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田中参考人 お答えいたします。反
植民地デーを利用いたしました
学生運動は、大体二つにわか
つてお話した方がいいと思うのであります。
一つは本
富士警察署管内の
東大構内に起
つた事件であります。
一つは澁谷駅頭における
東大学生を中心とした、いわゆる不法集会並びに不法示威運動の
取締りから起
つた事件であります。
前者の方は去る二月二十日午後六時三十分ころ、東六二十五番教室におきまして約三百五十名が集合いたしまして
——この集合した
人々の大部分、約二百名が
東大の
学生であり、その残り百五十名が一応一般人と認められるのであります。この会合は
東大学生演劇部のポポロ劇団が、福島県の松川
事件の劇を開催したものでありまして、これは学校当局が、当初演劇部ポポロ劇団の劇の研究であるという名目で、何ら支障はなかろうという見解から
許可せられたのでありまして、
従つて途中からこれがある特殊の政治的
目的を持
つた集会に性質が変更して来たというようなことを、学校当局からも承
つておるのであります。そこで午後五時四十分ごろ、
警備係の四人の
警察官が
行つてみたのであります。御承知のように
東大の構内は何人といえ
ども、またいついかなる時期においても、自由に出入ができるのでありまして、いわばまずメーンストリートは普通の道路のようなことにな
つておるのであります。そこで
警備係の
巡査はそのポポロ劇団のところへ行きましてよく
状況を見ましたところが、入場料三十円で一般に公開されておるという事実を了承いたしましたので、一般のお客と同様に入場料三十円を支拂
つて入場いたしたのであります。ところが
警備係の
巡査でありますので
学生の中に顏見知りの者も若干お
つたせいでありましたが、午後七時三十分ごろその
学生に発見されて、お前は本富士署の
警察官ではないかということから、約四十名の
学生に取巻かれまして、会場内でいろいろ面責されたのであります。その際に
警察官としては、会場を見たところ女、子供も入
つておるではないか、三十円抑えばだれでも入れるのだから、観衆の一人として入るのは何ら支障ないでないかというので、いろいろ弁明したのでありますが、何分にも興奮し、いきり立
つた若い
学生のことでありますので、いろいろ問題大きくな
つて参
つたのであります。このことを守衛から報告を受けました斯波厚生部長は、会場に
行つて学生をなだめた結果、
学生側は、
警察官が不法侵入して申訳がなか
つたというわび状に署名をすれば、
警察手帳を返還すると回答したのであります。事は前後いたしまするが、その前に
暴行を受けまして、
警察手帳を取上げられて
しまつたのであります。あるいは頭を机の上にや
つたり、ネクタイを絞め上げたり、手をねじ上げたり、多数の者でありますから、抵抗したのでありますが、どうすることもできない、ま
つたく抵抗不能の
状態に陷りまして、遂に
警察官の最も貴重なる
警察手帳を、これらの暴力行為をした
学生に取上げられて
しまつたのであります。
警察官としては、ぜひその
警察手帳を返還してほしいということを要請したのでありまするが、
学生は断じて返さないのであります。そこで斯波厚生部長が中に入りましていろいろ交渉いたしました結果、斯波厚生部長が、じやとにかくこの書いたものに署名捺印してくれ、そうしたら
自分が責任を持
つて警察手帳をあなたにお返ししますからと、こういうことで
警察官は、ただ
警察手帳ほしさの一念によ
つて、その
学生の書いた、いわゆる
自分は構内に不法に侵入して申訳なか
つた、という書面にやむを得ず署名捺印をしたのであります。そこで
警察手帳を返してほしいと言
つたところが、
学生は断じてその
警察手帳を返すことを拒否いたしまして、それを取上げたままにな
つたのであります。そしてようやく九時五十分ごろ全部が解散をしたのであります。
この
警察手帳を奪われたということは、そのやり方がま
つたく暴力行為によ
つて奪
つたのでありまして、普通からいえば、まるで銀行のギャングと同じように、強盗
事件のような結果にな
つたのであります。
警察といたしましては、事を非常に重視いたしまとて、ただちにその面のわか
つておる
学生、特に
暴行をしたと認められる面のわか
つておる
学生の氏名がわか
つておりまするので、ただちに令状をとりまして、二十一日
——ちようど目が悪く、反
植民地デーであ
つたのでありまするが、その首謀者福井俊平並びにいま一人の二名に対して、暴力行為等処罰に関する法律違反として地方裁判所の逮捕状を請求して、これに基きまして、午後四時二十五分
東大内時計台の下で容疑者福井俊平を検挙いたしたのであります。いま一人は、あいにく姿を見せないので、まだ未逮捕にな
つております。これを本署に連行しようとして門外に出たところが、約四百名の
学生がスクラムを組んでこれを妨害いたしたのであります。
ちようど警戒員が若干
配置してありましたので
——私服十八名並びに制服二十三名の
警戒員でこれを阻止いたしまして、異常なく連行、本署に留置をしたのであります。これを留置いたしまするや、さつそく
学生並びに大学当局を代表しまして、法学部の尾高教授、厚生部の根本事務官並びに文学部の安島、法学部の大野という
学生が最初署長と面会し、検挙理由をただし、その他について種々抗議を持
つて来たのであります。午後七時二十分ころ、さらに
東大生約六十名が来署したので、
警戒員がこれに警告を発して解散させたのであります。午後九時三十分、代表四名は毛布三枚の差入れを依頼して、これは円満に解散したのであります。その後さらに
警察等に押しかけておるような事実はないのであります。
次に澁谷駅頭における
学生の
デモ取締りでありますが、これは十八日ごろからやはり
東大の
学生を中心としたいわゆる全学連都学連の連中が、最初駅の構内におきまして、再軍備反対、徴兵反対のスローガンを掲げまして、アジ演説をや
つてお
つたのでありまして、これは駅の管理者として駅長が当然かかるところで政談演説をやることは困るからただちに退去しろということで、
警察官の応援を求めまして、一応駅構内から駅の外へ退去を命じたのであります。ところがハチ公の銅像
付近におきましてさらに演説を始め、またインターを歌うというような相当過激ないわゆる不
許可の不法なる無届の集会並びに示威運動を開催いたしましたので、これを警告を発し解散せしめたのであります。その後何回も同様なことを繰返しますので、やむを得ず去る二月二十日の集会
デモのときには六名を検挙いたしたのであります。ところが六名を検挙したために
東大の教養学部の
学生が中心になりまして反
植民地デーの二十一日、最初は三十名、第二回は三十名、第三回には六十名、最後に午後七時半から八時半ごろの間には五百名の
学生が
集団をなし、またそれに若干の
付近の
やじうま等も加わりまして、まず六百名内外の群集が
警察署の前に蝟集しまして、六名の検挙された
人々の即時釈放、署長に面会、差入れの件について申入れがあ
つたのであります。そこで署長は第一の点は、これを拒否し、第二の点は、署長として面会して、よく事の次第を話して納得せしめようとしたのですが、なかなか納得しない、第三の点は、気持よく署長としても万全の措置を講じて、できるだけのことをするからということを約したのでありますが、第一の即時釈放を拒否いたしましたためになかなか帰らないのであります。そうして品々に
警察の横暴を叫び、あるいはまたいろいろな不当な言葉を口走りまして、
デモをやりますので、やむを得ず
予備隊を招集してこれを解散させたのであります。大体九時、ごろにはほとんど全部解散いたしまして、その後何ら
事故もなか
つたのであります。さらにその後澁谷
警察の方には
東大学生は今のところ押しかけたような事実はございません。右の六名につきましては、検事が出ましてただいま
事件を取調べ中であります。
なお申し落しましたが、二十一日の最後の
波状攻撃の第四回の
デモのときに、何回響いたしましてもなかなか
学生が解散いたしませんので、やむを得ず公安條例の違反ということによりまして、二十三名を一応検挙したのであります。ところが
学生課長が代表して来られまして、明日試験があるということでありまするので、
学生のことでもありますし、署長としましては、住所、姓名を聞いたところが、すらすらいずれも答えましたので、もし必要があるならばまた後に取調べをするということで、一応身柄だけはこれを全部釈放いたしまして、ただいま六名だけの者を、検事が出てこれを厳重に取調べをいたしておるような次第でございます。