○木内
政府委員 私の責任は機構をつくることではなくて、与えられた機構を運営することであります。今提起された問題に対しては、私は直接の答弁の責任者ではございません。しかしながら私、実際に仕事をして参
つた関係上、お前の意見はどうだということでありますならば、率直に申し上げることがいいのだと思います。それで申し上げますが、今
質問応答を伺
つておりましたが、私どもの
考えておりますことは相当違うのであります。かなり根本的な認識の相違という感じがいたします。そこで結論を申し上げますれば、今の機構を必ずしも百パーセントいいと
考えているのではない、改良の余地大いにありと思いますが、今の機構は単なる責任者がだれであるかという問題ではない、それ以上のものを含んでおる。今の機構に化体されておる一定の主義と申しますか、
原則と申しますか、もしくはものの見方というものがある。それが今の機構に化体されて現われておるのでありますが、その諸
原則というものは私の
考えでは非常にいい
原則である、それが今度の機械改革による新機構では、今伺いましたところではおそらくその
原則はことごとく流れてしまうのだろうと思います。そこで私はあるいはそれはかえ
つて改悪になる、国家のために嘆くべきではないかと
考えるのであります。こういうことは残念な次第であります。
そこでその根本の
原則を申し上げますと、これは大体五つに分離できると思います。第一は、今の為替管理機構は貿易と表裏一体のものであ
つて、これを可分と
考えることはいけない、これはむしろ金によ
つて金の面で貿易左動かそうということもずいぶんあります。要するに貿易というものは物を動かして金を払うのですから、
一つ行為と言えば言える。この管理が別々になるのはよろしくない。
日本の過去の行き方は、必ずしもそれが一体ではない。必ずしもどころではない、全然区別されてお
つて、その間の
交渉さえもなか
つたが、それはいけないと
考えられたのが第一点であります。
第二点は、為替管理という仕事は非常に複雑多岐な仕事であ
つて、ことにこれを貿易と一体的に構想する場合に、なおしかりでありますが、金の面だけをと
つて見ましても、国際金融と
国内金融の
関係を見ても、銀行のあり方を見ても、中央銀行の問題、財政資金の問題を見ても、いわんやこれを物の面、貿易め面と一体的に
考えますれば、ほとんどあらゆる経済事象に
関係するのであります。その全部をにらみ合していい管理が行われるということを
考えますと、これはたとえば為替管理もしくは通貨の立ち入りとい
つたような言葉が
存在するからとい
つて、その仕事の内容は非常に多岐広汎にわたるのであ
つて、とうてい一省一局の専管すべきものではないと
考えているのが今の行き方であります。こういう基礎認識に立
つております。従いましてこれはどうしても責任を
分担しなければならぬ、わけ合わなければならぬという
考えになり、
従つてわけ合
つた以上は、ばらばらではしようがありませんから、これを総合調整する、コオーデイネーシヨンという言葉を司令部のスキヤツピンには使われましたが、そういうものが必要である、これが第二の
原則であります。
第三の
原則は、今の第二の
原則がおりますから、当然それに含めてい
つてもいいのですが、権力というものがあまりに多く一省、一局もしくは一人に集まることはいけないのだと
考えられる。これはデモクラテイツク・ガヴアメントの第一
原則であるチエツク・アンド・バランス、多くの人がお互いに牽制し合うことによ
つて、デモクラテイツクな運営ができるのだと
考えられておりますが、たまたま川專管理の性質上、第二
原則から申しまして仕事をわけ合うというならば、おのずからチエツク・アンド・バランスができるわけでありますが、これをうまく総合して
相互によき運営ができるように、またスムーズな運営を保障するように
考えられていることであります。要するに第三の
原則はそういう点にあるのであります。
第四といたしまして申し上げたいことは、ですから、為替管理の
中心的な仕事は大勢の人が管理するのであります。ことにその全体を総合調整する、コオーデイネーシヨンということをするのが今の私どもの仕事にな
つておりますが、それをする
中心的機構にある責任者は、どうしても専門家たることを要する。専門的知識経験を持
つた者ということであります。これは
日本の戦争前の為替管理――新たに立案されておる新機構もそうかと思いますが――でありますと、どうしても普通の行政外にあ
つて、専門的技能というわけには参るまいと思います。ことに
通商貿易との
関係を一体的に見ますとするならば、たとえば私は為替銀行の専門家でありますから、商売の方の専門家も必要とする。今為替
委員会は五名までの定員が許されておりますが、四名でや
つております。そのうち二人は為替銀行の出身、一人は日銀の御出身、もう一人の方は商事会社の御出身であります。いずれもその道において二十年近いお仕事をなす
つた方と思いますが、それらの人によ
つて構成されておる。こういう専門的技能を必要とすると
考えられておるのが今の行き方の
中心思想であります。
終りに第五でありますが、第五ははなはだめんどうな
原則でありますが、為替管理という仕事も、他のある種の仕事と同じように、そのうちのある部分は
政治的勢力から分離してあるがよろしい、この
考え方であります。ポリテイカル・インフルエンスと申しますか、司令部の最初に与えた指令の中には、ノン・パーチザンという言葉が使
つてありますが、そういうことがいいと
考えられたために、御
承知の
通り私どもは国会の御
承認をも
つて任命されるのですが、されましたあとにおいては、よほどの非行がない限り免職されないという身分保障を伴
つておりますし、同時に各
委員の任期は、一度に終期が到来しないように、次々に順繰りに行くようにくふうされている。それらのことによ
つて、今のノン・パーチザンもしくは
政治的勢力、ノン・ポリティカルという分野を保ちつつ――この点が非常に争点にな
つた原則で、むずかしいのでありますが、すべての行政は、どなたかの大臣に専任であるというのが、
日本の昔からの普通の
考えのようでありましたが、こういうふうにある部分の――為替管理も行政的事務でありますが、であるにもかかわらず、これを多少とも
政治の責任外に置く、別なものにするということは確かに新しい
考えであ
つて、なかなか消化がしにくいのであります。これは何も為替管理の仕事のうち全部がそうである、
政府からほとんど
裁判所のごとく別にやれという意味ではないのであ
つて、そのうちに特に技術的なもの、つまり専門家が専門的に
処理すればいいので、あえてその技術的
処理をどうするということは、国会の論争になるような大問題ではないと
考えられるものはあるはずだと思います。そういう純技術的なもの及び国際信用の維持育成という面において、ある場合には――そういうといかにも政党
政治を悪く言うようになりますが、とかく政党の出身であられる大臣方は、出先の都合とい
つたようなことでいろいろなことをなさりたくなる誘惑があるようであります。それに対して、ノン・ポリテイカルな位置を与えられている私どもが、ある場合にはノーと言うこともあり得る。それはめ
つたにそういうことはないはずでありますが、時によ
つてはあるということもあるのでありまして、そういう
考えに基きまして今の制度が、身分保障を与えられた専門的意味によ
つて、各省に属せずに、総理直属という形ができておるのであります。
この五つの
原則、これが今の為替管理機構に化体されている
原則と思いますが、この五大
原則というものは、大体において国際的に認められた
原則だと私は理解しております。現在の為替管理機構をつくる前に、司令部の人はずいぶん諸国の例を参照して、国際通貨基金等にも相談してや
つたことと思います。大体法律をつくります前に、何となくそういう思想が私の頭の中にもありましたが、そういう
原則で法律をつくりたいということを司令部に相談しておりますときに、司令部の係官は二人で
アメリカへ参りまして、国際通貨基金の連中に、
日本が新しい管理法をつくるについて所見を求めた。このときにもそういう
原則を論じたそうでありますが、これは彼らの絶対支持を得たということに聞かされております。現にその
原則を盛り込んだ法律をつくるときには、わざわざ国際通貨基金から専門家に来ていただきまして、この指導を受けつつつく
つたわけであります。それらの事実から見ましても、また私この間旅行して方々を見て参りましたが、そのときに感じたことから申しましても、これらの
原則は国際的に今は認められている
原則である。ことに
政治から超越しておる部分もあるはずだという
原則が、このごろ非常に珍重されているのでありまして、それらの点がせつかく化体されている現在の行き方というものは、最初に申しましたように、これに相当な欠点もあると思います。相当改良すべき点もあると思いますが、それが押し流されるごとく消えてしまうことは私は非常にいけないことだと思
つております。これが私の感想であります。