○東
参考人 私は
著作権協議会の
法制專門委員長をいたしておるのでありますが、その
立場から私が
参考人として呼ばれたのか、あるいは私は長年
著作権法を研究いたして、ただいまは大学
教授と
弁護士をや
つておりますが、そういう
立場からお呼びに
なつたのか、その点の御趣旨はわかりませんが、私は今日は
著作権協議会を代表するというよりも、私が一
法律学徒であるという
立場から、ここにこの
法律案に対しまして
意見を申し述べたいと思うのであります。
結論を申しますれば、私はこの
法律案は成立させたくないのであります。それはどういう点から申すかといいますと、これは非常に中途半端な
法律案であります。先ほど文部大臣の提案
理由の説明書を
ちようだいしまして、読んでみましたところが、この提案趣旨からいいますと、この條約を
国内に実施するために特に設けた
法律であるか、あるいは條約の文言について理解が不十分であるような点もあるから、この
解釈上の疑義を一掃するために立案したのであるか、両方のようでありますが、この條約が
国内法としてただちに
効力を生ずるかどうかということについては、先ほど
国際法学者のお説もありましたのですが、しかし私は
日本の
憲法の上から申しますと、
ちよつと疑問があるような気がするのであります。
憲法の第九十八條に「この
憲法は、国の最高法規であ
つて、その條規に反する
法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その
効力を有しない。」これは第一項でありますが、第二項に「
日本国が締結した條約及び確立された
国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」と、こういうふうに
規定してあります。この
憲法のできるときに、実は案といたしましては「この
憲法及び條約は」と、こういうふうにな
つてお
つたのでありますが、その「條約」という文字が衆議院でも
つて創られたのであります。そのために、ここに第二項の
規定が生れたのであります。そういう点から申しますと、なぜ削
つたか。條約だけではありませんで、
憲法及びそれに基く
法律及び條約はとあ
つたのでありますが、その二つのものを削
つたのでありますが、この條約が削られたということは、非常に疑問を残したように思う。当然のことであるから削
つたのであるか、あるいはそうでなく、條約は当然に
法律にならないものである、
国内法にはならないのだ。
国内法にするためには、特に
立法して
国民に公布しなければならぬというのか、
ちよつとそこに疑いを存する余地がまだあると思うのであります。そういう
意味においてこの点をこの
法律案で
はつきりとしておるかといいますと、つまり條約は当然
国内法としての
効力がある、
国民に対しては、特に
国内法を制定公布しなくとも、條約そのものが、ただちに
国民を拘束するという当然の
立場に立ちながら、しかもなおここにその点を念のために立案したというのであるならば、もう少し丁寧にその点を
規定して、そうしてなおいろいろと疑義の点もある、実施上不都合の点もあるということで、もう少し詳しい、しかも疑問を一掃するような
法律にして出すべきものであ
つたというふうに、私は考えるのであります。そういうような
意味において、先ほども
勝本先生からも
お話がありましたけれども、
日本に特に有利な
解釈をまずも
つてこの
法律によ
つて得ようというので、ただ條約の
解釈をそのままにしておいたのでは、不利なことになるおそれもあるから、今のうちに早く
法律をつく
つて、
日本に有利にして行こうというように、
ちよつととれるきらいがあるのであります。
條約の
解釈ということは、一国がか
つてに
——ことに
日本は、この條約においてはむしろ、義務国であります。義務国であり、義務を履行しなければならない
立場にあるところの
日本国が、その條約を一方的に
解釈するということは、一体どういうことであるか。もつとも、先ほど
勝本先生の御説明で、私は初めて、なるほどそうかということを知
つた次第であります。これは
GHQの了解を得ておる、こういうことを聞いたのでありますけれども、しかし、その
GHQの了解が、この條約が今後條約国間において
効力を生じたときに、はたしてその
解釈通りに一体行くものかどうか、そういう点について、私は今非常に不安を持
つておるのであります。
一体條約の
解釈あるいは契約の
解釈というものは、これはその
解釈が両当事者が一致しなければ、ほんとうの
解釈というわけには行かない。契約の場合でもそうであります。この條約の
解釈について、ただ一国が
——ことにアメリカということになると、
著作権法のことにつきましては、そういう利害
関係については、フランスその他の国に比べると、大分違
つた立場にあると思うのでありますから、そういうアメリカが主力であるところの
GHQで、こういう
解釈がいいと言
つたからとい
つて、それがはたして妥当な
解釈であるかどうかということは、言えないのじやないか。そういう
意味において
解釈がいろいろあり得ることあるならば、これをもう少し後日に延ばして、この
法律をつく
つて——先ほど布川さんからも言われたけれども、
著作権に関しては非常にいろいろな問題があ
つて、非常に
業者としても困
つておるという際でありますから、もう少し後日において、
連合国とも十分に折衝して、こういう
解釈をするのが妥当だというところにまで来たところで、それをここに
国内法として公布しても、必ずしもおそくはないのじやないか。これをただ
日本の国の利益のために、義務者として義務を履行しなければならない
立場にあるものが、自分の義務履行上の利益になるような
解釈をしていいというものではない。そういうようなことをすれば、私は先ほど読みました
憲法の第九十八條の第二項において「
日本国が締結した條約及び確立された
国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」こういう
憲法の條文が、
日本の
憲法以外にどこの
憲法にあるか、私は寡聞にして存じませんが、條約を守るということは、国として当然の義務であります。しかるに、
憲法にこれを
規定してあるということは、一体何事かといいますれば、
日本が従来、あるいは不戰條約であれ、あるいは九箇国條約であれ、その他国際連盟を脱退するとか、か
つてなことをするというようなことがあ
つたから、こういうように、條約を守るべきであるということを
憲法に入れられたのではないかというふうに、私は何だか考える次第であります。そういう点から言いましても、
日本が一方的に
——あるいは多少当事国の理解があ
つたかもしれませんけれども、自分の国になるべく有利にしようというような、そういう條約の
解釈をしようということでは、それまた
日本が国際信義に反しようとしておる、か
つてなことをしようとしておるということで、いわゆる国際信義を失うようなことになるのじやないか。国際信義を失墜しはしないかというような心配のあるような
法案を、それほど急いで出さなくてもいいのじやないか。もう少しこれは考え直して出した方がいいのじやないかというふうに考える次第であります。
ことに、
解釈の上において、
国民に理解をさせる、こういうことを言いましても、これは私
法律学者でありますけれども、読んでみて、非常にわかりにくいのであります。いわんや
著作権者であるとか、
出版業者がこの
法律を読んでわかるかどうかということになると、私はなはだ疑いを持つものであります。一條は別段問題はありませんけれども、二條からずつと七條までの間に、各條ごとに私は疑問があると思います。あるいはまた間違
つたような
書き方もあると思う。たとえば第二條において「この
法律において「
連合国民」とは、左の各号に掲げるものをいう。」とい
つて「もの」と書いておりますが、二号には「
連合国の
法令に基いて設立された法人及びこれに準ずる者」とありますが、この「者」は人間をさすのです。団体をさすものならば「もの」とかなで書かなければならない。この「準ずる者」というのは何だろう、法人に準ずる人間とは何だろうというような疑いを、あるいはしろうとは起すかもしれない。しろうとじやない、私としては、こういうふうな
書き方は、はなはだずさんなものだということを、失礼ながら申し上げるわけであります。三号の前号に掲げるものを除く外、営利を目的とする法人その他の団体で、前二号又は本号に掲げるものが一ということにな
つて来ると、「本号に掲げるものが」ということは一体何を言うのかというと、これは私
たちが読むと、「営利を目的とする法人その他の団体」をさす、こういうふうに
ちよつととれますけれども、しろうとが読むと何だかわからない。第四号がまた同じようなことを
言つておる。こういうふうなことであります。
なおこれをいろいろと
法律的に言うならば、大体ここにいろいろなものを「
連合国民」としてあげておるが、たとえば会社法の第四百八十二條では、
日本に本店を設け、または
日本において営業をなすをも
つて主たる目的とする会社は、
外国において設立したものも、これを
日本の会社として取扱うということを
規定してありますが、一体そういうふうな会社は、ここにいう「
連合国民」になるのかどうかということも疑われる。もつとも、これは会社法上では
日本会社であるけれども、この
著作権のことに関する
特例法では、それは
連合国民だというふうなことになるのかもわかりませんが、そういうような点についても疑わしいのであります。
それから第二條の三項の「この
法律において
著作権」とは、
著作権法に基く
権利(同法第二十八條の三に
規定する
出版権を除く。)の全部または一部をいう。これもまた私には
ちよつとわからないのであります。ここの二十八條の三を除くということが、一体どういうことでありますか。二十八條の三というものでなくて、これはむしろ
出版権というものを除くという
意味であるのではないかと思うのでありますが、二十八條の三を読んでみても、どうも三を除く
理由がわからないのであります。それから「
著作権法に基く
権利の全部又は一部をいう。」ということでありますが、これなども、実は
権利の全部または一部の譲渡ということが、
著作権法に書いてはありますが、この「
著作権」というものが、
著作権法に基く
権利の全部または一部を
著作権と見るのだということは、わかりにくい。むしろこれは
著作権そのもので、内容の非常に包括的な
著作権の場合と、そうでなく、
著作権の一部として何か映画化をするところの許可権であるとか、そういうものをいうのだろうと思うのであります。それならばそれで、もう少しこれを具体的に書いた方が、
はつきりするのではないかというように考えるのであります。
それから第三條におきましても、第四條等におきましても、いろいろと、先ほども布川さんも言われたいわゆる「取得」ということでありますが、條約の方では取得ということは
言つてないのであります。これは「生ずる」ということを
言つておる。生ずると言うことと取得するということは、違うのであります。取得するということは、生じて当然取得する場合もありますし、そうでなく、すでに生じておるものを受継いで取得する場合もあるのでありますから、なぜ生ずると條約に書いてあるのを、取得するというようなことにしたのか、そういう点も私にはよくわからない。それから特に先ほども布川さんの言われたように、取得する日とかなんとかい
つても、実際問題としては、非常に困難な問題を生ずるというおそれもあるわけであります。
それから、なお第六條の初めのところに、「
連合国及び
連合国民以外の者の
著作権」と書いてありますが、第六條の内容はそうじやない、
連合国及び
連合国民に関することを書いてある。だから、むしろこれは、この條文の立て方からいえば、
ちよつとこの見出しと合わないことを書いてあるというふうにもとれる。
それから第七條の
登録税の問題であります。先ほど
勝本先生が、
登録税のことはこれは必要なことだというふうに言われたのでありますが、この点は、一体條約では、そういう負担をかけないということが、
はつきりと書いてあるわけであります。それを、一体どういうふうに
解釈したのか。もつともこの條約、すなわち
平和條約第十
五條の(C)項の二というのにおいて「
権利者による申請を必要とすることなく、且つ、いかなる手数料の支拂又は他のいかなる手続もすることなく」と
言つておる。これはただ
期間の延長が当然に行われるという
意味で、別に手数料なんかを拂わないでいいというように書いてあるようにとれるけれども、あるいはまた
解釈上によ
つては、ただ
期間だけが延びたからとい
つて、第三者に対抗する要件が備わらなければ何にもならないので、第三者に対抗する要件を備えるために
登録をするのであり、
登録税をとるのだから、さしつかえないという御
見解のようにとれたのでありますが、この点はあるいは第十
五條の(C)項の二の違反になるのじやないかという心配もあるわけであります。そういうふうないろいろな点で、私といたしましても、これは実は前に
占領中に起
つたことでありますけれども、例の
著作権の存続
期間の五十年というようなことを
文部省の次官通達をも
つて出しております。むしろそういうふうなことが非常に重大なことであ
つて、一応これは
法律でもつくるべきものである。今度の場合も、単なる
解釈だというのならば、これは一応
文部省の次官通達ぐらいにしておいてよろしいのではないか。
法律として、
著作権に関するいろいろな煩わしい問題を解決するのであるというならば、根本的には
著作権法そのものを改正しなければならないのでありますけれども、それは相当日時を要するのでありますから、さしあたりにおいて、もし
法律をつくるというのであるならば、またいろいろと
連合国民ばかりでなく、なお
外国人に関する
——ドイツ人の
著作権に関することもいろいろありましよう。そういうことからして、もう少し徹底した
法律をつくられた方がいいのではないか。先ほど布川さんも言われたけれども、実際的の
立場に立
つても、こういう
法律案を通さなくてもいいということを
言つておられるくらいで、私は一学徒として、この
法律案はまだどうも不完全なものであ
つて、もう少し練り直して出すならば別として、このままで通過させるということには、私として賛成いたしかねる次第でございます。