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阿部公述人 私が
阿部眞之助であります。私はせつかくここへお呼び出しを受けたのでありますが、どうも頭が單純で、問題をあまり頭脳で考えることは、はなはだ不得手であります。どつちかと申しますと、雨がえるのように、
皮膚の方で問題や重点を感ずるということになれておるのであります。きよう申し上げることも、論理的には非常に怪しい点がたくさんあるかと思います。しかし私のように問題を
皮膚で考える、感じるという人は
——私ばかりでなく八千万のうちの大多数の人はそうだろうと思うのでありますが、そうですから、私は大多数の人を代表するというわけじやないが、大多数の人と同じレベルにおいて物の感じ方をする。その点がもしも何らか
皆様の御
参考になれば、たい
へん私はここへ出たかいがある、かように存じておるわけであります。
実はきようこちらへ来るにつきまして、あらかじめお配りいただいた書類を拜見したのですが、今申した
通り、私頭で物を見る方でないのですから、
ほんとうを言うとわからない。なるほど
国会へ提出されたとき、提案の
理由の説明が、速記や何か
解説というようなものがついております。私ちよつと目を通したのですが、あれは
皆さんのような
専門家のための
解説御
意見で、私たちのような大多数の人にはちよつとわかりかねる。たとえば
刑法の第何條、
刑法の第何條のこれこれ該当したものが云々とな
つておる。しこうして私の手元には六法全書も何もないので、
刑法第何條が何に当るかというようなことはわからない。
皆さんにはおわかりなんでしよう。そこでこれは少し問題がわきへそれるかもしれませんが、しかし私はこれはたい
へん大切な点だろうと思うのです。こういう
言論や、
思想に対する改革の問題が
立法される場合には、あらかじめ
民衆に、その
必要性というものを何らかの手段において徹底させる、あるいはその前にいろいろ
議論があ
つて、その
議論が熟したときに、そういう
立法をなされるということが、これは本筋じやないかと思うのです。非常に急を要する場合に
立法される場合があります。そういう場合には少くとも
立法後
国民一般に周知させるということについて、
政府もしくはその局に当る人は十分努力されなければならぬはずなんですが、そういう努力は従来か
つてなされたことがなかつた。ことに従来の
官僚のやり方というものは、いつでも
立法がなされる場合にはできるだけものを内緒にしてお
つて、
法案がすべてでき上るまでは絶対に
秘密にする。私も長年
新聞記者をしておりましたが、
新聞記者は
専門に
秘密をかぎ出すために一生懸命骨を
折つても、これを知らせまいとする、こういうわけなんです。これはか
つての
官僚政治もしくは
専制政治時代においてはそういう必要があつたかもしれませんが、しかし今
民衆とともに
政治をしようというこういう
時代においては、
民衆の
議論をあらかじめ聞くことなしに、
民衆をあらかじめ納得させることなしに、卒然としてこういう重大問題を出されるということは、はなはだこれはわれわれが不幸であるばかりじやなしに、こういう
法律ができた後において、この
法律がうまく行われるかどうかということは
——大体この
法律において一番問題にな
つている点は、法が濫用されやしないか、悪用されやしないかということなんですが、これは
政府が悪用するばかりでなしに、こういう
立法の仕方をしているから、
政府ばかりではなく、法を悪用し濫用するものは、
一般民衆といえどもや
つている。自由を與えれば自由を濫用し、
人権を認めれば
人権を濫用するということはしばしばある。か
つてはわれわれは
政府に対してばかり警戒した。近ごろは
一般民衆に対しても警戒せざるを得なく
なつた。こういう
事態がどこから来るかというと、こういう重大な問題が起きた場合に、
民衆とは何ら相談なしに、
官僚だけでも
つてこそこそ相談して、何か悪いことをするようにして
立法するという点にあるのだろうと思う。これは私は
政府ばかりに言
つておるわけではない。
国会も近ごろは
発案権を持
つて発案されるそうですが、それらの点においてもそういう点を大いに注意されるべきだと思う。
余事ですが、
新聞によりますと犬のばくち
法案が出る。
新聞を見て驚いた。
一体犬のばくちというものが必要なんでしようかね、これは必要かもしれない。しかし必要としても、あれだけいろいろなばくちの
法案がある。競輪とか競馬とか、何とかかんとか、それでもまだばくちが足りない。そういうことはわれわれはわからない。もつとばくちがほしいという、そういうりくつが私はわからない。そのことはあるでしようがわからぬ。だからわからしてもらいたい。これは
一つの例なんですが、万事がこれなんです。そうですからそういう
法律が出るというと、いつでもその裏をくぐつたり、その
法律がうまく行われないということが起るのじやないかと思うのです。
今度の
法律のときも私はその感覚から言えば、今の世の中を見ていると、何らか破壞的の行動があつちこつちに起
つておる。これは單なる偶発的に個個に起
つて来る問題じやなしに、その陰に一貫した、もしくは組織的な何らかがあるように感じるのです。しかしこれも今の
法律でも
つて十分取締り得るという確信があるならば、こういう
思想や
言論というものを何ほどか
制約するおそれのあるこういう
法律はない方がよい、ない方がよいが、これでは間に合わない、どうにもならぬ、そういう
事態が明らかであるならば
——そういう
事態があるように私は思う。それならば多少の
制約というものは余儀ないことだと思う。こういう
法律ができたならば、なかなか
言論や
思想というものはきゆうくつになるだろうと思うのです。しかし必要の前には
——先ほど
松下さんもおつしやつた
通りに、これははかりの問題であるので、こういうような
制約をすることの利益と、それから放
つておくことの
弊害とをはかりにかけて、どつちが損得が大きいかということの問題で
結着がつくだろうと思います。
私はこの
法案の
内容についてどれがよいとか悪いとかいうこと、この
法律の
條項がどうこうということは何も申し上げることはできない。これは
皆様がひとつ
専門的にそういう点について御
審議を願いたいと思う。この問題は私の見るところでは、先ほど
委員長からおつしやつた
通り、これは一
党一派の問題ではない。
日本の国の問題である。万一非常にわれわれの
言論や
思想に不利益のような
條項がある場合には、
発案者も
へんな面子にこだわらずに、すなおに
修正に応じ、同時に
へんに
反対声明をするとか何とかいうような、そういう党派心はさしはさまずに、みなで寄り
合つて、今
日本が当面しておる
危險なる
状態を何とかしてうまく切抜けて行くという、
ほんとうに
民衆が寄
つて相談するというような態度で、この
法案が出されることが望ましい。しかし何とい
つても
言論や
思想というものは少しでも
制約されることは望ましくない。これは本来的にそうなるんですね。だが必要の場合にはしかたがない。
新聞で拜見しますと、今
国会では
選挙法を改正されるのでせつかく
審議中、もしくは成案を得たそうですが、それができますと、どうもこれはえらい
言論の
制約ですね。あの
通りに
なつたらぼくはたい
へんだろうと思う。たしか四十回以上演説しちやいけないとか何とか……。一番大切なのは
言論の武器じやないですかね。文書による、もしくは
言論によるその武器すらも、
国会の諸君は、自分の、というよりも、必要からみずから
制約せざるを得ないという
立場にもある。そうですから、この国が非常な
危險にさらされているという
状態のもとにおいては、ある点までは私はしかたがないと思う。しかしある点までです。これを超越したらこれはたい
へんなんです。
場合によるとこんなことを言う人がある。この破
壞活動防止法を治安維持法と同じように見て、あれと同じなんだ、ああなるのだ、フアシズムにもどるのだ、そのために
政府はや
つているのだ、というふうな
議論を聞きます。私はこいつは少し問題を変に感情的に持
つて行
つて、冷静なる問題の
審議に役に立たぬじやまものだろうと思う。私はちようどあの治安維持法が制定された当時
新聞記者をしておりまして、これに反対して毎日々々この
国会にや
つて来て、反対の運動もし、陳情もし、
政府に対して撤回を迫つた。そのことでずいぶんわれわれは損をしておる。われわれはにらまれちや
つておる。しかしながら、このときははつきりしているのです。軍人どもがわれわれの
言論を奪い去
つて、フアシズム的の、そういうふうな
政治をやろうというその目的のもとに、あの治安維持法というものができた。それにあのときの
状態は、
国会というものがまことにだらしがない、もうみんな軍人の威嚇におびえてしま
つて、尾を巻いてしま
つている。そういう
状態のもとにあの治安維持法が通つたのですから、あの当時の
政府の説明を見ましても、決して
言論彈圧を目的とするものではないと言
つておるのですが、事実は、真の目的はそこにあつたから、われわれの
言論の自由なんというものはなくな
つてしまつた。だから、治安維持法が通つたから
政府が濫用した、という
議論をよくする、しかし濫用せしめたものはだれかといえば、私は
国会だろう、
国会のだらしなさだろうと思う。
国会にして
ほんとうにしつかりしていたならば、
言論の彈圧というものはなし得るものじやない。ことに今とな
つてみると、
民主主義の
時代になると、
国会というものが国の中心とな
つていなければならぬ。
国会がしつかりしなければならない。
国会さえしつかりしておれば、
政治なんというものが、
言論の彈圧とか、フアシズムにもどるというようなことはあり得ないことです。おとといですか、きのうか、私が神田あたりを通
つてみると、学生たちが何かプラカードを立てて、吉田内閣打倒
——これはむろんこの
法案に反対するために吉田内閣打倒なんというプラカードを立てていますが、吉田内閣とこの
法案と何の関係がありましようか。吉田という人は
——私はあまりほめてばかりいない、ずいぶん悪口ばかり言
つておるのですが、この人はフアシズムになろうなんて、そんな人じやない、またそんな強い人じやない。逆説的に言えば、そのくらいの強さを持
つていてもらいたいくらいなものだ。この人がフアツシヨになるなんということは、これは常識では考えられないことじやないですか。これはばかげた話です。そうすると、将来これを濫用するものがあるとすると、それは吉田内閣じやない。おそらくこの内閣だ
つて半年か一年先には、運命はきま
つておる。これを濫用するものといえば、社会党かもしくは改進党の諸君だ。その諸君が一番濫用を心配しておるようです。これの濫用を心配しておる諸君が、濫用するはずはないじやないですか。要するにこれを濫用するおそれがあるというのは、どこにあるかといえば、
国会がしつかりしているか、しつかりしていないかの問題じやないか。但しこれを濫用しそうなのは
共産党の諸君が濫用するかもしれない。だから一番反対されておる。もしも
共産党の内部ができたら、この
法案の濫用どころの騒ぎじやない、
憲法どころの騒ぎではないです。われわれの自由も、われわれの
人権もなくな
つてしまう。すべてのものが彈圧されてしまうのだ。この諸君が今のところでは、自分の都合が悪いから反対しておるだけの話なんだ、そうでしよう。これも間違いないことだろうと思う。そうするとあまり問題を変に感情的に持
つて行
つて、濫用されるとか、何とか、そういうことではなしに、実際これは上の方は濫用しないのだが、下つぱの役人どもが濫用することがある。これに対して十分濫用しない備えが必要ですから、そうでないように、十分な御
審議を願いたいと思う。
昨日ちようど
新聞協会の方から、いろいろ
参考資料として、学会の
皆さんがこの
法案について御研究に
なつたもののパンフレツトを送
つていただきました。これは私は
皮膚で物を考える方ですからわからない、わからないが、なるほどどうもあれを見るとたい
へんなんですね。あれだけ読んでおると、もうわれわれの
言論の自由も、
思想の自由も跡かたもなくな
つてしまう。そういうふうに見える、これじやたい
へんだろうと思う。だがあの人たちの考え方というものは、今
日本が当面しておるこの
危險性については、まるつきり考えていない。まあ空に條文だけをお考えにな
つておるように思う。何と言つたところが毎日の
新聞を見ましても、ごらんの
通り、火炎びんが飛んだり、爆彈が飛んだり、警察が襲われたり、税務署が襲われたり、ちつとやそつとのことではない。しかもこれはいつやら
国会でも質問があつたようですが、これは
共産党に限る
法案ではないかというような御質問があつたようです。そうすると
政府の方では、そうではあるまい、暴力
行為をやるものは全部そうだ、こう言うのだ。だが主たる目的はやはり
共産党活動でなくてはならぬのだと思う。なぜかならば、今フアシズムとか、逆もどりとか、逆コースとか言
つておりますが、このフアシズムは本国を持
つていない風来坊なんです。だがこのコミユエズムの運動というものは、そんな根なし草ではなしに、今世界をあげて二つにわかれて、どつちが勝つかというほどの強いものを持
つておる運動なんです。またある議員諸君は臨時
立法にしたらいいじやないかというような御
意見があつたようですが、これは臨時的の、この
一つを片づけてしまえばあとは用がないというふうなものじやないのです。この
共産党の破
壞活動というものは……。だからこれは世界の運命がどうなるかきまるまでは、私はそんなにすぐ御用なしになるというふうなものではない、やはり多少恒久的な
立法でなくちやならぬものだと思う。こういうふうなことで、変に破
壞活動ということを一般的に認めぬということは、公平らしく見えるが、その目的の主要なる点は、私はフアシズムなんというものは、あんなものは
——、今ぼつぼつ出て、来ておるようですが、ああいう人たちはただあれだけのものなんです。たあいもないものだ、根なしのものなんだ。風来坊みたいなものだ。あんなものはわれわれの
国会さえしつかりして、この
国会が自由の
ほんとうの城となり、守りとなり、とりでとな
つていたら、ちつとも恐れるに足らぬものだろうと思う。いわば今現にある盛り場の暴力用に毛が生えたようなものです。少ししつかりした力をも
つて押えつけてしまえば、ああいうものはわれわれはそう大して恐れる
理由はないのだろうと思う。しかしばかにしては困る。大分
日本ではそういうことを望んでいる人があるのだから。これらに対してはわれわれは備える必要あるが、それと同じはかりにかけてやるということは
皆さんどうでしよう。というのは、結局は弱い者のそういう取締りということになると、強い者が残
つてしまう、強い破
壞活動というものが残されてしまう。そういう結果になるおそれも十分私はあるのじやないかと思う。
要するに、私
結論的に申し上げますれば、今
日本の当面する現実を見ると、非常に組織的な
危險なる破
壞活動が行われておる。これに対しては何らかの方法をとらなければならぬ。だが、この
法案によ
つて防止し得る効果があつたとしても、その反対にわれわれが
言論や
思想において大きな
制約を受けるというと、それは差引き勘定してどつちが得か損かという点についての十分なる御考慮は願いたいと思うのです。これさえできて、しかも
国会がしつかりしているならば、多少われわれが
言論において
制約を受けるということは、これは当面しばらくは忍ばざるを得ないことだろうと、かように存じておるわけであります。たい
へんどうもまとまりのないことを申し上げましたが……。