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山村委員 多少本論よりもわきの問題になるかもしれませんが、
労働組合が物の売買あるいは
金融などのような経済的な仕事を、はたしてどの
程度までや
つたらよいかということは、非常にむずかしい問題であろうと思います。たとえば現在政府の奨励によ
つて各地に農業協同
組合がたくさんできております。ところがこの農業協同
組合の経理そのものは、ほとんど一方的な買集めや一方的な販売で、同時に農林省の圧倒的な支持があるにもかかわらず、実際その
経営内容というものは不振をきわめておる。一体どこにその根本の原因があるかというと、こういう
団体の
経済行為というものは、ややもすればその
役員なり指導者なりが、その
経済行為の悪い面においての責任を負わないという点に、大きな原因があるのではないかと思います。
農業
方面の問題でありますが、実は私の方の同じ村に澱粉工場が二つある。
一つは
個人経営の澱粉工場であり、
一つは農業協同
組合経営の澱粉工場である。ところが同じ村から出るいもが原料でありますから、どちらの澱粉工場も、その澱粉の歩どまりというものは同じパーセンテージであるべきにもかかわらず、一方の農業協同
組合の澱粉工場ではこれが一六・五%しか澱粉の歩どまりがない。ところが他方の
個人経営の方においては二〇・五%も歩どまりがあるという現実は何であるかといいますならば、いわゆる
経営監督をしておる方々が
事業に対する責任を持たないという点に、
多分に私は根本原因があると思うのであります。この点から言いまして、なるほど
表面は相互扶助である、お互いに助け合うという点は、非常に美しい言葉でありますが、ややもすれば
人間である限りは、
人間には欲望があるということを忘れてはならないのであります。
従つて労働金庫によ
つて金融がつくといたしますならば、
労働組合の指導者が神様でない限りにおいては、あるいは金の入り用に非常に追られた場合において、これを惡用することなしということは、何人も保障できないのじやないかと思うのであります。
従つて私はこういうような
団体の共同の
利益をはかるための
経済行為というものは、よほど愼重な運営と、またこれに対するところの綿密な
監督をしない限りにおいては、そのために非常に
団体を困らせ、あるいは指導者自身が非常な人生の逆境に陷るというような点を憂えておるのでございますが、特に
発展途上にあります
労働組合といたしまして、その指導者の方々が経済的な問題でも
つて組合に迷惑をかける、あるいは
組合の金を使い込んだり、
組合を利用して自分だけが腹をふくらますというような問題があ
つたといたしますならば、
労働組合に対する信頼というものは地に落ちてしまうと思うのであります。従いまして私としては
労働組合として
経済行為をすることはある
程度までに限らないと、とんでもない間違いを起すおそれがあると考えているのであります。これは私
個人の見解でありますが、政府並びに
中村委員長は、
労働組合の経済的な
行為というものについてどの
程度までの育成とこれに対するところの指示をいたさんとするお考えでありますか、その点を
参考として伺いたいと思います。