○中原
委員 今私はこの席上で武藤君を批判しようと思
つたわけじやなか
つたのです。ただ話の運びとしてたまたま引用したのでありますが、一応話のついでですからもう一言つけ加えますが、日をちよつと忘れましたが、二十何日ころでありました。国会記者の人たちによ
つて経営されておる政経新聞、たしかそういうように思いましたが、探せばすぐわかりますが、たしかそういう名前だ
つたと思います。その新聞によりますと、労働省当局が武藤君やその他数名の、世間の言葉をも
つて言いますと愛労系の
指導者諸君と数次の会見をせられた。いわゆる公然の場所における会見には、総評その他の人も入
つてお
つたようでありますが、その新聞の指摘いたした何とか寮でお会いになられました場合には、さつき申しましたいわゆる愛労系と俗に言われておる
指導者諸君とだけお会いになられた。そして何かいろいろそこに誤解を與えるようなことがあ
つたとか報道せられておりました。私はまさかそのようなことがあろうとは思いませんが、しかし断じてそうではないと言い切ることもできない。最近の労働省当局の
労働運動に対する御関心の度合いから
考えますと、どんどん裏側へ入
つて行かれて、
労働運動の
指導者と密談を交される。こんなことは何だか労働省の当局が構想しておいでになるような、型
通りの
労働組合運動にすべてを鑄直さしめたい、こういうことがうかがわれるのであります。そうな
つて参りますと、
労働組合の組織要件から
考えますと、とんでもない不当干渉になるのではないか、
労働組合というものはそういうものではないと思うのです。労働省の高級官僚諸君が描いているような
労働組合なら、
労組組合というような名前をつける必要がないようにさえ私は思う。もう少し
労組自身が自主的に、みずから
組合運動を発展させて行くということが大事なのであ
つて、なるほど労働問題に対していろいろ御研究だろうと思いますが、官僚としての立場から、あるいは国の
労働行政をつかさどる立場から
労働組合運動の内幕まで入
つて行くということは、これはどうしても誤解が起らざるを得ないと思うのです。もちろんそうでなければけつこうです、それはとんでもないデマである、毛頭なか
つたということでありますれば、そういう新聞に対しましてもひとつ御抗議が願いたい。その間の
関係を明らかにしたいと思うのです。どうもその間の
関係がもやもやで参りますと、やはり疑念をさしはさまなければならないことにな
つて来る。従いましてそういうあなたの言われるような健全な
労働組合運動というものは、今日の吉田
内閣のもとにおける労働省の高級官僚諸君の構想したタイプの中にみごとに当てはまる
労働組合運動、すなわち言いかえれば、
労働者の自主的な意向を官僚的な規制のもとに鋳直して行く、そういう
労働組合運動、こういうふうに私
どもはやはり理解せずにはおられないのです。民主的ということをしきりにおつしやいますが、それは民主的ではありません。民主的というのは、やはりその
組合を構成する
組合員の
意思がおのずから
決定する、その
決定した方針が民主的なものを構成すると思うのです。民主的ということの
意味はそこに大きな開きが起
つて来るのではなかろうか。もちろん
組合運動をなるべくあやまちなく育て上げたいという、そのけなげな御熱意に対してはわかりますけれ
ども、遺憾ながらそれは
労働者の声とはしばしば背馳するのではないか、そういうふうに思うのです。従いましてそういう重大な
考え方の相違がありますと、せつかく精魂を打込められました労働諸行政が間違
つて来るのではないかと思う。労働省の立場というものは、そこまでの仕事を委嘱されているのではないと思います。だから
労働組合のみずからの
意思によ
つて決定し、その
意思によ
つて行動し、発展成長して行くということを可能ならしめるような
一つの軌道を承認して行く、與えて行く、そういう
努力を払えばけつこうなんです。あとは
労働者自身が
決定いたします。そういうふうに私は
考えますので、いろいろのお骨折りにもかかわりませず、私
どもはそういういやみを言わなければならぬ立場に追い詰められております。
従つて、先般も申し上げたことでありますが、あなたの打出されます労働諸
政策は、どういうものか日経連などの
代表者の御発言とま
つたく一致する、しばしば相近似している。これは先日来の公述人の公述によ
つてもだれでもが気がついたところであります。そうすると
政府というものの性格は、今日の段階においては日経連の労働
政策の線に接近する、そういうところに現在の吉田
内閣の労働
政策があるのではなかろうか、こういうことにな
つて参ります。別にふしぎはないと思いますが、しかしそういう
事案を私
どもはやはりここで指摘しなければならぬような條件に追い込められて来たものと思います。ただいまも健全
労働組合の要件の
一つとして合法的に行動すべきであるということを言われました。私も同感であります。合法的に行動すべきであります。そんなら合法的とはどういう
意味で、どういうケースが合法的かと言いますと、たとえば十八日のストライキは悪法に対する反対を至上の闘争目標として
ゼネストを敢行しました。もちろんその解釈によりましてはその悪法なるものが
労働組合運動をどんどん圧迫して行く、
従つて労働者に辛うじて付與されました労働権をさえも守ることができなくなる、それができなくなることによ
つて労働者の経済的な立場が恐るべき不利條件にな
つて来る、こういう認識のもとにまず法的な権益の防衛、獲得という線があそこにストライキとして盛り上
つて来たものとも見られるのであります。その他いろいろな問題もからみ合
つておりましたから、一概にそうも言えませんが、とにかくそういう点が、
大臣のお立場から
考えればはなはだ不満な点であろうと思います。そんならそれが合法的でないのであるか、どういう点がそれが非合法なのか、俗に
言つてみれば、
政治ストライキとかいうような名前でこれが呼ばれているようでありますが、
政治ストという名前でもよろしい、名前は何でもよろしいとして、そういうストライキが、
政治的なストライキを対象として盛り上げた闘争であるから、これは合法的でない、法を守らないものであるという認定をもしお持ちになるといたしますならば、それは一体どういうことなのでありますか、ここにまた
一つの疑問が出て来るわけであります。たとえば十八日の闘争、その他
政治ストあるいは
ゼネストという言葉でも今言われておるようでありますが、そういう一連の
争議形態というものは、これはどうして合法的でないのか、その点をひとつ伺
つておきたい。