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1952-02-13 第13回国会 衆議院 法務委員会 第12号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年二月十三日(水曜日)     午前十時五十四分開議  出席委員    委員長 佐瀬 昌三君    理事 押谷 富三君 理事 北川 定務君    理事 田嶋 好文君 理事 中村 又一君       角田 幸吉君    鍛冶 良作君       古島 義英君    牧野 寛索君       松木  弘君    眞鍋  勝君       山口 好一君    山手 滿男君       吉田  安君    加藤  充君       田中 堯平君    猪俣 浩三君       世耕 弘一君  委員外出席者         参  考  人         (松阪市警察署         刑事部長警部) 保古 正作君         参  考  人         (国家地方警察         三重本部警備         課警部)    服部 正一君         参  考  人         (津地方検察庁         次席検事)   子原 一夫君         参  考  人         (松阪消防         長)      平木粂治郎君         参  考  人         (松阪公安委         員会委員長)  阿阪 久雄君         参  考  人         (松阪市議会議         長)      竹岡 政助君         参  考  人         (三重部落解         放委員会書記         長)      上田 音市君         参  考  人         (朝日新聞松阪         通信局長)   木村  正君         参  考  人         (読売新聞津支         局記者)    松井 銀吾君         専  門  員 村  教三君         専  門  員 小木 貞一君     ――――――――――――― 二月十三日  委員大西正男君、林百郎君及び稻村順三君辞任  につき、その補欠として山手滿男君、加藤充君  及び猪俣浩三君が議長の指名で委員に選任され  た。     ――――――――――――― 二月十二日  戰犯者助命減刑外地服役者内地送還に  関する陳情書(第  三九五号)  戰犯者助命減刑等に関する陳情書  (第三九六号)  登記制度改正に関する陳情書  (第三九七号) を本委員会に送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  検察行政及びこれと関連する国内治安に関する  件     ―――――――――――――
  2. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 これより会議を開きます。  検察行政及びこれと関連する国内治安に関する件について調査を進めます。本日は松阪大火事件について参考人より意見を聴取することにいたします。あらかじめ委員長としてこあいさつを申し上げたいのであります。昨年十二月十七、八日の三軍県松阪市に起つた大火事件について、衆議院法務委員会国政調査をすることと相なり、かねて現地松阪より関係者参考人として御上京をお願いいたしましたところ、遠路わざわざ多数御上京、御登院していただいたことについて、この際厚く御礼申し上げる次第であります。本委員会は、多年国内治安の問題に対しては重大関心を持つているのでありまして、近時勃発せる北海道札幌市の白鳥事件、長野県警察官死傷事件や、あるいは松阪市の大火事件に対し、特別の関心を寄せている次第であります。ことに松阪大火事件については、さきに本委員会において罹災都市借地借家臨時措置法に基き、松阪市をその適用地区に指定する法律を立法した際に、あわせて同市の治安状況につき国政調査をされたき旨の陳情地元衆議院議員から受けたのであります。よつて本日ここに現地関係者の御出席願つた次第であります。  さて松阪市の大火事件につき、その後の経過を聞きますると、行政官庁においてそれぞれ熱心に対策を練られ、漸次解決の道をたどつていることは、市民のためまことに同慶にたえません。しかしながら焼失家屋約八百戸、罹災者三千五百名、損害約十五億円という大火災事件にもかかわらず、被疑者としてわずかに二名が逮捕され、しかもその二名も、一名は未成年の学生であり、一名は若い自由労働者であつて、この二人だけがかなりおそくなつて刑事責任を問われているのであります。はたしてそれだけにとどまるものかどうか。出火事件当時流言飛語が飛び乱れ、市民も十分に納得せず、地元議員としても取調べ不十分を感じ、不安をもたらしておるのでありまして、これは政治感情としてもそのまま肯定できるものではないのであります。今日の調査においては、現地取調べ官庁の方がどのように取調べられたものか、また出火消防にはどのように活動されたものであるか、人心の不安は消失しているかどうか、もし背後関係ありとするならば、いかなる事情があるのであるか、これらの点につきまして現地の各関係者の忌憚のない御意見や御感想を承りまして、本委員会国内治安に関する審議に資したいと存ずる次第であります。
  3. 加藤充

    加藤(充)委員 議事進行について。田嶋委員長談話ということと、その他のことについての新聞記事を見た。新聞記事には記者の聞き違いもあるから、そのことについて責任をとやかく言うのはおとなげないと思う。しかし今日本法務委員会調査に対応してわれわれの調査によつて南勢新聞を見た。それは一通じやない。二月の一日、二月十二日の両紙にわたつておる。その記事の一部を読むと、二月一日の記事の中に、去る二十八日、というから一月のことだろう、一月二十八日、名古屋市で衆議院議員法務委員会委員長田嶋好文氏が記者会談をやつて、その記事内容が出ておる。こういうことは法務委員会権威にかけて、この委員会に副委員長というものがあるのかないのか、そういうことを明確にしてやるべきである。われわれはその必要を、この再三にわたる記事から痛切に感ずる。
  4. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 弁明いたします。副委員長という制度はこの委員会にはございません。またその肩書を用いたこともございません。ただそれは私が訴追委員会の副委員長であるために、誤解されて副委員長と書かれたものだと思います。その点に対しては責任は持てません。語りました内容につきましては責任を持ちます。また内容を記載した各大新聞は、決して副委員長肩書を用いてないことを参考までに申しておきます。
  5. 加藤充

    加藤(充)委員 私は田嶋君の発言をここで特に問題にするわけではありません。法務委員会権威を明確にするためにその必要があると思つて発言したのであつて委員長法務委員会の副委員長というものはないのだということをここに確認されていただけばいいと思うのです。
  6. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 ただいま田嶋委員の弁明によつて、当委員会に副委員長なるものは存在せないことは明確にされておりますから、これから議事進行をいたします。  各委員に申し上げたいのでありますが、質疑は時間の都合上一人二十分程度範囲におまとめ願つて、御回答のお求めを願いたいと思います。なお方法として各委員にお諮りいたしたいのでありますが、質疑は一人ずつに対していたすか、あるいは二、三人一括して進行するか。一括の場合は三組くらいにわけまして質疑応答進行するのも一つ方法ではないかと思うのでありますが、それはいかがにいたすか、各委員の御意見を承りたいと思います。——ではこれより三人ずつ一括いたしまして参考人の御見解を述べていただいて、これに対する各委員質疑を遂行したいと思います。  まず最初に松阪市警察署刑事部長警部保古正作君。それから国警三軍県本部警備課警部服部正一君。次に津地方検察庁次席検事子原一夫君、この三名にお願いいたしたいと思います。  委員長としましてあらかじめ各参考人に申し上げておきたい点は、まず保古正作君に対しましては松阪市の大火事件概況を御説明願いたいのであります。また服部正一君には今回の事件について、国警市警とはどんな協力態勢をとつたか。第一次火災事件原因失火であるという理由は何か。第二次の出火事件原因放火であるという理由はどうかという点について、あらかじめ一般的な説明を願いたいのであります。さらに子原一夫君に対しましては、第二次の出火事件容疑者と認められた、北高校退学学生早川昭は、逮捕された後あるいは放火を自白し、あるいは放火を否認しているというが、これはどういう状況であつたか、その経緯を話されたいのであります。何ゆえこのように自白したり否認したりするかという経過を概括的にお願いいたしたいのであります。  では保古服部子原の三君に今申し上げた趣旨において御開陳を賜りたいと思います。
  7. 保古正作

    保古参考人 それではただいまから松阪大火事件につきまして概略を御説明申し上げます。  まず昭和二十六年十二月十六日に、松阪市湊町の三百番地、第二小学校講堂西渡りろうかから出火いたしまして大火になりました火事が初めであります。その翌日の十七日、松阪北高等学校微生物実験室付近から出火しまして、同高等学校を焼失しました二件をもちまして、松阪大火事件と一般に言われております。  まず第一番に第二小学校から発火いたしましたところ火事につきまして御説明申し上げます。出火日時昭和二十六年十二月十六日午後十時二十二分ごろであります。鎮火日時は同二十六年の十二月十七日午前五時二十五分ごろであります。焼失戸数は約五百十五戸、罹災者は二千二百人、焼失面積が二万八千坪、損害見積高が約二十億円、軽傷者が三名—かすり傷程度のものを入れて約百名程度になりますが、これは傷という程度でございませんので、軽傷者は三名ということになつております。当日の気象状況を申し上げますと、天候は晴天でありました。風位北西、後に西北西湿度が四八%、風速が七・一〇メートル、瞬間風速は十二メートルないし十四メートルという風の状況でございました。それから消防本部の方で火災を探知せられましたのは、午後十時三十八分ごろに望楼勤務常備消防の方が発見してくれております。消防ポンプの出動は大体二十台、消防団員の方が約二千人、警察官が約百十三名出動しております。  それからその翌日の昭和二十六年の十二月十七日の午後五時二十五分ごろに、松阪市殿町千四百十七番地、県立松阪北高等学校の東南の角にありましたところ微生物実験室付近から出火いたしまして、同校舎三棟及び同校舎の中にありましたところ実験機械及び工場倉庫など一千四百六十二坪を全焼いたしました事件があります。鎮火は同日の十二月十七日の午後九時三十分ごろに鎮火いたしております。これの損害見積り高は木造二階建校舎三棟、紡織科工場薬品倉庫など七棟、一千四百六十二坪、それから諸機械器具など合せて、損害金額は約五千万円と見積られております。この当時の気象状況は、天候は同じく晴れであります。風位西北西、後に北西にかわつております。湿度は六五%、風速が三・八八メートルというふうになつております。両火事とも湿度ところで申し上げましたように非常に乾燥しておる状態にありまして、十二月十六日には、午後四時ころだと記憶いたしておりまするが、火災警報が発令されておつた日のできごとであります。この両火災事件につきまして、松阪市警察署といたしましては、十二月十六日の午後十時二十二分ころの火災発生後、火災予想外に大きくなりまして、五百十五戸というような広大なるところ面積が焼けましたので、ほとんどの警備力を何といいますか、火災警備にあてておりました関係上、犯罪捜査の面におきましては、ただ警備係の一部をもつてつてつたというような状態でございまして、当日の十六日の午後四時ごろから松阪市警察署において、その火事のいわゆる原因探求につきましていろいろと打合せをしておつた最中に、引続いて第二次的の火災としまして、十二月十七日午後五時二十二分ごろに松阪北高等学校が焼けましたので、火事は連続して起つたようなかつこうになつております。両火災を一括しまして松阪大火事件といわれておるのであります。その後いろいろのデマが飛びますし、松阪市民が一応何といいますか、戰時中の空襲下市民のように疎開をする者があるというような、人心が不安を抱きまして、混乱の状態に見えましたので、国警の方へ応援をお願いいたしまして、応援をもらつて、そうしまして、犯罪捜査、それから市内の治安の維持、警備というものにあたりました結果、十二月二十四日になりまして、第二小学校火災犯人といたしまして、三重県飯南郡櫛田大字櫛田三百九十六番地の早川昭、当十六才を検挙することができまして、その後引続いて捜査をやりました結果、一月十三日の午後五時三十分ごろに至りまして、第二小学校の方の火事原因をなしましたところ丸山政雄、当二十七才の失火ということが判明いたしまして、両事件とも検挙することができたわけであります。  その間に警察官を使つたところの人員を申し上げますと、国警の方から応援をいただきました数が、制服員で九日間四百九十四名、捜査員が二十七日間一千七十名、合せて一千五百六十四名の応援国警から松阪市警察署は受けております。松阪市警察署員七十三名をその間延人員にいたしますと、全部で千七百六名でありますので、応援松阪市警察署と合せましてこの捜査に当てたところ警察官の数は三千二百六十名を要しております。これに要した費用は三十四万五千円程度であります。  以上申し上げまして、松阪市に起きましたところ火災概況の報告を終らせてもらいます。
  8. 佐瀬昌三

  9. 服部正一

    服部参考人 ただいま委員長からお話がありました国警自警協力状況、それからもう一つは第一次の火災放火でないか、もしないとすればどういう理由によつて失火であるということを断定するかということ、それから第三点は北校事件放火であるかないか、放火であるとするならば、なぜこれが放火であるかという問いを受けたわけであります。これに対しまして順次簡單に申し上げたいと思います。  まず第一問の国警自警協力状況でありますが、これは結論から申し上げまして非常にうまく行つてつたということが申し上げられると思うのであります。そのうまく行つたということの中には、人を糾合する意味におきまして、まずもつて考えられますのは、組織計画の問題でありますが、組織計画によつてお互いのセクトというものを排除いたしまして、組織計画の中の一分子として活動したということは、捜査本部活動が非常に円滑であつたということを意味するわけであります。そういう意味合いにおきまして、何らこの問題につきまして自警国警、いわゆる自治体と国警との間に矛盾のあつたことは認めません。より以上に密接なる協同をいたしまして、完全な力を発揮したということを考えております。なおわれわれが本事件について全面的に協力いたしましたのは十七日、いわゆる第二次の火災の午後七時であります。午後七時に要請を受けまして、ただちに制服警察員を二百七名、それからわれわれ警備捜査私服隊員、いわゆる捜査隊員を四十七名ただちに応援いたしまして、その後引続き年末の三十日に至るまでそういう態勢のもとに捜査を進めたわけであります。なお制服警察員の場合は夜間のいわゆるパトロールというものを実施いたしまして、これも非常に成果をあげたように考えおります。でありますから、本事件に関しまして、自警国警というものの運営がうまく行かなかつたということは言えないのでありまして、私はあくまでも強力にこの問題は運営されたものであるというふうに考えております。  さらに第二点の問題でありますが、この第一次の火災、いわゆる第二小学校火災でありますが、これは失火であるということを何によつて断定するかという問題であります。ここでお断りを申し上げたいと思いますることは、あくまでもこれは捜査でありまして、捜査段階におきましては、われわれは裁判の嚴格なる証明をもつて裏づけするというどころまで完全にやり切るということは、非常に困難でありまして、ことに不完全なる人間の社会におきまして、断定を下すということは困難であります。でありますから、私がただいまから申し上げますことは、あくまでも歴史的な証明、いわゆる科学的な証明に対するところの歴史的な証明、いわゆる経験法則に基いてこれはこうであるという一応の推論を下すという程度でありまして、断定という域には至らないのであります。これは捜査段階においてやむを得ないことでありまして、われわれが日常の経験法則から考えて、高度の蓋然性によつてここにおちついたのであるという程度お話を申し上げたいと思います。  まず第二小学校火災が起りましたのは、今保古警部が説明いたしました通りであります。この捜査をいたします上におきまして非常に問題になりましたのは、これはいろいろ言われましたけれども、われわれは捜査官といたしまして、あくまでも真実発見ということに奉仕する以外にはないのであります。一切の活動をあげて真実発見に邁進する、それ以外には何が出ましようとかにが出て来ようと、それは一切排除して真実発見に尽すという確信を持つて捜査をいたしたわけであります。ただいまから申し上げる中に、あるいは色めがねで見ればへんなものも出て来るかもしれませんが、しかしそれはあくまでも捜査基本線、たくさんある線の中の、基本線の一部分として出て来る問題ですから、その点についても、これは真実発見のためにやむを得ないものである、当然出さなければならないものであるというように御了解を願いたいと思います。  第一にあの第一次の火災の起りましたときには、別に市民の間において、そう大きな動揺、あるいは流言、デマというようなものは起らなかつたと承知しております。ただああいうものが起つたのは、第二次の火災が引続き起つたがゆえに、ああいうデマが飛んだんだろうというように考えておりますが、第一次の火災においては、そういうものはなかつたのであります。まずこれを失火であると断定する前においては、ただわれわれは簡単に失火であるというように断定することは許されないのでありまして、あらゆる角度から、いわゆる想像し得る広い範囲から、あらゆる情報を収集いたしまして、その情報をしさいに分析し、分析した情報をさらに総合推論いたしまして、一つ一つ基本線を出して行くわけであります。その基本線として出しましたのは、まずあの学校の場合第一に出て来る問題は、これはあの学校が非常に密会者、いわゆる男女密会所に利用されておつたということが言われております。そういう事実はあります。でありますから、そういう男女密会によつて、不用意に火を発したのではなかろうかという基本線一つ出て来るわけであります。さらにもう一つは、学校の職員、あるいは学校そのものの処置に対するところ怨恨、その怨恨関係によつてあそこに火をつけられたのではなかろうかという、怨恨説というものが基本線としてもう一本現われて来ます。さらにもう一つの線は、経理の面、いわゆる金銭費消の面、そういう面において何か証拠隠滅をはからんとして火をつけたのではなかろうかという基本線が、もう一本出て来ております。これで基本線は三本。それからさらにもう一つは、特にあの学校については、ちようど焼けた建物の一部に新しく建築をしたものがあります。でありますから、建築の問題にからみまして、あるいは火をつけたのではなかろうかというようなことが一つ考えられるわけであります。さらにもう一点は、これは学校そのものを目的として焼くということではなしに、十数メートルの風速で非常に風の強いときでありましたから、その風下にある家に保険金でも多額にかけた者がありまして、保険金をとる意味において、最も火のつけよいところ学校を選んだのではなかろうかという線が一つ出て来るわけであります。これで五本でありますが、さらに最後に考えられますことは、あるいは謀略的にやられたのではなかろうかということも考えられるわけであります。この六本の線を一応出しまして、この六本の線で突き進んで行つたわけでありますが、この線の一つ一つについてさらにまた具体的な捜査計画を立て、捜査活動をいたすわけであります。そしてその線を一つ一つ消して行きまして、最後に残つたものが、その事実として残される、これが犯罪捜査の常道であります。  そういう意味合いにおいてやつて行きますと、まず第一点の密会者があつたということは事実でおります。事実でありますが、これは密会をする者の通り得る道、その道筋にあるところの畜犬、そういうものが密会のあるたびに鳴くのでありますが、そのときは鳴かなかつた。そして非常に風の強いときで、密会者はだれも見ておらないというようないろいろな推論からいたしまして、まず密会者はその当日はなかつたのではなかろうかという推論が一応下し得まして、さらにそれを裏づけ捜査をして行きますと、あの当日は密会者がなかつたということが、捜査段階では言い得ると思います。この線は一つ消えたわけであります。一つ先刻言い忘れましたが、浮浪児あるいは放火魔、そういうものによるところ失火、または放火ではなかつたかという線がもう一本ふえるわけでありますが、それをさきに説明申し上げるのを忘れましたので、今申し上げておきます。密会説はそれで一応すんだわけであります。  さらに保険金の問題でありますが、保険金の問題も一齊に調査いたしましたところが、あの大火に匹敵し、あるいはあれだけのものを焼いて、そして取り得る価値が、焼いた価値よりも大きいという保険金をかけておる者はだれもありません。でありますから、これは個人的に見ましても、ただちにあれが保険金詐欺放火であるということを断定することは困難でありまして、この保険金の問題も一応抹殺されたわけであります。  さらに怨恨関係でありますが、怨恨関係について若干の問題は生れておりますが、これがあえて火を放つというようなことは、全然考えられないというところから行きまして、怨恨によつて火を放つということは、第二小学校限つては考えられないというように一応打消されたわけであります。  さらにその次は建築関係でありますが、建築関係につきましても、今のところは、建築関係によつてなぜ火を放たなければならないかという理由は出て来ません。いかに調査いたしましても、これは出ておりません。でありますので、一応その線も薄くなつて行つたということが言い得るわけであります。  さらに謀略ということを考えてみますと、これも現在の松阪市というところから見まして、かようなことをやり得る段階ではない。あのたくさんある市民の中には、自由労働者の方の家もあればいろいろな家もあるわけでありまして、あの強風のときに、ああいう手段を選ぶというような愚を、あえてするとは思えない。ことにわれわれが承知しておりますところの、新しい五十二年綱領を見ましても、いわゆる大衆の線に沿つた方法で、国民の友として行こうという一つの戰法が打出されておるのであります。それは県におけるいろいろ情報を総合いたしましても、ただちにそういうところの指令によつてやられたとか何とかいうようなことは、考える段階じやないというふうに、われわれは一応の結論を下したわけであります。  最後に残りますのが、先に申し上げました浮浪者の問題でありますが、この問題について糾明いたしますと、たまたま今保古警部の申し上げました丸山政雄という犯人が現われて来たわけでありまして、彼の供述によりますと、彼は捜査の第一日から現われております。そして数十名の私服が必死になつて捜査いたしましても、なおかつ最後まで黒として残つております。さらに調べれば調べるほど有力な容疑者となつて、間もなくみずからも自供しておるというような段階でありまして、本人の自供、その捜査状況等を総合いたしますと、これは彼の失火であるということを一応推論し得ると思うのであります。そういう意味におきまして、私は第一次の火災失火である。そして現在結論は出ておりませんが、犯人は検挙されておるのでありまして、その結論を私は全面的に支持するのはもちろんのこと、それを今なお疑つておりません。  さらに第三点の問題でありますが、いわゆる北高の事件、あの第二次の火災放火であるということを推定したところ理由ということになるわけであります。これはただいま申し上げましたと同じような方法によつて、幾つかの基本線を出しまして、その基本線一つ一つを打消して行つたわけであります。その場合には第一次の火災と違いまして、たくさんなデマも出ました。しかしこのデマの問題については、私がただいま与えられた課題の中に入つておりませんから、これは省略させていただきます。  まずもつてあの火災は五時、正確に申し上げますと、まず二十分ないし二十五分までの間に起つておると思います。もう少しこまかく見れば、五時十五分から五時二十五分までの間に、あの火災が起つたということが言い得るのであります。これは非常に時間的に見ても早いのであります。まず放火と見るということは、一般の情勢から行けば困難な状況でありますけれども、あの発火地点というものと、学校状況というものと、それからあの発火地点に置かれたところのいろいろの物品、その当時の状況というものを総合いたしますと、これは放火ということが推定できるのでありますが、その一つは、あの焼けたところは微生物の部屋になつておりますが、あの二階にアトリエがあります。そこに美術クラブ員といたしまして、いわゆる全日制の生徒七名が、ちようど五時十五分まで、その二階の部屋におつたわけであります。火の出たところのすぐ上の二階の部屋にいたわけであります。ところが五時十五分までいた生徒がおりて来るときには、何ら火の気配も何もなかつた。彼らはその道をずつと帰つて来る途中において、だれにも人に会つておらないということであります。それが一つ。それからもう一つは、一番最初に発見されておるのは、本居神社前という駅から、火災の現場まで歩いて約五分であります。その駅に五時二十分におりた生徒が、歩いて五分間を費しまして、五時二十五分に火の出たのを発見しております。でありますから、この間わずかに十分間であります。そういうようなきわめて短かい時間内において、しかもその道はあまり通られる道ではないのでありまして、そういうところから火が出たということになりますれば、これは一応考えられるのは失火とすればタバコの火くらいであります。しかしタバコの火をもつてしては、わずか七、八分、もつと短縮すれば五分になるかもしれませんが、そういう短い時間でもつて、あの火になるということは、われわれの経験法則からは、一応考えがたいと思うのであります。もちろん火をつければ、これは簡単につくものがあつたわけでありますが、単なるタバコの捨火くらいで、またあの家の中まで行つて捨てたということは、これはとうてい考えられないところであります。そういう意味合いから行きまして、これは状況的に放火であるということが推論でき得ると思います。ことにあそこは前工業学校でありまして、いろいろの薬品があるわけでありますけれども、その薬品とかあるいは化学試験とかいうものによりまして、その不始末から火が出たというような状況は、あらゆる先生について調査いたしましたが出ておりません。  でありますから以上によつて総合推論しましたところから見ると、これは当然放火であるというような線が出て来るわけであります。その線によつて捜査をした結果が、今保古警部から申し上げました早川なる者が出て参りました。これの自供によりまして、ああいう犯行が明らかになつたわけでありますが、この自供についても、何らわれわれは現在疑いも何も持つておりませんし、それが当然であるというふうにわれわれは自信を持つて考えております。  以上が大体私に与えられました三点の説明であります。
  10. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 次に津地方検察庁次席検事の子原一夫君にお願いいたします。
  11. 子原一夫

    子原参考人 私のは早川の取調べ状況とその認否なんでありますが、早川の骨筋だけ申します。証人の自供の内容あるいは証人の証言の内容、こういうものは公判前でありますので、裁判の公正を擁護するという立場から、差控えたいと思いますので、御了承願います。  早川を検察庁が取調べを始めたのは十二月の二十二日であります。早川は十二月二十二日の午後二時ごろ津の鑑別所に、裁判所の職権に基いて個別鑑査のために収容された。その個別鑑査のもとになつたものは窃盗であります。それは午後二時ごろであります。午後四時私が一人で鑑別所を訪れまして、一時間本人の言うのを聞いた。そうしてそのまま立ち帰つたのであります。二十三日は亀永検察事務官と大岩国警の警部補、この二人が十時ごろから調べました。それからその間私は二十二日の本人の自供内容の真否について検討のために、松阪市においてみずから捜査を続けておつたのであります。二十四日お昼ごろ、さつき申した二人の捜査員から自供したという通報を受けたのであります。私は相手が十六才ちよつと出ただけの少年であるということと、事件の重大性を考えまして、一度否認をさしてみるように指示したのであります。これは私どもの捜査のいろいろなやり方であります。そして午後六時ころ鑑別所に私が行つたのであります。ちようど食事をしておりました。それから取調べを始めたのです。約十分間ほどクリスマスの話などしておりまして、後事件についてすぐさま自供を始めたのであります。爾来昨年中は一回も否認をいたしません。ずつと自供を続けております。第一回には私が調書をとりましたが、その次からは内田検事にその捜査を譲りまして、終始内田検事が取調べておりま。一月三日いよいよ家庭裁判所に送致するということになつたので、その前に念のためにもう一度取調べたのでありますが、そのときには否認をしております。否認をする動機についても了解される事実があることを申し添えておきます。それから一月四日に家庭裁判所に刑事処分相当として送致しました。家庭裁判所の審尋に対しては否認をしております。一月九日逆送になつて参りました。刑事処分相当として家庭裁判所から検察庁に逆送になつて、ただちに内田検事が取調べを開始したのであります。家庭裁判所に送致しておる間はさわらない方がいいというので、全然さわつておりません。一月九日約三十分ほど取調べを進めた後、彼は再び詳細なる自白をするに至つたのであります。爾来起訴まで否認をしておりません。しかし昨日の公判においては、十二月二十二日に私に申したと同じことを述べて否認をしたという電信を受けております。  以上が本人の取調べ状況並びに認否の状況であります。
  12. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 以上参考人三君の供述は一応これで終ります。これに対して各委員から順次質疑の通告がありますので、これを許します。田嶋好文君。
  13. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 御三人に対しましてただいまから御質問を申し上げたいと思うのでありますが、まず一番初めに保古警部に対してお尋ねいたします。あなたから今非常に熱意ある御答弁いをただいたのでありますが、この点は非常に感謝をするところでありますが、お聞きの委員諸君は、私はあなたの答弁によつて納得がされないのみか、愕然とした状況じやないかと思います。あなたの答弁によりますと、捜査に総動員されたものが延人員市警にして一千七十余名、国警と合せて一千五百六十四名もの警察官が動員されてこの事件に当つた。いろいろ長期間にわたつてつて、出たものが当初黒であつたところ失火犯人一人、こういうようなことは現在の国家危機の治安を担当するところ警察官のやり方として感心すべきものでは決しでない。むしろこれだけの警察官を動員してやるくらいなら、ほかにもう少し捜査において手段がなかつたか。こういうことがわれわれとして言われ、考えられるのでありますが、この点いかに御弁解されるのでありますか。その点を……。
  14. 保古正作

    保古参考人 ただいまより御質問にお答えいたします。数におきましては初めに報告申しました通り、たくさんな数に上つております。ところがその数の大部分の人は市内の治安警察という、いわゆる警備の強化ということをはかりましたために、毎日夜間午後八時から翌朝の午前六時までは夜警を強化いたしまして、パトロール、いわゆる警察で言う警邏、俗に言うパトロールを強化いたしました結果、毎日五十名はその方に使用しております。それから捜査に当りましたところ警察官と言いましたのは、いわゆる刑事でありまするが、これは大体三十名ないし五十名、一番多いときで五十名、一番少ないときで約三十名ぐらいの人を使つたのでありますが、あれだけの大火原因を究明せなければ、われわれ警察官として、警察に職を奉じておる者として、この職にとどまり得ないという覚悟を持ちましたので、全力をあげてこの捜査に当つた結果、大勢の人を使用したことになつております。ところがそのうちの大部分というものは松阪市警察署員の数でありまして、応援の数は申し上げました通り、国警の刑事課、それから国警警備課という一部の専門家の応援を得たのみでありまして、延べで申し上げますと非常に大きな数になりますが、一々の捜査とういふうな小さいあれを計算して行きますと、そんなに驚くような陣容でなかつた、こう思つておるのであります。
  15. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 ほぼわかつて参りましたが、結局これだけの延人員を使つて、これだけの日時を費して最後犯人が上つたというのは、流言飛語やその他治安関係が非常に心配になつて治安状況に多くの人を振り向けた、こういうことになるのでありますか。
  16. 保古正作

    保古参考人 そうでございます。
  17. 田嶋好文

    田嶋(好)委員  そうして捜査に対しては重点的に刑事を使つてつた……。
  18. 保古正作

    保古参考人 そうであります。
  19. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 そうするとそこで出て来る問題は、どうしてこれだけの日時を費さなければ結論が出なかつたか。この点ひとつ……。
  20. 保古正作

    保古参考人 御答弁申し上げます。普通の犯罪で窃盗とか強盗とかいう事件は物的証拠が得られますので、事件の解決は非常にたやすいのであります。ところ失火だとか、放火だとかいうことになりますと、物的証拠を得るのは非常に困難な場合が多いのであります。従つて状況証拠というものが大体必要になつて来るわけなのであります。状況証拠をもつて犯人をいわゆる断定の域まで持つて行くということは非常に困難なのでありまして、先ほどの服部警部の御説明にありましたように、白黒の線を全部洗つて、そうして全部これが白いというところの見きわめをつけて、そうして最後に残つた線を押し切つて、しかもそれによつてそれの状況証拠なり、参考人なりというものの多数の人を調べた結果、犯人というものが割出されるのでありまして、何というか、普通犯罪と違いまして、現在行われておりますところの刑事訴訟法の適用を受けてやるところ犯罪のうち一番犯罪検挙のしにくいのがいわゆるこの放火失火であります。それは先ほど申し上げましたように、物的証拠が得られないところ事件でありますので、そういうような結果になつたのであります。
  21. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 先ほど服部警部から言われた中で不十分な点がありますので、お尋ねいたしますが、この大火は年末に起つておる。その大火の起る前に松阪におきましては、相当新聞紙上でもやかましく言われましたが、自由労働者の騒擾と申しますか、騒ぎがあつたことは御承知の通りだと思います。そうして松阪地区というのは、また共産党の諸君はいやがるでしようが、われわれの調査によつても共産党が非常に多いところであります。従つて自由労働者の騒擾というものはそうした関係において関連性を持つと、こういう線がわれわれが深く考えますと浮んで参るのでありますが、それらの点に対して取調べをして、それが捜査の対象というようなことになつたことがあつたでしようか、なかつたでしようか。
  22. 服部正一

    服部参考人 ただいまの御質問にお答え申し上げたいと思います。このお答えを申し上げる中に、今保古警部にお尋ねになりましたどうして大勢の警察官をそんなに使つたかということの結論は、今御質問の中にもありましたように、治安態勢が悪かつたのではないかということも含まれておるのではないかと思いますので、あわせて御説明申し上げたいと思います。大体今御質問になりましたように、治安情勢が悪かつたということはこれはもう事実であります。しかしこれは最後まで話を聞いてもられないとわかりませんが、すでに本件では結論が出ております。出ておりますが、その結論の出るに至るまでの過程においては非常にわれわれも苦労したわけでありまして、その過程を説明しなければ御了解できないだろうと思いますので、それについて御説明いたしたいと思います。まず第一に私は、先ほどの問に対しては、第二小学校火災に対する出火云々というお問いでありましたので、説明いたしませんでしたが、むしろ第二の火災からそういう関係が起つて来たわけであります。たとえて申し上げますならば、ただいまおつしやいましたように、自由労働者諸君のいわゆる職安事件というものがその十二月十四日、十五日に起つております。それからさらにまた年末攻勢も相当盛んになり、攻勢が毎日のように繰返されたことも事実であります。ことにまた松阪は、そういうことを契機として相当思想的に関心を持つた人が多かつたということも、これも事実であります。そういうさ中にあつて引続き二回の火災があり、しかも学校を中心として行われたということによつて人心が動揺するのは当然でありまして、また第二次の火災のときの状況が非常にいろいろな不祥事を起しておるのもこれは事実であります。たとえば第二のいわゆる北高の火災が発生すると同時に、鎌田中が焼けておるという電話がございまして、あるいはそういうデマが飛びまして、サイレンを鳴らしたということもこれまた事実であります。あるいはまた新座町が焼けておるということも言われました。あるいはまた清光寺が焼けたとか、あるいは八雲神社が焼けておるとか、その他第一小学校放火準備がされておるとか、いろいろなデマ、謀略が飛んだことは事実であります。またさらに現場におきましては鎮火の妨害が行われたとか、ホースが切られておるとか、あるいは労働者風の者がいちはやくかけつけて、その建物を無用に破壊しておつたとか、あるいはまた某有力党員が集団的にそれを見ておつた。そういうことが言われたことは事実であります。でありますから、そういうような事実、今申し上げましたようなことを全部集めて総合判断いたしますと、何人といえどもその間にある種の動揺というものが起るのは、これはやむを得ないと思います。動揺の起るのはやむを得ないと同時に、それに対してある一つの、大衆は大衆なりの推論を下すことになります。そこでいわゆる起つて来た言葉が、あれは共産党が火をつけたのだということは、これはわれわれ捜査員とも非常に多く耳にした言葉であります。でありますから、むしろ私たちは、だれがやろうと、かれがやろうと、それは真実発見によつて解消するのでありますから、あくまでも真実発見をしなければならない。しかし捜査の第一段階としては、そうい世論のごうごうたる中において、ことさら共産党なら共産党という人を除外して捜査を進めて行くということは、かえつて捜査を政治的に利用することである。これはあくまでも捜査の冒涜でありまして、われわれはあえて共産党員というものを、捜査のわく内において対象としておりました。これも一部分の対象でありました。今申し上げました六つの基本線の中の一部分として対象としはおりました。これは当然のことであります。そのようにいたしまして、順次その対象を狭めて捜査をして行つたわけであります。  今申し上げました職安事件を勃発せしめた三自労——ここで三自労というのは、いわゆる三重自由労働者組合でありますが、その三自労の職安事件がちようど二箇月前に起つたわけであります。それによつて非常に一般大衆のそういう思想的な考え方が強くなつて来たということも、これは事実だと思います。そういうことに刺戟をされ、さらに年末攻勢によつて三自労の自由労働者諸君が盛んに市役所に年末手当の要求をされるというような状況、それから当時発火と同時に、非常に早くそういう労働者たちが非常に多くそろつて火事場に行つてつたというような聞込みがあつたことはこれは一つあります。というようなことを前後総合いたしまして、一応そういう考え方も出るのはこれは捜査段階上やむを得ないことであります。そういう線について強力に捜査を進めて参りましたところが、その後具体的に洗つて参りますと、結局それが一つ一つ解消して行つたわけであります。これを一々説明申し上げますれば説明申し上げられなくありませんが、非常に長くなりますので、もしお問いがあれば申し上げたいと思います。これは一応その方面から非常に慎重な捜査によりまして、これを解消いたしております。  それからさらに日共党員の人が、そこで集団的に火事を見ておつたというようなことがあげられております。事実そういうことは、数名の人が見ておつたということはあります。ありますが、ことさら区別して考える必要はないと思いますので、当然また親しい者であるならば、一緒に火事を見るということは、これは何でもない。その行動についても一応秘密、極秘のうちにおいて捜査をしてみましたが、しかしこれも現在の段階においては何ら疑いを持つところに至つておらないというような状況でありまして、今御質問のありましたような点につきましては、当然われわれは捜査一つのわくといたしまして、基本線を一本別につくりまして、それに従つて捜査を進めたということは事実でありますが、その進めた結果の結論は、そういう事実が一応考え得られないというところにおちついたわけであります。そういうような状況になつております。
  23. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 今度は保古さんにもう一度お尋ねいたします。結局今の服部警部の説明を聞きますと、第一の第二小学校放火でございますが、これは当初から被疑者、現在の被告人が黒となつております。こういう話です。それが約一箇月になんなんとしてはつきり黒ということを世間に発表しなければならなかつた事情、これをひとつお答え願いたい。
  24. 保古正作

    保古参考人 お答えいたします。丸山政雄というのが第二小学校失火をいたした被疑者であります。この男は捜査の第二日目です。第二日目と申しましても、これは十七日でありますから、捜査で行きますれば、第一日目であります。十七日にはもう大体浮かび上つて来ておつたのでありまするが、それは松阪市の大野湯というふろ屋から、それの人相が出ておつたのであります。ところがこの丸山という男はその後松阪市に居住をせず、三重県の一志郡桃園村という所の山口末吉という百姓の日雇いに雇われておりまして、松阪市内に住んでいなかつたのであります。ところが大野湯で聞き込んだところのその怪しい男というのが、結局最後は丸山ということが判明したのであります。その間の捜査というものは、丸山が松阪市内に住んでおらない関係上、こういう丸山の当時の人相は、いわゆる鳥打帽子をかぶつてはんてんを着た男で、酒に酔うておつたような態度であつたという聞込みで人相が現われておつたのでありまするが、捜査陣が非常に苦労しまして捜査した結果、その丸山が久居町に住んでない、桃園村に行つておるということを知りましたのが非常におそくて、一月の九日にそれを聞き込んだのであります。それまでは人相が浮かんでおつたのでありますが、単に捜査陣としてわかつておりましたのは鳥打帽子をかぶつた、はんてんを着た、しかも酒に酔うておつた男で、左肩が下つておるという人相だけはわかつてつたのでありますが、その男が丸山政雄であるというようなことがわかりましたのが一月九日であります。それ以前はわからなかつたのであります。
  25. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 これは第三者から私が聞いたことでございますから、結論をあなたにつけてもらおうとするのじやないのでありますが、私が第三者から聞いたところによりますと、丸山は黒としておつたのだが、しかし当時やはり捜査当局においても背後関係を重視しておつた。この事件に対しては背後関係があるのじやないか、こういうことを重視して、一部新聞の報道によりますと、背後に日共ありとかいつて書いた新聞もございます。こうした、日共は別といたしまして、背後関係を重視した。そして背後関係を重視して、警察の方でも背後関係ありとにらんだために、丸山が黒でありそうだという線が出ておつても、それはあとまわしにして、そうした背後関係を徹底的に究明しておつたのだ、こういうように聞いておりますが、その線はどうなつておりますか。
  26. 保古正作

    保古参考人 お答えいたします。ただいまの御質問のようなことはなかつたのであります。もちろん服部警部の回答にありましたように、一応背後関係もありとしまして、あるいは六つの線にわかれまして、捜査陣をわけまして、背後関係として捜査を進めるものには捜査陣のうちの一部分が当つたのでありまして、丸山の捜査というものに重点を置きまして、また合同捜査本部のその当時の方針といたしましては、まず何よりも火元を明らかにする、まず犯人を検挙する、その後においてその犯人から背後関係がありやいなやということをつくべきである。是が非でも火元に一日も早く到達するように捜査方針を進めておつたのでありまして、丸山が黒だということがわかつてからは、国警は丸山の取調べに専念したのでありまして、丸山を割出してから、その後におきまして丸山がとらまつたということはただちに発表いたしております。こういうような関係で、わかつておりながら発表しなかつたということは当時の合同捜査本部としてはやつておらなかつたのであります。
  27. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 背後関係においてないといたしますれば、当初から黒と出ておつた丸山をかくも多数の人間を動員して、しかも長日月を要して検挙をして発表するに至つたということは、どこかに欠陥があるのじやないか、捜査が無能か、捜査の衝に当る警察官が不十分であるか、また捜査官が怠慢であつたか、何か原因がなければ、当初から黒と出ておる人間にこれだけの日時と、これだけの人員を費してやるということはどうも納得ができないのであります。先ほど服部警部の言うところによりますと、われわれの捜査はまことに完全であつたというようなことを言つておりますが、完全と見られない。一月を要して当初から黒と出ておつたわずかの失火犯人を検挙する、そこらあたりに欠陥をお認めになりませんか。現在の松阪市警はこれで十分だ、これで治安に対して十分にやれる、捜査に対して万全を期せられる、人心はこれで安心して行けるという確信があると服部さんは言いましたが、確信を持たれましようか。この点をはつきり聞きたい。
  28. 保古正作

    保古参考人 御回答申し上げます。松阪に二つの火事が起つた当時、松阪市警察署といたしましては二件とも捜査ができないのじやなかろうか、というような目で松阪市民は見ておつたのであります。ところが幸いにして事件発生後八日目に北校の方の放火犯人を割つて、それから約二十日を経てから第二学校丸山政雄という者を検挙し得たのでありますが、この間一箇月を要しております。松阪市民といたしましては、よく警察は検挙をした、よくあげたと言うて賞讃の言葉でもつてわれわれを迎えてくれたのであります。わずか一人の犯人を捕えるのに一箇月も日数を要し、多数の人を使つたということは、もちろん経費の面、また他の治安の方がおろそかになる点を考えますれば、たくさんな人を使つて幾日間もかかつたということが言われますが、これがあがらなかつたらいつまでも松阪治安は常道に復さないのであります。ほんとうにこの事件は二つともよくあがつたと私みずから思つております。この前に御回答申し上げましたように、放火失火という事件は非常にあがりにくいのであります。おそらく未検挙で終つておる筆頭をなすものが放火失火犯罪でなかろうかと私は考えております。署員並びに応援警察官がまつたく不眠不休でやりました結果、幸いに二つとも解決し得たということは、捜査に当つた私らもほんとうに喜んでおりますし、僥倖であつたとまで考えておりますが、市民もこれは認めておつてくれると私は信じております。
  29. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 この火災に関連いたしまして、松阪ではたくさんの窃盗、掠奪というような言葉で呼ばれる事件が起きたように聞いておりますが、これらについて警察に届出があつたでしようか。あつたとすればその結果を詳細にお聞かせ願いたいと思います。
  30. 保古正作

    保古参考人 御回答申し上げます。火災があまりに大きかつたためと思いますが——あとでわかつたのでありますが、非常に多くの火事場どろぼうが行われたのでありますが、火事発生後四日余りの間は一件も届出がなかつたのであります。ところ捜査をやつているうちに火事場どろぼうが行われておつたといううわさを聞きましたので、わざわざ私の方から盗難届の用紙を刷りまして、外勤の警察官を使いまして罹災者の家をまわらしたのであります。被害届を出してくれと言うて一軒一軒の家をまわらしたのであります。そしていわゆる盗難にかかつたという盗難届をとりましたのが、第二小学校火事の場合に八十件、北校の場合に十五件受理したのであります。合計で九十五件の盗難届を受理いたしまして捜査いたしました結果、被疑者といたしましては一月の十八日までに三十八名、金額に見積りまして二百五十万円程度火事場どろぼうの検挙をやつております。この火事場どろぼうの事件につきましては引続きまだ捜査をやつております。
  31. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 みなあがりましたか。
  32. 保古正作

    保古参考人 届出はたくさんあるのですが、私の方で検挙いたしましたのはそれくらいであります。件数にして三十八件余り検挙になつております。これは引続きまだやつております。
  33. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 その被疑者はどういうような経歴で、どういうような人ですか。
  34. 保古正作

    保古参考人 火事場どろぼうの第一番の被疑者としてあがりましたのは、不幸にして公吏でありますところ松阪市役所の吏員の早川というのであります。これが第一番にあがりました。それから以後あがつて来ました火事場どろぼうといいますのは、火災の消火に行つて荷物を出すと言つて計画的にとつた者もおりますし、預かつてやろうとして家へ持つて行つて請求のないままに横領というかつこうになつて検挙せられたのもございます。それからどんどんほうり出されるまま主のないものを拾つて行つたというかつこうで、拾得物のかつこうで家に持つて行つたというようなものもあり、これは種々雑多でありまして、検挙した者の名前もあがつておりますが、どういう系統の人ということは言えないのであります。相当の身分の者、地位のある者もやつておりますし、三十八人種々雑多と申し上げたいと思います。
  35. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 言えないかもしれません。それならあとで書類で御報告願いたいと思います。それから市の吏員というのはどういう動機でやつたのですか。
  36. 保古正作

    保古参考人 これは火事の現場へ手伝いに行きまして——服部という雑貨屋と申しますか、衣類も売つている家なんですが、そこで洋服生地を盗んだり、石鹸屋にも入り石鹸を盗んでおります。金額の多かつたのはカク心という屋号の雑貨屋でありますが、男物の背広ほか四十九点、時価三万八千七百八十五円をとつております。その動機といいますのは、やはり火災の手伝いに行きまして、店にあつたものを抱えて家へ持つてつたという單純なものであります。
  37. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 これに関連して、子原一夫君から供述されますからお聞きとりを願いたいと思います。
  38. 子原一夫

    子原参考人 松阪第二小学校失火事件捜査がかなり手間どつたということについて、治安の面から法務委員会がかなり御心配を願つておるようであります。まことに国家の重責をになわれる職責にあられる人として敬意を表するわけでありますが、誤解を避けるために、その状況をひとつ御報告申し上げて、そこに何ら問題とするものがなかつたということを明らかにしたいと思います。保古君が先ほど捜査の第二日に丸山なる者が浮び上つた、こう申したのでありますが、それはそういう状態で浮び上つた者は多数あるのであります。いろいろ挙動の不審な人間が多数ある。そうして人相などから割出して尼ヶ崎まで捜査行つておる事実もあるのであります。それはふろに飛び込んだという男一人を探すために尼ヶ崎まで捜査の手を伸ばした。それが松阪に来ておつたということは事実であり、人相もよく似ておるが、その男でないということがわかつた。そうこうしておるうちに、一月の十二日になつて丸山政雄というものの名前が割出されたのであります。こういう挙動不審者があつたということは、当初からわかつてつたけれども、丸山政雄がその人間に当るということの割出しは一月十二日になつてようやく出て来ておつた。しかしながらその第二小学校火災におきましても、丸山政雄という挙動不審者のみを追うておつたのではないのであります。いろいろ市民の間に起る声、その声を一つ一つ取上げて、その真偽を確かめるという行き方、これは服部警部が説明した通りの行き方を合せて行つてつた。そうして放火にしろ失火にしろ、一つの人間を犯人だときめて起訴する以上、他に犯人がないという事実、他に失火原因がないという事実まで確認してやりたい。またやらなければならぬというのは、検察官である私どもの立場であります。特に失火におきましては、失火犯人がはつきりその事実を認識していないという状況がある。それはいつの場合でも——認識しておれば放火になるわけであります。認識していないという困難な事実がある。その困難な事実を裁判でもつて有罪まで確信づけるためには、他に失火原因は全然ないんだという捜査もせなければならぬ。ですから丸山が上つてからも、またなお今日においても松阪市警は——やつてくれておると思うのですが、私は引続き捜査を依頼している。これは犯人に疑いを持つからという意味でなくて、捜査の万全を期する、あくまでも正しい立場を守つて行きたいということだけであります。捜査松阪市警あるいはこれに協力した国警、われわれの間に何ら間然するところもなく、また怠慢の事実はない。これはやはりあの松阪という特異な雰囲気のもとに行われた事件というものが、あまりにも世間に大きく取上げられたために、捜査は余分の捜査までやらなければならない。これは治安が悪いからだということにもなりますが、そういう事情があつたのでありますから、松阪市警は決して怠慢でなかつたということを検察庁として承認しております。
  39. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 私は長くなりますから、もう一、二点で終りますが、最後に、この治安が悪い事態にあるということは子原検事もお認めになりましたし、ほかの人もみな治安関係が悪かつたということをお認めくださつておるようでありますから、その点は省きますが、この火事がかくも大火になつた原因をどういうようにお考えになりましようか。これは保古さんと服部さんからお願いいたします。結論をどういうように出しておられますか。
  40. 保古正作

    保古参考人 お答え申し上げます。学校火事と申しまするものは、もう御承知の通りだと思いまするが、学校火事となりますると、一角が燃え上りますると、学校校舎、建物と申しますものは、屋根裏は煙突のように妨害物がないのであります。それに三十間も五十間もあるところ校舎は、一箇所の天井が燃え上れば、その屋根裏は煙突のような作用をいたしまして、一瞬にして、ほんとうに一瞬にして一棟は火の海になるのであります。そういうような原因で、私は長らくこういう捜査の面に当つておりますが、学校火災が起れば必ず大火になつております。いわゆる火元がそういうところでありまして、火事になつたところが、火は屋根をおおうて大きなところの建物が一瞬にして火がまわるという原因一つありまするし、また当日は私の説明申し上げましたように、湿度が非常に低くなつておりまして、非常に風も強く、火災の警報が発せられておりまして、サイレンを鳴らして火災警報を出して松阪市民火事の注意をするように消防本部の方で処置をとられたような日でありまして、非常に火事が起るにつきましては、いわゆる大火になるところの條件を備えておつたのであります。加えて松阪は今水道の工事中でありまして、非常に水利の便の悪いところの町であります。御承知のように市内を流れているところの川は、ただ一本の常時消防ポンプを備えて水をあげるような川が流れておるだけ、他の川はほとんどどぶ川にひとしく、水はないのであります。そういうような関係で、水利の便ももちろん悪かつたのでありまするが、何よりも大火に持つて行つたといいますのは、火災原因の起つたところの場所が学校というところの大きな建物であるということ、その建物は私説明申し上げましたように、個人の家のように土壁をもつて防火壁のあるような建物なら大火にならずとも済んだのではなかろうかと考えまするが、学校の建物は不幸にして天井裏はあけつ放しであります関係上、一ぺんどこか天井を抜いて天井裏に火が上れば、その一棟というものは完全に火の海になるのであります。とうてい消防の一台や二台かけつけましても消すことはできないというような経験を今持つております。
  41. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 服部さんも同じことですか。
  42. 服部正一

    服部参考人 同じです。
  43. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 そういうように原因をお認めくださつているようですが、今ずつとお聞きをいたしておりますと、窃盗事件、そうして掠奪のようなことが行われておる。しかも件数にするとたいへんな件数が上つておる。そして先ほどの保古さん、服部さんの説明を聞いておると傍観しながら失火にしており……。(「証人に掠奪が行われたと証言した人があるかい。証人に対する不見識じやないか」と呼ぶ者あり)委員長、ちよつと雑音を整理してください。
  44. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 進行を願います。
  45. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 それでそういうところもあります。また協力をせずに火災を見ておつた人があるというようなデマも飛ぶ。こういうような点から考えますと、市民が、またその公の立場に立つ人が窃盗しているというようなことを考えますと、市民がまた公の人たちが、この火災鎮火に非協力的であつた治安関係が軌道に乗つてなかつたというようなことが、私たちとしてはうかがわれるのでありますが、この点はいかように考えられますか。
  46. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 簡單に保古君から供述をお願いいたしたいと思います。
  47. 保古正作

    保古参考人 申し上げます。非常に火のまわりが早かつたので、右往左往して逃げ惑つたのが事実でありまして、大体消防並びに青年層の方は消火に協力してくれておつたので、松阪市民が非協力であつたということは認めておりません。何といいますか、火のまわりが非常に早く、飛び火、飛び火で火災が大きくなつて行きましたので、ああいう騒ぎになつたのであります。
  48. 山手滿男

    山手委員  私は法務委員ではなかつたのでありますが、三重県の松阪事件について法務委員会参考人を多数お呼びになつて糾明をされるというお話でございますので、私本日臨時にかわつて実はお聞きしておつたのでありまするが、今田嶋委員からいろいろ質疑がありました。私地元でいろいろなことを聞いておりましたし、見ておりましたことと、相当考えさせられる議論がかわされておりますので、一言なかるべからずで申し上げる次第でありますが、今お話がありましたように、私はこの松阪大火の与えた社会的な影響は非常なものであつた。相当に混乱を地方に与えたことも事実であつたと私は考えております。難事件を私は警察当局がよくよく糾明をされて、今お話のありました真実発見をされたことについて、私は、地方民は一様に感激をしておると思つております。しかし不幸なことに、今田嶋委員から関係してお話がありましたが、一回、二回と火災が起きたあの当時、相当デマの電話がかかつて来たり、盗難事件が起きたり、あるいは協力、非協力というような議論が闘わされたりして、どうかと思われるような社会不安的な問題が、むしろ非常に大きな重要な問題に私はなつたのではなかろうか、かように考えます。この国会が、あるいは法務委員会が、この松阪大火の問題を重視して、参考人からお話をお聞きになることについでは、私は大体真実はもう発見されておりまするので、そういう虚偽の電話をかけたとか、火が出てもおらないところに方々に火が出たとか、さつきもお話がありましたが、あそこが焼けておるとかいうふうな電話が頻々としてかかつたという事実、私は松阪とは違つて四日市市におるのでありますが、先般正月であつたと思いますが、四日市市においても火災が起きました。少さなぼやでありますが、火災が起きました前後に、とんでもないところから火が出ているという電話をかけて、市民が動揺したという事実があります。こういうことも考えて、そういう電話をかけたり何かしたというふうな社会不安を醸成さすような雰囲気をつくる、そういう事態というものを私はむしろ糾明をしていただくことが必要じやなかろうかと考えるのであります。さつきお話がありました保古さんから一言だけ、とんでもない方から火事が起きておるとか、あるいは放火の用意がされておるとかいう流言が飛ばされた、そのことについて何かお気づきなり、参考になることがあれば、お伺いしたいと思います。
  49. 保古正作

    保古参考人 御回答申し上げます。電話でもちまして、デマの根源となるべきところのものを消防の本部の方へやつて来たことにつきまして、電話の交換所へ行きまして、その電話のかかつて来たところを追究して調べてみたのであります。そうしましたが、鎌中が火事であるというところデマ消防本部へ電話をかけたというのにつきまして調べたところ、これは松阪市黒田町の雑貨商の伊藤幸太郎の奥さんの伊藤あや子というものが、十七日の午後九時ころ自分の家の前を鎌中の方が焼けておるというような話をして人が通つて行つたので、鎌中が火事じやないですかというて、消防本部へ尋ねた、本人はこういうのであります。ところが同日当直をしておりましたところの野川という消防士がそれを聞いて、間違つたといいますか、何といいますか、鎌中が火事だというようにとつたのだというように聞いております。ところが前後しまして、その時間はほとんど同時刻ころ松阪駅前の公衆電話をもちまして、新座町の交換局のそばが燃えておるから、すぐ来てくれという電話がかかつて来たのであります。これも野川清次郎という消防士が受けております。二つの電話をほとんど同時に受けたので、相前後して受けたところの野川君が、新座町の交換局のそばが燃えているからすぐ来てくれという電話を聞いてから後、火災警報を、いわゆるサイレンを鳴らしたのであります。それがために市民が動揺したということになつております。事実調べましたのが、その通りであります。そのほかにも市内のあちこちに鎌中が火事だ、新座町が火事だということを言つておるのでありまして、このデマがどうして広がつて行つたものか、私はよう想像できませんくらいの速度で、松阪市内に広がつたのであります。事実は今御説明申し上げました通り、伊藤あや子というものが、鎌中が火事じやないですかと尋ねたのが一件と、松阪の駅前の公衆電話から新座町の交換局のそばが燃えておるからすぐ来てくれという電話がかかつたのがもとであります。
  50. 加藤充

    加藤(充)委員 先ほど保古さんから被害の数字的な御説明がありましたが、あの点は間違いないですか。
  51. 保古正作

    保古参考人 火事の方は大体消防署並びに市役所を調査して来ましたので、間違いございません。
  52. 加藤充

    加藤(充)委員 お尋ねするのですが、委員長の先ほどの御説明には焼失家屋が八百戸、傷害、被害人数が三千五百人、こういうようなことがありますが、今保古さんの御説明によると、五百十五戸、被害の人数は二千三百人ということになるのですが、委員会で何か委員長の御発言になるときに、それだけの数字の手違いを御発言になる基礎は何かお持ちでしようか、あれば私はその根拠に基いて先ほどの参考人の供述をさらに追究しなければならなくなるのでありますが、いかがなものでしようか。
  53. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 委員長としてお答えしますが、その点は法務府の報告に基いて一応申し上げた次第です。
  54. 加藤充

    加藤(充)委員 法務府の一応の数字であつて、やはり地元のお取調べに当つた職責のある方の報告が中心になるのだと思います。その点は了解いたしましたが、どうも必要以上に過大な報告の受取り方を中央がなされて、その余波が法務委員会にも響いておつたということになれば、今後の法務委員会活動の上にも、いわば慎重を期さなければならないものを、この事件ではつきりと指摘されたような気がいたします。今後の善処方を要望する次第ですが、お尋ねをいたします。どなたでもけつこうです。これは服部さんでも、懐古さんでもよろしいと思いますが、引続いて第三、第四と、学校類似の建物に積極的な放火事件というものが松阪周辺、松阪を中心にして起きたでしようか。
  55. 保古正作

    保古参考人 御回答申し上げます。ただいまの御質疑の前に前の戸数の間違いということを御議論がございましたので申し上げます。市の調査並びに警察の調査で戸数の焼けましたのは、私説明いたしましたように、五百十五戸、これは間違いございません。ところが世帯主は八百七十四世帯ということになつております。戸数と世帯主の間違いで疑義が起つたのだろうと思います。これは二つとも市役所の調査でございまして、間違いはございません。  それから、引続火災が起つたかどうかというお尋ねでございますが、それにつきましても簡單に報告させていただきます。その後、学校事件のような火災は、松阪市並びにその周辺では起つておりません。ただ小さい火事が、ひんぴんというほどでもありませんが、小さい火災が起つておるのでありまするが、これはいずれも失火なりということで、私の方にほとんどの者が検挙を見ております。
  56. 加藤充

    加藤(充)委員 私はまた苦言的なものを呈せざるを得ないのですが、この松阪大火事件を当法務委員会で取上げるに至りましたときに、責任のある発言をなすつた方がおつたのであります。それは二人おります。一人は借地借家の罹災地適用を松阪市に及ぼすというときの提案理由の説明の中にあつた。それからもう一つは、田嶋君だつたと思うのですが、当面この問題を法務委員会で取上げるべきだという発言の中にありますが、第三番目にも、あの町には学校放火が起きておるというようなことを、確かな報告によつてわれわれは調査して知つておるというようなことを言つたのでありまするが、こういうことは、いたずらに一人の考え方が治安を妨害することになり、地元の人たちに……。
  57. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 加藤君。質問をやつてください。
  58. 加藤充

    加藤(充)委員 私は第三次、第四次と学校放火事件がなかつたということを聞いて、実は安心をして胸をなでおろした一人でありますが、何か第二次、第三次、第四次と続いて学校放火があつたがごとくうわさされておりましたが、その点ははつきりいたしました。  それでお尋ねいたします。これは子原君に聞いた方がいいと思うのですが、先ほどから大分問題になりましたが、これは委員長からもわずかに検挙二人という発言があつたと思います。ですが、検挙ないしは取調べを受けた全体の総量的な人数は、事件別にあげていただかなくともけつこうですが、第一、第二の大火の問題で、何人くらいおありでしようか。
  59. 子原一夫

    子原参考人 それは被疑者としてですか、参考人としてですか。
  60. 加藤充

    加藤(充)委員 区別しなくてけつこうです。
  61. 子原一夫

    子原参考人 検事が調べた被疑者はありません。
  62. 加藤充

    加藤(充)委員 警察の人数は御存じありませんか。
  63. 子原一夫

    子原参考人 はつきりいたしません。
  64. 加藤充

    加藤(充)委員 それでは、警察の方にその点の御答弁を願いたいと思います。
  65. 保古正作

    保古参考人 お答え申し上げます。被疑者として調べました者は、丸山と早川の二人でありまして、被疑者として警察に来て調べたという者はございませんが、参考人として調べたのはたくさんございました。北高校の場合でも、寄宿舎におつた生徒全部、それから学校の先生全部当りました。数は千人を越えておると思います。
  66. 加藤充

    加藤(充)委員 慎重に犯人の検挙をされることのために万全を期されて、疑いのあつた者をほとんど全部、学校の寄宿舎の生徒全部というようなおはからいをすることを私はここで問題にいたしませんが、先ほど、調べもしないで、ただ働きにたくさんの人間と金を使つたということがあつたのではないかという疑いも、これで私は一応晴れたような気がいたします。  それから最後に、これは子原さんにお尋ねいたします。一点だけですが、私が重要だと受取つた御発言があつたと思うのです。それは北高校の放火被疑者あるいは被告人として問題になつております早瀬田君ですか、この方が一月のある日に、自分の取調べに対して否認をした。ところがそれには否認をするだけの動機か理由があつたというように私は聞きとつた御発言があつたと思うのですが、その点おさしつかえなければ、否認をした理由があるというならば、その点をひとつお漏らし願いたいと思います。
  67. 子原一夫

    子原参考人 それは、正月でもちを焼いて食べている収容された子供が、何人か同じ寮に入つてつた。それで、放火犯人として処罰を受けるようになると、一生社会に出られない。こういうことを連中から聞かされた。にわかに母親などのことを考えるに至つて否認をしたと後に至つて考えております。そういう事実があるようです。
  68. 加藤充

    加藤(充)委員 けつこうです。私はこれで終ります。
  69. 山口好一

    ○山口(好)委員 先ほどからのお答えによりますと、松阪市においてこの大火が生じ、いろいろなデマが飛ばされ、あるいは検挙につきましてもいろいろ苦心をされたようでありますが、それは結局治安関係が悪かつたからだということも一つ原因をなしておるというようなお答えがあつたようでありますが、治安が悪いということはどういうことを意味しますか。結局思想的にあまり芳ばしくない都市であるとか、あるいは犯罪が多いとか、それに対処すべきこれを取締るいろいろな人なり機関なりにおいて不足をしておつたというような状況を言うのでありますか。その内容をひとつ御説明を願いたいと思います。
  70. 子原一夫

    子原参考人 治安関係が悪いというのは、一般刑法犯において悪いという意味ではなく、あそこで十月二十三日から四日にかけての松阪職業安定所の不法占拠事件があつた。その前後自由労働者の多数あるいは一部が、いろいろ各対象の官庁に向かつて要求を掲げる場合に、今までわれわれが考えておつた普通の儀礼と言いますか、作法と言いますか、そういうものを逸脱した者があるという事実を市民がまのあたりに見ておる。それがあの戦災を受けなかつた松阪市民、そして初めてああいう大きな火災を受けたあの周章狼狽、その二つが陰となり陽となつて一つの不安をかもし出した。ですから治安情勢が悪いというのは、労働攻勢と言いますか、自由労務者の力が県下において最も強いところであるというようなことに関係があると思うのです。
  71. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 先ほど加藤君の質問に対しまして、保古さんでしたか、その後の火災状況をちよつと簡単に述べたようでありますが、私の取調べによりますと、一月四日に松阪市鎌田町高橋金吾方で小さい火事があつた。これが放火の疑いで現在なお検挙されておる。二月の六日に平尾町松阪倉庫から火災が出た。これはおそらく失火だろう。二月の四日に電気商会から発火して家屋三棟、世帯十戸が焼けた。これは失火だ。こういうようなことが判明いたしておりますが、この事実はいかがなのでありましようか。
  72. 保古正作

    保古参考人 一月四日に起りました火事は、これは高橋金吾、松阪市笹川町……。
  73. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 その通りならその通りと簡單に……。
  74. 保古正作

    保古参考人 その通りでございます。
  75. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 この程度で休憩いたしまして、午後一時半から続行いたします。     午後零時四十一分休憩      ————◇—————     午後一時五十九分開議
  76. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 休憩前に引続いて会議を開きます。  引続き松阪市における大火事件について、参考人より意見を聴取いたします。松阪消防平木粂治郎君、松阪公安委員会委員長阿阪久雄君、松阪市議会議長竹岡政助君、部落解委員会書記長上田音市君、以上四君にこれからお願いをいたします。  平木粂治郎君には、消防の立場から松阪市の大火事件概況をあらかじめ御説明を願い、また阿坂久雄君には、今回の大火事件により松阪地方に流言が横行し、人心不安に陥つたということであるが、その流言がどんな状況のもとに、どの程度に行われたか、これをあらかじめ御説明を願いたいと思います。次に竹岡君には、松阪市の市会として、この大火事件に対していかなる質疑、決議が行われたか、また市会議員は何名ぐらいで、その政党別はどうなつておるかという点についても、あらかじめ御説明を願いたいのであります。最後の上田音市君には、部落解委員会はどんな仕事をするのか、また本件大火事件委員会としていかように関与されたことがあるか、その点のあらかじめの御説明を願いたいのであります。まず平木粂治郎君からお願いをいたします。
  77. 平木粂治郎

    ○平木参考人 それでは、ただいま松阪大火概況を報告せよとのことでありますから、これに対して説明をさせていただきます。  去る年の十二月十六日、松阪市湊町における第二小学校から火災を発生いたしまして、まことに時あたかも強風下にありまして大事に至り、皆様を非常にお騒がせいたしたことをおわび申し上げる次第であります。  当日は、すでに湿度は四六%に達しておつたわけであります。風速も七メートルを突破いたしておりました関係上、午前九時五分に火災警報を発令したのでございます。その後夜になりましても、なおこの風がおさまりませんので、私ども全市に向つて火の用心をしてくださいという警告を発しておつたのでございます。私ども当日は相当おそくまで、大体私は八時ごろまで本部におつたわけなのでございます。なお私ども本部におきましては、消防員は私以下三十三名でございます。消防団員は三百十二名、本部におきましては普通自動車ポンプ二台と、タンク車一台とを用意しておるのでございます。消防団におきましては、自動車ポンプが七台、ガソリン・ポンプが三台、オート三輪が一台、腕用ポンプを四台用意いたしておるのでございます。従つて当日は消防本部の勤務者以外に、非番員を一個班招集いたしまして警戒に当つてつたような次第でありましたが、十時三十分ごろ、これは先ほど警察の方から申し上げられました時間に多少ずれがあるわけなのでございますが、この点を御了承願いたいと存じます。十時三十分ごろ発火いたしたものと推定をいたします。私ども本部の望楼におきまして、一応火災であるのじやないかということの報告があつたわけなのでございます。これが十時三十九分ごろでございます。ちようどその学校方面には松の湯というふろ屋がありまして、そのふろ屋の煙突からときどき火の粉を発しますので、これまたそれでないかと、かように躊躇をいたしたのでございましたが、付近が非常に赤くなつて参りました関係上、火事なることを認めまして、本部第一線車は四十二分に出動をいたしまして、四十五分には着をいたしておるのでございます。なおそれと同時にサイレンを鳴らしまして、各分団に警報を発したような次第でございます。さつそくかけつけましたところ、すでに校舎の講堂、職員室、宿直室、小使室、あとに校舎が三棟あるのでございますが、すでにこの三棟が半分くらいまでは火の海になつてつたわけなのでございます。もつともこのところには、最初発火いたしました場所は、ちようど講堂の横のところに四間に二間の物置が付着しておりまして、この物置には学校の立木がたくさんありましたがため、学校の児童が勉強するのに暗くて非常に悪かつたがために、それを伐採をいたしましたしばが、大体五十把ぐらい積んであつたわけなのでございます。もつともこれはトタンぶきでありまして、そこに、相当大きな東でありましたので、大体四束をまつすぐにしてみますと五尺ぐらい、それが四間の間にずらりと並んであつたということなのでございます。従つてこれに火が燃え移つた関係上、見る見るうちに全校舎に延焼したわけなのでございます。すでに風速は、瞬間風速十二メートルを突破いたしておりました関係上、全校舎に火が移つたわけなのでございます。その校舎は五間に六十五間のものが二本、二階建の校舎であり、三十間に三間の校舎が一棟あつたわけなのでございます。これが西北に向つて立並んでおりました関係上、ちようど煙突のような状態になりまして、十二メートルの風にあおられました関係上、非常に火は猛烈をきわめたわけなのでございますが、その校舎の裏には、ちようど、湊町内の平生町と申しておりますが、そこには酒倉があり、しようゆの倉もあつたわけなのでございます。これがごく接近をいたしておりました関係上、これにまず延焼をいたしたようなわけなのでございます。水利につきましては、ちようどその学校の裏に愛宕川という細い川が一本あるだけでございまして、それには水が非常に少いので、運動場に側面暗渠をこしらえまして、そこに相当量の水が貯水されておるわけなのでございます。そのほかの貯水池と申しますると、それより約四百メートルぐらい離れたところに愛宕町の天神さんというものがあるのでございます。ここに三百石の貯水池があるのと、それから風上の方に裁判所があるわけでございますが、この裁判所にも三百石の貯水池がありますが、これとても、発火地点から考えますと、大体二町半ぐらいあるのでございます。そうした非常に水利の不便な箇所でもありますのと、十二メートルの風に追われました関係上、私どももすでに到着いたしまして十分敢闘はいたしたわけなのでございますが、すでにその裏の長月町に延焼いたしました結果、すでに私どもの力では及ばないというので、警察電話をお願いたしまして、さつそく津市、山田市管内の自動車ポンプを持つておるところ応援をお願いしたわけなのであります。われわれが到着して放水いたしましたのが、四十五分でありますが、その後二十分の後には長月町に延焼いたしましたような次第でございます。その裏の平生町の酒蔵には十分後には延焼したというような次第でございまして、私ども本部のポンプは、すでに四十五分には第一線車、第二線車を放水しております。第三線車は一分遅れて放水をいたしております。その他、一分団、二分団、四分団は平生町裏側の愛宕川を利用いたしまして放水をいたしたのでございまするが、これがなかなか三台のポンプがかからなかつたわけなのでございます。従つて、三分団は天神さんの境内の貯水池にまわしたわけなのでございますが、すでにわれわれの力及ばなかつたのでございます。そうしておりますうちに、その後十一時四十分には、それから約二町も隔てましたところの武蔵野という大きな料理旅館の宅へ飛び火いたしまして、三分団のポンプでもつて飛び火警戒に当つてつたのでありますが、すでに愛宕町全体は火の粉の海というようなぐあいになつてつたわけなのであります。そのお向いの公安委員長さんのお宅も、すでに飛び火でもつて焼けてしまつた。愛宕さんの前のところまですでに延焼してしまつたというようなわけで、やむなく私ども転遷をしなければならぬというような状況になつたのであります。この地区は平素から非常に水利の悪いところでありますがために、私ども頭痛の種となつてつたところでございますので、二十六年度に起債をもつて貯水池をこしらえたくお願いしたのでございますが、不幸にしてその起債がいただけなかつた関係上、貯水池を設置することができなかつたのでございます。すでに松阪市では第一次水道が敷設されたのでございまするが、これも殿町付近でございまして、まだ愛宕町の方には通つておらなかつた関係上、非常に水利が悪いという結果で、いよいよ転遷しなければならないというので、愛宕さんから大体五町隔たりました、ずつと風下に当るところに、名古須川という細い川があるのでございますが、これに対して転遷をいたしまして、自動車ポンプを三台中継いたしまして、ようやくタンク車から水が二本より出ないというような状況であつたのでございます。このときには山田市、津市方面の自動車ポンプの応援も得ましたので、この名古須川を利用いたしまして、三台をもつて放水をしたわけなのでございます。なお津市からの応援は、それからちよつと風上の丸信ビル——と申しますると、大体これより五町あるかと思いますが、そこまで水道が来ておりましたので、それからポンプ三台をもつて現場に放水してもらつたというわけなのでございます。当日は非常に風が強かつたので、私どもの平素考えておりまするよりは大きなものであつたということと、水がなかつたということによりまして、ああした大きな火災をしでかしたということになるのでございます。私どもは、平素最小限度の機械をもつて最高の力を発揮したい、かように思つてつたのでございます。過去におきましては、おそらくこうしたことはないのでございます。私も消防に携わることすでに二十七年になるわけなのでございまして、相当の火事にもあつておるのでありますが、まず民家であれば壁もあります、また完全なる塀もあります。土蔵もあります関係上、この防火壁を利用いたしまして、いかなる火事でも最小限度に治めておるわけであります。最近に起りました火災は、二月の五日に起つたのでございます。これもちようど火災の発生いたしましたときには、瞬間風速十メートルを突破いたしておりまして、これは新町でありますために、商店街であつて非常に目抜きの場所でありますが、一時心配をいたしたのでございますが、何分にもこれは民家でありまして、今申し上げました通り土蔵、土塀というようなもので囲まれておりました関係上、最小限度に、出火の家とその他類焼四軒でとまつたわけでございます。なるほど罹災者は多いわけで、福西という家には十二世帯おつたわけであります。これは元旅館でございます。その旅館の八畳の間一つ、六畳の間一つというようなところに十二世帯おつたわけで、罹災者は非常に多い勘定になつておりますけれども、完全に焼けたのはこれなんです。こういうふうに私ども常にやつておるのでございますけれども、学校という大きな対象物、しかもその対象物が、北西風にあおられると同時に、ちようどその校舎北西に建つてつた。それでまるきり一瞬にして火になつてしまつた。われわれがこれに対抗する態勢を整えるより火の方が早かつた。それに対する完全な水がなかつたというために、私どもの威力が完全に全うでき得なかつたことを残念に思つておる次第でございます。  次にそのあくる日の殿町における北高等学校失火でございます。ちようど前日の火災が午前の四時三十分ごろに鎮火をいたしますとともに、あとの残火整理に私ども懸命になつてつたのでございますが、全消防車が出動いたしまして、あちらにもこちらにも残火整理にかかつておりまするときに、ホースもまだあちらに二本、こちらに二本というふうなぐあいに分散いたしまして、きりきり舞いをして残火整理をしておるときに、午後五時三十分ごろ失火があつたのでございます。私ども火を発見するや、さつそく現場にかけつけたわけなのでございます。すでに一台だけは本部の方へ引上げまして、あとの態勢を整えておつたわけでありますが、ほとんどはこちらにおつたわけであります。従つて現場へ出かけるときにも、ホースを一度整理しなければならないというような点、また前日の大火のために、非常にホースが破損し、中には機械も一台破損したというような結果、時刻が少し遅れたわけなのでございまするが、さつそくかけつけまして、放水したような次第でございます。しかし殿町の北高はちようど北公園の下にありまして、水道が通つておりましても、その水道から近いところでも大体百メートル、遠いところが三百メートルというようなわけでございまして、非常に広大な学校地域でありましたがために、これにも相当困難をいたしまして、当日もなお津、山田から応援願つたというような次第でありまして、これは夜の九時半ごろに鎮火いたしたような次第でございます。大体におきまして以上のような次第でございます。  その後私どもは、こうしたことが二度とないようにというので、ホースの修理、機械の修理を急ぎまして、ようやくにいたしまして元々通りに回復をいたしました。今後はいかなる火災といえども善処したい、かように思つておるのでございます。なお本年度におきましては、今後といえどもああした大きなものがあるものと思い、なお松阪市は水道が現在できましたといえども、国家消防庁の調査によりますると、全国での水利関係はゼロだ、こういうのでございます。大体八位くらいに考えておるような報告が参つております。従つて本年度はぜひ起債をいただいて、普通車を三台と、なお鉄骨製望楼庁舎もこしらえ、その他貯水槽も、水道ができても、なお五十ぐらいは市内にほしいというような考え方から、お願いをいたしたような次第でございます。  大体概略を申し上げた次第でございます。
  78. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 次に松阪公安委員会委員長の阿阪久雄君にお願いいたします。
  79. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 私に求められました事項は、大火事件によつて流言があり、人心が非常に不安になつた、その状況及び程度はどうかというようなお尋ねだろうと思いますが、私の見るところによりますと、第二学校から出火して大火になつたのでありまするが、この火事だけならば、流言もなければ、不安もなかつたろうと思つているのでございます。私も罹災者の一人でございますが、その翌晩に北高が焼けた。前晩の大火に脅えた市民が、北高の火事のときも、前晩に比較いたしますと風速は衰えておりましたが、非常に遠くまで火の粉が飛んでおります。それで前晩の大火に脅えて周章狼狽して家財を運び出した。その北高の火事がやや鎮火程度に達したときに、またサイレンが鳴つて火災警報が出た。それは鎌田中学と新座町に火事があつた、こういう情報市民の耳に入つた。そこで市民は、これはただ事じやない。こう日を接し、また一夜のうちにこうした火事が起るということは普通じやないというので、非常に脅えた。こういうのが市民に不安を生じた原因であると思うのであります。松阪市は従来火事というほどの火事はなかつたのでありまして、六十年前に現在の火災以上の大火事があつたのでありまするが、それ以来ほとんど火事らしい火事はない。今回の火事が非常に大きかつたために、その被害を見て市民は非常に恐怖を感じた。そこにその翌晩の火事デマ、サイレンによつて脅えてしまつた。そこでどういう流言が流れたかということでありまするが、これといつて私は耳にいたしておりません。ただ市民が話し合つているところ等から総合いたしますと、松阪大火以前に、三重県だけではありませんが、新聞によりますと、各所で学校火災が起つておる。その原因がはつきりしない。そこに松阪市の大火の発生地がやはり学校である。またその翌晩に北高に火事が起つた。これは何らか学校がねらわれているのではないかといつたような、根拠のない不安によつて市民が脅えてしまつたということになろうと思います。しかしてどれほど市民が脅えたかという状況でありまするが、これは北高の大火の風下のものは、大体その晩に家財を出し、遠方へ疎開をしたものはそのままにしておく。それから学校近くのものは、疎開の弔意をする、あるいは中には疎開したものもありましよう、その他の町では夜警をやる、こういつた程度人心不安でありまして、私の見るところでは、それほど恐怖心におびえているというのは見なかつたのであります。しかし公安委員会といたしましても、警察といたしましても、市民の不安を一掃することが急務であるというので、広報車その他によつて市民に、流言にまどわされるな、これ以上火災は起らないのだ、安心せよというふうな意味の通知を出しまして、市民人心の不安をしずめる措置をとつたのであります。私も罹災しましたが、その避難先から警察へ参りまして、その警察の活動状況を聞いておつたのでありますが、漸次市民の不安は薄らいで来まして、北高の犯人があがる前にはもうほとんど市民の不安はなくなつていたと私は思つております。  簡單でありますが、この程度で終ります。
  80. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 次に松阪市市会議長竹岡政助君にお願いいたします。
  81. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 私に発言の機会を与えられました件は、松阪市の今回の大火について、いかに市会の方では、処置したか、また市会の中の政党関係はどうかというお尋ねのように思います。一言述べさせていただきます。  過日の大火に際しましては、いろいろと世間様に御心配を煩わし、かついろいろと同情をいただきましたことを衷心より感謝をしておる次第であります。御承知の通り、風速が非常に強いために大火災を見まして、市会といたしましては、急速に対策をいたさねばならぬという見地から、緊急対策本部を市役所に設けまして、本部長に市長、副部長に助役、収入役、そうして総務部、救護部、公安部、衛生部、消防部、経済部、調査部、施設部の八部門を設けて救助に万全を期したわけであります。そのあくる日の十七日の午前六時に急施市会を招集いたしまして、災害対策を協議いたしたのでありますが、その結果といたしましては専門的に活動せなければならぬということで、救援対策委員会、住宅復興対策委員会、金融対策委員会、こうした委員会を設けまして、委員が一生懸命に活動をいたしたのでございます。その後に至りまして、東京へ参つて各官庁を訪問してお願いをいたしまして多大の御理解と御援助を賜りました。おいおいと計画通りに復興をいたしております。  ただいまの復興の状況を簡單に申し上げますと、住宅復興につきましては、公営住宅が七十五戸、引揚者住宅が十二戸、仮設住宅が三十五戸建築をして罹災者の収容に充てております。なお住宅金融公庫による住宅百七戸の割当をいただきまして、ただいまその線に沿うて復興に努力をいたしております。なお個人でおやりになりまする住宅も二月八日現在を見ますると、六十二戸の建設を申し出ておりまして、罹災者は非常に力を入れて復興に邁進しております。  なお市会の分野は、別に取立てて何党であるかということはわが松阪といたしましてはないのでございます。ただ無所属が二十五名、民主団体として五名、いずれも円満に地方の発展のために協力を願つておる次第であります。  はなはだ簡單でありますけれども、一言申し上げてお尋ねの点がありましたならば、また答弁させていただきます。
  82. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 次に部落解委員会書記長上田音市君にお願いいたします。
  83. 上田音市

    ○上田参考人 委員長の方から解放委員会の目的について一応前提として話してもらいたいという要請がありましたので、概要この目的を御報告したいと思います。  御承知のように徳川の封建制度を維持するために、階級政策の犠牲者として当時身分的に厳密に、区分されまして、その当時、部落の先祖というものはまつたく想像もつかぬ搾取と圧政に悩まされて来たのであります。しかしその身分関係が今もなお資本主義社会制度に持ち越されまして、今日も各府県におきまして基本的人権を蹂躙いたし、しかも憲法十四條に違反するような事象が各地に頻発しております。この事実を見たときに、われわれは日本の民主主義国家社会再建のために挺身する日本のあらゆる民主制度及び民主主義諸団体と共同戰線を張りまして、日本の封建的な縮図であるところの部落問題を徹底的に解決せざる限りにおきましては、日本の民主主義の再建は絶対あり得ないという目標のもとに部落解放運動の旗を進めておる次第であります。  なお部落解委員会は一体具体的にどんな仕事をするかということも委員長から説明してもらいたい、こういうお話がありましたが、たとえば今問題になつておりますところ松阪大火事件におきましても、部落解委員会罹災者救援協議会というものが提唱されると同時に、さつそく参加いたしまして、救援活動に対しましては第一線を切つて今その活動に従事しておる次第であります。従いまして松阪大火事件をもう少し具体的に私から申し述べさしてもらいたいと思うのであります。田嶋代議士が委員会におきまして、また新聞の談話を見ますと、大火の前日である十四、五日ごろから松阪市内に大きな火事が始まるんだ、松阪は大半が焼野原になるのだという流言飛語が盛んに飛んでおつたということをはつきり言明されておりまするが、私、松阪に居住する一人といたしまして、今申し上げたところのそういう流言飛語というものは、かつて一回も私は聞いた覚えはありません。おそらく全松阪市民で、そうした流言に耳を傾けた者はいなかつたと思うのであります。十六日のことは、今いろいろ関係方面から報告されましたので私は省略いたしますが、私はさいぜん申し上げました通りに、松阪罹災者復興救援協議会の責任者であります。従いましてその当時の状況を二、三点だけここで申し述べさしていただきたいと思います。たとえば朝日新聞が十八日の朝刊にどういうようなことを取上げて報道したかというと、北高等学校の本田教官の談話といたしまして、こういうようなことを言つておる。某党員はかつて高等学校に来たことがない、一度も足を踏み入れたことがないにかかわらず、放火の数時間前に北校を訪問した。そういう事実から見ましても、某党員は非常にこの放火事件に関連性を持つのじやないかということを朝日新聞は報道いたしました。その某党員というのは、松阪鉄工所の労組の書記長をしておる脇地紀一郎君でありまして、私はさつそくその脇地君に会いましたところが、それは違う、私はあの当日、御承知のように民主主義団体はどの団体よりもいち早くこの大火で悩み苦しんでいる罹災者救護の第一線を切らなくてはならぬというので、松阪鉄工所が各民主主義諸団体に対して救援対策協議会というものを提唱しまして、まず最初に南高等学校の木村教官——木村教官は松阪市内の教員組合の委員長でありますから、まずそれにわたりをつけに行つたところが南校の木村さんは今北校へ何かの打合せに行つておられますから、北校行つてくださいというので、さつそく北校を訪問しましたところが、北校に木村さんはいらつしやらなくて、第一小学校の方に行つたというので、またそのあとを追つて行つて、そこで木村さんに会つて対策協議会に参加方をお願いしたのだ、こういう事実なのです。私もいろいろなデマを粉砕しその事実を裏づけるために、脇地君と私と他の民主団体の代表二名と木村先生に合いまして、その時間的なコースを全部調べましたところが、脇地君が申した通り、その通り事実なんであります。こういうような事実へそれからまた伊勢新聞の夕刊によりますると、こういうようなことも報道されました。ちようど放火があつたその日に、共産党員の三重自由労働組合の愼谷君の北校関係の弟さんが、校長先生から印鑑を預りまして、そして兄さんの愼谷君に預けたわけなんです。それで預つたところの愼谷君は、その翌日、ちようど北校の生徒が通りましたので、この印鑑は私の弟が預つて来たものであるが、これを校長先生に返してください、こう言つて、自分の事務所の前で愼谷君が高校の生徒に渡したわけなんです。それを何かこう愼谷君の弟と北校放火事件に関連があるように、やはり暴徒というか、共産党とその他いろいろの左翼団体と関係のあるようなことが新聞に初めて報道されましたので、そこで松阪全市の市民は非常に不安な状態に追い込まれたわけなんです。こういうような実例を一々あげますと、際限がありませんが、それはまた委員諸君の質問に答えて、私の実際知つておる範囲内においてお答えしたいと思いますが、それは省略させてもらいます。そういう意味におきまして、現在におきましては、御承知のように、市警察の警部、また服部国警の派遣隊長の申されましたごとく、もう犯人は事実警察的な立場からみれば、被疑者として第二校の出火北校放火学生、これはもう検挙してある、しかし私たちはそれがはたして真犯人であるかどうかということを断定することはできませんし、また私たちの立場からそういうことは許されませんが、一応警察的な処置としましては結末はついておる、そこで一応松阪の五万市民というものは安定線に入つて来たわけです。当時は盛んに新聞なり、あるいはまたラジオ等なり、あるいはまたあらゆる反動的な立場から、どんどん逆宣伝、デマ、流言飛語というものが飛ばされましたために、あの悩めるところのほんとうにお気の毒なるところ罹災者諸君は、目も当てられぬ惨憺たる恐怖観念に追い込まれ、その恐怖観念が松阪全市に彌漫したわけなんです。そうしているときに、誤りであるということ、また警察当局のいろいろの努力によりまして、一応その流言飛語というものは鎮静して行つた状態なんであります。ところ田嶋代議士が法務委員会という職責のもとに、松阪大火事件を視察に来られ、名古屋へお帰りになつて、それからずつと後日でありましたが、新聞談話に、あれは單なる失火事件ではない、丸山政雄という者は知能的に非常におくれた、どちらかというと八文というような少年だ、また北校のは十六才にならないところの、社会的な常識を持つておらない学生である、これは確かに思想的な背後関係があるというようなことが、新聞の談話に出ましたために、松阪市民は非常に不安な状態に追い込まれつつある、こういうことなんであります。私たちはこうした苦言を呈したくありませんが、国民の一人として申し上げたいことは、法務委員会というものは、まつたく全日本の治安を維持する最高責任者であり、また指導的な立場にいらつしやるこの法務委員諸君が、ただ松阪へぶらぶらとやつて来て、反対側の、あるいはちまたのデマをただ聞いたのみで、責任の地位にある人が高いところから国民に向つて新聞をつついて非常に無定見きわまることを放言されるに至つては、私たちは法務委員会そのものを非常に疑わざるを得ないのです。現在私たちが日本の国民として経験しましたことは、三鷹事件によらずまた松川事件によらず、この松阪事件と関連いたしまして、私たちは非常に政治的ないろいろの問題から政治的に謀略的に取上げられんとするように予感するのであります。私たちは松阪放火事件というものは、断じて思想関係もなし、またそうした背後関係もないということが言えます。その事実といたしましても、民主主義諸団体におきましては、どの団体よりも第一線を切つて救援活動に連日連夜不眠不休で活躍しておるというこの事実を見ましてもわかると思います。またあの大火の際にも傍観しておつたというようなデマも飛んでおりますけれども、断じてそうではありません。われわれ町内の方へどんどん延焼して来ましたときに、部落解委員会の民主的な青年が火中に飛んで行つてロープを燃え上るところの柱にくくりつけて、それをひつぱつて押し倒して延焼、類焼を食いとめたということを見ましても、部落解委員会なり、民主主義諸団体なり、共産党の関係諸君が、いかにこの大火罹災者に対して、救援活動を開始されておるかというこの事実をもつて、私は今回の松阪事件を、法務委員の冷静なる御判断で、ひとつ適当に打切つてもらいたいということを要望する次第でございます。
  84. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 ただいま上田君の御発言の中に、田嶋委員が、法務委員会として出張調査されたようなことを述べられたようでありますが、この点は事実無根であることを、委員長として明確にいたしておきます。  以上をもつて四君の供述は終了いたしました。これに対しての質疑を順次お許しいたします。田嶋好文君。
  85. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 順序を追うて質問いたしますが、私に対して身分関係というか、一番攻撃の矢が強かつたと思う。これは信念的にお答えになつたものでありましまうが、委員長からもただいま釈明がありましたので、その点は御了解願つたと思うのでありますが、質問の前に私は法務委員会を代表して、松阪行つたことはない、しかも私の談話は新聞で発表されておわかりのように、地元代議士からの申出によつて地元代議士はこう言つて来た、だから法務委員会調査することになるだろうとはつきり新聞に書いてある。これは責任を持ちます。しかしあなたの発言した範囲においては私は責任を持たないということを、はつきり申し上げておきます。なお法務委員会におきましては、決してうやむやな意味において私が発言したものではない。根拠も持ち、地元の要望も聞き、国家を代表してわれわれ法務委員会はやつていることをひとつ十分に御了解願つて今後御発言願いたい。誤解がありましたら、その誤解をお解き願いたい。一党一派にとらわれてこの委員会が開催されているものでないということをはつきり御了解願いたいのであります。  上田さんにちよつとお尋ねいたしますが、この火災治安が相当撹乱されておつた御様子は今承つた通りでありますが、いろいろデマが飛ぶと同時に、罹災者に対しまして一万円の罹災見舞金をよこせ、税金を全部免除せよ、その他相当な要求が市当局あたりに出されたようでございますが、この御様子を御存じでございましようか。
  86. 上田音市

    ○上田参考人 御承知のように罹災者は瞬間のうちに大火にあおられまして、五百十数戸というものは灰燼に帰しましたので、そのときの状況からいたしまして、ほとんど一物も持ち得ずして、まつたくはだかになつて罹災されたという点から考えまして、民主主義団体といたしましては罹災者救援協議会というものを通じまして、市当局に向つて罹災者限つて市税免除をしてもらいたいという要請をしましたことは事実でございます。御承知のように罹災者といえども生活能力を多少持つておる者と、また今日一応働かなければ生活でき得ない程度の者と、そうした罹災者のうちにも多少の能力関係段階がありますので、一番生活に困つて、一番今日のパンに飢えておるところ罹災者には、特別に何とか救援資金として市の方から援助してやつてもらいたいということを要請したことも事実であります。
  87. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 もう一つお尋ねいたしますが、その要求以外に壁新聞をもちまして、こういうようにすべきである。市が不誠意きわまる行動をとつておるというように、これは民主主義団体に聞いているのじやない。そういうようなことが行われたかにも聞いておるのでありますが、そういう事実を目撃したことがございましようか、どうでございましようか。
  88. 上田音市

    ○上田参考人 共産党も、南勢中央委員会からは刻々市民に知らせるために、また罹災者の要望をただ市会議員という、單なる市民を代表する市会というのでなしに、そうしたことを市民全体に知らしめるという意味におきまして、南勢中央委員会の壁新聞が要所要所に張られて報道されておつたことは事実であります。
  89. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 これに対しまして、これは市役所の議長さんにお尋ねいたしますが、市の方はどんな対策を講じ、この要求というものが正当であるか、相当にその背後にはむずかしい問題もひそまれるとお考えになつておりますか、伺いたいと思います。
  90. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 ただいま御質問のことにつきまして、私知つておる限りを答弁さしていただきます。いろいろと火災の際は、何分正月前を控えておりまして、商店側では年末と年始の販売のために、品物をたくさん仕入れてまるきり焼かれたうちもあります。また年末で正月を迎えるために非常にお困りの方はあることは事実であります。けれども市といたしましては、ただちに罹災者の方に一万円出せといわれても、これはよほど考えなければ出せないのであります。そうした予算はないのであります。けれども皆々様から見舞金やら義捐金をいただきまして、第一回から第四回までに見舞金として渡しております。第一回の分は十二月の十八日に一人当り八百円をお渡しいたしてあります。それから十二月二十一日に三百円ずつ支給いたしました。第三回目は五百円ずつ一月の八日に支給いたしました。第四回は一千円一月の二十五日に支給をいたしましたようなことでございます。
  91. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 そうした要求は相当罹災者に対して煽動的に行われたものでございましようか。ほんとうに罹災者を思う気持で行われておつたようにお見受けいたしましたのでしようか。そこらあたりを市会議長さんにお尋ねいたします。
  92. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 壁新聞にいろいろと書かれておりましたようですが、一向にいかなることが書いてあつたかということは、私は足をとめて読みはいたしません。ただ罹災者のために何とかして早く安定してもらわなければならぬという精神だけでございました。
  93. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 それを聞いているのじやない。壁新聞に出たこの要求というものは、相当罹災者に対して煽動的な立場に立つてそういう要求が行われたのか。それともまじめな気持で市と協力してやるという形において行われたのか、ここらあたりをお聞きしたい。
  94. 上田音市

    ○上田参考人 今田嶋委員さんからの御質問ですが、それは罹災者をほんとうに罹災の苦痛から救援するために、共産党の諸君は党の使命に基いて活動されたのだと私は思いますし、その壁新聞も見る人の立場によつて見解が相違して来るのじやないかと思います。反動的な、反対的な立場から見ればそれは煽動的に見えるし、またほんとうに公平な立場、ほんとうに罹災者の立場からながめてみれば、やはりこれは罹災者を救援しなければならぬというほんとうの誠実心から壁新聞に現われておるものだ。こういうふうにその立場立場の見解の相違から来るものであると思います。
  95. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 私上田さんの立場はよくわかります。今具体的に議長に聞いておるのであります。上田さんの見解それでよろしい。
  96. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 そういうふうにお尋ねになると、私は非常に困るのですが、しかしおそらく煽動ということは私は考えておりません。そうしたことはこれに限りません。御承知の通り壁新聞が出ました。出ましたけれども、それは今上田氏が言われた通り見様によつていろいろ違います。私といたしましては別段それを煽動的とは考えておりません
  97. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 そればもういいでしよう。  消防関係でお聞きいたします。これは私の担当じやなかつたのでございますが、おらなかつたものですから……。先ほどの平木さんの説明である程度全貌は明らかになりましたが、松阪に水がない。これは消火にとつては重大なる欠陥である。しかもいつ火災が起るかわからないということは、これは消防として常に対策を講じていなければならない。日本は太平洋戦争を行いまして、松阪は焼けんとして焼け残つたのでありますが、今回こういう事件を起した。こういうことを想像いたしますときに、まことに私たちはうかつしごくだというように考えられてしかたがありませんが、あなたとして火災に対しては万全な対策ができておつたものと今にして反省した場合、万全な対策ができておつたものと考えましようか。これは今後の問題もありますので、率直にひとつ反省した気持でお答えを願いたい。
  98. 平木粂治郎

    ○平木参考人 お答えを申し上げます。水利につきましては常に私ども心配をしておつたのでございます。従つてすでに貯水池を十八箇所、池を二箇所、合計二十箇所、なおその他どぶ川といえどもこれを利用することにして多年やつておるのであります。しかしながらこれでは少いから、一昨々年水道敷設のときにも、いろいろ非難があつたわけなのでありますが、私ども率先をして、貯水池ができないのなら水道を早く施設してくれということを嘆願いたしまして、これに伴いまして商工会もさつそくその陳情書を出してくれましたので、ようやく市の協賛を得まして、とりかかられたわけなのであります。この水利の点においては、なお水道だけではいけない、貯水池もほしいのだということは多年の要望でもあり、私ども最小限度の力をもつて最高を発揮することを念願しておつたのでありますが、今日に至りまして、かく大きなものをしでかしたということについては、事おそかつた、かように思うわけであります。
  99. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 結局そうすると、大火に対する対策ができていなかつた、小火ならばあなたたちも対策ができていた、こういうことになるのですか。
  100. 平木粂治郎

    ○平木参考人 大体民家なれば完全にできた、しかしああいう強風下における水利法は完全にできていなかつた、こういうことであります。
  101. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 今後は十分なる対策を講じていると言われますが、今度は大火に対しても耐えられるだけの対策ですか、やはり小火対策ですか。
  102. 平木粂治郎

    ○平木参考人 今後におきましては、大火といえども、それに応ずるだけの対策を講じております。
  103. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 今度は公安委員長にお尋ねいたしますが、実はさつき上田さんから攻撃がありましたが、地元選出代議士が陳情を受けたことに基きます内容です。地元の方からはこういう報告が私たちの方へ参つております。それは新聞に言つておる第一の点でありますが、松阪大火の起る前日に、松阪大火が起るという流言が一部に流布された、こういうことでございますが、これは公安委員会として耳にいたしておりましようか、おりませんか。
  104. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 ただいま御質問の流言は耳にいたしておりません。
  105. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 その後そうしたことがあつたことも調べもいたしませんでしたか、調べましたか。
  106. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 公安委員会としては、耳にいたしておりませんから、調べておりません。
  107. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 これは責任ある人の国会への申出なんですが、責任ある今の答弁でしようか。
  108. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 私、委員長としては聞いておりません。新聞で、そういう流言があつたということが出まして、その後警察当局にそういうことがあつたかということは尋ねましたが、やはりなかつたという報告は受けております。結局なかつたということになります。
  109. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 そうすると、新聞でそういうことが書かれたというのですね。
  110. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 そうです。それで初めて私は、前にそういう流言があつたということを言う人があることを知つたのです。
  111. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 知つて、警察が調べたら……。
  112. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 私は警察に、そういう流言があつたかと聞いたのです。
  113. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 聞いたら警察は、そういう流言はなかつたとあなたに報告したというのですね。
  114. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 そうです。
  115. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 次に、火災後特に治安を撹乱するような行動がとられたかとられないか、行動があつたかどうか、これをお聞きいたします。
  116. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 それはどういう方面の活動でございますか。
  117. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 それは具体的に申しますと、今保古さんあたりから言われておりました窃盗事件だとか、流言蜚語だとか、こういう内容になるわけです。治安を撹乱するような行動、これをどういうふうにあなたは報告を受けて、どういうふうに見ておつたか、火災後です。
  118. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 その点については、保古警部から先ほど御答弁があつた通り、私はそうした流言というものは悪質なものであるとは認めておりません。もつと具体的に御質問があれば別ですが、私の意見としてはそう申し上げる以外にありません。
  119. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 では具体的にお尋ねいたしますが、保古警部が言われておりましたように、この火災後は窃盗と申しますか、相当物が盗まれた。しかもこの件数が非常に多い。また検挙せられた数も多い。しかも第一には、市の吏員がこれを盗んでおるというように忌まわしい事実があがつておるのでありますが、こうしたことは公安委員会といたしまして、完全に治安が保たれておるものとお考えになつたでしようか。治安が相当に撹乱されて、相当な対策を講じてやらなければいかぬ、こういうようなお考えになつたか。もしお考えになつたとすれば、それに対してどういうような対策を講ぜられたか、これをお尋ねいたします。
  120. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 そういう窃盗事件がたくさん起つたというようなことは、私は大火についての派生的なできごとであつて、必ずしも計画的なものであつたとは広めでおりません。従つてあるいは今後そうした大火があつた場合には、それについての対策を講じなければならないということを考えております。
  121. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 どうもあなたのお答えでは納得できないのです。公安委員長というのは公安の委員長で、火災の後に、さつきの報告によりますと、検挙したものだけで三十八件、しかも二百何十という数に達するような状態である。しかも第一回の火災後に第二回の火災が続いて出ておる。警備を完全にやつていれば、起るはずはないというのが常識判断であるが、その通り治安も撹乱されて、警備も十分できていない。そこにゆるみがあるから、第二の火災もあれば第三の火災も起つている。私たちはそこを聞いておる。どういうふうに治安が保たれていたか、それを聞きたいがために今の点を聞いておる。私たち常識としては、治安が完全に保たれていなかつた、こう解釈できるのです。
  122. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 それはああした大火があつた場合、私としてはそうした盗難事件があるということは予想しなかつたのです。率直に私の心持を申し上げれば……。これは公安委員長としての任務に足らないところがあると言われれば別ですが、私としてはそうお答えするよりしようがない。
  123. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 では治安火災後完全に保たれておつたと自分では確信いたしておるのですか。
  124. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 それは、ああした場合にああいう結果が起つたのでありまするから、それを私が完全に治安が保たれておつたと申し上げることはできないのであります。
  125. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 それではどうなるのですか。治安は保たれておらなかつた……。
  126. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 私の意見としましては、現在の松阪市署の警備勢力といいますか、のもとにおいては、あれでやむを得なかつた。こうお答えいたします。
  127. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 松阪市の警察の今の状態においては最上である、これはまあわかります。そのことは……。しかし最上であるが、それでは足らぬというのですか、今後も足つておるというのですか。
  128. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 それはそうした犯罪が、ああした火災が今後起つた場合に、行われるということを予想すれば、現在の人数では私は足らないだろうと思います。
  129. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 そうすると、あの程度のものが起る場合は、松阪市警をもつてしては治安確保には不十分だ、こういうことをお認めになるのですね。
  130. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 それはあの大火の場合、すでに他署から応援を求めるということをやつておりますから……。松阪市署だけでは警備ができないことははつきりしております。そのために応援を求められるのですから、そういう場合は他署から応援を求めるということになつております。
  131. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 どうなんです。松阪はいかなる場合が起きても、現任の市警——応援は別ですよ、市警で十分治安は保たれる、そう思つていらつしやるのですか、それならそれでいいのですよ。
  132. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 いかなる場合……。突発事態を明示してもらえば判断がつきますが。
  133. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 治安の問題は、将来のことを考える治安であつて、問題が起きてから治安を考うべきものじやないでしよう。
  134. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 それはそうです。
  135. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 田嶋君。簡潔に願います。
  136. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 簡潔にいたします。それでは納得できないから最後に一言聞くのですが、そうした第二の火災が起きた、窃盗も起きている、その当時治安は十分保たれておつたとお考えになりますか。治安を保つためにはまだ不十分だつた、こうお考えになりますか、この点だけ承つておきたい。
  137. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 あの程度では、まず現在の松阪市署の態勢としましては十分であつたと思います。
  138. 世耕弘一

    世耕委員 関連して数点お尋ねしておきます。箇條的にお尋ねいたしますが、他の消防隊との連絡、並びにその他の消防隊が火事の現場に出会わした時刻は、出火とどれくらいの時間があつたか。
  139. 平木粂治郎

    ○平木参考人 お尋ね申し上げます。他の消防とは、応援消防でありますか、それとも消防団のことでありますか。
  140. 世耕弘一

    世耕委員 他の消防隊です。他の消防団、並びに消防隊です。あるいはそれ以外の消防に協力する団体が、何どきどういう方法によつてはせ参じたか、こういうわけです。
  141. 平木粂治郎

    ○平木参考人 消防ポンプ火災発見と同時に出動いたします。従いまして松阪市の旧市内中なれば、出動と同時に四分以内において現場に到着すると同時に放水をいたします。とにかく火が出てボンプだけではやれないというときにはサイレンをもつて消防団を招集いたします。この場合消防団はポンプはその本署に置き、身は自分の家におりますので、そのサイレンが鳴ると同時に、一応はつぴと着かえ、そうしてポンプ小屋にかけつけ、まず最小限度六名や七名の人を待つて、出動するときには、市内中なればまず十三分ないし十五分はかかるのであります。なおその他の応援を求める場合は、付近の方はこのサイレンと同時に応援に来てくれるわけなんでありますが、この方面には自動車ポンプはありませんので、ほとんど腕用ポンプ、いいのは手引きガソリン・ポンプでありますがために、まず二十五分、三十分はかかります。普通山田に応援を求めるときには、大火のときであれば、すでに十五分を経過いたしております。十五分後に応援を私が求めました結果、最高スピードをもつて出ましても、五里、五里半の道を参りますときには、二十五分三十五分はかかつております。かような状況であります。
  142. 世耕弘一

    世耕委員 山田から何分で届きましたか、当日は。
  143. 平木粂治郎

    ○平木参考人 それは私は記憶はいたしませんが、多分二十五分つ以上三十分以内に来ておつてくれたものと思います。
  144. 世耕弘一

    世耕委員 何台来ました。
  145. 平木粂治郎

    ○平木参考人 山田からは自動車ポンプが三台、津から三台、粥見から一台、それから齊宮から一台、その他ガソリン・ポンプが付近にありますので、今はつきり数字はわかりませんが、およそ総数二十台になつております。
  146. 世耕弘一

    世耕委員 失火当時あなたの管轄に属しておるといいますか、あるいは松阪所属の活動し得る能力のある消防のポンプの台数はどのくらいございました。
  147. 平木粂治郎

    ○平木参考人 ポンプは三台、これは普通車が二台とタンク車が一台、消防団には自動車ポンプが七台、手引きガソリン・ポンプが三台、オート三輪がその当時修理中でありましたので、あまり完全なる能力はなかつたと思います。腕用ポンプが四台あるわけであります。今度伊勢寺村を併合しましたので、腕用ポンプが四台ふえまして、合計八台になるわけであります。
  148. 世耕弘一

    世耕委員 それだけで松阪市の火災を十分防備し得るとあなたはお考えになりましたか。これまで……。
  149. 平木粂治郎

    ○平木参考人 松阪市の防火態勢に対する器具は依然足りないと思つております。従つて予算の許す範囲内において、まず今日までやつてつたわけなんでありますが、もつとも市財政も困難でありまするので、結局は起債を仰ぎまして、これにごやつかいを願わなければならぬと思つて、本年度自動車ポンプを普通車三台、タンク車三口、小型のルビンポンプを五台、お願いいたしておる次第であります。ぜひともこれを実現させていただきたいと思います。なお松阪市は、消防ポンプがさつそく出動し得られるようにいたしまするときには、国家消防庁からの指示によりますと、八台はなければならない、こういうことを言うて来ておられるのでございます。結局専門的の数字から考えましても、私どもそういうふうに考えております。しかしながら、本部を置きまして、八台のポンプを用いますると、どうしても人員が百五、六十名なければこれを使用することができ得ないのでございます。従つて松阪市のごとき小さい市では財政困難でありますので、とうていおぼつかないと思います。従つてこれに対する消防等も擁護する方法がありません。
  150. 世耕弘一

    世耕委員 えらく意地の悪い質問をするようで恐縮ですが、実はこの機会に消防というものを確立してもらいたいという意味でお尋ねするんですから、そのつもりでお答えを願いたいと思います。  先ほど消防関係で水道のことの話がありました。一般水道を利用するようではほんとうの消火ということには私はならないと思う。少くとも消防用水道ということを問題としなくちやならない。これは東京でもそういう問題に触れて私は実は当局に要求したことがございますが、そういうことは何かお考えになつておられることがあるかどうか。問題は予算の問題になるでありましようけれども、予算ばかり考えておつたがために、大火にあなた方の活動が十分発揮できなかつたんじやないかということを私は憂える。この点はいかがでございますか。この点をしつかりまず御相談をしていただくとわれわれも御協力ができると思う。
  151. 平木粂治郎

    ○平木参考人 御説ごもつともでありまして、予算ばかりにとらわれておるというつもりは全然ないのであります。松阪市は河川を利用することができ得ないのであります。ただ坂内川という川が一本あるだけでございまして、これとてもほんとうの水なし川と申しますかただいまこの川にはほとんど水はないのであります。ある程度川へおりて行かなければ水がありませんので、一昨々年川へおりて行く道路を一本こしらえたわけなんでございます。水道貯水池を持つよりほかないのであります。二、二日前でございましたか、消防と市会の総務委員の方々の懇談会を開きまして、その節にも私要請をしたわけなんでございます。松阪市の水道は飲料に供するところの目的で水道をつくられたのではあるが、防火にも利用でき得るような方法にしてはどうか、こういうことを申し上げたわけなんでございます。従つて市長さんは八インチのパイプでいけないか、こういうことでございました。私ども八インチのパイプよりはもう少し大きなものがほしいんだ、こういうことを要望したわけなんでございます。まず完成することができるかどうかわかりませんが、公園の上に大きな貯水池を持つ。それから押せばその水道をもつてでもできるだろう。しかし断水するおそれもあるししますので、川を利用することはとうてい困難である。私ども常にせきをしております。そうして消防団がそのどぶ川なんかでもせきをしております。それによつてたよつておるわけなんでございますけれども、とうていそれでも足りませんので、貯水池は本年度において五十はこしらえてもらわなければならない、こういう要望はしております。従つて今お願いをいたしたいのは、国家消防庁に先般出したのでございます。この書類を出したわけなんでございます。これにも水利施設を本年度は貯水槽五十箇所設置していただきたい、こういうことをお願いいたしました。大体三百石入りが一個三十万円はかかると思つております。従つて一千五百万円ということになるのでございます。その他ポンプのようなものもここに出したわけなんです。一応これは参考に出したわけです。ぜひとも本日これを取上げていただきまして、国家消防庁の方にもお願いをしていただきまして、ぜひこれは本年度起債をいただけますように皆さんのお力添えをいただきたい。かよう思つております。
  152. 世耕弘一

    世耕委員 深く了承いたしました。私の希望はただ松阪のような大火に見舞われないようにお骨折り願いたい。できれば模範的な消防をあすこでつくつていただきたいというのが私の希望で、お尋ねするのでありますが、そのつもりでお聞取りを願いたいと思います。  なお二、三点お願いしますが火の見台は何台ございますか。
  153. 平木粂治郎

    ○平木参考人 まことにおはずかしいことでございまして、火の見台というのは本部にはありませんので、隣が警察の庁舎になつております。その警察の庁舎に望楼が以前あつたわけなのでございます。それを借りましてこれが現在望楼となつているのであります。火の見というものは市内に三箇所だけでございます。もつとも戦争当時には私がこしらえただけでも約十三箇所と記憶しております。これだけの鉄筋の警鐘台があつたのであります。供出せよということでほとんどこれも供出いたしました結果、現在それが完成しておりません。これもやはりこの中に載つておるのでございます。そういうようなことで実際はああした大きな火災ということを未然に防ぐという面においては、まず皆さんの協力を願わなければならぬというので、予防査察委員を督励いたしてやつたわけでありますが、なかなかこの予防が完全に行き届いておりません。もつとも私どもの原則といたしましてはまず三原則、予防査察ということが一つ、警戒、鎮圧、こういう三つを原則として本部員及び消防団員に堂に私はやかましく言つておるわけであります。なかなかこの予防ということにつきましてはむずかしいのでございます。かまど一つ検査に行きましてもやはり内容の充実はむずかしい、完全なかまどと煙突をこしらえてくれといつても、しかし内容不十分で完全なものはできておりません。困つたものであります。そういうようなわけですから、どうぞぜひともこの辺の点御援助を願いたいと思つております。
  154. 世耕弘一

    世耕委員 火の見台をよそのところに頼んでおつた、連絡が十分つかないということははなはだ遺憾でありますが、できたら将来は前述の火の見台を要所々々に置かれて、その火の見台に半鐘をつける、本部にはボタン一つで位置と方向を知らせるというようなことは当然こういう大火の後に考えなければならないのだが、そういう設備をそれぞれ御相談なさつておられますか。
  155. 平木粂治郎

    ○平木参考人 報知機の方に至りましてはまだしておりません。あまりにも金額が厖大になつて参りますので本年度の予算に入つておりません。そのかわりに火事という電話を持つております。最近火事があれば、火事という電話をかけてくださいということをなお要請することになつております。今までそれを利用しておつたわけであります。
  156. 世耕弘一

    世耕委員 そういうところに実は手ぬかりがあるわけなのです。設備の上に不備だということが実は考えられる。あなたは専門家だからわれわれしろうとから言う必要はないけれども、火事は最初の三分間が大切だと私はそう考える。三分間において初めて大火が小火で間に合うか、あるいはぼやで済ませるか、こういうわけである。それで火の見台から電話の連絡、あるいは電話で知らせるといつても日本の電話ではあてになりません。即刻あなたのところに電鈴によつてその位置と方向がわからなければならないというようなことに当然今後ならなければならない。いわゆる消防に対する科学的措置ということが同時に考えられなければならないのではないかと思います。これは私がしろうとでありますから、どう御採用くださるかはあなたの専門的な御知識によつて解決していただいていいと思いますが、そういう新しい方面に特に頭をお使いくださるならば、私はありがたいと思います。  それからもう三、二点簡單にお尋ねいたしますが、当日は風速が非常に早かつたという報道を受けておりますが、一般市民に対する警報は何回くらいお出しになりましたか。
  157. 平木粂治郎

    ○平木参考人 警報は二回出しております。火災発生と同時に一回、十分置いてまた一回出しております。それから報知機のようなものも完備しておらなかつたのかということを言われましたが、私どもやりたいことはやまやまでありますが、どうぞ予算をいただけますようによろしくお願いいたします。
  158. 世耕弘一

    世耕委員 警報を何時ごろお出しになつたかということもお尋ねしておきたいのと、予算かあればというのだから、予算がほしかつたら、なぜ最初から予算がなかつたからできなかつたのだということをおつしやらないのかということを聞きたい。私がお尋ねしてからそんなことを持ち出しておりますが、私から言えば、それははなはだ不熱心だと言いたい。あなたの言うようなことを実は私が今言うておるようなわけでございます。その点に手ぬかりがあつたのではないかと言いたい。これは気を悪くしないでください、私は露骨にあなたに申し上げるのです。警報を二回くらい出すのではまだ少いです。強風に対する対策はもつと熱心に、あるいは消防隊の車を走らせて、一般市民に注意を促すということが親切ではなかつたか。そこまで手を打つてなおあの大火になつたということになると、あなたの御苦心に対して御手柄でございましたということは申し上げることができるけれども、どうも手落ちであつたということを言わざるを得ない。これは責めるわけではありません、そういう感じがするということだけを申し上げておきます。あとは大分お気づきのようであるから、これ以上は申し上げませんが、ただ一言、消防がこのたびとつた御経験のうちで、こうやつたことが非常に手柄であつた、こういうことが非常に有効であつたということがあれば、この機会にお話願えれば非常に参考になると思います。その点はいかがですか。これまでに失敗談がやや尽きた形でありますから、今度は手柄話を承りたい。こうやつたことはよかつた、これはこうあるべきだろうということは、非常な参考になると思います。
  159. 平木粂治郎

    ○平木参考人 お説の通り火事は最初の三分が大事であります。従つて私どもこの間の火災にはまつたく万策尽きたのでございます。しかしながら先ほど申しました通り、長らく私も消防に携わつておるのでありまして、過去においてはいいときもあつたのです。今度の新町の二月六日の強風下の処置に対しては、ロータリー・クラブから感謝状を今日渡すというので、司令に代理に、行つてもらつて来いと言つてつたわけであります。私が覚えておりますのは、そのずつと以前に巴座というのが焼けております。それから終戦後にちようどこの間くらいの火事でございましたが、そのときは鎌田中学の前のところの巴タクシーというのが、タクシーをやめていもあめをつくつていたが、そこに出火があつた場合に水利が非常に悪かつたのであります。その場合その一角は全部焼くんじやないかと思つておりましたが、ポンプで包囲いたしまして、全員が協力いたしました結果、飛び火も完全にとめて、学校のポプラ、門などにも飛び火をいたしましたけれども、これも消したことがあります。その際の経験でも水が一番大事だと思いました。
  160. 世耕弘一

    世耕委員 わかりました。もうちよつと伺います。やはり消防隊も軍隊と同じで、消すという一つの迫力が必要なんですが、この点はどういうふうに養成されておりますか。これはお答えがなくてもいいのだが、こういうことも非常に重大なことだと思うのです。ただ頼まれてのそのそ出るのと、どうしても消さなければならぬ、死力を尽して敢闘するというこの精神力が、機械力と同様に重大な役目を果すものだということは、火事場においてわれれれよく見受けるのでありますが、その指導精神について何かお考えがあれば承つておきたいと思います。
  161. 平木粂治郎

    ○平木参考人 敢闘精神を養成すべく一日と十五日は出動させまして、おのおの得意の消防競技あるいは放水の準備などもときどきやりまして、敢闘精神を養成しております。
  162. 世耕弘一

    世耕委員 あの暴風の最中に消防隊は警戒配置をなさいましたか、それとも火の見だけでありましたか、その点はいかがでございますか。
  163. 平木粂治郎

    ○平木参考人 警戒配置はやりました。腕用は井戸を利用してもいいから飛び火警戒にあたれ、第三分団もそれにあたれ、かようにいたしました。
  164. 世耕弘一

    世耕委員 警報を二回出したくらいだから、警戒配置も十分だとは言えないのではないかと思います。しかしこれはおそらく松阪ばかりではございますまい。他もややそれに似たようなゆるんだふんどしを締めているのではないか、私はかように思います。  なおもう一つ申し上げたいのは、あなたは御経験が二十何年か三十年おありになるということを今承つたのでありますが、その御経験には敬服いたします。けれどもよく世間で、概念のない経験は無知にひとしいと言うておる。また経験のない概念も無知にひとしいということを言う。長くお仕事に携わること必ずしも御自慢にならぬ。私は一例を申しますれば、自分の家の階段を年中歩きながら、階段が幾つあるか聞かれてもわからぬ。それは概念のなき経験と私は見ておるのであります。その仕事におなれになると、新知識を取入れるということに重きを置かれないことから往々にして失敗いたしますから、どうぞこの機会に衆知を集めて完全な消防隊として、しかも松阪に模範的消防隊を組織されることを懇願し、再びかくのごとき災難の起らぬようお願いしてやみません。  次にほかのことで二点ほど警察の警備関係のことでお尋ねいたします。自警国警を三千三百人ほど出されたというのだが、その期間はどれくらいの日数であつたか、その間に使つた費用はどれくらいであつたか、この点伺つておきます。
  165. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 私からお答えいたします。動員警官は十七日から二十五日まで……。
  166. 世耕弘一

    世耕委員 わかりました。一人当り百円足らずでこんな大きな事件を扱うというと、予算が足りませんね。これでは治安の維持もどろぼうの検挙もできるはずはありません。予算の上からいつてこれはほかに何か費用が出ているのでありますか。
  167. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 これは国警の方が負担しますから、応援隊のものは国警の方で負担する部分があるのです。一部を市が負担する……。
  168. 世耕弘一

    世耕委員 市の分の扱い人員と、出した金は幾らなのですか。
  169. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 これは市の分というわけじやないのです。国警の分もこの中に含まれております。
  170. 世耕弘一

    世耕委員 それにしたところで足りない。一人百円の割合です。かりに一週間したら幾らになる、弁当代もありはしない。それで治安が維持できたの、消防がどうのこうのということは、数字の上からいつてはなはだずさんであるということが、目の子勘定で出て来る。これは説明は求めません。そういう疑問が起るということだけを申し上げますから、国へ帰つてよく御相談してください。  それからもう一点お尋ねいたしますが、非常対策の会議を何回開きました。何どき開きました。どういう人が集まりました。
  171. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 委員会はほとんど毎日のように開いたと思つておりますが、主として犯罪捜査の方は、私の方は報告を受けるだけでタッチしておりません。
  172. 世耕弘一

    世耕委員 私のお尋ねしたのは、火災が起つて混乱状態に入つたときに、だれだれがかけつけて、どういう対策を立て、どういう人たちによつて組織的に活動を開始したか、その時刻、その活動状況、これを聞きたかつた
  173. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 お答えいたします。私はその当時血痕が出まして休んでおりまして、それでその発火当時警察へかけつけることができませんでした。他の公安委員がかけつけて署長その他と協議してやつた……。
  174. 世耕弘一

    世耕委員 その時間は……。
  175. 保古正作

    保古参考人 委員長は病気で見えませんでしたので、私の方から当時のことをお答え申し上げたいと思います。  火災の発生と同時に公安委員の、委員長を除いた二人の方が見えまして、一応対策を講じておりました。十六日の午後の三時ごろだつたと思いますが、子原次席検事さんと松阪の区検察庁の富増副検事、それから検察事務官が二人見えまして私の部屋で相談をしておりました。ところが第二次の火災と申しておりますが、北高の火事が起りましたので、捜査の対策の会議をやつておりましたのを一応打切りまして、火災の現場へかけつけました。それからデマのサイレンが鳴つたときに、これはただごとならぬ。これは松阪の自治警察だけの力ではいけないというので、県の捜査課それから警備課、それから国警の飯多地区警察署、これに向つて応援の要請をしました。
  176. 世耕弘一

    世耕委員 公安委員は松阪には幾人おりますか。
  177. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 三人であります。
  178. 世耕弘一

    世耕委員 公安委員は警察にはせ参じてどういうことを主として協議なさつたか。それと出火から公安委員がかけつけるまでの時刻。
  179. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 今申し上げましたように私はかけつけておりません。
  180. 保古正作

    保古参考人 第二学校火災と同時に公安委員のうちの一人、村田卓蔵という方が自転車で出て来られまして、署長、次席と協議しておりました。安西というもう一人の公安委員はちようど風下に自分の工場があつて非常に危険な状態でありましたので、その工場の方の手配をしてそれから見えたので、大体午前一時ころだつたと思います。
  181. 世耕弘一

    世耕委員 公安委員は自分の工場を先に守るべきものじやないと思うが、こういうところに手落ちがある。そればかりじやなく、私は聞きたいことがもつとあるけれども、あまり深刻になるからそういうことは申しませんけれども、公安第一にしていただきたい。公安委員がとかく批評を受けるのはそういうところにあるのです。  なお救護配置の一般に及んだのは出火後何時間くらいですか。
  182. 保古正作

    保古参考人 お答え申し上げたいと思います。火災警報と同時に市の警察署員七十三名は常置の配置についております。これは消防活動並びに避難救護を便ならしむるために非常招集の建前もあります。そういう関係火災警報と同時に、全員非常招集の命令をまたないで現場へ出動するように平生からなつております。
  183. 世耕弘一

    世耕委員 先ほど警察関係の方のお話では、盗難被害のものがあつたら届け出すようにと、紙を刷つて渡した、こういうことを説明されておられたようだが、これは非常に適当な御処置だと思いますけれども、きわめて緩慢です。なぜ出火の最中にこの手配をしなかつたか。火事場どろぼうというのは火中に起るので、火事が済んでからどろぼうを追いまわすというようなことでは警察として気が長過ぎる。ここに治安という問題が大きく現われて来る。盗まれたそうだが書いて出せという今の警察の動き方では国民は安心できません。必ず火事場にはどろぼうがつきものだということがわかるなら、それに対して当然手配あるべきじやないか。この点はいかがですか。ちよつとこれは手落ちだつたということが言えましよう。
  184. 保古正作

    保古参考人 お答え申し上げます。当時の火災状況は、御説明申し上げました通り、学校のような大きな建物が約二十分から三十分で全焼しております。それで警察目的の重点から申し上げますれば、もちろんいわゆる火事場どろぼうの検挙も、小さい火事の場合はその場において検挙するのは御承知の通りであると思います。但しああいう大きな火事の場合には、盗まれたものよりは人命を救護するという方が大切であります。またもう一つ、大きな火災の場合、非常線を張つて消防活動を容易にするということも大切なことでありまして、とうていあの場合、松阪市警察署員といたしましては、火事場どろぼうの方まで手がまわらなかつたのであります。
  185. 世耕弘一

    世耕委員 あなた方はデマで飛び歩いたのではなかつたか。デマにおどかされてポンプをあちこちに走らせませんでしたか。またいわゆる北学校と言いますか、第二回の出火ということもあなた方非常に心配されておる。私の申し上げるところはそこなんです。小さい火事を大きくしないで、そうして未然に食いとめるということが目的であつて、私は小さいどろぼうを追いまわして、大きな火事をほおつておけというようなやぼなことを申し上げているのではない。この点は少し私の申し上げたことに誤解があつたと思います。これはよく御了承願いたい。  それからもう一つは、先ほども論議されましたが、警察と消防隊の中にデマを放送する人間はいませんか。あちこちにあるのですよ。しかも早川何がしという者が、高校で火事があるそうですが、どうですかということを聞いたのに対して、火事だというようなことで、よけいな所ヘポンプを走らしたというようなことは、見ようによつては運用しているのです。これは本人はそんなことはないと思いますけれども、近ごろはこういう悪いことをする者は、あなた方よりよけい頭が働くかもわかりませんよ。ここをひとつ考えていただきたい。悪いことをする者は、合理的に科学的に進歩していますよ。だから最後の希望として申しますが、近ごろは、他殺でもめんどうくさくなつたら自殺にしてしまう、こういうことが世間のうわさに出ている。他殺でも自殺にすれば、これは一番簡單です。たとえば放火でも、めんどうくさくなればこれを失火として、あるいは漏電としておけば、責任者がなくていい。それでは国民が不安でならない。私が警察並びに消防隊にお願いしたいことは、国民が、焼けてもしかたない、消防隊があれだけ努力してくれ、あれだけふだん注意してくれたが焼けた、これは天災だというところまで納得の行くような、権威ある警察と消防隊になつてほしいというのが、私の熱望であり、今申し上げたいろいろな方面から掘り下げましたのも、そういう意味であつたということを御了承くださいまして、今後松阪へお帰りくださいまして、模範的な消防隊、警察隊を組織して、一旦事あるときの万全を期するよう、よろしくどうぞお伝え願いたいと思います。
  186. 加藤充

    加藤(充)委員 四番目にお立ちになつた消防長ですね、平木さんですか、これは一般的な話ですが、同時に一般的にお答えになつていただけばいいのですが、地元消防団の動き方について、何か非難めいたものがうわさされたり、あるいは非難があつたりしたようなことがございますか。あればある、なければないでけつこうです。
  187. 平木粂治郎

    ○平木参考人 ありません。
  188. 加藤充

    加藤(充)委員 地元では大体、現有勢力や実情のもとにおいて、ああいう事件が起きたときには、あれだけやつてもらえば、焼けて悔いなしという段階主では行かなくても、強い非難はないということですね。
  189. 平木粂治郎

    ○平木参考人 とにかくあれだけの大きな火災をやりましたので、中には多少非難はありまするが、大体の方々から承つておりますのは、あの火事ではしかたがなかつただろうということに結論がなつております。
  190. 加藤充

    加藤(充)委員 あなたがそのように、大体の方はそうだが一、二非難があつたようなお口ぶりなら、お尋ねしなければならなくなりますが、もしそういうことがあれば、どういうところで、どういう非難だつたのでしようか。
  191. 平木粂治郎

    ○平木参考人 もう少し早く消防が、あれだけ大きい火災になるというのなら教えてくれたらよかつた消防をたよりにしておつたのに裸になつてしまつたというので、多少一、二のうわさは聞きました。その他にはありません。
  192. 加藤充

    加藤(充)委員 それじや公安委員長さんでも市会議長さんでもけつこうですが、あなたの方に南勢新聞というのがございますか。
  193. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 ございます。最近日刊で発刊いたしております。
  194. 加藤充

    加藤(充)委員 あまり系統的にせんさくすることはすきじやないのですが、そういうふうな発言があつたから、参考人にお尋ねするのですが、どういう系統の新聞でしようか。何か意識的な思想がかつた新聞でしようか。それとも町の評判としては、比較的地方新聞でもまじめだというように町の一般の人が考えている新聞ですか。
  195. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 その新聞を発刊しております人は、現在市会議員をやつております人が共同でやつておられます。二人とも市会議員をやつておられます。別に思想とかどうとかいうことばないと思います。
  196. 加藤充

    加藤(充)委員 署名人は松井龜次郎という方になつておりますが、これは市会議員ですか。
  197. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 そうでございます。それと山口一郎という人がやつております。
  198. 加藤充

    加藤(充)委員 恐れ入りますが、山口さんなり松井さんは政党の色わけはどういうことでございましようか。
  199. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 別段しつかりした所属はないと思います。
  200. 加藤充

    加藤(充)委員 そうすると、先ほどあなたがお述べになりました言葉の中で、民主勢力が数つ名という中の民主勢力には入らないように了解してよろしいですね。
  201. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 はい。
  202. 加藤充

    加藤(充)委員 そこでお尋ねいたしますが、私の手元に二月一日の新聞があつて松阪事件を全面的に取上げて、一面をほとんど埋めておるのですが、この新聞記事をごらんになつておりますか。
  203. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 新聞は毎日見ておりますけれども、一々覚えておりませんので、はなはだ残念であります。
  204. 加藤充

    加藤(充)委員 今御記憶があれば思い出していただきたいのですが、中西市署長は語る、という見出しのもとに、前文は省略いたしますが、大火当時のデマにはまつたく根拠もない、火事場はいずれの地でも盗難が起りがちである、現在のところ集団火事どろの線はあがつておらない。それから吉田という次席談で、政府筋もこうした情報が飛んだと思うが、こうした裏づけのない情報によつて、むしろ架空の事件が拡大視され、でつち上げられた結果となつた、だが、現実に事件捜査にあたつて、その糸をたぐつて行くと、情報とは隔たりがあり、その間の結びつきに誤差を来した結果になつたのだろう、こういうようなことが書かれておりまするし、それからなおこれは松阪地検では次のように語つた、という見出しで、前略いたしますが、背後関係というのはどういう意味なのか、かりにこれが赤との結びつきがあるという意味ならば、そういう事実はないと思う。こういうふうな記事が載つていたのを思い出されましようか、いかがでしようか。
  205. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 思い出しませんですが……。
  206. 加藤充

    加藤(充)委員 それではその当日の社説に、真相糾明と布製の見解、松阪大火と背後関係、という社説が載つておりまして、前の方は事を荒立てないために省略いたしますが、先ほど来問題になつた某代議士の談話が前提に載つておりまして、それに引続く文章であります。列挙されたこれらの点がはたしてどこまでがデマであり、事実であるかは、真相が糾明されればおのずから判然することと思うが、犯人が検挙され、事件の一段落を見た今日としては、いささか異様の感がないでもつない、市民に与うる影響も考えねばならない、というような社説が載つておりますが、こういうのを御記憶になりますか。
  207. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 いずれにいたしましても、新聞に書かれる方が勝手に書かれますのですし……。
  208. 加藤充

    加藤(充)委員 そういうことではないです。こういう記事が載つてつたのを——南勢新聞の主張の中に載つてつたのを思い出されますか。
  209. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 もう読んだ記憶ございませんです。
  210. 加藤充

    加藤(充)委員 さつきあると言つたからお尋ねしたのですが、まあいいです。それじや市会議長さんにお尋ねいたしますが、あなたの方に森亀太郎さんという市会議員がおりますか。
  211. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 おります。
  212. 加藤充

    加藤(充)委員 これはどういう党派ですか。
  213. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 自由党だと考えます。
  214. 加藤充

    加藤(充)委員 この人は、こまかく争つてお尋ねしますと、私どもお尋ねする根拠やら証拠やらあげてお尋ねしなければ、はなはだ儀礼的に相済まないのですが、そういうことは時間の関係上省略させていただきます。はなはだ非礼だと思いますが、あしからず御了承いただきたいと思います。この人が鉄かぶと竹やりで防衛して立向わなければいかぬ、放火しておる連中は思想的の背景を持つた不逞のやからであるというような趣旨の——そういう思想的背景を持つた事件だから、われわれ一般善良な松阪市民は、鉄かぶとと竹やりで武装して対抗措置をとらなければならぬというようなことを町々で言つたか、あるいは現場で言つたというようなことで、町で相当の話題を提供したという事実を市会議長さん御承知ですか。
  215. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 その言葉は初めて承りますけれども、おそらくあの方でしたら、そのくらいのことは申しますやろ。
  216. 加藤充

    加藤(充)委員 それから公安委員長にお尋ねをいたします。あるいは市会議長さんでも、どなたでもけつこうですが、何か先ほど残念ながら新聞は御存じであつても、その社説や記事をごらんにならなかつたということなので、お尋ねしなければならない順序になるわけですが、公安委員長さんの先ほどの御証言の一部にもちよつと出たと記憶しておりますが、何か火事が起きてから後に、そういうことも多分言いますやろと思われるような人たちの言動も加わつて、非常に動揺が起きて来た。デマというものは事前に報道されて、大火の予想がやられたというようなデマではなしに、事後にいろいろうわさがうわさを呼んでたいへんな騒ぎになつた、こういうようなことがあつたと思うのですが、それに関連して、今社説の点をちよつとお尋ねいたしましたが、俗言でいえば、もう鐘もたいこも鳴つてしまつたような気持でほつと治まつているのを、また法務委員会あたりで取上げてやることは、やつぱりあれは警察の調べ方が少いのかというようなことで、かえつて問題を、焼ぐいに火を燃やしつけたというような結果になつているような傾向は、あなた方は昨日御出発になつておるのだが、昨日までの松阪市で目撃されるなり、そういう機運はなかつたですか、あつたですか。
  217. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 今のお言葉の点につきましては、一向関知いたしませんでした。問題にもしませんし、一向聞きませんでした。
  218. 加藤充

    加藤(充)委員 公安委員長さん、その点はいかがですか。
  219. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 私も市民のそれに対する関心なり、うわさなりは聞いておりません。
  220. 加藤充

    加藤(充)委員 そうすると、先ほど御紹介してたいへん失礼でしたが、その一節をお読みした南勢新聞の二月一日付の社説のようなものは、新聞記者がかつてに書くものとして、それはいわゆるデマ的な、根拠なしに書かれたものだという御見解が強いか、あるいはそういうふうな見解も妥当であろうと思われるという見解と、どちらをおとりになるか、その点だけお聞きしておきたいと思うのであります。
  221. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 私といたしましては、全然デマと考えております。
  222. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 私もこれは新聞記者の見解であると解釈します。
  223. 加藤充

    加藤(充)委員 そうすると、市会議員の同僚であられる山口さん、それから松井さんという人はデマを飛ばす方の人ですか。
  224. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 お二人は、デマを飛ばすということはありません。しかし何かのことにつきましても、相当いろいろ名前がついておる男です。どうぞ御承知おき願います。
  225. 阿阪久雄

    ○阿阪参考人 先ほど田嶋代議士の質問に対する私のお答えが、何だかしり切れとんぼになつたようであります。治安維持の問題でありますが、田嶋代議士は今後ああいう状態が起つた場合に、現在の警察の態勢では治安が保てるかどうかという問題でありました。結局治安維持ということを、ああいう場合の火事どろをなくするという意味に解釈して、これを根絶するという意味では、私は現在の松阪市署の態勢では不足であるということを申し上げておきます。
  226. 加藤充

    加藤(充)委員 ちよつと落しましたので、一点だけお尋ねしたいと思います。先ほどだれかから、とらえてみればわが子なりという言葉がありましたが、市の公務員あたりに援助物資、配給物資の不法領得ということがあつて、それも窃盗事件の中に加えざるを得ない、まことに残念だという御発言があつた。それに関連して一点だけお尋ねいたしますが、その金額、その物資の種類、あるいは数量を第一段に承り、それから市会としては、歳末を控えて一物でも欲しいときに、配給物資を内部の公務員が不正領得したというようなことについては、先ほどの、罹災者の助けの少い者に対しては相当な救助を市側はやるべしという要求、あるいは壁新聞記事が問題になつたことに関連しまして、市当局といたしましては、市の吏員があけた穴を、どういう方法で、どの程度お埋めになつたか、この点を第二段にお尋ねしたいと思います。
  227. 保古正作

    保古参考人 名前は早川辻雄というのですが、これが救護物資というものから横領しましたのは、毛布が一枚であります。これは役所に返済しております。その他にネクタイのようなものがあつたと思いますが、はつきりしておりますのは、毛布が一枚であります。
  228. 加藤充

    加藤(充)委員 公務員の点はそれ一件だけですか。
  229. 保古正作

    保古参考人 検挙しておりますのは、一件であります。
  230. 加藤充

    加藤(充)委員 何かはかに被害届などがあつたり、嫌疑をかけられておる者はありませんか。
  231. 保古正作

    保古参考人 今私の方で検挙したのは、それ一件であります。その他におきまし七、話は聞いておりますが、事実は知りません。何か疑いがあるとか、役所を首になつたとかいうのが二、三あるように聞いております。しかし私どもの方で検挙をしておるのは、今申し上げた一名であります。
  232. 加藤充

    加藤(充)委員 市当局の方から、その点についての御説明を願いたい。
  233. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 私はそのことは尋ねてもおりますし、またいろいろと聞かされておりますので、いずれにいたしましても、そうした人は置くことはなりませんので、万事は、人事は市長にございますので、市長の方で適当に処分いたしました。
  234. 加藤充

    加藤(充)委員 私が聞いたのは、その被害の数量なり、それを金額で表示すればどのくらいのものか。市当局としてはそれにどういう手を打つてその穴を埋めたかということをお尋ねするので、首を切つたか切らないかというお尋ねじやないのです。
  235. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 幸いにして警察の方でさつそくにそれを押えていただきまして、品物は全部もどりまして、それをさらに罹災者の方に配布したということであります。
  236. 加藤充

    加藤(充)委員 そうすると、毛布一枚にネクタイ一本とやらだけですが。——警察で検挙したのはわかりましたが、警察に検挙された以外にそういうふうな被疑の濃いもの、あるいは検挙はされなかつたけれども、事前にそういうことがあつて、吐き出させたとか、あるいは置くわけに行かないから、あなたのお言葉でいえば、首を切つたとかいうようなものがあるのか。あるとすれば、どのくらいの数量で、何人くらいなのか。その穴埋めはどうされたかということをお尋ねしたいので、警察からのお言葉以外に被害がなかつたのであれば、それでけつこうです。
  237. 竹岡政助

    ○竹岡参考人 ただ毛布一枚とネクタイだけでございます。
  238. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 次に朝日新聞松阪通信局長木村正君、読売新聞津支局記者松井銀吾君の両君にお願いいたします。ともに松阪市における新聞通信の責任を持つておられる両君において、この際松阪大火事件について市民の輿論がどうであつたか、感想をもまじえて、あらかじめ一般的なお話を願いたいと思います。まず木村正君からお願いいたします。
  239. 木村正

    ○木村参考人 松阪大火が十六日に起きまして、それから十七日にさらに続いて北高等学校の——これは後に放火とわかつたのでありますが、怪火事件が起りました。北高等学校の怪火事件が起るまで——松阪大火で一番に焼けたのが第二小学校でありますが、その第二小学校の焼けた原因については、思想的背景あるいは放火失火、こういう点についてのはつきりした警察当局の発表もなし、またおのおのの想像だけのことであつて、思想的背景云々というような心配つがないから、今ここに問題になつておるような懸念は、市民の輿論の中には全然なかつたのであります。ところが北高等学校が燃えまして、その火事が消えて間もなくであります。同じ日の夕方、われわれもそのときの記憶があるのでありますが、二十省近くの新聞記者がおりまして、もうこれで大火も済んだ、北高等学校火事も終つた、ぼつぼつ名古屋へ引揚げようと言うておつたときに、さらに三度目の、つまり第一回目から勘定しますと三度目でありますが、三度目のサイレンを聞いたのであります。そこでどこが火事かというので、さつそく表に飛び出した。消防署へ電話をかけてもなかなかかからない。とにかく自動車で現場に走らなくちやならないからというので、写真班は自動車に乗つたところが私は地元の者であるが、どこが火事だと言われたが、わからない。そこでうろうろしていると、町を走つて行つた自転車に乗つた人が鎌田中学の方だ、こういうふうに言われたので、すぐに写真班と記者が乗つて鎌田中学にかけつけたのでありますが、全然何もなかつた。しかしそういうように、鎌田中学が火事だと言つてまわる人があちらこちらにあつたということは——これは後に総合した話でありますが、市内のあちらこちらでそういうことが起つたということを検察当局から私は聞きました。話はちよつともとへもどりますが、そういう事件があつたがために、市民松阪火事失火として偶発的に起つたものじやない。——何も思想的な背景というのじやありませんが、何か放火気違いがいるか、あるいは放火したいという者がおつて放火をしているじやなかろうかというように常識的に判断してそういうデマが飛び出して来たんじやないか、こう思うのであります。後に検察当局が捜査に乗り出してから、先ほど服部警部が言われましたように、いろいろな捜査方針を立てて進んで行く際に、思想的背景による放つ火というような一線をも立てておられたことは捜査当局から聞きました。その後捜査の進むにつれまして、新聞の報道で御存じの通り、現在すでに第二小学校失火容疑者丸山政雄が逮捕され、北高等学校放火容疑者早川という少年も逮捕され、現在では市民の不安は全然一掃されております。ところが、日はちよつと忘れたのでありますが、私に中部支社の通信課から電話がかかりまして、衆議院法務委員会田嶋代議士が名古屋へ来て、三重県第二区選出の中村清、松本一郎、石原圓吉の三代議士がさき松阪大火事件について衆議院法務委員会へ次の四つの理由をあげて真相を調査されたいという意味のことを言われている。それでそれを名古屋の報道部の記者が取材して、これを明日の紙面に載せるが、地元の反響はどうかということを中部支社の通信課から聞いて来たのであります。その四つの理由はどういう理由ですかと私が尋ねたところ一つ松阪大火のあつた前日に、松阪大火があるぞというデマが飛ばされた。二つは松阪大火の際集団かつ計画的な火事場どろぼうが行われた。三つは松阪大火の直後共産党三重委員会が何か会合を行つた。もう一つは北高等学校火事のあつた直後松阪市の鎌田中学にわけのわからぬ火事があつた。この四つの理由をあげて、さらにもう一度調査をしてほしいということを、三重県第二区選出の三代議士が田嶋法務委員会委員に申し出られたということなのであります。それで私は地元の反響はどうかと尋ねられて、地元の反響はすでに両火災とも犯人といいますか、失火容疑者放火容疑者でありますが、それが逮捕されている。現在そういう記事が載ると、またあれはうそだつた、検察当局がせつかくの苦心の結果逮捕したところ放火容疑者も、これは間違つてつた、しかもその背後には思想的背景をほのめかすものがあるように思われる、今そういうものを出すと、すでにそういう記事が出ることによつて、事態は約一箇月昔にあともどりするような状態になりはしませんか、こういうように私は報告したのでありますが、しかし田嶋代議士がこういうことを記者クラブに話されて、報道部の記者がこれを取材した、だからこれを一応ニユースとして扱うことはさしつかえないだろうという通信課の話でありましたので、それはけつこうでございます、こういうような返事をしたわけであります。現在松阪市の私が昨日出て来るまでの輿論では、今申しましたその記事があちらこちらの新聞にも出ました。大新聞にも出ましたし、またそちらに今お持ちになつておられます南勢新聞にも出ました。南勢新聞ではその反響をただちに取上げて、そこに書いております。大新聞法務委員会においてこうして現在やつておられます結果が出なければというので、その反響を取上げるのを待つておるのでありますが、どうして法務委員会がこういうことをいつて、また真相を調査しておるのか、どうもふしぎだ、もうつかまつておるじやないかというような現在の町の輿論であります。  あとは逐條的に、お尋ねになりましたことについてお答えいたします。
  240. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 次に松井銀吾君にお願いいたします。
  241. 松井銀吾

    ○松井参考人 私は松阪から約四十分ぐらい離れた津市に勤務しておりますので、実際に松阪状況については、こまかいことは知らないのでありますが、しかしこの大火事件に際しましては、ちようど大火の夜、十七日の午前三時に津から自動車を飛ばしまして現場に飛んだのであります。たまたまこの大火の発生したのは十六日でありますが、その前の十五日の日曜日に、名賀郡の名張町というところの名張中学から出火しまして、約十数戸の民家を焼いております。その前に宇治山田、亀山など、県下でおよそ学校火災が約六件発生しておりますので、たまたま松阪の第二小学校から数百戸焼いたその翌日、まだ大火の余燼もさめない十七日の午後五時ごろ、まだ薄明りだつたと思いますが、そのとき北高校からまたまた出火しまた。平生は松阪市には十名くらいしか各新聞記者はいないのでありますが、大火のために名古屋、大阪、各方面から応援隊が繰り出しまして、およそ七、八十名の報道班があそこに集中しまして、取材活動を始めたのでありますが、たまたま十七日のこの北高校の第二回目の火災に続いて、午後九時半ごろのあのデマといいまか、二カ所でまたまた火事騒ぎが起つたというサイレンが高らかになりましたので、これはてつきり計画的な放火魔のいたずらだろうというような見方と、松阪市という土地柄が何といいますか、思想的にも相当強い動きをしているという見方もあつたと思いますが、警察当局で国警応援を求め、津検事局に連絡いたしまして、その晩合同捜査本部があそこにできまして、約二百各内外の武装警官があそこに集まりまして、その夜から非常警戒態勢に入りまして、夜はNHKのラジオカーとか、市の広報車だと思いますが、何か市民の皆様とかいつて町を流して、不気味な夜が数日続いたように思います。そうした情勢下にあるので、市民が恐怖と不安におののいたことは、これは間違いないと思います。従つて捜査陣がそういう動きをしておりますので、われわれ報道記者といたしましても、そういう方面の動きがあるのじやないかという感じをだれしも抱いたと思います。また捜査方針も放火あるいは失火あるいは背後的な動きがあるじやないかというような見方で、そういう動きをしておりますので、われわれ新聞記者が両面の取材活動をするのも当然のことであります。しかし私はたまたま一人で現地に数日行つておりましたので、最初の第二小学校から出火した火災も、あの強風の中に水利の便が悪いということを直感しました。しかし翌日の北高校の火災もちようど前日の大火で、各方面から消防団あるいは消防車が多数集まつておりましたが、私は現場へ行つて驚いたのです。というのは消防車がたくさんあそこにおりながら、実際放水しているポンプは少いように直感したのであります。これはやはり水利の便が悪いので、せつかくあそこにたくさんポンプが集まりながら、みすみすこれを燃してしまうじやないかということを私感じましたので、それからの私の取材の方針も、これはこういう状況で燃えたんじやないかということを思いましたので、じつとその動きを静観しながら取材をしたのでありますが、約一週間そういう状態が続きましてから、捜査本部の方で大体目星がついて来た、捜査範囲は狭められて来たんだということを聞きましたので、私たちは愁眉を開いて、やはり背後的な動きは薄らいで来たということを知りまして、そういう方向に向いて行つたのでありますが、当時第二日目から数日間の人心の動揺というものは、やはり県下各地でこうした火災が頻々と起る、しかもあの大火に続いて北高校であの火災が起る、また確かにデマも飛んでいたと思います。私は小西屋という旅館に二日とまつたのでありますが、そこでは私がとまつている間に、疎開の準備をいたしまして、これでは松阪市全市が燃えるのじやないかというような不安の念を持ちまして、ふとんから何から荷づくりを全部しまして、私がとまつている二日目にトラックに相当数の荷物をのせまして、名古屋かどこかへ行くといわれましたが、確かに持つて行つたような例もあります。そのほかいつでも逃げ出せるというような準備をしておるような話も聞いております。デマの根源はどこからだか私は知りませんが、これも私が松阪市におるうちでありますが、今は津市の津高校が燃えておるのだというデマを聞きましたので、私は津に支局がありますので、燃えているのかと電話したら、それは学校ではなくして、学校の付近の非住家のぼやだということを知りましたので、これもデマであることを知つたのでありますが、当時の市の状況というのはそんなような動きでありました。  以下また順を追つてお答えいたします。
  242. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 両君の供述はこれをもつて終ります。これより各委員質疑を順次継続いたします。田嶋好文君。
  243. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 朝日新聞の木村さんにお尋ねいたしますが、デマがいろいろ飛んだということは事実らしい。今までの証言ではつきりいたしております。そのデマが飛んだ場合に、警察はどういうような活動をなさつてつたのでしようか。たとえばこういう話を聞いております。火災が起つてデマが盛んに飛んだ。新聞記者が警察へ行つてみると、署長がどこに行つたのか、次席がどこに行つたのか、警察はがらあきでさつぱりわからない。新聞記者はその真相を聞こうとしても聞くことができなかつたということを、私名前をあげて直接新聞社の人にみな聞いたのですが、そういうようなたとえ話があるのですが、このデマに対して警察がどういうように動いて、どういう対策を講じた形跡があるか、これを率直にお答え願いたいと思います。
  244. 木村正

    ○木村参考人 デマが起りました際の警察の態度はどういうようであつたかというお尋ねにお答えいたしますが、警察はデマが出ましたら、その根拠を突つきとめるために相当努力をして捜査を進めていたようであります。しかし、その真相を報道陣のわれわれが伝えることによつて市民の不安を一掃するという気持から、われわれが警察の幹部に面会を求め、真相を聴取しようとしても、あるいはおらなかつたり、あるいはその報道記者に対する面会を避けたり、逃げまわつたりというようなことが必ずしも全面的にそうであつたとは申しませんが、ややありました。中西松阪市警察署長は、たとえば午前十一時と午後三時新聞記者との会見ということをわざわざ紙に書きまして署長室のドアに張つておきながら、各新聞社の二十名近くの者がその時間に行つても会わない。会わないのじやなくて、どこへ行つたか署員に聞いても行方不明である。つまり逃げまわつていたとしか思えないような状態がありました。松阪市警察署は報道陣に対する認識が非常に足らないと、私はそのとき非常に痛感したのであります。つまり報道陣に種を与えることによつて新聞記者に喜ばれるというような気持でするとしか思えなかつたのであります。しかしそうじやない。われわれは市民の不安を除くがためにこのデマの根源を突きとめる、そうしてこれは何にもなかつたことである、あなた方は少しも心配しなくてもよろしいということを捜査当局が発表すれば、それをわれわれが新聞によつて市民に知らす、そこで市民の不安が解消するという気持からやつているのにもかかわらず、特種を争つて来ているがごとく解釈する人たちもあつたのであります。この点私は非常に残念に思つておるのであります。たとえば松阪北高の怪火事件がありまして、その直後松阪市の鎌田中学に火事があつた。私はそのときデスクにおりましたから行きませんでしたが、ほかの新聞記者がかけつけて、その後——ちようどそれが、時間ははつきりいたしませんが、夕方の六時か七時ころだつたと思います。その晩警察へ行きまして、鎌田中学に火事があつたということについて何か手がかりはなかつたかと聞いたところが、物置小屋といいましたか、そこははつきり覚えておりませんが、物置小屋から北高等学校の生徒が二人出て来て不審な行動があつたので逮捕した。逮捕といいますか、逮捕状による逮捕ではなくて、つまり連れて来たということを聞きましたので、その真相を確かめようとしたところが、全然言わない。後々までもその話は聞けなくて、つい二、三日前に国警服部警部、さつき見えられました服部警部から、それは鎌田中学が火事であるというので、北高の生徒が火事現場に走つて見に行つたところが知合いの人が来たので、同じ子供同士ですから、おとしてやろうと思つて、物陰に二人隠れて、わつと飛び出して来たところが、それが知合いでなくて消防つた消防はこれは怪しいといつてつかまえて行つた、こういうような愚にもつかないような話なんです。ところがそういうことの真相すら発表しない。そういうふうに結局報道陣を通じての市民に対する真相の発表がないがために、市民はいらぬ心配をし、不安にかられたのではないかと思うのであります。  それからもう一つお尋ねの点で、同じ検察当局でありますから申し上げますが、津地検小幡検事正が松阪大火の直後、記者団との会見において次のような意味の——その言葉通りは覚えておりませんが、次のような意味のことを言われた。つまりこの松阪大火事件が思想的背景のものであるとすれば、あるいは第二の松川事件、第二の三鷹事件にも進展するとも限らない、但しそれは思想的背景と断定した場合のことであつて、それは現在捜査中であるがということを記者団に発表されたのであります。これはNHKの津支局だと思いますが、録音しておりますから、その言葉ははつきり出ていると思いますが、これが非常な反響を呼んで、われわれ新聞記者も、検事正がそう言うのだから、あるいはその線を相当重視して捜査を進めているのじやないかということから、新聞面に報道がそういうことをにおわすように書いた傾向もあります。捜査当局の真相発表というものが、非常にうまく行かない。うまく行かないというより、報道に対する認識の不足からスムーズに行つていないということが、いやが上にもデマをかき立てたようなかつこうになつたのであります。
  245. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 あなたの説明でだんだんわかつて来たのですが、実はこれは私だけの考えかもしれませんが、きよう御出席願いまして、午前中にお言葉をいただきました方、午後お言葉をいただきました方もほんとうのことを言つていない。心の中で思つたことを言つていない。責任のがればかりをここでやつておるというようにしか思われません。委員長もそうとられておる節があるのじやないかと思いますが、その意味であなたから真相を聞くことを非常にうれしく存ずるのですが、実はこの警察の治安関係なんですが、今のお話を聞いておつて、だれが考えても、松阪治安が十分保たれ、警察が十分なる治安対策を立てておつた、あのお言葉を聞いておつても、口では言つているが、それをそのまま聞いて安全感を感ずる人はなかつたと思います。あなたは午前中お聞きになり、今お聞きになつて松阪の警察の治安対策というものは、当時も現在においても万全、だとお考えになりましようか。これでは不十分だ、やはり相当な治安対策を今から考慮しておかなければならぬ、こういうふうにお考えになりましようか、それを率直にお答え願いたい。
  246. 木村正

    ○木村参考人 現在の松阪市警の署員の数、人的なものと装備、そういう点につきましては、現在の機構をもつてしては、現在の警察力を発揮するだけが精一ぱいだろうと思います。これは署長以下努力しておられると思います。しかし将来どういう事態に対処してもその治安を確保できるかどうかということは、もう少し具体的におつしやつていただかなければ、その返答はできないと思います。
  247. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 現在の機構をもつてしてはあの当時やつたことが精一ぱいだ、これは私も認めていいと思います。私たち国会が取上げることは、そうした経験をなめながら、不十分ということを知りながら今後ほうつておくことはできない。今までそれを知らずに来て、あの対策であれ以上はもうしかたがなかつたが、不十分だという線が出れば、国会としてはその線で十分な対策を考えなくてはならない、ここなんであります。そこを調べるためにきよう調査するのです。そういうことを知りますときに、あの当時としてはもうあれが精一ぱいだ、人員、設備は精一ぱいだ、しかしあなたが考えて、精一ばいとしても不十分であつたか、十分であつたか、現在としても対策を講ずる必要はないのであるか。このままで行つていいのか、こういうことをお聞きしているのです。
  248. 木村正

    ○木村参考人 それにはいろいろ松阪という自治体の財政関係というようなこともあるでしようし、松阪市自体の治安を保つのは、松阪市警察署だけでなくして、あそこには国家地方警察飯多地区警察署があります。同じ警察の庁舎の中に国家警察もございますから、これがすぐに応援することもできます。また国警本部のある津の県庁も、自動車で走ればわずか二十分か三十分の距離のところでありまするから、自治体自体を自治体の力で守るというのでは、あれで精一ぱいのところでありましよう。しかし今申しましたような理由で、松阪市を守るためにほかに応援がすぐにかけつけられるという状態でありますから、あれ以上の警察力を増大するということは、自治財政体のが許さないと思いますから、応援によ治安は確保できると思います。
  249. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 自治体ではあれ以上はできない。結局、あれ以上やるとすれば、自治体ではもう不十分だということになるわけですね。よろしゆうございます。それからきようの調べで大分私たちのわからないところがわかつて来たわけですが、松阪というところは結局消火面におきましても非常に不十分な地帯であり、設備においても不完全なものであつた。なお土地柄を考えますと、三重県における特殊の事情、の土地柄である。何といつても——これは記録によつてもおわかりのように、共産党もたくさん住んでおる。特殊な民主団体もあるようでございますから、そうした面から、検事長の言葉もあつたようでありますが、流言飛語が飛んだであろうということも私たちにも納得ができるのであります。一体この松阪という土地にあなたは新聞記者としてお住みになつておりまして、こうした面に対して、十分な融和と申しますか、政治面における融和が保たれて、今後ともなごやかな市政が運用されると思いますか。やはり相当険悪な空気、自由労働者の問題等も起つておるのですが、これが続いて行くような気配でありましようか。あなたのお見通しを……。
  250. 木村正

    ○木村参考人 主観的な相違で、この点はいろいろその個人々々七によつて感じ方が違うと思いますが、現在の情勢においては、私は十分いずれの面もスムーズに行くように、お互いそう心がけておるから、行くと思います。
  251. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 今度は読売新聞の方にお尋ねいたします。さつき木村さんが、私の名古屋での談話が電話になつて来たということ、これは事実地元の代議士から私にあつたのですが、地元の代議士が言つたという、こうしたことに対して、新聞社に対するその当時のこうした情報等をお受けになつたことはございませんでしたでしようか。
  252. 松井銀吾

    ○松井参考人 私個人としては、別にそういう情報を選出代議士の方から聞いた覚えはありません。
  253. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 選出代議士の方から聞かなくても、よそから聞いたことがございませんでしたでしようか。
  254. 松井銀吾

    ○松井参考人 たとえば内容についてはどういうことでございますか。
  255. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 火災発火前に流言が飛んだ、それから日共地区委員会ですか、会議を開いて、それから……、こういうような点ですね。こういうような点が、第二小学校が焼けた後ひんぴんとして、火事があとから起るのだというようなデマが飛んだというようなことなんです。これが新聞社の耳に入つた……。
  256. 松井銀吾

    ○松井参考人 デマと申しますか、さいぜんからもいろいろお話がありましたが、第二日の北高の火災鎮火になつた直後に、鎌田町と新座町の二箇所から出火したというデマ——という話もその当時は聞いたのでありますが、実際はこ装いろいろあとで聞いて見ますと、先ほどもどなたかおつしやいましたが、火事ではないかと電話で消防署に問い合せたところが、消防署の署員の方が、それを火事と間違えてサイレンを鳴らしたということをあとで知つたのでありますが、これもすぐ翌日か何かわかつたと思いますが、わかつたときに、私たち報道員も、実際は事情がこうだつたということを知らしていただけば、私たちすぐに新聞に書きまして、報道すれば、市民の方も安心するのじやなかつたかとあとで思いました。そのほかのデマといいますのは——さつき私が申し上げましたあそこが燃えておるというような話は、それは聞いておりますが、そのほかについては別に私は……。
  257. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 実はこの委員会で取上げましたことは、地元代議士からの話で、私の談話が新聞に書かれて、こういうことがもとになつて委員会は取上げたわけですが、そうするとこうしたことは、地元代議士が捏造して、デマも何もなかつたのに捏造して、委員会に言つて来た、まるで自由党の地元代議士が事件を捏造したものだというように誤解されては、これは非常に迷惑しごくなんですが、一体新聞社として、率直にどういうようにお考えになりましようか。
  258. 松井銀吾

    ○松井参考人 先ほど申し上げましたように、私は松阪に住んでいないので、実際のことは知りませんが、あの当時、はなばなしい取材合戰をやつたのでありますが、よその新聞を見ますと、いろいろのことが出ておりますので、そうした新聞社の方々の取材活動が、実際の根拠のあるものから取材をされたのなら、そういうものがあつたのじやないかとは思いますが、私個人としてはその点ははつきり……。
  259. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 今の質問に関連して、上田音市君から発言を求められておりますので、これを許します。
  260. 上田音市

    ○上田参考人 ただいま両新聞記者に対する田嶋委員からの問いに対しまして、その中に、松阪は特殊的な地帯であり、しかも日共の力が強いし、それに従つて特殊な民主団体というものが存在しているから特別な措置をとらなくちやならぬ。その特殊な民主団体というのは、どういう意味を指されて申されたのか。その点一つと、もう一つは、新聞記者に対する談話についてですが、背後に思想関係ありということを断定されましたが、しかし少くとも地元の警察当局なり公安委員なり、またそれぞれの関係諸機関の活動によりまして、明白にされておるのであります。地元では明白になつている。しかも地元以外の方面から選出されている田嶋代議士から、そうした断定をされるような確証は、どこをもつてその意見が出て来るのか。その二点について一応お聞かせ願いたいと思うのであります。
  261. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 委員長として上田参考人に申し上げますが、参考人としては委員に質問はできない制度になつていますから、今の質問に対して参考人としての御意見を述べるならば、この機会にお述べ願いたい、かように考えます。
  262. 上田音市

    ○上田参考人 松阪市民はすでに事件も当局その他の団体の協力によつて一応処理され安定線に入つておると思つてつたところがこの問題を特に取上げて、しかも法務委員会まで持ち込まれたということそれ自体が、われわれは一党一派にとらわれてないという御意見等もありますけれども、何かそこに政治的な動きというものがあるのではないかということを予感するのであります。さいぜんも申しました通り、地元では何ら市民も疑うことなくこの問題は一応結末がついておるということになつておるにもかかわらず、田嶋議員が中央でこういう問題を坂上げ、しかも田嶋議員の御発言の中にはわれわれ参考人に対して何か制圧されておるものがあるようですが、われわれ参考人は公務を持つて非常に執務多端の中から困難を冒して上京して参つておりますので、われわれは何ら隠すことなく、また制圧されることなく真実のありのままをここで供述しておるということだけは、委員諸君にも御了承しておいていただきたいと思うのであります。
  263. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 ほかに質疑はありませんか。
  264. 加藤充

    加藤(充)委員 朝日の木村さんに二点ほどお尋ねします。先ほどのお言葉の中に、第二回目の火事が起きてから、三十名はどの記者が、鎮火しそうになつたのでこれで引揚つげようとしておるところへ、鎌田中学の三度目のサイレンが鳴つたので、あとまた追つかけて行つたところが、鎌田中学が焼けているというようなことを聞いた、そのあとのことでお尋ねしたいのです。先ほど木村さん個人といたしましては、鎌田中学が焼けているというのを町で聞いた。しかしあとで検察当局が、何か計画的なものを強く示唆するものと解釈されるような意味合いの表現で、鎌田中学の火事を言いふらした者が相当多数町の中におつたということを言われたというお言葉がありました。その検事のお名前と日時、場所それから報道人としてはあなたが一人のときに言われたのか、それとも半ば公的に新聞記者との会談というような席上で言われたのかお聞きしたいと思います。
  265. 木村正

    ○木村参考人 日時、場所についてははつきり覚えておりません。
  266. 加藤充

    加藤(充)委員 大体でけつこうです。
  267. 木村正

    ○木村参考人 たしか鎌田中学の火事が十七日にあつたのですから、十八日か十九日、二、三日後であります。それから言つた検察当局の人の名前は、検事正ではなかつたと思います。とにかく警察へ行つたりあちこちで話を聞きまして、それをまた総合しますが、今の記憶ではたしか中西署長じやなかつたでしようか。鎌中が火事だということは同じ時刻にあちらでもこちらでも言うておつた。だからどうもおかしいと思いませんかというようなことを言うたのです。つまりそういう意味のことを知らせたのです。場所はたしかに警察だつたと思います。
  268. 加藤充

    加藤(充)委員 まあそれはいいといたしまして、さつきの証言の中に、火事の後にそういうようなことがあつて、しかも検事というお名前で、しかも検事としては相当高い地位にあつたような感じの持てるお言葉で、検事がそういう話を言つたというようなことを先ほど承つたのであります。それと前後して特別捜査班ができて、二百名ほどの武装警官がものものしい態度で警戒態勢に入つた。NHK並びに市役所のカーなども町中に動き出したということで、かえつてこれはたいへんなことになるぞという疑心暗鬼をさらに深めた、こういうような御発言だつたと思います。もし私が承つて理解した趣旨と違う御発言であるならば、その点は訂正をします。そうした前提のもとに立つて記者としていろいろの判断から見たと思いますが、市民が特別に不安な気持をかき立てられたというのは、どうせ火事のことですから疑心暗鬼も生むでありましようが、そういうことをがあがあ騒ぎまわつて、そうして思想背景というようなことで異常な態勢をとつたということが、より以上市民の不安をかき立てたと思われる節々、あるいはそう思われることが、報道班の一員としてのあなたの御判断で妥当なものであるかどうか、それをお尋ねしておきたいと思います。
  269. 松井銀吾

    ○松井参考人 ここに参考人として来ていらつしやる大部分の者は、私を除いて松阪市の者でありまして、数日続いた非常警戒態勢のあつた夜のことはほとんど御存じだと思います。それで市民の方々の感じといいますのは、かえつて警官が来てくれたのだから安心して眠れると思われる人もあつたかもしれませんし、今加藤さんのお言葉中にありましたように、また逆の考えを持たれるお方もあつたかと思います。それ以上の点については、私としてはちよつと……。
  270. 加藤充

    加藤(充)委員 お二人のうちどちらかだつたと思うが、そういうような態勢をとられながらも、ニュースの発表というようなことについて、捜査中のものでありますから、そこにいろいろな配慮もございましようが、いま少し常識的な発表をしてもらえば、あれやこれやの手違いで推測をたくましくして、朝日なり読売なりの新聞報道もそう思い過したようなことを書かずに済んだのじやないか、むしろ真相が隠された一面においてさつき申し上げたようなことがあつたので、新聞もそう書かざるを得ないということで、まことに不安な気持を鎮静せしめて行くのに遺憾の点があつたということを、お二人のうちどちらか御陳述になつたと思う。さすればこれは飛躍した結論かとも思うのですが、常識的に見て不安の原因というものはむしろ町の中の罹災者、居住者から来たんじやなくして、むしろ上の方の、不安動揺を押えるべき立場にある者の方から不安をかき立てるような結果になる行動なり、あるいは真相を明らかにしないで、ものものしい配置などがあつたというふうに理解してもさほど無理からぬことだと思うのですが、そういう常識判断について何か御見解がありますか。
  271. 木村正

    ○木村参考人 加藤さんの言われるように行きますとやや飛躍するように思いますが、ものものしい警戒とかいうことは申し上げませんでした。私の言いましたのは、一般市民が真相を知りたがつておる、これに対してわれわれ報道人として捜査当局から真相の発表を得て、これを一般市民新聞を通じ、あるいはラジオを通じて一刻も早く知らしたいという気持で検察当局へ、捜査中のものはともかくとしまして、解決して行つた糸口から少しずつ解決して行くわけでありますから、それの段階を発表してもらえば、たとえばさつき申し上げました北高の物置からなんという件は何でもなかつたんだとかいうことを発表すれば、一般市民はそれに対して非常に不安の念を薄らぐことができる、そういう点を言うております。
  272. 田中堯平

    ○田中(堯)委員 ちよつと関連して……。朝日の木村さんに一つお尋ねします。先ほどたしか検事正と言われたと思うが、検事正からこの事件は思想的背景ありとするならば、第二の松川事件や第二の三鷹事件のごとき大問題になるであろうという意味の言明があつたので云々ということを言われた、そのことについてですが、これは第一、いつそういうことが言われたのか、それから場所、それから聞いたのはどういう人々であつたか、もう一つはこれがやはり松阪市民に非常な不安をまき起すについて相当有力な力になつたのじやないかということ、それをお伺いしたいのです。
  273. 木村正

    ○木村参考人 日をよく覚えていないのですが、とにかく松阪大火の四、五日後であります。人は津地検小幡検事正であります。それから場所は国家地方警察飯多地区警察署の署長室であります。そこにおりました者は朝日、毎日、読売、共同、NHK、中日、伊勢などの新聞記者がおりました。十七、八名であつたと思います。NHKは津支局から来ておりましたか、あるいは名古屋から来ておりましたかよく存じませんが、録音しておりました。それが録音盤に残つているだろうと思います。申しましたのは先ほども申しましたような意味のことを申しましたが、第二の松川事件、第二の三鷹事件というのも、ひよつとしたらあるいは三鷹事件を平事件と申しましたか、そこの記憶はありませんが、松川事件というのは私の記憶にはつきりあります。そういう意味のことを言いました。但しその真相はわからないから現在捜査中である。しかしわれわれとしては検事正がそういうことを申しましたから、捜査段階がそういう方向に進んで行つているんじやないかということを、一応主観的には感じました。そこで第一のお答えを終りまして、第二のお答えとして、それがどういう表現においてデマ一つの根幹になつたかと申しますと、朝日新聞ではそれをほとんど取上げておりません。中部日本新聞という三重、愛知、岐阜における有力なブロック新聞がございます。この新聞ではかなりそれを掲げておつたように記憶しております。それが原因になつておるのじやないかと私は想像するわけであります。こんな大きな新聞がこう書いておる、あるいはこれはほんとうじやないかというような気持に市民がなるのももつともじやないかと思います。
  274. 田中堯平

    ○田中(堯)委員 それからこれは木村さんと松井さん御両人にお伺いしますが、朝日と読売の新聞では現地に乗り込まれて取材をされたものが大体そのまま載つたのでありましようか。それとも上部機関からいろいろと報道の方針が天くだつて来たのでありましようか。まず木村さんからひとつ……。
  275. 木村正

    ○木村参考人 朝日新聞においては現地を尊重しまして、現地の者の気持をしんしやくしてくれました。それでやりました。一つの例をあげますと、私は中部の報道部長からもしかられたことがあるのでありますが、ほかの新聞にはこういうふうに出ておるのじやないか、いわゆる思想的背景をより大きく取上げておる新聞があるじやないか、君はどうしてそれを取上げないか、こう言いますので、それは検察当局がその線についてもう捜査は進めておる、しかし現在のところそういうものは大きくクローズ・アップされておらない、だから私としては現地で感じたところのことを正直に取上げるのは当然だと思う、こういう返事をしたのであります。朝日新聞はその点につきましは検察当局の取上げている行き方をかなり忠実に守つてつております。いわゆる巷間に流布されるデマに動かされたことはないと思つております。私が責任者でおりました際もそうでありますし、あれだけの大きな事件でありますから、県庁所在地の津の支局長が一時松阪責任者として出張して来ましたときもその方針でやつております。三重県が指揮を受けております中部支社の天くだり的な編集方針というものをこちらが受けてやつたということは全然ございません。
  276. 松井銀吾

    ○松井参考人 読売新聞社におきましても上の方から指示をされて、こういうふうに書けとか、こういうふうな見方をせよと言われたようなことは絶対にありません。従つて第一線の記者の取材もそのままになつております。
  277. 田中堯平

    ○田中(堯)委員 それでは木村さんにお尋ねしますが、この松阪の市は、概して言つて貧困な市でありますか、それとも中流くらいであるか、あるいは相当富める町であるかということと、それから火災後に相当多数の窃盗事件が出ておるようですが、これが報道人の感覚として、もし松阪市民自体が貧乏人が非常に多いということならば、やはりそういうところに関連があるのじやなかろうかというふうに感じておられるかどうかということであります。
  278. 木村正

    ○木村参考人 第一の貧乏人の町か金持の町かということでありますが、そのお答えは、私の主観的な感じでありますが、まずわれわれの家庭に当てはめてみますと、中流の下くらいのところじやないかと思います。  第二のお答えは、そういう状態であるがために松阪の——さつきおつしやつた大火のときの火事場どろぼうのことですね。
  279. 田中堯平

    ○田中(堯)委員 そうです。火事場どろぼうと何か関係があろうかということです。
  280. 木村正

    ○木村参考人 大火で特にそういう火事場どろぼうをやつたとは思いません。私はそう思います。
  281. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 他に御発言がなければ、本日はこの程度にとどめます。  参考人の各位に一言ごあいさつを申し上げます。各位の御多忙中を遠路御足労願い、かつ長時間にわたつて多々有益な御意見の開陳を賜わりまして、まことに感謝にたえません。本件に関する本委員会調査上、これが多大の裨益のあつたことを銘記いたしまして、各位の御熱心なる努力に対して厚く御礼申し上げる次第であります。  次に明日は午前十時より委員会を開き、戰争犯罪者の刑の執行に関する件につき菊池参考人及び黒田参考人より意見を聴取することにいたしたいと存じます。さよう御承知願います。  本日はこれにて散会いたします。     午後五時十二分散会