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川島委員 私どももそういう言葉だけで、総裁の人柄から推して御期待を申し上げるのですが、先ほど
小峯君からもお話がありましたように、国会の中での当局とわれわれとの話合いというものは、大体その場限りのことが実は多いことを、われわれは遺憾に思
つております。しかし総裁に限
つてはさようなことはよもやないと私どもは確信をいたします。どうぞひとつその点について十分な御努力をされんことを要望してやみません。それから、これはまた遺憾なことでありますが、戦後国鉄の
従業員の中において、ややもすれば道義が頽廃し、そうして国鉄内部における犯罪、あるいは国鉄の
従業員にして社会においていろいろの犯罪を犯すという数が非常に多いということも、遺憾ながら率直に認めなければならぬと思います。これは戦争中に
従業員を無理にかき込みましたこと、また敗戦後において国民的に道義が頽廃したという現象でもあろうし、また国鉄
従業員が幾ら働いても生活のかてに追いつかないとい
つた、逼迫した生活苦という問題も大きな要素ともなりまして、まことに残念ではありますが、国鉄は大体全国的におりますので、その間には若干の世間の目に立つような犯罪が検挙されております。そうい
つたことをわれわれ考えた場合に、やはり国鉄の内部で、技能的な教育だけに重点を置かないで、一種の国鉄
従業員に対する技能と教養とをにらみ合せた教育ということをやるということを、この機会に再検討する必要があるのではないか。もちろん総裁も御
承知の
通り、国鉄の中においては技能のみでなくて、いわゆる人格の陶冶あるいは教養の向上とい
つたことを主眼とする教育が行われ、しかも貧しくて優秀な
職員がその最高の教育機関に進学できて、しかもその事柄を通して、昔流に言えば自分の立身出世ということが望まれる。そういうことで国鉄は、教育の面においてもかなり他の省とは違
つた特異なものを発揮してお
つたのではないかと私は思う。またそのことによ
つて国鉄
従業員の教養を高め、人格をみがき、あわせて国鉄特有の技能を相当に高めて来たことは、争うべからざる明白な事実だと思うのでありまして、そのことはか
つての国鉄のことではありましたが、他に誇
つてもよか
つたのではないかとさえ今でも私は信じております。但し今日の日本は民主主義国家でありますから、国家が天くだり的な教育を行
つて、個人の個性を無視した一つの型にはめて行く教育をやれと、私は今言
つておるのではございません。今日の日本の置かれた至上の任務に従
つて、それに沿うところの国鉄の青年諸君の教育を再検討して、この際独立の第一歩を踏み出すと同時に、国鉄自体の教育を考え直すということも、非常に大切なことではないかと思う。今の国鉄内部では、ほとんど技能一点ばりの教育で、たとえば下級
従業員が何かの教習所に入るが、それは技能であ
つて、またそのまま職場に帰
つて、一生転轍手、荷物扱いは荷物扱い、機関車乗務員は機関車乗務員というような状態でありますが、これでは私はいかぬと思う。やはり人間本来の心理を巧みにつかみながら、それを存分に発揮させるところに人間社会のうまみがあると思う。そういうことについてぜひひとつ考えるときが来たのではないかと思いますが、総裁の方針をひとつ聞かせてもらいたいと思います。