○野村
公述人 早稲田大学教授野村平爾であります。
まず最初に全般的な問題として
一つ簡單に申し上げておきます。これは同時に私自身の全
労働法規の
立法に関する
考え方かと思いますので、申し上げておきます。
今度の
労働法規
改正がもし
改正としてぜひなされねばならないということを考えた場合に、その理由としては二つあり得る。これは皆さんも御承知のことだと思う。
一つは占領の形式がなく
なつたということから、占領中
政策として行われていた
労働法上に関するさまざまな制約がこの際排除されて、
日本の
憲法の精神に即した体系をつくり上げるということが
一つであろうと思います。それからもう
一つは、すでに私たちは過去において
労働法規を実施した歴史を持つているわけでありますが、そういう歴史に照らして、妥当を欠いていると考えられる部分について是正をするということが第二の点だと思うのであります。
第一点で問題になります一番中心的なことは、占領中できましたところの
公務員、特に
現業員などを中心としますところの、一般民間
労働者とやつている仕事においても、地位においても、収入においてもきわめて似通つているような
労働者に対して、どのような
取扱いをして行くか、団体行動権を回復して行くということは行わるべきではないかということが
一つの点であろうと思います。
第二の点といたしましては、
団結権の侵害ということがしばしば最近においても行われておるのでありますが、これに対する
不当労働行為制度というものが必ずしも十分な効用を発揮しておらない。そこでこういう運用をして行きます
機関の
労働委員会等の構成と相まつて、十分この点を再
検討して是正して行くということが問題になるということ、及びすでに申し上げました
公務員などにつきましては、たとえば
公共企業体労働関係法や、
公務員法における
規定などをもちまして、人事院の給與勧告
制度とか、強制仲裁
制度というようなものがとられているのでありますが、こういうものについて、はたしてこれでよろしいのかどうかというような
検討がなされなければならないはずだということ、それからまた従来の
労働法規の中におきます
争議調整の
一つの
方法としての冷却
期間制度というものが、実効がないという声が聞かれるのでありますが、これについてどのような是正をや
つたらよろしいか、こういうようなことがあると思うのであります。
ところでこのたびの
改正の中では、どちらかというと、こういう根本的な問題が必ずしも十分には取上げられなか
つた。そしてむしろ向うべき方向とは、必ずしも一致しない方向へと、
改正の方向が向いておるということが感ぜられるのであります。しかしながら、私はここではむしろ具体的に、
法案そのものの内容に即して若干の
意見を申し上げておきたいと思います。
まず最初に
労働関係調整法等の一部を
改正する
法律案のうちの第十
八條、
公益事業に関する
労働争議調整について、
調停の申請をしてから三十日間の冷却
期間を十五日にかえたということと同時に、その場合に申請を却下することが、
労働委員会においてできるとした点であります。これはつまり御承知のように、紛争
関係が煮詰まることができないうちは、せつかくの申請を取上げても、單に冷却
期間が
争議のためのウォーム・アツプの
期間に
なつてしまいはせぬかということが批判された結果だと思うのであります。ところが、なぜ
争議関係が十分に煮詰まらないかという原因の究明については、必ずしもなされておらないようであります。どちらかといいますと、この紛争
関係が煮詰まらない根本的な理由は冷却
期間中においては、絶対に実力行使ができないという制約が加わつておる
條件のもとで
団体交渉がなされるということのために、紛争
関係が煮詰まる
状態にまで達しないというふうに考えられるのであります。でありますから、もしその角度で両当事者の
争いを煮詰まるだけ煮詰まらせたいということであるならば、こういう冷却
期間の制約を解いて
交渉せしめるということの方が、早く煮詰まり点に達するということになるのではないかというふうに考えられるわけであります。ところでその場合に、ただそうしたならば、やたらに
争議が起るであろうという懸念が考えられるかもしれないのでありますが、これについては、実際の
労働関係を見ますと、重要な公益企業などにおける
争議というものは、そうやすやすと簡單に
決定して、旬日のうちに行われるというようなものではなくて、むしろ十分な折衝が行われ、二箇月、三箇月の
期間がたつてから出て来るというのが、まず普通の
状態に
なつておるようでありますから、この点については、そのような心配はまずないのではないか、こういうように考えられるのであります。
ところで、申請を却下するということになりますと、実は両当事者の納得の上に問題を
解決して行くべきはずの
労働委員会が、みずから
労働者側に対して
一つ対抗する
立場に立つ。つまりサービス
機関であるという性質から考えると、ややそぐわないような
権限を持つてしまうことになりやしないかという点が憂えられることであります。
調停というのは、
一つには双方の主張を煮詰まらせるための
一つの補助的な手段であるというふうに私は考えておるのであります。もし
争議権を禁圧した
状態のもとでこれを期待するということになりますと、どうもその期待がそれにそぐ
つた結果を生じないというふうに考えられるわけであります。なおこの点につきまして、申請の却下をなされた場合に、はたしてこれに対する救済がどのような
方法で得られるかということにつきましては、必ずしもこの
規定から、あるいはこの
法律全体からは、どうも私は明確にすることができなか
つたように思うのであります。いろいろ学説もあるようでありますけれども、申請の却下のような処分というものが、これは違法の処分であるとか、不当な処分であるとかいうような点につきましても、若干
議論があるようでありますし、もし違法な処分だということでなくて、不当な処分だという
考え方に
なつた場合には、どうもこれについて救済を得る道がないというような理論も出て来るのではないかというようなふうにも考えられる点、
一つの大きな疑問を抱いておるのであります。それから却下をして行くということについて、私は
労働委員会が、十分
労使双方の間に立つて事に処して行くという
性格から考えて、不当な
取扱いはしないであろうという期待は持つのが当然だと思うのでありますけれども、できるならば、こういう場合には、どのような
期間に申請の却下をやるかというようなことを
立法上明確にしておくというようなことも、
一つのなすべき準備ではなかろうかというふうに感ずるのであります。
第二の点は、三十五條の二に設けられた
緊急調整に関する問題であります。この
緊急調整につきましては、大体これとよく似た
制度が
アメリカの
タフト・ハートレー法において行われておるわけでありますけれども、
タフト・ハートレー法の場合においては、すでにある
程度緊急調整というものの実施の経験があるわけであります。その経験を、私の知り得た限りにおいて見ますと、どうも四十八年、四十九年となるに
従つて、
緊急調整の数が急激に減少しておる。この減少しておるということは、一面からいうと、批評家は、これはこの
制度が必ずしも望んだような十分な効果を発揮し得ない
制度であるということが批判されたものなんだというふうに言つておる者があるわけです。たとえば、四十八年、四十九年に八件ばかり事件が報告されておるのでありますけれども、そのうち七件までが四十八年、すなわち
タフト・ハートレー法の通過した翌年であります。その結果を見ましても、やはり大部分が、
緊急調整による
争議のさしとめ命令が出て、それが解除された後に
争議を行
つたりして、初めて
解決がついておるというような結果を示しておるということであります。中にはまたその命令に違反して、さしとめ
期間中に
争議をやることによつて問題の
解決をはかつておるというような、そうしてそのために法廷侮辱罪に問われるというような事件を起しておる例もあるわけであります。その他
実情調査
委員会を設けて、別にさしとめ命令を出さないうちに
解決をしたというのも若干ありますけれども、つまり、この
期間の中に、実力行使をしないで問題がきれいに片づいて行くというようなことがきわめて少か
つたというような実例があるわけであります。こういうようなことから考えまして、この
制度については、案外
アメリカにおいても、これはどうも適切でないという批判があるのじやなかろうか、こんなふうに思われるわけでありますが、
日本では、ちようどそれと同じような
方法をここで採用しようというふうに考えられるわけであります。
アメリカにおきましても、たとえば十人ばかりの原子力の研究をするところの、民間で委託を受けた研究所の従業員の
争議に対して、このさしとめ命令を出すという問題が起
つたことがあるわけであります。これでも
国民の健康あるいは安全に大きな障害があるというように認められるということになりますと、一体どういう標準で、こういうような緊急さしとめ命令等を出すのかということにつきまして、
アメリカの問題として考えても、かなり疑義があるのでありますが、
日本の場合においては、三十五條の二においていろいろ要件をあげておるのでありますけれども、この要件の
言葉それ自体は、かなり一般的な広い解釈を持ち得る
規定でありますので、
従つて十分こういうような調整が行われ、しかもこれが
労働者の基本権に対して、はなはだしい侵害にならないような道を講ずるのだとするならば、手続や要件の点において、かなり嚴密にこれを
規定するとことが必要ではなかろうかと感ずるのであります。ところで、
アメリカの
タフト・ハートレー法の手続を見ますと、
日本の第三十五條の二に比べまして、はるかに手続が複雑であります。たとえば
争議が起るにまかせる、しかも続くにまかせて放置しておいたならば、
国民の健康や安全を脅かすと大統領が考えた場合、しかもそういう
争議が州際通商などに
関係があるような大規模な
争議であ
つたというような場合において、大統領は、そういう争点を調査せしめ、そうして定める
期間内に報告書をその調査
委員会から提出させ、その調査
委員会の報告に基いて、こういうものをさしとめる必要があると感じたときには、検事総長をしてこれを裁判所に対して請求させるという手続を経るわけであります。だからそれだけの複雑な手続を経て、初めて
労働者の団体行動権の抑制ということが始まるということを考えてみますと、
日本の場合は、きわめてこれが簡單にやつてのけられることに
なつている点は、一考を要すべきではなかろうかと考えるのであります。つまり公正な
機関によるところの
実情の調査、あるいは裁判所による判断というものを
経過して、初めて行政
機関の行為だけでなしに団体行動権の抑制が始まるという点は、非常に重大なことだと思うのであります。御承知のように
アメリカにおきましては別に
憲法上団体行動権の
保障などという文句はありません。
日本においては、そういう文句が明らかにあるわけであります。そうだとするならば、そういう形式からいつても、
日本の方が
アメリカよりも、よりていねいにこういう問題を取扱う方が、
憲法の精神にかなうというような見方が成り立つのではなかろうかというふうに思うのであります。
二番目に、しからばこういうような
決定があ
つた場合、事後における救済は簡便に與えられるであろうかということが問題になるかと思うのであります。この
決定の取消訴訟を求めるのは、おそらくは行政事件訴訟特例法などによる救済が考えられておるのではないかと思いますけれども、こういうような
方法によつての
争議権の行使というようなものに関する救済は、きわめて困難であると考えられることが第二の点であります。
それから第三の点は、先ほども出たのでありますけれども、なぜ
日本の
労働法規が、終戰後において民間人や
労使双方の代表者を加えた
委員会構成によつて事を運び、
政府の行政
機関が直接これに關與することを避けたかという問題でありますけれども、とかく世界の
労働運動は、御承知のように
使用者に対する運動であるだけでなしに、
政府に対する運動というような歴史も持つてお
つたのであります。
従つて政府は、なるべく直接に行政
機関としてこの
労使関係の――もちろん
労働委員会も行政
機関でありますけれども、従来の行政機構そのままの形をもつてこれに対処することを避けることがりこうである、そしてなるべくそういうようなことに対してみずからの手を清めて、いつでも中立の地位において問題を処理して行くようにはからうことが適切だと考えられたのだと思うのであります。なおそれに加えまして
日本における過去の歴史というものに対する批判もあ
つたことだと思いますし、また先ほどの
公述人の説明にもありましたように、信頼度の問題というのがいつも
労使関係においては伴うのでありますから、このような信頼度をかち得るためにも、なるべくそれに即した
機関の手を
経過させることがよいのであつていつも
政府が
労働関係に対してその敵に
なつて立ち向うということをなるべく避け、
労使関係は双方の納得の上に、できるだけ問題の
解決に近寄る
方法をとらせたい、こういうような
考え方が従来の
労働委員会制に基く調整の
方法であ
つたと思うのでありますが、今回の
緊急調整は、その入り方において、必ずしもこの道を踏まなか
つたという点が、どちらかというと、従来の伝統あるいは基本的な
労働問題に対する処理の行き方と違
つた方向をと
つたということが指摘できるのではないかと思います。その点については、私はむしろ従来の行き方の方が正しいというふうに考えるのであります。
次に第三十九條、第四十條の問題について触れておきたいと思うのであります。これは罰則
規定であります。すなわち
公益事業関係の冷却
期間を
経過しない
争議の違反に対する処罰及び
緊急調整の
期間に反する行為に関する処罰が
規定されているのであります。従来こういう第三十
七條の違反などにつきましては、
組合が罰金を科せられるということに
なつていたのでありますけれども、今度はこれを個人罰に切りかえてや
つたわけであります。ところで
労働者が、団体行動として
組合の中の
決定に基いて行動をするというような場合に、一人々々の
労働者に責任を負わせるような行き方がいいか、それとも
組合自体として責任を負うという行き方がいいかということにつきましては私はむしろ後者の方であろうというふうに考えるのであります。違反された事柄あるいは犯された事柄が、もし殺人とかあるいは強盗、放火のようないわゆる自然犯的な
性格のものであるならば、もちろんこれは個人罰で行くべきことは当然であると思うのであります。しかしここで処罰を受けるのはつまり所定の手続を経ない
争議権の行使とに対する処罰という形をとるのでありますから、これはどうしても個人罰でない方が適切ではないか。何ゆえにこういうような個人罰に切りかえたのであろうかという点について、私はどうも了解が困難なのであります。
なお同じく処罰
規定につきまして、第四十一條が削除になりました。これは
労働法第四十條が
労働組合法の中の第
七條に讓られたという
関係で、この処罰
規定が形式的にはいらなく
なつたのだと思うのでありますが、結果から見ますと、従来この第四十條の
労働関係の調査中の
発言等に関して不利益な待遇を
労働者に與えた者につきましては、六箇月以下の禁錮もしくは五万円でしたか、今ちよつと明確にわかりませんが、罰金というような処罰の
規定があつて、嚴にこれを戒めるという態度をとつて来たのでありますが、これが
不当労働行為規定の方に讓られるという結果、もはや直接には処罰
規定がなく
なつた。つまりこういう面については、
団結権の擁護についての救済
方法が刑事罰をもつて行うというような方向を全然やめてしま
つた。同時に今申しましたように、かなり今度
労働者の個人罰の方が増加されて来ておるというようなことは、全体として直接に三十九條、四十條並びに四十一條が削除された――四十一條が必ずしも相関
関係を持つものではありませんけれども、どうも全体の上から見てやや
労働者の個人々々に対して酷に
なつた
規定のように考えられるという点であります。
なおその他小さな問題につきましては若干の
意見がないわけではありませんけれども、やはり中心的な問題は
労働関係調整法に出ているこの問題が一番大きな問題のように考えましたので、私の
意見をその点に集中いたしまして、ただいま申し上げたわけであります。これで私の
公述を終りといたします。