○加藤(充)
委員 さつき
質問のときに申し上げたように、軽微なるものまで
一件と数えて大事そうに
報告したのであります。
国民が公僕たる者に対するいろいろな点から、主人が公僕に対して行き過ぎがあ
つたことよりも、むしろ公僕たる者が主人公たる
国民に対して、しかも新憲法のもとで今指摘したようなことをやることの方が、質的に考えて重大であり、そうしててめえの暴力と乱暴をたなに上げて、それから起
つて来る一切の責任を
国民に転嫁するという、ま
つたくこれは過去の軍閥官僚時代のやり方と同じなのでありまして、そのことについてはあり得べきでない。
報告を聞いていないということは、これはま
つたくほおかむりして、耳をおおて鈴を盗むの類であ
つて、こういう根性が根本的に直らない限りは、いかに
治安対策を急いでも、根本の心棒が残るということをはつきりと考えて、謙虚な立場から民主的に出発することが強く要望されると思うのであります。現に
警察の集団の中で白昼公然と行われた、手近な例でまことに恐れ入るが、同僚議員の大石ヨシエ君に対することだ
つて、
警官がや
つたことは明らかに
なつているのに、その下手人、
犯人があがらないじやないか。こういうばかげたことで、
国民の中でたまさかの軽微なものまで大きく取上げられるということは、さか立ちしたものの見方だと思うのであります。
それで最後に
お尋ねするのですが、
先ほど読み上げました
文書「
球根栽培法」とやらですが、その一部にここの結論として
警察官を殺せというような結論は、どこからも出て来ないと思うし、きわめて破壊的であるというのですが、いわゆる人民に、主人公に対して横暴と腐敗を働く
警官の責任を徹底的に、いたたまらないところまで、大きな顔ができないところまで
国民の総意で徹底的に追究して行くというのは、これは明らかに腐敗と暴力がとうとうとして政治を侵し、
国民の生活まで侵しておる今日においては、別にこれは暴力的、破壊的だと断ずるまでには至らない。少くとも今読み上げた材料の中からは、私
どもあえて破壊的だという感じは受けないのであります。たとえてみれば、その反面に憲法九条が厳存しているにかかわらず、木村
法務総裁自体が、ジエツト機と原爆を持たなければ憲法違反にならないのだからさしつかえないのだ、こういうようなやり方、それから閣議を開き自由党の面々と議会答弁、議会
対策を考えておるというようなことが、最も恐るべき破壊的な、祕密的な陰謀だとわれわれは評しても過言ではないと思うのであります。しかもその反面において憲法九十九条には、天皇から大臣まで、代議士はもちろんだが、憲法を遵守すべき義務があると明確にうたわれておる。しかも憲法九十八条には、憲法に違反するものは一切が無効だということが書かれておるにかかわらず、そういうような再軍備は明らかに憲法違反であるというのが、
国民の中の大多数の良識ある判断にかかわらず、その方針でどんどんやり遂げおるというようなことこそ、暴力の尤たるものであり、この暴力の行使には権力を私しておるという
意味で、われわれは民主的な憲法のもとでこれを排撃し抑止しなければならない本質を持つものだと考えるのです。そういうことを取上げずにおいて、
国民が軽微なる
特審局員とかあるいは
警官に対するたまさかのものまで——突発
事件で計画的なものであるとは言えないと
長野の金谷
国警隊長が言
つておるときに、なおそれが
日共と
関係がないかとか、共同謀議がないかとかというようなばかな発言をするときには、
警察の責任のある者は、そういうことを言うことはおやめなさいと言うくらいの職責を公務員は憲法上持
つておると思う。私はそういう点で大石ヨシエ君に対する暴力が
警官の中で行われたにかかわらず、まだ
犯人があがらないというような事柄の中にこそ恐るべき暴力の根源を見出さざるを得ないと思う。いやしくも議員たる者が、
新聞や今言
つたような行政府の煽動に興奮して、これと一体と
なつて
ちようちん持ちをするというようなことになると、五・一五から満洲事変、二・二六、侵略戰争への翼賛態勢をそのまま実現して行くことになるので、(「
質問をやれ」と呼ぶ者あり)
質問をやれと言われる前に、
質問をやるまでもなく、自由党の諸君自身が、やはり与党として真剣に考えてもらわなければならぬところである。そういうものこそ暴力を謳歌し、煽動するものであると思うのであります。
それでは
田嶋君が言
つたように、木村
法務総裁が出て来ないのでありますから、ここで
田嶋君、押谷君と議論をや
つても始まりませんし、またやる場所でもありませんから、きようは
質問を次会に留保して私の
質問を終ります。