○梨木
委員 それでは具体的に証拠を出しまし
よう。今年の一月一日の「
裁判所時報」に「新年の詞」と題して載
つております。これは弁護士会におきましても大問題にな
つておりまして、最高
裁判所長官の弾劾問題が出ております。これは有力なる弁護士の間においても大問題にな
つております。実に不謹慎な、軽率な、けしからぬ言動であるとして、非難の声が囂々と起
つております。であなたは今そういうことをおつしやいますが、では私が読んで見まし
よう。一番極端なところをあげて申します。「眼を国際社会に転ずるときに、同じ
現象が見受けられるのである。ヒトラー、ムッソリーニ、東條の、軍国主義的極端な国家主義的禍害は取り除かれたが、似而非哲学、偽科学によ
つて粉飾されたところの、権力主義と独裁主義とその結果である人間の奴隷化においてナチズムやフアシズムに勝るとも劣らない赤色インペリアリズムは、その発祥の領域を越えて、世界制覇の野望を露骨にあらわし始めた。世界人類社会の危険が、これより重大深刻であ
つた時代は過去において存在しなか
つたのである。」こう書きまして、「幸に、平和と自由を愛好する諸国家(民主々義諸国家)は、互に孤立せず相提携して、この共同の敵に」こういうことを言
つておる。「この共同の敵に対する防衛に備える体勢を強化しつつある。これらの諸国は、国際連合の正統的な理念である平和主義と民主主義の忠実な使徒として、恐るべき国際的ギヤングの侵略を食ひ止めるために一致結束しつつある。朝鮮の戰乱は、これらの諸国が如何なる程度に国連の理念に忠実であるかを実証したのである。」中略で「もし現在の二つの世界の対立に直面して、なお中立の可能性を信じる者があるとするならば、その現実の情勢の認識の欠如に驚く外はない。さらにわれわれはその道徳的
信念と勇気の欠如を
批判せざるを得ない。」さらにその次には「わがインテリゲンチャの平和論や全面講和論くらい、その真理への不忠実と論理的無
確信を暴露しているものはない。彼等の中のある者は、真理とか平和とかの抽象的な言辞によ
つて自己の主張を粉飾する。もし彼等が真に真理と平和に忠実ならば、共産主義者でない限り平和條約や安全保障條約に
批判を加える前に、それ以上の熱意をも
つてまず共産主義の理念及びこれを奉ずる国々の現実に
批判を向けなければならぬはずである。」こういう
ようにい
つて、まだ数え上げれば切りがありませんが、彼は要するに自分が反共理論を持
つてお
つて——その反共的理論を持つのはよろしい、しかしこれを現実に
裁判官会同における訓示としてこれをなし、これを「
裁判所時報」に公表し、や
つておる。こういうことは、今度自由党の諸君は破壊活動防止法というものをつく
つて来ておりますが、それが通りますと、明らかにこれは宣伝、扇動、教唆、みんななります。これは明らかに戦争を宣伝したことになります。こういう
ような最高
裁判所の長官の地位にあるものが
——今日
日本の真の
独立と世界の平和を望むだれでもが、單に向米一辺倒の政策によ
つて、
日本の
国民が幸福になり、
日本の
ほんとうの平和を守り通すことができるという
ようなことは絶対にできないと思う。
日本の今当面しておる課題というものは、この二つの陣営の中で、いかにして
日本が平和を守りながら、戦争に巻き込まれないで
日本の
独立と経済的な繁栄を守
つて行くかということに一番問題がある。そうだとするならば、自由党政府が結んだ単独講和と安全保障條約、行政協定、こういうものをみんなぶち破
つて、破憶いたしまして、新たに全面講和を結ばない限りは、絶対に
日本の
ほんとうの
独立と平和と繁栄というものは期待できないということは、良識ある
国民の一致した見解である。しかるにこういう最高
裁判所長官の地位にある者が、ま
つたく吉田政府の政策
——このことは実質的にはアメリカの戦争政策であるが、これの片棒をかつぐ
ようなこと、こういう
ような
議論、こういう思想を現実にこれを具体化して
裁判官に訓辞しておる。一体こういう
裁判所に対して
——全面講和と平和を望み、
日本の真の
独立を望む人たちは、この
裁判所の
裁判に信頼が持てますか。ここに一切の
法廷におけるところのかかる植民地的な
裁判に対する反抗と不満が起
つて来るのは当然じやないか。これを、諸君は
裁判所侮辱制裁法なんというものをつく
つて、そうして
裁判所の
威信を保持するのだ
——では
威信とはどういうものか。
裁判所自体が
憲法と
法律を破壊しているじやありませんか。こういうことをや
つておいて、そうしてこれで
裁判所の
威信を保持し
ようなどという
ような、しかも
威信の保持とはどういうことかと
説明を求めても、
説明できないじやありませんか。いろいろなむずかしいもので、おのずからそこに
威信というものが現われて来ますとかなんとかい
つておる。
裁判の
威信なんというものは、
裁判所が独自に手前が
つてに判断できるものではない。
国民が真に、
国民の生活と利益と幸福に合致した
ような
裁判、しかもそれが真実に合致した公平な
裁判がなされるときに初めて、
裁判所に対して尊敬の念を持つ、これが
裁判の
威信とな
つて客観的に現われるのではありませんか。でありますから、まず私はここで最高
裁判所の事務
総長に伺いたいのでありますが、今、この
裁判官会同におけるところの訓示というものは、
裁判官会議によ
つて決定するのだ、こうおつしや
つた。こうなれば最高
裁判所の
裁判官全部がこういう思想を持
つてこういう
考え方で
裁判をし、全国の
裁判官がこういう
裁判をすることを望んでおるということにな
つて、これはますます責任は重大であり、同時に
日本の
裁判の実態というものを暴露しておると
考えるのであります。一体こういう
ような訓示というものは、何を期待して
裁判官にやるのですか。何を期待し、何を希望し、何のためにこういうものをやるのですか、まずこれを聞いておきたい。