○中原委員 多数が
行動すると、その多数の
行動というのが、ややもすればそれを暴力的だとか騒擾的だとかいうような
言葉で、そういう断定が起りやすいのです。それはもちろんわれわれもわかる。だからこそ大衆
行動をする者は、大衆
行動に対する秩序、大衆
行動に対する
責任というものをいつの場合にも
考えておるわけです。そういうことに
政府が、先ほど
熊本さんも
指摘しておいでに
なつたと
思いますが、妙に行き過ぎた親心で、いらざるおせつかいをし過ぎているということのために、一層そのことが紛糾をかもす結果になるわけです。その点は、すでにメーデーにしましてもその他の場合にも、いろいろ実例が出ているわけです。そのことはよしといたしまして、私がここで言いたいことは、そうして聞きたいことは、とにもかくにも戦後六年何箇月の経験の中に、きわめて不十分ではあ
つたけれ
ども、
労働階級がみずからのものとして獲得しておる労働権、あるいは
国民としての地位というふうなもの、あるいはそれに関連する人権、こういうふうなものを剥奪されようとするときに、これを取返そう、あるいはこれを守り抜こうという
考え方を持
つて立ち上ることは、これはきわめて当然のことなんです。だから
労働階級はほかに方法がないのであ
つて、たとえば何々会社の
労働者が
政府に来て
大臣を動かす力はもちろんない、あるいは国会を動かす力も実は持
つておらない。
従つて労働者は、やはり多数結束して国会の外において大衆
行動を起す、それがいわゆるデモンストレーシヨンの場合もあろうし、あるいは
ストライキの形をとる場合もあるであろうが、とにもかくにも大衆が
自分の利益を守り通そうとするために、その願いを貫徹しようとする手段として大衆的な形で
行動するということは、これはもう当然過ぎるほど当然の事柄に属する。しかるに直接
資本家と
交渉を要せざる問題について、
交渉すれば政治
ストライキであ
つて、そういうことは非合法であるというふうにきめつけて、これを押えようとすることは、結局
労働階級が
自分の権益を守ろうとするためのそういう
行動を否定するということにつなが
つて来ると思うのです。だからこそ先ほ
ども指摘いたしましたように、
憲法の第二十一条あるいは二十八条との関連等において、これは当然そこで問題が出て来るわけなんです。だからこそ
労働階級が今日までに獲得しておる権益が失われようとするときに、たとえばそれが
法律の
改正あるいは新しい
法律の創設等によ
つて破砕されようとする場合に、これを守ろうという意欲が
行動に移
つて行く、そういう場合にこれが否定されて来るとすれば、一体
労働階級は
自分の政治的な権益をどのように守るのか、守る方法がないのじやな
いかということにな
つて参ります。だからそういう考慮があればこそ、新
憲法がそういう
行動を保障したわけなんです。だからわれわれがとにもかくにもか細いながらも保障されたこの政治的な
権利を
一つのたてとして、
労働階級のまさに失われようとする、あるいは破壊されようとする権益を守ろうとするこの
行動をあくまで貫き通すということは、合法的なことであると私
どもは理解する。にもかかわらずそれに対していろいろ難くせをつけて、いわばけちをつけて、このことをよく理解しがたい大衆に、それはあやまちであるかのような印象を与えるという計画的な動きが、どうも
政府の中にあるように思われる。ゆえに私はこの場合、
労働者が
自分の与えられた権益を守るために、
労働者の唯一の団結した力をも
つてこれに対抗しようとする大衆
行動を
法律が守れないようなことでは、ほんとうに
日本の今日の時代が一歩前に行くということはとうていできない。
あとへやらすことは簡単でありましようが、前進させるということはとうていできない、かように思う。
労働大臣は
労働行政についてはいろいろ
心配しておいでになることと
思いますが、そうであるならば、このことが
日本を一歩前進させるために、
日本のよき進化のために役立つように、これを守り抜いて行くという良心が私はあるべきものであると思うのです。これらのことについて
大臣はどうお
思いになるのか。
労働階級にはほかに方法がないのです。そう言えば、
大臣は議会を通じてやればいいと言われると
思います。しかし議会を通じてかりにやるとしても、議会に信託して出しておるところの議員だけれ
ども、ある瞬間におけるいろいろな客観
条件で判断するその判断にだけゆだねておれない場合があり得るわけなんです。これは遺憾ながら現実の
日本の議会
制度が、まだほんとうに
国民の利益を代表するように、実は徹してできていな
いからです。これが徹しておれば、そういうこともあるでしよう。けれ
ども議会政治としては、年数ばかりはた
つてお
つても、まだはなはだ未熟でありましては、どうしても大衆がそこに不安を感ずる。だから大衆が
自分の純真な気持から要求しておるその要求を議会にも反映させたい、議会人にも理解をさせたいということのためには、やはり議会の外におけるそういう大衆
行動よりほかにすべがないのです。だからそういう意味のいろいろな
行動が、たとえば
ストライキという
行動をとりましようとも、これは当然承認されなければならない。私はきわめて合法的な
行動であるというふうに
考えるわけなんです。
大臣の御見解を承
つておきたい。