは、爾来そのときの
心境というものがいわゆる何か人間性の悲惨なことでそれに対する同情というものが
日本国民の何か性格の中に深いこれが昔物語にな
つているのですから、今日
マヌス島でありますとか、或いは
モンテンルパという所におられるところの諸君の
心境、誠に私は自分のごとく感ぜざるを得ません。そこで方法がないかというとないのではない。私が
外務大臣でありますれば
米国に乗込んで一瞬にして解決して参ります。これだけの背景を背負
つた今日の日米のこの
事情下においてこの
戦犯の問題を対
外交渉、
外交交渉によ
つて解決のできんということはない。ほかの問題と違いますから、どうか
一つ私は
岡崎君御自身も進んで
一つ米国に、今日参りましてマーフイー大使に対しまして自分の職を賭してでも、吉田内閣もはや命旦夕に迫
つている、二カ月か三カ月であります。人は一代名は末代である。私は
外務大臣はこの問題だけは処理して、そうしてこの内閣の
外務大臣としてお引きになるくらいのお覚悟を
一つ示して頂きたい。若しそれをおやりになれば来るべき総選挙にあなたは満点で当選いたします。しなければこれは危険な
状態になる。私は吉田茂君といえ
どもそうである。私は与党であるから申すのでふります。この問題を解決せずにして、吉田茂があの選挙区に帰
つて選挙したときにどうなるか。実に私は思い半ばに過ぎるものがある。
戦犯者に対して、拘置所において冷酷なるところの
態度をと
つた、義憤を私は禁ぜざるを得ないのであります。その点から天譴が自由党における今日のあの反乱軍を作
つたのであります。世の中の因果いうものは、だからこの問題に対しましてはこの
戦犯者の今日のような悲惨な
実情をいろいろ左顧右眄いたしましてそうしてみずから保身のことを考えて、そうしてこれをこのまま放置するということになれば、
戦犯者を殺すのみならず、今日その活殺の権を持
つている、或いはその活殺の
処置を持
つているところの時の当事者がその累に倒れるということは明らかなのであります。若し事によるとこのままにして置きますと
巣鴨にどういう
事態が起きるか、
巣鴨九百何人か、あすこで彼らも武士である、自刃をするというような
事態ができ得ないとも言えないでありましよう。これは事実上いろんな何があるから自由がきかないから……併し精神はそれであるということを私はお考えを願いたいと思います。併しそう思うことは彼らがそれを
戦争に対して反省しないからであるというようなことを考えてはいけない。今日になりましてはもはやこの
講和になりまして
日本国民がこの
通りたとえ不自由ながらも所を得ておるときにいつそ死んでしま
つたならばそれはそこでよろしい。彼らにしても
心境から言えば死んじや
つたのならば死んじや
つたのでいいのだ。併し死にもせず生きもせず生殺しでこのまま置くということは何としても自分の納得の行かないことであるということを、私は、或る
人たちが書いておる。そうなればこれを放置して置くということはああいう
人々の、我々の、昔やはりああいう人は伝統的な我が国民の思想を継いでおるさむらいである。腹を切
つて死んでしまう。そのときに誠に相済まないと言
つたときには間に合わないのでありますから、それですからこの問題はどうか、この吉田内閣は内閣の運命、内閣の生命を賭してこの問題はいたすべきである。そうした結果どういう
事態が海外に起きたということに対しては我々
国会議員が責任を持つ、そんなことありません、絶対に。頼みに行くことであります、これは。誰も頼んで
向うが怒る理由がない。そういうことは世界のどこへも共通しません。そういうことを頼んでみてこうやれば
向うの感情が悪くなるであろうとか、こうなれば、こういうことをやれば却
つて悪くなるであろうなんていうことはそれはまだまだ本当にその身を以てその中へ飛び込まない。それは私は
心境ではないかと思います。