○中曽根
委員 しからばはなはだ遺憾でありますが、ほかのものを割愛いたします。警察予備隊に対する今の問題がありましたから、私の
考えを申し上げて
質問をもう一つ申します。警察予備隊へ
行つてみて、あの若い隊員にいろいろ聞いてみると、非常に精神的な混迷があります。一体自分たちは警察法規を学ぶのか、歩兵操典を学ぶのか、この混迷であります。彼らに言わせれば、警察へ入
つて来た、しかしや
つていることは軍以外のことはや
つていない、これは話が違うし、自分たちの運命はどうなるのだろう、一体自分は、たとえば公務障害をや
つた場合に、自分たちの家族の補償はどうなるのだろう、自分たちは一生懸命に国のためにやろうとしても、国家はほめてくれないのか、褒賞制度はないのか、こういうことが
基本的な問題なんです。国防力というものは、そういうあいまいな
関係につくらるべきものではありません。もしかりに
日本の状況を
考えれば、外国から来るときは、
日本人部隊が来るでしよう。しかし自分の国を守ろうと思えば、入
つて来る
日本人を撃たなければ国は守れない。西郷南洲を城山で討
つたと同じであります。そういう道徳的勇気は、民族協同体を自分たちが守るのだという愛国の至情に燃えて出て来る。それだけの高い道徳性と潔癖性を軍の根幹に要する。だからこそ
各国とも、この問題には心胆を砕いている。それだけのものがこの予備隊にはない、それで国防を全うできますか、国内治安は全うできるだろうか、そこに根本の問題がある。警察予備隊は現在の
憲法の私生子である。この私生子をこのまま大きくして行
つたつて、決して力にはなりません。そういう
意味で、
総理大臣はおやめになるという
言明をなさ
つた。これは正しい。しかし次に出て来るものを同じ性格のものでや
つてお
つたら、これは大同小異であります。
従つてその根本的な性格、それをすみやかに明確にするということが、現在の国家防衛力、国家治安力を確保する根本問題であるということを、私はここで申し上げておきます。
最後に御
質問を申し上げますが、それは天皇御退位の問題であります。これは重大な問題でありますから、
吉田総理大臣から御懇切なる御
答弁を承りたいと思います。現天皇が一貫して平和論者であ
つて、
戦争の形式的責任がないことは、
世界及び
国民のひとしく認めるところであります。しかし、現在旧
憲法第三条、神聖不可侵の御身分より人間に解放せられた天皇が、地上のわれわれと同じ一員として、過去の
戦争について人間的苦悩を感ぜられておられることもあり得るのであります。もしこの天皇の人間的苦悩が、外からの束縛によ
つてほぐされない
状態であるならば、この束縛を解くことが、古くして新しい天皇制にふさわしいことといわなければなりません。外からの束縛と
考えられるものは何でありましようか。その一は、終戦後の
日本を安定させ、国際義務を履行するために、位におられる連合国に対する道義的責任感であります。その二は、
戦争及び終戦後の悲劇と混乱を最小限に食いとめて、国家の秩序回復と民生安定のために在位される
国民に対する責任であります。これら二つの問題は、しかしすでに解決され、またはまさに解決されようとしております。もし天皇が御みずからの御意思で御退位あそばされるなら、その機会は最近においては、第一に新
憲法制定のとき、第二に
平和条約批准のとき、第三には
最後の機会として、
平和条約発効の日が最も適当であると思われるのであります。しかしこの問題はあくまで天皇御自身の自由な御意思によ
つて決定さるべく、何らわれわれから論議すべき筋合いのものではないと思うのでありますが、
国際情勢、国内情勢より判断して、天皇がもしその御意思ありとすれば、この御苦悩をお取払い申し上げることも必要かと存ずるのであります。皇太子も成年に達せられ、戦死者の遺家族たちにもあたたかい国家的感謝をささげ得ることにな
つた今日、天皇がみずから御退位あそばされることは、遺家族その他の
戦争犠牲者たちに多大の感銘を与え、天皇制の道徳的基礎を確立し、天皇制を若返らせるとともに、確固不抜のものに護持するゆえんのものであると説く者もありますが、
政府の
見解はこの点についてはいかなるものでございましようか、御親切な御
答弁をお願い申し上げます。